第二章
1.
左手から近付いてくる硬質な音に気付き、刑事局のデスクに座っていた室井は顔を上げた。
その相手を見て、表情を険相なものにする。

刑事局は警察庁の内部部局であり、政策的な役割を担い全国の刑事警察を指導統括する。
現在、そこの刑事企画課課長補佐の任務に付いている室井は、捜一や現場に関わることは滅多にない。



挨拶も無く、新城が黙ったままクリップで留められただけのA4レポート紙を差し出してくる。
一瞬眉を潜めるが、関わる筈のない部署の人間がわざわざ出向いてくる理由など、今は一つしかない。
眼光を強め、黙って差し出された報告書を黙って受け取った。

世間話でもするつもりではないだろうが、新城はそのまま立ち去ることもせず、室井の背後の窓際に歩み寄り
ポケットに手を突っ込んでワザとらしく外景を見渡し始める。

これは、直ぐに読めという合図だろう、室井は報告書を捲り始めた。


パラリと紙を捲る音が空調に混ざる。

室内には丁度人払いしたかのように、ほとんどの人間が出払っていて閑散としていた。
時折、数名の者が出入りするくらいである。


「――、・・・一致したか」
「ええ」

レポートを読み続けながら室井がゆっくりと呟く。



青島が救出されて、1週間が過ぎていた。

証言通り、ロッカーからは梱包された未使用の銃がバラされていない状態で数ケース発見され、青島の体内に残されていた銃弾との製造元が一致した。
これを以って、青島を撃った人間と今回のルートが直ちに合致するとまでは言えず、逮捕状も請求するに至らないが
これまでにない有力な状況証拠となる。
青島自身が、皮肉にも体内に物的証拠を抱えて逃げ帰ってきたとも言えた。


「河川敷のメモリーは使えそうか」
「人物がしっかり映っていましたからね。こちらは使えるでしょう。・・・想像以上の大物も映っていましたよ。青島は知っていたんですかね」
「小型カメラにも転送機能を付けさせろ」


新城が静かに笑う。

青島が命がけで沈めたケータイのメモリは、指示された付近の川底の捜索が大規模に行われ、早期に発見されていた。
そこに残された情報は、巨大密輸企業の実体を初めて警察にまざまざと拓かせた初のデータとなった。
これで、銃器薬物対策課の面子が保たれるどころか、捜査は飛躍的に伸展する。



全て読み終えた室井が、肺から息を吐き出しながらレポートを閉じた。
それを横目で確認してから、新城が口を開く。


「青島の容体は?」
「一命は取り留めた。だが、まだ意識が戻らない」
「そう、ですか・・・」


鑑識からの報告には、青島の銃創についても触れられている。
左腕と右足に残された銃弾。足に向けて発砲された銃弾は、骨も一部粉砕していた。
かなりの至近距離から撃たれたものと想定された。
銃創は肉をえぐる。
腹部を掠った銃創は、贅肉を飛ばし、筋肉をも掠めていた。
運良く肋骨などの骨は掠め、内臓損傷を起こさなかったのが幸いだった。


室井はレポートを卓上に戻すと、眉間を指で揉みながらチェアの背凭れに身を預けた。


「命を残せただけでも奇跡だ。銃創というより出血性ショックを起こしていたらしい」
「見舞いには行かれないので?」
「意識のない人間をか?」
「それが理由ですか?」
「・・・・何だ」


新城がようやく窓辺から視線を外す。
室井も、座ったまま新城の方へと顔を向ける。
まだひと気がないのを視界の隅で確認してから、新城がニヒルな笑みを浮かべた。


「やはりあの時、貴方に連絡を入れて正解でしたよ」
「・・・・私は何もしていない」
「貴方の御助言と、何より存在に意味があった」


青島のラストチャンスに賭ける可能性を明確に示唆し、新城の推理を後押ししたのは、紛れも無く室井だった。
あの時電話を入れた相手は局長であり、SATが必要になるかもしれない旨を事前承諾。室井をも呼びだした。
そしてあの夜、二発の銃声が聞こえたという通報を皮切りに、青島からのメールが入り
事態は急転直下の展開を迎える。
王手だとばかりに、新城の采配で室井も現場へと送り込んだ――


