シー
ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリー2024のつづき
―鳥青描写注意―
カナリアが飛んだ海 中編

4.Side-T
「こんな、っ、抱き方、・・反則だ・・っ、もっと痛めつければいいっ、好き、なようにッ、抱きつぶせばいいでしょ・・ッ」
柔らかく甘く、滴る快楽だけを引き出してくる技巧は身体だけでなく精神から青島を蕩けさせる。
赤銅色の照明が揺れる室内で、二つの荒々しい息遣いが熱を孕ませていた。
「僕のこと、相当好きになってきたでしょう?」
「君もねッ」
死にたい奴は死ねばいいと思った。留めたのに反抗された。でも貴方はその僕の想像を上回り、戻ってきた。
こうして、この腕の中に。
「ね、もッ、やめてください・・ッッ」
「降りるなんてずるいですよ。室井さんには付き合うんでしょう?」
その名を出した途端、青島の熟れた躰はぴくんと震える。
従順で素直な躯体だ。
明け染まぬ薄闇に無防備な四肢を惜しげなく晒した青島は、刺激に対して反射的にせり上がってくる声音を既に掠れさせていた。
鳥飼は四つん這いにさせた青島の背骨に形の良い指でいたぶりながら、うなじにしゃぶりつく。
細長い首を舌で嬲り、汗ばむ肌を擦り合わせれば、臈長けた背中は美しく反り返り肋、骨が薄闇に浮き上がる。
「こんなとこまで、俺ッ、させた・・ッ、の、はッ」
ええ、だから、貴方だけは裏切らないでくださいね。
鳥飼を受け入れたまま、額を枕に押し付け、押し殺す息遣いをそれでも隠す青島は、既に自らの体重を支えるだけの力はない。
鳥飼の膝によって裂くほど開かされた膝をガクガクと身震いさせ、上半身だけを突っ伏し、濡れた薄開きの歯でシーツを噛み締める。
朧な瞳は宙を虚ろに見据えていた。
落ち切るにはまだ足りないようだ。
気に喰わぬまま正常位に持ち込み、顎を掴んでその視線を捕えれば、枕を投げつけられる。
些か乱暴に、菊座に串刺しした怒張した熱塊で、抉るように肉を串刺しにしてやると、敏感な躰は幾度も海老のように仰け反った。
その隙に両足首を掴み上げ、卑猥に開脚させる。
「お仕置きしてほしいご様子だ」
すかさず青島の手が伸びてきて、乱暴に後頭部を引き落とされた。
斜めになるほど首を傾け、口を塞いでくる青島に、ねっとりと応えてやる。
舌足らずな熱い舌が鳥飼の口腔に押し入ってきて、それを甘噛みしながら痺れるほどに強弱を付け吸い上げて誘えば
素直に口腔を明け渡した。
合わせた口端から漏れる断続的な呼吸に、雄を扇情されるのはこちらの方だ。
鷲掴みにされた後髪の痛みなど、快楽のスパイスにしかならない。
「のぞむ、ところ・・っ」
恐らく青島が期待しているのは、苦しみと痛みだ。キツイだけの交わりで良かった。
そんな思惑は見え透いていた。
だから手酷い甘さだけを引き出して執拗に責め立てる鳥飼の玩弄は、それさえも批難なのだと敏い青島は分かっているに違いない。
それでも昂る躰を隠そうともしない青島に、ありもしない期待をこちらも隠し、記憶の奥に刻み付けて
躰の刻印と共に、消えない痣を残していく。
室井によって記された腰の朱印など、取るに足らない。
だからこそまた、望みを全て排除した快楽だけを選び、与えていくために、鳥飼は小さな機械を取り出して見せた。
目を丸くする青島の、怯え、逃げようとする顔が苦悶に歪む。
男を咥え、傷つきながらも快楽を覚え込ませた場所を擦り上げてやれば、青島の躰は抵抗を忘れ簡単にビクついた。
逃げるその細腰を引き戻し、弛緩したところでネクタイを使って小型バイブを反り立つ青島の花芯に括りつけてやる。
「これがっ、愛するもののッ、する・・っ、ことか・・ッッ」
ゆっくりとスイッチを入れれば、身悶えするままに青島は打ち震えた。
顎を大きく反らし、緊張させた四肢と浮き上がった腰を震わせ、艶めかしく善がった。
朱い舌を覗かせて、女さながらの細消えの嬌声が鳥飼の肌を存分に刺激し、愉しませてくれると同時に
ここまで赦されていることへの悦びに、鳥飼もまた熱い吐息を落とす。
股間に伸びてくる青島の手を取り上げ、ベッドに抑え付けると、鳥飼は欲望のまま腰を振り出した。
「こん・・っ、な、モノ、なくたって・・っ、・・ッ」
息も絶え絶えに、啜り泣きに混じる苦情はベッドの軋みに合わせ、熱を孕む行為に変えていく。
問えば、快楽の深さを何度も自白し囁きに、鳥飼の脳髄は容易く酩酊感に襲われた。
絶望を知ったあの夜から、こんな風に我を忘れた夜があっただろうか。
堪え切れず漏れてくる咽びもすかさず口唇を重ねて奪い去る。
痛みさえも爛れた甘さに飲み込まれ、何もかも形を失ってぐずぐずに蕩け、形を失って
