ほろ酔いの恋物語5





-epilogue -
青島は道路を軽く蹴って、ぽんっと両足を付いて着地すると、肩越しに官舎を見上げた。
肌を冷やす凛とした秋の空気は、この週末の熱くも甘ったるい時間を、嘘のように思わせる。
朝日を浴びて光る室井の部屋は、今は閉ざされ沈黙し、外からはその奥にある卑猥な熱を残した部屋など、微塵も感じさせていなかった。


冷たく澄んだ朝の風が、モスグリーンのコートをふわりと舞い上げ、通り過ぎる。
瑞々しい土の匂いと喧騒が、もう目覚めている街を告げていた。






~~~~~~~


深い眠りから、ゆっくりと覚醒する。
壁に掛かっている時計を見れば、恐らく数時間も眠っていないようだった。
でも、その辺の記憶も曖昧だ。
身体中が疲れ過ぎていて、酷くだるかった。


窓から射し込む眩しい朝の光が身体を照らし、本日の晴天を告げている。
昨夜の秋雨はすっかり上がったようで、都会の空にも鳥のさえずりが木霊していた。
深夜の雨は空気を冷やし、布団から覗く肌をひんやりと撫でる。



もぞりと動いて、垂れた前髪の中から瞬きをする。
隣にいると思っていた人物の姿がない。
どうしたんだろうと、ぼんやり思う。
寝返りを打とうとして身体に力を入れると、全身が軋む様に痛みが走った。
やっぱりなぁと溜め息を吐いて、重たい身体でベッドに沈み込む。
質の良い寝装具が、ふわりと青島の身体を包み込んだ。


「目が覚めたか・・・・・・・」

ビクッと顔を持ち上げると、室井が枕元の窓辺に立っていた。

「ぁ・・・・ハイ」


気配は感じなかったが、ずっとそこに居たらしい。
起きたばかりなのか、裸体にシャツを羽織っただけで、こちらを見ていた。
薄手の白いシャツは、光を通し、その内に秘めるボディーラインをくっきりと浮かび上がらせる。


室井は青島と軽く視線を合わせた後、スッと逸らし窓の外を見た。

「起きれるか。今日、仕事、だろ」
「・・・・・ハイ」
「・・・・・・・」
「あの・・・」
「早く仕度しろ。遅刻するぞ」
「あのっ・・・・室井さん・・・・」
「なんだ」
「・・・・・・・あ・・・・・・えーっと、なんでもないです」
「・・・・・・・早くしろ」


男に抱かれてしまった。何とも言えない、経験のない感傷から、思わず縋りそうな言葉を発しそうになり、寸前で口を噤む。
女々しいような気がして、何も言いたくはなかった。

光を纏うボディラインは、今は昨夜のような淫猥さを何も語らないが、自らの身体が、その証を覚えている。
覚え、こまされた。

――昨日、ホントに、俺、室井さんに・・・・

この身体に抱かれてしまったのだという事実は、何やら取り返しの付かないことをしでかしてしまったかのような覚束なさを
青島に齎した。


くしゃりと自分の髪を掻き混ぜる。

まいった。どんな顔していいか、全然分かんねぇ。
何か言って欲しい気もするが、何を自分が欲しがっているのかも、その真意さえ明白ではない。
昨夜は煽られるままに口走った恥ずかしい言葉も、この眩しく厳かな朝日の前では
とても口になんて出来そうになかった。




結局、昨夜は東空が白染むまで、青島は室井の腕から解放させてはもらえなかった。
熱く抱き寄せる腕に、最後には自ら縋りついて、その背中を引き寄せ、呼吸さえまともに出来ない位の愉悦に、溺れて声をあげていた。
もう室井の熱さや肌を知らなかった昔には戻れない。抱かれなかったことには、出来ない。

一夜の逢瀬と割り切るには、あまりに衝撃が大きすぎる。
今はまだ、心の整理が付かない。
だけどそんなこと言えない。


――なんか室井さんも冷たい気がする。

眼を直接合わせてくれない余所余所しさが背中から感じられた。


あれだけ自分を好き勝手に弄んでおきながら、室井が後悔している・・・とは思えないが
あれだけ、好き勝手しておきながら、見限られるには酷過ぎる。
それほど、昨夜の情交は、度を過ぎていた。

一夜明けて我に返ったか。
これっきりにしたいと思われても・・・・・・確かにまあ、仕方がないところはある。
俺はオトコで、彼はこれから女性も愛し家庭を持つのは、当然の流れだった。
それでも一緒に未来は歩いていく訳だし。
でも、なんか・・・・・・色々、あんまりだ。

以前の青島だったら、その辺の曖昧さを問い正すことも出来ただろう。
