ショートショート~present
NEW DAY中編










NEW  DAY 2(日本語ver.)
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2. 中編

外に出ると、美幌は本当に雪が降り始めていた。
来るときにも道端に雪が山積みになっていることには気づいていたが、実際に空から綿のような大きな雪が舞い散っているのを見れば
本当に真冬の北海道に来た気がする。

「うわぁ、さすが雪国ですねぇ、こんな大雪、経験したことないですよ」

腕を伸ばして青島が空を見上げる。
まるで珍しい宝物でも見つけたかのように、てのひらの氷の結晶をじっと見ていた青島は、隣の室井に向き直った。

「室井さんの実家も、冬になるとこう?」

青島の無邪気な仕草に負けたのか、室井はもう足元に気をつけろなどとは言わなかった。

「ああ、そんなところだ。だが、ここまで寒くはなかったが」

室井は思いついたように青島の服装を眉をひそめて眺め、やがて口を開いた。

「 ... そんな格好では絶対にだめだ。手袋もマフラーもない」

言葉の持つ深刻さに気圧され、青島は笑って伸ばしていた手を引っ込める。

「でも、本当に雪、積もるの早いですね。明日の朝になったら、出かけんのも大変なことになりそう」
「朝起きたらまず雪かきをするのがここの日課だ」

室井が青島を振り返る。

「その時間までいれば、そういう光景が見られる」

青島の心臓の鼓動が一拍脈打つ。

「あ、ああ... そっか。けど、俺... 楽しみにしていいのかな」

その返事に、室井は一瞬顔を強張らせ、そっぽを向く。
青島の手もコートのポケットの中で固まった。

白状すれば、青島はここに至るまで今夜の予定を立てていなかった。
出かける日を金曜日にしたのだから、その後の二日間は普通休日になるかもしれないが、それはあくまでも相手の都合次第であって
だからといって泊りがけで美幌に滞在することを予想していたわけではない。
病院の看護士さんたちにも、一度家に帰らなければならないという下手な理由をつけただけで... ... それを言ったら青島がこんな時間まで戻っていないのだから
ちょっと困ったことになったような気がする。
青島は心の中でため息をつき、あとでどんな言い訳を付ければいいのか頭を悩めた。

室井が小さく問い返してくる。

「ホテルの予約、してるのか」

それを聞いた青島の顔は少しぎこちなかった。

「それは... ないです。でも... 」

室井の吐息が、冷たい空気の中で震撼する。

「着いた、ここだ。先に上がれ」

二人は中古マンションの前で足を止めた。
すでに帰宅している住人も少なくないらしく、規則的な窓の格子が真青な雪夜に角砂糖のような美しい光景を映し出していた。



*****

そこは生活感の少ない部屋だった。
片隅には未開封の段ボール箱がひとつ残っている。
どういうわけか、ソファの前には真新しい感触のふかふかした絨毯があり、部屋全体の雰囲気とは対照的だった。
その上に今、青島が座る。

キッチンからビールを持って出てきた室井は、自分への嬉々とした視線に気づいて、言い訳を口にする。

「それは署からのプレゼントだ。あまり高級なものではないので、受け取った」

少し呆れたような説明に、青島は笑いながら、体の下の羽毛に手をやった。

「いいじゃない。ふわふわしてるんだから、たまにはこういう可愛い系のインテリアもいいんじゃないの」

室井の目に、また一つ、呆れたような柔らかい色が浮かんだのを見て、青島は悪戯が成功した子供のように首を傾げた。
室井がソファの横まで来て、青島の前のテーブルにビールを置く。

「こんな髪型でこんなことをしているおまえこそ本当に子供と変わらない... 」

抗議するように膨れる青島を無視し、 室井は敢えて話題を変えた。

「でだ、どうして正式な退院前にここにいるんだ?もう外出許可は下りてるのか」

青島は一気に動揺した。

「それは... だから... 医者はまだ完治とは言ってませんけど、自分では平気って思ってるんだけど... 」
「なんだと」

室井が急に険しい目つきになり、青島の顔をじっと探る。

「治ってないくせに、こんなところまで一人で来たのか。病院側は知っているんだろうな?まさか、逃げ出したのか?」
「逃げ出したというのは... ... ちょっと大袈裟です... ... 」

青島は苦笑いしながら、なんとか理由をつけて説明しようとしたが
室井の厳格な視線を受けて諦めたように俯いた。

「看護士さんに、ちょっと出かけるって言ったんだけど、ちょっと出かけるって言っただけで... ... 」
「出かけるって言ったのか」
「 ... ... ... 」

