ほろ酔いの恋物語4






- 秋-

あの嵐のようにぶつかり合った夜は、まだ夏の終わりだった。

今、こうして見上げる空は、いつの間にか色を変え、頭上高く秋の気配を告げている。
その間、共に過ごした時間はあまりなく、はっきり言ってメールだの電話だのと言った現代文明に向かう時間が増えたくらいだ。
惰性で廻っていくだけだった時間の殆どを、ただ埋める存在がいるだけの事だ。


今も思い起こさせるのは、青島の涙ばかりだった。
いつもいつもアイツを泣かせてしまうことしかできない。
近づくほどに泣かせてしまう。
傷つけてしまう。
もしかしたら、今も、口付けるだけで青島を苦しめてしまっているのだろうか――

だが。




あれから、特に何が変わることはなく、青島は室井の傍にいる。
時間が合えば、会いたいと素直に口にしてくる。
無理だと言うと、会いたかったのにと、むくれている。

年下の男とは云え、こんなに可愛いと思うようになるとは思わなかった。


青島が一人危惧し、畏れ、ひっそり抱えていてくれたものを、俺こそ分かってやれていなかった。
彼が抱える劣等感みたいなものが、より拍車を掛けて彼を追い詰めてしまっていたのだろう。
それを拭えるのも、俺だけだったのに。
青島の裏側が見えるのが俺だけならば、彼を救うのも俺だけなのだ。
青島が、俺の奥深い所まで容易く入り込んでしまったように。

俺こそ、彼のその真っ直ぐな精神に、どれだけ嫉妬していると思っているのか。

まるで鏡のように、背中合わせに彼と対峙している時、彼の弱さと自分の弱さが映し出されていく。
二人の感情がシンクロしていく。

女性が放っておかなそうな青島を、数多の女性たちと取りあうなどとは思っていない、などと言っていたのは昔のことだ。
自覚するまで数年掛かったものの、一気に告白してからは、応えて貰うまでは待った。
その間、どうにも昇華しようのない熱情は、逢うごとに膨らみ、身体を浸食していった。

誰にも渡すつもりはない。渡せない。



もっと、もっとと、貪欲になる。
彼を欲することに、罪悪感さえ薄れ、染まりゆく。
彼のことはもう全部が愛しかった。その存在ごと必要だった。
どうすれば、この手の中に留めておけるのだろう。

一体どこまで欲すれば、この渇きは満たされるのか。






~~~~~~~


「悪いがソイツから離れてもらえないか」

突如聞こえた声に、二十代後半に見える男らがハッと揃って振り返った。
暗がりから映し出された造影。・・・3人とも知らない顔だ。

「なんだ?お前・・・」

荒ぶれていた男たちは、一瞬空気を止め、無言で睨みを効かせてくる。
辺りの気配が、ピンと張り詰める。
3人共、臨戦態勢に入り、一歩も動かない。

室井はそんな彼らを軽くいなし、表情一つ変えずに
「警察だ」
そういって胸ポケットから流れるような動作で手帳を出した。
そこには、長年かけて培っても手に入れられない、天性の資質のような威厳と品格がある。


メインストリートから差し込む僅かな光が、室井の背中を金色に縁取り、高貴に浮かび上がらせた。
逆光で、男たちの側から室井の表情は、余り良く見えない。
時折、車のヘッドライトが照らし出す光の中で、強い漆黒の瞳が真っ直ぐこちらを見据えているのだけが、垣間見て取れた。



数刻前に降り出した霧雨が、ジワジワと服の重さを加算する。
夜の繁華街から一歩入ったビルの隙間。街灯も届きにくい薄暗い闇の谷間。
狭い路地裏で、お互い言葉を発せず、向かい合った。





逃げる訳でもなく、だが、歯向かう訳でもない男たちの足元には
少し泥のついたシャツと、脱げた右側の靴。ネクタイも抜け落ち、辛うじてスーツの上着が腕にかかっている、ボロ雑巾のような、しょうもない相棒が
憑きものが取れたような呆けた顔をして、室井を見上げていた。

言葉もない、といった青島を一蹴すると、室井はもう一度視線をスッと男たちへと戻した。

ソレ、と言って、室井は顎をしゃくり、青島を指し示す。

「私の連れだ。返して貰えるか」
「・・・・・」
「応援も呼んである。そろそろ到着するだろう」

室井が目立った牽制もしていないのに、男たちは動揺とたじろぎを見せていた。
このまま耐久勝負などする気もない室井が、最後の切り札を出すと、男たちの均衡が崩れた。
さあ、とうする?と言った風情で、室井は静かに手帳を胸ポケットへと仕舞う。
無駄のない、音も立てない、その洗練された動作に、慣れた迫力が物を言う。

「そのまま手を引くなら、不問に付してもいい」

男たちの身体から、緊張と怒気と殺気が揺らぐのが、肌で分かった。
室井が一歩も引かないことと、騒ぎを大きくするのは不都合だったのだろう――最も室井もそこを読んで対峙しているのだが――顔を見合わせ
ボロ雑巾のようになっている獲物から手を離し、何やら良く聞き取れない捨て台詞だとか言い訳だとか、悪態を吐く。
それでもジリジリと、引き下がる素振りをみせた。

室井がじっと視線を強める。
男たちはパラパラに後方に去って行った。

ヒュウ、と青島が感嘆の口笛を吹く。



彼らの背中を何とはなしに見送って、ひとつ溜め息を吐いてから
室井は、地べたに座り込んでいる青島の元へと歩み寄った。

片膝を付いて腰を下ろし、青島の頬に付いた泥を手の甲で拭い取る。

「無事か?」
「・・・・あぁ、はい」

軽く二の腕を掴んで、室井が立ち上がる。
しかし青島はそれに素直に従わず、地べたにぺたんと座りこんだまま、室井の様子を下から不安げに窺った。

「あ~・・・、えっとぉ・・・・・」

怒られると思っているのだろう、青島の声は悔悟と戸惑いを滲ませている。
それを内心、可笑しく思いながらも、やっぱりまずは説教だなと思って、顔を引き締めた。
当然のように浮かぶ眉間の皺に、青島の顔も強張る。
その顔に、ちょっとだけ満足した室井は、大げさに溜め息を吐いてみせた。

「全く。イイ男が台無しじゃないか」

二の腕を掴んだまま問えば、青島は困ったように眉を下げた。

「多勢に無勢という言葉も知らないのか」
「すいません・・・・・」
「怪我は」
「あぁ、大丈夫です。憎まれっ子世にハバカル、です」
「そういう問題じゃない」

ジロリと睨むと、青島は首をすくめてみせた。

「ほら立て。・・・立てるか?」
「あ、はい・・・」

今度は素直に立ちあがる。

「酷い格好だな。スーツが泥だらけだ。・・・・何をされた」
「特に・・・・ほんとに。まあ、ちょっと軽ぅ~く、壁とか足とかね」

茶化しながら、青島がへへへと笑う。
それを聞いて、室井はまた眉間に皺を増やして、返事をする。
青島も分かっているのだろう、今度は特に気にした風もなく、スーツを叩いて祓った。


「で、あのぅ・・・・・応援って・・・・・。ホントに警察呼んじゃいました?」
「いや・・・・実はまだだ」

青島が意味ありげにニヤリと口の端を持ち上げる。

「・・・・状況も読めないのに勝手なこと出来る訳ないだろ。それに君だったから」
「え?」
「何かあるんだと思ったんだ」

「あれ?そう言えば室井さん、何でここにいるんですか?」

青島が大層今更なことを口にする。
室井は途端に罰が悪いような顔をして、眉を寄せた。

「室井さん?」
青島が覗きこむと、室井は観念したように
「車の中から・・・・・君の姿をたまたま見たから・・・・。丁度帰るところだった。・・・久しぶりだったから目で追っている内に追いかけてしまった」
それで部下に帰るように言い含め、送迎を断ったのだと言う。

「そしたらこんな状況だし・・・」

横目でジロリと睨む。

「はぁ・・・・まぁ、面目ないです・・・」

青島は縮こまって、室井を上目遣いに見た。

「・・・怒ってます?」

室井はその何とも情けない顔に、内心苦笑した。
まるで、悪さをした子供のようだ。

「怒ってはいない」
「でも・・・・」
「おまえに紐でも付けて監禁したくはなった」
「・・・・っ」


青島を黙らせたところで、室井は、ふと状況の不自然さを今更ながらに思い出した。

「ところで」

口調と表情を変え、空気を変える。

「知り合い・・・・ではなさそうだったが・・・・誰だ?」
「あ、えっと・・・・・・俺も知らない人です」
「・・・・・」

再び、室井の眉間に皺が走る。

「あ、怒らないでくださいよ。ちゃんと説明します。ちゃんと」


降参、というポーズをとり、両手を前に出して、青島が語りだす。

「みんなと酒呑んで、別れて、女の子が路地裏で絡まれているのに出くわして。そしたらいつの間にか騒ぎ大きくなっちゃって」

てへっと青島は笑って見せた。

「笑いごとじゃない。相手は君を警官だと知っていたのか?手帳は?」
「や、だって仕事中じゃないし、酒入ってるし、俺、単独行動になっちゃうし、相手3人だし。見せたら返って危険かなと。色々と」
「まあ・・・・そうか。通報は?」
「そんな暇なく、こんな羽目に」
「君はまた・・・・。そんな中、独りで行ったのか、もうちょっと頭を使え」
「ねぇ?」

あはは~と、青島が愛想笑いで誤魔化し、足元に落ちているネクタイを拾い上げた。

「こんなつもりじゃなかったんですけどね。まあ不可抗力?不思議ですよねぇ」
「大方、君も不遜な態度だったんだろ」
「ええぇぇ~?、正義のヒーローの筈だったんですけどねぇ」
「相手が銃刀法違反でもしてたらどうするつもりだったんだ」
「まぁ・・・・そんときゃそん時?」
「・・・・・・・・・・・で、その肝心の少女は?」
「それもまたいつの間にか消えちゃっててね。不思議ですよねぇ」
「・・・・・・・」

もう返す言葉もない室井だった。






