オリキャラ出ます









東京変奏曲3season Ⅳ









第八章
1.
いつかと同じように、滑るように車が横付けされ、バックウィンドウが音もなく下がった。
見慣れた顔を見つけ、すみれは電信柱の影から姿を現す。
近づいて、ふくれっ面のままに封筒を差し出した。
ポピュラーな長形封筒はそれだけで頼りなく揺れる。

「どういうことだ」
「こっちが聞きたいわ。どういうことなの?電話で言った通り、飛び出して行っちゃったのよ」
「他に不審な点はあったか」
「ないわ」
「――」

ジロリと睨み上げる新城の目付きは喫緊時にそぐわぬもので、すみれを査定するように間を長く取る。
焦れるような苛立ちを堪能した後、白い布できちんと保護されたそれを、新城もまた白手袋を嵌めてから、受け取った。
確認し、新城の目が伏目がちとなる。

「なるほど」

中から取り出したのは一枚の写真だった。
裏面も確認してから、封に戻す。

「これが青島の机に置いてあったんだな?」
「そう」
「誰が置いた」
「誰も見てないわ」
「不審者の出入りはどうなっている」
「あのね、所轄の実態、わかるでしょう?常に色んな人が出入りしてて、誰が誰かなんていちいちチェックしてないわよ!」

新城はそんな反論も想定内だとばかりに、運転席の細川に目配せをする。
不穏な動きに、すみれがたじろいだ。

「・・な、なに?」
「今、湾岸署に監視カメラの提出を要請した。こんな急ごしらえの呼び出しだ。恐らくそこまで手を回せていない」
「ヤな男ぉ。最初からそうするつもりだったのね。あたしを試したの?」

フンと鼻で笑う新城を、すみれは馴染んだ顔で受け流した。
こうして新城と密会を繰り返す頻度が増え、反発と同時に別の感覚も育ちつつある。
認めたくないそれは、信頼という言葉で表現するには、あまりに拙い。

ただ、このご丁寧に封までされた写真を“急ごしらえ”と表現した新城に、すみれはキャリア側の悪意を感じた。
人を誘拐までしておいて、翌日に次の手を打てる敵が、監視カメラを意識しないなんてあるの?

「この封書に気付いたのは夕方で、昼までは確実になかったんだな?」
「そうよ。一緒にお昼も食べたしね」
「奴らも相当焦っていると見える・・」

悪巧みをするような形相をしながら説明を省く新城に、すみれは苛つきを隠せず問い質した。

「ねぇ、もったいぶらないで。その写真で、何で青島くん、飛び出して行っちゃったの?」
「青島を呼び出す最適な材料だからだ」
「最適って・・無防備すぎない?幾ら青島くんだって」

ここまで危険な目に合ってきて、誘拐もされて、単独行動が本部に与える影響も目の当たりにしてきて、それでも一人で飛び出すなんて不自然よ。
怪我だって治ったばかりなのに。

しばらくすみれを見上げていた新城は、封書を胸ポケットに仕舞い、バックシートに沈み込んだ。
帰ってしまうと思ったすみれが、思わず車に手を付く。
指紋が付いた箇所を、新城が斜めに見下ろした。

「昨夜、人が一人失踪したことは耳に入っているんだろう?」
「聞いたわ、青島くんから」
「これはその女の写真だ」
「!」

どういうこと?
すみれが答えを求めて刑事の目を向けた。それを認めてから、新城も口を開く。

「この写真がいつ撮られたものかは重要じゃない。このタイミングで青島本人に届けられたということが問題なんだ」
「――」
「我々本庁を攪乱・挑発するのなら、こんな方法は取らない」
「昨日失踪して、今日写真送りつけられたら、警告か呼び出しよね」
「そして、どうやら青島もこの女と顔見知りだったんだろうという推測も成り立つ。しかもかなりの親密な。彼女を救うためにも飛び出すだろうな」
「でも、だからって」

