東京変奏曲3season Ⅱ
第四章
1.
退院の日が近づいていた。
検査結果はすべて良好、経過も順調であり、匿う意味もなくなったことから、潜伏先の移動が求められていた。
幾つか候補は挙げられていたが、青島にとってのベストな場所よりも室井は自分の意思を優先するつもりだった。
だが臍を曲げられそうで、まだ告げることも出来ていない。
「また来たんですか・・・」
「また来ると言った」
愛想のないご挨拶に扉の前で立ち尽くす室井が低く唸る。
ベッドの上で無防備に気を抜いていた青島の寝癖が陽を浴びて、色が褪せるその髪が存在の儚さを愛くるしさを顕すように色を変えた。
読んでいた雑誌を閉じ、丸っこい手がその髪をくしゃくしゃにして混ぜれば、乱れた毛先が彼を少し幼くする。
シャツをただ羽織っただけの不用心な姿は、焦燥のような嫉妬に近い苛立ちを室井に残し
漠然とした大きな不安を抱かせた。
離れられるわけがない。共に歩む人生を見つけてみたかった。
その言葉も意思も、まだ何一つ伝えられていない。
「しつこいですね」
「検査結果を聞きに来たついでだ」
「室井さん、どこか悪いの」
「君のだ」
「何で俺の結果をあんたが聞くんですかっ」
有り触れた、当たり障りのない日常が戻りつつあった。
なのに何かを欠けてしまったおもちゃのように、二人の間にはぎこちなさが付き纏っている。
仏頂面を崩さず、持ってきた花束を室井が投げやりに差し出せば、きょとんと目を丸くした青島が、額を手で覆った。
なにしでかすんだよあんたは。大層な暴言が吐かれたが、室井は素っ気なく椅子を引き寄せ鞄を置く。
「すぅ・・げ!重たっ!こんだけの花数、見たことないですよ。あげたこともないよ・・・何のつもりですか」
「見舞いだ」
「男の見舞いで、これ?」
「この間、恩田くんの差し入れで喜んでいたからだ」
だからこれ?と指をさし、今度は大爆笑される。
笑っている青島を見るのは久しぶりだ。・・・嘲笑われているのでなければ。
「あぁああ~~~もぉぉおっかしー。ナミダ出た。そんなスーツでその顔でこれ抱えてここまで来たんですか」
「顔は関係ない」
ますます頬を強張らせた室井はそれでも飄々としている。
この跳ね馬のような彼を見守るだけの強さを身に付けるには、並大抵の肝じゃ締まらない。
室井が用意したのは大量のチューリップの花束だった。
イエローとオレンジを主体にした彩りも豊かに鮮やかに咲き誇るそれは
ビーズのようなカスミソウ、フリルのようなやわらかい花姿のスイートピー、メインにチューリップを混ぜアレンジしてもらった春の陽射しを感じるブーケだ。
その中に赤色のチューリップを一本混ぜた。それだけは室井の注文だ。
「どんだけ自分が目立ってたか分かってんですか?その格好だよ!?プロポーズにでも行くと思われたねゼッタイ」
「・・・・」
「その相手が俺だなんて余計おかしいっての。そこの、向こうの人たち、目を剥いてたんじゃない」
扉の向こう側で今も警備をする二人の男は、顔色一つ変えなかったが、室井もまた無表情で通過した。
敢えてコメントを差し控える室井の前で、青島がまだ笑いが止まらず花束を鑑賞中だ。
陽の光に翳してみたり、くるくると回して楽しんだりしている。
その瞳はそれなりにキラキラとしているので、喜んではいるのだろう。
室井はそれで良しとする。
上司が見舞いに訪れたというのに茶も出さない無礼を気にすることもなく、室井は窓際のキャスターから青島の分までカップを用意した。
この間すみれが見舞いに来た時から、この部屋には様々なティーパックが取り揃えられ、急須もポットもそのままだ。
「あ、俺、紅茶がいい」
「・・・・」
室井が問う前に注文を付けてくる男に、室井は消化できないものを腹に溜める。
だが下手に口出ししてこれ以上揶揄われたらたまらない。
「どの紅茶だ」
「左のやつ」
手に取っていた抹茶の瓶を戻し、青島が指定したティーパックを二つ取り出し、室井はガラスのポットに並々と湯を注いだ。
