STRAWBERRY KISS 2







3.
暗い灰みの液体が、ドロッとひずんだ。
本庁休憩室の珈琲サーバーの前で、室井は硬直していた。
虚ろな目に映るものはなく、空白がとっくに仕上がった珈琲を酸化させていく。
悩ましい顔がいっそ機嫌が悪いようにも見える室井に、今、近づく者はいない。

今までだってそうだったが(いつだってアイツが頭の中にいて叱咤してくるから年甲斐もなくムキになってしまうのだ)今はそれ以上に室井は胸が軋んだ。
青島を見ていると、果敢に行きたい自分と同時に、泣き出したい自分を自覚させられる。

その手を取ってはいけない。触れてはいけない。
自分は忘れていくくせに、忘れられていくことが、蟠りとなる。

室井はゆっくりと拳で顔を覆った。
かつて海で失った青臭い慕情の記憶が、室井の中で今も吹き荒んでいる。
大切なものを作ることに、ずっと抜けない棘のような罪悪感がある。
耳の奥で、あの海の音が途切れない。

忘れたかったのに。

こんな室井を、青島は親しみやすいと言った。
これはきっと、天罰なのだ。


*:*:*:*:*


重い思考のまま、室井が虚ろな目でぼんやりと注がれた珈琲を見ていると、隣に影が居座った。
新城だった。
室井とは逆向きで、廊下の方に視線をやりながら、腰を据える。

「何か用か」
「先程の特捜管理官代理を探しています。頼まれてもらえませんか」
「構わないが、どうした」
「点数稼ぎに躍起になる必要がない人間には、そもそも無用なんですよ。こんなこと」
「・・・・」

相変わらずの嫌味節に室井は堅い目をちらりと向けるが、思ったより新城の表情は胡散臭くなかった。
言葉と態度のギャップに、室井が訝し気な視線を向けたままでいると、逆に新城の視線は興味を失せたように、そっぽを向かれる。

・・・なんとなく、室井は察した。
閑職に回され、ようやく復帰出来たとはいえ、かなり出遅れてしまっている室井に、コレでさっさと点数を稼いで上がって来いという新城なりのエールなのだ。
それが素直に言えないのが彼であり、だからと言って何かと目の敵にする室井を見切らないのも、彼である。

口許を軽く引き結び、室井はとおに出来上がっていた珈琲を手に取った。
その場で一口啜る。
新城が無造作に剥き出しのA4ファイルを差し向けた。
今回の捜査資料ということだろう。
受け取ろうと室井が手を出した矢先、それをさっと引かれる。
だから、こういう所が新城である。

ムッとして顔を上げれば、新城が頭を寄せてきた。

「場所は、湾岸署ですが」
「!」
「いいとこ見せてやろうだなんてくだらないことを考えないでくださいよ」
「・・・するかッ」

どうだかという新城の半眼に、低く唸るように室井が反論する。
が、新城らしからぬ違和感も覚えた。
邪念で仕事を乱すと思われることも腹立たしいが、それをわざわざこのタイミングで忠告してきた意味に、奇妙な符号を覚えない筈がない。
そもそも何でコイツまで知っているんだと室井は顔を顰めた。

「一倉か」
「酒の席では常套句のようですね、あの方の場合」
「新城、その話は忘れてくれないか」
「忘れるも何も、振られて終わり、でしょう?」
「・・・振られていない・・ッ」

いつもの挑発だと分かっていて、でも青島のことに関しては何故だか誤解されるのが口惜しく、室井は思わず口走った。
しまったと思うままチラッと視線を上げれば、未練たらしい男を見る新城の蔑んだ目付きに、室井の眉間が深くなる。
カップを握る拳に力を入れながら、室井は前を向いた。

「まだだ」
「先程からあれほど盛大な溜息を吐いていて、それでも堂々としらばっくれてみる肝っ玉の太さは尊敬いたしますが」
「そういうことではない」
「じゃ、何です?」
「――・・」

