バーボンはふたつ
ずいぶんと遅くになって部屋に現れた優司に、村井は嫌な顔をした。
「…呑んでんのか」
「まぁね」
ふらり、とソファに身を沈めて、優司はネクタイを緩めた。
「あー…こういう堅苦しいカッコ、嫌い…」
「じゃあしなきゃいいだろ」
村井は苦笑した。
どうしたって「らしい」格好が似合わずに、せめて、とダークスーツをいつもきっちりと着込んでいる。それでも「らしく」ならない優司は、毎日鏡の前でう
なっていた。
村井は優司が緩めたネクタイをするりと抜いて、ボタンを一つずつ外した。
「どこ行ってた」
「昨日の店…」
「馬鹿だな」
村井は呆れて、優司をぽかりと殴った。
「いってぇ…」
「普通近寄るか?」
「俺は近寄るんですよ」
殴られた頭をさすりながら、目を閉じる。…村井の声が心地よいと思い始めたのは、いつからだっただろう…。
「飲め」
差し出された冷水を受け取り、頬に当てる。
「…なんで行ったんだって、聞かないんですか…?」
少し考えて、村井は言った。
「『なんで行ったんだ』?」
その口調に小さく笑い、優司は答えた。
「…四課のトップに、会いに」
馬鹿、と言って村井はまた優司をこづいた。
「四課の動向、知りたかったんですよ」
「そんなの、“東京”が教えてくれるだろう?」
「“東京”は、本当の事は言わない…」
「…背中預けて仕事ができないってのは辛いね」
村井はふざけた口調で言ってから、不意に真面目な顔をした。
「で、動向は探れたのか」
「ぜーんぜん。くっだらないこと、聞かれました」
「…なんて?」
「『君は足を洗わないのか』、だって」
そして、思い出したようにぷっと吹き出す。
「…俺、そんなに似合わないですかね、この稼業」
「そりゃあ…」
村井はしばらく考えて言った。
「似合わないな。まいんち鏡の前で思ってるだろ?」
「俺、けっこう行けるかもって思い始めてるんですけどねぇ…」
ゆっくりと目を開いた。
生活のにおいのしないこの部屋は、どこか違和感を感じる。…けれど、“ホーク”と連むようになってからはほとんど毎日、ここで寝起きしていた。
ぐらりとゆがんでいた視界が、ゆっくりと正常に戻っていく。
「…“ホーク”」
「なんだ?」
いつの間にか隣に座っている“ホーク”を見つめる。
「あんたはなんで、この稼業を?…組織を抜けて…もとの暮らしがしたいとは、思わない?」
“ホーク”は顔を顰めた。
「おいおい。四課に毒されてきたのか?」
「いいから。答えて」
ずるり、と“ホーク”の肩に頭を乗せる。
「…もう、抜け出せないのさ」
優司の肩に、“ホーク”の腕がまわり、引き寄せられる。
「この世界は、一回入り込めば足を洗おうとしてももう抜け出せない。…病みつきになっちまうのさ。この世界でしか生きられない体に、なっちまうんだ…」
はっきりとした意図を持ってうごめく腕に身を任せながら、優司はさらに問うた。
「…そう言うってことは、足を洗おうとした、って…こと…?」
しゃべりすぎに、気づいたのだろうか。
“ホーク”が優司の顔をのぞき込んだ。いつもの、表情のない顔。
「さてね」
その答えに満足して、優司は“ホーク”の肩に腕をかけた。
「…おや、どうした?」
「誘ってる。…わかんない?」
「誘われた経験があんまりないんでね」
「嘘吐き」
「いいや、嘘じゃない。誘われる前に、いつも奪い取ってる」
「…なるほど」
「俺が聞きたいのは…どうしてお前が誘ってるのかってことだ」
「欲しいから」
優司の即答に、“ホーク”は唇の端で嗤った。
「…嘘吐きは、お前だな」
「なんとでも」
唇が近づき、合わさるのを…まるで夢の中のできごとのように、ぼんやりと見ていた。
ごめんなさい。
誰に謝っているのかさえも覚えていられなくなるくらい…陶酔した時間が、これからやってくる。