室井の手に握られたプルトップが、くっきりと変形させる音を立てる。
青島は自分の愚行を恥じてうつむき、口の中で「ごめんなさい」と小さく呟いた。

「それで、病院は今、失踪患者を探している状態なんだな」
「 ... う、た、多分、おそらく」
「 ... 携帯見て確認しなかったのか」
「あ、そういや、飛行機の中で電源を入れることができなくて、そのままずっと入れ忘れてた... 」

室井の鋭さを増した視線を感じ、青島は思わず次の言葉を呑み込んだ。

「それに何より、医者は全治という診断してないって言ったな。つまり、怪我を抱えたまま、こんな無茶なことをしたんだな」
「んなこと言ったって、俺だってほんとうにいいカンジだったんですもん。室井さんだって見たでしょ。歩くとか、胡坐とか、そういうの、全然問題ないじゃな い」

青島は悔しそうに言い返したが、そんな主観的な説明で室井の顔の翳りが消えるわけはない。
室井は手にしていたビールを少し強くテーブルに置くと、踵を返してドアに向かった。

「とにかく今は病院に連絡することが先決だ」
「え!」

まだ座りこんでいた青島が、びっくりして飛び起きる。

「まさか、今から東京に行くんじゃないよね」

ハンガーからコートを外していた室井の動きが一拍遅れた。

「 ... ... 携帯電話を取っただけだ... ... 」



*****

室井が連絡を取り、病院への説明を真下に頼んだ。
電話の向こうでは、青島が美幌に来たと聞いて驚きのあまり叫んだ真下の声が、居間にいる青島にもはっきりと届く。
電話を切って戻ってきた室井は、「どうしたものか」と言葉を失っていて、青島は「へへ」と乾いた笑いを浮かべながらビールを差し出し
仲直りの小さな乾杯を強請った。

「最後の一口」

室井は言われるままに軽く青島の手に触れた。

「病人がアルコールなんてだめだ」
「ええ~、ひどくない?もう大丈夫だって言ってるじゃん」

室井は口の中の酒を飲み干し、立ち上った。

「医者は、問題がなければ大丈夫と言っているだけだ。座っていろ」

夕食を外ではなく自宅にしたのは、室井が先日もらった地場産のタラバガニが家にあると言ったからだった。
北海道の名産タラバガニ科ほど高価ではないが、新鮮で旨い筈だ。
青島はおとなしくその場に座り込んだまま、ポケットから今日一日あまり手をつけていないアメスピを取り出し、火をつけようとしたとき
ここが自分の家ではないことを思い出した。
テーブルの上には灰皿もない。
煙草をくわえたままリビングを出て、玄関のキャビネットの上に置きっぱなしのバッグから携帯用の灰皿を取り出そうとすると
ちょっと目線を落とした足元に、自分の脱いだブーツと室井の靴が並べて置いてあるのが見えた。

やっぱり、青島のは室井のより少し大きい。
いつの間に直してもらったのか、靴を脱いでからわざわざこんなにきちんと並べた記憶はなかった。
室井の黒い靴は、彼自身と同じく元々光沢があって磨き上げられていたが、雪を被ったせいか、今も小綺麗に見えた。
自分のブーツのまわりには、かすかに雪が溶けた痕跡があった。

... ... なんだか急にこういうシチュエーションがいいような気がした。
二人の間にあるべき関係を飛び越えて、まるでひとつ屋根の下の家族みたいで... 。

そういえば、ワイシャツ一枚姿の室井も、今夜初めて見た。
戦闘態勢のような隙のない背広とベストを脱ぎ、白シャツ一枚の室井は、いつもよりずっと逞しく見えた。
腕を上げれば必然的に袖口から筋肉の形が覗き、普段から運動に疎い青島は思わず舌打ちした。
長年、外を走り回ってきた刑事としては、その贅肉の豊富さの象徴を見つけ出すのは容易ではなくとも、
室井は青島よりは明らかに鍛え上げられた肉体を持っていた,
青島は所轄とエリート刑事との体力の差を初めて意識した。

あああ、わずか半日で制服姿も見られたし、室井さんの帰宅後の様子も見られたし... ... ちょっと儲かったっていうか... ... 。

玄関脇にしゃがみ込んだまま、青島の耳が思わず熱くなった。

「何をしているんだ?」

背後から突然響いた声に、自分でもびっくりして青島はそのまま突っ伏しそうになった。
ロッカーに手をかけて立ち上がると、青島は少し恥ずかしそうに鼻を掻く。

「あ、えと... ちょうど、煙草吸いたくなったもんですから... 」

室井は無地のエプロンをつけていた。
自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、青島は目を逸らし、今は赤面しないほうがいいと心の中で祈った。
室井がかすかに眉をひそめる。

「外に出なくていいから、家の中で吸え」

ドアを開け、リビングに戻った。
テレビの脇にある本棚を目で示す。

「灰皿はそこにある」
「ど、どうも... ... 」

青島はつい頭を下げたが、次の瞬間、室井がそれを持っていることの違和感に気づいた。
本の積まれていないスペースに、「美幌警察署」と印字された灰皿が静かに置かれていた。