~~~~~~


「結構濡れちゃいましたね」
「ああ」
「どうします?タクシー拾いましょうか?」

青島の格好を横目で見て、室井が呟く。

「いや・・・・・乗車拒否だろう」
「・・・・・・・・・・ですね」

自分の格好を見下ろして、青島も肯定する。


すぐ止むと思われた霧雨は、雨足を途切れさせることなく、未だ降り続いている。
室井のスーツもだいぶ濡れてしまってきていた。

「なら、あの・・・・もう家まで歩いちゃいますか」
「この雨の中をか」
「ここまで来ると意外と気にならないもんです」
「此処からか」
「・・・・・・・・毒食らわば皿までってヤツですよ」
「ヤケになっているだろう」
「そうとも言いますね」

濡れた髪をふるるっと振り回しながら青島が笑う。
飛び散った水滴に、街灯の灯りが反射した。

「こんな雨の中、飛びだすなんて子供の頃以来だ」
「そんなお行儀の良い仕事してんですか」

青島の瞳が悪戯っぽく光る。
それを見て、たまにはハメを外すのも悪くないかと、室井も何となく流される。
傘も差さずに歩く夜道は、無意識に縛られていた枠の、外の世界を意識させた。
その心情を、聡い青島は肌で感じ取ったのだろう、ニヤリと口の端で笑って室井を促してきた。

「乗りますか?」

青島の瞳を見返した室井の目もまた、悪戯っぽく光っていた。

「・・・・・そうだな」
「恥も半減・・・ってね」

やっぱり、少しだけ自分を反省した室井だった。





ふと。
室井の足が止まった。

やっぱり雨の中歩くのは嫌なのかなと思い、青島も合わせて立ち止まると
そのまま奥襟と袖口を取られ、両手でくいっと引き寄せられる。

「うわ・・・っ」

青島が状況を把握する前に、バランスを失った身体が、今度はクルリと反転させられて
ぽん・・・っと柔らかく、ビルの隙間の壁に押し当てられた。
え、と言おうとした唇は同時に熱い唇に塞がれ、そのまま引き返せない烈しい熱に巻き込まれる。


「・・・・・っ・・・・・ぅ・・・」

身の内に繋ぎ止めるような室井の腕に抱き込まれ、壁と身体に挟まれたまま、浚うようなキスが襲ってくる。
雨で、少しだけ冷えた身体に、やけに熱く感じる濡れた舌は、困惑する間も与えず柔らかく蹂躙した。
まだ慣れていない室井の柔肉の熱さは、几帳面に青島の口内を隅々まで蹂躙していく。

このひとは、なんって熱いキスをしてくるのだろう。

予想もしていなかった交接に、急速に青島の体温は押し上げられていく。


奪う様に容赦なく熱く濡れた唇は、青島の口内を広げさせ、丁寧に掻き回していく。
熱い。
既に濡れた肌の感触が、常ではない色気と香りと艶を感じさせ、滑るように触れる手も熱い。

「・・・ッ・・・・・・・っ・・・ぁ・・」

ゾロリと舐められた感触に、思わず羞恥の吐息を漏らすと、片手で顎を固定され、更に強烈に吸い付かれた。

「・・・ッ!・・・・・・ん・・・っ」

室井の熱と匂いが、青島の総身を染み込むように包んでいく。
降り注ぐ霧雨が、湿度と熱を加速する。
人目を気にできたのも一瞬のことで、重なる身体の熱に同調するように、青島の身体も熱に呑まれていった。






室井がそっと唇を離した。

熱く乱れた息が、青島の濡れた唇を震わせる。
サアァッと鳴る微かな雨音が、都会のすさんだ街を濡らした。
夜の帳の中に、焦点の少しぼやけた瞳が煌めいているのを見て、室井の心臓がドキリと高鳴り、締めつけられる。


ビルの谷間に降り注ぐ霧雨は、白いヴェールのように二人を煙の中へと覆い隠していた。
しんと静まり返った路地裏は、いつかの海岸のように、二人きりの空間を思わせる。

お互いしか映していない、常より深い色を湛えた瞳は、数多の感情を宿し、それでもそれらを解放することなく、変わらずにそこに潜む。
微かに差し込む街灯に、キラリと艶を走らせた。



室井は、吸い込まれるように、じっと見つめた。
青島も何も言わずに、見つめ返してくる。
・・・少し、呆けているようだ。

何の言葉も交わさない。
熱く湿った吐息だけが、お互いの唇にかかる。
操られるように指先を伸ばすと、濡れた青島の唇を、そっと拭った。
弾力のあるその感触を、室井が認識する前に、青島の唇が僅かに開き、室井の指に歯を立てる。
軽く噛んだ痛みと共に、ピリッとした電気みたいなものが、室井の全身を駆け巡った。

その指ごと、もう一度その唇を奪い取る。

「・・・・っ・・・・・ぁ・・・・」

口付けに応えながら、青島の指が同じように、そっと室井の口元に触れてくる。
口の端を彷徨う手を取り、指を緩やかに絡めた。
抑え込むように柔らかく身体を密着させ、僅かに熱い吐息の漏れる唇を、舌で数度なぞり、ゆっくりと解いていく。
合わせて、青島の身体からも何かが解けていくのが、手の平から伝わった。

「ふ・・・・ん・・・・ぅ・・・・」

度重なる青島の吐息が徐々に熱を孕み、震える指先が、きゅ、と握り返してくる。
説明の付かない、何とも言えない切ない感情が、室井の胸を締め上げた。

握り合う湿った手の熱さに呑み込まれそうなりながら、室井はキスの角度を変えた。




「このまま・・・・・うちに来い・・・俺がタクシー拾ってくるから」

柔らかく、唇を、未だ名残惜しむ様に食しながら、室井が有無を言わさぬ強さで、囁く。
青島は、室井の唇を、睫毛を震わせて受け止めながらも、応えない。
無防備な瞳が、伏せられた瞼の奥へ、閉じていく。

「嫌か・・・?」

その声は少し掠れていて、どこまでも甘い。


まだ、室井の部屋に来ることには躊躇いがあるのだろうか。
そのことに少しだけ胸を軋ませながら、室井は優しく唇を重ねていく。

「まだ一緒に居たいんだ・・・」
そう囁き、下唇に軽く歯を立てた。
「・・・・っ・・・・」

懇願するように、口付けを繰り返す。
キスの合間に、青島がようやく小さな声で応えた。熱い吐息が唇にかかる。
室井は強烈な酩酊感を自覚しながら、もう一度その口を塞ぐ。

少しだけ身じろいだ青島が、室井の首にそっと両腕を回して抱きついてきた。
濡れて湿った体温すら甘く、室井もまた、しっとりと愛しい身体を腕の中に包み込む。



「こんなとこでこんなことするの・・・・久しぶりだ・・・・」

ビルの隙間から差し込む屋上のライトがキラキラと反射して、青島の悪戯っぽく笑う瞳を艶やかに光らせた。
濡れた前髪が数本の束になり、艶を帯びて黒く光りながら、雫を落とす。

それをそっと指で梳きながら、額に口付けを一つ落とすと
青島からひとときも視線を逸らさず、室井は優しく唇を押し当てる。

「誰を思い出しているんだ・・・・」
「あれ・・・ヤキモチ?」
「・・・・・・」
「・・・・・また図星」
「もう黙れ・・・」
「あんたは、したことないの・・・?」
「公共の場で恥さらしなんかするか・・・」
「今は・・・?」
「・・・・」

クスクスと笑う。その息も甘い。

室井が、外でこういうことをするなんて、青島には予想外だった。
だから可愛くなって、ついついからかってしまう。
可笑しくて愛しくて、笑いが止まらなくなっていると、憮然とした唇に、生意気な唇を塞がれてしまった。

「閉じ込めるぞ」
「それ犯罪・・・・」
「なら既成事実作っちまうぞ」
「それ脅迫・・・・」
「おまえは俺のものだ・・・・」
「うん・・・・」







それから一時間後。
二人は室井の官舎に居た。


濡れた背広をハンガーに掛け、とりあえずタオルを渡す。

「何か呑むか?」
「いいんですか?」
「ああ・・・・。そうだ、俺の田舎の酒でもどうだ。気に入っているのがある」
「前言っていた秘蔵ってやつ?呑んでみたい!」

バスタオルの中から弾んだ声がする。
そう言えば春先に、その酒の話をしたことがあった。
あの頃は、まだぎくしゃくとしていたことを、何となく思い出す。

苦笑しながらキッチンへ向かおうとして、ふと、室井は足を止めた。
わしゃわしゃと乱雑に濡れた髪を拭く青島を、見つめる。


「青島」

そっと呼ぶ。

「んー?何ですか?」
「おまえ・・・・・どうして今日、ここに来れた?」
「え?」
「ずっと気にしていたろう?」

忙しなく動いていた青島の動きが止まった。
ゆっくりと、バスタオルの中から、瞳が覗く。

バサバサの前髪から覗く瞳をじっと見ていると、一旦逸らされ、それからもう一度、その瞳が室井を捕えた。


「うん・・・・でももう、逃げるの止めにしたんです」
「?」



言葉足らずで、室井には伝わっていないことを知りながら、青島は解答を避け
バスタオルの裾を両手で持って、首を傾げた。
逆に問い返してくる。

「室井さんこそ・・・・これで本当にいいんですか?今なら未だ、リセットしてもいいですよ」
「残念だが、引き返す予定はない」
「でも・・・・俺は高いよ?」
「・・・・」
「・・・・リスクが」

上目遣いで伺ってくる眼は、茶化しているようでいて、それでもどこか心細そうだった。
――全く。なんて眼をして言っているんだか。
室井は殊更、大袈裟に鼻先であしらってやる。

「ハイリスク・ハイリターンは賭けごとの基本だろ」

思わず、といった風情で、青島が俯いたまま曖昧な苦笑をする。



「やっぱりまだ何か引っかかっているのか」

室井がそう問うと、青島は淋しそうな、頼りない笑みを浮かべて、再び俯いた。
伏せ目がちになった憂いを帯びた瞳だとか、そこに掛かる長い睫毛だとか、バスタオルの間から覗く、濡れて乱れた前髪だとかが
少し表情を曇らせた雰囲気を、よりミステリアスに醸しだし、妙に艶っぽく、そして危うく、彼を縁取る。
室井の心臓が、きゅっと鼓動を打った。


「うん・・・・室井さんは、俺といて、辛くはならない・・・?」
「・・・・当たり前だろ」
「そうじゃなくて・・・」
「はっきり言え」
「室井さんは、これから表だって傷ついたり・・・叩かれたり、いじめられたり・・・・。直接的に傷ついていくんですよ。俺は、影で支えるしか、出来ないん ですよ」
「それはおまえも同じだろ」
「俺は――・・・それを、黙って隣で笑っていく自信は、ちょっと無いです」
それが俺のせいなら尚更だ、と言って、青島は顔を背けた。