ついでに暖めるためにカップにも湯を入れる。
紅茶の箱の横にはガラスの器の中に丁寧に、あの靖国神社の御守りが飾られてあった。
色とりどりに並ぶ紅茶の種類は質素だった部屋を居心地の良いものに変えている。
すみれもまた何度かここへ足を運んでいることが見て取れた。
蒸らす時間に室井は簡易テーブルをベッド脇にまで持ち寄り、椅子も移動させてセッティングしていく。
「これさ、赤がアクセントだ」
「・・・ああ」
赤い色のチューリップの花言葉など、青島も知りもしないだろう。
だがそこに気付いてくれたことはこそばゆく、室井は背を向けたまま短く返事をする。
こういうところが青島の良さであり、室井には一生勝てない才能だった。
察しが良く、理屈ではなく感性が豊かでアンテナが幅広い。
無意識に人を救う言葉を吐き、無邪気に人の懐に忍び込む。
誠実なのか残酷なのか、危うさを持つそれを、室井はそれでも眩しく目が眩んでしまう。
室井の狡さや弱さを暴いていく、青島の無自覚のまま零れ落ちる優しさにふと喚きたくなる衝動すら持ち得ていて
遠い敗北感が室井を妄執させて放さない。
いずれ離れていく儚さと寂しさを、成長という名の誇らしさに誤魔化しながらも、室井は別れの予感に切なさを噛み殺すことは出来なかった。
どれだけ自分が愛されているか、恐らく青島こそが知らない。
程良い頃合いで湯を捨て、室井が紅茶を淹れる準備に入る。
リーフを淹れてから二人分の湯を注いだ。
それきり会話が途絶えた。
黙ってしまった二人の間に静寂が訪れ、カップを並べる音だけが残り、不意に空気を重くする。
青島がベッドに座ったまま態勢を起こし、引き摺る音が室井の耳を犯した。
カップが擦れる音。微かな室井の革靴の音。紅茶を注ぐ水音。
二人きりの他愛ない時間はあの頃と同じはずなのに、やはり何かが掛け違えられている。
言い難い、或いは躊躇うようなことを持って室井がここへ訪れた意味を、敏い青島はもう分かっているのだろう。
ミルクもレモンも用意されているので、それらを手に取り、どちらが良いかを振り返った室井が目で尋ねる。
青島が黙って手を伸ばした方を差し出し、紅茶を注いだカップを手前へと滑らせた。
「仕事かと聞かないんだな今日は」
「きーてほしかったですか?」
それをもう聞ける立場にないという青島の拒絶に聞こえたのは、室井の被害妄想だったかもしれない。
どこか裏寂しく思う物足りなさを言葉に出来ず、窓際の光を背負った室井が紅茶を一口啜る。
「座れば」
手前の椅子に視線で促す青島の言葉に黙って腰を下ろせば、キィと錆び付いた音が小さく鳴いた。
「で。今度は何を言って俺を爆笑させる気」
じっと見つめ返せば逆に青島の瞳が僅かたじろいだ。
清洌な気配で佇む室井に、警戒するような瞳色に変わる。
緩んだ空気がまた元の静寂に戻るまで辛抱強く待った室井は、伏目がちに息を一つ吸った。
「・・・・戻ってきてほしい」
「?」
「・・・・」
多くを語らなくても室井の意図はその面差しと沈黙で青島に通じたらしかった。
花束の中に鼻を埋め、奥からじっと見つめる瞳に、おやと思う。
もっとあからさまに嫌がり即座に否定してくると思っていた。
「なんか、言え」
「おかしいでしょ、もう」
青島の視線が花束に埋もれ、焦点が合わない距離を虚ろに見つめる。
――以前はもう少し分かりやすい男だったように記憶している。
不意に何かに堪えるように青島がぎゅっと固く目を瞑り、花に顔を埋めた。
喜怒哀楽も室井より明瞭で、取り繕うのも巧い。
相手への気遣いに委ねる男ではない。でも今、青島が何を感じているのか、室井には汲み取れなかった。
それはどちらかが変わってしまったというよりは、離れていた時間に何があったかをお互いが共有していないから生じる、計り知れない乖離だった。
同居前、自分たちは数年に渡り交流が途絶えていた。なのに逢えば交わる何かをお互い確かに見出していたし
実際逢えば足並みを揃えることなど会話するより容易だった。