「これって、室井さんが禁煙やめたってこと?」

用心深く室井の反応をうかがいながら、青島は努めて軽い口調を装う。

「それとも、普段から室井さんのところに煙草を吸いに来るような人間がいるということですか? 女とか」

キッチンに戻っていく室井の後ろ姿が、なぜか硬直した。
やや怒気を含んだ声が返ってきたのは、それからしばらくしてからだった。

「馬鹿。 ... ただ、いつか機会があったらあげられるかもしれないと思っただけだ... 」
「 ... ... ... 」

タバコに火をつけたところだった青島は、びっくりしてまた口元からタバコを取り落とし、まったく使った形跡のない新品をしばらく眺めて呆然としていた。


*****

「うっわ~、本当に美味いんですねぇ~」

酒を飲み、夕飯を食べてから、青島はもう一度、感嘆せずにはいられなかった。
正確に言えば、「酒」はない。
飲みかけの缶ビールが半分没収されただけでなく、食卓で自分が飲んでいるのはミネラルウォーターだけという、子供扱いだ。
しかし、鍋の中のカニは確かに甘みがあり、それが一日空っぽだった青島の胃袋を充分なぐさめてくれた。

まるで手品のように、わずかな時間に室井が台所から蟹鍋と蟹足の刺身でもてなしてくれる。
「室井さん、ドラえもんみたいですね」と青島が真面目に褒めると、室井はちょっと顔を曇らせたが、珍しく反論はしなかった。
食事の最後まで、土鍋の中にはまだ薄い湯気が漂っており、室井は自分の前に置かれた日本酒に口をつけながら、わずかに眉を上げて青島の感嘆に反応した。

「まあ、ここで暮らすメリットのひとつだな」

青島は苦笑した。

「そのために、こっちに来たんですか」

... ... また心臓が締めつけられるような痛みを覚えた。
室井の本心がそうでないことはわかっているし、それを誰に言っているのかもわからないのに、こんなときは笑い飛ばすことができない。
室井は落ち着いた表情だった。

「ここへ来るのは上からの命令だ、私に選択権はない」

... ... この得体の知れない苛立ちは何だろう。
青島はグラスを握った指を引き締め、努めて平静を保とうとした。

「でも、それって完全に不公平じゃない。室井さんのおかげで、副総監誘拐事件は解決したでしょ... 」

室井は目を伏せた。
一瞬、室井が自分から遠く離れているような気がした。

「警察というのは、もともとそういうところだ。それは君もわかっているだろう。それに、あの事件で容疑者を捕まえられたのも、私のおかげじゃなくて、君の おかげだ」
「どうしてそんなこと言うんですか」

それ以上聞いていられなくなった青島は、不躾とは分かりつつ室井の発言をさえぎった。
思わず室井の方に身を乗り出す。

「俺がやっているのはどんな階級の刑事でもやるようなこと、いわゆる警察の義務なの。でも、上の圧力に屈しないで俺にその命令を下したのは、室井さん、あ んただ」
「そうであるならいいんだがな」

室井は不意に微かに口許を歪め、形を捕らえられなかったような笑みを残した。

「それなら誰も悪いことをしていない。あの時の己の選択に責任を取っているだけだ」

室井の視線はわずかに上がっていたが、青島の目を真っすぐには見てはいなかった。

「あのとき決断したことは後悔していない。 ... ただ... 」

青島は頼りない声で問いかけた。

「ただ... ?」

室井はしばらく黙っていた。
もう一口飲んでから、グラスをテーブルに戻し、直視できない映像を思い出すかのように、目を閉じた。

「 ... ただ、もっと早い段階で逮捕させてたら。もっと早く現場に駆けつけてもらえてたら」

室井はそれ以上何も言わなかった。
視線を落とした青島は、グラスを持つ手がかすかに震えているのに気づいた。

「室井さん・・・」

鼻の奥がツンとなって、青島はしばらくの間、低い声で彼の名前を呼ぶしかなかった。
自分のせいでこんなところに来させてしまった。
窓の外の風雪が斜めに白い影を落とし、翌朝になれば雪かきをしなければ一歩も動けない極北の極寒の地。
短い時間でも室井を好きになり、幼い絵筆で彼の姿を描いてしまう子供たちがいる地。
新鮮な海産物、清冽な空気、引越の贈り物を併せて届けてくれる熱心な部下たち。
でも、それだけでは満たされない。
大会議室を使わなければならないような特捜もなければ、能力を使わなければならないような官僚たちもなく、警視庁もなく、エリート政治家も生まれず
東京のすべてがここから遠い。
そして... ..
そして... ... ... 。
そして、俺も。

