東京変奏曲Ⅱ









第六章
1.
壊れそうな夜が明けて、凪いだ時間がゆるやかに流れていた。


「おおぅ~、室井さんが出来あがっていく~・・・!」
「・・・・」

膝元に座った青島が両手を叩いてはしゃぐと、何とも嫌そうな顔をして、室井が見下ろした。
まだ煮え切らないらしい。
嫌そうな顔、というのは青島の主観であって、実のところ、少し眉間が寄った気がする変化だ。
だが、すっかり訓練されてしまった観察眼を持ってしてみれば、心底呆れた眼差しであることが一目瞭然だった。
全く付き合いが悪い。
青島はまるっと無視をする。


室井が丁寧に撫でつけた髪に通していた櫛を置き、整髪剤を仕舞う。ネクタイを選ぶ指先が彷徨い、空で留まると、青島も横から伸びをして覗き込んだ。

「あ!それ!そっちがいい!今日のスーツなら無地よりその隣のシルクのネイビーがイイです。・・・イギリス?」
「・・・・」

鬱陶しそうに半眼で振り返るが、結局室井は青島の選んだタイを取る。
サックスブルーのシャツに細かいドット柄はエレガントな雰囲気で、良く映えた。
首元に回し、室井が細長い指先でキュッと締め上げる。

ウェストコートに袖を通す。
スリーピースで誂えた同系生地は背中の尾錠からアームホールまで、室井のボディラインを辿る様にフィットし、鍛えられた筋肉を持つ中年の肉体を彩った。
ファイブボタンを丁寧に上から留めれば、ウエストコートとトラウザーズの曲線美が男の美しさを演出する。
スーツは男の戦闘服だというが、営業時代、身形には気を遣っていたから青島にも男の主張は理解の範疇であったが
こういう貫禄と威嚇、威厳を纏う方向性は、射程外だった。
馴染んだセンスに、年上の男なのだとなんとなく思う。


ブレザーを羽織り、コートを取ると、いよいよと言う気分になった。
グッと手に汗握る。

見慣れた上質の黒いコートが室井の身体をふわっと包む。
全てのボタンをしっかりと留めあげれば、自然と放ち出す貫禄が、総身を圧縮する。

官僚の室井が出来あがった。


「くぅぅ~!完成~!」
「・・・・」
「ふわぁ・・・・なんか感動でした」
「・・・何がだ」
「だって室井さんだ・・・・」
「?」


今日から室井は出勤をする。
これまで付ききりだった青島の世話も一段落が付き、仕事の方も溜まってきているので、登庁することになった。・・とのことだった。
ただ、今後も引き続き新城と共に、この案件にも関わるのだという。正確には青島の面倒を見続けるのは継続されるらしい。

室井が登庁するその間、青島を部屋に一人残すことを室井は酷く頻りに心配していて
事を言いくるめるのに随分と時間を費やした。
まだ半分は納得いっていないようだが。


「こうやって〝室井さん〟が出来上がるんですねぇ」
「――」

言っている意味が分からないという顔をしながらも、室井が少し気配を和らげたことを肌で感じ取る。
青島は見慣れた様相になった室井を、しみじみと見上げた。
ここ暫く、ラフな普段着ばかりで、前髪を下ろしたこの男を見ていたので、別人であるかのような錯覚さえ芽生えそうだった。
だが今、目の前にいるのは、揺るぎなく、そして紛れなく、あの、自分と熱く情熱を交わした〝室井〟だ。
青島の眼が少しだけノスタルジーに染まった。


やっぱり、俺、このひとがいい。

熱く約束を交わしたのも、剥き出しの神経でぶつかりあったのも、みんなこの男だった。
社会に於いて、こんなにも赤裸々な感情を交わしあえたのは、初めてだった。
その強さが裏目に出て、気持ちを擦れ違わせてから、疎遠になってしまっていたが、青島の中では何も変わっていない。
そして、変わらずに今、こうして隣に居られる時間が持てている。
それだけのことが、青島を芯から熟れさせた。


黒い、これまたいつもの見慣れた重そうな鞄を室井が掴む。
玄関へ向かうその背中を目で追った。

室井が襖を越えてから、よいしょとチェストに手を付いて立ち上がり、青島も後を追う。
身体中を苛む傷痕はほとんど痛むことはないが、力を入れるとまだ痺れるような違和感が出る。
特に冷えた朝は、気を使う。

