東京変奏曲3season Ⅲ









第七章
1.
扉を閉めた瞬間、ほぼ同時に互いを引き寄せていた。

僅かに反応が遅れた青島が壁に背中をしたたかに打ち、次の瞬間には片手を壁に抑え付けられる。
呼吸から奪うように口唇を塞がれ、深く思いのままに擦り合わせる。
吸い尽くされる恐怖を見透かされたくなくて、青島も首を傾け動きを流せば、角度を変えた隙間に室井に咬み付かれた。
腕を高く縫い付けられ、室井が身体で動きを封じれば、顎を上げて青島もその口唇の動きを追い、口接はより深まった。
勢いに仰け反るままに、室井の首に片腕を回し、荒々しく貪り合う。
技巧も余裕も失くした男の烈しい熱情に呑み込まれ、朦朧とするまま、青島は圧し掛かる男の髪を握り潰した。

銀の糸を引く暗闇に、視界がぼやける程の至近距離で、息を荒げる。
見つめ合ったまま、メインの施錠を、そして予備で付けた三つの鍵を上から一つずつ。

「・・・」
「・・・」

電気も点けない真っ暗な視界の中で、辛うじて見えるお互いの虹彩が、離れることを嫌う緊迫を持ち、絡み合う。
吸い込まれるまま、息を整えた。

帰りのタクシーの中から室井は無口だった。
本日の会食が齎したものを、今更探る気はない。
片手を背後に縫い付けられた室井の手は外されない、だが抗えないほど強い力ではなく、見つめ合う。
室井の顔がゆっくりと近づき、また、傾けられた。

動かない青島に、室井もまた、今度は寸での所で留まり、伏目がちの瞼をギュッと閉じる。
触れ合いそうで吐息だけが混じる距離に、呼吸が止まった。

「逃げないのか」

ゆっくりと瞼を上げた室井の声は熱に掠れていた。
最早タガを捨てた男の強い焔は闇の中に紛れても燃え盛るように、青島を射抜き
暗闇で見る漆黒は、それこそ底なしの沼のようで、昏々と光る。

「俺がどれだけ浅ましいものを抱いているか、分かっているんだろう?」

どこまで許されるのか、まるで試しているような動きに、逆に追い込まれていく。
一歩動けば息の根を止めてくる男の、高貴でありながら野性味を持つ気配と匂いに、青島は噎せ返るような息苦しさを覚え
掴んでいた室井のスーツを更に引き寄せ身体を近づけさせる。
だがその手も捕られ、背後に縫い付けられた。
噛み付き、食い尽くされそうな瞳、そのくせもう二度と強引に口唇ひとつ塞いでこない男に、青島は恨みがましい視線を向けた。

「新城さんとキスしたって、ほんと?」
「――!」
「ほんとみたいだね」
「・・・」
「それでよく俺に嫉妬とか・・、俺んこと、口説けたね」

先程二人きりで外で待っていたことは、室井も見ていた。
室井の反応からは、新城がどう動こうと、特段、不自然なことではないし、口止めしていたことでもない風に見えた。
ただ、それを今口にしたことに驚いたようだった。

「ずっと傍にいて、他に仲間もいなくて、二人で必死に超えるしかなかった。・・・別に、不思議じゃないですよ」

むしろ室井の驚く様子が、二人の世界を見せ付けられたようで、青島は視線を落とす。
室井があっさり流すのなら、それで良かった、かもしれない。
でも衝撃を受けているということは、室井にとって後ろめたい仄暗さを持つ、だが捨てられない記憶なのだ。
それでも縫い付けられた両手は外してもらえない。
まるで恐がるように縋る男に、青島はほうっと溜息を落とした。