室井の中でそれは恒久に存在すると思っている。
だとしたら、今青島の方で何か帳消しになるような変化が起きているということに他ならない。
何故凍結したようにそれは閉ざされてしまったのか。
桶永の存在が二人の間に色濃く影を落としていることは想像に難くなかった。
その顔を暫し見届けた室井は、静かに質問を変えた。
「これから、どうするつもりだ?」
「そうねぇ、どうすっかなぁ・・・?」
ゆるりとやるせなく笑いを覗かせ、青島がそっと壊れ物を扱うように花束をベッドへと寝かせた。
そのせいで少し捩った身体のラインが白いシャツ越しに仄めかされる。
元々スタイルの良い男だ。
桃尻に続く曲線は思わず触って確かめたくなる曲線美を持ち、指先を這わせたり、口唇で愛撫して感触と反応を楽しみたくなる。
愛くるしい指先は子供のようで、裸足の指先にまで室井は静かに目に映した。
もう包帯や湿布、テーピングなどはしていない。
僅かに残る手首の拘束痕も、これならいずれは消えそうだった。
まだ生々しく主張するうなじの朱痕もだ。
「来週には退院して良いと聞いているんだろ」
「ええまぁ」
「そうなると本部としては君の居所によって対応が変わることになる」
「早く知りたいってこと」
物理的な圧迫感すら生じさせる室井の視線を肌に受けても、青島は浅い息を聞かせるだけで、視線を合わせようとはしてこない。
「部屋は君が出ていったあのままだ」
「俺の荷物なんかそんななかったでしょ」
「俺には不要なものだ」
「じゃ、折角だから貰うよ。段ボールにでも詰めて着払いで」
柔らかい会話に水を差すのは風の音だけだ。
「俺はさ、遠くで見守るってポジションが一番合ってるかなーって。改めて思ったわけですよ」
青島の言葉は信用できない。
その瞳が見たいのに、見せてくれない。
「一緒に居てほしいと思っている」
「官舎って元々独身寮でしょ。同居なんて禁止されてませんでした?」
「何とかなる。気にするならこれを機会にどこかへ移っても構わない」
「ふたりで?室井さんにそこまでさせる理由がないよ」
青島が紅茶に息を吹きかけ、膨らみのある口唇で小さく微笑した。
淹れたての紅茶にあれきり一切手を付けない室井はそれを目に映す。姿勢を正したまま低い声をただ厳かに唸らせた。
「一緒に、暮らす気はまるでないか」
「フツーにノンキャリとキャリアが同居っておかしくないですか」
「常識はいい。君の意思が聞きたい。あの時間は無意味だったか」
「今あの時間の感想聞くのは・・・狡いです」
分かってたくせにと、青島が小さく吐息のような音で非難する。
「楽しんだでしょあんただって。俺もです。でも冒険もしたね、たくさん」
「それはそれで味わいだ」
カップを置き、烔々とした双瞼を青島が伏せれば、長い睫毛が目尻に影を描かせる。
妖艶な色情すら薫らせるその貌に、室井はただ視線を向けていた。
分かり切った言葉を投げ合っていることはお互いが承知していた。行きつく先を見失ってそのまま流されることを抗うように言葉が行き交っている。
何かを告げようと意志を持たぬまま室井の薄い口唇が浅く開いた時
濡れた赤い口唇が震えるようにそれを遮った。
「それってさ・・・」
「二人で旅行も行こうって言った」
「それは――・・・行ってもいいですけど、同居してなくてもいい話ですよね?」
やっぱり少し意外な気がした。
やはり青島の中で何かが変わっている。
どういう心理変化なのかは分からないが、虚勢を張るものではなくなった。
頑なに室井の傍で生きることを否定するわりに、それ以外のガードが甘くなっていて、そのちぐはぐな感じが室井に掴みどころを失わせ、欺いた。
「ま、このままだらだらとするのも良くないかなって」
「ケジメを付ければいいということか」
聞かれるのが怖いのか、或いは聞くのが怖いのか。
敢えて室井が直球で投げかけた言葉は直前で空転し、やはり不確かな余韻だけを刻み付けた。
青島から飛び出した清算という言葉は、思った以上に二人の間に影を落とす。
