空涙 3




青島が、室井に差し出す想いは、一途で、酷く直向きだった。
何が出来る訳でもないだろうに、強気な視線を外さない。
溺れそうな息苦しささえ乗せるその色素の薄い透明な瞳は、今は室井だけのために純潔に煌めき
その意思の切実さを加算する。
室井は息を詰めて、見つめ返した。
だが、一方で、一条の光明を捜すような気弱な色を帯びていることも、室井は見出していた。
というより、それに気付けるのは、自分だけだろう。

――相変わらずだな・・・
強がりの裏で、光るその強さも脆さも。
絆されているのは、自分なのか青島なのか。

室井は大きく溜息を吐いた。




「役不足、と言った筈だが」

苦しげなまでの必死さに、見ているこちらまで、息苦しい。

「ある意味では、ね」
「まるで、接し方次第とでも言いたげな口ぶりだな」
「兵隊を使いこなせるかどうかが、あんたらキャリアの本分だろ」


そのままじっと二人は見つめ合った。
黙ったまま見つめ合う幾星霜は、思考も記憶も、五感すら越えた部分で、出会ってから二人が巡らせた日々を追憶する。
見つめ合うというよりは、睨み合うといった視線に近いそれは
二人とっては他のどんな手段よりも、細胞の奥底まで滔々と語り、二人の意識格差を融合した。


「俺は、あんたの共犯者のつもりだった」
「物騒だ」
「俺に言えよ。俺にぶつけろよ。俺に全部、吐き出してみろよ」
「・・・・出来るか」
「たまにはいいでしょ」
「そんなことまで曝け出さなくちゃ、俺たちの関係は破綻するのか」
「んん・・・俺が、聞きたいです。聞いちゃ、駄目ですか。ホントは聞けた義理じゃないんですけど」


ふいに、青島が視線を横にズラす。
彼の放つその閃きから解放され、室井は自分が極度の緊張状態であったことを意識する。

軽く吐息を吐き、青島を見下ろした。
少し伏せられた青島の瞳が、必死さの奥に哀しみを宿らせ、それが、夜の中に溶け落ちる。
室井は一息吐きながら、青島に腕を掴まれたままの身体を、向き合わせて跪いた。



「何でおまえの方がそんな顔をする」
「俺たちは、護られるのでも護るのでも、ない、筈だ」
「・・・・ああ」
「どうして一人でめちゃめちゃになろうとするんですか?だったら、俺にぶつけてよ。あんたの眼には俺のことも見えてもいない・・・?」
「そんなつもりはない」
「カッコつけることは必要?ですか?一緒に踏ん張るって選択肢は?」
「遠く離れてどう支え合うんだ。仕事の上ではそんなもの関係ない。結果が出せればそれでいい」


ああぁ、もう、と言って、青島が頭を掻き毟る。
達舌な青島らしくなく、言葉が上手く出て来ないようだった。
もどかしさが伝わってくる。
それが、酷く必死で、何処か他愛なく
言葉や態度ではなく、その仕草に因って、室井にはストンと青島の気持ちが納得が出来た気がした。


「仕事のことは、ご自分で処理するもんです。男ですもん、そうしてきた筈だ、横から口出しすることじゃない。でも」

長い睫毛が揺れ、室井の腕を掴む手が、きゅっと力む。

「受けた苦しさとか、遣り切れない想いとか、そういうものを消化することは、一人でやることでなくてもいいでしょ・・・」
「――・・・」
「あんたはそこまで出来た人間なの・・・・」


逃がすまいと必死に掴む手が、少し震えていて、室井は今になって、青島が脅えていることを察知した。
これだけのことを言うのに、相当な躍起が必要だったらしい青島が、甚く普通の青年・・・少年のように見える。
酷く珍しいものを見た気になり
室井は不謹慎にも、無防備に青島が喋るのを見つめ返した。
いざとなれば、劇場型の行動力を見せる潜在能力を秘める傍ら、彼の本質はこんなにも脆い。


「見ようとしてないのは、あんたの方じゃん・・・っ、くそ・・っ」

悪態を吐いて、青島が横を向く。

こんな風に、誰もが知る表向きの陽気さではなく
ふとした隙間に気付く、彼の拙劣性と脆弱性を見せられた時、室井の隙間を丁寧に埋めていくそれは
蕩けるほどの熱を室井の裡に生みだしてきた。

これなのだろう、と本能が理解する。
何だかようやく青島と言う存在が本来含有する、生粋の気質や効力に、触れた気がする。
一つの事象と対峙する時、選ぶツールが異なるだけで、見える景色が違うだけで、自分たちはきっと同じものを感じてきた。
今、時間も空間も越えて、多分、青島は、あの時の室井の傍に居る。

それは、先程までのダラダラした会話よりずっと、泉のように室井の乾き切った心を潤した。



泣きそうな顔で腕を引かれ、青島が室井の肩口に、ぎこちなく額を押し付ける。
前髪がくしゃりと室井のスーツに押し付けられ、少しだけ淡く揺れる残り毛が室井の口元を擽っていく。
そのままにさせ、室井は青島の後頭部を見つめながら、そっと溜息を漏らす。


「そういう意識がなかっただけだ・・・これまでも、これからも」
「また一人、そんな顔する・・・。それ見た俺が、どんな気持ちになるか、考えたことある?」
「勝手なもんだな、自分だけが辛いとでも?」
君が走っていく背中が残照のように記憶に焼き付いている俺に。


そんな驕る心理から逃れる隙さえ奪うかのように、青島の言葉は嫌味な程に室井の中に浸透していく。


「傷つく訳にはいかないけど、傷ついてない訳でもない筈だ」
「・・・・」
「あんたが・・・愚痴も涙も零さないから」
「良い大人が泣くか。・・・・俺が泣いたら、江里子も被害者も報われなくなる」
「流石エリート。でもそんなの俺に言わせりゃただの自己欺瞞だよ・・・、今生きているのは、あんたの方なのに・・・!」