何か別のものに形を変えた。
熟して薫る肌には幾つもの刻印が浮かび、これが自身のみのものなのだと、本能が理解する。
施される愛撫に善がり、既に忘我の域に達した青島の長く美しい足が鳥飼の腰に回される。
「いやらしくて、淫らだ」
官能を根こそぎそそられる。
潤んだ瞳も扇情的で、純白のシーツで善がる媚態はまるで芸術だった。見る者を無言で犯してくる。
「もっと・・、僕だけを見ていてほしいんです・・」
あんな男のことは忘れてください。
呼吸もままならず酸素不足で朦朧とした青島の、生理的な刺激で潤んだ瞳が鳥飼だけを映しあげた。
見つめ、鳥飼もまた、一定のリズムを崩さない。
この寂し気な季節に、肌の温もりさえ忘れてしまいそうな夜には、よく似合う。
魂の奥底から繋ぎ止めるような肉の交わりに、意味を持たせてくれたのは青島だった。
感じることを強く教えてくれたのも、彼だった。
じれったいほどの熱を植え付けられながら今だ解放を与えぬ動きに、苛立ちを込めた瞳で睨み上げられ、鳥飼はフッと笑んだ。
震える腰骨を両手で掴み、望むのとは別に、バイブの震動を深くしてやる。
「ねぇ・・ココ、イイでしょう・・?」
蕩けた声で揶揄する言葉に、深い快楽の奥から睨み上げてくる強さに、恍惚となる。
手懐けられない野性の生き物を、根気よく、繰り返し、調教する時間は
逆にそれほど自分は肉に飢えていたのだと思い知らされるものだった。
心が欠けていないといったら噓になる。計画を実行するまでは止まれない。
それでもこのまま時が止まればいいなどと、拙い妄想を抱くほどには、この時間が鳥飼に夢を見させていた。
室井と青島、この二人にやはりどこか影響されているのだろうか。
だとしたら、夢が覚める時は、どうか貴方の手で引導を。
でもきっと、青島はそんなことはしない。
鳥飼が本当に嫌うことは、しない。
舌足らずな声で強請られて、苦渋に満ちた顔に、崩れ落ちそうになるほど感じた。
正しいことはなんなのか、分からなくなる。この兇悪的な快楽の中では何もかもが秋の夜更けのように一瞬にして幻となった。
「もっと蕩けて、青島さん・・、ココも」
攻撃性を秘めた情交に代え、追い詰めれば、壮絶な流し目で青島は鳥飼を強請った。
男に辱められ、尊厳も矜持も根こそぎ奪ったのに、典雅な清楚さを失わない。
「そんな、かおで、抱くな・・っ、もっとっ、来ぃ・・よッ」
「ったく、ほんと、貴方ってひとは」
「ぜんぶ・・ッ、きみのだ・・ッ」
どこまでも年下の落差を思い知らされる。
そんな鳥飼の心を見透かしたように、青島が口唇を強請り、上から塞いでやれば、悦びの喉を鳴らした。
ねっとりとした舌に銀糸が光り、薄闇に流れていく。
果てるほどの強さもない律動と、自慰よりは強烈な機器の震動に、青島は涙を流しながら甘く囀った。
殊更快楽だけを選んだ動きで、青島も愉しませてやる。
痺れるほどに絡ませ合い、汗ばむ肌を重ねれば、のろのろとその腕が鳥飼の背中に縋ってくる。
「善すぎて、狂いそうですよ・・」
正しい方へ。
「あい、してる、も・・っ、言、ぇ、ないくせに・・ッ」
甘ったるい声と、俯き加減で喘ぐ額に髪と睫毛が滴るような陰影をつける。
深まる快楽の共有に、爪を立てられた。
気が狂いそうな秋夜は冴え冴えとした月夜の下は、今夜も深々と冷え込む。
「こんッ・・な、抱き方、反則・・っ、・・だ・・っ」
5.Side-M
テレポート駅の階段で待ち伏せしている室井に、青島はすぐに気付いた。
小走りに近寄ってきて、驚く顔で笑う髪が藍に溶ける。
「びっくりした。どしたんですか?」
「また連絡すると言った」
「あ~、はい、先日はばたばたしちゃって。・・すみません」
形の良い横顔のラインが夕暮れの潮騒に透ける。
この街に流れるメロディもクリスマスソングに変わった。
カフェではまだ秋の名残もあったのに、ここ数日ですっかりと深まった晩秋は、変わりゆく時の流れを残酷に告げるものである。
一年の終わりを刻一刻と狭める狭間に時の終焉を重ねることは、普段の慌ただしさは忘れさせるくせに
今自分がどんな目で青島を見ているのかを、曖昧に暈した。
その幼稚な変化に戸惑い、次の言葉に出遅れた隙に入り込まれた木枯らしが、不自然な間が二人の間を支配する。
青島の濁りの無い視線に堪え切れず、室井は眉間を寄せ、視線を流した。
「ちょっと、出れるか?」
「あ、えっと・・」
立ち話もどうかと思っただけだったが、青島は珍しくためらいを見せた。
時間がないのか、二人きりを避けられているのか。
上目遣いで室井を探ってくる。
今ここで、という意味だとは、勘の悪い室井でも察せた。
「仕事の話ではない」
何て言うんだ?俺のために躰を売ったのかとでも聞くのか?