「そこで傷ついた顔するのは、ずるいよ。何も言えなくなるじゃん」

言葉を失った暗闇は、切迫し、心の隙間にまで染み込んで、ただ息苦しくさせた。
室井もまた眉間を険しく寄せ、お互いの唾液で濡れた薄い口唇を噛む。

理解者がいない、信頼できる者も分からない、そういう状況で形勢逆転を狙って共闘するのは、まるで以前の自分たちのようだ。
そうして息を合わせ、やがて相棒となって今があるのであれば、それは新城とだって何か特別な絆が芽生えても不思議ではなかった。
事実、今夜見た二人は、青島の記憶の中の二人よりもずっと、近くて遠慮がなくて分かち合っていた。

「何を確かめたいんだ、おまえは」
「・・・」

具体的に聞かれると、それこそ分からないものだった。
たった今烈しく口付けを交わしたこともだ。
引き裂かれる直前に室井にされたキスとは、もう明らかに違う。
暗闇に慣れてきた目でも、二人を覆う夜の帳は、何かを隠すのに都合が良い。
青島が返事に困る様子をどう解釈したのか、室井が溜息を落とす。

「君が消えた後だった。自分を見失ってもう身体も脳も限界だった。キスは新城からだったが、応えたのも事実だ」
 あのキスで、我に変えれたし、先に進めた」
「・・・」
「新城もまた板挟みで追い込まれていた。今だけだからと乞われ、拒む力はもうなかった。そのまま肌を許した」
「・・・」
「先に進むためにも新城を選んでいた。そのキスよりももっと前だ。そうするのが一番だと思っていたんだ・・」

室井の口調は淡々としていて、激情とは無縁の敬虔な告白だった。
だからこそ、すんなりと青島の中にも満ちてくる。

「君に口付けをしたのはその後だ。引き裂かれても、君を忘れることは出来なかった。出来ないまま、承知で、身体を与えた」

室井が俯き、吐き捨てる。

「俺は、最低だ」

潔癖な室井にしてみれば、新城に応えたつもりが、理性を飛ばして青島に口付け
引き裂かれたことで尚想いは募り、行き場を失い、救いを委ねた。
それは、恐らく青島を想い続けていいと告げて求めてきた新城の誠意も裏切った気になったことだろう。
先程新城から聞いた告白と内容も同じで、室井側の葛藤を強く感じる。
青島の両手を抑えつけているため、まるで下から土下座して謝罪しているかのように見える男は、いつもの官僚の室井ではなかった。
室井のつむじを暫く見下ろしていた青島は、ようやく掠れた声で呟いた。

「“さみしいから”じゃ駄目ですか?」

思ったより声は震えてなくて、ホッとする。

「孤独が温もりを知れたならね、間違いじゃなかったんですよ」
「!」
「新城さんにもそう言った。そんな室井さんの傍に新城さんがいて良かったなと思いました」

室井が顔を上げる。
ひとときの衝動とぬくもりに没頭し、肌を暴いた哀しさが、まるで不器用な二人の愛の調べを謳っていた。
見つめる青島の瞳は無垢で、凛とし、犯しがたい醇を持って冴えわたる。

食い入るように青島を見つめていた室井が、再びゆっくりと顔を近づけた。
額が付くほどに近づいたところで、室井はまた留まった。
拘束していた両手を放し、青島の頬をそっと包み込んでくる。
額を押し当て、柔らかく壊れ物を扱うかのような動きに、こっちが泣きたくなった。

「ねぇ、あんた、上と何の取引をしたんですか?」
「――君には」
「関係ないことは、ないですよね。キャリアのプライドの問題だって言ってた。でも、この事件絡みでしょう?」
「・・・」
「つまり、それは、俺が起こした何かに順応したものだ」

清逸な青島の追求からは逃れられないと踏んだのか、室井は硬く目を閉じ、強張らせる。
むろいさん、と、吐息だけで呼ぶ青島の声が、室井の口を開かせた。

「マスコミ発表を押さえ込んだんだ。当初、本部は君が情報を持ち出し逃走したという見方が有力だった」
「え、ええ?」
「痕跡もなく姿を眩ませられたことで、本部は全ての手掛かりを失った。出来過ぎているから君の犯人説は説得力を持った」
「・・・」
「マスコミもまた逃亡説には飛びついた。皆が捜査員の失踪について躍起になっていた」
「・・んなことが・・」
「他に方法がなかった。時間もなかった。もう少し余裕があれば他の手も打てた」

