オリキャラ出ます








東京変奏曲2season Ⅲ









第 七章
5.
ぼんやりとした視界は白かった。

横向きで眠っていたらしい。
倦怠感の残る身体を起こすのも億劫で、青島は気怠げな視界に入ってくる白いシーツを瞳に漫然と映していた。
無造作に投げ出された手には手錠が掛けられているのが見える。
だが両手を一括りにされていた昨夜とは違って、今度は片手ごとに付けられ、その先のチェーンはベッドサイドの柵に繋がっていた。

酷く、喉が渇いていた。

時間の感覚がまるでない。
窓もないので外の様子は測り知れなかった。


「・・っ」

動こうとして身体中が軋み、青島は喉を小さく唸らせる。
でも痛みで悲鳴を上げているのは身体じゃない。


昨夜、誰に何をされたのか、記憶だけは鮮明に脳裏にこびり付いていた。
否、行為の最中の細かな部分はだいぶ曖昧だった。
ただ、男にされたこと、その相手が誰だったかということ、どんな目で自分を凌辱したか。
それだけは忘れたくても忘れられそうになかった。

何で俺にあんなことをしたのか。
どうして俺だったのか。

不思議と涙は出なかった。
昨日、玩ばれながら散々泣き喚いたからかもしれない。


嵐のようでありまったりとした濃密な官能のひと時は今は過ぎ去り、情後の気怠さの残る重たい四肢を青島はただベッドに沈ませた。
生活音も何も聞こえず、まるでここは時間が止まったみたいだ。
自分の全てを容赦なく翻弄した男は今傍らにいない。
何も考える気が起きなかった。


「ようやく目が覚めたかよ。とんだ姫様だな。もう昼すぎだぜ、いつまで寝てんだよ」


不意に声を掛けられ青島はハッと顔を上げた。
啼きはらした瞼では腫れていて視界も悪い。
腕を着こうとして、途端走る全身の鋭い痛みに、そのままシーツに縺れた。

連れ込まれた入り口ではなく、部屋の奥にあった鋼鉄の扉が開かれ、そこに見たことのある男がトレイを抱えて立ってた。
見たことがある――どころじゃない。
最初の潜入捜査でコンビを組まされ、裏切られ、そして拉致しにきた、アイツだ。


「メシだってよ、ったく、なんで俺がこんな雑用をやらなきゃならねーんだよ」
「・・ぃ、っ・・・」


起き上がろうとして、青島はまたベッドに倒れ込んだ。
体重を支えようとした手首にも鈍い痛みが走る。
そこには丁寧に包帯が撒かれていることに気が付いた。

恐らく暴れたせいで赤黒く腫れあがっているのを処置されたのだろう。
そういえば、身体には昨日の情痕なども残っていないことにも気付く。
嗅ぎ慣れないソープの匂いがした。
情事の最後には意識を飛ばしてしまったが、それから後始末をされたのだろうことが想像出来た。

忌々し気に舌打ちをする。
桶永は避妊具も使用しておらず何度射精したかも分からない情液はすべて中に吐き出された。


ゆっくりと身体の向きを変えることで、今度は起き上がることに成功した。
煩わしそうに額に落ちてくる前髪を片手で掻き上げる。
身体の上には薄い毛布が一枚掛けられていたが、全裸であった。
青島は溜息を付いてトレイを持って立っている男を前髪の奥から頼りな気に見上げた。


「飯?」
「何、お前怪我してんの」
「・・・まあ、そんな・・・とこかな」


曖昧な返事に眉を潜めた男は、起き上がって後ろの柵に身体を凭れさせる青島の裸体に訝しげな視線を走らせる。
無遠慮なその眼差しに、青島は不貞腐れたように顔を背けた。

自然と上がる嬌声や呻きを無理に何度も押し殺したせいだろう、喉もヒリつくような痛みがあった。
至る所に紅く浮き上がる鬱血の痕。
大人ならば誰でも察しの付く情事の名残だ。


「お前・・・まさか、ここで誰かに抱かれたんかよ」
「・・・どうだっていいだろ・・・」
「その相手って、桶永さん?」
「――」


興味無く青島は膝の上に置かれたトレイに乗っている食事に手を伸ばした。
思えば久しぶりの食事だ。
粗末なパンと冷めたスープだったが、それでも腹に入れられるだけマシだと思えた。
尤もこれに毒物でも入っていたらアウトなんだろうが。
・・・眠剤くらいは入っているかもしれない。


