東京スヰート アラカルト



 そのとき俺が見つめていたのは、大きな窓から初夏の陽光がたっぷり入る明るい部屋ではなく、それぞれに印象的に飾られた絵画たちでもなく、ただ一人、あのひとの横顔だった。
 綺麗な手が、唇をなぞる。
 …小さな癖を、また一つ見つけて俺は嬉しくなる。
 視線が熱すぎたかな。
 室井さんが俺に気づいて、手招きした。
「…なんです?」
 周囲の人の邪魔にならないように、耳打ちする。
「なんか、気に入ったのあったか?」
 あったら、買ってやる。
 そういう約束になっているのだと言っていた。
 ここは、室井さんの旧友の画廊で、その友達が描いたんだそうな日本画風の版画がいくつも飾られていた。
 久しぶりに会った友達に、俺のことを隠さず話したら、祝福してくれたと、とても嬉しそうに話していた。とても嬉しかったから…礼に、今は評価を得て、決して安くはない友人の絵を買うのだと。
 俺は、小さな笑みとともに返事をした。
「難しいですね、絵って、俺には」
「そうか?そんなに難しく考えなくてもいいんだぞ?」
 低く流れるジャズに、かき消されないぎりぎりの声で室井さんは言った。
「見てて気持ちよくなる絵とか、じっと見てたくなる絵とか、そういうのでいいんだ。値段や評価じゃない」
 そんな室井さんに、俺はまた嬉しくなる。
 …また見つけた。新しいあなた。
 意外だったよ、じっと絵を見つめるあなた。あれはいいとか、これはだめだとか、自分の価値観を押しつけたりしない。とても柔らかなあなたが、ここにいる。…すごく、好きだ。
 一緒にいる時間を短くても持てるようになって、隣にいることに違和感がなくなりはじめて。
 俺は、嬉しくて仕方がなくなる。
 もっと…もっと見せて。俺の知らないあなた。
 あなたに会えただけでも奇跡なのに、こうして隣にてたくさんあなたを知れるなんて、本当に、なんて。
 …なんて、しあわせなんだろう。
「…じゃあ、これ」
 俺は、室井さんが見つめていた絵をねだることにした。
「そっか」
 室井さんは、こともなげに言った。
「どこに飾るか、君が決めてくれ」
「はい」
 飾る場所が室井さんの部屋だということが暗黙の前提で、また室井さんは俺に幸せをくれる。
 窓からの初夏の陽光が、俺たちの影をくっきりと床に刻んで…その影がそっと寄り添うのを、俺は見つめていた。

 



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