しあわせになりたい 3
7階の大会議室には、今日も報告書類をにらみつける新城が座っている。
昨日の事件からこっち、針のむしろにいるのは新城も同じだ。同じどころか、もっとひどい目にあっているかもしれない。なにせ、「交通課の婦警を孕ませた
あげく、おろせと冷たく言って泣かせた」という嫌疑までかかっているのだから。
当然、捜査員たちは、捜査もそっちのけで各自が個別に仕入れた情報を互いに交換しあい、噂には尾鰭も背鰭もしっぽもついて、いちいち訂正する気にもなれ
ない状況になっている。
そんな訳で、普段から不機嫌な新城管理官の機嫌は、斜めどころか一周してさらにもう半回転していて、もはや怖くてだれも近寄れない。
そこに乗り込んでいった青島の度胸には、日頃所轄を馬鹿にしている本庁の捜査員たちも心の中で拍手を送っていた。
捜査員の心中になどかまっていられない青島としては、いつもの営業スマイルを浮かべて、新城になんとか書類から顔を上げさせなければならない。
「ええっと、新城管理官、お話が、ありまして」
「・・・所轄の刑事に仕事はない。自分の持ち場に帰れ」
「その、捜査の話じゃないんで」
「では、なおさらだ。捜査の話じゃないのなら、本部になど来るな。自分の仕事をしてろ」
「はあ・・・・」
しかし、ここで引き下がるわけには行かない。
夏美の今朝の顔を見てしまっては、今日新城になんらかの返事をしてもらわなければ寝覚めが悪すぎる。・・・目が真っ赤にはれていた。顔色も悪かった。で
も無理して笑っていた。・・・・あんないい娘を、このトーヘンボクが・・・!
気分はすっかり花嫁の父である。
「新城さん!」
夏美の顔を思い出し、勇気を奮い立たせる。
「お話があります。どうあっても、聞いてもらいます」
「・・・君から聞く話などない」
「あ、そういうこと言うんだ。・・・俺、新城さんに貸しがあったと思うんすけど。食事のセッティング、3回ほど」
「!・・・・仕事中だ。プライベートの話なら、休憩のときに聞く」
新城の顔色が微妙に変化するのを見逃す青島ではない。だてに営業成績トップを誇っていたわけではないのだ。
「じゃ、今から休憩しましょう。・・・いいですよね、島津課長!」
青島が大声で呼びかけ、ほかの捜査員と話していた島津が振り返る。
普段から持て余している癖のある管理官が、よけいに扱いにくくなっていることにうんざりしていた島津としては、渡りに船だ。
「ああ、いいよ。管理官、一息入れてきてください」
二つ返事で休憩時間がやってきた。
「ちょ、まて青島」
「待てませんよ!こっちは湾岸署のアイドルの笑顔がかかってんだ。待ってられるか」
強引に新城の腕を引いて大会議室から出ていく青島に、心の中でブラボーと叫ぶ捜査員たちだった。
「単刀直入に言います。篠原巡査のこと、どう思ってんですか」
新城を無理矢理引っ張って、休憩室で対峙している。
青島がさっそく切り出すと、新城は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「君に言う必要はない」
「そりゃそうですけど。でも俺、夏美ちゃんと約束しちゃいましたから。新城さんの気持ち聞いてやるって」
「・・・・それでも、私が君に言う義務はない」
「たしかにね、そうですけどね。・・・でも、あんた、夏美ちゃんの気持ち考えてたことあるんですか」
「・・・・・」
黙ってしまった新城に、ここが正念場、と言葉を継ぐ。
「あの年のオンナノコが、なに考えてるかなんて、新城さんにはわかんないでしょ」
「・・・・君にはわかるとでも言うのか」
「わかりませんよ、俺だって男だもん。だけど、想像することはできる。・・・夏美ちゃん、不安なんですよ。新城さんのこと好きなのに、あんたなんにも言っ
てやらないから。NY研修のことだって、話してないんでしょ。不安になるのは当然だ。・・・だからってまあ、結婚しては飛んでるけどさ」
口調が砕けてきた青島に、新城もふう、と一息つく。
「・・・あれには、驚いたぞ」
「でしょうね」
「彼女には、いつも驚かされる。ずっと遠くにいると思っていたのに、突然目の前に現れる。所轄の人間などに関わりたくないのに、いつのまにか彼女とふつう
に話してる自分がいる。しかもそれが不快じゃない。むしろほっとする。こんなに人間的な自分がいるなんて、正直驚きだ」
「新城さん、それ、のろけ」
からかい半分で言ったのに、新城は青島の予想に反して真顔で答えた。
「何とでも言え。とっくに自覚済みだ」
「なんだ、じゃあ何にも問題ないじゃないすか」
拍子抜けして、肩の力が抜ける。
「だったらなんで・・・」
「・・・不安なのは、こっちも同じなんだ」
「不安?なんで」
新城の意外な言葉に、青島がさらに追求をかける。
「彼女はまだ21なんだぞ!?…なぜ、私なんだ。ほかにもっと若い、彼女に似合う男がいるだろう。それに、彼女は警察官になったばかりじゃないか。私のよ
うな、気の利いたこと一つも言えないような男といるより、ほかに楽しいこととか、やりがいのあることとか、いろいろあるはずだろう!?だいたい私と結婚し
てどうするっていうんだ。官僚の妻が警察官を続けてるなんて冗談じゃない。彼女には警察官が似合っている。私といたんじゃ・・・私が彼女に合うはずがない
んだ。今はその、私のことを気にしていたとしても、それは今だけだ。きっと後悔する・・・」
珍しい新城の心情の吐露に、青島の方が驚いてしまう。
普段の自信過剰気味で自分の信念を貫き通す強気なキャリアはすっかり影を潜め、自分の気持ちを持て余して、臆病になっている男がいる。
それにしたって、と思う。
まったくキャリアって人種はやっかいだ。
何だってこんな簡単なことに気づかないんだろう・・・。
「だから、新城さんはオンナノコの心理がわかんないってんですよ・・・。俺たちとオンナノコは違うんです。俺たちは、やっぱ仕事が一番でしょ。自分がちゃ
んとした基盤もってて初めて恋愛まで余裕が広がる。だけどオンナノコはそうじゃない。まずは自分の気持ちなんです。惚れた男が自分の方向いててくれるって
わかってからじゃないと、なんにも手が着かないんですよ。仕事だってなんだって、新城さん、あんたがいなけりゃ夏美ちゃんにはなんにも意味がない。・・・
言ってやんなよ、新城さん。でなきゃ夏美ちゃんがかわいそうだ。新城さんが言って、そこから先は、彼女が選ぶことでしょ」
「・・・・・・」
再び黙ってしまった新城に、用意済みのとどめの一撃を与える。
「・・・夏美ちゃん、屋上に呼んであります。行ってやってくださいよ」
新城の肩をそっと出口に押し出す。
「彼女への返事、イエスでも、ノーでも。はっきり、ね」
青島に肩を押されても、しばらく新城はじっと考えていたが、やがて意を決したかのように青島を振り返った。
「君には、借りができた」
その言葉に、新城が腹をくくったことを確認して、青島はにやりと笑って言った。
「もちろん、返してもらいますよ。答えがイエスなら飲み代一回分そっちのおごり。ノーなら・・・そうだな、1週間くらい消えない痣を、左の目の回り
に。・・・どうです?」
「・・・覚悟しておこう」
不敵に笑って屋上に向かう新城は、もういつもの嫌みなキャリアに戻っていた。