連絡手段を断たれ、全てを失った男が、最期に頼るもの。

家族や恋人・・・人に因ってそれは様々だろう。
青島のプライベートなど、知る由もない。
だが新城は、何となく、青島なら最期まで仕事に拘るのではないかと思えた。

最期の最期まで、刑事として生き、この任務に賭けてくる。
そういう熱意を持つことは、認めていたし、感じていた。
ならば、青島にとっての刑事人生は、多分、室井で染まっている。

青島は必ず室井に連絡を入れてくる・・・・!





「室井さん、分かっていますか」
「?」
「青島が最期に縋ったのは、やはり貴方だった」
「・・・・ああ」
「青島にとって、その生命を断つのも繋ぐのも、相変わらず貴方だけだ。堅実な忠誠心ですね」
「・・・・・」


短絡的な推理ではあったが、それは的中した。
やはり青島は最期に室井に連絡を取ってきた。
結果的に、それが切欠となり
携帯の電波と逆探でSATの包囲網を厳選出来たし、警察はゲリラ戦を展開出来た。
手間取らずに青島を見つけ出すことにも成功、そして散っていた当該グループのかなりのメンバーを現行犯逮捕するという成果を挙げた。

その結末は、局長や課長を初め、上層部を甚く満足させ、新城の評価は格段に高まっている。


それを牽引したのが、牽いては室井を起用した独断だと思っている。
桶永が催した独断とは、訳が違うことも、同時に示してみせたと言えた。

新城にとって、それらは極自然な流れだったのに、後になって、室井と青島がここ数年ほぼ連絡を取っていなかったと聞いて
むしろ、そちらの方に驚いた。


「逢われないのですか」
「意識が戻ったら労災について話に行く。今回のことはこちらの特例という形で認定するよう、関係各所にも――・・・」
「そういうことじゃありませんよ」
「・・・さっきから、何だ」


分かっているんだろうという断定の瞳で、新城が室井を視線でいなす。
暫く対峙していたが、室井は溜息と共にその視線を外した。


「別に用はないだろう」
「もう、しらばっくれるのは限界なんじゃありませんか」
「何の話だ」
「貴方が青島を避けている理由の一端が・・・・その真の意図は図りかねますが――もし、3年前のあの事件にあるのだとしたら、私も少しは後ろ暗い」
「・・・・」


珍しく新城が胸の内を明かしたことで、例えそれがフェイクであったとしても、それは室井の深部を抉った。
ばれたか、とでも言うように、頬に綻びを見せ、室井は堅く瞼を閉じる。


「間に合えなかった男に、今更何が言える」
「だから一定の枷を付けたんですか」
「枷、か・・・。そうかもな」
「限定的な効果など、最早幻想ですよ」
「・・・・分かってる」

苦渋の声色で喉を締める男に、新城は言葉を探し、視線を流した。

「青島は、何も変わっていなかったように見えましたが?」
「・・・・・それに甘えろと?」
「ご自分に厳しく当たられるのは御立派ですが、それが必ずしも正解でないことは良い大人なら知っていることだ」
「どうした、お前らしくないな、形式主義の君がそんな感情論に傾倒するなんて」
「――別に。ただ、流石に私も鬼ではないのでね。罪滅ぼしくらいの助言はマナーかと」
「マナーか」


くっと、珍しく室井が喉で低く笑う。

らしくもなく、新城に慰められているらしい。
室井の厳格なまでの潔癖な精神が、室井自身を過去に縛り付けている。
それは分かっているが、割り切れない蟠りが燻るのもまた、事実なのだ。
だけと、時はまた、俺たちを近付けた。