それを問う室井の声がらしくなく堅いものになったが、青島もまた視線を窓に投げ、苦く笑っただけだった。
陽光が射しこむシャイな虹彩が不思議な色を帯びて艶となる。
「俺、ただの部下ですよ」
「ただの部下だと思っていると――今も思うか」
青島の視線が室井を通り過ぎ、室井が渡した花束へと向かった。
「だからヤだったんだよ、全部自分のせいにしちゃってさ」
「少なくとも、同情で私生活を切り売りするほど暇じゃない」
「あんたの手を煩わせて、俺をカワイソウな男にしたいわけ」
青島の危なっかしい単純さとは別の、ナイーブさを乗せた顔が愚直に訴えるものを、室井へと染み込ませた。
赤い口唇が綴る甘い恫喝に、室井は眩暈のような耽溺を覚え、ようやく全てが理解が出来た気がした。
口で拒絶したって駄目なのだ。
室井の意思で引かせないと、室井はどこまでも食い下がる。
直情的に妄執し、懇願したいのは室井の方だからだ。だから青島は先程から室井から引かせる言葉を探っている。
室井に言わせたいのは愛の懺悔ではなく、愛の卒業だ。
もう俺が、おまえが居なくては生きられない。それを告げたらそれこそ青島は軽蔑するのだろう。
その言葉を引き出すことで清算するのが青島の狙いだ。
それはうっとりするほど甘美な愛を含んでいる。
どこまでも優しさを滲ませる青島に、だからこそ室井は兇悪的にもなれた。
青島を可哀想な主人公にしたいのではなく、ただ室井を一番にして欲しいのだ。
それが伝えたいのに、この状況が許さず真実を巧みに組み替える。
だが青島が拘るのがその点であるのだとすれば、室井は遠慮する必要もなかった。
「ご自分の立場、考えてください」
青島のペースに嵌るわけにはいかない室井は、穏やかに間を取った。
青島にとって室井が衆愚だと言い張るのなら、意地も張れた。そうでないというのなら、室井は忖度などできない。
それは新城に対する義理だったり、“こーこ”に対する見栄だったりするのかもしれない。
営業スキルは彼の方が長けていても、こちらも話術で落とし込む職業だ。
説得できるものならしてみろと開き直り、室井は両膝に拳を充てる。
「なら君はもっと俺を利用してもいいんじゃないか」
「あんたに囲われて、俺がシメタって言うとでも思う?」
青島の組まれた細長い裸足はピンク色で、もどかしそうに開いたり握られたりする。
甘やかな視線が天井を向き、諦めたように小さく吐息で笑う青島はとても幼く見えた。
こんな青島を見るのは初めてだ。
手のかかる弟のような気分で世話をしていた時とは違う、室井の気持ちも分かっていて、なんでその唯一の相手が自分なんだろうと持て余すような
その先の手立てを持たぬような、途方に暮れた顔だった。
「はぁぁ~・・、今のあんたは選べるのに」
青島が初めてまともにチラリと室井に視線を向けた。
「不自然な繋がりになっちゃいましたよね、ここも」
「――そうだな」
「終わらせてもいいって思ったこと、なかったですか」
「ないな」
「俺はありましたよ。・・・何度もね」
ようやく少しずつ言葉を紡ぎだした青島は、陶然とした面差しを持ちつつも穏やかだった。
今までの言葉の羅列は本意ではなく、離れていた室井への確認作業のようなものだったのかもしれない。
「男の人生なんて、特にそうじゃん。みんな一人で戦ってて、周りを篩に掛けてきたんだ。俺だって」
「・・・・」
「一人前って、結構残酷だ」
「それが生きていくということなんだろう」
同居を始めたばかりの頃も、お互いの懐慕について少しだけ触れたことがあった。
あの頃はまだ上司として振舞うことが正しいと思い込み、随分と青島にも寂しい想いをさせ、腹を割ることはなかった。
改めて思えば、短い付き合いではあるが、濃い関係は室井にとっては、清算や解消という言葉とは無縁ではあったが
青島をこちら側に引き込んではいけない想いが強く、言うことも理解できた。
美幌から帰ってきた後の数年間は特に、似た想いも幾度かあった。