すみれの追及に、新城はいたぶる玩具を見つけた子供のような目をして、いっそ上機嫌のような顔で薄笑いを乗せた。

「手薄になる夜間や早朝に届けなかったのは、逆に目立つからだ。今日の青島のシフトすら把握できていない。
 確実に家を出るのを待ったんだろう。籠の中の鳥となった青島を確実に呼び出すには完璧な合図だ」
「ってことは、昨日の失踪って」
「そこから青島を呼び出すための下準備だったんだろうな、実に拙い」
「だったら!」

つい息巻くすみれに、冷静さを崩さず官僚然とした態度で新城は優雅に足を組み直す。
腹の上で組んだ指先がトントンとリズムを取った。

「アイツは計算高い男ではないが、以前と状況はまるで違うことは理解している。我々に託せばイケると踏んだんだろう」
「・・意味が・・?」
「昨日からの我々の動き。発信機。自分が来ると向こうもこちらも分かっているという確信。ならば勝機はある」

全面対決を、向こうが仕掛けてきたということだ。
新城が指摘しているのは、急に青島を呼び出さなければならなくなった、向こう側の事情であり
これが最終通告だという警告メッセージを示していた。
いっそ、青島としては時間稼ぎぐらいの気持ちで向かっている。

「あ、あたしも行く・・!」
「だめだ」
「お願い!」
「分からないのか。この勝算の中でただ一つ阻害するものがあるとするならば、なんだと思う」

新城の言いたいことが今度は理解でき、すみれはグッと詰まった。
この捜査はそもそも極秘捜査で、表向きはもう組対に受け渡されたと聞いた。
大々的に捜査員を組んで投入できるはずもなく、所轄として動くわけにもいかない。

「そうだ。人数だ。狙いが青島なら、女も生きている。こちらは青島と女の二人を保護しなければならない。
 だがこちらで出せるのは精々4~5名。それを向こうも分かっている。出方が不透明な状況で足手まといを増やせるか」
「大人数で囲まれる可能性があるわ」
「その可能性はリスクとして理解しておくべきだな。それに、青島が紳士面して女にイイ顔してしまう可能性もな」
「自分が身代わりに~くらい言い出すわよ」
「だから、手間がかかるんだ。もし時間稼ぎをされ、警察を一か所に誘導し、その動きを合図に仲間を別の場所に誘い出す罠だったら、人員が足りない」
「・・・」
「ただ、組織が崩壊しつつある今、向こうもそこまで人手を集められているかどうかは、甚だ疑問だな」

ごくりとすみれの喉が鳴った。
入念に計画されたものならば、頭数で圧倒してくるだろう。
だからこそ新城の余裕は、“急ごしらえ”の挑戦状にある。
一瞬にして狙いを汲み結託を委ねた青島、それを新城も理解してしまう男の価値観。
危険を承知で託せる委譲は、一体なんなのだろうか。

「まあ、向こうから仕掛けてくれたんだ、乗ってやろうじゃないか。相当焦っているのは確かだ。時間もないんだろう」
「だったら!・・・だったら、必ず青島くんを連れて帰るって約束して!」

すみれの懇願に、新城は運転席に向かって、出せとだけ命じた。

「新城さん!」
「確証の無い約束は趣味じゃない。私は室井さんとは違うんでね。だが、室井さんなら違う答えをくれるんじゃないか?」

嫌味だけ残した車は走り去っていく。
その車が消えるまで、すみれは拳を握って見送った。

新城はこの挑戦に真っ向勝負をかけるつもりだ。
前とは違って、この事件には室井も関わっていることも、知っている。
キャリア二人が動いてくれている。
こういう時のためのキャリアでしょう?
大丈夫。
きっと、なんとかしてくれる。
彼に、絶対、また会える。









2.
そこは、およそ人も住まわぬ荒涼とした地の果ての真ん中だった。
人工的なネオンが幾重にも滲み、派手な七色は無機質にも思える不自然さで、この街の栄華を唱っている。

まるでいつか見た空と同じような夜は、藍紺の濁りをして、頭上に広がっていた。
その透明さに、青島はそぐわぬ笑みを歪に浮かべた。
バブルの遺産に夢を抱ける時代はもう来ないことを、この街の人間なら悟らぬ者はいない。
そこに倖はないことを、身を持って知ってきた。