「んだよそれ・・・」

目の前で男が不本意だというような悪態を吐く。
なんか変なリアクションだなと思って青島は虚ろな視線を向けた。

「それって合意?お前が誘ったん?」
「・・・何でそんなこと聞くんだよ」
「答えろよ。殴られてぇの」
「・・・・」
「へえ、反抗的」


粗末な食事は何の味もしなかった。
それでも黙々と口に運ぶ。少しだけ、室井の手作りの温かい食卓が脳裏を掠めたが無視をした。
木の実が入ったパンは堅く、ゴムのようだ。スープにごろごろ浸っている野菜は芯があった。
最後にスープを皿ごと掴んでごくごく飲み干してやると、音を立てて食器を戻した。
手の甲で乱暴に口元を拭う。

上目遣いでベッド脇の椅子に腰掛ける男をじっと見る。


青島より若そうに見えるその男は、最初から喰えぬ笑みを絶やさない奴だった。
媚びる世辞を並べながらも、その目が微塵も笑っていない。
営業を長く勤めあげてきた青島にしてみれば、まだ青く拙いと感じられた。
だからこそ、その未熟さに油断してしまった訳だが。

背は高く、細身で今どきの若者といった格好だ。
髪はかなり短めに刈り込まれ、銀色に染め上がり、黒々とした瞳はアウトローで空虚だと思った。


少し腹に食物が入って、気持ちが冷静になってきた。
置かれた環境の情報の少なさへの不安も恐怖もあるが、そんなことより目の前の男に漠然と興味を引かれた。

青島が無警戒に無垢な視線を向ける。


「俺さ・・・、アンタの名前も知らないんだけど?」
「必要ないからな」
「男の名前なんかに用はなくても、俺、アンタには散々な目に合わされてきたわけ。裏切られて、びっくりさせられて。今、こんなだし」
「それはお前が迂闊だからさ。騙し易いカモだったぜ」
「最終試験だって言われてた、あん時だってそうだ。最初から俺の正体知ってたわけ?・・・その、〝桶永サン〟から聞いて」

敢えて相手の心を擽るように口調を変えると、男は満足そうに顎を上げた。

「そうさ。新しい駒を入れてみたから仕込んでやってくれって。俺が!頼まれたの」
「信頼されてんの、それ。一緒に潰そうとされてたんだったりして」
「言ってろ。警察の裏情報入れるパイプになればなんだっていい」
「あっそ。――で、アンタの名前は」
「もう今更必要ないだろ。コンビ組むこともないさ」
「俺をどうする気?」
「さあね。上のやることは知らない、そこはアンタの方が良く身に浸みてんだろ」


――成程。つまりコイツは今も下っ端なわけね。

考えもせず世間話のように会話を合わせていた青島の飴色の瞳がスッと艶めいた精彩を帯びた。
脳味噌が少し回転し始めていた。

所轄の人間を拉致して警察情報を取り込めるなんて、そんな冗談の様な理由を本気で信じているんだろうか。
桶永がそんな楽観論を抱く訳がない。むしろ、そういうことにして騙していると考える方が自然だ。
あれだけの事をしでかしておいて、コイツが未だに下っ端であることを考えると、碌な情報を落とされていないと見て良いだろう。
それなりのポストを与えられた重要な幹部的ポジションだと思っていたが、見込み違いなのか?
なのに、この不遜な態度。
この事件に関わる人間の相関図が歪んで掴めない。

掴めていないからこそこの事態の呼び水となった?
ならば、最初から全てはあべこべだったんじゃないか?

――そうだ、戦いはあれで終わった訳じゃない。まだ続いているんだ。


「――で、抱かれたのかよ?桶永さんに」
「何でそんなことが知りたがるの」
「あのオッサン、男も女もイケるって噂だったけど・・・本当だったんだな。なぁ、どんな風に抱くんだ?」
「はぁ?どんなふうって」
「散々喘いだんだろ、声、掠れてるぜ。・・・どんだけ達かされたんだか」
「・・・どうだっていいだろ」

