Heaven





「今日の予定は?」
「7時退庁、8時帰宅」
「7時半」
「無理。8時」
「7時半!」
「…7時半」
「よろしい」
 きゅ、と室井のネクタイを締め上げて、青島は会心の笑みを浮かべた。
 どうしてなのだろう、といつも思う。自分はただぶら下がってるだけの状態に好んでしておくくせに、室井のネクタイは息苦しいほどに締めていないと気が済まないらしい。
 室井は憮然としたまま、いってくる、と言った。帰宅時間論争に負けたことを忘れたふりをしながら。
 ぱたん、とドアが閉められて、青島がドアに背を向け大きくのびをすると、閉じられたはずのドアが再び開いた。
 …忘れ物?まったくもう。
 青島が小言を言おうと振り返ると、室井がドアから顔だけ覗かせていた。
「来週の土日、休みとれるな?」
「はぁ?」
 突然の言葉にあっけにとられていると、不器用なウィンクが返ってきた。
「旅行行こう。あけとけ」
 それだけ言って、室井はドアを閉めた。
「えっ、ちょっと室井さんっ」
 慌ててドアを開ける。室井はもう規則正しい足音を響かせて廊下を歩いていた。
「おーい室井さんってばっ」
 室井は振り返らずにひらひら、と手を振って見せた。
「だから今日は8時」
 …土日を開けるために、仕事を片づけるのだろう。
 青島は苦笑して答えた。
「了解!」
 ドアを閉めながら、かみ殺し損ねた笑いがじんわりと滲んでくる。
 旅行。二人で過ごせる週末だって貴重なのに、旅行!
 せっかく室井が泊まってくれて気分のいい朝なのに仕事なんて行きたくない、なんて思っていたのに、俄然やる気がわいてきた。
 急いで支度をして、出勤しよう。たまっていた書類をちゃんと片づけて、領収書の精算だってしてしまおう。今日湾岸署の管内で悪さをするやつは気の毒だ。なんたって熱血刑事がやる気に満ちあふれている。
「っしゃ!」
 青島は、食べかけだったパンを勢いよく牛乳で流し込んだ。





 …まだ二人とも、気づいていなかった。
 今日が最後だということに。
 二人がこの部屋で過ごすこと。
 哀しみの色をのせないで、互いを見つめること。
 遠い未来にあるのは、幸福だけだと信じること…。
 破滅は…すぐ、そこまで来ていた。








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