東京変奏曲2season Ⅲ
第七章
1.
それは、ほんの小さな隙だった。
*****
冷たい雨水が天井の罅割れたコンクリートの隙間から漏れ出し、残響をひとつ震動させる。
飛沫が跳ねて、青島の頬を打った。
退廃的な色の世界から、意識が浮上する。
「・・・・、・・ッ、ってぇ・・・」
無理に身体を動かそうとしたら、擦り切れて紅く爛れている皮膚に金属が当たり、反射的に呻いた。
両手は頭上に掲げられ、錆びた鉄の鎖で繋がれている。
接触面の皮膚が裂けて紅く滲んでいるのは、何度も暴れたせいだ。
血流が下がり腕は痺れを齎し、今はもうあまり感覚はない。
あるのは痛覚だけで、鈍い痛みはそれこそ全身にあった。
凍えるように冷え切っていた。
冷たい酸素を吸い込み、少し咽る。
余所余所し気に付けられた小さな天窓から白藤色の陽射しが射し、朝になっていることを知る。
雀がたむろっているのだろうか、妙に平和な鳴声を盛んに囀っていた。
ここが何処かは知らない。
意識を失っている間に運び込まれた時からここにいる。
コンクリートが剥き出しの殺風景な部屋は、油と薬品の匂いがした。
砂利を巻き込みながら、青島は恐る恐る足を動かしてみる。
至る所で身体が悲鳴を上げ、青島の薄く開かれた口から不規則な呻きが漏れた。
埃と汚泥で薄汚れた額や頬には乱れた髪が束になり張り付いていて、ボタンを二つほど開けたシャツの隙間から綺麗に伸びる首筋が天を仰ぐように逸れる。
青島を繋いだ鎖はそのまま壁に無造作に打ち込まれたフックの様なものに括られていた。そう簡単には外れそうになかった。
両手を揺さぶる度にパラパラと鉄錆のような破片が落ちてくる。
遣る瀬無い幾度目かの溜息を落とし、青島は力を抜くように壁に背中を凭れさせた。
・・・・こうして繋がれるのは二度目だ。
前の時は身体は元気だったし、まだ気力があった。仕事中という意識格差もメンタルを支えていた。
拘束する手錠が寂びて綻びていた幸運も重なり最終的に引き千切ることが出来た。
だが今度はどうだろう。
新しくはないが、随分と太い鎖である。
「奴らさんも必死なようで」
荒漠とした牢獄のようにさえ感じられる屋内は、幽寂としていた。
水をばら撒かれたようなフロアは至る所に水たまりが出来ていて、油浮きが七色に光る。
雨漏りがするのか、配管設備が老朽化しているのか。
規則的な水音が微かに聞こえていた。
出入り口は前後に二つ。
でも奥まった扉は多分、出口ではなく奥部屋への入り口だろう。
暖房など気の効いたものはなく、赤錆が生えている銅製の大型工具や作業台が整然と並べられている視界はほとんど遮られていた。
やけに広いスペースだ。それでも、この部屋には見張り一人いないようだった。
日付の感覚も良く分からない。
腕に痒みを覚え、見れば注射の痕があった。薬で長時間眠らされ、栄養剤補給されていたんだとしたら、かなりのタイムロスが考えられる。
もう何日目だっけ・・・・ぼんやりとしたチンダル現象を起こす光の道筋を虹彩に映り込ませながら、青島は力無く頭を傾けた。
錆びた音を立て、前方の古臭い扉がギギギと地響きと埃を巻き上げた。
ハッと意識を鋭く緊張させ、青島は視点を合わせる。
ここ数日で見慣れた男が、そこに立っていた。
青島は息を殺し、うねった前髪の奥から鋭い光を宿した瞳を噛みつくように対象者へと向けた。
威嚇するのは、もう相手へというより自分への奮起かもしれない。
「お目覚めか。飯は取引だ。吐く気になったか?」
「いらねぇよ・・・っ、これ外せっ」
「まだ威勢が残っているとは驚きだ」
青島が瞳の奥から煌めきを迸らせて睨みつければ、男はそれを嬉しそうに見降ろしてくる。
不本意な態勢でも負けたくはない。
勿体ぶった動きで近付いてきた男は青島の目の前まで来て立ち止まった。
「手負いの獣のようだな。手懐けるにはコツがいるタイプだ・・・さすが空き地署の厄介者と名を馳せるだけのことはある」
「どこの噂だよそれ」
「知らないのは本人だけだろ。俺も威勢の良い奴は嫌いじゃない」
「今更、上の機嫌を取ろうなんて思ってませんよ」
「ほう?」
「アンタだってただじゃ済まないよ、引き返すタイミングを間違えたね」
「まだ間違えたつもりはないがね」
「こんなことする人間を上は庇ってくれるわけ!」
ハッと軽蔑の失笑を吐き出し、青島は視線を外した。
合わせて吐息だけで苦笑を漏らすと、男の視線は投げ出された青島の長い四肢を舐めるように視姦する。
ボタンもだらしなく開けているシャツでは防寒にもなっていないんだろう。
シャツから綺麗に伸びる首筋は長く、若い肌をうなじまで晒していた。
手を上げているせいで浮き上がる左右の鎖骨が綺麗だ。
湿った黴臭い部屋は底冷えしていて、地べたに直接座らされた格好の青島の下半身も濡らし、投げ出した脚も浸みこむ冷気で強張っている。
彷徨わせた視線を足先に向けると、裸足の爪先は紫色に変色していた。
逸らされたままの青島の光彩は僅かな光を吸っている。こんな場所でも艶めいて見えた。
「変わんねぇなぁ」
「人間、そうそう変われないでしょ」
「全ては結果なんだよ。お前だって出世出来ると言われたらその目の色変えんだろうがよ」
「興味ないですよ」
「そうやって。本音を隠すのも俺たちとおんなじだ」
「つまり上は知らない訳だ」
勿体ぶった言い回しをする男に焦れ、青島がキッと眼差しを戻す。
「独断でこんなことしているようじゃ、組織も階級も崩壊してんね、アンタんとこ」
「所轄のやっていることと同じだろ」
「俺がバラしたら終わりだ」
「リークするだけの時間を与えて貰えると思うのか」
「桶永さんッ」
ふふんと笑い、胸ポケットから恭しく国産煙草を取り出すと、男は――桶永は煙たそうな顔をして火を付ける。
一つ、大きく吸い込んでから、天井に向けて吐いた。
「ねぇ・・!何でこんなことしてんのさ・・!アンタを慕っている人や期待してた人とか、部下までみんなを裏切ってまで!」
「俺に説教しても無駄だ」
面白そうに笑みを浮かべると、桶永は腰を落とし、青島の目の前まで顔を近付けた。
ふぅっと煙を噴射させる。
思い切り吸い込んだ青島は、煙たそうに咳き込んだ。
「まだ言う気にならないか。さっさと吐いてくれよ。俺だって暇じゃねぇ」
「その情報でアンタに何が手に入んのッ」
「刑事なら黙秘の無益さを知っているだろ」
「刑事ならッ、こんなこと止めろ・・・ッ」
「つまらねぇなぁ、もっと面白いこと言えよ」
口を開けて嘲りの息を吸うと、桶永は立ち上がった。
しっかりと磨かれ黒光りしている皮靴で、次の瞬間、大気を切断するように青島の脚を一つ大きく蹴り上げた。