数奇にも、新城も恋愛相談に乗ってくれる気があるとでもいうのか。
そもそも新城は身の回りも清潔感を保ち、浮いた話一つ騒ぎ立てさせない。
実直な交友関係を築き、着々と上流階級に澱みない、隙の無い足跡を残す。
興味本位の方が近いなと思いつつ、室井が言葉を探していると、何かを勘違いした新城が鼻を鳴らした。

「大体所轄なんて皆キャリアに取り入ろうとするピラニアみたいなものじゃないですか」
「青島がそんな男ではないのは君も知っているだろう」
「まあ、それは認めますがね。倍率は高そうな相手だ。望みのないものをいつまでも引き摺っていくっていうのは生産性が悪いと思いませんか」
「・・・・」
「それに、邪念は客観思考を失わせる」
「違うんだ・・」
「どう違うので?」
「だから・・・」
「だから?」
「・・・・」
「室井さん?」
「・・・こ、告白しようとしたら、先に告白されてしまったんだ・・・ッ」

新城の顔が、室井史上見たこともないくらいのマヌケ面になった。
ぽかんとだらしなく開けた口を隠しもせず、真ん丸となった目で室井を凝視する。
コイツ、こんな顔もするんだなと思いつつ、室井も恥を忍ぶ赤らむ顔を向けた。
珈琲サーバーの前で、謹製なスーツの男が二人、見つめ合う。
暫し視線を交わしていると、新城が聞かなきゃ良かったと言いたげな顔に変わった。


*:*:*:*:*


室井から先日の一件を事細かに聞き出した新城は、室井の良く知る呆れた顔に戻って、両手を広げた。

「馬鹿ですか貴方は!何故そこでご自分も伝えない・・!」
「1、びっくりしすぎて言葉など何も出なかった。2、青島の“好き”は多分、友情めいた好き、だ。それを勘違いしてのこのこ告白なんかしたら笑い者だ」
「だとしても脈はあると考えるべきだ。勝負所は正にそこだった。当然次の誘いは掛けたのでしょうね?」
「・・・・・・・・・・・今考えているところだ」
「どこまでマヌケですか」

ヒソヒソと高級官僚二人が休憩室の片隅で密談する様子を、若手キャリアが怪訝な視線で通り過ぎていく。

「そもそも新城、何故お前がそこまで青島を推すんだ。男同士だ、ここは警察庁だ。何か思う所はあるだろう・・!」
「矛先を反らしたおつもりですか、貴方こそ青島に営業話術でも伝授してもらったらどうです」
「君こそ話を反らすな。私は一般論を説いただけだ・・!」
「相手が青島というだけで充分ですよ、私にとっては!」
「!!」
「さっさと口説き落とせばいい」
「だ、だが」
「こういうのはスピードも重要ファクターだ。効率化は同時に意欲を表現する。貴方がそんなでは誰かに先を越されるのは時間の問題ですね」
「・・・言い切ったなお前」

妙に世話焼きとなった新城の額が触れ合う距離に、室井の押し殺した声のボルテージも上がる。

「新城、そろそろその私に絡む癖、なんとかならないのか」
「貴方の粘着質な癖よりマシです。勝負所でスピード感がない」
「だったら私と青島が組んだら無敵になるな・・!」
「そこは貴方がブレーキを踏んでくださいッ」
「じゃ、なんで勧める・・!」
「あなた個人のガソリンでしょう!」
「!!」
「貴方は本庁内に味方がいない」
「・・自分にはいるとでも言いたげだな」

身を起こした新城が、室井の手にあるファイルをポンポンと指先で叩いた。

「精々いいところを見せて青島の点数でも稼いでみたらいかがですか」
「・・・・さっきお前がイイ恰好をするなと言ったんだ」
「合理的選択制度論は内生制度を理解することこそが理論的枠組みを提供する可能性を持っている。貴方もキャリアの端くれなら中途半端は止めてくださいよ」

よく分からない理屈を捏ねて、そのままスタスタと退散していく男の後ろ姿に、室井は苦渋の顔を向ける。

「人の恋路と政治を一緒にすンな」
















back      next            menu