あまり、痛んだりしている様子を、室井には見せたくはなかった。
気遣われるのは嫌というのとはちょっと違う。
必要以上に気重を増やしてしまうことを、したくない。

細身の蜂蜜色のボトムス、ラインに沿ったボーダーカットソーに黒のポロシャツを重ね着。

身体を冷やさないよう包まれた部屋着は、青島の細身の長身をセンス良く強調していた。
今日のコーディネイトも、室井が指定したものだ。
毎朝室井が用意したものを誂える。


暗闇から覚醒した時、零れ落ち、もう二度と手には入らないと思っていた平穏が戻っていて
熱と痛みで朦朧とする視界の向こうに、かつて見慣れた、ずっと焼きついて消えなかった男の顔が歪んでいた。
それを最後に閉ざされた筈の視界も、何事も無かったかのように、広がっていた。
朝が来てもその光景は続いていく。

自分の置かれている場所が室井の部屋であることも、室井が自分の世話をしていることも、未だどこか空想的な感覚が付き纏う。
もしかしたら、ここはまだ、夢の最中なのかもしれない。

実に、性質の悪い白昼夢だ。



靴ベラで、室井が身支度の最後を仕上げる。
その背後に立った。
黒々とピカピカに磨かれた皮靴は、昨夜せっせと磨いていたものだ。

カタンと靴ベラを所定の位置に掛ける音が、完成の合図となる。


「では行ってくる」
「はいっ、いってらっしゃいませ!」
「・・・、何でそんなに嬉しそうなんだ?」
「笑顔で送り出すのは基本でしょ」
「そう・・か・・・・?」

どこか納得していない顔の室井が、首を捻る。
一人外出するこの状況をまだ嚥下できていないことが見て取れる。

「心配しなくても、おかえりなさいも言ってあげますよ」
「・・・・心配してない」
「・・・・・・あ、そう」


じっと見ると、室井もじっと見つめ返してきた。
その漆黒の瞳が何か言いたげだ。

だが、その数多の感情を星屑のように散りばめた瞳は、スッと闇の奥へと溶け込んでいった。


「飯は作り置きのものを温めて食べろ。足りなかったら食材を勝手に使っても良いが刃物や火傷に気を付けろよ」
「電子レンジは任せてください」
「握り飯はそのままでも上手いと思うが。ラップして皿に乗せてあるから」
「・・・・分かってますよ、なに子供扱いしてんすか」
「冷蔵庫に桃の缶詰もある」
「マジで!?・・・・ぁ、いや、そんなことどうだっていいんですよ」

室井が背を向けたまま、確認を促すように、斜め上に視線を投げ、注意事項を口にする。

「いいか、誰が来ても開けるなよ」
「はいはい、室井さんも閉めだしてあげますよ」
「配達を装った来客も電話も一切無視していい」
「はいはい、室井さんの帰るコールにも出ません」
「・・・・私のは出ろ・・・・」

顰め面が三割増しで振り返る。

「ってか、早く行けよ・・・遅刻しちゃいますよ」
「時間配分には余裕を持っているに決まっているだろう」
「遅刻するのに言い訳なんて幾らでも湧いてくるんですよ。階段で脛を打ったとか、扉に顔面挟まれたとか」
「そんなことしてるのか・・・」
「人生不思議ですよね~、足元に気を付けてくださいね」
「この間風呂場で滑ったのは誰だ」
「風呂場はいいんですよ。他で滑られたら困るって言ってんの」
「私の足は地に付いている・・・」
「んな釣れないこと言って。昇進に響いたら笑ってやる」
「・・・・」


とりあえず何かを呑み込んだらしい室井が、ワザとらしく大きな溜息を見せて、扉のノブに手を掛けた。
鞄をしっかりと握り締め、表情に険しさが宿り、隙の無い鋼鉄な男に変わる。


「私が出たら、直ぐに鍵を全て施錠しろ」
「直ぐに?忘れ物したらどーすんの」
「しない」
「へえぇぇぇ」
「カーテンも開けるな」
「黴生えそうです」
「大人しくしてるんだな。くれぐれも外出するなよ」
「靴買ってくれなかった確信犯のくせに、よく言うよ」
「必要ない」
「へぇへぇ」