野卑た視線でしげしげと全身を舐めるように見られ、青島は耐え難く顔を逸らした。


・・・最中の記憶は断片だ。
それでも桶永の節張った指を咥えさせられ、啜り啼く媚びた嬌声を滾々と溢れさせていたことだけは記憶の断片に憶えている。
何度も達かされたことで理性も矜持も脆く崩れ去り、残酷な手に淫蕩な反応を返し
あの太い筋肉質の身体に巻き込まれて奥深くまでを貫かれた。
命じられるままに我を忘れ、奥深くまでを奪われ、卑猥な言葉で哀願した。

・・・こんなにも自分が脆く弱かったなんて。
何もかもが自分の思い通りに進められないセックスなんて初めての経験で、咽び啼くしか出来なかった。
そう、抵抗一つ。

所々が不鮮明なくせに、不必要に鮮明な記憶は赤裸々に青島を断罪する。
瞼を伏せ、自嘲気味に口端を歪め、前髪を乱暴に握り締めた。


「すげぇキスマークの数。どんだけ烈しいセックスしたんだかな。愛されマシタってか」
「・・・あのさぁ、オトコの情事聞いて楽しいか?」
「ハ・・ッ、馬鹿言うなよ、何で男同士の汚ねぇ突っ込み合いに」
「だったら少しは遠慮しろよ、俺、オトコに初めてこんなことされて、ショック受けてんだけど?」
「ハジメテかよ」
「あ、当たり前だろ、何、お前こそ経験あんの?」


スッとソイツの瞳が陰る。
勿体ぶった空気の色が狂気を孕んだ。


「ある・・・・って、言ったら?」


ふと違和感を覚えた。
そもそも男同士のマイノリティな間柄など早々指摘出来るものではないし、デリケートな側面も含む一方、世間的にはアブノーマルな性癖という偏見や同性愛に 対する嫌悪感など
主に否定的な反応を返されるのが通常だろう。
だからこそLGBTの社会認知は低く受け容れ基盤も整っていないのが現状だ。
日本では異質なものを排除する土地風習は未だ根強い。
営業をしていた時も刑事として生きるようになってからも、人と触れ合う機会が多いだけに、そういう少数派の行く末は度々目にしてきた。


じっと見つめてくる男の瞳には何の感情も熱も浮かんでおらず、先手を取られて青島は視線を奪われ
不安定な空気を解くように小さく首を傾げる。


男に対し何かをされたと推察される相手に対しての配慮も変だった。
女性のそれとあまり変わりがないような、単に女と寝ている所を突き止めただけのような気軽さが彼にはある。
情後の匂いを芳わせる青島に対し、この男は相手を同性と断定した挙句、名前まで当てた。


「アンタさ・・・・・もしかして、俺に嫉妬してんの?」


それには答えず、男はそれまで座っていたキャスター付きの椅子から立ち上がった。
ピンと張り詰めた空気が耳鳴りを起こさせる。
濁った霧の様な不確かさのまま、赤らんでいる口唇をうわ言のように動かした青島もその動きを追う。
ベッドに近寄り、男は青島の頤を人差し指で持ち上げる。
その屈辱的で嘲弄した仕草に、青島の眉もスッと曇った。


「・・ンだよ・・ッ」

顔を背けようとするが引き戻され、指は外れない。
上から見下ろし支配する顔には不気味なほど感情がなかった。

頭上で手錠を掛けられていた昨日とは違う。
青島は一定範囲での自由度を得ている手で男の手首を掴んで逃れようと指先に力を入れるが
それを力で捩じ伏せられ、男は片手に簡単に治まる青島の小さな顔を固定してきた。

「・・ん・・っ・・、ィ・・ッ」


上から圧し掛かるように瞳を覗きこまれ、息を止める程の距離で睨み合う。


「どうやって誘ったのか教えろよ、この売女が」
「図星?」
「いいから答えろよッ」
「男の嫉妬か、だっせぇな」
「だったら今度は俺がお前を奪ったらどんな顔するんだろうな」

――こいつもかよ!


