ク リスマス・ローズ 3








7. 
「それじゃあ、買ってきたもの冷蔵庫に詰め込んでおきますからね、勝手に食べてくださいよ」
「んー」
「もう、しっかりしてくださいよ、青島さん」
「んー」

こんもりと丸くなった布団の中から聞いているのかいないのか、生返事が聞こえるのを真下が呆れた視線で見降ろす。
ここは青島の部屋だ。
小さなワンルームは物で溢れている。

「大体署長の私がわざわざ出向くなんて普通は有り得ないんですからね」
「んー」
「ほんとに在り難いって思ってんのかな、この人」


大きく溜息を吐き、とりあえず買ってきたペットボトルやらインスタント食品やらを詰め込んだビニール袋をキッチンへ運ぶ。
湾岸署内でインフルエンザが流行していることもあり、熱っぽいという青島を早々に隔離した。
医務室にいる間に、真下が薬やペットボトルを買ってきたのだが、更に熱が上がってきたということで、真下が帰ってきた時にはもう青島は帰宅してしまってい た。
湾岸署は現在特捜も立ち、体調不良で休む人も出ていることから、圧倒的な人手不足で
仕方なく真下自ら青島のアパートへ薬や食料を届ける配達係である。

帰り際に病院へ寄ったらしく、青島は幸いインフルエンザではないということだった。


「青島さん、冷蔵庫の中、空っぽじゃないですか。何食べて生きてたんですか」
「・・・・」
「適当に詰め込んでおきましたから。ちゃんと食べるんですよ~」
「んー」
「まったく・・・。元気だけが取り柄だったのにねぇ」
「・・・うるさいよ」

どうやら話は聞いているらしい。

「じゃ、僕帰りますけど、何かあったら・・・一人はこういう時困りますね。どうしましょうか」
「・・・悪い」

小さく聞こえたその言葉は、流石に彼もまいっているらしいことを真下に悟らせた。
本人が見ていないので真下は軽く眉尻を下げる。

「大丈夫ですか」
「熱だけだから」
「ご両親は」
「風邪くらい大したことないよ」
「署からも交代で覗きに来るってロシアンルーレット作ってましたけど、明日はすみれさんが来ます」
「・・・なんで罰ゲーム?」
「さあ?来てくれるだけ有り難いじゃないですか。人員不足ですからね。でも毎日とはいきませんよ」
「・・・分かってるよ」
「一応雪乃にも話しておきたいけど、風邪移されたくないしなぁ。・・・電話してみよう」

雪乃は快諾してくれて、夜食を届けてくれることになった。
ポケットにケータイを仕舞いながら真下が誇らしげな顔をする。

「僕の妻、よく出来ているでしょう」
「尻に敷かれてんね、真下くん」
「今は署長です。言葉は慎んでくださいよ」
「・・・だね」


返ってくる言葉も元気はなく、覇気もなかった。
熱が相当高いのかもしれないと、真下は少し同情の目線を送る。
長い付き合いだが、腰を刺されても元気に院内を回っていた男である。
少し意外な気がした。
熱には弱いタイプかな?

具合が悪い時は誰でも弱気になるものだ。
勝手に解釈し、真下はペットボトルを青島の枕元に置く。
ぐるりと部屋を見渡したが、最近の忙しさのせいだろう、荒んでいて男の一人暮らしの侘しさを伝えていた。
カーテンを少しだけ閉めてやる。


「じゃ、僕ほんとに帰りますけど、大人しく寝ててくださいよ」
「んー、・・・お疲れ」
「仕事の引き継ぎはこっちで勝手にやっときますから」
「んー、・・・」

コートを羽織り、真下が鞄を持つ。そのまま玄関先へ向かった。

「真下」

小さな声が引き留めてきて、真下は振り返りもせず意識だけ向けた。

「ちょっと~、呼び捨ては止めてくださいよ、これでも――」
「俺、もう室井さん追い掛けるの、止める」
「――え?」

意外な言葉を聞いて、耳を疑った。
頭まで布団を被った丸い塊は身動ぎもせず、表情は窺えないが、確かに聞こえた。
これもまた青島流の冗談かと思い、真下は肩越しに窘めるように言葉を投げる。