「なにか、聞きました?」
「いや――、その、」
「室井さん、うそ、へたすぎ」
くすりと笑う彼はあの日の彼じゃない。
俺が知っているあの顔じゃない。この顔をさせているのは誰だ?
的確に見透かした薄茶色の瞳さえ初めて見た気がして、胸騒ぎに木枯らしが呼応する。
「君はそれで納得しているのか?」
「俺だって男ですから。護らせてくださいよ」
誰をだ?
自惚れても良いなら、そんなことされても嬉しくない、と言うのが本音だった。
彼の意思を尊重したい。
彼の矜持を室井とて護りたい。
そうまでして身を賭す男の覚悟を護るのが男の役目ではないか。
「頼りないかもしれないけどさ・・」
「そんなことは思っていない」
今、微かに零した笑みの中に息が弾んだのは、多分気のせいではない。
青島が鞄を担ぎ治し、ぴょんっと跳ねるように室井に近づいて、顔を覗き込んでくる可愛さに、室井は心臓が跳ねた。
距離感を見失うのは、こんな時だ。
「こないだ聞き損ねちゃった。室井さん、今、何やってんです?」
「官房審議官として戻ってきた」
「審議官ね、あ~、えっとなんか調査する人?あれ?なんでしたっけ?」
「・・・」
広島で激務に堪えたのは、みんな君のためだった。
君がここにいるから戻りたいと願ったんだ。
この地が君に続くから生き恥を晒せた。
「官房長の補佐役だ」
「ああ、そう、補佐ね」
室井は意思を込めて青島を見る。
栗色の甘い瞳が室井を映す。
何か言いたげな青島の口唇が震え、だが言葉が紡がれることはなく、見つめ合うだけとなった。
物憂げな青島の瞳に、上手い言葉をかけてやれない自分を呪い、ただ息を詰め、室井も見つめ返した。
「青島、無茶はするな」
「・・大丈夫です」
「私はいつも君に無茶なことばかりさせた」
週末の改札口はカップルが目立ち始め、睦まじい距離に寄り添い、二人を通り過ぎていく。
仕事帰りのサラリーマンも足早に帰路に着く。
すすきの穂先が黄金に揺れて、オレンジの大気がくすんで濁る。
その輪郭まで失いそうで、室井の右足が一歩前に出た。
「あんね、これが俺たち、下っ端なの。踏ん張るって、言ったでしょ」
「君はもう少し自分のことを考えてもいい」
「もう戻れないならさ、出来ることさせてくださいよ」
戻れないとはどういうことだ?
戻るとは、どこにだ?
余りにも意識していないフレーズとの乖離に室井はただ押し黙る。
薄っぺらい建前がこの海辺の街には不釣り合いで、あの駆け抜けた季節の熱を探させてすらくれなかった。
「室井さん、俺ね、鳥飼さん・・と、」
ザッと木枯らしが枯れた木の葉を飛ばし、青島の瞳が隠され、日没の紅い残照が穂先を叩く。
そして、見計らったように青島の呼び出し音が鳴る。
びくっとして、一瞬の間の後、青島はポケットを探った。
「呼び出しか?」
「ん?・・まあ、そんなとこ」
瞬間、違うと思った。
「その電話、鳥飼か?」
長い躊躇いの後、青島はポケットに両手を入れ、横を向いた。
最後の夕暮れが空を藍に染めている。
だが青島の顔を見たら何も言えなくなる。
室井には話たくないこと、知られたくないことなのだ。
これ以上聞いてはいけない気がした。
青島が泣いてしまう気がした。
「ね、室井さん・・もう、会いに来ちゃ、だめですよ・・嫉妬されちゃうんで」
「了見が狭い」
「はは・・、こうするしかなかったなんて無責任なこといいませんけど、あれでも、俺がいないとだめなんで」
俺だってそうだ!