そう思った次の瞬間にはもう口唇を塞がれていた。
顎を強く捕えられ、ぶつけるように口唇を合わせられる。
影掛かった圧迫感にピクッと跳ねた背中が後ろの柵に押し付けられ、渇いた金属の音が悔しさの感情を溢れさせて飽和する。
複雑で強い目が自分を威圧的に嘲っているのが歪む虹彩に映った。

感情を揺さぶるほどの現実感もないが、少し冷たい感じのする薄い口唇の感触に、青島の目が眇められる。
鎖の付いた手で退けようと押し返すが、痛めた手では大した力は入らず効果はなかった。

「・・ッ、・・く・・ッ、ぅ・・ッ」

なんとか外そうと青島が踠くため、ベッドの上で二人は揉み合いとなった。
雄のプライドを逆撫でされた男がベッドに片膝で乗り上げ、口唇に強引に吸い付いてくる。
苦情を言うため開けた口から漏れる荒い息が意図せず空気を色付かせ、淫靡めいたものに錯覚させた。
思わずきつく目を閉じて、眉尻を下げる。
頑是なく首を振るが、勿論解けることはない。
それどころか細長い首筋や肋骨が力むことでラインを際立たせ、男を劣情させる。

押さえ込み制圧しようと男が青島を肩を腕で囲ってきた。
完全な支配下に置かれたら拙い。


――何で俺がこんなめに・・・っ

どうして男にばっかり凌辱されるのか。
どうして立て続けにこんなことされるのか。
どんどん室井から遠くなる。どんどんあのひとを失っていく。意志を無視して遠去けられて。
どうして俺ばっかりッ。

青島は眉を切なげに寄せた。


「・・ッ、くぅ・・、ん・・・っ」

乱暴に捻じ込まれた男の分厚い舌に息が詰まり、青島は苦しげな呻き声を漏らした。
涙目になったのは一瞬で、咽返るような舌戯に口腔を卑猥に舐め回される。
それは舌を責め取ろうという動きだと分かった。

目を堅く閉じ、眉を寄せて青島は顎を逸らす。
肩を強く抱き込まれ、角度を変えてぴったりと男に口唇を密着される。
抱き寄せる腕の強さに絶望的な差を植え付けられた。

知りたくなかった男の味は、ただ穢れていくだけの施しに過ぎない。


「――ッ」

男の舌が無防備な歯列を辿って中央へと侵入したそのタイミングで、青島はその舌に思いっきり噛みついた。
ビクリと男の身体が委縮し呻きと共に咽た態勢を狙い、男の腹を膝で蹴り上げる。

「グフ・・ッ、おま・・ッ」

倒れ込んできた男に、もう一度反対の足でトドメを入れようと腹筋に力を入れた瞬間、バランスを取るため掴んだベッドサイドの柵が上に持ち上がって平衡感覚が崩壊した。


「――え!!」
これ、取れるのかよ!


あまりに突然に訪れた衝撃だった。
ベッドに縺れるように倒れ込んで、唖然と宙を見上げる。

ネジが弛んでいたのか、或いは差し込むだけのセッティングだったのか。
ベッドヘッドの柵は青島の両手首のチェーンを付けたまま、ベッドから外れ、宙に持ち上がる。

突然舞い降りた幸運に咄嗟に判断が追い付かない。

下着も着けていないフルチンだ。――どうでもいい!
敷地図面も知らない。――どうでもいい!
扉は奥が開けっぱなしだ。――それでいい!

それだけが全てだった。

思いがけない事態の一変に逡巡したのは実際1秒にも満たない。
青島は片足で上に圧し掛かる男を蹴り飛ばすと、両手で柵を持ったまま薄い毛布から飛び出し、扉へと突進した。









6.
「てめぇ!」

後ろからあの男が叫んでいるのが聞こえるが、振り返らず暗い廊下を駆けていく。
昼間だと聞いたが電灯を点けない廊下はかなり暗い。

「おい!こら!待てよッ!!」

だーれが待つか!


建物の中は想像していたものとはかなり様相が異なっていた。
寂びれた長い廊下が暗闇に向け延々と続き、まるでお化け屋敷のようだ。
やがて扉に差し掛かれば、階段があり、廊下は更に続いていた。

何だ此処?
横に長い・・・校舎かな?