「いるんだろ・・!」

ヒリつく喉で、低く叫ぶ。
一つ、強い潮風が身体を打ち、青島のコートを巻き上げた。今年最初の春疾風だ。
風音に耳を澄まし、差し迫る闇に身を賭す。
ややして、暗闇に潜んだ廃墟で、影が小さく手招きしているのに気付いた。
青島はそこに駆け寄った。

「よう、本当に来たな」
「アンタか。まだアイツのケツ追ってんの?」
「ケツに尻尾振ってたのはお前だろ」

出迎えたのは、幽閉されていたあの工場でも何度か顔を合わせたことのある幹部の一人だった。
実際、官舎に青島を攫いに来た一人だ。
名前は知らない。

「桶永は?」
「・・お待ちだぜ」

大きく開かれた扉を入ると、更に真黒な闇が迫った。
電気は点いていない。
ガタンと錆び付いた音を立てて鉄が締まると、片腕を背中に捻り上げられ、ドンと押された。
足元で釘や油缶が音を立てる。
錆び付いた廃工場の奥まで案内されると、散らかった跡地の中央、そこに、両腕を後ろ手に縄で縛られ椅子に座らされた、女がいた。
零れる街灯と月だけの灯りだった。
ウェーブのかかった髪がゆるく結われているだけで、目立った外傷は見えない。
お互い、相手を認識し合い、共通の笑みを与え合う。
ほっと、青島の顔が緩んだ。

「こんな麗しいお姉さんを閉じ込めるなんてね」
「今度逢えたら運命、だったかしら?」
「そうだよ、デートしてって言ったじゃない」

いつかの台詞を二人で言いまわす顔は、お互い同じ時を過ごした同胞、或いは同じ時を知る罪人だった。
懐かしい気さえするそれは、あの時間のおぞましい記憶と恐怖と臭いに、背中合わせだ。

「今日は服を着ているわ。スーツなのね。そういうのが趣味?」
「仕事中だったもんでね。このコートは俺の愛用」

ウィンクして青島が人差し指を振る。
その愛嬌ある仕草に、青白く強張っていた女の顔も、少しだけ綻んだ。
近づいて平気?と青島が視線と指で女に問う。
女は、ぎこちなく首を横に振った。
青島の背後には、案内人がまだ青島の腕を拘束したままだ。

「会いたい人、いたんでしょ?会えました?」
「すっごい偶然でね、会えたのよ。一度だけ・・」
「そりゃ良かった」
「一目見れたから満足よ」
「なんで?」

青島の足が一歩近づく。
女が、小さく首を横に振る。一度だけ左を差す視線。
背後の男が力で青島を押し戻した。
ギリリと、手首に指が食い込んでくる。

「思いがけず、花束もくれたの。柄じゃないのに」
「やるじゃん色男」
「真紅のチューリップ・・」

あれ?
どこか奇妙なデジャブが青島の脳裏を少しだけ虚ろにさせる。
が、その思考は、女の背後から現れた男の声に、中断された。

「おしゃべりは、そこまでだ」

青島がその声の主をキッと睨みつけた。
碧の大気と錆びた鉄の臭いの中で、結局引き戻されてしまう、輪廻の男と対峙する。


「よく、ここが分かったな?」
「白々しい。俺が気付くこと、分かってたんだろ」
「その勘と閃き、観察力に記憶力。どれもが欲しいね」
「彼女を放せよ」
「それも、分かってて来た筈だ、お前と交換だ」
「・・・」

青島としても、自分を呼び出す罠だとは、写真を見た瞬間に気が付いた。
彼女が幽閉されていたのは、潜入捜査の時に何度か取引現場として使用した港近くの廃工場だ。

「というか、あの悪趣味な抜き打ちテスト現場をもっかい指定してくる辺り、アンタも相当性格悪ぃな」

くすっと女が苦笑を洩らす。
その砕けた空気に、桶永も少しだけ肩を竦めた。

「俺たちのスタートラインじゃねぇか、これでも気取ったつもりなんだがな」
「あの時点で、俺、まだ、アンタのこと知りませんけど?」

まだ、桶永が管理官として指揮をし、その命令に従っていた。
純粋にキャリアに委ね、意見を戦わせ、事件を紐解く、上に評価される、そう信じていた。
あれから一年だって経っちゃいない。
なのに、随分昔のことのように感じてしまうくらい、色々変わり過ぎた。
お互いに。