「ツ・・ッ!」
鋭い衝突音と息遣いが震動する。
呻き声さえ上げられず、目を閉じて青島は衝撃をやり過ごした。
反動が電流のように全身に走り、青島の端正な躯が髪ごと波打つ。僅かな息さえも殺させる。
揺れた身体に伴って、頭上に吊るされている鎖が派手な金属音を立て、それがまた青島の腫れ上がった手首を擦り上げた。
パラパラと舞い落ちる鉄錆が音を立てて青島の肩に光る。
「痛い目に合いたくないだろ、素直に吐けばすぐ楽にしてやれる」
「・・く、・・ッ、ぁ、アンタら外道の言う〝楽に〟って殺すって意味だろ」
「ヤクという手もある」
「そこまで落ちたか」
青島は血液混じりの唾をペッと吐き捨てた。
ニヤリと口角を持ち上げてみせれば、桶永も満足そうに目を眇めた。
ふふんと肩を揺すって笑い、桶永はもう一度青島の顔に向けて煙を細長く吹きかけると、吸っていた煙草を揉消した。
じゃりと靴底で潰す音を立てる。
「――言え。ファイルはどこだ」
今度は片膝を付いて青島の瞳を奪う。
顎を親指で掴まれ、上向きになった顔に間近で攻められる。
その瞳を反発を込めて睨みかえした。
精一杯の抵抗を込める。
こんなシーンでさえ、青島の瞳は透明感を失わず、艶治ささえあって深み艶めいた。
寝乱れたような退廃的な表情を想像させる中で、対称的な無防備なあどけなさがより挑発的に桶永を昂奮させる。
怒りで筋張る瑞々しい首筋と柔肌。
取り込まれるように桶永が至近距離で目に映す。
二人の眼光が油臭い部屋で烈しく衝突した。
「知らないね」
「クソガキが一丁前に強がりやがる」
「知ってたってお前らなんかには絶対教えない」
「いいだろう、あんまり強情だとやり方を変えなければならない」
「――ご自由に」
何でこんな行き違いが起こってしまったんだろう。
この人も。俺も。
「面白い」
――あれは、本当に、ほんの小さな小さな失敗だった。
星屑のような心の油断が、まさかこんな大きな事態に発展するだなんて、その時の俺は考えもしていなかった。
*:*:*:*:*
「・・・行ってくる」
湿った吐息で室井が囁いた呼吸が、そのまま青島の口唇を掠った。
至近距離で光る切れ長の闇の瞳が壮麗で、思わず呑まれそうになり、慌てて憎まれ口を叩けば、それさえも緩やかに、かわされた。
大人の男のゆとりと余裕にたじろぎ、リアクションさえ分からなくさせられる。
室井の細長い指先が青島の細髪をくしゃりと掻き回して、柔らかな接触を残し、スローモーションのように離れていった。
あの朝の――何かが組み替えられてしまった最初の朝の、甘ったるい空気と微かな整髪料の匂いを漂わせた会話は、直向きな愛おしさを残し
室井は登庁していった。
あんまりにも室井が自然な仕草で口付けるから。
あんまりにも穏やかで甘やかなキスをするから。
動悸が止まらなくて呼吸も出来なくて、どうして良いか分からないままに青島の胸が震えた。
手の甲で今塞がれたばかりの口元を覆って、胸を掻き毟る。
閉じられた扉を睨みつける。
一拍置いて、そのままリビングに掛け戻る。
恥ずかしいやら、照れ臭いやら、いや、もう、何だかよく分からない。・・・・昨日から。
ばっふんと、そのまま勢いでソファのクッションにダイブした。
ヒキガエルみたいな恰好でクッションに顔を押し付ける。
「ぁううぅぅ~~///////」
じたばたしたいような、とんでもないことが始まってしまったような、忘我の中で鷲掴まれた心が軋んでいた。
くっそ、嬉しいんだと自覚するほどに頬が火照っていった。
そんな、浮かれた接触に心が湧き立って動揺に胸を躍らせて――その日に限って、青島は三つの鍵の存在を忘れた。
異変に気付いたのは十時にもなろうかという頃だった。
玄関で物音がした気がした。
何だろうと思うのと、三つの鍵の掛け忘れを思い出したのは同時だった。
元々備わっている扉の鍵はピンタンブラー錠で、いつも室井が表から施錠する。(その後辺りに人がいないことを確認してから侵入者チェックの紙をを挟み込ま
せていた)
そうして、中から青島が新たに取り付けた補助錠の三つを施錠する。
ここに同居してから繰り返されてきた二人のルーチンだった。
身体に染み付く程馴染んでいた作業だった。
いつもの流れで忘れたことなどかつて一度もなかった。
室井からも事あるごとに口酸っぱく言われていた。のに、キスでぶっとんだ。
しまったと思い、まさか不審者とは思わないが、慌てて作業を中断し玄関へ向かう。その青島の目が見開いた。
サムターンのピンがゆっくりと回っていく。
誰かがそこに居るんだと脳に情報が到達した時には、カタンと小さな音を立てて、解錠されていた。
何だ?
何が起こっているんだ?
不味いと脳が認識するのに合わせ、青島の全身の細胞が湧き立つように活性化していく。
懐かしい感覚。
刑事となって磨いてきた、感性が研ぎ澄まされ、本来の精気を取り戻す、そのざわめく瞬間。
室井に護られ、ここ最近忘れていた察知能力。
ひたひたと渇いた土が雨を吸収するように、青島の眠っていた野生的な感受性が肌を栗立たせ目覚めていく。
一歩下がる。
扉が、まるで封印を解かれたかのように開いていった。
心臓は破裂しそうに脈を打っている。
汗ばむ手を握り締め、それでも視線を外さないままに、ゆっくりと後退していく。
リビングまで戻った。
次の瞬間、一気に扉が開放され冬の冷たい空気と共に数名の男たちが一斉に雪崩れ込んできた。
合わせて青島の身体が反射的な動きで反応を示す。
テーブルにあったガラスコップを掴み、彼らへと投げつけた。
当てるつもりはない。
一瞬の足止めと、侵入の証拠を残せれば。
ガラスの破片が一欠片でも落ちればそれは侵入者の存在を確実に肯定する証拠となる。
本人たちというよりは割れることを期待して少し斜めの軌道を描き、壁を狙った。
が、それを何と片手でキャッチされる。
音も立てずに、黒い皮手袋をした指先に包まれ、流れるようにガラスコップは宙で止まった。
まるで青島がそうすることを知っていたかのような動きだった。
その軽業に目を見張った一瞬が青島の隙となった。
正面にいた男が黒の皮手袋をした手でガラスコップを丁寧にテーブルに戻すのと同時に、男の両脇から二名が息の合った動きで飛び出してくる。
怯んで足の止まった青島の足がたたらを踏むままに、あっという間に間合いを取られ、腕を掴まれる。
「なっ、なんだよアンタら!」
「騒ぐな」
「誰だよ!名乗れったら!」
一人が後ろに回り、羽交い締めにされる。