あの誘拐が、警察本部では自分の裏切りと捉えられていた。
まあ、簡単に所轄捜査員を探してはくれないだろうなと踏んでいたが、罪までこっちのせいか。

「取引の材料は・・聞いても教えてくれませんよね」
「――」

頑固で意固地なこの男は、どこまでも孤高で潔癖で、青島のためにも口を割らない。
でも、行動が制限された中で、タイムリミットを迫られ、必死に足掻いてくれた。
それは、連れさられ犯されながら、たった一人、それでも諦めるわけにはいかないと、戦い続けたあの日の俺を称賛する。
そんな室井がいるから、青島はあの地獄の中、耐え抜けた。

「踏ん張った方だとは思うが、頑張ったつもりになっているだけだ。情けないだろう?官僚と言ったってこんなもんだ」
「室井さんのそーゆーとこ」
「ん?」
「好きだなって・・思っただけだ」

室井が顔を上げ、青島の頬を甲で摩り、それから顔脇に手を付いた。
視線はそらさない。

「ありがと、戦ってくれて。・・さっきも言いましたけど」

室井の手が、青島の手を取る。
その手をの上に、青島も手を重ねた。

「青島」
「だめだよ・・・もう、俺を抱え込むには重すぎませんか」
「俺の気持ちが信じられないか?」
「それは、もう、知ってる、と思う」

強請るように青島の顎を掴み、自分の方に向かせる室井の手が、凍えるように冷え切っている。
ふるふると、青島は首を横に振った。
そんな青島の視線を、室井は更に力を入れることで奪い取る。

「ちがうんだ、この気持ちを恋にしたいと決めたのは俺で、そんな邪の道に、俺が、君を道連れにしたいんだ」
「!」

青島がどれだけ室井を高潔な官僚として護りたくても、室井自身が青島と墜ちていく覚悟を決めている。
墜ちた所で尊厳も威徳も失うつもりはないと双眼が言う。
説き伏せるように言葉を一言一句力を込めて告げる室井に、青島の瞳が揺れた。

「でも、俺は」
「もし、君が他の男で汚れたというならば、俺も汚れているか?淫らに欲に落ち、汚れているから触れられたくないか?」
「そんなこと・・ない、です」

言わんとしたことを先制され、青島は言い訳も失う。
どう取り繕っても気にさせてしまうだろう。綺麗事じゃない。でも、それでも欲しいものがある。
手や視線の動きだけでなく、逃げ場をじわじわと断ち、退路を断たれ、追い込まれた青島が、力なく笑んだ。
狂おしそうな声で懇願する室井を、首を傾げて見つめ直す。

「おまえが嫌じゃなきゃ俺に抱かせてくれ」
「すんげぇ台詞だ」
重くて、熱くて、強烈で。

「俺は、君が欲しい。最初から」
「多少なりとも弱ってますからね。甘んじて受け入れてしまいそうです」
「それでいい」
「ばっかだなぁ」

青島の目が、室井の背後を映す。
そこには出掛ける前と変わらぬ部屋が暗闇に潜んでいる。

「ここで・・・一緒に暮らしましたね。最初は担ぎ込まれてさ。短い時間だったけど、おままごとみたいだよなって。・・思った」
「俺にとってはただ一つの現実だった」

お互い過去形で伝え合うのは、完結した確かな純潔と、今また何かが変わろうとしていく予感を感じ取っているからに他ならない。

「好き合うってさ、そういうの、毎日するってことだよな。一緒に暮らして一緒にいるってことでしょ。朝起きたら隣に室井さんがいて、夜寝る時も一緒」
「そうだ」

低い声で相槌を打つ室井の言葉に、青島がくしゃりと顔を歪める。
泣き出す寸前のような顔に、室井の眉間が寄って、そっと頬に手を添え、耳を包み、髪に指を差しこんだ。

「そういうの考えてたらさ、なんか泣きそうになった」

幸せすぎて、という小さな付け加えは、それでもこの夜の中、確かに室井の耳に届く。
思わずといった動きで、室井に引き寄せられ、強かに抱き締められていた。
途端、ようやく、ここにきて初めて、青島の中で何かが決壊する。