そうやって自分を納得させ、理由を付けていたのは、青島も同じだったのだろう。
室井は口を挟まぬことで同意する。
「あんたに謝り続ける人生は、嫌です」
その先を遮るように室井は無言で立ち上がり、先日と同じように青島の頭を胸に引き寄せた。
くしゃくしゃの髪に五指を差し込み、想いを込めて押し付ける。
独りにしないでと泣いているように室井には聞こえた。
腕の下から気丈に、はっきりと告げてくる青島がしっかりとした口ぶりで低く声を震わせる。
それを見るのが辛くて、その先を聞きたくなくて、室井は力を込めて腕の中に青島を巻き込んだ。
「おまえ、俺んとこに転がり込んで来い」
「・・・、やーです」
「どうやったら絆される」
「俺、高いんで」
「くそ」
室井は黙ったまま白い壁を向いていた。
青島が明確に交際や情愛を否定してきたなら幾らでも説き伏せられたのに。
頼られたら、甘えられたら、もっと手を伸ばし幾らでも甘い言葉を囁いてみたっていい。
でも青島がそれを望まない。
まるで、あの雪の夜のように。
「俺には強がらなくていいと、何度も言った」
「バレてんの」
「丸見えだ」
「じゃ強がらせて。捨ててください」
青島は室井の腕を嫌がらない。
今はそれが逆に哀しい。
指の腹で青島の耳裏を擽るように柔らかく愉しみ、触れる体温と匂いに室井は胸を軋ませた。
「一つだけ言っておく。俺の相棒は生涯君だけと決めている。そこだけは、覚悟しておいてくれ」
苦笑した青島が自ら室井の肩に丸まり、額を擦り付けた。甘えるようなその仕草に室井の指先が無意識に細髪を愛撫する。
「もし今度――」
「もしはない。今度は大丈夫だ」
相棒としても不都合があったら、今度は全部切り捨てろとの思いを汲み取り、室井が先制した。
そんなことは金輪際ないし、青島が室井を裏切ることはしない。室井が青島を裏切るようなことはあっても想いは変わらない。
一度、青島が室井の首筋に深く額を埋め込む。
「怖がってたら何も始まらないからな」
「さっすがキャリア。年上なんすね。今知りました」
「今か」
力を抜き切って無防備となった身体を室井に預け、青島が顎を室井の肩に乗せた。
形の良い頭部を指で確かめ、室井が抱き締めるように抱え込み、頬を摺り寄せ、強張る声を忍ばせた。
「怖かったな。いっぱい頑張ったな。君がどう動いたかも分かっている。君は俺の誇りだ」
「・・・・ほめられた」
奪われた宝石を焦がれるままに、ただ返してくれればと切に願った。
飢えた心が救いを求めるように、幾夜も空を見上げた。
失くした欠片を彷徨って、欲しがる飢餓だけがリアルに身を切り刻んだ。
傍に合って、見つめ合い、手を取り合い、共に戦っていくだなんて、到底無理な御伽噺だなんてことは
キャリアである室井の方が嫌と言うほど分かっている。
愛に悠久なんてないんだ。
「あんたのこと、想って、考えて、そしたら俺、いつだって頑張れるんだよ」
「こっちもだ。君はいつも頭の中で俺を罵る」
「どんな俺」
青島の指先が室井の背中に一度周り、スーツをきゅっと握った。
「・・・でも同居はカンベンしてください」
そして、なんか湿っぽくなっちゃってと、青島が両手を挟んで室井の腕を解いた。
少し不満だったが逆らわず、室井も力を抜いて身体を放す。
泣いてはいないが艶めく瞳があまりに印象的に室井を創造した。
イシシと苦笑いする顔は屈託なく、焦燥を持つ苛烈な光が収まっていくのを見て、残念に思うと同時に、室井は少しだけ緊張してきた。
見下ろすままに威圧的な視線を向け、室井が切り札を口にする。
「君は言っても聞きそうにないな」
「まあね」
「だがおまえ、行くとこないぞ?」
「おれんち、戻ります。だいじょーぶだいじょー・・」
「だから――その部屋」
「ん?」
コテンと青島が首を傾ける前で室井が恬淡と言う。
「その部屋、今ぐちゃぐちゃだぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
本日初めて青島が室井を真正面から覗き込んだ。
2.