片肘を壁に付いて、舌を出してやる。

「行ってくる。帰りは8時を回る」
「はいっ、いってらっしゃいっっ」


バタンと扉が閉ざされた。
急にシンと空気が静寂に包まれる。
遠去かる靴底の音。国道を走る自動車の走行音。街の喧騒。鳥の鳴声。
静けさが戻る室井の部屋。

「・・・・・」


ーキラーン-

青島の瞳が鋭く輝いた。











2.
「へっへっへ。よぉぉ~~~やく出かけてくれた。まぁーったく、煩いったら。小姑かっての」

薄気味悪い笑いをうししと零しながら、青島はベッドに戻る。
勿論、大人しく横になっている気などは微塵も無い。
お目付役がいない今日こそは、どうしてもやりたいことがあった。


「過保護というか心配症というか。世話好きなタイプには見えないのになぁ・・・。気使いすぎなんだよね、だからあんなしかめっ面になっちゃうんだよ、あの ひと」

独り言をぺらぺらと喋りながら、ベッド脇に片膝を付き、ベッドの下を覗き込む。

「・・・・・」

むくりと起き上がって、左右を見渡すと、今度は枕元の時計をどかしてベッドボードの裏を覗いた。

「・・・・・、まあ、そんな単純な場所ではないよな。・・・・っと、次は~」


部屋を移動し、押し入れを片端から一個ずつ開けてみる。
丁寧に畳まれたリネン類。
統一された彩度の低いカラーが室井の性格を物語る。

「隅々までキッチリカッチリか。こりゃ女にはモテないな。しかも将来ハゲるタイプ」


襖を閉じたら、今度はサイドボードとドロワーを覗いていく。
家探しは、家主がいないからこそ出来ることだ。
遠慮なく物色する。

ぱたーん。ごそごそ。ぱたーん。ごそごそ。

「違うかぁ・・・、ん~・・・」

畳まれた下着やインナーなどの隙間を覗いていく。
引き出しに仕舞ってまで、色を揃えて綺麗に並べてある。
几帳面な性格が見て取れた。


「んん?待てよ?スキンヘッドの室井さん・・・?プッ、ウケる」

何を想像したのか、手を叩く。

立ち上がり、観音開きの木製箪笥の前に立った。
両手をかけ、開けてみる。

「ここはどうだ!・・・・っかーっ、これまたハズレ!」

天上を向き額に手を宛てる。


「っかしーなぁ・・・・そんな奥まった場所には入れないと思うんだけど・・・」

瞳を妖しい輝きに満たし、青島がクッションをぽんぽんぽんと退けていく。

「ここもハズレかぁぁ・・・、んー」

顎に手を宛て、しばし考え込む。
今日は天気も良く、ナイトブルーのカーテンの隙間から緑色の朝の光が部屋に射し込んでくる。外が燦々と光り、空気が光粒子を散りばめ、少し暗い。


「まさかこの部屋じゃない・・・?――だよな、幾らなんでもあからさまか」

小さく一人言を漏らすと、今度はリビングへ周った。




ぺたぺたと裸足で移動する。

リビングもまたサックスブルーのカーテンが覆っていて、薄暗い。
パッと見ても質素で飾り気の無い部屋である。
テーブルの上に、ラップした握り飯が行儀良く並んでいた。
余計なものが何一つなく、黒縁のシンプルなアナログ時計が規則正しい秒針を刻んでいるだけの素朴な部屋は
まるで室井そのもののような印象を抱かせる。
モノトーンで統一された遊びの無い色彩が、空疎で少し寂しくすら感じさせた。

「・・・・」

同じ黒系家具ではあるが、趣味の物と服に溢れてごちゃごちゃしている青島の部屋とは、あまりに様相が違う。

室井は普段、ここでどんな生活をしていたのだろう。
自分と出会った頃。管理官として戦っていたあの時代。
官僚の仮面を剥ぎ取った室井が、ここで何を想い、何を抱き、どんな生活を送ってきたのか。