ここに飛ばされてきた室井は、あまりにも青島から離れ、あまりにも遠い存在だった。
自分がどんな想いで飛行機の上からずっと下の白い大地を眺めていたのか、その時の気持ちを室井は知っているだろうか。
こんな姿もここに来れたからこそ見た光景の一つだと思うと、ほんの一瞬、甘い気持ちになる。

でも、俺が願ってきたことは、やっぱり室井の背中を追いかけることだった。
一度は俺と向き合い、やがて背を向けて去っていったこの人を、俺が見るのがやっぱりその背中なんだと思うと
追いかけ続ける勇気を取り戻せたようだった。
俺を一番痺れさせ、一番喜びに酔わせたのは、決して立ち止まる姿ではなく、あんたがやっと俺と向き合った瞬間だった。

俺はあんたに見抜かれるのが怖い。
室井の後ろをどんな気持ちで追い続けてきたか、ようやく気付いた青島は、ついには息が切れるほど狼狽えた。
俺はあんたに心の奥まで見透かされるのが怖い。
青島は目を閉じ、熱い雫が瞼の下で湧き出るのを感じた。

だって、俺、室井さんのこと好きだ。

ばかみたいじゃないか。今まで自分でも気付いてなかった。
あんたが好きだから。 あんたに褒められると嬉しいし、あんたに冷たくされるとがっかりする。
じっと見つめられるとドキドキする。
あんたに何も言わずに置き去りにされた時、そんなめちゃくちゃなことされても、必死に縋って、あんたに会いたかった。

冷たくあしらって、おまえのせいだと言って、諦めさせてくれればいいのに。
どうして、よりによってこんな、優しい言葉を... ... 。

他に何ができるんだろう。
そんなあんたに、一体... ... 俺、どうしたらよかった... ... ... ..


顔を覆っていた手が、いきなり外された。
青島はびっくりして、大きく見開いた目から、抑えようもなく涙を溢れさせた。

「……」
「……」
「ご、ご、ごめんなさい」

乱暴に袖口で目を拭うと、青島はあわてて椅子から立ち上がり、ほとんど逃げるようにドアに向かって後ずさりした。

「やっぱ、室井さんには、迷惑かけるんで、今日はこれで」

早口で言い逃げる。
膝がテーブルの脚にぶつかって、痛い。
コートとバッグは絶対持たなきゃ。
もう、どうして今日の靴は靴紐を結ぶやつなんだよ、これじゃ時間かかりすぎるだろ。

最早、靴紐も結ばずに、そのまま飛び出そうとしたその瞬間、青島は後ろから強く腕を引っ張られた。
立っていた体が急に重心を失い、その力に引きずられるようにしてバランスを崩し、背後の人間の腕の中に埋もれていく。

「んん」

もしも、この夜、自分がここに残ることになると、一度も考えたことがなかったとすれば嘘になる。
それでも、今、突然室井にキスされたということは、本当に、夢のように空想の世界にしか存在しない幻だった。
だが、それは幻ではなかった。

彼の唇からは酒の香りがした。
その腕で痛むほどに肩を引き寄せられた。
足元には履き掛けの靴が転がっていた。
自分の心臓の鼓動が、爆発寸前の爆音のようだった。

「 ... んん... 」

なんで俺、今夜に限って、酒飲まなかったんだろ。
飲まなかったから、これは飲みすぎたせいで起きた幻覚だと自分に言い聞かせることさえできない。

見慣れぬ部屋の玄関で、しっかりと押さえつけられる。

これまでのどんなに熱い恋でも、こんなことはなかった... ...

酸素が少しずつ薄くなっていく。
無意識のうちに室井の胸を押し束縛のような抱擁を押し退けようと抗ったが、それを塞ぐようにして抱きしめられ
目の前の室井は執拗で傲慢な腕に力を込め続け、少しも弛ませることはなかった。
時折、角度を変える唇の隙間から、わずかな空気が流れ込んできて、青島はその強い拘束の中で苦しそうに喘ぎ
やがて解放されたときには、もう視界さえぼやけていた。

「 ... ... え、あ、あの... ... 」

片側の壁に手を付き、激しい呼吸を落ち着かせている室井は、青島が何の反応も返さないうちに身をかがめ、履きかけの靴を取り上げ脱がせた。

「ちょ、ちょっと、室井さん」

肩にかけていたショルダーバッグも乱暴に奪われ、手首を再び掴まれ、青島はそのまま室井に半ば強引にリビングに引き戻された。

「行かないでくれ」

室井は後ろ手にリビングのドアを閉め、決意を秘めた黒い目で、続けた。

「少なくとも、今夜は」













作:レナさま/翻訳・一部意訳:みんと

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