「顔を見たかった」

それは今夜のことを言っているのか、当時のことを指しているのか。
顔さえ知られていない人物の、噂だけが一人歩きして、亡霊のように実体のないまま、毒を飲まされたように狂い堕ちていく。
本庁に巣食う泥濘は、そこで藻掻く者を嘲笑って、名も顔も知らぬ無名を見初めた。

「言っただろ。チャンスだと思ったと。あの冴えない男を一心に見つめる瞳に、一度でいい、映り込んでみたかったんだ」
「情熱的だね」
「純情だろ」
「んなわけあるか、ヘンタイ」

二人の会話を聞いていた女が桶永を見上げ、歯を見せてまたくすりと微笑する。
その女の肩を抱き、桶永は胸ポケットからナイフを取り出した。
見覚えのあるそれは、確か、桶永のお気に入りの特注品だ。

桶永が縄の一部をナイフで切り、女を椅子から立たせた。
顎をしゃくって、桶永は青島を拘束している男に何かを命じ
優雅にナイフを女の喉元に突き立てる。

「さて、そろそろお開きだ。お前だって、なんの仕掛けもなくここに来ちゃいないだろう?」
「・・・・まあね」


「取引だ」









3.
グッと睨み合う桶永と青島の一閃する真っ向勝負は、言葉一つ発しないのに大気を震撼させる気迫が
その場にいる者の、当人に至っても、他の不用意な発言を拒ませていた。

身体の深いところまで繋がり、嬲られ、情けも熱も交わした相手が、そこにいた。
中央に潜む執着や毒も罪も、既に羞悪を越えていて、不思議と恐怖感はなかった。

「こういう場のセオリーは心得ているな。まずお前がこっちへ来るんだ。そうすれば女は解放する」

青島の視線が一度だけ自分を拘束していた男へ向かう。

「ソイツには手を出させない。女にも指一本触れさせない」
「・・本当でしょうね」
「制限時間は10秒。お前が来ないなら、俺はこの女を連れてこのまま海外へ行く。もう二度と、顔を出すことはないだろう」
「・・・」
「俺と来れば不自由ない暮らしと、もう一度しゃぶられる快感を与えてやれるが?」

青島が気持ち悪そうに顔を歪めた。
あの時間を思い起こさせる発言は、ここに満ちる油や鉄錆の臭いを纏い、煙のように掴みどころなく立ち上がる。
嬲られ、弄られ、何もかもを知らされた相手の本性など、いっそ服を着て向き合うことすら滑稽に見せた。
得体のしれない心許なさは、忍び寄る悪夢となって青島の足を竦ませる。
だが、これは俺のもう一つの姿だ。
もう逃げたくない。
逃げられない。これ以上は。

「どこ、行くつもりなの」
「知る必要はないだろ?」

それでいいのか?
銀髪の彼はどうすんだ?

「彼女諸共ってのもナシだかんね」
「それはお前次第だ」

みんなを置き去りに進んでいくというのは、勇気、なんだろうか?
何も変わらない。
何も届かない。
踏み堪えて、食いしばったつもりが、まだ同じところでぐるぐるしている。
コイツも。俺も。

「そんなんだから、結局アンタだってこんなことする羽目になってんじゃん。一度だってアンタの周り、見たことあんの?」
「全てのものに手が届くと思っている方が、残酷なんだよ」

その時交わした視線は、月明かりの冷たさに似合っていて、ただ、遠かった。

「キャリアは一点だけを狙う。室井だってそういう男だ」
「ノンキャリで良かったよ俺」
「成功しても手柄は横取りされるのにか?」
「そこは大して重要じゃない」

潮騒の音も、風のそよぎも、今は聞こえない。
ここはまるで牢獄だ。
燃え尽きた工場の熱、昂った身体の熱は既に遠く、ただ諦観の溜息がそこに潜む。
青島の闇に合って闇に溶け込まない蒼に透ける瞳は、幾度傷つけたのにも関わらず尚、濁らず凪いでいた。