凝り固まった緊張が少し緩んだことを察した新城が、口調を変えて問い掛ける。


「今回の青島の想いに、どう応えるつもりですか。それとも、応えずにまだ逃げるのですか」
「いや・・・・・・」

だが、まだ迷いがある。

「ケジメを付けるのも男なのでは?」
「あまり警察関係の人間が出入りするのも不味いだろう」
「そのことで御相談が」


コツコツと靴音を鳴らし、新城がデスクを回り込む。
時が満ちたと言わんばかりに、気配を変え
室井の前に立ち、背中を向けたまま、視線も扉の方面を向けた。


「信頼できる部下に、それとなく青島の自宅周辺を探らせたのですが、どうやら不審な人物が数名うろついているようです」
「やはり、まだ全部ではなかったか」
「あの夜逮捕出来たのは、それでも極一部であると我々も判断しています」
「実家の方は」
「一応、警備を強化するよう地元警察へ申し入れておきましたが」
「仕事が早いな。・・・病院の方は」
「このことを受け、こちらも院内で青島に関わる医師と看護師を私の伝手で信頼できる人間のみに任せるよう指示しました。・・・今の所はね」
「今のところ?」
「ICUに入っている内は、院内の方が警備は頑丈ですよ」
「意識が戻った後がやっかいということか」


個室に移れば、不特定多数の人間の出入りが可能になる。
警備を強化しても、関係者などに紛れこむことは、充分に可能だ。
そして、それを青島が完治するまで維持し続ける労力もまた、絵空事だった。


「早急に、安全な療養施設を用意する必要性があります」
「そんな場所、あるのか」
「ないでしょうね」
「どうするつもりだ?」
「そもそも、今の青島を動かすことは可能なんですか」
「とりあえず意識が戻らないことには・・・・」


事態は未だ切迫していることを、思い知らされる。
青島を救出できたことは幸いだが、事件は未だ何も解決していないのだ。
敵の全容を把握できていないこちらとしては、後どのくらい残党がいるのかさえ、分からない。
事態は兎角、不利だった。


不意に押し黙った二人の間で、突如室井のデスクの電話が鋭い音を発する。
慣れた仕草で素早く受話器を耳に当てる。



スッと、通話を終えた室井が受話器を戻しながら、重たく険しい表情で眉を寄せた。

「どうやら恐れていた事態が始まりそうだ。・・・・青島の意識が戻った」











2.
新城と室井が病院に着いた時、一通りの検査を終えた青島は既に個室に移動されていた。
新城の父の知り合いだという主治医から、容体の現状と今度の治療方針についての説明を受ける。
それから、その個室へと向かった。

扉の前まで来ると、通路に警備員が二名配置されている。
奥に目をやれば、病室の前にも二名、スーツの男が立っていた。


「少ないな・・・」
「増やすと返って大袈裟になる」
「心配ではないので?」
「警備員の存在は居場所を教えているようなものだ。目立たせたくない」


淡々とした愛想の無い視線を返すと、新城が立ち向かいかけていた足を、ふと留める。
どうやらケータイが震動したらしい。
胸ポケットをまさぐり、先に行くよう目線を向けた新城に、同じく目線だけ返し、室井は扉をノックした。






*:*:*:*:*:


真っ白な壁に真っ白なベッドが視界に入る。

真っ白な朝陽光が真っ白なカーテンから降り注ぎ、いっそ仄かな桜色にさえ見える黄檗色の12月の空気に、室井は少し目を細めた。
たった一つ、他に色も無い世界の中央に、青島は眠っていた。
痛々しい程の真っ白な包帯に包まれ、真っ白な羽毛の中に埋もれている。

数本のチューブに繋がれ、指先から送られる心電図のモニターが規則正しい機械音を奏でる傍で、安らかな白い寝顔は穏やかに見えた。



室井は鞄を置くと、言葉も無くそっと近寄った。


青島の姿を見るのは、あの夜以来だ。

数年ぶりに見た青島は、少しも変わっていなかったのに、血濡れてぬるりとしていて、抱き締めると記憶よりも華奢に治まった。
一般成人男性のリアルな質感はなく、霞のように消えてしまいそうな軽い肉体が、12月の風に晒されて冷え切り
まるで、数年前のあの日の再現のように恐怖と失意が渦巻いた。