コンクリートが剥き出しの壁が続いているが、確かに昔の校舎に似た内観だった。


「おーい!逃げたぞぉ!そっちだ!!」
「っと、いけね!」


背後からあの男が迫ってくる。
出口が分からないので、とりあえず真っ直ぐに走る。というか、曲がり角がない。
一向に灯りの取れない埃臭い廊下を一目散に走り抜けていくと、やがて窓が表れ、陽が射し込む通路へと変わった。
確かにまだ外は明るいらしい。


「うわぁッ!なんだお前ッ!!」

丁度横の部屋から出てきた見知らぬ男が悲鳴をあげる。
・・・そりゃそうだ。
全裸の男が柵を持って威勢良く走っているのだ。

「きゃあぁぁ!」

女の人が顔を覆っている。
・・・ですよね、ごめん。

視線が全裸に突き刺さる。
・・・ここ結構人がいるんだな


ごめんと心の中で謝りながらひたすら青島は走った。
息が切れてくる。
身体中が痛んでいたが、それでも。今はそれどころじゃない。
方々で悲鳴が聞こえるが、それも、構っていられない。

太腿を上げる度、疼く傷痕が鋭い痛みを走らせた。
それが体力を奪い、青島の息を上げさせてくる。

「は・・っ、・・っ、ぁ、は・・っ」


きっと、多くの人に迷惑かけている。みんな心配している。みんなが俺を捜している。
最後まで俺が諦めるわけにはいかないんだ。
この身体がまだ動いている限り。心が痛んでも胸が軋んでも。
足掻いて踠いて、精一杯やったんだよって、誠意を遺したい。

もうきっと二度と逢えないあのひとへ。
最期の願いが昇華する。
気付いて。届け。届いて。

室井ならきっと最期の青島の雄姿を汲み取ってくれるだろう。
感傷に浸っている場合じゃない。
痛みに暮れるのは死んでからでいいや。


重たい足を必死に引き摺り、前へ進む。
すーすーする下肢と揺れるものが少々邪魔だ。ぱんつって意味があったんだなぁ・・・。
それより窓からこっちを見ている誤解を生んだ生々しい視線が痛々しい感じで遣る瀬無い。

足が縺れて足場の悪い廊下の尖りに何度も引っ掛かる。
転びそうになりながら、壁に手を付いた。

この柵、意外に重たいな・・・。


やっと行き止まりみたいな奥手が見えてきた時、背後に迫る追手の声がすぐそこまで迫っていた。

「止まれって!」

止まれと言われて止まれるか。
足を速めようとしたが、返って縺れてふらついた。
酷使した身体に持久力は削られ、限界を知らせていた。


「待てよッ!」

すぐ背後の男の気配がし、二の腕を掴まれた。

「・・ぁ・・っ、放、せ・・っ」
「逃げられると思ってんのかよッ」
「放せったら・・っ、・・ァ・・ッ」


あっと思った瞬間、ガクンと膝の力が抜けて、遂に青島の身体はその場に崩れ落ちた。
持っていた柵も派手な音を立てて廊下に投げ出される。

やっぱりこの身体では無理があった。
昨夜散々に男に凌辱され、酷使した腰が上手く立っていない。力も入らないまま、あらぬところが腫れてじくじくと疼き、いきなり走った筋肉は疲労を蓄積して いる。
足腰がまともに使えるわけがなかった。
健康な男に勝てるわけがない。足には自信があっただけに青島の落胆も大きかった。

二の腕を掴まれたまま、俯いて荒い息を吐く。
汗で濡れた髪が頬に張り付いていた。
だが追いかけた男も隣で荒い息を整えていた。



「おうおう、何処に居ても騒がしいなお前は」

荒々しい息で悶えた躯のまま、気だるそうに青島が顔を上げる。
乱れた前髪の向こうの扉から、桶永がにやにやと笑みを浮かべて立って覗いていた。

「・・ッ」

一番逢いたくない人間に会ってしまったが、今はそれにリアクションを取れるだけの力もない。
酸素不足で、いきなり走ったせいで肺が呼吸を優先する。
痛められた身体で無理したせいで、あちこちが悲鳴を上げている。

桶永が吹かしていた煙草を口から放し、紫煙を優雅に天井に吐く。

「派手にやったなぁ」
「・・るせ・・ッ」
「全裸で逃走とか、想定外のことをしてくれる」
「ほ・・とけ・・ッ」
「これ、猥褻罪になるんじゃねぇか?」
「んな、よゆ・・ぅ、ねーよ・・ッ」

憎まれ口をそれでも絶やさない勝気な青島に、桶永は心底楽しそうな笑みを湛えた。

「飽きねぇなぁ」


つかつかと革靴を鳴らして近寄り、桶永は自分のジャケットを青島の肩に掛けその肌を隠した。
それから徐に引き寄せ、肩に担ぎ上げる。
簀巻きがマットレスのように抱えられ、青島が苦情を上げた。