「ええぇえぇぇぇぇッッ!!!!・・っな、な、・・っ」
言葉も出ないらしい。
室井は憐みにもにた半眼を向け、余計な言葉を慎んだ。
「ぎゃあああぁぁぁ~・・・・」
絞め殺されたような青島の悲鳴が閑静な昼間に木霊する。
「なっな、・・なにッこれ・・・・ッ、ぁ、あり、ありえねぇ・・!!」
両手を頬に充て、日本語も崩壊しつつある青島が仁王立ちに立ち尽くした。
病院に外出届を提出し、二人で青島の元の住居であった新木場のアパートに来ていた。
閑静な工場地帯にあるそこは、家主が潜入捜査に入った時から出入りはなく、今は大家に事情を話し現場保存されている。
一度だけ新城を通じて細川に偵察に向かわせていた。
その時の写真は資料室に保管してあるが、窓が割られ、棚が破壊され、床に散在した私物に風雨が吹き込み、最早人が住める状態ではないことは
当時調査済みである。
家屋の資産価値を下げないため、窓の破損や目立った水溜まりなどは修復除去したが、ほぼあの時のままであった。
スマートに人間を一人誘拐してみせた手腕と同一人物とはとても思えないほど杜撰な状態であることからも
グループの若手に探らせたのではないかと考えている。
「ああぁっ、俺のモデルガンっっ!!リボルバーがぁぁぁ!!こっっこんな姿になっ・・・ッ!な・・っ、ま、まいんち磨いてたのに・・!」
床に跪き、両手で残骸を救う青島の様子を、室井は掛ける言葉も見つからず付き添った。
青島の大きな嘆きは止まらない。
「なにしてく・・っ、うそ、これッッ・・、折れて・・あっ、これっ、いっちばんだいじな・・・あぁぁあぁぁ」
「・・・・」
「マジかぁ!!この時計幾らしたと思ってんだよ!!くっそぉぉッッ、お~け~な~が~ッッ!!」
「・・・いや・・・桶永は・・・・」
「ぜってぇ許さないかんね、ぜってぇ弁償させたるかんね!」
最早室井の言葉も届かないらしい。
拳を握り締め、青島が記憶を辿るままに薄汚れた荷物を掻き揚げる。
「ひでっ、破れてるっ、割れてるっ、・・ぁ、ああっ!」
「・・・」
「・・ないっ、一番のお気に入りのやつっ、・・・ぁ。あった!うおぅ!これは無事だっ・・あっでも針止まってる・・くっそ~・・・」
「・・・・」
「ああっ、これも・・っ、じょーだんきつい、・・も、泣きそうおれ、こんな・・っ、こんな仕打ちっ」
「・・・」
「ぜってえ、弁償させる!探し出してやる!くっそ、付いて行くべきだったっっ」
「・・・・買ってやる」
たった数ヶ月手に入れただけの男にこれ以上桶永に関わらせるのだって癪だ。
「ああぁあ!!ケータイ!ケータイが床にめり込んでいるっっ!!」
「・・・・」
「こーゆーのこそ盗めよぉ・・ってか俺が大家さんに怒られんの?嫌味言われんの?ごめんなさいすんの?」
「・・・・」
「請求書の書き方は得意だかんね、一円だってまけてやんねーかんね・・・」
袖口できゅっきゅと硝子盤の泥を落とし、息を吹きかける。
「ああっ!このシャツも、お気に入りだったのに・・・!この分じゃ他のスーツもぐしょぐしょじゃねーの」
四つん這いのまま、青島が漁っては悲鳴を上げる。
「ぎゃああああ~・・・」
初めて青島の部屋に入ったが、廃れ、壊されてしまったとは言え、室井には青島の匂いが残っている気がした。
座り込んだ青島の後ろに立ち尽くしたまま、薄暗い部屋の中をぐるりと室井が見渡し、息を吸う。
刑事の目ではなく、知っておきたかったものがここにはあるのだと思えた。
「損害賠償とかないのかな・・・、本店で払ってくれないかな・・・」
「・・・・」
「くそぉ、アイツぜってぇシメコロス・・・」
まだ興奮が収まらない青島にそれこそ同情の目を向け、室井が頃合いを感じ取り再び口を開いた。
「どうせおまえの部屋はこの通りだ。復旧までには時間がかかるし、まだ現場保存を解けない」
「・・・っ」
恨めしそうな青島の瞳が振り返る。
そんな目をされたって、困る。
強張った頬をピクリと震わせ、室井は顎を少し反らして青島の気迫に押されるまま、眉間を深めた。
じっと視線が克ち合い、そうして室井は耐え兼ね、その乾いた口を薄っすら開く。
「俺んち、来い」
「・・・・・・・・・」
何とも言えない顔をした青島が、口許を歪ませ、じぃっと室井を恨めしそうに見上げていた。

連載三年目に突入した東京シリーズですが、今になってとんでもないミスが発覚しました・・!