「でも、もう、・・言えなくなっちゃった・・っ、あんな、・・こと、あって・・ッ」

涙声となった青島は、それでもそのことを理由に室井が断るとはもう思っていない。
縋るように室井の背に両手を回せば、室井の腕も強まり、しかと抱き留められる。

「俺・・っ」
「悪かった。もう言わなくていい」

ぽろぽろと涙を声を上げずに零す青島を、室井はただ抱き締める。
青島はゆるく首を横に振った。

「ほか、の男に、挿れられて、犯されている間、おれ、あんたのこと、かんがえてた・・あんたがいいって、思った」
「ッ」
「あんなことされて、こわいのに、あんたのこと・・」
「ああ」
「他のおとこ、の、腕のなかで、あんたを想ってた・・、すっごく、だいじだったんだってきづいたんだ・・」
「もういいから」

掻き抱く様に強く烈しく抱き締める腕に、無防備なまま青島が身を委ねる。
背が弓なりになるほどきつく受け止められ、だからこそ、あふれる感情が堰き止められなくなった。

「ほかに・・・なにもいらない・・・」
「ああッ」

室井の男の手が青島の後頭部を掻きこみ、唸るような呼気が青島の耳朶を掠める。

「・・むろいさん・・おれ、どうしよう・・」
「もう俺を断るな」
「ほんと、ばか、だねぇ・・。ただの部下だって・・言ってんじゃん」

すすり泣くようなか細く幼い声に、室井も硬く目を閉じ、青島の肩に額を押し付ける。

「君の返事をまだ聞いていない」
「・・貴方がすきです・・」

抵抗する気力も奪われ、合いの手のように、青島が言葉にする。
ゾワッと、まるで嵐が巻き起こったように室井の全身が緊張した。
顔を上げさせられ、室井の瞳に映り込まされ、強請られる。

「すきだよ・・あんたが、すきだ・・」
「キス、していいか」
「なんだよ・・・もうしてくれないの?」

あれだけ横暴に、豪胆だった男の随分と気弱なお願いに、青島がようやく少し表情を緩ませる。
室井が青島の顎を持ち上げ、上向かされると、室井が顔を傾けた。
しっとりとした男の声で室井が囁く。

「君のことが、好きだった。ずっと前から、欲しかった」

胸の奥が軋むほど、痛かった。
好きな相手に好きになってもらえるということは、これほどまでに遠く、重く、難しいことだっただろうか。
後はどうやっても、口から出てこない。
ずっと好きだったことをちゃんと伝えたいのに、どうしても言葉にならない。
零れ落ちるのは、涙だけ。

ようやく辿り着いた相手が、視界の中で滲んでいく。
息苦しくて瞼を閉じれば、青島の目尻からは一筋の水滴が弧を描いた。
室井が青島の腰を引き寄せ、ぷっくりとした青島の口唇が薄く開く――


機械的な震動音が二人の間を切り裂いた。










2.
『室井だ』
『おう、夜中にまた悪いな』
『いちいち邪魔すんな、一倉ッ』
『んだよ、お取込み中か?――まあ、そう言うな。緊急事態だ』

またもやキスを中断された室井はなんとか気を静め、口調を変える。

『何があった』
『マンションから女が消えた』
『!!』
『今連絡を受けたばかりで詳細は不明、血痕などの痕跡はなし。姫んときと同じだな』
『時間は!警備を付けていたろう!』
『分からない、交代の隙を突かれたか。気付いたのは今夜の定時連絡で、今細川が現場に向かっている』