「軽口言って揄ってないで、大人しく」
「もう、止めたんだ・・・」

はっきりと告げられ、真下は行きかけていた足を完全に止めた。
しんとした部屋の中、鳥の囀りが長閑な外の気配を辛うじて伝えてくる。

もそりと布団を動かす音がして、合わせて真下は身体ごとゆっくりと振り向いた。
涙目・・・。

「青島さん・・・?」

布団をずらし、壁側を向いているが、青島の目に涙が溜まっていることに気が付いた。
オレンジ色に荒んだ大気の中にキラリと雫が反射する。


「何か、あったんですか?」
「・・・・なにも」
「何も無くてそんな決断しないでしょ?」
「もう俺だって係長だし、大人になっていくんだし。・・・男の人生だろ」


そうは言っても、真下はそれこそ青島が湾岸署に来てからずっと見続けてきた人間だった。
その心の傍らには、いつだって室井がいた。
ずっと傍で二人が寄せ合い、ぶつかり合い、引いては寄せる波打ち際のように、共鳴して戦いと共に深まってきた軌跡を、今尚熱く脳裏に過ぎらせられる。
眩しい時代の結晶は、真下にとっても輝かしい青春の欠片だった。
例えそこで自分が銃創で死に掛けた悪夢が混じっていても。

青島がどんなに室井に心砕き、室井もまた青島をどれだけ必要以上に大切にしていたかを、傍で見てきた。良く知っていた。
言葉で袂を分かつ程、そんな簡単な話ではない。


ゆっくりと戻り、ベッドの下に鞄を置く。
上から覆い被さり、目線を合わせようとすると、青島は逸らしてしまう。
ただごとじゃないことだけは、伝わった。


「それで、青島さんはいいんですか」
「ん」
「追わないって、どうするんですか」
「・・・・」
「黙って消えるんですか。絶対追いかけますよ、あの人」


室井の青島への執着は強く、それはどんなに時を経ても変わっていないと断言出来た。
また、真下もキャリアである。
キャリアの男が抱える計り知れない孤独感や寂寥感は知っているつもりだった。
上に上り詰める程に、友人家族一人護れなくなる、その代償の過酷さ。
いつ寝首を掻かれるか分からない冷淡な環境。
無骨な男の人生と言ったって、人はそんなに強くない。
その上で室井は青島を必要としていると思っていたし、そのくらいの甲斐性を見せると思っていた。
みすみす室井が青島を手放すとは思い難い。

――室井と言えば。
そういえば、最近新城とダブル挙式になるのではというのが本庁の専らの噂だ。
それと関係あるのだろうか。


「室井さん、結婚するみたいですね。だから、ですか?」
「・・・関係ない」
「奥さんが出来るから遠慮しちゃったとか?」
「切欠ではあったけど、・・・違うよ」
「じゃ、何」
「・・・・」
「もぉぉ」

真下はもどかしそうに頭をくしゃくしゃと掻き回した。
なんだこの駄々っ子は。
いつになく拗ねて甘えるような青島は、いつか見た真下の良く知る、素直なままの青島だった。
係長となり組織理論に頭を悩ませていく面影は、今はない。
真下は膝から布団に乗り上げた。
今この瞬間だけは、青島係長率いる湾岸署署長ではない、青島のかつての同僚である、真下正義だ。

「ほら、センパイ。黙ってちゃ分からないでしょ」
「んぅぅぅ~・・・・」

布団を少しだけ剥いで、青島を中から引き摺りだす。
嫌がりながらも、青島は乱れたままに出てきた。
全く、世話の焼ける。
出会った頃も、何も知らないままにあちこち走り出す青島の若さに、随分と手を焼き、付き合わされたものだ。
一緒になって泥塗れとなって叱られた遥か彼方の出向時代も懐かしい。
その度に巻き込まれる障害も感情も、みな真下の微笑ましい記憶である。
もう、とっくに封印はしてしまったが。


青島がベッドに横たわったまま、真下を見上げた。思った以上に身体は熱い。
もしかしてこの人、知恵熱なんじゃないかと、真下は少し訝しんだ。

腕で目元を覆ってしまう。
そのまま覗き込むようにして真下は問いかけた。

「どうして急に」
「・・・室井さんを送り出したい」
「そうですね」
「俺はもう、役目を終えたんだ」
「・・・どうかな」
「きっと、邪魔になる」
「どうしてそう思ったんですか」

もそりと青島がベッドの上に起き上がってきた。
気だるい様子のまま、ちょこんと座り、虚ろな瞳で一点を見つめる視線は重ならない。
俯いたままの青島に、優しく語りかける。

「一緒に歩いていける間はそれで良かった。どこも間違えてなかった」
「うん」
「でも、分かったんだ。俺がいることであのひとを歪めていくことも」
「今更でしょう」
「分かって、いたんだと思う。認めたくなかっただけで・・・・」