暫くその横顔を、室井は呆然と見続けた。
やがて、ぽつりと呟く。

「俺に何も言わずに抱え込もうとするのは・・・・おまえの方――・・・」
「いえ」

間髪入れずに、青島が力なく首を振る。

「きっと。・・・・俺の預かり知らぬ所で、俺のために勝手に犠牲を選ぶのは、絶対、室井さんだ」
「・・・・・」
「そして、そのために、穢れることも余儀なくされても、あんたは黙って・・・むしろ進んで狂わされていくんだ」
「何故そう思った」
「俺には知らされることもなく・・・・止めることも出来ないで・・・。気付いても・・・・隣で見ているだけなんて、どんな冗談だよって、思う・・・」

だんだんと語尾が小さくなる青島の暴露は、拒絶のようでもあり、懇願のようでもあった。
本音を見透かされていたことに、心は万感極まったが、全く甘く見られたものだ、とも思う。
自分はもう、そんなに感傷的な選択肢を選ぶほど、モラリストではない。

そこに気付くということは、青島こそ、そうするつもりがあるということだ。



し・・・んと静まりかえった室内に、遠くの雨水を弾く車走音が、通り抜ける。


自分のことを棚に上げ、やはり室井のことしか口にしない青島に、逆に室井の心は急速に満たされていく。
その重たい口が、自然と開く。

「俺は――」


青島がチラリと視線だけを戻す。
まだ頼りなく、不安げな色を湛えるその瞳をまっすぐ見つめ、室井は静かに言葉を紡いだ。


「俺は、おまえと約束して、生きるのが返って楽になった。仕事をするのも、社会に関わっていくのも」
「・・・・・?」
「あの約束が、逆に俺を救ってくれている」
「どうして?俺たちの言っていることは、あの中じゃ無茶でしかないのは、室井さんだって・・・・」
「それも含めて、だ」

室井の言葉が青島をを遮る。


「俺はおまえとの約束によって堂々とあの中で胸を張れる。独りよがりじゃない、確信を持って立ってていいのだと思えた」
「それは理想論なんじゃ・・・」

室井はちょっと小首を傾げ、しょうがないなという顔をして、苦笑する。


「俺たちが語っているのは、壮大なファンタジーだとでも?」
「いえ、それは・・・・」
「違うだろ。おまえが撃ち抜いたのは俺たちキャリアの驕りであって、俺たちの破滅ではない。見くびるなよ。それに――」


室井は片手を腰に掛け、その黒目がちの瞳で、真っ直ぐに青島を見た。

「誇大な夢想論を語っているつもりはない。でも、大事なのは、俺たちの目標が可能かどうか、じゃないんだ」
「え?」
「自己肯定が出来るかどうかだ。自分の中の迷いが・・・・こっちが間違っているんじゃないかって自己否定が人を弱くする。それは脆く、精神的にきつい」
「・・・・・」
「おまえは俺を正当化し、覚悟と自信――命をくれたんだ。俺一人じゃ、とても戦おうなんて思わない」
「大袈裟・・・・」
「おまえが居るなら、大袈裟じゃない。・・・んだろ?」

青島が、泣きそうな顔をして仰ぎ見る。


「戦うからには俺だって手段を選ばない。ただ――、俺にはおまえというバロメーターがある。それだけのことだ」

室井の眼が、悪戯小僧のように、煌めいた。


「おまえこそ、どうなんだ。俺といて、辛くないのか。俺はたぶん・・・・おまえが思っているより不器用 で・・・気の効く言葉を言ってやれない。おまえを本当の意味で守りきれるかどうかは・・・・」
「俺のことは――・・・・」
「俺は――ちゃんとおまえを救えているのか・・・?」


勿論ここで、嫌だとか別れようとか言われても、更々聞く気のない室井だが、それでもそこは一度ちゃんと確認しておきたい点だった。
この先、バレるバレないはともかく、確実に青島の未来を室井は奪うことになる。
その覚悟を強要したのは、自分だから。


「さっき。言いましたよ」
「?」
「おれ・・・・室井さんについていこうって・・・・。もう、決めたから」

照れたように瞼を伏せて、そう告げた後、青島はしっかりと顔を上げた。
室井は思わず息を呑む。
力強く告げた青島の瞳も口調も真っ直ぐで、室井が惹かれて止まない、あの強靭な意思の光がキラリと艶めく。

「俺といて救われるって言ってくれるなら、俺は、そういう室井さんに賭けます」
「・・・・っ」
「BETは俺だ」

「・・・・・・確かに、ギャンブルだな・・・」

応える室井の声が、音を乗せず掠れた。


「だから室井さん。俺を――――」

そこで一旦言葉を止め、青島は室井を真っ直ぐ見据えた。
ややして、ようやく覚悟を決めたように、その紅い唇が、囁く。


「だから、俺を――置いていかないで」



我慢が出来ず、大股で近付き、室井は勢いよく青島を掻き抱いた。
はらり、と、青島の頭に乗せたままだったバスタオルが、後ろに舞い落ちる。
愛しくて、可愛くて、ごちゃごちゃになった感情が堰止められない。
好きで好きで、止まらない。
背中に青島の手がそっと回ったのを感じると、更に室井の胸がきゅうっと軋んだ。


「往生際悪くて、スミマセン」

耳元で青島の声がする。
もう一度、熱い想いのままに、ぎゅっと抱きしめた。

「ずっと渋ってて、ごめん」

今度は掠れるような声音で、甘えるように肩口に擦り寄せる。
室井は、肩に埋もれた青島の後頭部を、乱暴に掻き回した。

「付いていくから俺。もう、何処までも。・・・・あんたと命運、共にしてやるよ」
「・・・・っ」
「俺の半分、あんたにやる」


もう、室井には言葉も出なかった。
ただただ、キツくキツく、青島を抱き締める。
告白した夜と同じように、肩口で青島が、室井の背中をポンポンしながら幸せそうに笑っているのが聞こえた。





ほんの少しだけ顔を上げ、青島の瞳を至近距離で覗きこむ。
室内灯を反射して、煌めく宝石を綺麗だと思いながら、そっと囁いた。

「口付けても、いいか」

青島が優しく瞳を綻ばせ、微かに囁く。
「なんで聞くんですか?今までは勝手にしてきたくせに」

「・・・駄目か」
「室井さん、意外に乱暴なんだもんな~」
「・・・いいか?」
「どうしようかな~」
「嫌か」
「・・・・そんなこと聞くなよ」

「青島」

焦れて来た室井が青島の軽口を制する。
それが何だか可笑しくて、更に青島がくすりと笑う。
室井は引き寄せられるように額を青島にくっつけた。両手で頭を包み込む。
その甘い吐息が室井の唇にも掛かり、強烈な酩酊感が全身を襲う。


じっと青島の梔子色に艶めく瞳を見つめた。
青島も、そっと室井の漆黒の瞳を見つめ返す。

今は、確かに他は何も見えていなかった。


「時間切れだ・・・・」

静かに顔を傾け、震えるような青島の、濡れて紅づく唇に、室井はゆっくりと自分の唇を寄せた。
触れるだけの口付けが、まるで、ファーストキスのような痺れと感動を、室井の身体に走らせた。








酒もだいぶ進んだ頃には、夜もかなり更けていた。
夜半になっても止まなかった霧雨のせいか、外の喧騒が閉ざされたように届かない。
音を抑えたテレビの音だけが、静かに空間に広がっていく。
このプライベートルームの室内灯は、少し明度を落とした橙色の光を淡く発していて、二人をオレンジ色に柔らかく包み込んでいた。

アルコールを入れながら、隣り合わせてソファに座り、BGM代わりにテレビを点ける。


プライベートルームのローソファは、少し大きめで、二人並んで座っても窮屈ではない広さだった。
ここに、青島が座るのは初めてだ。
片膝を立てて、ちょこんと収まっている。
もう、座ることなどないかもしれないと、半ば絶望的に思った時期もあっただけに、それだけで室井は感動だった。
己のテリトリーに、青島が入ってきてくれた。

色気のない殺伐とした独身男同士の深酒の筈が、青島と一緒にいると世界も甘くなる。
室井は苦笑を禁じ得ない。
それは室井の気持ちがそう見せているのではなく、ひとえに青島に因る所が大きいと思った。

室井の部屋で、室井の隣で、青島が楽しそうに室井に語りかける。
それは、シンプルなようでいて、決して届かない、けれど願ってやまない、夢の空間だった。


床に、空いた酒瓶やら、空き缶などが無造作に散乱していく。


明日のことを考えると、そろそろお開きにした方が良いのだが、室井はこの夢の空間を終わらせたくなくて
どうしても、終いの合図が言い出せない。
今日だけは、勿体ない気がした。
それは、青島も同じようで、時折視線が合えば、どこかぎこちない空気が流れていた。

しかしそれは、不快なものではなかった。
言いたい事を言い出せないというような雰囲気はなく、どちらかと言えば、出来る事なら見て見ぬ振りでい続けたい事実を、どう処理したらいいのか戸惑ってい るといった感じで
むしろ、じりじりとした灼けつくような焦れったさを黙示していた。
幻想だと分かっていて繋ぎ止めるこの空間で、二つの想いが重なるこの距離が、奇跡のようで、愛しい。