肩に押し付ける額に力が籠もる。

「それを無視しているあんたが、俺・・・っ」
「もういい」
「何も言わないあんたが、蔑む発言までして護りたいものが、俺にとってもただひとつの理由だよ」
「もういい、青島」
「あんたが一人で崩れていく必要なんかないって言ってんの。願ってくれれば俺、手を貸したのに」
「だからそんなつもりは・・・・・」
「あんたは俺に、願ってもくれないんだ」


全てを見透かす青島の言葉が、室井を追い詰める一方で沁み渡る。

室井の矜持は室井の中だけに在る筈で、誰も気付くことない筈だった。
なのに。
こんなに容易く救いあげてくれる。
やっぱり、青島だけには、届いているのだ。


「・・・・ッ」

熱い想いが、愛しさと共に込み上げる。
室井は天を仰ぐように顎を持ち上げ、堅く目を閉じた。

向けられる情熱と信愛に、せめて対等で、恥じない生き方をしようと密かに固め
そうやって今日までやってきたんだった。
今回の件も、その意味では恥じない。あんな風に足掻けたことは、後悔していない。
己の信条となるその生き方に恥じぬやり方で最後まで戦えたのだと、今も言い訳出来る。・・・だがこれは、言い訳という名の、これは自己弁護だ。
そして自己欺瞞だ。

誰一人、気付くことなかったその室井の言い訳に、青島だけが辿り着く。
この信愛に溺れてしまいそうになる。
なんて大切なのか。
こんな愛おしいものが、自分に与えられて良いのか。
一番欲しいものを、ちゃんと届けてくれる、その稀有な存在が、何を圧してでも大切だと思った。



「・・・ったく、やることが極端なんだ、おまえは」
「壊れたいんなら、そう言えよ。俺は別に止めたりなんかしない。一緒に壊れてやる」
「危ないやつだな・・・」


ほんの少し、室井が気を緩めて綻ぶ。

その隙を、青島は肌で聡く感じ取り
次の瞬間、流れるような動作で室井の首筋に腕を回し、身体を密着させた。

「あ・・・っ、おしまっ」

不意を付かれ、青島の甘い匂いと仄かな体温に、一気に全身を包まれる。

巻き込まれるように襲った酩酊感に、室井は瞬間的に息を詰めた。
咄嗟に出した手が宙を掻き、その腕の中に咽返るような甘さを芳せる温もりが、ふわりと風と共に舞い落ちる。

「・・・ッ」

焦ってその腕を掴み、解こうとすれば、何だか纏わりついたタオルケットが邪魔で、上手く外れない。
こういう形での説得は初めてで、焦りばかりが蓄積し
それは青島も同じなのか、ヤケになっているのか、力を込めて放さない。


「お・・い、ちょっ・・・放・・・っ」
「・・・・っ」
「ぅあ・・・っ」

縺れに縺れ、仕舞いにはタオルケットに足を取られ、二人揃って床に縺れ込む。
拍子に倒れた幾つものビール缶が、乾いた音を立てて四隅に転がっていく。



フローリングに抱き合う様に縺れ込んだまま
きゅうう、と、室井の腹の上で、それでも青島は離れない。
子供のようにしがみ付いた仕草は、その必死さがどこか滑稽にさえ思え、室井は片手で崩れた前髪を掻き上げながら、身体の力を抜いた。
馬鹿だよなあ、と思う。
でも、同じくらい、きっと自分も馬鹿なのだ。


「全く・・・。何なんだおまえは・・・・・」

応えるように、きゅ、と青島は室井の首筋に顔を埋めてくる。
そっと腕を捉えれば、まだシャツが少し湿っていた。


「しょうもないな・・・」
「お互い様だろ」


窓の縁に、雪が積もっていた。
しんしんと降る雪は音もなく、都会から隔離された空間のように、二人だけしかいない世界が侘びしく覚束ない。
まるで二人、迷子になった子供のようだった。


「遠くまで、来たもんだな・・・・」
「ジジくさ・・・」
「ここまで・・・随分無茶なこともしてきたな、ふたりで」
「それが俺の誇りです」
「そうか」

「部下に言い訳もさせないなんて、あんたらしいよ・・・」
「辞表、出したこと、ほんとは怒ったか?」
「怒るわけ、ないだろ。切り札、でしょ」
「・・・ああ」
「あんたの晴れ舞台、カッコ良かった・・・」
「馬鹿にしやがって・・・・」
「しないですよ。・・・・最後まで背負うのがオトコですから」
「俺は合格か」
「むしろ事件を途中で放り出すような真似なんかしたら、蹴り入れに行ってましたよ」
「そんなこと言うのは、おまえくらいだ」
「だって俺、室井さんを知ってますもん、もう・・・・ずっと・・・・」
「・・・・・」


腹部の上で、くぐもった声が、レクイエムのように囁いていくのが、酷く心地良い。
室井は天井を見上げながら、それを聞いた。
二人密着した状態が、ようやく離れていた分身を取り戻したかのような錯覚を帯びさせ
まるで、慰みのように体温が分け与えられる。
ささくれだった心が急速に鎮火していくのを感じていた。


「逮捕されたって聞いた時だけ・・・・・ちょっと、怖かった、です」
「何を今更・・・。あれだけ好き勝手する奴が何言っている」
「俺ひとり風当たり強くなる」
「そっちか・・・・。大丈夫だろ、おまえなら結果も出せるさ」
「俺は兵隊でいい。結果を背負うのがあんただろ」
「一蓮托生、か・・・」

「裁判まで・・・お揃い、ですね」
「とことん、リンクするな、おまえとは」
「俺たちが重ねてきたのは、結果だけなんですか・・・、形がなきゃ駄目ですか」
「そう・・・だったな」