だがその言葉は喉仏に張りついて、出てこない。
言ってはいけない。
俺たちの関係を護るために。
薄っぺらい建前でも、それを支えに戦って来た青島の努力を、護れない。
「望むこと、してやりたいんです」
言葉を告げず、ひっそりと消息を絶ったあんたは、一人で大丈夫でしょう?とその聡明な眼に断罪されているようだった。
室井の拳が硬く強く握られる。
どんな思いで去ったかなんて分からないだろう。
どんな思いでやり遂げたかなど知らないだろう。
どんな思いで耐え抜いたかなんて気付きもしないだろう。
だがそれをここで告げるほど浅はかでも、愚かでもなかった。
青島が男の意地を通したように、室井もまた意地を張った。対等でありたいからだ。
でもそれは見方を変えれば敗北だった。
出遅れたから、負けた、その刻印が奥底に消えぬ痣となっていくことすら、もう赦されない。
「鳥飼のことが――好きなのか?」
「そりゃ、・・、うん、すき、かな・・」
絶望の告白は、室井の耳の奥に呪いのようにこびり付いた。
俺のことは?と喉から出そうになった未練を必死に堪えた。
この意地はなんの意地だ?
この純潔に魅入られた数多の時間が、今、師走の夜に消えていく。
この幸運と危険を告げる君を手にした者だけが獲られる未来が消えていく。
ほんの少しでも、君の心に俺はいたんだろうか。
室井の中で、終焉を色濃くさせて腐敗していくだけの末路に、今は哀しみさえ餞にならなかった。
「室井さんは・・どう思ってるんですか?」
「?」
「その、鳥飼さん、のこと」
「君がいれば心配ないだろう」
「そ?」
駄目なのは、自分の方だ!
言葉は音にならず、漆黒に秘められ、熱く青島を見つめ、投げつけられる。
ほんの欠片でも君に突き刺さっただろうか。自分の投げた言葉の欠片が、自分に返ってくる。
共鳴した時間の残響が逆に冷たく余韻を奏でていた。
クリスマスソングに混ざる音色は泣き出しそうな胸の内を謳い上げる。
「心配してくれてるんでしょ?」
「下心があるとは思わないのか」
「室井さんだもん」
「随分信用してるな」
そりゃもう!と、指を翳す彼に、室井は無理をして視線を落とした。
二人の睦み合う姿が想像された。
甘える彼の長い腕が鳥飼に縋っていた。
その秘部に触れる手に激しく憎悪した。
艶めく透明の瞳に映るのも、君の隣で生きていくのも俺だけだと自惚れていた。
勝手に妄想を繰り広げる脳味噌に反吐が出そうだ。
こんなにも好きなのに。
青島のその目が俺のためならと言っているのに。
それは、室井の求めたものじゃない。
「冷えてきちゃいましたね」
終わりの言葉を口にする青島も、だが、それ以上の言葉はなく、動こうともしなかった。
足早に過ぎ去る木枯らしが、取り返しのつかない季節を弔う音が、耳障りだ。
どうしてこうなったのだろう。
誰がこうしたのだろう?
どこから。どこから。無理矢理にでも君を連れ去れば、何か変えられるだろうか?