なんとなくぼぅっと部屋に佇んだ。



気を取り直し、リビングに並ぶチェストを上から順に開けていく。
ぱたーん。ぱたーん。ぱたーん。
工具やタオル類を押し上げ、底まで確認する。

「っかし~なぁ・・・。ない・・・。でもこんなとこには入れないか」

くるりと振り返る。

「んっとにツマンナイ部屋だよな~、だからあんなしかめっ面なんだろうな、あのひと。やっぱ遊びがないとさぁ」

青島の独り言は延々と続く。

「息苦しく煮詰まっちゃうのは性格だけじゃない気がしてきた。いっつもこーんな顔でさ、あおしま~それはダメだぁ、あれしろーこれしろー」

眉間に自分で手を添え顔真似をする。

「しかも時々何言ってるか分かんねぇ時あるし。
 タンパク質だの脂質だの。アミノ基(-NH2)とカルボキシル基(-COOH)をペプチド結合の違いくらいと思うなとか。だからなんだ!ってかんじだ し。・・・・・あ!ここか!・・・ん~、ないや」

テレビの裏も覗いてみた。

「・・・・。大体ビデオラックがないじゃん。あのひとドラマも映画も観ないん?もしかしてNHKしか点けないんか?・・・まっさかねぇ」


どこで人間観察をしているのだろうか。
刑事とは人の性に触れる職業である。少ない情報から正しく業を汲み取らなければ導けない。時間との勝負なのだ。
やはりキャリアともなると、その辺の心構えに対する意識も、所轄とは違うのだろうか。

「食事してる時だって大仏みてぇなの。ありゃゼッタイ、一人でいる時もずっとあんな顔だって」

青島の独り言はデカイ。


戸棚に回り、本を物色する。
ハードカバーの長たらしく堅苦しい名前の専門書がずらりと並んでいる。
法律系が多い気がする。


「お堅いねぇ・・・・。あのひとの趣味ってなんなんだろ・・・・」

指で辿りながら背表紙をチェックしていく。

「ってか、漫画も雑誌もねぇぞ?どういうことだよ・・・。あ!そうだよ、お菓子もないじゃん!けーさつかんが庶民の娯楽を知らないで何が出来るってんだ。
 だからあんな偏屈になっちゃうんだよ、きっと。うん、絶対そうだ」

うんうんと、頻りに頷く。

「だってあのひとトイレまでついてくるんだよ!?・・・ありえないっしょ!」

ぐるんと大きく振り返る。
勿論、そこには誰もいない。

「・・・・・」



下の段まで本のチェックを再開する。
専門書だけでなく、スクラップブックのようなファイルも並んでいて、室井の事件に対する姿勢が垣間見れた。


「関わった事件かな?・・・真面目だねぇ・・・。疲れないのかな・・・何から何まで手を抜くってことしないしさ・・・」

指先で辿りながら本のチェックを終える。
別に何かが挟まれている様子は無い。

「今も毎日風呂は一緒だしさぁ・・・普通オトコと入るか!?洗うか!?ヘンだろ!?」

両手を広げて振り返る。
勿論誰もいない。

「・・・・・」



スーツを仕舞ってあるクローゼット。

「あ、このスーツ知ってる・・・。見たことあるやつだ。ネクタイはこれが合うかなぁ・・。うひゃあ、やっぱタイはシルクばっかだ。さっきチラッと見た時 そう思ったんだよね~」

丁寧に並べて掛けられているシックなカラーリングのネクタイ。タイピン。チーフ。
流石に量も多い。


「おーおー、金を掛けたブランドですこと」

幾つかを手に取って残光に翳す。
プリズムのように七色が光に反射した。

キャリアは表向き繕う必要性がある。公人として振る舞う義務と、警察官僚としてのイメージを体現する責務。
鎧は、先行投資なのだろう。
戦うフィールドからして違うのだ。
朝食のあと、室井が着替え前に、最後にパンプアップのためのセットを行っているのを見て、仕事への取り組み方を知らしめた。
官僚として、舐められないようにするだけではない、恐らく、周りが皆、そうやってギリギリの戦いを仕掛けるライバルたちなのだ。
その中で伸し上がっていく。
自分たちを隔てるものの大きさを漠然と伝えられている気がした。