公的な場では、結果を示すことが、唯一の意味持つことだろう。
でも、それに伴う副産物に、付随する感情もまた、真実なのだ。
そしてそれは、当事者だけが燻らせる。
忘れていた。俺たちは、最初から『当事者』だった。約束を胸に生きる限り。


「良い所を好きになることは誰でも出来るんだよ。だけど俺は・・・っ、俺は、室井さんのみっともないとこまで掴みたいよ・・・っ」
「もういい、青島」
「それが背中を預ける相棒だろ、そんな腹割って話せなくて、何が共犯者だよ・・・っ」
「もう分かったから・・・」
「今更、他人行儀みたいな貌すんなよ・・・っ」


最後は叫ぶように息を切らし、青島は室井の首筋に額を付けて顔を埋めた。
そのまま更に抱きしめる腕を強めてくる。

ややして、室井の手もようやく青島の背中に回された。

ぽんぽん、と赤子を寝かすように、背中をあやす。
ワイシャツの薄い布地から伝わる、肩甲骨やほっそりした身体の輪郭を、初めて知った。


「一人にさせて、悪かった・・・・」
「はい・・・・」
「別にそんなつもりじゃなかったんだ、本当に」
「はい・・・・」
「おまえも・・・・」
「・・・ん?」

「――いや。青島」


そっと呼ぶと、ほんの少しだけ身動ぎし、青島の頭が室井の首横で、脅えるように持ち上がった。
見下ろす青島は蛍光灯を纏い、輪郭が卵色に縁取られ、総身が逆光で影になる。
さらさらと音が聞こえそうな動きで、梔子色に光る髪が目元まで掛かり、更に顔を幼く見せた。
何処かそれは、酷く異様な光景で、その事実が室井には酷く受け容れ難い。
こんな顔は、知らない。

瞼に焼き付けるように、その初めて見るような顔を見返した。
至近距離の濡れた瞳が、物侘びし気に揺れるのまで、克明に分かる。
息遣いさえ溶け合いそうなその距離で、交わし合う視線は、懐かしくもあり、新鮮でもあった。


そっと腕を持ち上げ、頭を撫でるように青島のふわふわと舞う梔子色の髪に、指を差し込み、くしゃりと掴む。


「・・・・・ありがとう、俺は大丈夫だから」
「俺、役立たず?」
「そうじゃない」
「俺じゃなくてもいい、今夜は誰かと・・・」
「青島」

少し強めに言って、その口を黙らせる。
そのまま、またじっとお互いの瞳を見つめ合う。


「ありがとう。君はきっと、最後まで俺の傍に居てくれると思っていた」
「――」
「選ぶのなら、俺はまた君を選ぶ」
「――!」

本音だった。
だから、ここからは心を切り裂く想いで嘘を吐く。


「これで、これからも君のことを支えにして頑張っていける。だから、今日はもう、帰って良い」


心の渇望の赴くままに、これを手にしたら、本当に自分は崩れ去るだろう。
だから室井は自ら幕を下ろす。


「明日も早いんじゃないのか」
「・・・はい」
「帰った方がいい」

語尾は、呆れるほど掠れて、消えた。









何の感情を荒立てない無機質なようでいて静謐な漆黒に、青島が映せば、今までで一番哀しそうに濡れた瞳に、室井は息を呑んだ。
予想外の反応に、受け入れないことで彼を傷つけたことは察せたが、引く訳にもいかない。
室井はじっとその瞳を仰ぎ見る。
呼応するように、室井の胸に圧迫感が広がった。


その艶を宿した瞳のまま、青島が口唇を、きゅっと噛む。

「じゃあ俺のことは見なくていいです。いないものとして扱ってください。でも朝までは、俺、ここにいますから、用があったら言って下さい」
「・・・・」
「あんたが出ていくというのなら、付いていく。雪国のひとにだって負けません」
「おまえ・・・・」


何かのためになると確信した青島の魂は、比類なき強靭な閃きを纏う。
一度閃きを抱いたら、簡単には引かない敢然とした無鉄砲な賭け値のなさや、瑞々しい感性が
こうして視線を重ねる度に、捉えて止まず、室井を揺さぶる。

決して利己的には動かない青島が、ひとたび覚悟を決めるということは
そこに、青島にではなく、室井の光明があると悟っている証だった。
こうなった青島を、引き止めるのは、室井でも労力がいるのは学習済みだ。

やはり、室井が幾ら、もがいても、この無垢な存在は、容易く見抜き、捉えて放してくれない。
逆に言えばそれは、どれだけ本気でぶつかっても受け容れられるということだ。
室井が、絆されて青島に甘くなってしまうように
青島の扉もまた、室井の深部まで受け取ろうと、開かれている。

流されてしまいそうな衝動を必死で押さえ込みながら、寄り添う柔らかい温もりを、そっと掴んだ。



青島が、固まって口籠ってしまった室井の顔の横に肘を付いてくる。
風が靡いて、その芳しい匂いが、ふわりと漂う。


「・・・いいんだ。朝になって、この先の時間に俺がいなくても。あんたの傍に俺が必要なくても。今のあんたを満たせるなら、それでいい」
「・・・っ」
「今夜の時間は全部、あんたにやるつもりで、ここへ来た」


それはまるで呪文のように、都会の夜に沁み落ちた。
眩い光に総身を縁取って見降ろす姿も、神聖な存在であると錯覚させ、現実感を失わせた。
その熱く滾る想いに、心が軋む。
焼き尽くされそうだ。

うわ言のように、室井が呟く。


「どうしておまえ、そこまで・・・」
「理解したいんだ。今のあんたを、めちゃめちゃにしたいんだ。そうじゃなきゃ、あんたは救われない」
「だが俺は――」
「あんたを、俺に救わせてよ」
「・・・・・」
「あんたの仕事をサポートする協力者なら、他にもいるだろう。あんたの密かな賛同者は多い筈だ」
「欲目だな」
「でも、これは、ここからは、相棒の、俺にしか出来ないでしょう?」