余りに痛ましい変わり果てた姿に、涙よりもむしろ怒りが湧いた。
自分がどれほどこの存在を大事にしているか、大切に扱っているか、そんな甲斐甲斐しい願いも努力も知りもしない人間が、知らない所でこんなにも無残に傷つけたのだ。
命さえ、奪おうと。


馳せ巡る苦い記憶は、まるで烙印のように室井を責め立てると同時に、どれだけ大切で心の柱としているかを、思い知らしめる。



室井はゆっくりとベッドサイドに腰を屈め、そっとやつれてしまったその頬へ指先を伸ばした。
何度も躊躇うような指先が震え、やっとの思いを乗せ、その甲がそっと頬に触れる。
柔らかく、そして暖かかった。

生きている。
確かに彼は、ここに生きている。


気配と感触に気が付いたのか、青島の睫毛が数回ふるふると震え、瞼がピクリと揺れる。
ハッとして、壊れ物に触れるように、室井の指先が宙を戸惑った。


その瞼がゆっくりと持ちあがった。


「――・・、」

焦点の定まりきらぬ飴色の瞳が、朝日を受けて朝露のように光る。
思わず息を止めて魅入ってしまう。

その美しい宝石が、室井を映しだした。


「・・ぁ・・・・」
「分かるか?」
「・・ろ・・・さ・・・・」


紅くかさついた口唇が、小さく震えている。

しっかりと頷いて見せると、布団の中から点滴が沢山垂れ下がった手がたどたどしく持ち上がる。
その彷徨う手を躊躇わずに両手で握り締めた。


「・・・お・・・・れ、生き・・て・・・るよ・・・」
「ああ、もう大丈夫だぞ」
「し、んだ・・・と、思っ・・・・」
「似たようなもんだったけどな」
「も・・・、ダメ、だ・・・て・・」


「・・・ばかだな」

思わず涙声に近くなった声を隠すため、喉に力を入れて堪える。
室井の緊張が伝わったのか、握り締めた青島の力の入らない指先が微かに動き、室井の指を握り締めるようにかかった。


「ほ・・・んも・・・の・・・・」
「偽物がいるのか」
「・・あい、たかった・・・・」
「・・・・誰と間違えているんだ?」
「ま、ちがえ、て・・・な・・・・」


もうそれ以上、何も言えなくなって、ただ、お互いをじっと見つめ合った。




長く離れていたのが、嘘のようだ。
こうして目を合わせれば、急速に時は遡る。

変わらず慕い、敬慕の裏に理念と思想の正しさを保障してくれる、確かな答えがここにある。
この瞳に触発され、その輝きに挑発され、燻っていた命の焔が天高く奔騰した。

烈しく生きたい。
魂の隅々まで燃やしてみたい。
精根尽きるまで、戦いぬいてみたい。

己の原動力は確かにここにあり、それは今も変わらず原石のままに、室井の目の前にあった。
今も変わらず、室井を想っていると、透明な瞳が告げている。

新城の言った通りだった。

どうしてこの美しい宝石から、離れられたのだろう。
どうしてあんなにも恐れたのだろう。

逃げたのは、俺の方だった。

何よりも誰よりも大切な物を、この手で傷つけ、永遠に失うことになるかもしれなかったあの日の過重な決断を
遠く離れることで、十字架とした。


こうして見ているだけで、肌が奮起するような躍動が神経を冴え渡らせていく。
こんなにも共に在りたいと細胞が脈打っている。

まるで、万華鏡のようだった。
様々な色合いを兼ねながら、二人、同じ模様を造り出す。


一人でも、生きていける。
だが、ここにあるのは、原点でありエンジンだ。
憧れ続けた、比類なき強さを持つ、俺の、宝物だ。

俺にはやっぱりコイツが必要だ。
我儘でもいい、身勝手でもいい。コイツの隣に立つのは俺でありたい――。



言葉では到底言い尽せない溢れる感情が、湯水のように後から後から溢れ、胸を詰まらせた。
ずっと言いだせなかった本音が、胸の内で渦を巻き、こんなにも厳然と溺れる程に震わせる。
想いが、瑞々しく満ちていく。