足をじたばたさせ、身を捩ろうとするが、皮手袋をした手で口を塞がれた。
「んぅぅ!むぅう!ぅぅ!」
「怪我をしたくなければ大人しくしろ。まだ危害を加えるつもりはない」
知らない声だった。
尤も全員黒いマスクを装着しているので誰が誰だが判別も付かない。
それに、ガラスコップの意図を正確に見抜き、空気一つ動かさず受け取った動き。こいつら、素人じゃない。
両腕を後ろに取られ、口を塞がれたまま身動きを封じられていると、扉から新たにもう一人入ってきた。
その人物はマスクを付けておらず、その顔を見て、青島は瞠目した。
「終了しました」
「ご苦労」
報告を受け、軽く頷くと、そのまま近付いてくる。
「よう、久しぶり。・・・事態が理解出来てないって顔だな」
――桶永だった。
何気ない挨拶のように声を掛けてくる。
ただ、その姿はいつものスーツではなく、他の男たちと同じように全身ピッタリとしたバイクスーツらしきものを着込んでいた。
背後で青島の動きを封じていた男が、青島の口元の手だけを緩めた。
青島は大きく息を吸って呼吸と気持ちを整えると、改めて桶永を訝しげに伺う。
「桶永さん・・・?何・・・?」
「時間がない。用件だけを単刀直入に言う。ファイルはどこだ?」
「・・・ぇ・・・ファイル・・・・・」
言っている意味も事態も理解出来なくて、青島が呟くように言葉を繰り返すと
チッと小さく舌打ちした桶永が大股で近付き、青島の肩に手を掛けた。
と同時に、青島の腹に拳を抉るように突き立てる。
「ぐふ・・ッ、ふッ・、ぁ・・ハ・・ッ」
見事にみぞおちに入った衝撃に目の前がチカチカする。
両腕を後ろ手に男に押さえられていたため、逃げ場もなかった。
いや、何より桶永に対し警戒がなかった。
呼吸を阻害され、青島は身体を丸めるようにして顔を歪める。
その襟首の辺りを掴まれ、身体を強引に上げさせられる。
「おいおいおい、気絶すんなよ、時間がないって言ってんだろッ」
「かは・・ッ、ハ・ッ、ぁ、あ・・・・」
もう一発。力任せに拳を喰らう。
ふらつきかけた足を蹴り、背後の男が腕を引き上げることで胸を逸らされ、固定された。
桶永が青島の前髪を引き抜かんばかりの強さでぐしゃりと掴み上げ、頭を持ち上げられる。
屈辱的な態勢のまま、聡明なリアクションなど思い付かず、青島は半開きの口で荒く酸素を吸った。
その苦悶の顔を晒す青島に額を寄せ、桶永が嬌笑を浮かべて至近距離で甘く囁いた。
「事情は理解出来たろ。さあ、今度はこちらの要求に応えてもらおうか」
「し、知らな・・・、どゆ、こと・・ッ!?」
「面倒くせぇなぁ。お前が持ち去ったファイルだよ」
「げふ・・ッ、・・ぅう、・・ぁ・・」
どういうことなのか。
だったら後ろの人間は警察の者で、警察が青島を疑っているということなのか。
室井からはそんな話はまるで聞いていない。
第一。
「ぉ・・、桶永さん・・・、捜査から外れたんじゃ、なかったの・・・ッ」
「捜査?ああ・・、はぁん、お前、ほんっとにおめでたい奴だな。・・・おい」
桶永が視線で背後の男に声を掛ける。
青島の動きを背後から封じていた男の横で腕を組んで立っていた方の男がマスクを軽く上げた。
まだ事態が飲みこめず不安定に揺らぐ青島の瞳に、顔を出す。
彼の顔を捕え、青島の瞳が驚愕に見開かれる。
「ど・・・ういうこと・・・、なんで・・・・」
「まだ分かんねぇの?ばっかじゃね?」
歳は青島より下に見えるその男が、ハハッと渇いた笑いを乗せて嘲った。
うわ言のように呻き声を漏らす青島の頭の中で混乱した記憶がブリザードのように怒号を上げて駆け抜けていく。
縋るように桶永に視線を戻す。見降ろす冷酷な顔をたどたどしく見上げる。
突き放すかのように、桶永は冷めた眼差しで遮断した。
羽交い締めしている男の横で卑しい笑みを浮かべていた男は、青島が最終試験だと言われ参加した取引で、結局盗撮がバレて追われる羽目となった切欠のあの時
に
新人だと紹介されペアを組んだ男だった。
何故その男がここにいるのか?
彼は青島と一緒に任務失敗となった筈で、それなりの処分が下されるのだと思っていた。
その男が何故、健在なんだ?
何故まだグループにいられる?
何ということだろう、だとしたら、最初から全ては仕組まれていたのだ。
男と桶永が行動を共にしているこの現状。
彼らは警察ではなく、密輸グループの一員だ。
違う、彼は新人なんかじゃなく、最初から青島をマークする幹部の一人だったのだ。
そして、桶永こそが警察内部情報を彼らに漏らしていたパイプだ。
仕組まれていた・・・じゃあそれは何処から?この潜入捜査を命じたのも、この男だった。
「アンタ・・・何者だ?」
青島が眉を訝しげに潜めた。
これまでの不可解な実情の符合が、ここにきてどんどんリンクした。
なんであんな無茶な捜査させたのか、それを聞いた時、桶永は点数稼ぎだと誤魔化していたのに。
全てはコイツから始まっていた。
所轄の中から青島を指定し、初めから接触させるつもりで・・・むしろ、使い捨てるつもりで選んだとでもいうのか。
「いいね、その目」
「何が目的だよ!」
「俺が何者かなんて、この際関係なくなっただろ」
「どうッ、して・・!」
怒りで尋常じゃない力で挑みかかろうとする青島を、背後の男が二の腕を捻り上げて引き戻す。
青島の瞳が苦みを潰したような悔し紛れの憎しみを湛えた色に変わった。
その青島の顎を掴み、桶永が妖しく笑った。
「質問しているのはこっちなんだよッ。さっさとファイルの在処を言え」
「警察裏切ってんのかよッ!このことッ新城さんが知ったら・・・ッ!」
「やかましいなぁ・・・」
フッと口唇を尖らせ細い息を吐き、桶永が再びボディブローを入れる。
げふげふと嗚咽を漏らした青島の口から、唾液が飛んだ。
ガクッと膝が抜ける身体を背後の男に留められ、羽交い締めにされた両腕に体重を預ける。
乱れて眉間に掛かった前髪の奥から、それでも一縷の望みを託すように青島は桶永に視線を合わせた。
「何か弱味でも握られているとかッ?・・・理由、あんだろッ」
「・・・まったく・・・こんな所まで来させられて興ざめなんだよこっちは・・・」
「言い訳しろよッ!まだ間に合うからッ」
「さっさとファイルの在処を吐けよッ」
今度は膝で腹を蹴りあげられる。
知らない。本当にファイルなんて知らなかった。何のことを言っているのかさえ分からなかった。
青島が持ち去ったと思っているのだろうか。
それとも隠してから逃亡したとか?
第一今どき機密情報などはデータ化されメモリやUSBに保存しておくのが一般的だ。
それをアナログなファイルだって?