シリーズ時間軸は室井さんが美幌から帰ってきて三年後くらい、潜水艦前くらいをイメージしています。
この時点の室井さんの人事ってどこ・・!!
超・今・更。いやぁウィキ見てびっくりしてしまった。
室井さん、帰京した後は点々と異動してたよな~ぐらいの感覚であまり緻密に考えてなかった。
とにかく数年会っていないというところから始まる物語なので、少なくとも2000年(平成12年)以降にはしたかった。――んですけど。
そうなると室井さんの現在の仕事について、いずれにしても「閑職においやられた」だの「本庁で」だの微妙な発言に矛盾が出ることに気が付きました。
①美幌直後
室井さんが美幌から半年で復帰したのが1999年(平成11年)夏。
シリーズの季節が冬なので、一番早いパターンはその年の暮れで警察庁情報通信局らしい。
室井さんが都内在籍で新城さんとタッグを組めるようにするにはここにした方が都合が良さそうではある。
そうなるとシリーズ冒頭では室井さんは警視庁刑事部所属ということになって、青島くんと同居しながら警察庁情報通信局に人事異動したということになる。
(ま
あいいけど)
新城さんもこのころは多分警察庁だろうから、ここもなんとか辻褄合いそう。
でも二人が離れてたのはたった一年ぽっちという。数年離れていたというシリーズ本旨が崩壊。
②なら一年後
一年空けて2000年(平成12年)の冬、警察大学校教官時代にしちゃう?と思ったら、警察大学校は東京じゃないよ!?府中かよ!
府中に通いながら、青島くんを匿って、本庁通って新城さんと捜査~してたってこと?でも青島くんの心理的には一番イメージしてた時間軸。
都民としては府中からタクシー飛ばして六本木と霞が関に通わせるってのは、ま、ないよねっていう。
③更に一年後
更にもう一年遅らせ2001年(平成13年)の冬にすると、ちょっとシリーズねたばれになりますが、潜水艦と鉢合わせ、この状態の青島くんにもう
一度室井さんが潜入を命じることになるので
もう少しゆとりが欲しかったんだけど。出来なくはないかもしれない。今書いてるこのThirdがもう少し春先になる。
潜水艦事件は2002年(平成14年)3月19日らしい・・。ただそうなるとこのまま二人は同居しないか、しても数日で終わり、二年の月日が流れますが。
④潜水艦後
んじゃ、いっそ潜水艦の後設定にしちゃうか!・・と思ったら、今度はそうなると青島くんの一度も会えなかったという心理描写に矛盾が出てしまうので、あ
りゃりゃ。
更に③と同じくOD2の「久しぶりだな」「ええ、二年ぶりですね」って台詞にも矛盾が。つまり潜水艦後は一切逢わないんですよねこの二人。ここは一番捻じ
込めない。
・・・矛盾がボロボロと出てきてしまった・・・。
シリーズ前半の室井さんの現在の仕事について、だいぶオカシイのでそれは修正することになります、いつか。
若しくはいっそ帰京以降をパラレルってことにしちゃうか。この東京シリーズならそのくらいのパラレル時空はありかなとも思う。
どうしよう・・・。みなさまはどれがいいですか?