「なんかお前、少し変わったな」

遠く目を眇める桶永が、目玉をギョロつかせて間合いを取った。
何かを納得しているようなその顔に、青島もまた何も答えなかった。

それでも俺は、今宵の結末を全て受け入れる。
それが、何かの弾みで予測不可能な方角に引き摺り込まれても、後悔はない。

生きるのも共に。
堕ちるのも共に。運命の全てを、共に。

「ふん、まあ、まずはそこの港から出る船でシンガポールへ」
「王道過ぎてつまらないよ。そんなんじゃあ彼女は日本に残してやってくんない?」
やっと、会いたい人に遠慮なく会えたんだから。

「ああ、そうだな、俺もそう思うよ」

淪落した眼差しで桶永が女の顔を覗き込む。
油の付いた親指で顎を持ち上げられ、女の赤い口唇が薄らと開かれた。

隙間風一つ入らない。窓硝子が一つ、軋んだ。

「一人で来たってことは、お前だって期待したんだろ?俺好みに散々教えてやったからな」
「・・・」
「そろそろ疼いている頃だろ」

桶永の大きな手が女の小さな顔を捕え、喉元に突き立てていたナイフで、その豊かな胸元を縁取る薄い布のボタンを、ピンっと切り裂く。
銀色に鈍く光る、あのギザギザの刃先の切れ味は、良く知っている。
誘拐された時も、ベッドでも、桶永はその赤く長い舌で刃先をぺろりと舐めてみせた。

女の白く豊満な胸元が、はらりと割れた布から弾けるように月光に照らされた。
朱色の乳首が晒され、小さな声を洩らし、恥ずかし気に顔を反らした女の白いうなじを、桶永は見せしめるようにざらりと舐め上げれば
女が心許なく震える。
更に刃先が下まで切り裂こうとした桶永の動きに、青島はコートの裾を握り潰した。

「・・やめろ!」

桶永の動きが、ピタリと止まる。
女を辱めようとしているというよりは、目の前で彼女を凌辱することで、犯した青島を追い詰めていることなど、一目瞭然だった。
ナイフという凶器に青島と室井が深いトラウマを追っているということも、刃物の効果がどれだけかということもだ。

「もう止めてあげてよ・・その肌にキズでも付いちゃったらどうすんのさ・・」
「なら、来い」

鋭く発した低い声に、凍えた窓が東風に鳴く。
今夜は良く冷えて、春雷のように外海は荒れ始めていた。
桶永は躊躇わずに、女の服を上から下まで切り裂いた。
芳醇な香りすら放つ、女の肢体が月光に露わとなる。

奥歯を噛み締める青島の前で、ナイフの切っ先がタンガの紐に掛かり
青島が一歩、前へ出た。

「分かったよ。行く」

焦れた銀の刃先は、だがもうタンガの紐を引き裂いた。
女は全ての裸体を男の前に晒され、切り裂いた白い服がまるでガウンのように肩からはだけて落ちる。

「行くってば・・!」
「俺が気が短いのは知ってるだろ・・?その躰が」

頷いたのか、俯いただけなのか、青島が奥歯を噛み締め、そして決意の目を向ける。

桶永と作り出す一寸の油断も成さないそれは、官能に酔いしれ、痴態を晒し、強引に引き出されたエクスタシーを享受したあの耽溺の時間に似ていた。
限界でのみ通じたそれを、桶永だって感じている。
だからこそ、今、彼と一番向き合えるのは俺だけだ。



その時、背後で何かを踏みつける音がした。

振り返りもせずに、青島の口端が持ち上がる。

青島の隣で控えていた監視役の男の視線がハッと背後の入り口を振り返り、そこで釘付けとなり、血走った。
同じように見ていた桶永が口唇を歪に持ち上げた。

「おうおう、ぞろぞろと」
「それ以上、青島を侮辱するのはやめてもらおうか」
「また盗み聞きかよ」

室井が胸元から拳銃を取り出し、片腕を伸ばすと、厳かに構えた。

「こーこを放せ」
「こりゃまた物騒なモノを持ち込んだな、室井」
「止むを得ない。それにここは郊外で二次被害も少ないだろう」
「警視庁の人間が、その引き金を引くのにどれだけの報告書と印鑑が必要なのかを俺は知っている」
「多少の始末書ではもう周りが驚かない」