不安げに不確かな物を確かめるように室井を見上げる青島の透明な瞳を、ただただ、瞬きもせずに見つめ返した。





「その辺で宜しいですか」

トントンと扉を叩く音にハッと振り向けば、そこに肩を扉に預けてこちらを呆れ顔で見ている新城が居る。
慌てて手を振りほどき、屈めていた身体を起こす。
一拍置き、新城がベッド際にまで近付いてきた。
事の成り行きに戸惑っている青島が、救いの眼差しを送ってくる。


「新城が今の当該本部の管理官だ」
「ぇ・・、あ、の人・・・は・・・?」
「桶永警視正なら、私が解任した」

新城が続きを引き取る。

「おーぼー」
「?・・・・横暴?大きなお世話だ。こんな目に合わせた男を庇うのか」


小さく青島が柔らかな笑みを零す。
体調はそれほど悪くないとみる。


「起きてすぐで悪いが、お前、自分を撃った男がどいつか、覚えているか」

ふるふると、青島が首を振る。

「覚えていないか。それとも見ていないのか」

こくんと頷く。


「銃創は後ろからだったが、かなりの至近距離だぞ」
「外・・・で、建物の、中・・・から、狙われ、た・・・・俺、窓、破って、屋根に、逃げた、から・・・」
「屋根?何をやってるんだ」
「逃げた・・・」
「馬鹿か」
「だっ・・・て、ここが、最後の、チャンス、思っ・・た・・・・」
「そういう時は影を選ぶもんだろう」


青島の無謀な逃走劇に溜息を吐きながら、新城がA4ファイルに挟んでいた写真を数枚取り出す。
青島が撮影したものをプリントアウトしたものだ。


「この中の誰が誰か、名前は分かるか」
「覚えてます・・・・」
「そうか、なら後で一覧表を作成させる。役割とポジションを復習しておけ」
「俺、のデータ、見つけた・・・・んですね・・・」
「この程度の捜索なら、一課をあげれば半日だ」
「役に・・・・立った・・・・」
「――、それはこれからだ」


褒められたいのだと分かっていて、新城は敢えて無情な答えを返す。
それを分かっているのか、青島もしょうがないなって顔をして眉尻を下げた。


「お手柄だった。後は新城が必ず成果を出してくれる」
「勝手なことを・・・・、本当に青島には甘いですね」


それまで二人のやり取りをじっと聞いていただけの室井が不意に口を挟む。
新城がジト目を向けても室井は涼しい顔で、明後日の方へと目を向けた。





*:*:*:*:*:


コンコンとノックの音がする。
一人の看護師が入ってくる。


「医師から連絡を受けました。長時間の面会はまだ避けてくださいね」


言いながら、カラカラと薬剤ワゴンを押してベッド際へと近付いてくる。
点滴が垂れ下がるスタンドラックで止まり、幾つかの薬剤バッグの中から一つを取り出した。


「点滴、追加しますね~」


その作業を、何となしに口を閉ざしたままに見守る。
しんとした空気が、急に息苦しい。
窓は閉められているが、微かに子供の声がする。

看護師が点滴バッグをチューブを連結しようとした時、不意に室井が口を開いた。


「――失礼、その薬剤の内容は?」
「え」
「その点滴の中身を教えて頂けますか」
「あら、どうして?」
「何にでも興味を持つ性質でしてね。お答え頂けませんか」
「聞いても分からないと」
「勿体ぶることはない」
「・・・・」
「看護師なら当然御存知の筈だ」


室井が畳みかけた問いを重ねた途端、その看護師はパッと身を翻し、ポケットから銀色に光るものを取り出し、目にもとまらぬ速さで投げつける。

咄嗟に室井が青島の枕を引き抜き、振り上げた。

キラリと艶を反射したその銀色の物体が、朝陽光を鋭く射す。
数本のメスが羽毛の枕にボスボスと突き刺さり、薄いリネンが鋭く裂けた。
白い朝陽の中に、沢山の羽毛が宙を舞い飛ぶ。