桶永と唯一繋がっている女。
彼女の拉致は、桶永の逃走と無関係なわけがない。
彼女に直接動きがあれば、警察が反応することも承知のはずだ。
何かが動き始めた。

『とりあえず姫から目を離すな。それと、明日、体制を協議するから時間を作れ』
『悠長過ぎないか。事情をよく知っている彼女を桶永が放置するとは思えない』
『だが脅迫状だの取引だのが出てない以上、動きようがない』
『そうか、目的が読めないな』
『今は下手に動かない方がいい。出方を待つ』
『わかった。何かあったらすぐに連絡をくれ』
『おう、最中でも出ろよ』
『バ・・ッ』

一倉の捨て台詞に反論する前に、通話は切れた。
目の前では漏れた音声を聞いていた青島が、不安そうな顔で室井を見ていた。









3.
「でさぁ、こう、くわ~っと盛り上がっちゃったとこでの中断ってどうよ?」
「何にそんなに盛り上がったのよ」
「それはちょっと言えないんだけど、ようやくって時に水ぶっかけられたみたいな」

青島の独り言はデカイ。
背丈ほどある棚の向こうで、すみれが頬杖を付いて、会話に相槌を返してくれるが、青島の耳には余り届いていない。

「どんだけかかったと思ってんの?どんだけ苦労してここまで漕ぎつけたわけ?ふざけんなって話ですよ」
「期待値も上がるわよね」
「こっちだってさ、腹括って、覚悟決めたところに、向こうだってノリノリで、これから~って時だよ!?」

湾岸署、資料室――
内勤を命じられている青島に付き合って、すみれはちょくちょくここへ顔を出した。
そうしていつもの下らない世間話や愚痴に束の間の休息を得る。

「でも緊急連絡だったんでしょ?官僚なら通常業務よね」
「それはそうなんだけどさぁ、タイミングというか、空気読んでよって」
「電話に空気が読めると思ってる青島くんもどうかと思うけど」
「そこは味方してよすみれさん!」

実際、お互いもう一度仕切り直す気力も時間もなく、折角の告白タイムは両想いになったかすら、微妙だった。
結局、俺たち、付き合ってることになってるの?

「あ~くっそ!一世一代の勇気だったのに!」
「だからそれ、どんな状況だったのよ」

くしゃくしゃと両手で髪を掻き回す青島を、雑談に付き合うすみれが面白そうに見上げてくる。
ちょっと休憩と言って、青島もすみれの前に座った。
すみれが青島の前で指を回す仕草に、青島の視線も釣られる。

「室井さんと青島くんって、実は気が合いそうだもんね~」
「そうでもないよ」

実際、あれからギクシャクしてしまい、今朝の照れくささと言ったら、逃げ出したい気分だった。
室井もどこか顔を合わせないようにしていた気もするし、会話も変だし、そもそもあのひと元々無口だし。
けどさ!何かあんでしょ!

「勝ち逃げされた気分」
「ゲームの勝敗でも決まる所だったの?」
「まあ、ゲームもよくやりますけどね」
「どっちが勝つの?」
「それがさ、あのひと、そういうお遊び、意外と強いって言ったじゃん?最近手の内読まれてて、割と負け越し」
「へぇ、どこで覚えるのかしらね?青島くん、そういうギャンブル好きそうなのに」
「得意だった方なのに、自信失くしちゃった俺」

ぼんやりと頬杖を付くすみれの光彩が、夕陽を受けてきらきらと瞬いた。
日足は長くなってきた春の夕暮れはまだ寒さが残る。

「でもその女のひと、重要参考人なんでしょ?」
「そう。・・・たぶん、俺も知っているひと。・・だと思うんだけど」

状況に変化があったら青島にも連絡が入ることにはなっている。
だが、あのキャリア連中が、今更トラブルメーカーの青島に逐一報告してくれるとも思えない。
ぜってぇ、事後連絡に決まっている。

「ああもぉぉ~!折角のッ、せっっかくのチャンスをぉぉ!またオアヅケ・・!」
「もう一回チャレンジすれば?」
「仕切り直すなんて無理!ぜってぇムリ!こっぱずかしくて出来るか・・!」