「桶永さん・・・ッ」
「幼くても刑事は刑事か・・・」
呆れた眼差しに変えて肩を竦めた桶永の元に、先程から部屋を嗅ぎまわっていた残りの一人が戻ってくる。
「どうだった」
「ありません。もっとしっかり探せれば・・」
「止めておけ。ここはキャリアの部屋だ。痕跡は一切残すな」
「しかし」
「なに、・・・収穫はある」
顎を持ち上げ、青島を指す。
男が一礼して引き下がる。
一連のやり取りに気を取られ自分を拘束している男の腕が緩んでいることに、青島が気が付いたのはその一瞬だった。
気付いた瞬間にはもう身体が動いていた。
「あ・・っ!」
するりと腰を落とすことで腕から抜け出し、片手で着地する。
地面を蹴るように飛びながら、男の脛を思い切り蹴り上げた。
「クゥ・・ッ」
「コイツ!」
「追え!」
「逃がすな!」
バランスを崩した隙に一目散に玄関へと向かう。
怒号が飛び交う中で、玄関に到達する僅かな間に混乱した思考を整理した。
――が、青島はそこから脱出しようとはしなかった。
扉のピンタンブラーを施錠すると、三つの補助錠を全部掛ける。
その扉に背を付け、奴らに向かって仁王立ちした。
「ここから出られると思うなよ・・・!」
両手を広げ、声高に宣言してみせると、その場にいた全員が呆然と息を呑み、間合いを取った。
「貴様!」
「待て」
桶永の鋭い指示が飛ぶ。
片手で配下の者を制すると、探るように青島に視線を向けてきた。
「どうする気だ」
「アンタらに逃げる隙は与えない。このままここで俺と心中してもらうさ・・・!」
「室井が帰るまで持久戦に持ち込む気か・・・!」
ニヤリと口角を上げて見せることで答えとする。
「今から何時間あると思ってるんだ・・!」
「だけど俺だって引く気はないよ!」
「この人数で勝てると思ってんのか?」
「さあね!勝算がなきゃ動けない?」
不思議と身体は震えていなかった。
気ままな青島の瞳は気高い焔を乗せる。
絶体絶命のこの状況で、保身よりも本部の立場を優先する青島の選択に、桶永は一瞬呆け、それから面白そうに一つ笑いを乗せると
挑みかかろうとする男たちを諌め一歩前へ出た。
胸ポケットから何かを取り出す。・・・サバイバルナイフだった。
「じゅ・・・銃刀法違反なんだからね・・・っ」
「今更だろ」
「所持していることで銃刀法に違反する刃物は刃渡り5.5cm以上の剣!充分、軽犯罪だ!」
「これは特注でね・・・俺のお気に入りなんだ・・・」
桶永は愛おしそうにその銀色に鈍く光るギザギザの刃先を長い舌でぺろりと舐めてみせた。
「ぉ、俺に下手なことしてみろ、血痕の一つでも残れば全警察キャリアを敵に回すことになるんだぞ・・・!」
「痕跡を残すような真似を俺がすると思うか」
「動けばそれだけ可能性は上がる!」
「鑑識が何処をどう調べるか。手の内は嫌という程知っている」
「お互い様だろそれ」
「ヘマはしないさ・・・」
青島が辺りに視線だけを巡らせた。
広げた両手は下ろさない。
「窓からの脱出は不可能なのは分かってるんだろ。人目とカメラに足が付くもんな、だから監視カメラの死角となってる玄関から堂々と入るしかなかった。違う
か?」
「ここに、助けが来るとでも?」
「ここは官舎だ。勤務体制はまちまちで、平日午前中だって部屋に人はいる。騒ぎを起こせば困るのはお前らの方だろ」
「・・・」
「一歩でも俺に近付いてみろ!この扉開けて大声で叫んでやる・・・ッ!ナイフの脅しになんか屈するもんかッッ」
喚いて、発奮して、息を荒げた肩を整えた。
怖じ気ている場合じゃない。
ナイフに逃げ腰になっている場合じゃない。
両手を広げたまま、青島は奥歯を噛み締めた。
濡れたような口唇を引き結び、喘ぐように浅い息を繰り返す。
彼への違和感が不信感となり、ハザードが鳴り響く脳内がアドレナリンを盛んに分泌し、一気に昂ぶっていた。
もし彼が自らの意思でこのグループと行動を共にしているのであれば、今更浅い価値観や狭い経験で物を言った所で
急ごしらえの説得など出来やしないだろう。
そうなれば、どんな裁きを下してくるか読み切れない。
粛正などで勝てる相手ではなかった。
しかも頭数からして負けている。
取り押さえようと間合いを詰めた所で、無事では済まない。
でも、自分の口を封じられるということは、室井と新城の捜査妨害に直結することは間違いない。
このルートを途絶えさせることは処分の対象となるとも聞いている。
事態の最悪さに直面し、青島は内心叱咤したい気分だった。
迂闊だった。
でも、一旦封切られた戦いは、もう止められはしない。
くっくっくと肩を揺すって笑いながら、桶永が顎を上げた。
「面白い奴だと分かっていたが・・・全く、相変わらず想像以上のことしてくれるな」
「な、なんだよ」
「あの夜、俺にキスされて震えていたのは誰だったかな」
「か、関係ないだろ、大体オトコにキスとかオカシイんじゃないの」
「室井とはそういう仲にならなかったのか」
「関係ないだろそれこそ!」
「ふぅん?不能なのか、それとも焦らされた方が昂奮する男なのか、見た目通り」
「あのひとを侮辱するな・・・っ」
チラッと昨夜されたキスが脳裏を過ぎり、微かに青島の頬が赤らむ。
それを初心な反応だと捉えた桶永が肩を竦めて尚くすくすと笑う。
桶永の足が更に一歩近付いた。
「近付くなって言ってんだろっ!」
「当座凌ぎの企画は穴だらけなものだ。ったく、お前の口八丁な度胸はいちいち称賛するよ」
「土壇場で逆転って王道が好きなもんでね!」
「ふん・・・、俺達に逃げられたら困るのはお前もだろう。その鍵が開けられない以上、お前に勝ち目はない」
「だとしても!俺が戦わなかったら俺を護ってくれた人たちに申し訳ない!」
――なにか、なにか痕跡を残さなきゃ。
青島の脳内が目まぐるしく計算をしていく。
どうせ俺はもう駄目だろう。
でも今後の捜査に役立つもの、いずれ帰宅する室井に本当の敵を知らせる証拠となり得るもの。
ゆっくりと間合いを詰める桶永との距離を目算しながら、青島は必死に時間稼ぎをする手段を脳裏で搾り出そうと奮起していた。
奴らを挑発するんだ。もっと、冷静さを失うくらい・・・・意外性のあるものがいい。
勝てる相手ではないことは、最初からわかっていた。
加えて、こちらは何の武器も持っていないのだ。
悪知恵なんか、幾らでも湧いてくる方だったのに、こんな時に限って何のアイディアも浮かばない。
焦りは思考を鈍らせていく。
こんなことなら靴とかケータイとか、色々強請っておくんだった。
「日本警察侮んなよ・・・!アンタらが束になっても敵うもんかッ」
「だからこそ俺がいたのさ」
「アンタじゃ室井さんの・・・新城さんの足元にも及ばないね」
「その誇れる警察とやらは今、足取り一つ掴めず袋小路みたいだぜ。しかも上からの指示で本部は縮小。・・・現実はそんなもんだ」
「諦めてない人たちもいる」
「諦めなかったら犯罪者は全員捕まるのか?まさかその歳でそんな空論言わねぇよな?」
手立てのない青島に、余裕な表情で桶永はまた一つ歩を進めた。
他の四名は後方で腕を組んだり、ニヤニヤしたりと、静観しているだけで、事を全て桶永に託したようだった。
「動くなって!」
「お前の大切な室井サンは、また、泥が付くな。今度はどんな処分となることやら。負け犬キャリアを護るのに必死か」
「あのひとを侮辱すんなって言ってんだろッ」
「何を言う。一番侮辱してんのはお前だろ」
「あ?」
「その足を引っ張るのはいつもお前だ。前回も。今回もだ」
「・・ッ」
青島の瞳が驚きで見開かれる。
挑発しているつもりが挑発されている。
正確にこちらの痛い所を付いてくる辺り、論争も抜け目がない。
青島は煽られ開いた口を一旦止め、視線を上げてから、額に手を翳して前髪を掻き上げた。
「俺を挑発したいの?」
「お前の真の目的は室井の帰宅じゃない、室井の手を煩わせないことだろ」
「ッ」
青島の肩がピクリと痙攣する。
「俺たちはファイルさえ取り戻せれば引き下がる。お前も室井も処分はされない。イーブンな取引だと思わないか」
「――」
本当にファイルについては何のことを言っているのか分からなかった。
彼らが何故青島を疑うに至ったのかも裏で何が起きてきたかさえ読み取れない。
だが、ファイルを青島が隠し持っているという何らかの確定的証拠――確信があるからここまでやってきた筈だ。
こんな官舎に忍びこむようなリスクを冒してまで。
青島に正体をバレることを代償としても、そのファイルとやらは奴らにとって組織の根幹に匹敵するお宝なのだ。
だとしたら、それは使える。
「俺に指一本触れたら、ファイルなんて永久に戻らなくなるよ、いいの」
「・・・・」