「ばか・・ッ、降ろせよ・・ッ」
「身体、痛えんだろ、無理すんなって」

ばたばたと足をバタつかせて身を捩る青島を、桶永は軽々と片手で抱き込み立ち上がる。
連なって持ち上がってきた柵を反対の手で取り上げた。

「これだけ元気なら問題ないな」
「どこへッ、連れてく気だよ・・っ、・・降ろせ・・っ」


それには無視し、桶永は足元で同じく息を整えていた男に冷然と目を映す。
その目は青島を見つめていた時とは対照的に、冷徹な蔑みが混じっていたが、背を向けて担がれている青島が見ることはなかった。


「ちゃんと見張れって言っておいたろ、何をしていた」
「あ・・・すいません・・・」
「・・・・無駄なことは止めた方がいい」
「え?」
「お前にコイツは無理だ。手懐けられない」
「でもソイツの偽情報を掴んだのは俺で!」
「本気でそう思っているのか?」
「――!」
「手を出したんだろ。・・陵轢すれば俺を負かせるとでも思ったか」
「そんなつもり――」
「次はない、二度と鍵を忘れるな」
「――」


深々と頭を下げる男を尻目に、桶永は背を向けた。

どっしりとした足取りで去っていく桶永の肩に担がれた青島は、小さくなっていくその男をじっと見ていた。
顔を上げ、睨みつけるようにこちらを見送っているその眼差しが何故か冷たく胸に突き刺さった。











7.
急がぬ足取りで、元居た部屋へ連れ戻されていく。
反乱は振り出しだ。
青島を担いだまましっかりと鋼鉄の扉を施錠してみせると、ベッドに放り出された昨夜とは逆に柵付きなこともあって、桶永は抱えていた青島をそっとベッドに 降ろした。
鍵を奪えない以上、逃げ出しても仕方がない。青島も大人しく従う。


「よく真っ裸で外出る気になったな、無茶しやがって」
「色々構っていられる余裕ないもんでね」

フッと桶永が笑う。
なんだよ?と青島が睨み上げると、桶永は柵をベッドヘッドに取り付け治し、今度は手錠のチェーンをベッドの足へと撒きつける。

「声、掠れてる」

指摘され、カッと顔を赤らめた青島が、そのまま頬を膨らませた。

「チェーンを巻き付けただけで拘束になると思ってんの」
「心配しなくても後で鍵を取ってくる。尤も今のお前で俺に力で敵うと思っているんなら話は別だが?」
「ちっ」


舌打ちして視線を外した。
桶永は慣れ親しんだ恋人のように口唇を寄せてくる。
咄嗟に顔を更に背けるが、大きな男の手で遮られた。


「簡単に他の男に口唇を赦しやがって」
「・・・なんで断定できるんだよ?」
「アイツは素人だ。昔ヤンチャしていたらしいが、それでも所轄とは言え本職刑事の隙を突くなんて、効果的な弱点を狙わなきゃ難しい」
「弱点・・・」
「昨日の今日だ、男に襲われるのは流石に抵抗あるだろう」
「・・・・てめぇにそれが言えんのかっ」


ふふんと鼻白むと桶永は顔を傾け口唇を合わせてきた。
裸の丸い肩を抱かれ、そのままベッドへと押し倒される。
キスは触れ合って直ぐに深いものへと変わった。
青島は頑是なく首を左右へと振って、当然のように侵入しようとする舌を防御するが、そんなことも楽しいのか桶永の口端が触れ合ったまま持ち上がったのが分 かる。
素直に口を開く気には成らず、足をバタつかせたり、手で服を引っ張ったりした。

そんな抵抗も男を煽るだけで、やがて分厚い舌が圧迫するように強引に口腔を制圧してきた。

「・・っ・・・」

ゆっくりと唾液を混ぜ合わせて内壁を擽られる。
奥へと逃げた舌をいとも容易く吸い上げられ、桶永の口内へと招かれた。


噛み裂かれれば致命傷とも成り得る急所の無防備な粘膜を明け渡す行為は、授けあえる相手だから赦される儀式であって
得体の知れぬ男に嬲られる無抵抗さは、麻痺した緊張感と危機感を兼ね備え
それが肉の緊張と心の感情を反比例的に昂ぶらせてくる。