だから何の勝負だったのよ。
呆れた眼差しは、すみれが堂々巡りの会話に飽きてきていることを意味していた。

「俺はね、こうみえてナイーブなのよっ、わかる?そんな何回も赤っ恥晒せるかっての・・!」
「それは初耳ね」
「大体室井さんも室井さんだよ、少しは気ィ使ってくれたっていいじゃん、なんかあんじゃん!」
「だからあの朴念仁ってかんじね」
「まったく!肝ッ心なとこでツメ甘いの!」

くそぉぉと未だに悔しがる青島の、怒りの沸点はそろそろズレ始めていた。
それでも喜んでくれるかなとか、どんな顔するのかとか、こっちは色々あったのにさ。
惚れちゃだめだとか、俺キズもんだし、とか、立場とか?それこそすんげえ考えて、それでもって口にして。
待たせちゃったし、もっとドラマティックなもんとか、くっそカッコイイのとか、期待してたのに。
悩み抜いて結末これか!

「室井さんと言えばさ、最初ッから影薄かったけど、お見舞いにも来てくれたの?」
「まあ、たまに?」
「とはいっても、回復時と退院時?」
「ご名答」
「ま、あんまり姿見せても危険だったか、あの時は」
「・・・ん~、まぁ」
「でも変装して、合言葉言って、楽しかったな~あたし」
「すみれさん、俺で遊びたいのね」
「そりゃそうよ」

あの時は、こっちもボロボロで、久しぶりに会えた彼女にどれだけ救われたか分からない。

「でもよくそんな状態で今日出してもらえたね。止められなかったの?」
「どうせ発信機持たされているし、それに、まだ向こうの出方が分からないんだ、家に閉じこもってても仕方ないよ」
「そりゃそうか、声明文でも残されてれば対処の仕様もあったのにね」
「そうなんだよ」
「持久戦になるなら、逃げててもってことか」
「多分、室井さんもそう思ったんじゃない」

遠くから袴田の呼ぶ声が聞こえる。

「やっべ、課長だ」
「おしごと、おしごと!」
「すみれさんもね」
「すみれさんはもう今日あがりなのよ」

マジで?と微笑む青島に、すみれもちょっと肩を小突いて、じゃれ合って、二人で資料室を出た。



****

「あっ、青島くん!どこ行ってたのよもう~」
「どこって課長が俺に資料室の整理頼んだんじゃないですか」
「そうだったっけ?それより、聴取、終わったから、後処理、手伝って!報告書は青島くんね」
「え~!聴取から俺にやらせてくださいよ!」
「そこから君にやらせたらオオゴトになっていくでしょ!」
「・・どんな目で見られてるんでしょね・・」

袴田が指示した取調室には、和久がまだ世間話をしているようだ。
その後ろ姿を眺めながら、それでもお馴染みの光景に、青島は小さく微笑んだ。
その背中を、通りすがりに袴田がポンっと小突く。

「君ね。長いこと休んでた間、こっちも大忙しだったのよ。少しは感謝してね」
「あ、俺んこと、心配・・」
「心配なんかね、するだけの余裕もなかったって言ってるの!」

だがそういう袴田の目も、無事で良かったと告げている。
復帰初日に、影で目頭を押さえていたのも、青島は知っていた。
ポンポンと、青島の肩を叩く袴田の手は、まるで大人しくしててねという叱責のようにも映る。
しゃーない、お利口さんにしてますか。

やるせなく席に付くと、ぐちゃぐちゃのテーブルの上に、白い封筒があった。
なんだこれ?
いつから置いてあったんだろ?

煙草の灰も多少かかっているそれを開封する。
青島の目が見開かれた。

「すみれさん!新城さんに連絡!あとこれ渡して!俺、ちょっと出てくる!」
「え!え?大丈夫なの!?」
「直接だよ!」


封筒を指差し、鉄砲玉のように飛び出した青島の背中は、もう見えなくなっていた。








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