桶永の足が止まった。
反応を見定めるような目付きに変わる。
やはり彼らにとってのキーワードはファイルだ。
もし拘束して警察に突き出すのが筋だとしても、ここである程度の情報を引き出すっていうのは、取引としては充分である。
パソコンを使用しない、つまり内臓ディスクから復元もさせたくないほどの機密情報か。
「もし俺にもあれから仲間が出来ていて――・・・、定時連絡を入れなくなったらファイルを消去するという約束を交わしていたらどうするつもり?」
「貴様――」
「甘いのはどっちだ?取引はこっちに分があるんだぜ・・!」
「俺たちを脅そうってのか」
「お互い様だろ・・・!どうせ、アンタらだって下っ端だろ。ファイルを持ち帰らなかったら何らかの処分とやらが待っているんじゃないの。命令した人も
がっかりしちゃうだろうね」
「・・・ッ」
「大人しくここで警察にタイホされといた方が利口だよ、少なくとも痛い目を見ずに済む」
「いい度胸だ・・・!」
桶永の瞳色が変わったのを青島は見逃さなかった。
「所詮同じ使われ者だよ!偉そうなこと言ったって階級社会で生き延びるために媚びている中間管理職だろ!」
「黙れよ」
「自分じゃ何も出来なくて、こっちがクビになったからそっち?ばっかじゃねぇの!」
「黙れっ・・!」
「負け犬なのはどっちだよ!!」
刹那、桶永が風を切るように間合いをゼロとし、挑みかかってきた。
桶永が腕を振り上げ、勢い良くナイフを振り下ろす。
そう来るとは思わなかった油断で、思わず青島はびくっとして目を瞑る。
ギリリと何かが激しく裂けるような鋭い音が耳元で弾けた。
静寂が戻り、薄目を開けば、自分の顔の真横にナイフが突き刺さり、真っ二つに切断された鍵がゆらゆらと三つ揺れていた。
サバイバルナイフってステンレスも切れんのかよ。
目を見開いて光る刃先を凝視する。
扉に片手を付き、青島を囲うようにして桶永が顔を近付ける。
影となった視界は急に酸素が薄くなった気がした。
「これ以上、俺を怒らせないでもらおうか」
「こ、・・・の程度の挑発で怒っているようじゃ・・・・アンタ、器じゃねぇよ」
それでも怯む訳にはいかない。
室井が帰ってくるまでまだ半日以上もある。絶望的な途方もない時間が。
「お前の毛嫌いするやり方は、お前の大事な室井サンを潰す源泉でもあるんだぜ」
「簡単に潰されるような男じゃない」
「その目。その目に室井もやられたんだろうな」
「言っている意味が分からないよ」
どちらも囁き声だった。
片手で桶永がナイフを引き抜き、青島の首筋に添える。
「そんなに睨んでくれるなよ」
「仲良くしたいとは思わないね」
「ゾクゾクして殺したくなるだろ・・・」
青島の声が震えていることに桶永は気付いていた。
室井の話題にだけ青島の気配が変わる。あの雪の夜だってそうだった。チャンスはまだこちらにある。
桶永は渇いた下唇をペロリと舐めると、目を眇めた。
「あの夜も、キャリアに喧嘩売るわりに震えてたな」
「アンタこそ、新城さんを見返したいって言ったのに、その結果がこれかよ」
桶永は青島の手首を掴み、顔横に縫い付けた。
傷痕が色濃く浮き上がっている青島の瞳は頼りなく、背筋をぞっとさせるほど、賢明で必死で、男の庇護欲と嗜虐を生む。
その淫らさに傲慢な支配欲が肉を灼くほどの熱りを持って、あの雪夜を再現させ、その揺るぎない刺激に桶永は年甲斐もなく煽情された。
「何の価値もないって泣きべそ掻いていた・・・いっぱい好きで、見てほしくて、頼りにしてほしくて、がんばったんだって言っていた・・・、アレ、室井のこ
とだろ」
「どうでもいいだろ今は」
「涙ぐましい努力だ。それもこれも、全部室井のためか」
「だったら何」
「そこまでして身体は与えてないのかよ、男なら奉仕されたら悦ぶぜ?」
「そんなんじゃないっ」
叫んだ青島の声と共に、桶永の目が眇められた。
「とんだアオズケ喰らってんのか、室井も」
「救いようのない変態だったんだな、アンタ」
「なぁ・・・、なんで俺がお前の居所突き止められたと思う」
「は?知ってたんじゃ・・・」
「生憎、捜査は極秘で行われていてね、一度クビになった俺が簡単に入り込めるほど甘くはなかったよ」
「・・?」
「新城が徹底した緘口令を布いていた。側近の取り巻きすら知らされていなかった」
「――」
「手も足も出なかった、そんなところ、お前が部屋を飛び出した・・・雪の日だ。天の啓示だと思ったね」
その意味するところを聡く察知した青島の身体が小刻みに震えだす。
「あのまま浚っても良かった。だが足が付く。だからお前の口から居所を探ったのさ」
「俺、別にやばいこと・・・言ってない・・」
「直接はな。でも、『俺ンとこ来るか』とカマ掛けたら〝アンタも官舎だろ〟とお前は答えた。後は簡単な推理さ」
「!」
「捜査に関わっている役職連中。その中で新城が最も信頼する者、青島と繋がりのある官僚・・・。あの日のお前に室井の名を出した時に見せた顔で察しはつ
く」
なんだよ、やっぱり結局自分で自分の身の破滅を呼んだんじゃないか。
室井に迷惑かけてまで。
正視出来なくなって斜めに落とした視線を、桶永がナイフで鮮やかに持ち上げる。
冷たい刃先が皮膚に当たり、冷たい現実を象徴しているかのようだった。
「大事に囲われていたんだろ?一歩も外へ出ない・・・、出させないんだもんなぁ」
ヤニ臭い息を吐き、桶永がこの場にはそぐわない物腰柔らかい笑みを湛えた。
情けなさに崩れ落ちそうな瞳で、だが気丈に利かん気な姿勢を貫く青島に、桶永は危険な香りのする眼差しをそっと眇める。
呑み込まれまいと、最後の気力を振り絞って青島が真っ直ぐに見返してくるその勝ち気さに怯えが隠しきれない様が
より桶永の肉体も精神も過剰に劣情してくる。
その一線も、室井のためか。
そして、室井が手放さない神髄か。
「取引だ。お前が口を割らないっていうのなら、代わりに室井を警察に売ってもいい」
「そんなことできるわけないだろ」
「ファイルを隠し持っている共犯者を匿った男として、取り調べをさせるってのはどうだ」
至近距離で覗きこまれる瞳に、少し顎を上げて睨みかえしていた青島の瞳が見開かれた。
「ふざけんな」
「まだ官僚である俺の言い分は充分な信頼性と正当性を持って取り上げられるだろう」
「証拠もない見え透いた嘘に警察が引っ掛かるわけ――」
「潔白かどうか。そこは重要じゃないことくらいもう分かるだろ。円卓の連中に取り上げさせるということが重要なんだよ・・・・査問委員会にでも取り上げら
れれば充分
な汚点になる」
「――お前ッ」
「お前は知らないだろうが、その昔室井だって散々な取引をしてきた男だぜ」
「いい加減なこと言うな!」
「有名な話さ。室井を徹底的な実学主義に育て上げたのはこの警察だぜ?」
心当たりがあるんじゃないか?と問い掛けられ、青島はふと出会ったばかりの頃の室井を思い出した。
所轄との埋まらぬ溝、関係者だった雪乃への容赦ない聴取。狭窄のままに上だけを見て邁進していた我武者羅な盛期。
徹底した、冷血な型物男だった時代。
同居している間、頂点まで見に行こうと煽った時〝キャリアに付き合うのなら泥塗れだ〟と言った室井の言葉。
畏怖と驚異の対象にもなっている造形が黒く歪んで亡霊のように脳裏にこびりついた。
青島に浮かんだ逡巡を見て、桶永はほくそ笑む。
「成果が全てモノ言う世界に生きていれば誰だってそうなる。大したことじゃあない」
「だからって・・・!」
「合わせて隠していた過去まで暴かれるかもな。キャリアは誰でも破滅のカードを持っている。・・・さあ、室井を売りたくなければファイルの在処を言え」
「ずるいぞ・・・!」
「政治取引ってのはそういうもんだ」
手立てを失って気配に澱みが出来た青島が、悔しそうに視線を彷徨わせる。
その仕草は無防備で、無防備なくせに艶冶な気配を含み、反発する。
桶永が青島のうなじに手を回す。まともに顔を覗き込んできた。
「言えないか。・・・まあ、何も出やしないが、取り調べを受けた官僚として一生濡れ衣の苦悩は味わってもらえそうだ」
「なんっ・・」
「そうだろ?発端はお前だ。いつだってお前だ。これまでもこれからも。傍に居る限りに、関わるごとにキャリアに傷が付いていくなんて厄介事、運のない男
だ」
「煩い煩いっ」
「全てはお前のせいでだ」
「・・っ」
「また、何の役にも立たなかったな」
「何だと!」
喰ってかかろうと開いた口唇を、桶永が強引に奪い、青島を腰から引き寄せる。
心と身体の双方に植え付けられた動揺に付け込み、桶永が舌を捻じ込んだ。
畳み掛け、尻に隠し持っていたスタンガンが押し当てられ、鋭い電気が青島の身体を貫いた。
2.