こんな人の温もりが、こんなにも容易く与えられる夜なら、きっとこれは、夢なのだ。
都合の良い、幻なのだ。

すっかり遠くなってしまった距離からでも、青島はこうして自分を照らしてくれる。
手を伸ばせばいつだってそこにあると伝えてくる。

運命とか宿命とか、そんなものは越えられると青臭い理想を抱えているくせに
逆に、理想と現実の違いを誰よりも身に刻み
傷跡も苦しみも増えて行くけど、歩くつもりなら、一緒に行こうと誘っている。
涙に濡れた夜に答えが見つからなくても、それでも朝はやってきてしまうのだから。
潔癖な室井だから、そんな曖昧な答えは嫌だろうと言う所まで、もう見透かされている。


奇跡だって起こせる筈――そう確信を持った青島の瞳は、壮麗で純潔だった。
その眼差しに、室井は観念をした。



「分かった、もう、勝手にしろ」

室井は全身の力を抜いて、ひとつ瞼を閉じて吐息を乗せる。
後はもう、青島に任せよう。たまには頼りきっても良いだろう。

「君の、勝ちだ」

だって、これは都合の良い夢なのだから。

「どうせ最後の夜だ。とことんおまえに付き合うさ」




~~~~~~

閉じられた瞼の向こうで、柔らかく吐き出される吐息が聞こえる。
見上げれば、あどけなさの中に、大人の妖艶な艶を同居させたアンニュイな顔をして、青島が苦笑する。


「違うよ、室井さん。それじゃ駄目だ。俺が好き勝手やったんじゃ、あいつらと同じだ」
「・・・?」
「あんたは振りまわされてきたから、だから今度は室井さんが、自分で動かなきゃって言っているんだ」
そうでなければ、フラストレーションは解消されない。

「俺を利用していいから」


室井は眼を見開き、下からじっと見上げた。
今にも泣き出しそうなその顔を、黙って見つめる。


「もっと・・・・何を思ったか、本当はどう考えたか、何も遠慮なんかもしないで細かいことも考えないで、取り繕ってないで言ってしまえばいい」
「出来るか・・・・・」
「愚痴は零せなくても言いたいことはある筈だ。普段なら言えない悪口とか。怒りとか?歪みとか・・・全部」
「得意じゃない」
「大丈夫。黙ってりゃ分かりませんよ」
「君の礼節はどこにあるんだ」
「大枚叩いて馬鹿騒ぎも有りだし、浴びる程の酒だって、有りだ」
「子供か・・・・」

青島が、くすりと妖艶に笑う。

「頭でっかちのあんたはさ、ずっとレールの上だけを歩いてきて、きっと今もその中で、そんなこと何の価値があるんだとか意味がないとか考えているんだ」
「・・・・・」
「でも、やってみりゃ分かる。無駄なことでも口に出すのと出さないのじゃ、全然違う」


青島の瞳は、今にも泣きそうなのに、光だけは失わず、ここだという確信を告げている。
その哀しみは、決して届かない室井への自我ではなく、言葉に出せない室井の悲哀への呼応だ。


成功体験が人に自己肯定を与える。
努力の果てに、成果を求めるのは、青臭い理論だが
結果を伴わない努力には、鬱屈や葛藤、自己否定と言った負荷が加算されるのもまた、事実だ。
それは成功や評価、労いを得ることで消滅出来るが
結果に重きを置く法則は、諸刃の剣だ。
結果が伴わず、周りにも否定されている今の状況では、負荷だけが蓄積されていき、やがて、精神を食い潰す。

人間はどんなに悲しみや苦しみに苛まれていても、なんらかの忘憂にうまく引き込まれさえしたら、その間は幸福なのである。
また人間は負荷が心の中に蔓延るのを妨げるような、何らかの情念や娯楽で気晴らしをしなければ
やがて鬱屈し、潰れていく。

青島は、それを知っている。
そして、今回の事件が、自業自得に不可抗力にしろ、室井の精神を限界まで追い込み、今、正に溺れそうであることまで、知っている。



「ただ喚くだけのことに、意味あるよ。レールの上からじゃ見えない景色を俺が見せてやる。後になって歪んだ感情を燻らせるよりずっと健康的だ」
「――」
「周りをぐちゃぐちゃに壊せよ」
「・・・・・っ」
「子供になっちゃえ、室井さん。本能のままにさ、野性のように駆けた時代が、あんたにはなかったの?」
「幼少の頃だけだ。どこまで遡らせる気だ」
「だったら取り戻そう」
「馬鹿か・・・」
「俺はそれに付き合う」


“やり直せるならどこからやり直すだろう”―――――青島が示す道標は、ちゃんと室井を気付いている。気付かれている。

地獄への誘惑というものは、こんなにも魅惑的な音色を帯びるのか。
その剥き出しの甘い寛容に、室井は泣き出したくなった。

なんて慈悲に満ちた目なのだろう。
なんでこいつは俺を放っておかないのだろう。
自己自身を失うという本当に一番危険なことが、世間ではまるで何でもないかのようにきわめて静かに行われる。
これほど静かに済まされうる喪失は他にない。
なのに、新城や沖田などが裏で行ってくれた存在価値に賭け値し、身勝手に押し付ける希望とは明らかに異なり
青島の提示する救いは、室井自身を掴もうとしている。
確かに今は、結果も素質も、求められていない。

潰れるのなら、潰れていい。
ただ、それに自分も心中すると。

一見、破滅的にも、歪んだ誘惑にも聞こえるそれは、救いには到底成り得ない稚拙さでありながら
確かに他の誰とも一線を画し、そして室井に近しいものだ。


「俺が彼らの最後の砦なんだ。だから、俺が泣く訳にも、折れる訳にもいかない。・・・察してくれ」
「彼らの方が、傷ついて死んでいったから?じゃあ、あんたの救いはどこにあるの?」
「救いがある方がおこがましいだろう」
「隙のない覚悟ですね、相変わらず」
「また嫌味か」
「その覚悟を、俺は壊しに来た」
「・・・・物好きにも程があるぞ」


うわ言のように言ってから、何となく、新城が手帳を仕舞う時に見せた最後のニヒルな笑みを思い出す。
やり返されたあの馬鹿な戯れの、本音に潜む、自分と同じ渇望。
彼もまた、俺に何かを縋っていたのだろうか。
誰もが必死になって最後に願うのは、誰かの幸せであるのなら、自分も他人も、そう大差ないのかもしれない。

重たい。
人の温もりが全部。



「俺は、あんたをイイ子イイ子するだけの味方でいたい訳じゃないんだ・・・」

室井の顔の両脇に肘を付き、覆い被さるようにして見下ろすそれは、透き通るように美しく、琥珀色に輝く光は、神々しくさえある。

「俺を信じて、室井さん」

視線が甘く交差する。


一緒に暴走して、一緒に査問に掛けられた。
一緒に動いて、一緒に走った、8年だった。離れていたって、そういうつもりだった。
同じ怒り、同じ痛み、同じ澱み、同じ汚れ。それらの果てに在る、同じ悦び。
つまりは、青島の言いたいことは、そういうことなのだろう。

分かち合いたいのは、どうすれば良かったとか、傷ついたとか、善とか悪とか、現象に対して二元論を決める処置ではなく
起きる日々の現象に、笹舟のように行き先も答えも、彼は持たない。
別に答えを求めている訳ではないのだ。
責めている訳でも、悔んでいる訳でもない。
悔みたいと室井が言うなら一緒に悔むし
怒りを持つのなら、一緒に怒りたい。

成程、確かに、それなら、共犯者だ。



「どうしたい・・・?外に出る?お決まりに、海で叫んでみるっていうのは?雪の海なんて絶好じゃない」

哀しそうな揺らぎを秘めた、その悪戯っぽいその眼は、艶麗な魔力を放ち、室井を吸い込んでいく。

室井はその腕をそっと引き寄せた。

「・・ぁ・・・・」

容易に傾ぎ、驚いたような色を乗せて、じっと見下ろしてくる青島の後頭部に手を回し、その口唇に自分の口唇を押し当てる。
突然の暴挙に、青島が固まっているのを余所に、静かに瞼を閉じ、そっと口唇を重ね直す。
酒と煙草の味がした。


烈しくもなく、深くもない接触は、本当に、ここが夢の世界のような錯覚を齎した。
思ったよりもずっと柔らかいその口唇は、しっとりと濡れていて、室井を包み、強烈な肉の記憶で記憶を塗り替えていく。
後頭部に軽く手を添えたまま、室井はその熱く濡れる口唇に、何度も何度も触れ合わせる。
角度を変えながら、そのふっくらとした感触を、確かめていく。

切なく狂おしい感情が、湯水のように身体の裡から溢れ、でも受け止められずに零れ落ちた。

されるがままの青島は、逃げもせず、ただ呆然と目を見開いて、その口唇を受けていた。
力が抜け、室井の顔横に付いていた手が滑り、室井の胸に身体が落ちると
室井は後ろ髪に指を絡め、背中に片手を回して、その身体を受け止める。
反動で強く重なった口付けを返し、口唇で輪郭を辿るように口接を繰り返した。



柔らかく口付けたまま、どのくらい時が経っただろうか。

室井は瞼を持ち上げながら、ゆっくりと口唇を解放した。
顔を傾けたまま、口唇に吐息が掛かる位置で、じっとその瞳を見つめる。

その間、抵抗もしなかった青島は、言葉一つ発せず、呆然と室井を見下ろしていた。
室井の両脇に付いたままの肘が、今にも崩れそうに震えているのが、視界の隅に入る。
驚いたような、脅えているような、心許ない瞳が室井を見下ろし、唖然とした表情からは、状況を掴めていないことが伺えた。


顔色ひとつ変えずに、室井はしっかりとその瞳を凛と見上げる。


「もう、帰れ」

囁くような声で、そう告げる。




