Heaven
翌週、室井への処分が伝えられた。訓告。人のプライベートに口を出しているとは言え、軽すぎるほどの処分だった。…青島の芝居が、何一つ疑われていない
証拠だった。
しかしそれでも、室井が追っていた事件からは適当な時期に手を引くように暗に示された。政治だった。昔、自分もやってきた。そう思えば、しっぺ返しを
くったようなものだった。…そんな風に思えるほどに、青島の芝居の方が衝撃的だった。
青島への処分は、室井には教えてもらえなかった。
なんとか湾岸署に連絡を取り、恩田すみれの辺りを憚るような潜めた声が、青島の異動を伝えた。地方都市の交番勤務になりそうだ、と言っていた。
免職にならずに済んだのは、斉藤とやらの働きか。
そう思い、腹の底が熱くなった。
しかし、その時になって、青島の「何も言うな」の意味が、ようやくわかった。
俺があんたをかばう、だから何も言うな。
…そういう意味ではない。
「何も言うな」と言われれば、きっと室井は言わずにはいられない。だから、室井がなにを話しても無駄なように、しむけたのだ。青島の言葉を否定し叫び続
けたことは、「騙された哀れな男」の演出としては、上出来だった…。
相変わらず、青島と連絡は取れなかった。室井の近辺も、相変わらず監視の目がついていた。
…声が聞きたかった。柔らかな髪に触れたかった。手を伸ばせば触れる距離にあったあの幸せな日々が、たった2週間前だとは思えなかった。
二人で描いた楽園の地図は破り去られ、この先の一歩がどうしても踏み出せなかった。
そんな頃だった。
地方出張が決まった。補佐に部下が数名ついてきていた。この頃には、部下たちも室井の訓告の理由を知らされていて、青島に決して会わせてはならないと決
意を固めているのがありありとわかった。自分たちの敬愛する上司を陥れた、許し難い所轄の小僧。それが彼らの中の青島像だった。
ため息を隠しもせずに、プラットホームに上がった。この人混みの中、青島に会える確率などあるわけがない。…それでも雑踏に青島を捜す部下たちが馬鹿に
見えた。しかし、同様に、いや彼ら以上の熱心さで青島の背中を探す俺は、もっと馬鹿だ…。そんな、ため息を。
電車が来るのを待っていると、携帯電話が着信を告げた。表示を見ると、恩田すみれだった。
「…室井です」
誰からだ、とでも言いたげな部下を手で制しながら、携帯電話を耳に当てた。
「すみれ。室井さん、今どこ」
「東京駅だ」
相変わらずの、無礼と紙一重の愛想のない口調だった。
「すぐに青島くん探して」
「それは…」
すみれの声は、焦りを滲ませていた。無理だ、と即答ができない。…が、無理なのは事実だ。そんなに切迫しているわけを聞こうとしたが、すみれの悲痛な叫
びがそれを遮った。
「青島くん、辞表だしちゃったの…!」
「…なんだと?」
「今日、郵送で課長の自宅に送られてきたって。ねえ室井さん、すぐ青島くんを捜して。青島くんを止めてよ…!」
すみれは何度も叫ぶ。…が、携帯電話からの声は、室井の耳に届いてはいなかった。
向かい側のホームに、電車が滑り込んで来ていた。その向こうに、見知った人影が立っていた。その人影は、じっと自分を見つめていた。微かに微笑みなが
ら。
青島…。
声にならなかった。
声にしてはならなかった。
あの日、室井に芝居を演じて見せた男ではない、2週間前まで、たしかにこの腕の中にいた愛しい存在が…室井に別れの微笑みを見せていた。
電車が近づいてくる。行き先の表示が見えた。
北へ向かう列車だ。辞表を出した青島は、どこへ向かうのだろう。室井の、手の届かない所へ…?
やがて列車が見つめ合う二人の間に入り、青島の姿が列車の窓に切れ切れにしか見えなくなる。
…列車が止まった。青島が荷物を持って乗り込む。客席には進まずに、向かい側の出入り口の窓から、室井を見た。
考えるより先に身体が動き、青島の立つ正面に移動した。
…言いたいことがたくさんあった。なのに、言葉が出てこない。青島の表情すべてを見逃したくなくて、立ちつくすしかなかった。
そのときになって、周囲にいた部下たちが、ただならぬ様子の室井に気づき、その視線の先にいる青島をみつけた。室井の正面に立ちはだかり、視界から青島
を奪おうとする。
青島もそれに気づいたのか、少しだけ表情に痛みを載せた。
そして、届かぬ声のかわりに、口を動かした。
さ
よ
う
な
ら
…発車のベルが、鳴り始めた。