ピチャンと水滴が落下する音が遠くで鳴っている。
重い気配に沈んだ空気は弔うように凍てつくコンクリートに遮蔽されていた。
挑発にも及び腰にならず挑戦的な輝きを灯す双眼に、久しく覚えのない心地良い躍動感が桶永の背筋に走っていた。
睨み合うほどの鋭さはないものの、見つめ合う温かみなど一切含まない視線を
不意に途絶えさせたのは、桶永の方だ。
「おい、いるんだろ」
誰ともなしに呼び掛ける声を発し、桶永が視線だけを後方に鋭く走らせると、そこで初めて気配が動く。
人がいるのに気付かなかった青島がきょとんとして視線を向ける。
扉の向こう側にずっと控えていたらしい男が顔を覗かせた。
「――なんすか」
「準備しておけ」
桶永が尻ポケットから鍵束を取り出し、男へ放った。
受け取った男は何やら下賎な笑みを浮かべ、一度だけ青島を見遣るとそのまま退散することなく奥の扉へと向かう。
「な、何する・・気だよ・・・」
「口で言っても分かんねぇ奴には躯に聞く。セオリーだろ」
言っていることは社会常識を欠く内容なのに、事も無げに告げる桶永の瞳は空疎で、それが主体性のない放縦な異常性を青島に伝えた。
背中から首筋に向けチリチリとした悪寒が這い登り、全身の毛が逆立つような錯覚が這う。
まるで白昼なのに熱帯夜のように感じさせた。
酸素が足りないまま、咽返るような判然としない思考に感情を読み切れなくて、青島は表情を失くし、ただ桶永を見上げ答えを乞う。
そんな青島を大した関心も持たぬ冷めた目で疾視すると、桶永は膝を折り、片腕を青島の顔横に付けると覆い被さる。
前触れもなく硬直し青島の青ざめた口唇を強引に塞いだ。
がしゃりと頭上で括られた手首が戦慄き、合わせて鎖が重たげな音を上げてゆさゆさと揺らめく。
「ンッ、ハ・・ッ、ぅ、んむぅ・・ッ」
必死に乱暴な口付けを解こうと青島が首を横に振る。
頑是ないその動きに、桶永は嬉しそうに口唇を滲ませながら、角度を変えて強く肉を押し付けた。
勢いで、青島の顎が少し反った。
背後の壁に後頭部を押し付けられたまま、桶永の口付けの性癖に従わされる従順性は、男の肉や血の奥底から灼き焦がしていく淫女の素質を備える。
きつく眉根を耐え難き恥辱に歪め、口唇を明け渡す青島の顔は殊更桶永の劣情を刺激した。
「・・・ふ・・ぅ、・・・ぅん・・・っ」
小作りで弾力の強いふっくらとしたく口唇は陶酔を煽り、紅い舌を覗かせながら愛玩する。
両手を壁に付けて青島を囲ったまま何度も擦り合わせていると、次第に抵抗の薄れた口唇が唾液でぴったりと密着した。
滑るままに深い口付けへと変える。
濡れた息が桶永の口腔に注がれ、青島が喉を唸らせ、途端に空気も熱を孕み色付いていく。
口唇を奪われ、身動きの取れない青島が残りの僅かな抵抗を乗せて、覚束ない足で何度か地面を掻いた。
退けようと蹴ってくる力は、凍えているためもあって阻害にすらならず
桶永は薄目を開けて、悶える青島の顔を視姦する。
眉根を切なげに寄せつつ目尻に朱がはたかれる。伏せた睫毛は想像以上に長い。濃い影を頬に揺らす。
・・・・これは相当楽しめそうだ。
長閑に鳴く雀の鳴声が、まるで遠い廃墟の名残りに捧げる歌声のようで、あちら側の世界の陽気さを唄っていた。
特に情熱的に刻むことはしなかった口接を、桶永はゆっくりと解放した。
キスをした後の目線が光の中で重なる。
青島の前髪が桶永の額を擽る距離で、妖しく光る瞳は凛としていて、そこに映り込む自分を陶酔した視線で桶永は見降ろした。
「俺がお前にしたいこと・・・理解出来たか・・・」
「なんで・・・何でこんなこと・・・すんの・・・?」
あまりに幼くピュアな質問に、尖っていた神経を少しだけ治め桶永は苦く笑った。
「キスしたら躯に沁みるもんもあんじゃねぇか?」
「こんなッ・・一方的なやり方で何を・・ッ」
「俺は室井と違って辛抱強くないんだ」
「順番が違うだろ」
ふと口を吐いて出てきたのは恨みごとのようで、まるで愛を強請っているかのように錯覚させた。
性に関心の大半が偏心している思春期ならまだしも、男なら一夜の慰みに多くは求めない。そんな夜もあると割り切れる。
初心なことを口にする青島に桶永の心の何かが逆転する。
「お前・・・幾つだ?」
「・・・それが?」
「まさか二十代だったりしないよな?」
気に障ることだったのだろうか、キスの余韻に少し苦みに澱んでいた青島の意識がここにきて鮮明さを帯びた。
童顔であることは男にとっては不利で、愛嬌ある顔立ちは幼さと共に愛らしさを見る者に与えた。
これまでも揄われたりしたことも多いのかもしれない。
あからさまに不機嫌な顔をして青島が頬を膨らませた。
そういう所が幼いのだ。
「・・・もうとっくに三十超えてますよ・・・ッ」
「31?」
「もっと!」
「32」
「34!」
「マジか?!・・・随分若く見えるな」
「大きなお世話だよ・・ッ」
不貞腐れてしまって、青島が横を向く。
晒されたそのうなじがほんのりと熱を帯びていて、香り立つように色付いていた。
上に手を吊るされていることで反り立つ胸元が、華奢な骨格をシャツの上からでも浮き立たせてくる。
まるで愛撫してくれと言わんばかりの艶肌は、甘く滴っている気さえした。
くらりとした酩酊感に、桶永は平衡感覚を思わず奪われる。
比類なき美貌に、この俺がたじろいだ。
「なら当然――、生娘じゃないだろ・・?」
「・・・はぁ?」
「アソコ使って・・・誰かを善がらせたんだろ。一丁前に腰振って・・・濡れた肉に突っ込んでさ」
「そ、それが何だよ?」
桶永は徐に手を伸ばし、青島の襟元を乱暴に引き寄せた。
驚愕で丸くなった瞳が桶永に戻ってくる。
その開いた襟元に指先を忍び込ませた。
ビクリと青島が片眉を歪め、反応する。
怯えたような視線が桶永をゾクリとさせる。
これはかなりの上玉だ。
あの雪の夜に暗がりで眺めた時よりも、こうして陽の光の元で見る一級品は別格だ。
磨けば、危険なほどに、美しくなる。
これほどの逸材を我が手に治め、数ヶ月一つ屋根の下に囲っておきながら、一切の手を出さなかった男。
気が知れないと桶永は思う。
友情に雁字搦めになったか。
余程の不能か、余程のマゾだ。