だが今はもう、室井に対して本音を晒して、強気に出られない。
室井の望むままにさせてあげたいという溺愛と、室井に火種を具体的に植え付けてしまいたくないという恐れが
普段止まることを知らない青島の暴走癖に、ほんの小さな歯止めを掛ける。少しのアプローチさえ躊躇わせる。




奇妙な沈黙が、その場に流れる。


昨夜の疲れか、衝撃的な経験のためか、感情が上手く制御できず、青島の視界が滲んできた。
慌てて、瞬きをして涙を堪える。
抱かれた翌朝に泣いて縋るなんて、そんなみっともないこと、流石にプライドが許さない。益々傷を深めてしまう。

――ああ、もう、なんか昨日から俺の涙腺変だ・・・・。


「コーヒー、淹れてやる」
「・・・・・どうも」

室井が低く呟くように言うのを、なるべく平静を装って答えたつもりだったが、その喉は昨夜酷使したため、どうしようもなく掠れており
痛みと、胸を詰まらせる感情から、思わず微かに震える。


「青島・・・・?」

室井がそっと近付き、顎を捉えられる。
微かに抵抗したが、その抵抗もさして意味はないだろう。それに、抗う気力も今はなかった。
細く長い指に、グッと顔を引き寄せられる。

視線だけ逸らして、微々たる虚勢を張った。



「どうした。言ってくれなきゃ分からない」
「何も・・・・・」
「青島」

焦れるような声は、ともすれば責められてもいるようで、青島は理不尽な怒りを感じる。
つい感情を乱す。
そっぽを向いたまま、黙っているつもりだった言葉が口を吐いた。


「室井さんこそハッキリ言ってくれてもいいですよ・・・・」
「何をだ」
「もう、気付いてるんでしょ。俺、女の子じゃないんだし」
「何の話だ・・・?」
「この先、夜を誰と意気投合しても良いですけどね。でもこの件に関しては一応さっさと引導渡しておいてくれたほうが俺としても助かります」
「なんで・・・そんなこと」

室井が息を詰めたのが分かった。






小さな、抑揚のない声で青島が言い返してくるのに躊躇い、室井は理由も分からずうろたえる。

青島は後悔しているのか。
それとも俺を怒っているのか。

昨日、さんざん組み敷いた熱い身体が脳裏に蘇る。
縋ってきた甘さが愛しくて、ほとんど我を忘れて、その艶めき、火照る身体をキツく突き上げた。
男として、人として、青島の恋人として、満たされた一夜だった。

想像以上に煽る官能的な身体に、頭が真っ白になって、気遣う余裕もなく貪ったことを、手酷く扱われたと思われただろうか。
ただ、そこまで自分を夢中にさせ、思考も理性も散在させるほど蕩けさせたのは、彼だけだ。
そしてまた、青島も、汗が滴り落ちる腕で直向きに縋ってきたのは、俺を感じてくれていたからだろうに。
もう、手放すなんて出来ないのに。
あの甘さを忘れるなんて、出来ないのに。

狂暴な内なる感情は、抱いてしまう前より、鮮烈だ。



室井は親指でクイっと青島の頤を持ち上げる。

「・・・・なんですか」
「おまえ、今更、何を脅えている?」
「・・・・・・・・何も」

思わず顎を掴む手に力を込める。

「・・・ィ・・・ッ」
「・・・なら、そういうことにしといてやる。ただし、おまえがどう思おうと俺が選ぶのはおまえだけだ。昼も夜もだ。それだけ、覚えておいてくれ」
「!!」


青島が勢いよく振り仰ぐ。
その目が驚愕に開かれる。

やがて、視線を伏せ、頬を緩めたその表情がふんわりと照れ臭そうに和らいだ。
恥ずかしそうに顔を背けても、喜びを隠せない長い睫毛に、丁度朝日が射し込み、瞳が飴色に瞬いていく。
室井は訳も分からずその変化に魅入った。


「青島・・・?」
「ほんとに・・・・?」

震える唇から小さな声が漏れる。

「なら、候補くらいにはしといてあげます。・・・・一番初めの」




無意識のうちに、室井は青島の唇を奪っていた。
どうして泣いているのかも、本当のところは分からない。
でも止まれない。

こんな眩しい表情で、自分が良いと言葉にされたら、抑えていた欲望がまた溢れだす。

何度も何度も唇を重ねる。
羽毛ごと、胸に抱き込んで口付けていく。
青島の手も室井のシャツの背中をきゅっと掴み、甘くキスを返してくる。

口付けを解き、想いのままにぎゅっと抱きしめ返して青島の髪へと顔を埋めた。

「あおしま・・・・」

思わず呟いた声はみっともないほど擦れていて、朝霧の様に朝の光に溶けていく。