ただ君が遠く、季節が君を連れ去ってしまう。
「室井さん、もう、帰りますよね・・?」
帰りたくなどなかった。
離れたくもなかった。
だが、この時間を引き延ばすことに意味があるわけでもなかった。
第一、先に帰りたがっているのは君の方じゃないか。
駄々っ子のような態度に、振り回されるのは、いつもこちらだった。
室井は顎をしゃくる。
「・・1本くれ」
「そうこなくちゃ」
そんな嬉しそうな顔をするな。
決心が鈍る。
青島が取り出したくしゃくしゃの煙草を、くるりと回し、咥えた。
ジッポに顔を寄せ、火を灯すまで、室井はじっと青島を見つめた。
見られていることは分かっているだろうに、青島は瞼を伏せる。
そして、視線だけが、ゆっくりと上がった。
「――」
青島の煙草の先に、室井は咥えた煙草を寄せる。
先端と先端が触れあい、ゆっくりと室井の煙草も燻っていく。
冷たい潮風が罪深さを責めるように頬を叩いた。
もう今年が終わるのだ。君との時代が終わるのだ。
愛し、慈しんだものを次々と喪っていく悲しみ。
自信をもってやってきたことが裏目に出て、自ら報いを受ける苦しみ。わが人生は間違っていたのかもしれぬという疑い――
全部が綯交ぜとなって紫煙となる。
「俺、結構楽しかったよ」
「そうだなァ、楽しかったなァ」
シガーキスは、終わらせるための儀式だった。
この距離がいいんだとか、この関係も捨てられなかったとか
変えられなかった言い訳は山ほど俺たちに存在する。
それを越え大事にしてきたものに、価値を求めるほど、もう稚拙ではなかった。
目頭が熱くなる気がする迷いを紫煙のせいにして、室井は宙に口唇を窄めた。
紫煙に混じって薫るのは、既に馴染んだ香りだ。
「君は整髪剤か制汗剤か何か使っているのか?」
「?・・や、特には・・。なんでです?」
「そうか、だったらこれは、おまえの匂いか」
流石に息を呑んだ青島を横目でクッと眇め、室井は時折耳を塞ぐ風音をただ聞いていた。
脈絡のない邂逅で散らかせるだけ散らかしたあらゆる意思の片鱗を、一つずつ淡々と潰していくに留まり
なんともあっけなく無機質な末路に、どうにも説明不足で中途半端な印象を植えつけたまま終盤へと運ばれたこの関係に
無情にも、今添える言葉さえ、奪われてしまった。
こんなにも近くにいるのに、彼は室井が心に触れることを許さない。
あんなに熱く駆け抜けた二人の末路がこれなのか。
恐らくは、鳥飼の仕掛けた罠によって。
罠――と呼ばねば余りにも惨めな己への仕打ちに絶望を知る。
「忘れる?」
俺を騒がせるのも苛立たせるのも、君だった。
「早々、消え去るものじゃないだろう」
自分がとても大切なものになったようなあの感覚を、身体中に刻み付けたのも、君だった。
「うん・・覚えてて。笑い飛ばしても、からかってもいいから、消えないで」
透き通る冬空に、最後の紫煙を細く長く吐いて、室井は目を閉じた。
君の傍にいられるのなら、この想いさえ握り潰す。
醜くても、情けなくても、臆病でも、君を諦めることを選ぶ。
なりふり構っていたら欲しいものは手に入らない。
「私は誰の指図も受けない。無論、君にもだ」
「強引ですねぇ」
「掴み取らねば取り零すばかりの世界なのでな」
最後の紫煙は藍色に溶けて、二人だけの時間は終わった。
青島が背を向ける。
「俺、今日、誕生日でした。イイモンもらっちゃった」
「・・・」
「もう、来ちゃ、だめですよ」
くすんだ視界に、片手を上げて手を振るその背中を見送りながら、室井はもうYESともNOとも答えなかった。
影が長く伸びて、陽の落ちた大気に濁り、君が消えていく。
最後に風が、振り返りもしない青島の言葉を、室井に届けた。
「でも、俺が約束したのはあんただけですよ」
切なく笑った、その息遣いまで、感じ取れた。
鳥飼が言った言葉が脳裏でリフレインしていた。
擦り切れた約束に縋っているだけで、奪われた。
何もしなかったから、横から掻っ攫われたのだ。
青島にこの決断をさせたのは、鳥飼であり、室井自身だ。
申し訳ないと思うのは、青島になのだろうか?それとも自分自身の心に芽生えていた熱情になのだろうか。
底知れぬ絶望感と、得体のしれぬ怒りのような感情が、腹の底で腐臭を放ち、どす黒い澱みを吐き出す場所を探していた。
根底に流れる意識は同じだったと、何が俺を勘違いさせた?
