たいせつなものは






「室井。お前、なに考えてる」
 どん、とデスクに突かれた腕の先を見遣ると、眉間にしわを寄せた一倉が室井を見下ろしていた。
 いつかもこんなことがあった、と思いながら、室井は一倉を見上げた。
「それは俺の専売特許だと思ってた」
「ああ?」
「眉間のしわ」
 言われて一倉はむっ、としわをいっそう深くし…室井は苦笑して立ち上がった。
「廊下に出よう。…ここじゃできない話だろう?」
 ちらり、と中野がこちらを見遣るのが見えた。





 コーヒーが入った紙コップを渡し、室井は窓の外を見た。
 今日の東京は、重たい雲に覆われている。いつかもこうして見た、どこまでも突き抜けるような青い空は拝めない。
「薬対のよりうまいと思う」
「どうせ薬対はインスタントさ」
 妙に拗ねたような口調に、また苦笑が漏れる。
 …それが、かんに障ったらしい。一倉が室井を睨み付けた。
「なに落ち着いてやがる。なに考えてるんだ」
「…なにを言わせたいんだ?」
 視線を動かし、一倉をはっきりと見た。
 一倉はたじろぐことなく、室井の目を見返した。
「お前がどんな絵を描いてるのかってことだよ」
「…お前が望んでる通りさ」
 それは、一倉がみたことのない表情だった。
 警察大学で連むようになってからずっと、室井のイメージは清廉なものだった。ときに頑固にすぎるほどのまっすぐさが…自分にないものだからだろう、好ま しく、そして守らなければならないと、なぜだかそう思っていた。
 われながら世渡り上手で、腹の中を隠して笑うことも頭を下げることも必要ならば、と割り切っていた。いつかはこの自分が頭を下げる相手など一人もいない 椅子に座ってみせると…そう思って。
 しかしいつからか、その椅子に座るのは自分でなくてもいいと思い始めていた。自分よりも気高い理想を掲げる男たちがいる。自分よりも熱い信念を持つ男た ちがいる。そいつらが描くものを、見たいと思った。できることなら、その手助けをしてやりたいと。この自分が頭を下げるだけの男が、そこに座ればいい。
 しかし…それは、今こんな昏い笑みを浮かべるような男のためではない。たとえその元凶をつくってしまったのがこの自分だとしても…断じて。
「…崇龍会には手を出すな。まだお前が出る段階じゃない」
 低く絞り出すような声に、室井は余裕の笑みを返した。一倉がそう出るのは計算済みだったというわけか。
「なぜお前が言う?俺に情報をよこしたのはお前だ」
「お前を動かすためじゃない」
「友情か?おもしろいこと言うじゃないか」
 くっ、と小さく笑って室井は言った。
「お前がにこにこ笑ってたって、別のこと考えてるってのはお見通しだ。…お前がなんと言おうと、俺は動く。崇龍会をつぶす」
「室井…!」
 聞き分けのない子供に対するような声が室井の名を呼び…室井はうるさげに背中を向けた。
「安心しろ、お前の計画がほんの少し早まるだけだ。早く薬対に帰ってあちこち連絡するんだな」
「室井!」
 室井が立ち止まった。ゆっくりと振り返る。
「そうだ、聞いておこうと思ったんだ」
 じっ、と一倉を見た。
「俺が動き出してすぐお前が来た。…ニュースソースはだれだ?」
 一倉は答えなかった。
 その表情で、室井は答えを知ったようだった。
「中野に報告義務を課したのはお前でも、今は四課の人間だ。余計な手出しはしないでもらいたい」
「…中野を切るのか」
「切らないさ。大事な片腕だ。…今度のヤマはただの花火。次の一発があがるまではいてもらわなけりゃ困る」
 室井は用は済んだと言わんばかりに背を向けた。
「室井!」
 一倉の叫びに、室井は振り返ることはなかった。







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