東京スヰート アラカルト
今日は成功した。
なにげなく、家に誘う。「今日は、うちで呑まないか」。…こんな短い言葉を言うのに、こんなに勇気がいるなんて。
きっと下心見え見えの私に、君はふわりと笑ってくれた。
こうして家に誘うのは、初めてではない。これまでにも何度かあった。
デパートの地下やらコンビニやら、そのときによって場所は違ったけれどつまみを調達して、何種類かの酒も買って、ビニール袋を下げてエレベーターを上がる。
最初青島は、私がビニール袋を持つのをとても嫌がった。イメージが崩れる、と言って笑った。仕方なく私は、そこで釘を刺した。
「私は普通の男だ。買い物もするし洗濯もする。あんまり理想的なイメージを持たないでくれ、期待に応えられるかどうかわからない」、と。
青島はちょっと驚いた顔をして…そして言った。
「室井さんはいつだって、俺の理想通りですよ」。
…君の言う理想とは、いったいなにを指すのだろう。
私はいちいち不安になる。
君の理想通りの男でいるために。あといったいどれだけ努力しなくてはいけないのだろう。
そう言ったら、また青島は笑った。「恋愛には努力が必要です。ずぅっと俺の理想の室井さんでいてください」。
…それは、私が釘を刺されたのだろうか。
今日は最初からそのつもりでいたから、ビールに洋酒、日本酒と焼酎と、家にあるだけの酒を呑ませた。すまない、青島。私は別の努力をしている。
ほんのりと顔を赤らめて、ネクタイを緩める青島は、男の目から見ても十分に艶があり、理性を押さえ込むのに本当に苦労する。
自分の限界以上は決して呑まない営業魂を刻み込んでいる青島は、それでも今日はくつろいだ雰囲気に心を許したのだろう。ソファに背中を預けて、くたりと目を閉じた。
「んー…」
同期の友人から、東北出身の人間に酒量の限界はないのか、と呆れ続けられている私は、青島と同量の酒を呑んでも、顔にも態度にもちっとも出ない。
「青島、水飲むか」
「ありがとございます…」
うっすらと目を開けて、青島が応じた。眠気に襲われて、言葉尻もぽやんとしている。
「え、と…今、何時ですか…?電車なくなっちまう…」
隣に座った私を見上げる眦は朱をはいていて…引き込まれそうだ。
「泊まっていけばいい」
そう言って私は、青島のためのコップに口をつけ、青島の顔を引き寄せた。
「ん…」
そのまま、青島の唇に水をそそぎ込む。
受け止めきれなかった水が、つっ、と首筋を伝い…白いシャツに水滴を付ける。
…深いキスで、青島はより力を失って、私に身体を預けてきた。
「青島…」
キスの余韻で熱くなった体を抱き寄せ、シャツのボタンを外そうと、手を伸ばした。
「いい、か…?」
そっと体重をかけ、ソファに押し倒したところで、青島の手が私を阻んだ。
「ダメ、です…」
辛そうに眉根を寄せ…でも、きっぱりと言った。
「まだ、ダメ、です」
そうか、と言う前に、ため息が混じってしまった。
これ以上、どれだけの努力をすれば…。
そんな思いが、つい表に出てしまうのだ。…待てると、待とうと思っていたのに、このこらえ性のなさはなんだ、室井慎次。自責の念が不意に沸いてきて、眉間にしわが寄ってしまうのがわかる。
「…ごめんなさい、室井さん…」
震える声に、はっとする。
青島を見ると、瞳に涙を溜めていた。
「でも…なにもないほうが、いいんです。きっと…きっと、後悔する…」
両腕で顔を覆い、涙を隠す。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
「すまなかった、青島…」
耐えきれなくなって、腕を伸ばした。
「私が悪かった。…顔を見せてくれ」
腕を引き剥がし、涙がこぼれ落ちた痕をそっと拭って、私の胸に抱き寄せる。一瞬強ばった身体を、そっと背中を撫ぜて落ち着くのを待ち…耳元に囁く。そっと。
「待つから」
その言葉に青島が顔を上げ、首を横に振る。待ってもダメだと。青島の決意は…私に身体を開く気はないという決意は、切ないほどに頑なだ。
青島は決して言葉にはしなかったが…私にはわかっていた。
身体の関係さえなければ…この『恋人関係』も、後でどうにでも言い訳がたつと、思っているのだ。
休日をともに過ごし、僅かな時間を見つけては電話をかけあって、甘いキスに酔って…それだけで、十分なのだと。それ以上は望まないから、求めないでくれと、心で瞳で身体全体で、いつも言っている。…血を、流しながら…。
それでも私は、青島が納得するのを待つ気でいた。納得させようと、思っていた。
方法はただ一つしかない。いつだって。
「大丈夫だから。他の奴らにはなにも言わせないから。…必ず、君との約束を果たして…君とのことも、すべての人間に認めさせる。…私を、信じてくれ…」
低く語る決意に、青島はいつも首を横に振る。
「今だけで、いいんです…。でなきゃ俺、一緒にいられません…」
震える声で、そう告げる。別れたいなどとは微塵も思っていないくせに、この男は頑迷なまでに自分の信念に忠実なのだ。
そんな彼に、私はいつも言うしかない。
「待つから」
私の胸に顔を押しつけて、青島は首を横に振る。
繰り返す私の決意を、窓から見える東京タワーが聞いていた。