現実に戻りたくなくて、また酒を注いだ。
この時間が永遠に続けば良いと、室井は半ば本気で祈った。





~~~~~~~


酔いが回ってきた頭に、青島の匂いが時折、漂う。
ある程度までは、堪えていたが、視線が合って、にこりと微笑まれれば、まるで初恋の頃のように室井の心臓が早鐘を打つ。

じりじりとした空間に息苦しささえ覚え
室井はついに、青島の何処かに触れていたくて、そっと腕を引いた。

ふわりと、難なく倒れ込んできた青島に、そっと唇を重ねる。
ふっくらとした余韻を数度食してから、片手を回し、抱き寄せる。

ゆっくりと、膝の上に仰向けにし、上から再び唇を落とした。

そのまま口の中に僅かに残っていた酒を、青島の口内へと注ぎ込む。
濡れた感触とアルコールの熱が、余計にその温もりを唇に伝えてきて、口付けの余韻を長引かせた。
暴走しそうな逸る感情をギリギリの所で震えるように抑え込む。


「うぇ・・・あっつ・・・・」

唇を解放すると、アルコールで、常より熱さと痛みを感じたらしく、青島が舌を出して顔を顰める。
視線が柔らかく重なる。
室井の口の端に、笑いが滲んだ。


まったりとした時間が、気持ちまでを、まどろませていく。
中途半端なモラルを、剥ぎ落していく。
青島の気持ちが完全に自分を向いていて、今、彼の胸中を締めるのは自分だけなのだという自覚が
室井を更に酔わせた。
まだほとんと呑んでいないのに、強烈な酩酊感が、身体中を駆け巡っている。

恋は酒のようだと思ったのは、初めてだ。


そのまま唇を軽く啄ばむ。
触れるだけの、ゆったりとしたキスが、まどろむ時間の中、繰り返される。
熱さも烈しさもない、労わりだけのキスを、青島は夢心地といった表情を浮かべて受け止めた。
抱き寄せもせず、座ったまま目を伏せ、包み込むようなキスを繰り返す室井に、唇を塞がれたまま嬉しそうに、口元を綻ばせる。
その反応が愛しくて、少し悔しくて、手の平で軽く顔をこちらに向かせた。

「な・・・んだよ、も・・・・・」

ふわふわと笑いながら、何か言おうとした青島の唇をゆっくりと塞いだ後、下唇を指で辿り、親指でなぞる。
ぷっくりとした弾力を感じた。


それはもう、どこまでも信頼を寄せた瞳だった。
あれほど肩肘を張って警戒していた防衛本能が消え、態度や口だけでなく、肩の力を抜いて、無邪気に自分を慕っているのが感じ取れる。

今、特異さも気負いの欠片もなく、飾らないままの、ごく普通の青年にしか見えない青島が目の前にいて
自分を見上げる。
その光景がひどく不思議で、ちょっと空想的な感覚を室井に生じさせる。

彼がここまで生きてきた過程を何も知らないことが、何故だか彼を、架空の別人のようにも感じさせた。
室井が知っているのは、湾岸署で極彩色を解き放った、あの一瞬にも思える邂逅の、青島のごく一片だけだ。
だけど今、ここにいるのは、室井の知らない時間も抱いている、素の青島だった。


言葉のないその問いに、同じく言葉ではなく、少しだけ口の端に笑みを滲ませることで返事を返すと
青島が、今度ははっきりと微笑んだ。

心臓が、これ以上ないくらい痛んだ。
クラリとした。



息苦しさが増し、室井はそっとひとつキスを落とす。

・・・・こんなにも愛しさだけを見せられたら、室井こそ、彼に合いを捧げたくなる。
好きだと囁いて、愛していると告げ、その唇を思うままに塞いで。
俺だけのものだと確認し、刻み付けたい。
もっと自分が雄弁であったなら――この身体に生じる全てを伝える術が、分からない。

満ち溢れる想いの多さに
今度こそ、室井は息を詰まらせた。



「もう・・・なに?言葉で言ってくださいよ」

室井が余りにも見つめることに焦れてきたのか、膝上に転がったままの青島が、身体を起こそうと身じろいだ。
前髪がさらりと顔にかかる。
それが、少しだけ表情を隠した。
なんだか軽く避けられたような虚しさを感じ、室井は顎に手を掛ける。

「目を逸らすな」

ようやく室井が言葉を発する。
軽く力を入れて、起こそうとした身体も、肩を押して戻す。
その顔を再びこちらへと向かせた。


視線が至近距離で正面から重なる。


テレビの音がやけに遠くなった。


静かだが、深い漆黒の放つ壮麗な眼差しに
青島は、視線だけ斜めに逸らし、困った笑顔を見せる。
室井はもう一度青島の顔を仰向かせ、彷徨う視線を、その頤を掴む事で強引に引き戻し、視線を合わせた。

「逸らすなと言った・・・・・」
「なん・・・・・・」
「目を逸らさないでくれ・・・・。俺を見ていてくれ。頼むから。じゃないと・・・・」
「え・・・?」

頭が逆上せたように、ぼうっとする。
青島といるといつも、こんな風に酔ったみたいな感覚に支配されてきたが、今日はいつもより苦しい気がした。


――じゃないと、何をするか、分からない


「いいから、ここに居ろ」

自分の知っている彼も、自分の知らない時間を越えてきた彼も、全部が欲しいと思えた。
何も知らない所がないように――
自分の預かり知らぬ所で、名も知らぬ誰かに掻っ攫われたくない。
そんなことをされる前に、全部自分が奪ってしまいたかった。
俺のものだと主張して、それを青島自身にも思い知らせたい。

「俺から目を離すな」
「室井さん・・・・?」

どうしたら、この奇跡のような時間を永遠のものに出来るのだろう。
どうすれば、彼をここに永遠に閉じ込めておけるのだろう。





ゆっくりと室井の唇が動く。

「どうしたらいいか・・・・・分からないんだ・・・・・」
「なに、が・・・?」
「どれが正しいのか・・・・・、本当に間違っていないのか・・・・・大切にしたい気持ちは、本当なんだ」


室井は溢れる激情を抑えようと、静かに、言い含めるように、言葉を連ねる。
それは、青島へ問いかけているようで、自問しているのだと分かるから、青島も黙って聞いた。


「でも、そんな風に言いながら自分の答えはもう、出ている気がする。君のためと言いながら、本当は君のことなんか考えてもいない気もする」
「・・・・・・・」
「結局俺は、自分のことだけで精いっぱいな、傲慢な男なのかもしれない」


青島は、ゆっくりと身体を起こした。
室井と向き合うように、ちょこんと片膝を立てて傍に座り込み、室井の膝をぽんぽんと二回撫でる。


「大丈夫。室井さんの決めた事で、今更もう、いちいち傷つきませんよ」

子供じゃないんだから、と、口の端を持ち上げる。

「間違うことだってある」
「少なくとも、俺に関することは、もう、俺は室井さんの味方になろうと思います」
「泣かせてもか」
「そうそう泣きませんよ。俺を幾つだと思ってるんですか」

そんなことないぞ、最近泣いてばかりだ、とは敢えて呑み込んだ。

「でっかい子供に見える」
「・・・・・・・」
「・・・時もある」


再び青島を黙らせることに成功した室井は、少しだけ表情を緩め、そっと青島の頬を慈しむように撫でた。

「最近・・・君の涙ばかりを見ている気がする」
「泣かされても・・・・俺はあんたに付いていくよ」
「いい覚悟だな・・・」
「ふっ切ると、とことん開き直るのは室井さんから学びましたけど」

甘い言葉が柔らかく部屋に舞う。

「あんたが・・・・・あんたの眼に俺が映らないのが、一番しんどいです」
「目の前に居るだろが・・・」
「それで役目を果たしたつもりでいる?」
「・・・・・・」
「ひとりぼっちにすんなよ・・・」

ふっと気配を緩め、青島は、俺だって愚痴相手の価値くらいありますよ、と、それは綺麗な笑顔を見せた。
室井は息を呑み、魅入るように見つめる。


「室井さんが世界中で独りぼっちになっても、俺が必ず抱き締めに行ったげますから」
「・・・・・・おまえなら本当に飛んできそうで・・・・・嫌だ」
「なんで!喜ぶとこでしょ!」
「やっぱりおまえは馬鹿だな」
「なんだよそれ。もう・・・・。とにかく室井さんは余計なこと考え過ぎ!です!」

ま、それも優しさだって、俺は知ってますけどね、と、照れくさそうに頬を掻く。


室井はそっと、青島の髪を撫でる様に梳いた。

「君に嫌われて、離れていくことだけが、一番怖い」
「俺を・・・そんな甲斐性なしの男にしたいんですか」

間近で囁き返す青島の口調は、何処までも慈悲深い。

「巻き込んで、すまない」
「何言ってんの。室井さんはもう独りには一生なれないんですよっ。ざーんねんでした!」
「・・・・・っ」

「連れてけよ俺を・・・・何処までも」

甘く囁き、青島の瞳が、濡れたように光る。
柔らかく、時が止まる。

「なんなら、死ぬ時も、いっせーのせで一緒に逝きますか」
「・・・・・・・」
「なんとか言えよ」
「馬鹿なんだな、やっぱり」
「バカバカ煩いよ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・で。あの。ここまで言っといて何なんですけど・・・。これ、何の話で・・・」



最後まで言わせてもらえなかった。

力いっぱい腕を引かれて、熱く唇を重ねられる。
先程までの戯れのようなキスとも、路地裏で交わした愛しさ溢れるキスとも
そして、これまで乱暴に奪われてきたキスとも、違った。
深く艶かしく、勢いのままに口を開かされ、奥深くまでを奪われる。
急激な変化に青島が目を見開いたまま驚いている内に、室井は肩を抱き寄せ、体制を崩した身体は簡単に、室井の胸の中へと引き込まれる。


獰猛なまでの激情は、だがその一方で、満たす様なまどろみを誘い、ひどく青島を困惑させる。
それは何処か畏れを呼び起こしてもいて、青島は、震えるように瞼を閉じ、キスを受け止めた。
これまでの室井のキスは、いつも一方的だった。
なのに今は、甘く、執拗に、舌を求められる。
応えることも忘れていたことに気付き、おずおずと舌を差し出せば、浚うように室井の濡れた口内に吸い込まれていった。


「んん・・・っ・・・・ぅ・・・・・」

あっという間に主導権を奪われた甘く激しい口付けに、容赦なく、めまいがする。
簡単に息を上げさせられ、よく分からない室井の勢いに、少しだけペースを取り戻したくて、青島は身じろぐ。
すると、力任せに引き寄せられていた片手を離し、両手で強く抱き締められる。

「・・・っ!・・・!!・・・・」

何かが、いつもと違う。


――やば・・・・・なんかこのまま、堕ちていきそうだ・・・っ


一旦キスを解こうと、首を振る。
が、先程までの寂然たる凪いだ空気は何処にもなく、離してはくれない。
濡れた唇を何度も柔らかく重ねながら、室井の手が背中を這い、肩を手繰り寄せ、頭を引き寄せられ・・・・
両手で身体中を慈しみながら、幾度も幾度も抱き寄せられる。

――なに・・・これ・・・っ


「むろ・・・さ・・・っ」

僅かに唇が離れた隙を狙って制止を求めるが、その呼び声に返事はなく
執拗に重ねられる唇で、返された。





