ただ、忘れないだけ







 振り返るつもりのない背中から目を離さずに、暗い廊下を歩いていた。
 ここ二週間ほど、嫌みなほどに、村井の背中を追いかけていた。九嶋は「貼り付け」と言った。だから貼り付いてやっている。もうすこしやり方があるだろ う、と九嶋の視線は語ったが、知るものか。これが、俺のやり方だ。…意図を隠そうとせずにいれば、どうしたって気にかかる。その気にさせて、こちらを向か せて…あとはまあ、臨機応変に?
 九嶋が気になると言った村井は、優司と同じく新参者。横浜の組織から紹介されて、とのことだった。無表情で無口で、一見もの静かな男だが、どうしても職 業を違えようのない危険な雰囲気を身にまとっている。それに気圧されてか、村井は着実に組織の中で基盤を築いていた。九嶋も、村井を信用していると思って いた。…それが、なぜ。それを知りたくも、あった。
 新参者同士仲良くしよう、となど言い出そうものなら…どんな表情が返ってくるだろうか。…鼻で笑うか、目で殺されるか。それとも…
「おい」
 …苦笑まじりの背中が、振り向いた。
 村井のマンションの扉に手をかけて、村井がこちらを見ていた。
「…なんですか?」
 優司は首を傾げた。あからさまに後をついてまわる優司を、あからさまに無視していた村井が声をかけることなど…初めてだった。村井に取り込もうと思って いたくせに、村井から声をかけられるなど、考えていなかったのだ。
「寄ってくか」
「…入れてくれるんですか?」
 真意を隠そうとしていなかったのは、村井の方だった。
「おまえ、“ハンニバル”、だろう?」
 優司は目を見開いた。
「…ビンゴ」
 そして、『上』から教えられていた、彼のコードネームを口に乗せた。
「…じゃああんたが、“ホーク”ですか」
 優司が伸ばした手を、義理だと言わんばかりに軽く握ってから、村井…“ホーク”は軽く肩をすくめた。
「カルタゴの英雄、か。…ヒーローになりたくてこの商売選んだんなら、間違いだったな」
 優司は開かれたドアに滑り込みながら、“ホーク”を見上げた。…この男は、長身だ。
「違いますよ」
「ん?」
 鍵をきっちり閉めて、“ホーク”は優司を見下ろす。
「カルタゴの英雄じゃない。…『特攻野郎』です。知らない?」
 “ホーク”はひとつため息をついた。
「“東京”はろくでもねえのをよこしたな。…でも」
 そして優司の肩を押して、部屋に入れた。
「特攻野郎は、嫌いじゃないね。猟奇殺人者より、よっぽどいい」
 靴を脱いで、優司は笑って見せた。
「見てました?俺やっぱ、ハンニバルが一番好きで」
「…ホントにろくでもねぇのをよこしたな。…来い、情報を交換しよう」
 苦笑の後に、不意に堅い表情が戻ってきた。
 あの刑事を殺して、一ヶ月。
 ずぶずぶと深みにはまっていくのを、感じていた。





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