そんなもの、どこにもありはしなかった。
ただ無機質に続く、その後の時間を、淡々とこなすだけだ。
クリスマスの讃美歌が遠くで今年の終幕を告げていた。
6.Side-M
待機していた車のウィンドウを叩く音がして、室井は読み込んでいた報告書から顔を上げた。
思わず人物に眉間が曇る。
ウィンドウを下げたが妖しい笑みは動かない。
このまま無視しても、窓越しにあしらっても良かったが、室井は敢えて扉を開け、外に出た。
「何か用か」
「また、抜け駆けしましたね」
「・・・」
「そうまでして気懸かりなものですか?」
「何のことか分からない」
無表情な鳥飼の顔は精悍で、まるで彫刻のように精気が希薄だ。
青島も端正な顔をしており、陽気なだけではない毒を持つ男だが、童顔のため愛嬌もあり、瑞々しい生命力の美しさがある。
どこか似た気配を持ちながら対照的な二人の融合に、不自然にそぐわないものを感じ取りながらも、室井は寡黙を貫いた。
フラれたことを律義に告げる必要はないだろう。
「はっきりと宣戦布告でもし、勝敗を決した方がキャリアとしても生きやすいですか」
ギロリと室井の目玉が鳥飼を睨みつける。
感情の起伏で言えば、鳥飼も室井も官僚然としていて模範的だが、室井の感情はその仕草に出る。
他方、その片鱗さえ持たぬ鳥飼は、どこか感情が欠損している機械のような不気味ささえあった。
その差が出世に関わっていると、新城辺りが指摘してくる所以だ。
「青島のことか」
「アレは、僕のものです」
にこやかに、軽やかに鳥飼は告げる。
雨交じりの雪がちらついていた。
二人の暗色のスーツを拒むように、その痕跡は跡かたなく溶けてしまう。
室井は付き合う義理もないが、仕方なく鳥飼の方を向いた。
双子のようで非なるもの。
鳥飼は青島の闇の部分を具現化した肖像に思えた。
だとしたら、鳥飼が青島に惹かれた理由は自身にない光を求めたか、或いは、願っても手に入らなかったものに対する憤怒――
嫉みと憎悪が室井の脳裏に警告する。
「君達がプライベートで干渉したいのなら、私に関わらず二人でやれ」
「本当にそう思ってらっしゃるのでしたら、とんだ虚けだ」
「何が言いたい」
「無知とは人の苛立ちを生じさせると思いませんか」
「・・・」
「これは、貴方の不始末と、ここにあるふしだらな代償が結んだ人身売買だ」
「・・なんのことだ」
咄嗟に、言っている意味が分からなかったのは、事実だ。
ココ、と言って、鳥飼は室井の胸元を指差して見せた。
視線は逸らさない。
「彼の方はあっさり認めましたよ」
「!」
分かっていて敢えて鳥飼は口にしたのだろう。鳥飼は人の心を察するのに長けている。
適切に時を見計らって差し出された言葉は、実に効果的に室井の意思を貫いた。
「そして、貴方も――僕の言った不始末と欲望に、お心当たりがあるご様子だ」
「仰っている意味が分からない、鳥飼警視」
敢えて階級を持ち出し、身の程を知らせると同時に、ここが堅牢であることを匂わせるが、鳥飼は飄々と車のボンネットに片手を乗せた。
その手に雪が降る。
「旧態依然とした警察組織を変えたいと、君も思っていたんじゃないのか」
「そのためには手緩いやり方では無意味だということも悟っています」
「君は君の理想を貫いたらいい」
「貴方も。とぼけていたいなら、そうやって一人でずっととぼけていらっしゃればよろしい。それが、愛しの彼の望みでもある」
「!?」
突如青島の意向まで白状され、不覚にも室井は狼狽えた。
隣に立つ鳥飼は背の優位を活かし、果敢に臨んでいて、室井は真っ向勝負をする気はなく、正面を睨み続けた。
その車に優雅に背を預けた鳥飼は静かにその先を口にした。
この憚るような声音が、逆に宣戦布告だったと知るのは、もっと後だ。
「ただ、少々、目障りだ」
声色を変えた低い声は、およそ鳥飼らしくなかった。
すぐに穏やかで無機質な元の彼に戻る。錯覚だとさえ思わせる変わり身に背筋が凍るのは低気圧のせいではない。
「問い詰めたら白状しましたよ。その上で口外しないことを条件に、彼は僕に差し出しました」
耳から侵入した冷気が、指先まで冷えた身体をゾクリとさせる。
「――何を」
「貴方と青島さんのトクベツな関係についてです」
「別に私と彼は――!いや、そうではなく!」
「ええ、純愛だった。でしょう?後になって“知り”ましたよ。驚きました。ですが、そこはもう問題でないことは、貴方ご自身が一番分かってらっしゃる」
「――」
「もう気付いているのでしょう?僕に調査を依頼したのは町田です。既に公安がある程度内密に握っていた。違いますか?」
以前、首席監察官を拝命した時、池神に釘を刺されたことがある。
室井の脳裏で重なる映像は似て非なるものだ。
脂ぎった攻防に背筋に垂れる汗は、むしろ悪寒に近い。
何故今鳥飼はそれを俺に告げに来た?