表情を変えない室井の背後を担う新城が、室井に控えるように立つ。
入り口付近は一倉が塞いだ。
双方の距離、月光で照らされた明度でお互いの表情が僅か垣間見える程度だ。

「5人か?」
「それに我々が答えると思うか?」
「お前がその引き金を引くのと、俺がナイフでこの喉元を切り裂くのと、どちらが早いと思う」

桶永が、細川と中野も来ているだろうことを示唆する問いに、誰も応答はしない。
だがそれは、桶永とて同じである。
押し黙った背後に、だがここまで一度も振り返ることをしなかった青島が、片手を広げた。
桶永への口留めではなく、背後への合図だと分かるそれに、室井の眉間が顰められる。

「条件は俺だろ」
「・・ああ」

会話を中断させた青島に、桶永は視線を戻し、頷く。
青島の凛とした声は、工場の錆びた大気によく反響した。

「行くな、青島ッ」

振り絞るような室井の制止には応えず、青島がゆっくりと前へ進みだした。

「青島ッ、戻るんだッ」

擦り切れた室井の声、息を詰める新城の気配が、この場の緊張を高めていく。
だが青島は振り向かない。
ジリジリと切迫した時間は朽ちたコンクリの冷気でも肌を汗ばませ、青島のワークブーツの足音はカウントダウンのように響いた。
青島と女の目が合った。
青島はひょいと肩を竦めてお道化てみせる。

「今度は貴女がハダカだ。目のやり場に困るよ」
「・・うふふ。すっかり裸の付き合いね」
「ほんとだ」
「また危ないことして」
「大丈夫。必ず助けるよ」

桶永と青島の距離は1メートルほどにまで迫った。
そこで青島は一旦足を止める。

「彼女を放してやってよ。俺は丸腰だし、ここまできたんだし」

確かにもう、桶永が一歩踏み込み、手を伸ばせば届く距離に青島はいた。
丸腰かどうかは桶永には分からないだろうが、この距離なら背後の応援より先手を取れることは明らかだ。

「いいだろう。同時に解放してやる」
「いち、にの、さん、だかんね」
「その代わり――」
「!」

桶永が尻ポケットから出したのは、小型銃だった。
なんだよ、アンタも持ち込んでんじゃん、という青島のジト目に、桶永はゆったりと勝者の笑みを乗せる。

「次の手までを読んでおくのが官僚なのでな」
「・・・」
「後ろのオマケ共、指一つ動かすな。余計な真似をしたら、迷わず撃つ。脅しじゃない」

青島の瞳が夜光に煌めいた。

「・・・行くよ!」

1・・2・・3!

スリーカウント後、桶永は女を強く突き飛ばし、青島の腕を引く。
一歩踏み出していた青島の身体は加えられた力によって大きく前につんのめった。
女は勢いに背中を弓なりに反らし、破れた服が足を縺れさせ、崩れていく。

「こーこッ!」

室井や新城からは撃たれたように見えたかもしれない。
擦れ違うその一瞬、だが、青島は確かに彼女に微笑んで見せた。
勝ち気なその目に、彼女の目が濡れる。

全てのことがスローモーションのように見えた映像は、室井の叫ぶ声で現実に戻った。
桶永に腕を強く引かれた反動で、前のめりとなった青島は、桶永の腕が首に回った時にはもうその腕の中に拘束されていた。
こめかみに、冷たい銃口が宛がわれ、強く首に回された腕に爪を立てる。
圧迫感に顔を歪ませる青島を久方ぶりに抱き締めた桶永は、空いた手で青島の身体のラインを弄った。

「や、やめろ、どこ触ってんだよっ」
「やはり発信機か」

青島の襟足や胸元、そして腰回りを弄るように桶永の手が這い回り、やがてその指は小型の無機物を突き止めた。
摘まみ取り、ピンっと弾く。
地面に落ちたそれを、桶永は土足で砕いた。

「いい子だ・・・ようやく手に入れた。存分に可愛がってやる」

桶永が青島のこめかみに銃口を宛がったまま、反対側のこめかみに長い舌を這わせる。
身を竦めた目の前には無防備に倒れ込んだ女を抱え上げ、跪く室井の姿がある。
新城、一倉の姿。みな似たような黒のスーツで統一されていて、訓練された動きだ。
室井が黒のジャケットを脱ぎ、女の肩にかけた。

ってゆーか、室井さん、彼女の名前知ってるのかよ。
そもそも何で下の名前で呼んじゃってんの?