どうにかなりそうだ。
このままでは留まれなくなりそうで、室井は青島の身体を引き剥がそうと、肩に手を掛ける。
しかし、今度は青島の方から更にきゅっと抱きついてきた。
室井の耳や首筋に愛おし気にキスを仕掛けてくる。
湿っぽい吐息が首筋にかかり、青島の濡れた唇が触れる。辿る。

「・・・っ」

平衡感覚がなくなるような弾みを感じ、室井はそのまま青島を白いシーツへと埋めた。

ぱふんと羽毛布団の中に沈んだ裸体に乗り上げ、そのまま唇を重ねる。
口を開かせ、舌を押し入れる。
柔らかく沈む温かくふわふわした裸体を組み敷き、この腕に抱き込む。
羽毛の中から、長く美しい手足が惜しげもなく表れ、室井に纏わりついてくる。

甘い唾液が昨夜の熱を思い起こさせ、簡単に濃密なキスへと変化した。





口付けをなんとか止めて、青島を見下ろす。
額にゆっくりと唇を落とし、愛しさを必死に押しとどめた。

「むろいさん・・・・」

掠れたままに、甘く舌っ足らずに自分を呼ぶ声は、どうにも酔わせる。
朝日でカナリアに光る瞳が、まっすぐ室井を映していた。
必死で取り繕う理性の壁を、いとも容易く無下にするのを感じ、その堤防の低さに思わず弱音が漏れる。

「青島・・・・止まれなくなる・・・・」

耐え入るような声で懇願すれば、青島がゆっくりと室井を見つめ上げた。
至近距離にある、薄く透明な水を湛えたその瞳に、惹き付けられる。

これは、自分のものだ・・・。


「帰したくない・・・・」


「嫌われたかと思った・・・・」
「――何故」
「だって・・・・・・室井さん、そっけない・・・・」
「どんな顔していいかわからない。始まりの今朝からを」
「何ハズカシイこと言ってんの」
「おまえが言わせた」

「飽きてない?」
「飽きる訳ないだろう。今どれだけの理性で我慢していると思ってるんだ」
「一晩抱けば充分、とか」
「俺は案外しつこいんだ」
「――でしたね」

青島がようやく、屈託のない子供のような表情を見せる。


「昨日から俺たち擦れ違ってばっかですね」
「全くだな」
「相性悪いんじゃない」
「かもな」
「止めといたら?」
「ここまで来て、か?」


口の端を持ち上げて、青島が悪戯っぽく笑う。
屈託のない無垢な瞳に吸い寄せられるように、室井は唇を重ねた。


「すまない・・・・・気の利いたこと言えなくて」

ふるふると首を振る。

「身体、大丈夫か」

こくりと頷く。


もう一度、お互いを抱き締め、唇を重ね合った後、室井が名残惜しそうな顔のまま身体を起こした。

「シャワーでも浴びて来い。その間に簡単な朝食でも用意しておいてやる」
「・・・室井さんは?」
「俺は週休二日だ」

そう言って青島の手を引き上げる。

「なーんか不公平な気がするのは俺だけ?」
「・・・・確かにな」

俺こそ休みたかったのに、と青島が乱れていた髪を掻き上げる。


「バスタオルは風呂場にあるから」
「・・・どうも。・・・・・なんか、照れくさい」
「馬鹿言ってないで、早くしろ」

くしゃくしゃと、その柔らかい髪を室井も掻き混ぜる。

昨夜、ベッドの上でこの髪が無造作に揺れていた――・・・淫らな高い声と共に・・・自分の律動に合わせて・・・・
蘇る淫蕩な記憶に、慌てて思考を閉じる。
室井は意識して視線を逸らした。
そんな室井に気付くこともなく、青島は落ちていたシャツを羽織って、白い羽毛の中からもそもそと這い出てくる。
・・・・・と。

「・・・ぁ・・・っ」
「・・・・とっ」

カクンと膝から崩れた青島が床に倒れ込む前に、なんとか室井がその身体を支える。
そのまま、青島は室井の腕に縋りながら、ズルズルと床へとヘタり込んだ。

「どうした?やっぱりどこか痛むか・・・?」
「室井さん・・・・・」

情けない顔をして、それこそ本当に縋るように青島が室井を見上げる。

「――・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・立てません」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・休暇届けを申請してくる」




「い・・・・・・・やだあぁあぁぁぁ!!!!!」
室井の困り果てた顔の横で、そんな恥ずかしいことするなと、昨夜とは違ったあられもない青島の声が、部屋に木霊した。