こんな仕事中にわざわざ室井を待ち伏せして宣戦布告することも、およそ彼らしくない。
「もうこの事実が純愛であるか、どう言い訳を用意していたなど、関係がない。僕がシロと言えばシロだしクロと言えばそれまでだ」
低く絞り出すような唸り声で、室井が呻いた。
「飼うとは」
「分かるでしょう?男なら」
室井の片手が躊躇わず鳥飼の胸倉を掴んだ。
ほら、そうやってすぐに感情的になるから資質がないのですよと、鳥飼の目が嗤う。
「既に彼は貴方のモノじゃない。最初から貴方のモノですらなかった。純愛と心中でもなさるのは勝手だが、迷惑なんですよ存在が」
「君は一体何を企んでいるんだ」
「お聞きになったところで貴方にはどうすることも――」
「言え!」
折悪しく、鳥飼の肩越しに、戻ってくる中野と部長の姿が見えた。
横目で確かめた鳥飼が、時まで味方につけたように悪魔的に微笑み、それもまたどこか違和感を抱かせる。
のらりくらりと交わされ、肝心なところを暈すのは、晩秋の玲瓏を尽く室井に突き付けた。
こんな男に口八丁の青島が丸め込まれたのか?
こんな下らない挑発に青島が乗ったのか?
一瞬の隙を突き、素早く動いた室井の右手が鳥飼のネクタイを音を立てて捻じ曲げる。
「最後にひとつ。青島は何と答えた・・!」
矛先を変えた室井に、鳥飼の片眉が上げられた。
「物好きな方だ。それほどまでに恋しい相手?」
「早く!」
「好きなのかと聞いたら好きだと認めました。貴方よりずっと素直で可愛げがある。実に容易く落ちました
では貴方の方はどうかと聞いたら黙っていてやってくれと
付き合っていたのかと聞いたがそれはないと言う答えだった。そこはどうも腑に落ちない。良い歳をした大人同士だ。だがそれさえももうどうでもいい
彼が唯一恐れているのは、貴方にもう一度スキャンダルを被せるかどうかだ」
「!」
室井の鳥飼を掴む指先が白じむほどに力んでいく。
「これ以上色恋沙汰を蒸し返し、新宿の二の舞を犯し、貴方を追い詰めるのは止めてくれと懇願されましたよ
僕に囲われることを条件に僕はそれを了承しました。あの上玉を抱けるのならお釣りがくる。お察しの通り初めての夜は最高でしたよ」
上へは偽の報告をしてあります。ご安心ください。今日はそれを伝えに来ました」
焦点がぼやける程の距離で睨み合っていた室井の手が、ややして、鳥飼の襟元を解放した。
投げ捨てるように放す動作に、室井の敗北が確定していた。
新宿北署のスキャンダルは誰の耳にも入ったことは承知だ。
それでも秘かに、そんな風に感じ取ってくれていた青島に、心の中で馬鹿野郎と詰る。
薄々感じていたことでも、鳥飼の口からはっきりと躰を差し出させたと聞けば、心中は騒めいた。
そんなことをさせたのは、俺なのか。
「君は、青島に惚れているんじゃなかったのか」
「惚れていて抱けなかった貴方がその答えを聞いてどうしたいのです?痴れ者が」
「ッ」
「僕が青島さんを選んだんじゃありません。青島さんが僕を選んだんですよ」
「――」
「濃密な約束に甘い返事をして縛り付けておいて、構うだけ構って、消えて、付き合っていない?躰は奪わない?
された方にしてみれば、たまったもんじゃない」
うっとおしいと、吐き捨てるような戯言は、室井の胸に的確に突き刺さった。
まるで青島に責められたようだった。
でも本物の青島は、室井には絶対そんなことを言わない。言ってはくれない。
「抱いてみたかったですか?」
「抱かない。抱いた所であいつは捕まらないだろう?」
流石に動きを止めた鳥飼を見据えてから、室井の白い指先が車の扉を勢いよく開けた。
戻ってきた中野が鳥飼に挨拶をし、運転席に回り込む。
急速に発達した低気圧が気温を下げ、低い雲が素早い速度で流れていた。風圧が大きな音を残す。
扉を閉める直前、シートに滑り込んだ室井は、ギロリと鳥飼を睨み上げた。
半開きの車窓から粉雪が渦を巻いて叩きつける。
「君は知らないだろう。アイツの頭の中は、私でいっぱいだ」
抱いてしまったとしても、鳥飼と同率になるだけなのは分かっていた。
青島の心は手に入らない。
室井が欲しいのはそれじゃない。
身体だけ手に入れたのなら、鳥飼もまた、似たような痛みを感じている筈だ。
「中野くん、出してくれ」
強烈な腐臭を放つ違和感が室井の胸奥に渦巻いていた。
無残に掻き回された感情にも、苛立たしい。
サーバントリーダーが何だというのだ。
鳥飼の思想は危険だと思った。偏向すぎる。
彼に情報を与えたことを、上はそれこそ手酷い代償を払うことになる可能性に誰も気づかないのか?