~~~~~~~

「い・・・や、です。今晩は、ずっといるって、言いました」

時が停止したような間の後、ようやく言い返してきた青島の言葉はそれでも強気だった。
が、声が微かに掠れている。
真っ赤な顔をして、室井の上で頭だけ持ち上げた態勢で、それでも逃げようとしない。


「ってか、あんた・・・今、俺に何を・・・・・」

手の甲で口元を覆い、視線は外して、照れたような戸惑いを隠せない貌を見せる。

室井を見下ろしながら逆光になった顔は、動揺まで陰影に潜め、別の貌を覗かせた。
室井は一切の感情の乱れも露わにせず、初めて見せる目の前の青島の初心な反応に視線を釘刺しにしたまま
瞼の裏に焼き付けるかのように凝視する。
どのみち、今日で見納めなのだ。


「痛い目をみないと分からないのか」
「・・・その程度の脅しで俺が引き下がるとでも?」

青島の腰を抱き、一気に体制を入れ替える。
慌てた顔をする青島の顔横に鈍い音を立てて拳を付き、覆い被さるように至近距離で射抜く。

「これは脅しじゃない」
「・・・!」
「二度は言わない。・・・・襲われたくなかったら、大人しく帰れ」

今度こそ青島が眼を剥いた。

「どういう、意味?」
「言葉通りの意味だ」


じっと見上げたまま、幾つもの逡巡をしたのだろうか、不意にその眼差しに疑惑と不安が浮かぶ。

「怒った?俺、ずうずうしかったですか?でも俺――」
「――。おまえが気を使ってくれたことは嬉しく思っている。だが、もういい、と言っているんだ。傷つきたくなかったら、引き際を知れ」


