Heaven





 寒いだろうな、と言った友に、秋田と似たようなもんだろ、なんて言ったことを、早々に後悔していた。
 故郷の冬は、こんなに寒かっただろうか、と思い出しながら、そういえばここ数年どころか、下手をすれば10年以上、冬の故郷に帰ったことがなかったの だ、と思い至った。
 …身も心も、東京に慣れてしまって。冬の厳しさ、閉塞感などはとうに忘れてしまっていた…。
 窓の外にちらつく雪は、いつか恋人と見上げたような幻想的なものではなかった。ああ、こんなに降っては、明日はまた雪かきをしなくては。…そんな、生活 感がある。
 知らず、ため息が出た。
 …疲れていた。
 目の奥がちりちりと痛む。どんよりとした重みが、肩にのしかかってくる。
 東京にいた頃とはまた違う、疲労感だった。
 青島の消息は、未だつかめなかった。
 一倉が寄越した新聞記事は、室井の住む町から何十キロも離れた町で行われた祭りで、今から3ヶ月以上前のもの。…それでも、青島を捜し続けてきて半年、 やっと掴んだ手がかりだった。職権濫用一歩手前の調査もした。…それでも、青島の行方は掴めない。
 地方の田舎警察署の署長など、お飾り程度の仕事しかないとはいえ、お飾りとしての立場に甘んじていられる性格ではなかった。それなり以上を自らに課し職 責を全うしようとする室井は、周囲からは疎んじられたり煙たがられたり、ということはなく、むしろ熱心な署長さんが来てくれてよかったなぁ、と暢気な声が 聞こえてくるくらいだ。そして、せめてもの公私混同を避けて休日は遠方まで足を伸ばし、青島を捜す。足跡を残す気のない男の行方を、探している…。
 先週も、収穫はなかった。
 別れる直前、青島が言っていた。「なんだってできますよ、日雇いだってなんだって」。
 その言葉を思い出して、日雇い労働者の多い現場を回ってみたが、この不景気で新顔は敬遠されるらしく、青島らしい男はかからなかった。刑事の経験を生か して、警備会社にでも入っているかと探してみたが、こちらも同様。警察官の再就職先としてはメジャーなものだから、とうに受け入れ先はなくなっている。
 日に日に手がかりはなくなっていき、青島はすでに北海道にいないのではないかという気がしてくる。室井の異動は新聞にも載ったはずで、こうまで痕跡のな いことを考えれば、室井を避けているとも考えられた。
 …潮時なのかもしれない。
 青島は、この自分との再会を望んではいないのではないか。
 そんなことすら、考え始めていた。
 でも青島。あのころの俺とは違う。違うんだ。
 それを伝えたかった。その思いだけで、青島を捜している…。
 窓の外は今日も雪。
 今日何度目かのため息をどう取ったのか、運転を頼んだ地域課の巡査が、申し訳なさそうに声をかけた。
「すみません、署長。あと10分くらいで着きますから」
「ああ…いや」
 我に返り、室井は慌てて言った。
「大丈夫だ。安全運転でお願いします」
「了解です」
 明るい声に少しだけ肩の力が抜け、室井はクッションのよいシートに背中を任せた。
 ここの人間は、冷たく閉ざされた外気とは違って、暖かい。この巡査も、東京から左遷されてきたキャリア崩れに媚びへつらうことも反発することもなく接し てくれる。
 今日も、地方支部の署長会議に、自分で車を運転して出かける、という室井を制して、運転手を買って出てくれた。署長さんには雪道は無理ですよ、俺慣れて ますから。…そんな明るい、物怖じしない言い方は、いない男を思い出させ、知らず柔らかい笑みが浮かんだ。
 …なあ、青島。俺たちが目指した警察っていうのは、こういうのじゃないのか。警察じゃないかもしれない。ひととひととの関係かもしれない。思いやりと、 信頼と。そういうあったかいもので結ばれていれば、たとえ遠回りしても、いつか理想は現実になるんじゃないか…。
 何度心の底を覗いてみても、変わらぬ場所にいる男に、室井はそう問いかけてみた。






 署長会議とは名ばかりで、互いの近況報告と呑み会の約束との交換で早々に会議を終え、室井はコートを片手に会議室を出た。
「室井署長も、いかがですか」
「いや、私は…」
 明日は休暇を取り、西の方に足を伸ばそうと思っている。今夜呑んでしまっては、出足が鈍くなる。…ここの人間は温かいが、飲む量が半端ではない。さすが の室井もつきあいきれない。昔、友人が言った、北の人間はのんべえだ、というのが実感として感じられ、室井は苦笑を返した。
「明日、用事がありますので、今日はこれで失礼します」
「そうですか、では次は是非」
「はい」
 さして気分を害した様子もない笑みに一礼して、室井は交通課に向かった。運転してきてくれた巡査が、交通課で待っている、と言っていた。
 ひょい、と覗くと、彼は同期らしい男と談笑している。久しぶりの語らいを邪魔をするのは悪いかな、という気になってくる。少し迷って、コーヒーでも飲ん でから声をかけよう、と思った。この署もそう忙しくはないらしい。
 自動販売機コーナーで缶コーヒーを買い、玄関近くの小汚い長椅子に腰掛け、プルトップを開ける。
 …と、寒風が吹き込んできた。二重になっている扉が荒々しく開かれ、どやどやと数人の男たちが入ってくる。
 傷害事件でも起こったのだろうか。中央にまだ興奮気味の男が取り押さえられながら連行され、周囲には警察官にはまったく見えない…漁港で働く男だろう か、ビニール製の防寒着を着込んだ体格のいい男も混じっている。頬にかすり傷をつけた男が、慌てて駆けつけた制服警官に往生際悪くまだ暴れようとする男の 腕を預けている。
 どうやら、最近この街を騒がせていた厄介者だったようだ。警察官たちは色めき立って男を取り押さえ、連行してきた男たちに礼を言っていた。
 室井はなんとなしにそれを視界の端に入れながら、コーヒーを飲んでいた。が、豪快に笑う男の言葉を聞いて、我が耳を疑った。
「おまわりさん、こいつとっつかまえたのね、俊ちゃんだからね!賞状くれてやってよ!」
 …俊ちゃん?
 はっと数人の男たちを見る。
 頬にかすり傷をつけた男に肩を叩かれ、困ったように笑っている、頭にタオルを巻いた男。警察官の前に出されそうになって、気まずそうに署の外に出ようと する後ろ姿。
「…青島?」
 考えるより先に声が出ていた。
 決して大きくはない、自分の声に、びくりとしたように肩をふるわせ、ゆっくりと振り返る、その顔は…。
「青島…!」
 探し続けた、男だった。







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