腕で目元を覆ってしまう。
酷く痛ましく見えた。

「遠い、ひとだった」
「・・・まあ・・・」
「俺が、追い掛けることで、室井さんが前に進めないなら、もうやだ」
「先輩・・・」
「室井さんが俺といることで、歪んで、道を間違えるんなら、もう、追いかけない。俺、もう止める」


搾り出すように繰り出されたそれは、表情一つ変えてはいなかったが、真下には子供がわんわんと泣き喚いているかのように錯覚した。
青島が全身全霊を賭け室井に託してきた時の長さは、生半可な想いではない。
青島の刑事人生は、室井で始まっている。
これまでの人生を否定することもまた、予想外であった。
その想いの結晶の強さを知るからこそ、この決意がどれだけ重く悲痛なものであるかを悟らせた。


「いんですか」
「うん、もう、とっくに・・・・・終わりだったんだ・・・」

掠れたようなその声の語尾は、小さく震えていた。
そこまで青島に言わせたということは、その決意の固さもまた、伺い知れた。
何があったのか。
結婚で道行が変わるのは、室井の方なら有り得ることだ。


「室井さんに、何か、言われた?」
「あのひとは、俺になんか・・・何も言わないよ」
そう、結婚のことだって。


拳を口元に宛て、震えるままに視線を落とす青島は、何かを耐えて、耐えきれぬ身震がその肩を震わせる。
真下は言葉に詰まって、ただ、青島の頭に片手を乗せた。
ぽんぽんとあやすように軽く叩く。
今は、それしか出来なかった。

幾らか後、衝動を呑み込んだ青島がそれを不思議そうな眼で見上げてきた。

物憂げな視線に真下の目が固まる。

布団に潜っていたせいで乱れた前髪が畝って目元を彩り、熱があるためにその目尻は紅く染まる。
焦点が少し揺れ動く危うげな眼差しは頼りなく、今にも崩れてしまいそうだった。

思わず手を翳したまま、真下は目を奪われた。
その青島が柔らかく、小さく顔を歪ませる。まるでそれは咲き零れた花のようだった。


「ありがとな。聞いてほしかった・・・」
「・・・そうですか」
「少し、すっきりした」
「・・・・」
「人の想いって、すごいや・・・、」


今にも泣きそうなくせに。
今にも脆く縋ってしまいそうなくせに。
小さな風にさえ消し飛んでしまいそうに見えた。
儚げで消えそうな笑みに、真下の息が詰まる。
どこか手を差し伸べたくなるような無垢さの中で、それを拒む凛とした佇まいがより一層の男の庇護を煽った。

耐え忍び、笑ってみせる青島に、不意に不可逆な衝動が湧き、真下はその熱っぽい身体を引き寄せた。
両腕の中に閉じ込め、優しく抱き締める。


「真下・・・?」
「先輩、そんな顔してまで、笑うことないでしょうに。今は誰もいないんですから」
「・・・っ、ん、いいんだ。それでも」
「いいから。誰にも言いませんから」

促すように後頭部をあやして、震える身体を胸に治める。

「僕しか、いません」
「・・っ、おぼっちゃまの、くせに」
「泣いた方が楽になることもあります」
「泣けるかよ、ばか・・・」
「つらい時は笑わなくていいんですって。明日になったら、また、元気になればいい」
「いいんだ・・・もう、終わっ・・・。・・・ッ」

言葉が嗚咽に途切れた。

全然、終わっていないくせに。
今もその心は荒れ狂うように室井を求めている。

何故室井はこんな青島を手放そうとしたのだろうか。
今になって突き放すには、理由がある気がした。
それを、青島も知っていて、二人で決めたことなのかもしれない。


「わり・・・ッ、今、だけ・・・っ」
「ええ」

青島が腕を真下の背中に回してきた。
それをしっかりと受け止める。
強く力を込めれば、青島の柔らかい髪が真下の顎を擽った。

抱き締めた身体は熱く、熱が高いことを伺わせた。
シャツ一枚となっているため身体の輪郭が顕著で、やけに華奢に感じる。
脆くて、そのまま崩れ粉々になってしまいそうだと思った。
肉付きの薄いラインを震わせ堪える青島が、ただ、痛ましかった。

許容し、理解者となることで味方になったつもりでも、そんなの優しさなんか何の役にも立たない。
ここで青島の想いを肯定したって、それが智となるかは、別問題だった。
何の糧にもならないし、救いにならないことを、拒絶されたような孤愁の中、凄まじい風が真下の心を走り抜ける。
正しいことと救うことは、必ずしも一致しないのだ。
こんな、無力感を久々に感じた。
昔はよく、青島に対して自分の能力の性を感じていたものだった。