不安と恐怖が綯い交ぜになった顔をし、逡巡するような瞳を覗かせた青島だったが
なんと、次の瞬間には、それすらも、見事に隠して見せた。

「それでも・・・・いい、です・・・よ」


カッとなる。

簡単に覚悟を決めて、簡単に差し出そうとする態度に、カチンときた。
室井の気持ちまで軽んじてられてる気がした。
誰にでも、こんな風に慈悲深い情を与えているのか。
誰にでも、身を賭して大切にしているのか。


「なら聞くが、そんな風に誰にでも土足で踏み入って、みんながみんな有り難がると、本気で思っているのか・・・!」
「でも・・・!」


何だかそれは、嫉妬のようだった。
ここまでの青島の態度で、室井を軽んじているなどとは、微塵も思っていない。
室井に、ではなく、青島自身が余りに利他的であることに、何故が腹が立った。

そんなことさえ許せないほど、自分は心の狭い人間なのか。
いや、違う、そうではなくて、多分大勢と同じように扱われることが辛いのではなく
その後に、同じように手の平を返して通り過ぎていく儚さが、酷く、苦しい。


「そんな風に・・・っ、何でも俺に差し出そうとするなッ、俺を許すな・・・ッ!赦して欲しくなんかないのは分かるだろう・・・ッ」
「室井さん・・・っ」


二つの悲鳴のような声色が、哀しく真ん中で破裂する。


今しがた口付けたばかりの濡れて光る口唇を噛み締めて、青島が揺るぎなく見上げてきた。

これが、唯一である同志を最悪の形で失うことになるであろうことに、頭は気付いていたが
そんなのは、どうでも良かった。
幼く純粋な存在から伝わるこの体温だけが、ただ一つの温もりだった。
強い閃光を以って室井を貫くこの存在が、今は強すぎる。
こんな風に優しくされればされるほど、今の室井の心は悲鳴を上げる。

ただ一つのその光を欲し、その光にまで否定されたら、自分は今こそ、潰れるだろう。
なのに、逃げても逃げても、この存在に捕らわれる。
清純な光を失わない。
最後の一線だったのに・・・!


室井を宥めるかのように肩に触れる青島の両手を引き剥がし、手首を掴んでフローリングに強く縫い付ける。

「・・・ィ・・・ッ」
「早く嫌って言え」
「――イヤ・・・・・じゃ、な い」
「俺がおまえの信頼を裏切ることくらい、おまえには痛くも痒くも無いか」
「・・・・俺に何させたい訳?」
「・・・ッ、おまえを傷つけたくないんだ!何故それが分からない・・・ッ」
「なら分かるだろ・・・!俺だって、同じに決まってるって!」
「・・・ッ」


室井の気迫に被せるように、同じ凄味で青島も叫んだ。
青島の声は、もう泣き出しそうだった。


・・・・そうだった。二人の感情はいつだってシンクロしてきた。
室井が凄烈を発せば、鏡像のようにそれは青島に伝染する。
もしかしたらそれは、伝わるものではなく同時に芽生えるものなのかもしれない。
いずれにせよ、二人が感じることは、いつだってこうして絡み合って、どちらのものとも区別が付かなくなって融合していく。

初めて触れた青島の口唇の名残が――消えない。

じっといがみ合う潤んだようにも見える瞳が、蛍光灯を反射し、金色を差す。

何かがズレている気がする。
何かが狂い始めている気がする。
そのことに、気付いては、いた。

箍が外れたという表現が一番、的を得ている気がした。


「後悔するなよ」

吸い寄せられるように、室井は青島に覆いかぶさり、その口唇に自分の口唇を重ねる。
驚愕に見開かれた眼を見つめたまま、ネクタイに指を掛けた。










右に左に相反する想いがせめぎ合い、もう室井の精神は限界を越えていた。
既に、ここに至るまで運命の過酷さにボロボロにされていたこともあり、普段の様な抑制がただでさえ効かない。
なのに、何より愛しく誰より大切で、遠くに想っていた人間が、突然するりと滑り込んできては、心の解除を甘く要求する。
青島にかかるといつも、理屈や頭脳を超越した部分の回答を求められる。


舌で口唇を割り、ぬるりと侵入させる。

「・・・ッ、・・・・ぅ・・・・ん・・・・っ」

口腔の柔らかさを確かめるように、何度も甘く強く吸い上げれば、室井の身体の下で青島が打ち震えた。
それを体重で押さえ込み、更に奥深くまで舌で蹂躙していく。

どれほど強く合わせても、奥深くまで侵略しても、噛みつくように歯を立てても、まだ足りない。
溢れる唾液を呑み下し、尚も濡れた粘膜を擦り、なぞり上げる。
唾液に塗れた口内は仄かに甘く、強い酒の匂いがした。

真っ白になっていく思考の向こう側で、それでも渇望する自我に逆らえず、喉奥まで滾る舌を差し込む。
逃げ場を絶たれた青島の呻き声が、喉奥からくぐもった音を立て、溢れる唾液が口の端から漏れ落ちていく。


「・・く、ぅ・・・・ッ」

舌を絡め取り、キツめに吸い上げれば、呻きと共に、青島が膝を立てて身動ぐ。
その手が、抵抗を示すように、一度だけピクリと震えるが、それはそのまま床にクタリと力なく落とされた。
衣擦れの音と、唾液の掻き回す水音が、耳を擽る。
少しだけ、震えていることが伝わり、嗜虐にも、室井は口端に冷笑の歪みを滲ませた。


