Heaven
5分の遅刻を自覚しながら、青島はこっそりと湾岸署に入った。青島の遅刻癖は「いまさら」であって、課長たちももう何も言いたくない、と言った風情で青島をじろりと見遣るだけなのだが、無言のプレッシャーを感じるのだ、それでも。
まあ、感じなくなったらおしまいだよな。俺っておっとなー。
なんて、大人げないことを考えながら、首をちぢこめながら刑事課の扉をくぐった。
幸いにして、課長はいないようだ。
かわりにすみれが、弾かれたように振り返った。
「青島くん…!」
「おはよ…?」
誤魔化し笑いを浮かべようとして、すみれの様子がただならないことに気がついた。
切迫した表情で青島に駆け寄り、どん、と胸を突かれる。
「へ?なに、すみれさ…」
「来ちゃダメ」
小声で言われ、袖を引かれるまま刑事課の外に連れ出される。
「ちょ、ちょっとすみれさん、なに…!」
「いいから!」
すみれは青島を引っ張ってぐんぐん歩いていく。やがて休憩室まで来ると、すみれがようやく青島の袖を離した。
「どしたの、すみれさん」
刑事課の面々に内緒で、話したいことがあって…といったことではなさそうだ。すみれはなにかをいいかけては呑み込むのを繰り返している。…なにかがあった。もちろん、よくないことが。
青島は表情を改めた。
「…なにがあったの?」
痛みを堪えるような顔をして、すみれは青島を見つめた。
「…今、課長のとこに」
「なに?」
先を促す。すみれは、ゆっくりと息を吐いてから言った。
「監察が来てる。青島くんに聞きたいことある、って」
「監察?」
睨まれるようなことは、最近してないはずなんだけどな…。腕を組んで考え込む青島に、すみれがぎゅっと目を瞑りながら言った。
「室井さんのこと聞きに来た、って」
「室井さん、の…?」
鸚鵡返しに答えたとき、背後から声をかけられた。
「青島巡査部長」
固く響く声は、袴田のものだった。
ゆっくりと振り返ると、見知らぬ男たちが青島の周囲を囲もうとしていた。答える間もなく腕を取られる。
「なん、なんなんですか、ちょっと…」
「聞きたいことがある。同行願いたい」
「ちょっと…っ」
袴田を見遣ると、袴田は視線を逸らしながら言った。
「監察の方々が、君に話を聞きたいそうだ。…室井警視正との関係を、だそうだ…!」
「室井さん?…おい、ちょっと離せよっ」
連れ去ろうとする腕に嫌悪感を感じて払おうとしたとき、腹に衝撃を感じた。
「ぐ…っ」
息が詰まる。苦しい。膝をつこうとするのを無理矢理立たされて、引きずられた。
なぜ。どうしてこんな強引な。
許されるはずのない扱いに、疑問ばかりが頭を占める。
苦しい息の下で、青島の腕を取る男が吐き捨てるように言った言葉がいつまでも耳の中に響いていた。
「下衆が…!」
連れて行かれたのは、本庁の狭い一室だった。さすがに現職の刑事を、取調室に連れて行くわけにはいかなかったのだろう。…たとえ、手錠こそかけられなかったものの、扱いは被疑者と同じだったとしても。
固いスツールの椅子に座らされ、数枚の写真を見せられた。…室井と連れだって歩いているものから、室井のマンションに入っていく姿、明け方にマンションの前で別れる二人…。
「…最近の監察ってのは、盗撮まで?」
ふてぶてしさを装いながら言って、口の中がひきつった。車に乗せられるときに一発いただいたとき切ったやつだ。
「正視に耐えないものもあるんだがね」
足を組み替えながら、監察官はこともなげに答えた。
「話は簡単だ。君は室井警視正と特別な関係にある」
特別な、と言った口調には、さげすみの表情が隠されていた。
「…それを認めてくれさえすればいい」
青島が、監察官を見た。その強い色に見据えられて、監察官がぐっ、と顎を引いた。
見せられた写真は、記憶を慎重にたどらなければならないほど以前のものまであった。ということは、相当前から目をつけられていたということだ。とぼければとぼけただけ、写真は積み重ねられるのだろう。…それこそ、『正視に耐えない』ものまで。
がんがんと、頭の中で鐘が鳴っている。ひどい頭痛がする。吐きそうだ。
…それを、唇を噛んで耐えた。あり得べからざる未来に衝撃を受けている暇は、今はないはずだった。
考えろ…!
…考えるべきものは、この窮地を脱する方法ではない。それだけが、今わかっているすべてだったけれど。