桶永に半ば引き摺られるように後退っていく青島の視界で、女が室井の胸に顔を埋めた。
室井の男らしい腕が、しっかりと彼女の肩を抱き、目的を遂げたことを青島は知った。

「覚えていてくれたの?今度会った時は、名前を呼んでって」
「忘れるか。・・今度は」

ゆるりと首を振る女の瞳が月明かりに煌めき、室井はしかとその肩を抱き、片膝を付いたまま
だがその獰猛な目は桶永を鋭く睨みつけたままだった。


「馬鹿な男だ、室井。最後の最後に同情で足元を掬われたな」
「全くだ。そういう奴なので仕方がない」

まるで意に返さない室井の返事に、桶永は拍子抜けしたように綻んだ。

「抱いたのか?」
「生憎、まだだ」
「冗談だろ?あれからどんだけ時間をやったと思っている」

返答は控え、眉間を寄せるだけの室井に、それが事実であることを周りに悟らせた。
室井のざらついた肌が夜光に浅黒く光る。

「食べごろなのに、収穫も出来ずにオアズケくらった男に心底同情する」
「・・・」
「折角一度くらいはとお膳立てしてやったのによ。こんな上玉を犯してないなんて。さっさと喰ってしまえば愉しめたものを」

桶永が青島の耳をざらついた舌で舐め上げ、くちゅりと淫猥な水音をわざと聞かせた。
嫌がって反らしたことで晒された青島の熟れたうなじに舌を這わせ、室井が見ている前で肌を味わう。

ここまで何の温度も持たない漆黒が、ほんの少しの怒りを灯らせたことを認め、桶永は勝ち誇った。

「全員、一歩ずつ下がれ。コイツは俺がもらっていく」
「渡せない。青島にあんなことしたお前がそれを言うのか」
「銃はそこに置け」

冷静な桶永の命令に一切室井は応えず、女をそっと立たせると、背後に庇った。
その背から引き取るように、新城が歩み寄って更に女を匿う。

室井が毅然と銃口を向けた。

「出来るのか、お前に」
「それは結果が証明してくれる」

室井の真意を読み切れないのか、ここまで薄ら笑いを浮かべていた桶永も、軽口が止まる。
桶永の命に全て逆らう室井に、桶永の表情が険しくなった。

「キャリアを捨てることになる」
「煽っても無駄だ。私が青島を手放す決断をする筈がないことは、後ろの二人が証言する」
「その前に俺がお前を撃つ」
「加えて言えば、他の誰かに捕られるくらいならば、引き金を引いてでも独占したい君の意思に、私は酷く共感している」

眉目秀麗なだけに室井が発する逸脱した言葉は、逆に、周りの者を凍え上がらせた。
それまで入り口付近で背を預けて腕を組み、辺りの警戒に当たっていた一倉が、初めて口を開く。

「室井が言っていることははったりじゃないぞ。コイツは青島のことになると目の色が変わる男だ。それは警察上層部にいたお前の方が良く聞いていたんじゃないか?」

事実、冷たく口を開く室井の銃口は、桶永というよりは、青島に向けられていた。
先程より少し近づいた距離だからこそ、室井の射程圏が見える。
室井クラスのキャリアの銃の腕前など、誰もが大凡の見当を付けられた。
その標準は、青島の眉間を正確に狙っている。

「本気か・・」
「普段大人しい奴がキレると恐えよなぁ?」

クッと肩で笑う一倉に、桶永は目の前の真黒い闇を見返した。
室井は桶永が逃亡したって構わないと言っているのだ。
桶永の命にももう興味がない。
桶永に捕られるくらいならもう、青島を殺して誰のものにもならないようにするつもりだ。
室井にとってこれは、刑事として事件の決着を付けに来たのではなく、男として愛する者を取り戻しに来た、プライドの戦いなのだ。