~~~~~~~


息が上がる程、烈しく甘く口付けた後、室井がほんの僅かに唇を離してやると、ちょっと戸惑っているような、怯えたような瞳に出会う。
熱い吐息が唇に掛かる程の隙間で、濡れたような視線が交差する。
室井は無表情のまま、再び後頭部を引き寄せ、唇を重ねた。

「んっ・・・・ちょ・・・っ」

青島が、ぎゅっと瞳を堅く閉じて、身を堅くする。
肩を竦め、反射的に室井の胸を押した。
それを諫めるように、少しだけ強く唇に歯を立て、熱い舌を捩じり込む。

室井の中で、何かが決壊していた。
止めどなく溢れる愛しい感情が、身体中を支配して突き動かす。



口付けの勢いに押され、青島が後退り、背中が少し反り返る。
構わずそのままソファの背に押しつけた。

「・・・ッ!・・・・ん・・・・っ」

ギシッとソファが鳴く音が室内に響く。


膝を立て、乗り上げながら、覆いかぶさる。

「・・・ッ・・・・待・・・って・・・っ・・・むろ・・・さ、待っ・・・・」


反動で逃れる様に横に背けた顔を、片手で優しく戻し、上から唇をしっかりと重ね直す。
抗議の声さえ奪うように、逃げようとする舌を、間断なく追いかけ、引き摺りだした。

「・・・ぅ・・ん・・・っ・・・・・・・ぅっ・・・・・」

青島の喉が、呻くように鳴る。
眉を寄せて、必死に唇を受け止めている青島を、口付けたまま眼を開けて見下ろした。
仰け反ってソファに押し付けたままの身体は熱く、幾分強めに貪れば、逸らされた胸が大きく上下する。
苦しそうに眉を寄せ、必死に口付けの甘さに耐える表情は、それだけで室井を刺激した。



ほとんどぶら下がっているだけだったネクタイを、人差し指でスルリと解く。
そのまま床へと、手を離す。

カラーの淵際のラインをスッと指で撫で、元々外れていた第一ボタンを越え、第二ボタンをクルリと外す。


唇は解放しないまま、僅かに空いた胸元へ、辛抱出来ないかのように指を潜らせると
青島の身体が微かに緊張したのが、唇に伝わった。
そんな躊躇いの反応を、可愛く思いながら、首筋のラインを、指先で何度も辿る。

「・・・・っ!・・・・ッ・・・・・」

青島が、熱い吐息を漏らしながら呻き、顔を逸らそうと首を振る。
さらさらと柔らかい茶褐色の髪が、後方に流れて、空気に揺らいでいた。




性質の悪い酒よりも強烈だ。
青島の存在が、室井を芯から甘く酔わせていく。
いつだってそうだった。
出会ったときから――

ぎゅっと締めつけられるような、切ない痛みが室井の深部から増幅した。
愛しくて、愛しくて、止まらない。

少しだけ唇を解放し、室井は両手で青島を頬を掴み、至近距離で見つめた。

「・・・・・?」
「おまえが、可愛くて可愛くてたまらない・・・・」

青島が息を呑んだのが分かる。室井の声も少し掠れていたが気にしなかった。
再び、柔らかく唇を重ねる。


室井はもう、青島の返答を待つつもりはなかった。







痺れる程に吸い付かれていた唇を、解放されたかと思ったのも束の間
ソファの背に押し付けられたままだった身体を、スムーズな動きで引き寄せられ、そのまま、片足首を流れるような動作で払われる。
カクンと傾いだ身体は、それが小外刈りだと認識する前に、そのままラグマットに、とすんと押し倒された。

「ぁ・・・・?・・・うわ・・っ・・・・・ぅんっ」

空かさず乗り上げられ、覆いかぶさるように、また唇を塞がれる。

「んぁ・・・ッ・・・・やめ・・・ッ」


何度も何度も顔を斜めに傾けて口付けてくる室井からは、ひたすら愛しいという熱愛だけが覆い被さってくる。
その止め処なく濡れた感情にも、追い付けない。

長く綺麗な室井の指先が、繊細なタッチで青島の身体のラインを服の上から辿っていく。
胸元をまさぐられ、喉元を撫で上げられ、ざわりとした感触が、青島の身体を走った。
室井の分厚い舌が口内を圧迫し、敏感な舌の縁を確かめるように蠢く。

敏感に反応を返す身体より、室井の勢いが怖さを齎す。
何より、間近に感じる室井の匂いと熱が、蒸せ返るような息苦しさを、与えた。


僅かシャツ一枚越しに伝わる、リアルな肉感や骨格が、そこにあるしなやかな肉体を、より意識させた。
抑え込んでくる身体は熱く、しっかりと乗り上げてきた体制は、室井の全体重をダイレクトに青島に伝える。
その、いつの間にか覚えさせられていた甘い重みに、青島の顔は一気に火照った。


濡れた粘膜が、柔らかく顎から首筋へと降りてくる。

「・・・ぁ・・、って、待って・・・てばっ、むろ・・・さ・・・ッ・・・」

顔を横に逸らし、眼をギュッと瞑りながら、その生温かい感触に耐える。



逃げ場を失くした青島は、ここにきてようやく、室井の手の動きに、そういう行為の前の男の仕草と同じ匂いを感じ取った。
既に時は遅すぎているのだが、今回は色んな意味で応戦し損ねた。
思わず身を竦める。
気恥ずかしさに唇を噛み締めると、背けていた頬を戻され、熱い舌で柔らかく解かれて、そのまま再び熱く唇で塞がれた。

「・・・ッ・・・・・・ぅん・・・・・・ぅ・・・」

最初から、奥深くまでを奪われる。
息詰まるほど最奥まで大胆に入ってきた分厚い舌は、その勢いとは裏腹に、切ない程に情に濡れ、直向きな想いを注ぎ込んでくる。

「・・・っ・・・・・ぁ・・・・っ・・・」

逃げる隙がない。


既に正気を失いつつある思考では、まともな解答など出てこない。
切なさを伴う鮮烈な激流に、成す術もないまま誘い込まれ、慣れている様な、慣れてもいない様なその感覚に、ただ何処までも浚われた。
青島は、困惑と焦りでぐちゃぐちゃになった思考のまま、室井の猛攻を一方的に赦していかされる。
逃げる隙も、戸惑う隙も、掴めない。

少しの足掻きも許されていない、重なり合うような抱擁と、与えられる熱。
乱暴ではないのに、驚くほど獰猛で猛烈なその感覚に、導かれ、溶かされ、思考が追い付けない。
押さえ込まれた肉体は、室井のされるがままに、促されていく。
その敏感な反応が、青島自身をも困惑の渦へと落とした。

思い起こせば最初から、欲しがられているのは無意識の向こう側で、確かに感じていた。
俺だってこの人を抱き締めたかった。
でも、今この状況で、まさかこんな急に、襲われるとは思ってもみなかった。

どうしよう。


その感触を味わうように、ゆっくりと素肌に舌を滑らせてくる。
服の上からも、身体をゆっくりとまさぐられ、意識まで拡散させられる。
顔を斜めになるほど傾け、何度も仕掛けてくる、甘い刺激。

このままいけば、間違いなく、なし崩しに、持ち込まれることは必至だった。

今更ながらに我に返り、身体に緊張が走る。
なんとか室井の肩を押し戻そうとするが、室井は取り合ってくれない。
のっぴきならぬ状況に、お構いなしに雪崩れ込まれ、慌てて逃れようと堅く引いた腰は、いとも簡単に抱き寄せられる。

「待っ・・・・待ってよ・・・・」
「青島・・・・」
「だ・・・・駄目だって、室井さん・・・・・っ」

室井は首筋に顔を埋め、鎖骨を舐め上げていく。


――嘘、だろ・・・・っ

覆い被さってくる情熱に追い詰められ、身近に感じる質感が、愛しくも切ない。
呼吸さえままならなくなり、青島は流されていく恐怖から救いを求めて、室井の腕へと縋りついた。






室井が、片方の腕を青島の首の下に回し、青島の頭を自分の首筋に抱き寄せた。
こめかみから耳朶へと、柔らかいキスで吸い付いていく。

「・・・・ぁ・・・ん・・ちょ・・・っ・・・」

濡れた唇が肌を這う感触に、思わず息を詰める。
空いている手が、肩から胸へと下がっていく。
お互いの肉体が密着し、両足を、艶めかしく絡み合わされ、シャツのボタンの残りを、上から外されていく。

他人に、それも、男にボタンを外させるなんて、信じられない光景に、羞恥で青島の身体がカッと熱くなる。

「室井、さん・・・・ッ」

そろそろ、懇願というよりは悲鳴に近い声で文句を漏らすが、室井は優しく肌に吸い付いたまま、動作を止めない。
幾度も辿ってくる優しい唇に、震わされ、あやされ、蕩けさせられていく。


「・・・・・・なんだ」

低く囁くような声が、耳元で静かに響いた。

「困る・・・っ、よ・・・っ」

湿った音が、耳に直接注ぎ込まれ、軽く耳朶を舌がなぞる。
身体がゾクリと震え、捩って逃げようとするが、淫らに絡まされた足で、思う様に体を動かせない。
抱えるように頭を押さえ込まれ、濡れた唇を容赦なく素肌に与えられていく。


「おまえが意外に素直じゃないのは、もう学んだ・・・・」
「・・・ぇ・・・?」

喉に、首に、熱く濡れた粘膜が、下っていく。

ボタンが全て外された。


「・・・っ!っ・・・む・・・ろいさ・・・っ・・・や・・・っ、待って・・・っ、待・・・・ってばっ!室井さん・・・っっ」
「足りない・・・・・」

ようやく聞こえた濡れた声が、耳元で柔らかく囁き、耳朶に歯を立てられる。

――う・・・わ・・・ぁっ・・・・

思わず抵抗を止め、室井の腕を掴み、ぎゅっと眼を瞑って、衝撃をやり過ごす。
グッと引き寄せられ、耳に、頬に、貪るように濡れた唇が降ってくる。

「・・・っ、ちょっと待ってく・・・・・・」

耳から頤を持ち上げられ、漏れる小言ごと、塞がれた。



マズイ。これは本当にマズイ。
一気に雪崩れ込まれた行為は、全く止める気配もないばかりか、確実に本格的な行為へと進んでいる。
室井の与えてくる容赦ない刺激は、青島に強烈な酩酊感を引き起こした。
室井の腕の中にどんどん抱き込まれていく。
言葉ではなく、その熱が、その指が、愛おしいと、青島に赤裸々に伝えてくる。
思う以上に重く途方もない想いは、何処までも直向きで
真っ直ぐな室井そのものだった。