昨日の今日で、確かにすっかりと馴染んだ口唇の弾力が覚えた順序で擦り合わされ
薄い皮膚は直ぐに敏感に紅くなった。


すっぽりと頬を包み込んでいた手が下がり、然程官能の匂いをさせてこないまま、布を纏わない素肌を嬲られる。
自然と上がる息遣いの向こうで、接触はどこか奇妙でざらついた舌の感触や辿られる指先の太さを意識させた。
期待するような舌の動きを敢えて避け、青島は腹立ち紛れに男の渇いた下唇に歯を立ててやる。

つまらなそうに桶永が軽く口付けを外し、圧し掛かったまま青島の額に張り付いた前髪を愛しげに梳き上げた。


「反抗的だな・・・昨夜はあんなに俺の腕の中で可愛く喘いでいたのに」

睨み上げる傍からまた吸い付かれる。

「ざけんな、この強姦ホモ野郎・・っ」
「その強気な感じが淫らに変わるとこ、すっげぇ燃えたよ・・」
「はな、せよ・・っ、へんたい・・っ」


楽しそうな瞳がどこか愛おしそうな色を帯びることも腹立たしく、青島は身を捩る。
身体の曲線が桶永の目に晒され、背中にも浮き上がる沢山の情痕が色鮮やかに白いシーツに花散らす。


「おい・・・誘うなよ」
「誰がっ」
「ヤり足りないように見えるぜ」
「昨日はよくもまぁやってくれましたよねッ、・・・俺は誰かにバージン捧げることになるとは思ってもいなかったッ」
「だろうな」
「アンタの目的はなんだよッ」
「目的か・・・」


顎を捕えられ、下唇をぷにっと親指で押さえられる。
昨夜から何度も桶永が情事の最中見せた癖だ。


「なぁ・・・、お前、俺のオンナにならないか」
「はぁっ?この期に及んでよくそんなことが言えますね・・っ」

括られた手錠のチェーンがガチャガチャと金属の音を上げている両手を桶永に掴まれ、邪魔だというようにシーツに縫い付けられた。
苦情を言うために上向いた口唇をそのまま塞がれる。


「ン・・ッ、・・っ、ふ・・・」

ねっとりと輪郭を辿るように舌で舐め回されれば、それは簡単に昨夜の荒淫を思い起こさせた。
今日はシャツを無造作に羽織っただけの桶永の格好は、だらしなくボタンを半分以上開けていて
そこから屈強に彫り込まれた胸板が覗いている。
褐色の肌は既に汗ばんでいるかのように光っていた。

その筋肉質の肉体は、昨夜、頑強さで青島の全身を支配していた。


重みで軋む音が部屋に響き、見上げた先の目が妖しい緑色にも似た違う艶を奥に灯す。
青島は眉を潜めて身体を強張らせた。
何故か少し空気に兇悪さが混じる。

五指を物欲しそうな欲望を伝えるように桶永が絡ませ、縫い付ける。
ねっとりとした銀色の糸が二人の口唇を結んだ。


「どうせお前・・・室井んとこには戻らないだろう?」
「・・・戻して、くれんの・・・」
戻れなくしたのはアンタじゃないか。

「だよな」
「適当な気休め、言うなよ・・っ」


拉致同然で連れ去った人間を、犯罪行為の口止めもなしに解放する人間はいない。
口止めはまた、明確な利害関係を持ち出してこそ成立する。
まるで青島の意志で拒絶したかのような桶永の言い分に、頭の中にどろっとしたものが湧いた。
掠れていた声はそのまま灼き切れたような熱声になる。


「最初から・・ッ、確信犯だったくせに・・」
「戻れないよな、そんな躯にされて」
「俺をそうしたのはアンタだ」
「だから俺んとこ来いよ・・・、あの雪の日言ったこと、強ち嘘じゃないぜ」

〝だったら俺ンとこ来るか〟
緊急避難の提案であるかのように告げられたあの時の空言は今も確かに青島も覚えている。

両手を広げて押さえられたまま、頬から耳へと口付けられ、青島は嫌そうに顔を背けた。


「惨めだな、アンタ」
「同じだろ」
「一緒にすンな」
「室井に応える気はないんだろう?俺はただ切欠を肯定させてやっただけだ。都合の良い優等生ぶるのは止めろ」
「勝手なこと・・ッ」
「報われない同志、慰め合おうぜ」
「・・・ヤだね・・ッ、お断りだ」