「また変なのに好かれたなお前」

桶永が腕の中の青島に吹き込む。
室井の手は、一寸の迷いも浮かべていなかった。
銃は照準を合わせた時点でいつでも弾丸を発射できる射撃準備が整った状態だ。
愛しい者を抹消する狂気じみたシーンに於いても、震えることすらなく、いっそ温度を失ったかのように冷徹で正気で、こちらを狙っている。

「だから困ってんですよね、重すぎちゃって」

青島も最早抵抗はしておらず、自身の首に回された桶永の腕を両手でちょこんと掴み、だがその目は室井を真っ直ぐに見つめる。
気付けば、室井もまた、桶永を見ているようで、その瞳にずっと映しているのは。



そうして桶永は一つの誤算に気が付いた。

こーこは既に警察の手に渡り、そこまでは青島の計算だとしても、こちらも想定内で、青島を追い詰め裏をかいたはずが
青島の狙いを室井らが引き取り、今、青島を手中に収めているこちらの方が、後手だ。
青島の真意がどうであれ、室井と青島の連携に勝ちきれなかった。

ここで、桶永自身もまた、青島を本当に殺さない限り、桶永の負けだ。
もう一度犯したいと欲を捨てきれなかった自分より、青島の全てを欲する室井の青島への執着、傲慢、独占欲に、負けたのだ。

これが、この二人なのか・・!
これが上層部を煙に巻いた二人の力なのか!

上層部の一部で誠淑やかに囁かれていた。何がそこまで連中を慄かせるのか分からなかった。いつかこの目で見てみたいと思っていた。


「降参する場合は?」
「つもりもないだろう?もう遅い。病院での拉致未遂の頃までなら、そのカードも有効だった」

室井の堪忍袋の緒は、とっくに切れていたらしい。
一倉が背後で肩を揺する。

室井はこの事態をどう打破するつもりだ。
室井は本当に青島を殺害できるのか。
愚問だった。
むしろ室井は、桶永こそ、殺さない。

そんな桶永の葛藤を読み取ったかの如く、室井が初めて感情を浮かべる。
薄ら笑むその青白い顔は月明かりに照らされ、般若の如く闇に浮かび上がった。
室井にしては質の悪い歪みに、桶永の背筋が凍り付いた。


「だが俺だって一発は撃ち込める」
「だったらこれでどうです?」

ここにきて、新城が胸ポケットから同じ小型銃を取り出し、桶永に照準を合わせてみせた。
これで銃口は二つとなった。
慌てたように、これまで黙って背後に控えていた桶永の配下も、銃を取り出し、新城に向ける。

「新城、貴様・・」
「これで身動きが取れなくなったな」

愛する者を殺すほど惚れているかだと?
そんなキチガイ染みた選択肢を正気でやってのけるのか?
ぐちゃぐちゃになるほど抱いた。火事の中、先に逃げた。でも、自分の手で殺そうとした訳じゃなかった。
醜い言い訳が次々と桶永の脳裏に浮かび、その度、その言葉が桶永に敗北を突きつける。

犯しがたい視線を絡ませ合う室井と青島に、他者の入り込む余地はない。
だが桶永とて、この気持ちは生半可なものじゃないつもりだった。

「構わん。俺は間違いなく室井を撃ち抜く。脳味噌が散らばる様を、さて、青島の目に残せるかどうかだ」

青島が何より恐れるのは室井の筈だった。
もうそこに賭けるしかなかった。
青島はベッドで辱められても責め立てられても、室井を想い続け、慕い続け、その尊厳を護っていた。
密かに、直向きに、一途に、遠くで。


「青島」
「?」

不意に室井が口を開く。
あまりに違う声色をかけられた青島が、小さく首を傾げた。

「怖いか」
「別に?」

どうぞ、と青島が手のひらを広げて見せた。
それは、まるで遠くにいる室井を抱き締める、この狂気の欲に塗れた空白の攻防で唯一、純潔だった。
そんな仕草に、室井の眼光が強まった。

気付け、気付くよな、青島。俺を選べ・・!

「時間切れだ」

室井の声が、終幕を告げる。
高潔な指先がトリガーを引いた。








 

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