口唇を熱く塞いだまま、脚を絡み合わせて動きを封じると、逃れるように首振った頭を、ふわふわした髪ごと両手で掴み、敏感な舌の輪郭を執拗に辿る。

「・・・んぅッ!・・・・・ッ・・・・・・んぅ・・・・・っ」


濡れた音を立てて吸い上げれば、ピクリと生理的に反射をした手が、やはり力を抜き落とす。
それを視界に縁に捉え、わざと痛みを伴う強さで歯を立てる。

「・・・ッ・・・」

もどかしげな指先が、やはり抵抗を途中で止め、下のタオルケットを指が白くなる程に掴んで、くしゃくしゃにした。


従順な反応、初心な足掻き。
その仕草に煽られ、服の上から身体を忙しなくまさぐり、絡めた下肢を脚で開かせる。

「・・・く・・・っ、・・・・ぅ・・・・・・ん」

明確な抵抗は見せず、室井の成すがままに口を開いていた青島が、流石に頭を振って、口付けを解こうと、喉を鳴らす。
不満げな音が喉奥から聞こえた。
捩る身体を組み敷き、シャツの上から輪郭を辿るように、なぞり上げる。
薄手の布地越しに伝わる生々しい骨格が、やけに頼りなく華奢に感じられ、その引き締まった細身のラインを捉えながら、口付けの角度を変える。
苛烈な衝動に煽られ、シャツの裾から瑞々しい素肌にも荒々しく手を這わしていくと、しなやかな筋肉が小刻みに震えていることが伝わった。
青島の膝が不規則に揺れ、床を鳴らす音がする。
だが、もうどうにも止まらない。
吸い付くような肌の弾力と瑞々しさは、やはり若さなのだろうか。
肌の上を何度も滑らせ、片手をそのまま背中へと手を回す。


青島の開かれた両膝が抵抗するように音を鳴らし、背中のタオルケットがぐしゃぐしゃになっていく。

舌を強く吸い上げることでそれらを制し、ワイシャツに手を掛ける。

二、三個外した所でもどかしくなり、千切れるほど引き裂き、ボタンが飛んだことも気にせず、表れた真珠のような肌に手を滑らせた。
切迫するような口付けに、どちらの息も激しく上がっていく。
生渇きのシャツから、少し、雨の匂いがした。



ビビッとボタンの裂ける音に、青島の身体がまたビクリと脅えていた。が、やはり防ごうとはしない。
眉を切なげに寄せたまま、タオルケットを手足で乱し、室井の舌の動きに必死で耐えてくる。
それが、室井の雄としての本能を、簡単に煽っていく。

温かった。
こんな風に青島に触れたことはなかったのに、柔らかい肉の感触が、人から隔たっていた室井の渇望を如実に知らしめ、胸を締めつける。
初めて触れることで、急速に満たされる何かを唐突に理解する。
室井にとっては、青島こそが唯一で至高の片割れなのだ。
それ以外の人間など、有り得ない。
だが、その分、希少価値があがっていて、いわば、究極に贅沢な褒美であり慰みだった。
そこに振れることすら、許されざることであり
神聖な地を奉るように、大切にしてきた。




喉奥まで舌を差し込み、柔らかい粘膜の感触を隅々までなぞり上げた。
忙しなく口唇を食すように擦り合わせ、何度も何度も繰り返しても、足りない想いだけが募っていく。

「・・・ぅ・・・・・・く・・・っ」

貪るような蹂躙に、息継ぎのリズムが噛み合わなくなり、青島が無意識に酸素を求めて顎を上に逸らした。

「・・・は・・・・ぁ・・っ、あ、も・・・苦し・・・・ッ、待っ・・・んぅ・・・っ」

すぐに追い掛けて塞ぎ直す。

「ぅ・・・っ、くぅ・・・、・・・ぅんッ」

喉奥からくぐもった抗議の音が発せられるが、更に舌を絡ませ
空いた指の腹で、耳の後ろの柔肉を擦るように何度もなぞり上げると、遂に青島が身体全体の力を抜き、立てていた膝を倒した。
その隙に、身体を腕に抱き込み、背を反り返らせる。
肩にかかっていただけのシャツがハラリと開かれた。

そのまま開かれた脚の間に、自身の身体を挟み込ませ、完全に支配下に置く。


日本酒の強烈なアルコール。微かな煙草の残り香。青島自 身の甘い匂い。
想像以上に、甘く扇情的な表情と、真珠のような肌に、強烈な痺れが室井を浸した。
何もかもが、甘く室井を惑わし、強烈な刺激となって返ってくる。
まるで、青島の中に抱き込まれていくようだ。

こうして組み敷き、触れてみたかったという性的な衝動よりも
どちらかというと、青島で五感すべてを満たされたいという想いの方が強いことに、感覚で意識する。
風の揺らぎで、漂う青島自身の匂いが、息吹のように室井を満たしていく。




片手で胸の突起を摘まむように弄び、空いた手で身体の稜線を上から下へと辿る。
やがて、繰り返す刺激に、青島が喉奥から小さく呻き声を上げ、僅かに打ち震えながら、顔を横にズラした。
弾みで外れた口唇を今度は追うことなく、流れる唾液を舐め取り、顎を両手で挟んで、唇から顎を辿り、首筋へと辿り降りていく。


「ぁ・・・・・・は・・・・・、ちょ・・・っ、んっ、・・・待って、待って室井さん・・・っ」
「仕掛けたのはおまえだ」
「・・っ・・・・・ァ・・・・・ッ」

にべも無く切り捨てる。
片手で肌を乱暴に暴きながら、青島の首筋に鼻を埋め、舌をゆっくりと耳へと這わせていく。
鎖骨に軽く歯を立て、肌を吸い上げれば、蛍光灯の灯りに煌々と朱の印が浮き上がった。
室井は、取り付かれたように朱の刻印を残しながら、肌をまさぐる。


「・・ァ・・ッ、は・・・・っ、ちょ・・ッ・・もうやめ・・・・、室井さんっ」
「帰れと何度も忠告した」
「ん・・・っ、言った、けど、だけど・・・っ、これは・・・っ」
「俺の好きにしていいと言った」
「でも、こんなの・・・っ、せめて別の・・・・・ァ・・・・ッ」
「駄目だ。逃がさない。おまえが言ったんだ・・・・・」