隣の鏡台も開けてみる。
ここまでリズムに乗って動いていた青島の手が止まった。

「・・・え?・・・・なんで・・・これ・・・・」

途端、一人騒がしくしていた部屋が一気に静寂に包まれる。
耳に届くのは北風の音。


引き出しには、見慣れた縹色の金襴織物が大事そうにしまわれていた。
靖国神社の御守り。真ん中に傷が入っている。・・・・青島のだ。

あの時、もう死ぬかもと思って夜空に託した最期の願い。
血濡れて、コートのポケットに入れたまま、意識が遠のいて・・・。


「取っておいてくれたんだ・・・・」

いつか、もう一度青島に返そうと思ってくれていたんだろうか。
それをそっと手に取る。
懐かしい気さえする手触りに、少し、胸が詰まった。

俺は今、生きている。


「ばかだなぁ・・・・」

モノクロで堅物。教科書みたいな物言いしかできない冷徹官僚。
でも、本当は熱い情熱を胸に秘めてマグマのように滾らせているのを知っている。
優しい慈悲深いひとだってことも、知っている。
血縁どころか、義理すらない青島を背負い込んで、必死に徹夜で看病してくれて。

トイレだって、ペットボトルを向けられた時はなんて恥知らずな男だと思ったけど
彼だってきっと必死だったのだ。
健康を気遣った食事。安全な休息地。清潔なシーツと温かい風呂。

室井は風呂に入れない間は、毎晩足湯だってしてくれた。
年上の高級官僚に足を洗わせるなんてと、何度突っぱねても、引くことはせず、頑固で、だけど丁寧に指の間まで洗って温めてくれた。

〝気にすることは無い。これも仕事だ〟

定められたレールに従っているだけのような機械的な仕草も、手の抜き方を知らない武骨なだけのあか抜けなさと紙一重に重なっていく。
それはまるで、グラデーションを描く空の様に。


・・・室井がモテない?
確かに第一印象は悪いだろう。
だが、見合いは沢山来ていると風の噂で聞く。エリートキャリアなのだ。当然だろう。
そうしていつかは、見染めた女を娶るのだろう。
きっとその人は、時をかけ、室井の深く静かな愛情に、日々気付かされ、そうして本物の夫婦となっていける筈だ。
穏やかな、極上の倖と共に。

今、正に青島が感じているような生活の中で。



そっと親指で見知った布を撫ぜてみる。

届かないと零れ落ちた筈の願いは、確かに届いていた。
なのに何も与えられないだなんて。
そう言った室井は、何にも変え難いものを与えてくれた。
室井さんに出来て、俺に出来ないなんて嫌だ。
こんなに(文字通り)おんぶにだっこは違う。

相反する像の融合は、音も無く時の経過と共に思いもしなかった変色をし、確かに社会的な輪郭を保ちながらも、青島の人格形成の礎となっている。


不意に青島はその場にペタリとヘタリ込んだ。

――ああぁあぁぁぁ~・・・・・・・俺ってすっごく頼りねぇぇぇぇ~・・・・・


頭を抱え、目を閉じる。

非常に真面目で堅物で、その分、何でも一人で抱え込んでしまう室井の危険性を改めて思う。
直向きな情を傾ければ、きっと、それを背負い、室井は膝を折らず、決して手折れず、空を目指していくのだろう。
なんて、美しいのだろうか。
だが、彼の自己価値はどこにあるのだろうか。
本当に、これで良かったんだろうか。


思い出と連結し、下劣な記憶まで掘り起こされた。

あの時。拘束されていた中であの奴らにされたことが、気疎い煙たさとなって蘇る。
嫌だ。思い出したくも無い。
逃げたくて逃げられなかった悪夢。
自由を迫害された湿ったコンクリート。陰湿に咽返る砂埃。澱んだ空気と下卑た含み笑い。
ただひたすらチャンスを待つだけの退廃な日々。

あれで、この世が終わるのだと思った。
だけど、その後に室井に拾われて、救われて。

もしかして、じゃあ、あのコートもこの部屋のどこかに仕舞われているのかもしれない。

室井に息も止まるほど強く抱き留められ、堕ちていく躯を受け止められた。
あの時、どさくさに紛れてこっちも身分不相応なこと喋っちゃったけど。



不意に沸き起こった、高熱の最中、縋るように甘えた台詞を口走った事実が赤裸々に脳裏に飛来し、青島は頬をスチームポット並みに火照らせた。
ソファクッションにヒキガエルの如く突っ伏し赤面する。

『一人で死んでいくの、やだ』

いや、だって、あのときは必死だったし!
だけど、あのひとだって相当なこと言ってくれたのに。

「あぅぅ~・・・・・・」


『行くな!』
室井の声が今も耳に残ってる。
じんとする。

壊れそうな夜の中、自分を抱き竦める熱い腕。
乞うような熱い吐息。茹だるような室井の手。
流れ落ちる血液は冷たいのに、何もかもが熱くて。
一人で消えていくのが怖くて、怯える心のままに室井の体温を感じていた。