「お前――!!」

新城が怒声を上げ叫ぶも怯まず、女は更にメスを投げつける。
白い羽毛の舞い散る部屋の空気を、ヒュッヒュッと空気を切り裂く音が飛び、銀色に光る凶器が真っ直ぐに向かってくる。

「伏せろ!!」

怒号と共に、室井が鞄を盾にそれを受けとめる。
ドスドスドスと鈍い音が鳴り、見れば鞄に深々と刃渡り5cmほどのナイフが突き刺さっていた。

メスじゃない!


外にいる筈の警備員とSPに聞こえるよう、新城がもう一度大声を出し、ケータイで応援を呼ぶ。
意識が逸れた隙に、女がまた反対のポケットからナイフを数本取り出し、投げつける。
ベッドを激しく切り裂いたそれは、更なる羽毛を宙に舞わせた。


そのまま、新城は手近にあった薬剤ワゴンの中から、なるべく大きめのガラス瓶を女に次々と投げつける。

ガシャーンと派手な音が鳴り響くと同時に、扉が勢いよく開いた。


「こいつも残党だ!捕まえろ!!」

表れたのは扉の前に立っていた黒いスーツ姿の男二人だ。
彼らは、女の姿を認めると、あろうことか、身体を開いて退路を造った。


「――ッ!」
「なにを――!」
「狙いは青島だ!さっきから狙っているのは青島だけだ!」

室井が大声で指摘する。


女が扉の向こう側へと消えると共に、男がスーツの内ポケットへと手を伸ばすのが視界に入る。
それを見た瞬間、室井はベッドから羽毛布団ごと、青島を手前へと引き摺り降ろしながら、身体を回転させた。

ほぼ同時に、ベッドに銃弾が数発撃ちこまれる。

点滴スタンドが釣られて倒され、金属質の音が散乱する。
青島が落ちた拍子に、足が引っ掛かった薬剤ワゴンも薙ぎ倒され、雪崩のように病理危惧が光を描いて扇状にばら撒かれた。


無理な体勢から身体を捩って青島ごとベッド下に身を滑り込ませると、室井は片足で椅子を蹴り上げる。
激しく降り注ぐ刃に、それは容易く弾き返された。
新城が何か言っているが、銃声と怒号で、良く聞き取れない。


病室の外が俄かに騒がしくなる。

チッと舌打ちが聞こえたかと思うと、ベッドの下の隙間から、新城から連絡を受けた階下に待機させていた警備員服を着た警官らが雪崩れ込む様に入ってくるのが見えた。
黒スーツの男たちは威嚇射撃を数発乱射する。
室井はただ、横倒しになったままの青島をシーツごと力任せに胸に抱き締めた。





「・・・・・」

硝煙の臭いと、白くまき散らされた羽毛が、惨劇の残痕を残している。

男が一人、ベッド脇に転げ落ちている青島と室井に近付いてきた。


「室井警視正、ご無事ですか」
「君は――」
「私は新城警視正のSPです」
「そう、か・・・・」
「お怪我は」
「私は大丈夫だ」
「ここはまだ危険です。逃げてください」
「・・・分かった」


シーツと羽毛に頭からすっぽり包まれたままの青島を、男が姫抱きに持ち上げる。

呆然としたまま少し力の抜けた膝に両手を当て室井が立ち上がると、ベッドを挟んだ反対側で身を隠していた新城も心底苛立った感情を隠しもせず身を起こしていた。
酷く髪が乱れ、スーツに付着した羽毛を面倒くさそうに振り払っている。

室井の視線に気付き、口端を歪めた。


「良く分かりましたね、あの女が看護師じゃないと」
「――、ICUから先程出てきたばかりなのに、何故もう点滴の追加が必要なのか、少し疑問に思っただけだ。それに看護士なのに消毒液の臭いすらしなかった」
「・・・・・成程」