~~~~~~~



そのまま青島は、室井宅で週末を過ごした。
その間、一歩も外には出ていない。・・・・というか、ほとんどベッドからも出させなかった。
一度で良いと思われていたなど心外だったので、それを身体で思い知らせてやることに専念した週末だった。




緑に光る朝日が街を照らす。

木から落ちてきた水滴が当たり、室井は首をすくめた。
首筋に手を当て、木の上を仰ぎ見る。
雨はすっかりと上がり、雲の切れ間からは眩い朝の陽差しが射している。
夜毎に降る雨は、確実に秋を深めていく。
紅く色づき始めた木の葉の一枚一枚に残る水滴が、きらきらと光を反射していた。


全く。
いい歳した大人が、と眉を潜めるが、甘く蕩けるような幸せが、朝になってもここにある。
二人で踏みだした未知なる未来は、まるで子供の頃抱いた冒険心のような躍動感と瑞々しさを残した。
夢中になって駆け回った遊び場の、土と木々の匂いが蘇る。
何も変わらないと願い、何も怖くないと信じていた遠き故郷の温もりは、こうして二人で居る時、今も褪せずにそこに在る。


思えば恋は最初からここにあったのだ。
出会ったあの日から始まった恋は、目が覚めても、朝日が昇っても、未だ抜けきらぬ酒のように、この身を浸し、酔わせていく。
その酔いが、己を突き動かし、強く在る源に変わる。
なんて酔狂だ。

酔っているのか、これは酔わされているのか。


この恋に、捕らわれた時からずっと、胸を詰まらせるようで、堪らなく心地良い酩酊感が、今もここに漂う。
きっと、それは一生消えない――






「青島。行くぞ、遅刻したくない」
「はぁい」

夢は醒めない。
酔いは醒めないまま、俺たちの旅は続いていく。








happy end


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これにて、完結です。
初小説。これだけ書くのに半年以上かかっちゃった。7ヶ月?8ヶ月?うわぁ!
青島くんが妙に簡単に落ちちゃったので、もっとこじらせてみたりとか。或いは青島くんからの告白とか・・・?色々考えた。
でも私の中の青島像解釈からすると天と地が ひっくり返っても青島くんから好きって言うことはないんだよなぁ。どうしましょう。
もう少しエンターテインメント性に富んだお話や、シチュエーション的にもおとなし過ぎたので、もっと暴れた感じとかでも楽しそうでした。
それでも最後に踊れて幸せでした。ありがとうございました!
20141023