この部屋に運び込まれた最初の夜。
朦朧とする高熱は、意識さえ朧にした。
一人消えていくのが怖くて、必死にあの手に縋ってしまった。
ただ一時、今だけでも、包まれたかった。温かいものに。

・・・・そうだ、あの時は、あのひとも自分のことも「俺」って言っていた気がする。
なのに、朝が来たらもうずぅ~~~っと「私」だもんなぁ。
肩身狭いっての。

そんなことすっかりありませんでした~って、あんなにまで無かったことにされたら、俺だって無かったことにせざるを得ない。
いや、それならば願ったり叶ったりなんだけど。
でも。なんか。


「・・・・・」

ヒキガエルの格好のまま、顔を埋めた青島の動きが止まる。


これは仕事の一環だからと言っていた。
あの時は「おまえ」って親しげに呼んでくれたが、今はもうずっと「君」だ。仕事なんだなぁと思う。
仕事のことでプライベートまで腐食させて、俺一体何やってんだろ・・。

だけど、そんな風に色んな室井を垣間見れたこの奇妙な共同生活は、思いの外、居心地が良く、つい、浸ってしまっていた。
あのひとの優しさを勘違いしそうになる。
時々ふっと雲間から陽光が射すように、室井が表情を和らげるから、つい、甘えてしまっていた。
優しさを本物だと勘違いしてしまっていた。


きっともうすぐ終わりになる。

会えなくしてしまった日々の反動宛ら、近すぎる一つ屋根の下の生活は急速に青島の心を室井に近付けた。
失くしたくない。大切にしたい。
初めからそのつもりではあったけど、このひとのためならば、この身を投げたって惜しくは無くなった。
てっぺんまで、背中を預けて、そして羽ばたいていく姿を見たい。

――言えない。だって本気になったから。

仕舞うものと捨てるものをちゃんと選別して、整理付けて。
いずれ室井じゃないことで頭も胸もいっぱいにして、そう出来るようになりたい。


機械的な職務の関係が、感謝も愛情も伝える術を奪った。
でも、俺は幸せ者だ。
少しでも知ることが出来て、俺は幸せだった。
楽しかった思い出だけを抱いて、お別れしたい。

室井さんの記憶に残る俺も、あったかい思い出だったら、・・・いいなぁ。




「・・・って、だからブツはどこだよブツはっっ」

本日最大の目的がまだ果たせていないことに思い至り、青島はガバリと顔を上げた。
くしゃくしゃの前髪が瞼にかかる。
ガッツポーズをしながらソファから立ち上がった。

トイレにはないことは分かっている。
でも枕元にティッシュ箱はあるんだから、可能性はあるんだ。

「ぜえぇぇぇったい見つけてやっからな!所轄の意地舐めんなよぉ~」



「ここはどうだ!・・・かーっっ、またハズレっっ」

薄暗がりのグリーンに滲む部屋に、不気味な独り言が続いていく。










3.
「おっかえんなっさーい!」
「・・・・ただいま戻った」
「へっへ~、お疲れさまでした!腹減ってます?」
「・・・ああ・・・だが」
「夕飯、少し用意してみたんですよ」
「大丈夫だったか?無理はするなと・・・」
「ああもぉ!他に何かいうことないんですか」

室井から少し外の匂いが纏う。

「・・・・・、ありがとう。確かに良い匂いがするな。これは・・・葱か?」
「正解!」


二人並んでシンクに並ぶ。
鍋を覗き込んだ室井が柔らかい目で青島を見た。
青島も得意げに室井を見つめ返す。

着替えをするため移動する。


「今日一日何してた?」
「ん~・・・・室井さんが如何にすげえストイックな人かを確認した一日でした」
「・・・どこで?」
「オトコにゃやらねばならん時があんですよ」
「・・・・?」







back     next             top

室井さんちでひたすらエロ本を探す青島くん・・・・(一人爆笑)ごめん、これがやりたかったんだよ・・・!このクダリを書きたくて 始めたシリーズでした。満足。
勿論、青島くんの結果は惨敗。室井さんちにエロ本はありません。