まだ正直、衝撃から精神が立ち直れていない。
だが、緊急事態に冷静に対応できないようでは、上に立つ統括者として失格だ。
室井は一息吐くのを合図に、キッパリと気持ちを切り替える。


看護師に扮した女の姿も既になく、スーツの男二人の姿も今は病室からは消えている。
だが、相手は殺すつもりでやってきた。
これで終わりとは思えない。


男は新城にも声を掛ける。

「新城警視正、貴方も避難を!」
「――、私はいい・・・ここを指揮するヘッドが必要だ」
「直ぐに応援が到着致します」
「どうせ奴らの狙いは青島だ!・・・そいつを早く病院から連れ出せ!これ以上他の患者に迷惑を掛けるな!」
「――!了解しました」


促され、室井と男は病室を後にする。
野次馬となり人が集まり始めた病室前の廊下を、逆側に移動し、裏口から階下へと降りた。

タクシー乗り場へと向かう。
幸い、人はいない。

室井が先に乗り込むと、男はシーツに包まれたままの青島をそのまま押し込み、自身も身体を滑り込ませてきた。


「急いでください!なるべく所在が分からない所へ!」


バタンと扉が閉められる。
滑るように車が走り出した。








*:*:*:*:*:


「どこへ向かう気だ」
「いざとなった場合に備え、新城警視正からある程度の指示を受けています」
「新城が?」


まさか、こんな襲撃まで想定していたとでも言うのだろうか。
室井は眉間を顰めながら隣に座る大柄な男を見る。


「病院へ匿うことが困難になる事態が想定されると。その時は、その後のことは室井警視正の判断を仰ぐよう言われました」
「私に?」
「この彼のことは全て任せると」
「そうか・・・・」


それきり、室井は口を閉ざした。


新城が今朝相談があると言ってきた最終目的は、このことだったのかもしれない。
集中治療室を出て、自ら防御も取れない状態の、警備が手薄になった隙を狙ってくるかもしれないと。

だとしても、何故それを自分に頼むのだろうか。

室井と青島の仲を知っているからか。

いや、そんな単純なものではないだろう。それだけでは多分、新城は動かない。
そういう感傷的な思考に左右された判断を下す男ではない。

だとしたら、何を求めている?


・・・・今回の事件は、そもそも、新城だって途中から抜擢された副産的な仕事だった筈だ。
それほど最初から誠意を込めて熱意に向かっていた訳じゃない。
なのに、ある程度全権を与えられているとはいえ、自己判断が過ぎる。
室井を起用したことについてもだ。

浪花節で生きる男ではない新城には、らしくない証明も理由も置き去りにしたような無秩序な決断が、少し異様に感じた。
悪にせよ善にせよ、功を奏している内は摩擦もないだろうが、少し違和感が残る。


ましてや、室井などはここまで捜査にほとんど関わっておらず、最後の最後に軽く事情を説明されただけで、現場に駆り出されたのだ。

これ以上のワンマンぶりは、部下に示しが付かないし、反感を買う。
組織倫理を唱える新城らしくもない。
尤も、そんな悠長なルールを唱えている場合ではなくなってしまってはいるが。



「そうか・・・そういうことか」

そこまで考えて、室井ははたと気が付いた。


この事件に、室井は積極的に関わっていない。
つまり、それは相手にとっても同じことなのだ。
もし内通者がいて、こちらの情報が先方に流れていたとしても、そこに室井の名前はない。

新城は桶永を疑っているわけか。



「室井警視正?」
「行き先を変更だ。六本木へ向かってくれ」


仮に内通者など居なくとも、室井の存在は本部だけでなく襲撃者にとってもイレギュラーであり、つまりマーク対象外である可能性が高い。
ということは、一番安全な場所――それは、室井の自宅だ。







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ということで、ここから二人の同居編となります。
看病ネタ、同棲ネタ・・・、テンプレな話を書きたくて前振りしてたらこんなハードな設定に。