数度、鎖骨を往復するように撫ぜてから、顎のラインを辿る。
悩ましく意味深な動きをさせて注意を向け、青島が息を潜めたのを見届けてから
ポケットから愛用のダガーナイフを取り出した。
「今度はお前の喉元を切り裂いてみせてもいい」
脈絡のない宣言に話が本筋が戻ったのだと敏感に悟った青島の瞳が強気な活力に満ちた。
それはいっそ蠱惑的にさえ映った。
それを睥睨する。
「・・・そんな脅し・・・・」
「そうでもないぜ」
強気な口調だけは失わない瞳を見つめながら、ボタンを上から一つずつナイフで外していく。
ピンと弾け、一つ、青島の頬を掠った。
また一つ。
本気だということをようやく聡した本能か、青島が身を捩るように後退さる。
だが勿論大した後退にはならない。
「ゃ、やめろ・・ッ」
フルフルと武者震いのように震えるシャツの下から上質素材のインナーが表れる。
若く艶めいた柔肌が徐々に視界に広がり、桶永は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「幼いままだな躯も・・・肌も若い」
桶永からしてみれば、屈強なキャリアやアウトローな人間たちの中で鍛えられた筋肉ばかりを拝んできた。
力比べをすることはなくとも、肉体的スキルもまた肝要な素材である。
そういう世界に生きていない人間の、未完成な危うさと成熟を達成しながらもどこか残る繊細なラインを持つこの肉体は、いっそ中性的にすら感じられ
粛然のような肢体に戦慄いた。
刃先を器用にジーパンのホックに宛て、ピンと弾く。
男の器官に刃先が向けられ、青島も抵抗すら出来ずに凝視する。
手を使わずチャックまで下ろし、下着を晒した。
辱めた格好で両手を吊るされている姿は、この上なく煽情的で、だが強さを失わない瞳とのギャップが、この上なく身の内の獣を劣情する。
ガンッとナイフを顔横に突き立てた。
ヒュッと風を切った音が耳を微かに掠める。
「いい、格好だ」
「・・・っ」
ナイフにたじろぎ、怯んだ身体が剥きたての果実のように震える。
堪え切れず、その肌に齧り付いた。
指先で喉仏から肌を嬲り、その若い瑞々しさを堪能する。
思った通り、滑らかで触り心地が良い。
熟れて零れ落ちていくようだ。
「・・・ッ、ん、ゃ、やめろ・・・ッ」
嫌がる声もゾクゾクする。
傷どころか、染み一つない肌をむしゃぶるように味わった。
「桶永さん・・ッ」
「はぁ・・っ、良い躯してんな・・・、熟した果実みたいだ・・・上玉だよ、お前」
「ふ・・ざけ・・ッ」
嫌がる躯を片手で抱きこめば、脂肪の薄い肉付きがその整ったラインを容易に想像させた。
「その可愛い顔も・・・、男を誘う貌だ・・・、まあ普段は男も女も黄色い声で集まっていそうだ」
「オトコなんかに言われたくないよ・・っ」
「室井にもか?」
「・・ッ」
突如出された名前にたじろぐ反応が、彼がまだ生娘であることと、室井に対しては満更でないことの二つの意味を告げていた。
しっとりと汗ばみ始めた褐色の肌の上を、指先でいやらしくなぞっていく。
耳朶に熱い息を注ぎ込みながら柔らかく噛んでやった。
殺した息を歯の隙間から漏らし、眉を寄せる表情にやられる。
「食べごろなのに、収穫も出来ずにオアズケくらった男に心底同情する」
頭上で寂びた鎖がギシギシと鳴いていた。
胸の尖りに触れ、ぴったりとしたインナーが腰骨の艶治なラインを伝えてくる。
指先で彷徨いながら薄手の布を捲り上げた。
焦燥を煽る淫靡さだ。
「服の趣味もかなり甘いセンスなんだな・・・お前らしいよ。この仕立て、ラインも申し分ない。似合ってるしな・・・、流行の若者ファッションだろ」
「これっは!」
「ん?・・・なんだよ?」
「違う・・・俺の趣味じゃない・・・嫌いでもないけど・・・」
口ぶりに、ピンと来る。
「――・・、室井の趣味か、そうか、そうだよな着の身着のままで病院から抜け出したんだったな・・・。ふぅん、アイツ、イイ趣味してんな」
「~っっ/////」
「この服も。この下着も。インナーまで全部誂えてもらったのか」
逆立った理性が崩壊していきそうだ。
桶永は壁に突き刺していたナイフを逆手で抜き、揺るぎない手付きでナイフを下から空を切るように振り上げた。
シュッという布が切り裂ける音がして、薄手のニットごとシャツだけが切り裂かれた。
グッと堪え、青島はただ睨みつけてくる。
ハラハラと千切れた衣服が舞った。
確かに少しだけ年相応ではない若者向けの組み合わせやカラーチョイスではあった。でもそれが文句なしに似合っている。
彼の持つ本来の野生的な輝きを損なわず、甘く愛らしい印象に纏め上げられている。
細身のシルエットも青島の華奢な男のラインを綺麗に見せていたし、古着風のワークシャツはディティールに凝ったものだ。
襟元の赤いチェックは愛らしさもあって彼の幼さと陽気さを惹き立てていた。
長い足にきつくもなくフィットしたジーパンはその体型の美しさを嫌みなく主張する。
髪の色から長さ、瞳の色、肌の質感。
青島という人間を繊細に観察し、熟知した人間の仕業に違いなかった。
「随分と可愛がられていたんだな」
「・・・」
「手も出せずに・・・触れられず・・・、大事に大切に・・・慈しみ、護り、愛して・・・・抱きもせずに・・・か」
何故だか酷い吐き気とムカつきがした。
自分より強大な愛欲を見せ付けられた気がした。
「そういうの見るとな、引き裂いてやりたくなる」
吊るされている青島の手首を片手で壁に押さえ付け、桶永は壁との間に潰すようにしてその口唇を奪う。
「・・ッ、・・ふ・・・っ」
顎を固定し、深く重ね合わせた。
拘束されているため身動きの取れない状態では抵抗も虚しく、青島が腕の中で身体を揺すって嫌がる。
無理矢理舌で歯列を暴き、奥まで蹂躙した。
嫌がって奥まで逃げ込んだ舌に強引に自分の肉厚の舌と絡ませた。
「ハッ、・・ぁ、・・・ぅ、・・んぅ・・っ」
痛みを感じるほど強めに吸い上げ、その弾力を味わっていく。
本音は内壁の隅々まで舐め回したかったが、所有権を奪うため支配的に扱う。
だが、舌の甘さに陶然となり、逃がしたくなくて離れ難いのは桶永の方だった。
露わになった鎖骨から胸元に手の平を這わせ、肌を嬲る。