その貞実な刺激で、青島の身体に直接、室井という男を教えこまれていく。


「はな・・・っ、離して・・・っ、ください・・・・っ」
「離さない・・・・・前にも言ったろ・・・」
「・・・っ!ちょ・・・っとでいいからっ・・・どいて・・・くださいよ・・・っ」
「無理だ」

清潔そうで繊細な指が、軽く仰け反った首筋を、淫蕩な力加減で這っていく。

「室井さん・・・っ」


――なんて手付きなんだよ・・・っ!
意思とは無関係に勝手に応え出す自分の身体を戸惑っている内に、その熱い唇が鎖骨をキツく吸いあげた。

「・・・ッ!!・・・・・」

ピリッとした痛みに、思わず初めて鋭敏に身体をヒクつかせてしまう。
この強さなら、たぶん、痕になる。

濡れた熱い舌の感触に、思わず息を止めると、室井が首筋に唇を押しつけたまま、微かに笑ったようだった。
カッと青島の頬が羞恥でますます紅く染まる。





ようやく室井が視線を合わせてきた。

青島の髪に梳くように指を通し、まっすぐに見下ろしてくる。
逆光で、影になったその顔を見上げて、息を呑んだ。

至近距離で、優しい眼差しでありながらも
知的な造面にいつものように彫り込まれた眉間の皺も、精悍な影を帯びる。
ドキリとさせるような真剣さを湛える深い漆黒の瞳は逆光の中、色艶を増し大人の男の香りを滲ませ、真っ直ぐに青島を射抜いていた。

その強い視線にも、身動きを封じられた。

苦情を申し立てようとした口は、そのまま何も言えなくなって、荒い息のまま、青島は、その瞳をただ見つめ返す。


青島の表情に、ようやく察したことを悟ったらしい室井が、しょうもない子供を相手にした時のように、口の端で微かに笑った。
大人の男の笑みだった。

その笑みがまた、青島を動揺させる。
経験と情熱と、覚悟を湛えた室井の、眼差しや瞳の色が醸しだす成熟した大人の男の雰囲気は、その先の深い感取を
簡単に予感させた。
たじろぎ、ゾクリとした何かに、ただ、身の内に戦慄が走る。

こんな眼は、見たことがなかった。





何処かで真面目に考えることを放棄していた。
自分たちは男同士で、室井がその先に進もうとするとは、考えもしなかった。
プラトニックな純愛に酔っていた訳ではないが、何処か現実的ではなかった。

でもこのキスは・・・・。
明らかに室井は先に進もうとしている。
俺が欲しいと、その瞳が言っている。


――室井さんは普段あんなに潔癖で清廉で、性とは無関係って顔しておきながら、いざとなるとなんて強烈なんだろう

誰もが魅入ってしまうであろう、ドキリとさせるだけの男の色気を纏っていた。
視線が外せない。
その情熱が、今、一心に、青島へと向いている。

ドクンと心臓が痛いほど高鳴った。

このまま火を付けたら・・・・・付けたら・・・・・
喰われるのは。



袖口から僅かに覗いていた手指を掴まれ、柔らかくラグマットに押さえ付けられる。
真上から覗きこむようにして囁かれた。

「曲がりなりにも惚れたと宣言する男の部屋へ来て、本当に何の覚悟もなかったのか・・・?」
「・・っ」

その声音には、多少揄うような色を含んでもいたが、動揺している青島が気付くことはなかった。


喰われるのは。
身体が竦む。


絶対、俺の方だ――







室井は、瞳を見つめたまま、そっと青島に触れるだけのキスを落とす。

悠然と湧きあがってきている、芯から灼けつくような欲望は、ある意味純白で、己を突き動かすこととの落差に、 室井は心の中で苦笑した。
ずっと――確かにコイツの全部を欲しいとは思っているが、俺の願いの究極はこれなのかと思うと
そこまで具体的に考えていなかったというのが、正直な所だった。
彼を確実に深く感じられる方法が、このような酒に酔ったままのような、恋と言う名の幻想である必要はなかった筈だった。
恐らく、青島が躊躇う理由も、そこだろう。


真上から見下ろしながら、片手で脇腹までをやんわりと撫で上げ、唇をペロリと舐めた。

「・・ぁ・・・・っ、・・・っ、室井さん・・・っ」

真っ赤な顔をして、言葉を失い、わなわなと室井を見上げてくる顔に、愛しさが込み上げる。



周りを気にせずに気持ちだけで走れるほど、もう事態は甘くない。
そうやって感情だけが先走る未来は、この関係の破綻をも意味している。
だが、このまま時の狭間に埋もれていくことが、もう耐えられない。それが一番寂しい気がした。
同時に、それがすべての答えのような気がした。

引き返す道はとうに自分で閉ざしてしまった。その罪を今、胸の奥深くに沈め込む。
それを望んで選んだのは、自分自身だ。




額にひとつ、口付けを落とし、促した。

「っ・・・。な・・・・なかった・・・・・かも・・・です」

今更、取り繕っても仕方ないと思ったのか、青島が捨てられた子供のような眼をして、小さな声で白状してくる。
それを、室井は柔らかい視線で見つめた。
青島の、その弱さと逡巡さえ、今の室井には扇情でしかない。

いつもは元気いっぱいに掴み処のない存在が、自分の下で縋るように見上げている姿に
性的な淫猥さと、無垢な純朴さが同居しているような性の魅力を覚える。


「でもだからって、こんな急に・・・っ」

そのまま乗り上げ、青島の脚を開かせる。
青島に反論する間も与えず、スルリとその間へ下半身を滑り込ませた。
遠慮なく舌を青島の口内へ差し込み、逃げる舌を何度も何度も柔らかく絡め取る。

「・・・・ぅ・・・・ん・・・・っ・・・」

室井は、自分のシャツボタンに指を掛けた。




こういう関係になったからには、いつかは彼を抱くだろう。抱いてしまうだろう。
我慢して、大切にしていても、何処かで必ず限界がくる。

本当はもう、分かっていた。

自分は彼に一番深く関わっていたいのだ。もっと。いっぱい。何処までも。
ダイレクトに感じていたい。

きっと、いつか自分は彼に手を出してしまう。
きっと、告白をした、あの夜のように。
衝動的に。


常識も理性も建前も、全てを捨てても欲しいと焦がれた相手は、青島だけだ。
彼の瞳に、視線に、匂いに、存在に。全てに惹かれて、ずっと欲しくて堪らなかった。手に入れたかった。
これほどまでに浅ましく、独善的な独占欲を感じたのは、初めてだ。
だからこそ、その感情を持て余していた。

でも、青島の気持ちも、自分と同じように室井へ向いていると知ってしまった今。

全てをこの手に抱かぬ内に、望まぬ別れを迎えるのだけは、もう耐えられないと思った。
青島が隣にいる内に、全てを奪っておきたかった。


だが、他に方法はなかったのか。
二人が補い合うのは、こんな方法しかないのか。
そこまで行ってしまったら、取り返しがつかなくなるような気がした。
それは分かっているのに、溢れ出る気持ちは、もう、止められそうにもない。
引き金は引かれてしまった。

もうそれを探求する余裕は、室井にはなかった。





「青島・・・・」

名前を呼んで、耳たぶを甘噛みする。

「・・・・っ・・・や・・・・・っ」

濡れた音を立てると、ぎゅっと眼を瞑ったまま、青島が顔を横に逸らす。
汗ばみ始めた前髪が、さらさらと流れるのを眼で追った。

些細な仕草まで、室井を獰猛な雄に変貌させる誘惑となっていて、こんな淫らで強烈に蕩けるような官能は、経験したことがない。

熱い。そして甘い。
どうにもとまらない。
なんとも言えない青島の味が、更なる欲望を引き出す。
なんとも言えない青島の吐息が、欲望を生み出す。


軽く顔を背けたことで晒された首筋に、吸い寄せられるように唇を寄せ、顔を埋める。
室井は夢心地な気分で、青島の首筋から鎖骨へと唇を這わした。
この甘美な存在が全部俺のものだなんて。

「今更逃げられると思うな・・・」

すべてを賭けて付いていくと言ったのは、青島だ。


室井は、くしゃくしゃになっているシャツの裾から、肌蹴た身体にも、直に手を這わしていく。
滑るような若々しい素肌が、羞恥からか仄かに赤みを帯び始め、よりしっとりとした手触りに変わっている。
キメの細かいその肌は、軽く汗ばみ、滑らかで温かく、吸いつくような感触は、室井の理性を飛ばすに充分な魅力があった。

青島が、身じろぐのに合わせ、シャツが撚れ、室井の視界にも素肌が露わになる。
淡いオレンジの室内灯に浮かび上がる素肌は、瑞々しく滑らかで、少し汗ばみ
中途半端に腕に引っ掛かっているシャツから、妖艶に光った。

吸い付くような肌触りと、途切れ途切れに震えるその初心な反応が、室井を更なる甘い官能の渦へと誘い込んでいく。
鋭敏に返す反応が、室井を煽っている事実に、青島は気付かない。


耳の後ろに舌を這わし、青島の味を堪能する。
肌の滑らかさが心地よい。青島の匂いが心地よい。
もっと濃く嗅ぎたくて、室井は首筋に顔を埋めた。

腹から胸へ、直接手を滑らせれば、青島がゾクリと震えたのが分かる。
追う様に、室井の心が軋む。
青島の高めの体温と、煙草の混じった青島の甘ったるい匂いも、室井の感情を加速度的に走らせた。


「も・・・っ、帰りま、す・・・っ」

胸の輪郭を、柔らかで淫らな動きで、ゆっくりと指の腹で撫で回してみる。
ピクリと微かに筋肉が反応したのを確認すると、逸らされた首筋を、舌で何度も辿った。

青島が姿態を小刻みに震わせる。

「・・・・っ、や・・・だ・・・っ、室井さん・・・っ」
「終電、もうないぞ・・・・」
「ならシャワー・・・・」

その両手を下に押さえ付け、突起を口の中に含み、味わう。

「・・・ッ・・、・・め・・・・っ」


絡み合った足で、拘束するように乗り上げた。

「・・・・ッ、・・・・ぅん・・・・ま・・・・待ってよ・・・っ」

室井は返事の代わりに、腕と足で青島を引き寄せる。

鋭敏に震える身体をあやすように、無防備な背中へと手を滑らせていく。
スーッと辿ると、青島の身体が赤子のように震えた。
青島の総身は、跳ねる様に室井の腕の中で微かに、でも確かに反応していく。
それがまた、室井を夢中にさせた。

