今も、遠い未来も
「最近、変なのと連んでるって」
すみれは唐突に切り出した。
冬の潮風に、すみれのまっすぐな髪は舞い踊るようになびいている。それを手で押さえながら、しかし視線は室井から離さなかった。
室井は苦笑した。
近日中に会えないかと電話を受け、非番の今日、彼女を海に連れだした。…いつか、青島と来た海へ。
室井の丁寧な運転に、少しだけ肩の力を抜いたように見えたすみれだったが…どんな相手にでも、臆することなく言うべきことを言う。彼女はなにも変わらな
い。最高の仲間ですと、青島が評した通りの。
「…なに、笑ってるの」
室井の苦笑に気分を害したのかと思ったが、すみれは柔らかな表情を崩していなかった。…水平線を見ながら浸っていたものに、気づいていたのだろう。
「青島が、言ってたんだ」
「なに?」
肩を並べて立ち、すみれは室井を見上げた。
「犬飼いたい、って」
「…やっぱり同じ種族だからかしら」
「俺もそう思ったんだ」
俺、と言った室井に軽く目を見開いて…すみれは笑った。
「きっと室井さんはこう答えた。何十匹でも飼ってやる」
「…青島は、君にはなんでも話したのかな」
「いーえ、ただの推測。当たったのね?」
青島にどこか似ている、悪戯っぽく光る目に、室井は軽くうなずいた。
「どうしてわかった?」
「わかっちゃうのよ、すみれさんには、なーんでも」
そう言ってから…すみれは、ふう、とため息をついた。
「…なんちゃって…。ホントはなんにもわかってない…」
珍しい…というよりは、初めて聞く、すみれの弱音だった。
すみれは、きっ、と室井を見た。
「どうしちゃったの。なんでやくざと連んでるの。青島くんとの約束は?…青島くんがいなくなっちゃったら、誰でもいいの!?」
不意に起こった嵐に、室井は面食らった。
「答えてよ…!」
すみれは、眦に涙を浮かべていた。
「青島くんのこと、忘れないでよ…!!」
室井の胸を、ぽかぽか叩く。
「どうして…っ!」
こらえきれなくなって、ぽろり、とこぼれた涙が…美しい、と思った。
腕を伸ばして、すみれを抱き寄せ、嫌がる身体を抱き込んだ。
「馬鹿…っ」
室井は答えず、すみれの頭を、胸に押しつけた。
誇り高い彼女が、涙を見られることなど望まないだろう。…そう思ったから、腕を伸ばした。そうでなかったら…あの日抱きしめた暖かい身体を思い出したか
ら、だろう。
柔らかで、胸にすとんとはまりこむ小さな身体からは…少しだけ潮の香りがした。
あの日、あの店で彼と…優司と出会ってから。
週末ごとにあの店でおちあい呑むのが、まるで約束事のようになっていた。
話すことは少なかった。
優司は青島に似ていると思ったが、彼は青島のように饒舌ではなかったし…多く会話をすれば、互いに後ろめたさが残るだろうと、思っていた。
ただ、青島と似た雰囲気の男が隣にいてくれるだけで…なぜだか呼吸が楽になった。
青島が死んで、日常から少しずつ彼のにおいが薄れて…それでも生きていくと、この傷を癒さずに血を流し続けて死ぬのだと、約束だけは守るから、一秒でも
いいから早く青島、君の元に行きたいと…叫び続ける毎日に、ほんのいっとき訪れる安らぎ、だった。
錯覚なのはわかっていた。これはごまかしだと。
…それでも…彼の隣に、座りたかった。
これは…この感情は。
「恋なんかじゃないんだ」
きっぱりとした室井の口調に、すみれは顔をあげた。
すでに涙は乾き、室井が買ってきた缶コーヒーで、冷え切った指を温めていた。
「こんなふうに君と話していても、考えるのは青島のことなんだ」
室井は、すみれを見下ろして苦笑した。
「ああ、恩田くんと話してたなんてばれたら、きっとやきもちを焼く…って」
「青島くん、やきもちなんかやくの?」
すみれの声は、すこしだけ鼻声だった。
「やくんだ。失礼かもしれないが、君が俺を好きになったらどうしよう、なんて馬鹿なことまで言ってた」
「ほんっと馬鹿ねえ…」
「だろう?」
室井が頬を緩め、ようやくすみれも笑うことができる。
「それくらい馬鹿だから…勝手に、死ぬんだな…」
ぽつりと言った言葉に、はっとする。
…室井は、遠く水平線を見ていた。
「ずっと一緒だと思ってた。約束を果たすまで、俺は死ねないと思ってたし…あいつが死ぬなんて考えたこともなかった。いつか俺が警視総監になったら、あい
つがごちそう食わしてくれるって言ってたのを楽しみに、がんばるつもりだったんだ」
まるでご褒美をほしがる子供のような口調に、すみれが小さく笑う。
…これが、ほんとうの素顔の室井、なのだろう。きっと、青島くんは毎日見つめてた…。
「…それを奪った奴らを赦せない」
不意に口調に昏い響きが宿った。
「青島がなにを探ってたのか。なにを掴んでいて、なにに巻き込まれて…誰に、殺されたのか」
すみれは、目を見開いた。
それは…『触れてはならないこと』では、なかったのか…?
突然の「一課への応援」を訝しまないわけがなかった。連絡が途切れ、室井さえ居場所を知らない、そんな「応援」などあるものか。なにかがある。でもそれ
はきっと…『触れてはならないこと』。そう思って、あきらめるしかないのだと…
室井は、すみれをはっきりと見つめた。
「青島は殺された。おそらく、崇龍会にいる村井という男が関わってる。…俺は、こいつを赦さない」
「室井、さん…」
こんなに厳しい表情をした室井を見たことはなかった。…いや、厳しい、のではない。
憎しみのこもった、暗い目をしていた。
「青島を愛してる。今も、これから先も、胸を張ってそう言いたい。だから…必ず真実を突き止める。青島がなにに関わっていて…なぜ殺されなければならな
かったのか。それを突き止めて…」
「室井さん!」
たまらなくなって、すみれは叫んだ。
その先の言葉を、聞きたくなかった。室井の口からは決して言わせてはならないと、なぜだか思った。
室井は、すみれをじっと見つめ…そして、柔らかく笑いながら、しかしきっぱりと言った。
「村井を殺す。崇龍会をつぶす。絶対に」
青島が愛してやまなかった清廉な魂が、澱んだ淵に、堕ちていった。