でも、やるべきことを見出したその時から、暫く考えもしなくなっていた。
人は、誰しも万能ではない。


ふっと、真下がその拘束を緩める。
青島も真下の胸から顔を上げた。
吸い込まれるような、淡く透明な眼差し。
水滴を湛え、誘うように揺れた。

「・・ッ」

なんて綺麗なんだろうか。

見る者を取り込み、魅惑し誘惑する魔性の色香がある。
強い光を放つその魅力は男を惑わし破壊するだけの婀娜を具えていた。
それでいて触れたらあっさり消えてしまいそうな玉響の純朴。

吸い込まれるように見つめ返すと、その宝石が頼りなげに濡れ、直向きな脆さで不安定な瞬きを見せた。
青島の肩に回す真下の手が汗に強張る。


明確な意思など何処にも無かったことだけは、覚えている。


「・・っ、」

真下は身体が要求するままに、青島の口唇に口唇を乗せた。
妻帯者であるとか、相手は男であるとか、今はまるで関係なかった。

「なん・・・っ、」
「ただの慰めのキスですから」

頬へ滑るようにキスを落とす。

「そんな顔してるから」
「んぅ・・っ」

もう一度、顎を持ち上げ上から確かに塞いだ。
青島の指先が真下の腕を掴む。
少し我に返ったのか、嫌がるように青島が頑是なく首を振ってキスを解こうとする。
それを男の力で捩じ伏せた。

熱のせいもあって、青島の指先は拙く、大した痛みもなく、縋るようにしか映らない。
それは真下の中の嗜虐心を根こそぎ煽った。


「ゃ・・っ、・・ん・・・っ」

こんな逸材を手放すなんて、室井も馬鹿だ。
二人の運命に同情的なものも浮かぶが、手放すのなら、愚かだと嘲笑うだけだ。

「逃げないで、せんぱい。僕まで否定しなくていい・・・」
「・・ふ・・・っ、ぅ・・・っ」

滾る欲望のままに、真下は青島の口を舌で割り裂いた。
熱で必要以上に上がった口腔の熱さがこちらの熱を呼ぶ。
綺麗な輪郭の顔が淫戯に歪み、熱なのか行為せいか、目尻を朱に染めている。

今まで青島に対して同性愛的な感情を抱いていた訳ではない。
確かに可愛い顔をしているなとか、イケメンの部類なんだろうなとか、笑った顔とのギャップが好きだったとか、そんなことは思っていたような気はする。
ましてや秘めた恋ではありえないし、雪乃を裏切るつもりもない。
でも今は。
彼を凌辱したいつもりはないのに、沸々と湧き上がる情欲が止まらない。

水音を立てて混じりあう肉の弾力に、女とは違う魅力と官能性を感じて、ついその後頭部を押さえ込み、深く貪った。
真下の舌が青島の舌に絡まる。
熱く湿っていて、普通なら気持ち悪い筈なのに、何故か倒錯的な気分が全てを麻痺させ、何だか変な気分になってくる。
震える睫毛は長く影を造り、男の情欲を満足させた。


「・・ァ・・ッ」

不意に漏れた甘い嬌声ともいえない声に、ゾクリと真下の背筋が栗立った。
嘘のようだ。
簡単に欲情される。

顎を捕え、固定すると、奥に逃げ込もうとする舌を無理矢理暴いた。

腹の奥から湧きでる衝動が、何らかの警告を告げていた。
自分でも気付かぬ本心を悟らせているのか、或いは青島の魅せる驚異的な魔法の一部なのか。
それともこれも、クリスマスの成せる一夜の奇跡なのだろうか。

何度も何度も甘い舌を吸い上げて咀嚼する。

思考が真っ白に霞み、何も明確なものは分からなかった。
慰めたかったのかも、癒せない自分に苛立ったのかも、手に入らない宝玉に嫉妬したのかも。

でもそれも、熱く漏れる青島の甘い吐息に霞んでいく。
片足を乗り上げ、そのままベッドへと圧し掛かった。


人には上手く説明の付かない感情は、だが真下の中では確かな源流として息衝き、紛れもない真実だった。













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当初この役はすみれさんのつもりで妄想を拡げておりました。でももう一個のクリスマス話もすみれさんで、振られちゃって、またここでもってなると流石に可 哀想なので
まさかのピンチヒッターで意図せず初めての真青になってしまった。書いた私が一番驚いている。