しっとりと吸い付くような肌に頬が緩み、胸が軋む。
苛烈な独占欲が桶永を支配した。
胸の尖りを指先で戯弄し、根元まで重ね合わせた舌を濡れた水音を立てながら掻き回す。
その弾力を楽しむように触れていると、ピリッとした痛みが走った。
無理強いして吸い付くように押し付けていた口唇を桶永はゆっくり解放した。
溢れた唾液が口端から漏れ、銀色に光り二人の間で糸を引く。
荒々しく呼吸を整えるその様子に満足し、満足そうに桶永は舌で自分の下唇を舐めた。
鉄の味がする。
青島が噛み切ろうとした痕だ。
「強気だな」
「・・・下衆野郎・・・」
乱された息を忌々しげに整え、青島が唸るように吐き捨てる。
蒼白かった頬は今やきれいに血の気がのぼっていた。
自分のキスで変化させたのだと思うと堪らない。
両手を吊るされたままの無防備さで凌辱にも失わない魂の光に心底美しいと桶永は思った。
拳で唾液で濡れた口元を粗っぽく拭うと、桶永は反対のポケットから今度は手錠を取り出す。
それを青島の両手に装着させると、元々繋がれている太い鉄の鎖を外しにかかった。
ガチャンと音がして外れたそのタイミングで逃げ出そうと抵抗を始めた躯を組伏せ
剥き出しのコンクリートに押し倒し、その上に乗り上げる。
暴れる四肢を押さえ込み、膝でその両脚を割って、間に身体を入れる。
窒息するほどに吸い付いた。
「ふうッ、うッ、・・・んく・・・・ッ」
自分よりも一回り以上大きな男に圧し掛かられては、息もできないのだろう。
抵抗が緩んだ隙に、ほとんど着崩れていた服を引き裂くように剥がしていく。
元より他の男に包まれ執着と愛着を見せ付けられる防護など胸糞悪いだけだ。
痕跡から塗り潰してしまいたい。
「ぁ・・、ゃ、やだ!やめろ・・ッ、変態ッ、」
「暴れられる方が燃えるんだぞ、男なら分かるだろ」
耳元に囁き、肌に歯を立てた。
中途半端に剥がれた衣服が、青島の肢体を拘束するのをいいことに、熱い手の平で肌の上を這いまわり男の情欲をしっかりと伝える。
至る所を吸い上げているうちに、皮膚は仄かに色付き、口唇にもほんのりと血色が戻ってくるのが目に映り、桶永を調子付かせた。
その全身を舐めて、しゃぶって、噛んで、味わった。
「やめ・・ッ、やだ・・ッ・・気色わりぃっての・・・ッ」
「いずれお前から強請るようにさせてやる」
必死に抵抗する様子がより狂暴な獣を煽り、汗ばむ肌が誘い込む。
もっと肌を見たくて、千切れ裂けた布を全て剥ぎ取った。ジーパンにも手を掛け、尻から一気に引き下ろす。
荒げた息遣いも、桶永の耳を楽しませた。
男に快楽を味あわせている。少し掠れたような喘ぎが微かに混じる吐息。それがこの先の極上の悦楽を期待させた。
湧き上がる支配欲や嗜虐心に噴き出る汗が混じる。
「どけ・・よッ、ゃだ・・って!言ってんだろ・・・ッ」
「男に嬲られたことないだろ、教えてやる」
「ぃ、・・らねぇよバカッ、放せ・・ッ」
「室井にも触らせなかったんだろ。俺が一番だ」
「あのひとは関係ないッ」
トランクスごとズリ下ろした下肢がぷりんと出てきてコンクリートに打ちすえられる。
両手を頭上で手錠に拘束されたまま、腕だけに残る布を引き連れながら青島は逃げ出そうと必死に抵抗し、その度に柔らかい色をした髪が桶永の視界を楽しませ
た。
「馬鹿な男だ・・・こんな上玉を犯してないなんて。さっさと喰ってしまえば愉しめたものを」
「あのひとを・・ッ、馬鹿にすんなって!言ってンだろっ・・、・・くふ・・っ」
頬を片手で容易く押さえ込み、煩い口唇を奪う。
青島の細長い脚が桶永を挟み開かれたままバタバタと地面を掻いた。
「ん、・・ぁ・・ッ、あのひとを・・!俺たちを馬鹿にすんな・・・ッッ」
「!」
「俺たちが・・ッ、どんな想いで約束して・・ッ、どんな辛さで乗り越えて一緒に生きてくって、決めたかッ知らないくせにッ」
叫ぶ青島の瞳が、悔しさからか少し水膜を張っていて、それがまたやけに美しかった。
「・・・その覚悟も知らないくせに・・っ!!」
何処まで行っても終わりのない胡乱な世界。
避けても避けても纏わりつく死の気配。
刑事の仕事に使い捨てられるようになってから確かなものは無くなった。
キャリアを登る度に捨ててきたものが空虚な器を強靭とした。
欲しいものはどんな手段を使ってでも必ず手に入れてきた。望むものはすべてだ。
指と舌と口唇でこうして少し弄るだけで、簡単に蕩けて熱っていく敏感でいやらしい身体。
この淫蕩な肉体をベッドに沈め、自分のものとする。
服を着るのも許さない。
この男が他の女のもの――ましてや他の男のものになるなんて、絶対に嫌だ。
「男が大事にする方法は手に入れて自分のものとすることだ。そうしなかった男に情なんかない」
「アンタにッ、・・アンタなんかに・・ッ、・・くっ、・・ゃめ・・・ッ」
「んな煮え切らない男なんかやめちまえ」
コンクリートに両手を組み敷いて、首筋に鼻を埋め、内股を片方引き上げた。
甘ったるい石鹸の匂いと共に、ぷりんとした下肢が露わになった。
耳元に落とされた微かな溜息が、語られない言葉を伝えてくるようで、桶永を満足させる。
室井が買い与えた服が、ボロボロになって隙間風に飛んでいく。
その乱れた布切れを纏い、それでも青島は怒りの焔を薄く膜を張った瞳に乗せ、崩れた前髪の奥から睨み上げていた。
その瞳に惑わされながら、狂わされていく。
「・・・・・・・・お前の事、啼かせたい」
返事も出来ず戦慄く口唇をもう一度深く塞いだ。
*:*:*
言い付けを頼まれていた男が部屋から出てきた。
絡み合う二人の傍まで平然と近付いてくる。
「準備、終わりましたぁ」
「暫くここへ人を近付けるな」
「OKです。物好きっすね、相変わらず」
「お前も混ざるか」
「俺はいいけど・・・アイツが何て言うかね」
「ああ、放っておけ」
ほぼ裸体を晒し、組み敷かれて赤らんだ頬をしている青島を、蔑視の眼差しでチラリと見る。
鼻で笑い、勿論助けることもなく、その男は背を向けた。
「食事も全てここへ運べ」
「了解~」
無情なドアは、入ってきた時同様、埃と唸りを立てて閉まっていった。

続きはぬるいえろ(鬼畜)があるので苦手な人は事後へ→