室井は脇腹に手を這わせていきながら、項と鎖骨の間を執拗に舌で這い回った。
濡れた粘膜の刺激に、青島の顔が苦悶に歪み、身を捩らせる。
室井のまだ一糸も乱れていない肩口に額を当て、噛み殺せない息を切れ切れに漏らす。
柔らかく歯を立てれば、青島の顎が反り、細い髪が柔らかく舞った。


筋肉が脈動するのを手の平で感じながら、辿り降りていき、そのままもう片手でベルトを外す。
スラックスの前を寛がせた。

「嘘・・・っ、や・・・・やめ・・・、・・・っ」
「もう遅い。止まらない」
「ぁ・・・・ヤだ・・・・っ!そんなとこ、触ることな・・・・ぃ・・・」
「大人しくしろ」
「――出来るか・・・っ」


室井の強引な所作に、流石に青島が組み敷いた下で大人しくなくなってくる。
抵抗の内にも入らない弱弱しい仕草で、室井の胸を押し返す。
その丸みを帯びた頼りない指先を簡単に捉えると、青島が、揺らいだ視線で、それでも強気に睨み返してきた。
強靭な光を失わない。
その表情に、態度に、何故か逆に安心と陶酔を憶え、僅かに口元に笑みを滲ませる。


「・・・っ、わかん、ないよ・・・っ、こんなことして何の意味があんの・・・っ」
「何も分からない。俺にも。意味ないことに意味があると言ったのは、おまえだ」
「・・・・・・ぃ・・・・・・・ん・・・・・っ」

状況に付いていけない苦情を漏らす口に、次の抗議が出る前に、浚うようにキスで封じ込める。
逃げ場を失った呻きが、くぐもった音となって、振動した。

「うぅ・・・っ、ぅん・・・・っ」


ワイシャツが腕に掛かっただけの、スラックスが半分以上脱がされている格好は、想像以上に淫猥で、扇情的で
瑞々しい若い肌は少し汗ばみ、薄く光りはじめているのが、更に淫猥さを増していく。
朗らかで柔軟な顔を見せる傍ら、決して誰の色にも染まらない、純潔な魂の閃き。
思った以上に、性的な魅力を滲み出す青島に、自分でも意識していなかった解かれていく感覚に、溺れていく。


耳元に口唇を押し付け、柔らかく甘噛みする。

「俺をめちゃくちゃにしたいと言ったな・・・・俺もおんなじだ」
「・・ぇ・・・・」
「おまえをめちゃくちゃにしたい。・・・・・俺のエゴも穢れも、醜さも・・・知っているのは、もう、おまえだけだ」
「室井、さん・・・・」


清廉なものを穢していく。
それは、遥か遠き昔、一面の雪原に初めて足跡を残す時の恍惚に似ていた。
このまま取っておきたい一方で、全てを踏み荒らしたい。

そう思った以上、これは青島の思う壺なのかもしれない。
確かに室井の鬱屈した精神は、どこかで何かの解放を求めていた。
哀しみの記憶が、取り巻くように室井を閉じ込め、離さない。
その解決が、こんな形であったのは計算違いだが、青島の策略通りであり、してやられたのだろう。

そうなると、あれはやはり白雪姫の毒りんごか、最後の晩餐か。―――――いずれにしても結末は同じだ。
どちらも毒に冒される。
全ては夕食を口にした時から結末は決まっていたのかもしれない。



青島の手がのろのろと持ち上がり、室井の腕を掴んだ。
そのまま滑るように首元へ回り、きゅっと抱きついてくる。

驚いて、室井は少し接吻を止めた。


「どうにも始末におえない、か・・・あんたも・・・・俺も」

耳元に囁かれた、青島の凪いだ口調に、顔を上げる。

至近距離で見つめ返せば、青島の睫毛が震え、花が開くように瞳が室井を映した。
熱い息が口唇にかかる。
じっと、お互いの眼を見つめ合った。
何かを収め、息を呑む青島の、吸い込まれるような瞳の閃きは
哀調を帯びた分、息を呑む美しさがあり、それは文字通り、艶然な魅力とも取れる力を内包していた。
常軌を凌ぐ吸引力が、室井の芯を大きくざわめかせていく。
ガラス玉のような鳶色の瞳が、飴玉のように甘そうに、そして美しいと思った。


室井は後ろ髪に指を差し込み、青島を腕に抱き込む。
きゅと震える手で室井のシャツを握り締めて、青島がそれに応える。
そして、首を伸ばし、室井の口唇へそっと小さなキスを落とした。

「・・・ッ」

胸が詰まり、室井は言葉を失う。


どこまでも慈悲深い。そう思っていたが、これは義務でも奉仕でもない。
今、青島の瞳に映っているのは、自分だ。
何でこうも惜しげも無く差し出せるのか。・・・俺に。

人は、人の温もりで癒され満たされる。
孤独も傷も、そのために存在するのだ。
こんな愛おしいものが、自分の生涯に与えられるなんて。
青島から溢れてくる想いに窒息しそうだ。

止め処ない甘く切ない感情が奥底から溢れだした。

手放したくない。
誰にも取られたくない。
でも。
これを手に入れたら、自分は――


「室井さん・・・・は、俺が好きなの・・・・?」
「・・・さあな」
「愛は、ない?」
「・・・ああ」

胸が潰れる思いで嘘を吐く。
もう今夜、何度目だろう。


何の柵もなく、想いを伝えられる出会いをしていたなら。
仮に性別が同じでも、何か違う答えを、自分たちは見つけられただろうか。

朝になれば、自分は行くのだ。


甘い、クラクラするような吐息が、ほぅ・・・っと青島の口から洩れる。
恐る恐る口唇を寄せると、妖艶な魔力を帯びたその細めた瞳の青島の顔も近づいてきて、ゆっくりと唇が重なった。









back   next        menu


続きはぬるいえろがあるので苦手な人は翌朝へ→key