乱されたためにシャツがなだれ落ち、その首筋や鎖骨が、室井の眼前に晒される。

肩から腕へと、シャツを剥ぐ。
腕だけに引っ掛かったシャツは、くしゃくしゃになった。
青島の上半身がオレンジの灯に浮き上がる。
先程自分で印した、青島の首筋の紅い刻印が、ヤケに艶かしく浮かび上がって見えた。
羞恥から身を捩るその戸惑いの仕草も、自分が与える刺激に眉を寄せるその表情も、雄の性感を淫猥に誘う無防備さを仄めかし
室井を恍惚の海へと誘っていく。




~~~~~~


「こわいか?」

室井が逆光の中、真剣な眼差しで見下ろしてくる。

室井の解答は最早、この先の行為の有無ではなく、青島がどう受け止めるかになっていた。
拒絶と言う選択肢はもうない。

「・・・っ、む、ろ・・・いさん・・・・おれ・・・・・」

簡単に押さえ込まれ、自由を奪われたまま、唇を貪られる。
性感を刺激するように、敏感な舌の縁を何度も何度も辿られた。その度に背筋に痺れが走る。
絶え間なく与えられる慣れない愛撫に青島は付いていけず、ただ身体を戦慄かせるしか出来ない。
何より、あの室井が自分を舐めているという事実が、青島を翻弄させた。


まるで意識してなかったとは言わない。
しかし、それは、すっかり失念していたことだった。
・・・・というか、傍に居られるか居られないかの瀬戸際で、悩み苦しんできた反動で、すっかり忘れて無防備になっていた。
そういう衝動が全くなかった訳でもなかったが、どちらかと言えば、それどころではなかったのだ。
心の準備どころか、覚悟すら、出来ていない。

「もう待てない」
「・・・・っ」


青島は、室井に感じた、成熟した大人の男の性的魅力に、別人のような恐怖を感じて、室井の身体の下から必死に抜け出そうと身を捩る。

開かされた脚も、羞恥を煽った。
両手を拘束された格好で、促されるまま濡れた舌で唇を広げられ、脚を大きく開かれて組み敷かれて――・・・・
それは、簡単にこの先の情動を予感させた。
唇から伝わる熱烈な熱さとは裏腹に、柔らかであやす様な所作も、しかしもう、一切の拒絶を受け入れない強さを内包している。
そこに青島の意思など汲み取る大人の優しさはなかった。

――連れて・・・・いかれる・・・・っ

再び、ゾクリと背筋を痺れみたいなものが走り抜ける。
もう拒否権はなくなったという意思表示だと分かった。




~~~~~~


室井の手が、青島のベルトを抜き、ジッパーにかかる。

「・・・!・・・ッ、何す・・・っ」

カチャリという金属音で、流石に我に返ったのか、青島が呻き、室井の肩を押す。
慌てて室井の手を止めようとする青島に構わず、室井は曝け出された胸元に吸い付いていく。

「・・・ッ・・・」

焦らさず胸の突起を歯で摘まんでみれば、押し殺した青島のうめき声のようなものが、発せられた。


「足りないんだ・・・・」

そのまま舌を這わして素肌を存分に味わう。
少し強く息を吸って青島の匂いを確かめた後、首筋に軽く歯を立ててみた。
青島がまた息を詰める。


「そ・・・う、言えば、俺が絆されるとでも、思ってんだろ・・・っ」

とうとう限界を越えたのか、組み敷いた室井の下で、青島が泣き声で叫んだ。
少し唇をズラし、露わになった鎖骨の下辺りにも、再びキツめに吸いつく。
その肌に3つの紅い印が灯った。

「そうかもな・・・」
「勝手、なこと、言ってんなよ・・・っ」
「・・・・怖いのか?」


寛げたスラックスを足と手を使ってズラしていく。

「な、何すんですか・・・っ、駄目だって・・っ、まずいって・・・っ」
「おまえの全部が欲しいんだ」
「・・・・・ッ・・・・」



その中へ、いきなり手を潜り込ませた。
下着の上から、大腿部を、スッと撫で上げる。
体毛のほとんどない若い肌が、滑るように手に吸い付く。

「・・・ッ!!・・・や・・・・やだっ・・・っ」

青島の手が、室井の手を制止する。
その下肢が、顕著な反応を示し、太股がビクッと跳ねた。

「そ・・・んな、とこっ、触るなよ・・・っ」
「いい加減、観念したらどうだ」
「冗談・・・っ、だろ・・・っ」
「なら、何を言ったら・・・・おまえは絆されてくれるんだ」


脅える心をあやすように、優しく柔らかいキスを頬に降らす。
羞恥のため、真っ赤に顔を染めた青島は、脚を閉じようと必死に膝を寄せて、もがいている。
しかし、室井の身体に阻まれて、愛撫からは逃れられない。
身体を捩り、背を逸らせる姿態に、腹筋と肋骨が鮮やかに浮き上がった。
しなやかで程良いその肉体美を、室井の眼前に惜しみなく晒す。

室井は舐める様にその痴態に舌と指を這わせた。


梔子色に染められた室内に、脈動するように浮かび上がる筋肉の陰影が、まるで淫蕩な反応を返しているように見える。
筋肉が収縮するたび、淡香の肌が瑞々しく光り、照らされた汗がビロードのような艶を放った。
オレンジの光に浮かび上がる、シャツを辛うじて引っ掛けただけの上半身と
フロントが寛げられて下着さえズラされ、自分の身体で開かれている脚。


惚れた相手が晒す、魅入るような艶態に、室井の眼は釘付けになる。

青島の下に敷いてあったラグマットが、ぐちゃぐちゃに撚れていた。






「こ・・・んな・・・っ!こんな状況で口にする男の言葉なんて、本気、に出来ると、思ってんのかよ・・・っ」
「君なら、上等な口説き文句のひとつも常備してそうだ」

クスリと口の端で笑って、吸い寄せられるように鎖骨に舌を這わす。

「ないってのっ、んなもん・・・っ」
「残念だ。君に・・・・熱烈に口説かれてみたかった・・・」

そのまま、腰回りに手を這わすと、少し肉が盛り上がったままの、あの時の傷跡に手が触れる。
そこを、そっと愛おしむように、幾度も辿った。


「・・・~~!そういうっ、ところが、ムカつくんだよっ。っ全部・・・っ、もう!分かってるくせに!」

青島がキッと、少し潤み始めた瞳で、睨み上げてくる。

その頬を紅潮させた表情も、下肢が寛げられ、シャツが腕にだけ纏わりついている姿も、どれも室井を焦らすことなく挑発していく。
至近距離で暫く見つめ合った後、室井は視線を伏せ、そっと青島の唇に触れるだけのキスを落とした。


「愛していると、言えば良いのか?」

触れるだけの口付けなのに、青島の身体が小さく震える。

「俺が・・っ、聞きたいのは、そんな陳腐な言葉じゃない・・・っ」
「同感だな。俺が聞きたいのも、そんな否定の言葉ではない」


内股のライン際や、臀部を、強く緩く擦りあげながら、胸元の突起を口に含んだ。

「・・・ッ・・・・!ちょ・・・っ、む・・ろ・・・・さん・・・っ」


室井の身体の下で、青島が首を逸らして、嫌嫌と頭を何度も振り乱した。
初めて明確な反応の声が上がり、ビクっと脚を戦慄かせながら、手は流されまいと、腕にしがみ付いてくる。
室井は青島に見えないように、口の端で微笑した。

そのまま中心へと手をかざす。

「・・・・・ッ・・・ぁ、も・・・っ、止めて・・・・ッ、恥ずかしいよ・・・っ」




迷ったままの青島では、この深い、残酷なまでの情熱に、全くの無力だった。
泣きそうな想いで、室井の欲望を突きつけられ、過剰な情熱を与えられ、奪われていく。

一方的に巻き込まれた深く切ない情の底で、乱され、奪われ、でも確かに、密着してくる室井の体温だとか匂いだとかが、想像以上に心地良く
このまま縋りついてしまいたい衝動は、残酷にも感じていた。
それは、甘く獰猛な誘惑で
ただ、そうしてしまうだけの魅力を知りつつも、そこに共に堕ちていくだけの覚悟が、未だ、己の中にない。
この先の行為へ、室井に踏みこませては駄目だと、辛うじて残る理性が警告する。

しかし、惨忍にも結論をここに迫られる責め苦は、甘く切ないキスに溶かされ、一瞬の躊躇いも許されないまま蕩けさせられていく。


――本気で、嫌な訳ではなかった。
ただ、いきなりすぎて、ちょっとだけ待って欲しかっただけだ。
こうまで追い込んできながら、その全身を青島に委ねてはこない室井に、ちょっと悔しくなっただけだ。

室井の手や唇に、その熱に、反応してしまう自分に惑乱する。
あの清廉な室井の手で、性的な快感を呼び起こさせられていくことが、信じられない。
自分ばかりがこんなに乱されて。
俺ばっかりが、好きでいるようで。

なんの猶予も与えてくれず、慣れない感覚に翻弄され、乱され、留まることなく、深みへと一気に連れて行かれる。




乱れた前髪を掻き上げられ、頤を掴まれた。

「青島・・・・」

荒い息を整えながら視線を持ち上げれば、宇宙を思わせる漆黒の深い瞳が、深く情欲の色を帯び、艶めく。
覚束なさと、急激な心許なさを意識し、縋るような眼を向けた。

成熟した男の眼だった。


青島が薄く膜の張った瞳で、懇願するように室井を見上げる。
中途半端に弄ばれた下肢は、既に力が抜け始めている。

その瞳に吸い込まれるように、室井も見つめ返した。

「ずるいよ・・・・・、室井さんは・・・っ」
「でも、おまえが好きなのは俺だろ?」
「・・・・・っ」

「俺の胸で泣いたくせに」
「あれは・・・っ、それどころじゃなかったし・・・っ」
「キスしても抱きしめても怒らなかった」
「気が動転してたんです・・・っ」
「今だって・・・・」


