Heaven
すう、と息を吸った。
重たい扉。この先になにがあるのか、青島にはわかっていた。
腹は、決めてあった。
たとえこの身がどうなろうとも…守るべきものはたった一つだった。
こんな日がいつか来ると…遠い未来ではあっても、いつか、必ず来ると。
青島は、知っていた。
そのとき自分がどうするかも、決めてあった。
青島にとっては、約束も未来もどうでもいいことだった。室井がどう思うかさえも。
…ごめん、室井さん。
ぽつりと、心の奥で呟いた。
こんな自分を、室井は軽蔑するだろうか。
…せめて、憎まないでくれたらいいと思う。それから…信じさせて欲しいと。
会えなくなっても…声すら聞けなくなっても。あのひとが、俺を思ってくれていると、信じたい。離れても…時が二人を隔てても。
今頃室井は、扉の向こうで、青島が語ったことを聞かされているはずだった。
ためらいを見せずに、青島は扉を開けた。
室井と過ごすようになって、幸福感に包まれて眠る夜にも、いつも心のどこかにあった黒い恐怖が…その向こうにあった。
遅れて入ってきた青島を、室井が振り返った。
その表情は、怒りに支配されていた。
それまでに聞かされた「青島巡査部長の話」は、室井を怒らせるのに十分だった。
「青島。今の話は本当か」
「…本当ですよ」
にやり、と下卑た笑いを浮かべて見せ、ぐい、とネクタイを緩めた。非難の眼差しが数本分突き刺さった気がするが、艶っぽい視線で返した。…こんな仕草
が、ここ数日で平気でできるようになった。
「真面目な室井警視正どの。取り入っておけば今後何かと役に立ちそうだ。まぁ、いっしょにやんちゃをやった仲だし、いろいろかばってはくれそうだ。…なん
て思ってたんですけど、保険をかけといたわけです、俺の身体つかってね」
「青島…!」
激昂した室井を、冷ややかな声が制する。
「君をかばってこんなことを言っているのかと思ったが、事情を聞いた監察官も君と同じように扱われそうになっている。…色仕掛け、というやつだな。先ほど
君に説明したとおりだ。やり方が下衆としか言いようがないが、所轄の考えそうなことだ」
「待ってください!」
室井が振り返り、正面に座る男たちに叫んだ。
「青島はそんな男じゃない!私は騙されていたわけではありません、私は…!」
「…っていうふうにね、かばってくれるのを俺は期待してたわけです」
「青島!」
「でもばれちゃったから、今度は監察の人ひっかけて助けてもらおとしたんすけど、いやぁなかなかいないもんですね、室井さんみたいに簡単にひっかかってく
れる人って」
青島は苦笑しながら、何人かの男を指さして見せた。
「それでも、あの人と…あの人。なんでしたっけ、斉藤さん?ヨかったでしょ、俺」
「な…っ!」
名前を呼ばれた男は、明らかに狼狽していた。
「何を言っている!」
「あれー。そう来ますか。一回やらしてあげたら悪いようにはしない、って言ったじゃないすかー。やり逃げはダメっすよ」
「青島!」
「だぁから」
なおも名を呼び続ける室井を、青島が面倒くさそうに見た。
「そういうことなんですって。…もうあんたは用なし。ここまでバレたら、俺の警部補昇進、絶対ないじゃないですか。まったくもう、アッチもあんまりうまく
なかったけど、こういうとこも…っ」
ガツ、と音がして、青島が吹っ飛んだ。
…人をこんな風に殴ったのは、初めてだった。
「いいかげんにしろ…!」
これ以上、青島に嘘を吐かせたくなかった。
青島が何を意図しているのかはわかっていた。あの日々は嘘なんかじゃない。騙されているのは査問委員会だ。青島の完璧な嘘と演技に騙されている。…なの
に、それを証明することができない。室井が何を言おうと、室井はどこから見ても「騙された男」なのだ。
床に膝をついた青島が、おもしろそうに室井を一瞥し、それから査問委員を一人一人見た。
「…処分は?」
「同性愛者同士の痴話喧嘩」を見せつけられた査問委員たちは、気まずそうに、あるいは苦々しげに室井と青島を見比べた。
やがて、中央にいた一人が汚物を見るような態度を隠しもせずに重々しく言った。
「処分は来週伝える。それまで青島巡査部長は自宅謹慎。室井警視正は通常の業務を」
「待ってください!」
「以上」
室井の抗議を完全に無視して、査問委員は立ち上がった。
青島も、口を拭いながら立ち上がった。頬が赤く腫れ始めていた。
「…青島」
苛立ちの混じった口調で声をかけたが、青島は室井を見なかった。
「青島」
手を伸ばしたが、振り払われた。横を、査問委員の一人がすり抜けていく。斉藤、といったか、青島をきつく睨んで歩み去った。
「まったく、使えないよ室井さん」
棒読みのような口調だった。
そのまま青島は、室井を見ずに扉に向かった。
一人、室井だけが取り残される。
「青島…!」
なおも青島の名を呼ぶ室井を置いて、青島は扉の外に消えた。