吐き捨てるように言ったその口唇を、今度は奪うように塞がれた。

絡まった舌が舌の根元までをも暴いていき、痛みを伴う強さで吸い上げる。
どう逃げようとも奪われ舐め回される舌戯に、息が上手く吸う事ができず、次第に酸素不足で脳内の思考力が低下していく。
白濁していく視界の向こうで、音のない世界は卑猥な水音だけを木霊させた。
羞恥心が擽られ青島の中で堪えきれなくて逃げ腰になる。


あの時。
身につけていた衣服は全て剥ぎ取られた。
室井と繋がる最後の繋だった。
全て失って、だからこそ心がより強く深く室井を意識した。
それはもう言葉ではなかった。
理屈ではなかった。


「か・・て、なこと、ばかり・・・っ、んぅ・・ッ」

息継ぎのタイミングで奥深くまでを奪われ、分厚い舌に巻き取られる。
卑猥な水音を立てながら、桶永に舌根から愛撫された。

頭を押さえられて、奥底を探るようなキスを受けていると、力が抜けてくる。


「エロい顔すんな・・・メチャクチャにしたくなる・・・」
「アンタが・・そんなだから、その影で気付かれない奴が泣くんだろ・・」
「・・・・何の話だ?」
「アイツ。さっきの・・・、アンタが好きなんじゃないの・・・」
「・・・・」


大人になると、情熱は厄介な代物へと変化する。
それは理屈のようで理屈じゃない。
若い頃は好きなだけで良かった。欲しいだけで突っ走れた。
誰もが届かない思いを抱え雁字搦めになる。
誰もが一番を手に入れられなくて我慢している。


「お前が勝つ裏で、負ける奴がいるんだぜ。室井にもだ」


桶永の言葉に一瞬目を見開くと、青島は声を遮断したいかのようにギュッと目を瞑り、口唇を噛み締める。
自分からではどうする事も出来ない、得も知れぬ感覚に背中を何かが駆け巡った。

俺は結局、逃げたんだろうな。室井と、恋から。
こんな結末を望んでなんかいなかったし、想像もしていなかった。
与えられたのは残酷な逃げ道だ。

気付かれることもなく、行き場のない気持ちは、ただ、亡霊のように彷徨うだけだ。


「あの日・・・官舎に拉致しに来た時、アンタ言ってたろ、室井さんにも取引をしてきた過去があるって」
「・・・ああ」
「あの時いきなり過ぎて反論出来なかったけど、あの人は信念に恥じらうことはしてないよ、絶対」
「――ガキだな」
「確かに官僚なんだからさ、政治の世界は俺には分からないことだらけだけど、それだけは、言えるよ」
「だとしたら、尚更戻れないな、お前」


痛みなのか苦しみなのか悲しみになのか。
良く分からない痞える感情を留め、青島は自分を縫い留める男を淡い虹彩に映した。


「同情で繋ぎ止めている内に、本気になることもある」
「・・・だったらそうしてやれよ・・・」
「それでもどうしても叶えてやれないことってあるんだよ」
「・・・・」
「一番が手に入らない者同士、俺がいる事で気が紛れるもんだぜ」
そうかもしれない。


きっと桶永も自分の気持ちと戦ってる。
捩じれ絡まってしまった情愛の糸は、大人になるほど解れ難くなる。
それはその意味では、彼は同じ共同体だと思えた。


桶永の眼はもう先程までの昂奮した焔は秘めておらず、達観したような密やかさで青島を見つめていた。
キスの名残りさえ匂わせない眼差しに、青島は桶永にそんな瞳で見つめられるということが、酷く不思議な気がした。

今から抱かれるんだという緊張と不安が全部入り混じった感情は、あの頃の行き場のない焦燥に似ている。
過去に馳せる目をして青島は覆い被さってくるその腕に指先を縋り付かせた。
その指が力が入ることはなかった。



外気に晒された空気と、桶永の手の温度のギャップに、堪えていたものが我慢出来なくなった。
それからはもう、口を満足に閉じる事すら敵わなかった。
手で達かされ、口で嬲られ、舌で貪られ、部屋中に自分の声だけが荒い息と共に響いていて、羞恥は記憶を都合良く燃焼させ、煽らせた。









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続きはぬるいえろ(鬼畜)があるので苦手な人は次章へ→key