こんなギリギリの崖っぷちまで追いつめておいて
こんなに好き勝手に、いい様に弄ばれて
それでも俺が、この人を好きなのをいいことに。

なのに、相変わらずこの人は、その心の一番奥深い所を、俺に委ねてくれない。
俺の、僅かばかりの境目を壊すばかりで。

その上で、この人の未来、夢、希望、立場や権威まで・・・・そして、人生。
その全権の行く末を、俺に委ねて――








途方に暮れた瞳で、青島はもう、自分でも何を求めているのか正確には理解も出来ず、ただ、室井を睨み上げた。

「そうやって・・・!自由を与えた振りして、選択肢も用意した上で!いっつも俺に選ばせるんだ、室井さんは・・・っ」
「追い詰めないと、おまえは逃げるだろ」
「性質悪いよ・・・っ」
「だったら、とっとと俺に堕ちてくれ」


どうしてこの男は、俺に関して一歩も引いてはくれないんだろう。
水が浸み込むみたいに、油断している間に雁字搦めにされていく。――その愛情に。


非難の意味を込めて睨み上げれば、思いの他、瞳は淋しそうな色を帯びていることに、青島はこの時初めて気が付いた。
退かそうと押し上げた片手は掬い取られ、その指先に軽く唇を押し当てられた後、ラグマットに沈められる。


「こんなに・・・・・惚れているのに・・・・」

しっとりと濡れた声で、室井が青島の下唇に指を滑らす。
室井の崩れた前髪が、パラパラと額に落ちてくるのが、視界に入った。


ここにきて、初めて発せられた恋言葉のような台詞は、この場の欲望に染められた生ぬるい空気とは、可笑しい程、相反した天真で
ひどく似つかわしくないのに、青島の抵抗を奪うのには、充分な効力があった。

虚を突かれ、どこかぼんやりと見上げると、室井の瞳が濡れて艶めき、一瞬後に、青島を強烈な視線で捕える。



それは、懇願の様でもあり、懺悔の様でもあった。
何も言えなくなって、青島は戸惑い、室井の瞳を見つめ返す。
室井はいつも多くを語らない。言葉に乗せて、感情を伝えてはくれない。
その瞳が、いつだって言葉以上のものを雄弁に浮かべているだけだ。


室井の5本の細く長い指が、ゆっくりと青島の髪を絡ませる。


「あんまり、焦らさないでくれ」
「焦らして、なんか・・・・」


“もう止められないんだ・・・”
かつて、告白してきた時に、室井がそう言ったことを、青島は思い出す。
もうどうしようもない感情が、己の中に朦々と込み上げ、青島に救いを求めているのだと。


――その残酷なまでに剥きだした、烈々たる感情が、飢えるまでに、奪い、欲しているのは、俺、だ。


青島の中に、よく分からない芯を焦がすような凄烈な感情が急速に湧き上がり、自分でその感情に困惑する。
悪魔に魅入られたように、しっとりと見上げ、きゅっと室井の腕を掴んだ。


「無自覚か」
「俺のせいじゃ、ないでしょ・・・」
「それだけ煽っておいてか」
「煽った覚えもないよ・・・・」

言い返す声も、掠れた。

「思い出させてやろうか・・・?」

室井の人差し指が、そっと目じりに触れる。
カッと頬を赤くする。
素直な反応が、愛しい。

「忘れろっての・・・・」
「忘れない」

クイッと頤を持ち上げられた。

「誰彼構わず惜しみなく愛情を注いで・・・どこか無防備で。俺一人が見ていたいその笑顔を誰にでも見せやがって・・・その都度、俺は嫉妬するのか」
「節操無く人に慕われる、あんたはどうなの」
「俺はそんなに八方美人じゃない」
「自覚ないだけでしょ」
「君は――人を受け入れやすいから何かの拍子に・・・誰かに奪われて、俺の前から消えてしまいそうだ」
「んなことしないっての・・・」
「警戒心の欠片もないくせに・・・」

二人の視線が、二人の距離で絡まる。
噛み合わない会話が、二人の心を噛み合わせる。

「捕まえたと思っても、今度は逃げる・・・・俺の気も知らないで・・・・」
「全てを晒さないのは、あんただ」
「もう、言葉だけ残して行ってしまったりするな」
「いつだって、高いとこから見下ろしやがって・・・・」
「俺に何かあったとしても、身を引かせたりなんか、させない」
「我儘なんだよ、室井さんは」
「性質が悪いのは、おまえの方だ」


青島の顔の真横に、室井は肘を付き、片手は手の平をしっかりと握る。

「俺はもう、惚れたヤツを黙って野放しにしていられる程、了見広くないんだ。おまえは違うのか」

睨み上げたつもりが、しかしどうしようもなく潤む瞳で、青島が見上げる。

「俺が――・・・あんたを誰かに渡すわけ、ないだろ」

艶めく瞳が柔らかく滲んだ。



「俺たちが巡り合ったのは、奇跡だと思うか」
「さあ・・・。もう始まりなんて、忘れちゃったよ」
「惚れた切欠も?」
「そこは成り行きでしょ」
「・・・・・運命の、だろ?」
「“ええ。・・・・あなたと名コンビの”」
「・・・・・。・・・・“腐れ縁だ”」
「“そうでした・・・”」

室井の瞳が、泣き出しそうに歪む。

あの時から、随分と時は流れた。
あの頃は、こんな気持ちになるなんて、想像もしていなかった。
でも、こうして触れ合う距離で、今、確かにその手を掴んでいる。
じっと見つめ合う瞳に、お互いだけを映している。


室井が、唇が触れそうな程近くまで顔を寄せた。


「――俺が奪ったら、君は傷つくか?」






一瞬の静寂の後、何の前触れもなく示し合わせたように、二つの唇が激しく重なった。
室井の手が、力強く青島の頭を掻き抱く。
合わせる様に、青島は室井の首にしがみ付く。

痛いほどに吸い付かれた唇は、痛みを伴って荒々しい息遣いと共に堕ちてきた。

「奪っ・・・・えよ・・・っ、全部・・・ッ」

もう、手段にも手順にも構っていられないとばかりに、室井の熱く濡れた舌が無遠慮に押し込まれる。
乱雑に開かされたその口を、青島も無防備に晒し、その獣の様な侵入に乱され、解かれ、奪われていく。


青島の腕に縺れていただけのシャツを、室井は勢いよく引き抜いた。
何処かに引っ掛かったのか、生地が裂ける音がしたが、気にしなかった。
中途半端に擦り下がっていたスラックスも、下着ごと剥ぎ取る。
捕らえて、肌をすべて晒し、乱暴に触れていく。

「ぁ・・・全部・・・ッ、あんたが・・っ、持って・・・・っ、いけよ・・・・っ、全部・・・ッ」


室井は、強か乱暴にその首筋に噛みついた。
羽織っているだけだった自分のシャツを、粗雑に脱ぎ捨てる。
首筋に顔を埋めたままベルトに手を掛け、片手で自分のスラックスも一気に脱ぎ捨てた。
すうっと舌先で首筋を舐め上げ、噛み付くような口付けを落とし、呑み込むように唇を貪る。

「・・・ぅ・・・・っ・・・・・・ふ・・・っ・・・っ」

全てを脱ぎ去った身体で、青島の上に圧し掛かる。
均整のとれた、程良い筋肉質の形の良い室井の肩も、汗ばみ艶めいていた。
青島の長い手足が、剥き出しのまま、室井の火照る身体に絡まってくる。

触れ合う熱い肌が、鼓動を加速させていく。


青島に触れている全身が、鳥肌が立つような心地良さを感受し、室井をのめり込ませた。
両手で青島の肌を乱暴にまさぐっていく。
唇で、全身を確かめていく。


青島の両手が室井の首を強く引き寄せ、少しも離れたくないとばかりに抱きついてきた。
室井もそれ以上の強さで抱き返す。
伝わる直接的で苛烈な熱が、室井を更に煽情していった。

「浚って・・・・っ、くださ・・・・っ」

抱きつくことでせり上がった背中を抱え、僅かに反り返る胸元に、激しく音を立てて吸い付いていく。
汗ばんだ素足が、絡み合った。

耳に、首筋に、熱い舌を這わしていく。


「どこにも行くな・・・・っ」


青島の、ふっくらとした肉の触感が甘い余韻を残し、室井を如何様にも惑わせていく。
片手で背中を確かめるように辿りながら、胸から腹を舌でまさぐった。
焦らすことなく、激しく乱暴に全身を暴く。


「もっ・・と・・・っ、奪・・っ、俺を・・・っ」


めまいがする程の激情の中、青島が可愛くて愛しくて、室井は刻みつけるようにその肌に噛みついていった。
深く。もっと強く。

「二度と・・ッ、俺から離れるな・・・っ」


それは狂喜と言っても過言ではなかった。
震えるような熱い吐息が青島の口から洩れ、透明に濡れた眼差しで見上げてくる。
その顎を掴んで強引に捕らえて、欲望のままに重ねていく。
零れる吐息が熱く、飲み込み切れない唾液が零れても、構わず唇を熱く重ね合わせた。


今だけは何も考えられない。
今この瞬間だけは、青島のことで頭がいっぱいになる。

「む・・ろ・・・ぃ、さ・・・・っ」

その濡れた瞳が今、自分だけを映している。
こんなにもまっすぐ。こんなにも近くで。・・・誰が手放してやるか。







余裕のなさを揄うために呼んだはずの言葉は、誘うように掠れた吐息となって漏れ、そのまま室井の唇に吸い取られた。
青島の中にも、呼応するように、猛烈な愛しさと困惑の渦が引き出され、思考が蕩けていく。
あやすようで、解かれていくように与えられる熱を帯びた手に導かれ、身体中が痺れていく。

・・・・・本当はこのまま先の行為を選択することに、戸惑いがなくなった訳ではなかった。
男なんか抱いたって、何か満たしてやれる自信もない。
でもそれよりも今は、目の前であからさまな欲求を剥き出しにする男が、限りなく愛しい。
全身全霊を掛けて、これからそれこそ全てを奪うつもりで剥き出している、激しい情愛も。


――ああもう!ヤケだ・・・・どうとでもなれ・・・っ


これが一夜限りの幻となるのだとしても。
青島は圧し掛かっている熱い身体を、思い切り抱き締めた。












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※続きはぬるいエロがあるのでご注意を・・・。苦手な人は翌朝(エピローグ)へ→key