走行する窓から、雪がざんざん降るのが見えた。
苦しくて悲しい思いと共に、雪の窓は室井の胸に焼きついていく。
古里の雪とは違う、都会の残酷さと冷酷さだ。
この景色を、室井は一生忘れないだろう。
大切なものを辱められ、奪われた。その事実が室井に重く圧し掛かっていた。
勘違いなんかじゃなかった。重ねた時間はホンモノだった。でももう、遅い。
あいつがそこまでして護ろうとしたものを、護るのが男だ。
本当にそれで合っているか?
分かっている。だけど心はぐちゃぐちゃだ。今窓を叩く氷の礫のように。
どこか腑に落ちないまま、だが取り返しのつかない時間は残酷で、狂う心を禁忌に染める。
室井の奥底で腐臭を放つドロドロとしたものが熱を持ち限界に達しようとしていた。
7.Side-T
その艶肌で鳥飼が仕込んでいない箇所は既にない。
飽き足らず、鳥飼は余韻を残す内股をさわさわと撫ぜては下り、弾力のある肌を愉しんだ。
今夜は冷え込むという予報通り、窓を叩く北風が街を凍えさせ、聖夜に向けて足早に季節を早めていく。
高層階のここはそんな浮世を離れ、たおやかな多情を部屋に留める。
「あの人はいらないそうです」
「言ったの!あのひとに!」
ピロートークにもそぞろだった青島がうつ伏せから飛び起き、背後の鳥飼を振り仰いだ。
「~~~~・・・、ま、いいや。言ったところで、別に」
力の抜けた四肢をぱふんとベッドに横たわらせた青島に、鳥飼は片眉をあげる。
思ったより呆気ない返事に、口端を持ち上げた緩みを感じ取ったのか、不貞腐れたように青島はそっぽを向いてしまった。
年上のくせに可愛すぎるこの生き物に、鳥飼はもっと意地悪をしてみたくなる。
恐らく青島は室井には知られたくなかっただろう。
全てを鳥飼に与えながら、相手に理想と未来だけを残し、託し、時間を鳥飼に手放した。
室井もまた、そうだ。
理想を押し付け合い、潔白のままの記憶を護り合う二人が、ただ苛ただしかった。
濃密に過ごしたこともない男が、鳥飼の知る姿よりも色濃く刻む記憶に絶対の自信をチラつかせる。
壊してしまえば、どうなるか。
ほぼ興味本位で、そして僅かな下心で、鳥飼は室井を牽制した。
だが鳥飼のその敵意ある先手に、動揺をみせながらも優等生ぶる室井に腹がたった。
「怒らないのですか?勝手に告げたのに」
「そうねぇ・・、ほんと、かってに」
オウム返しする青島の声音は掠れているが、特に青島にも動揺を誘えたわけではないことは明白だ。
今先程、一瞬だけ垣間見えた感情は、もうどこにもない。
掴み損ねた熱は冷え切ったこの季節には探すことも困難で、元々なかったようにさえ錯覚させた。
淡雪のようなあっけなさに煽られるのはむしろ鳥飼で、制御も効かぬ焔を引き出したくて
誘うように鳥飼の眼前に晒されているうなじを吸い上げる。
「まだヤんの?若いね」
「そうさせる貴方の躰の方が罪ですよ」
あの室井には出来なかったことをやっている仄暗い悦びが、鳥飼の眼前に満ちていた。
その裏側で、捨てた筈の過去が追い立てる。
「鳥飼さんは・・どして、俺?」
「愛の言葉なんて聞きたいですか?」
「そやってはぐらかすのは、なんで?」
正面切ってぶつかって来いよという潔さが、泣きたいほどまた鳥飼を浄化する。
傷つけた分だけ満たされるのは何故だろう。
またひとつ朱い華を散らすことの傲慢さに、だが、本当に欲しいものがそこにはないことを思い知らされる。
限界までギリギリに追い込んで、それでも返ってくる手応えに、人は生きている実感をするのだろうか。
自分がここにいるという自覚を体感するのだろうか。
「どうしてでしょうね・・」
漫然と零れた呟きに、青島はただ溜息を落とした。
人を呪わば穴二つなのだ。
息吹を止めたあの時代から、戻るつもりはない。逃れるつもりもない。
差し違えるだけの刀を手に入れられるのなら、毒さえ望む。
正攻法で陥落させなければ意味がないなどと考える室井のような温室育ちに、人の本当の無念も後悔も届きはしない。
あの男は、本当の意味で上に立つ資質を持ち合わせてはいないのだ。
「彼はそのプライドから、もう貴方に絶対触れてこない。触れられない。貴方を惨めに思い、そして憐れむ。その愛欲故に――」
「そこまで計算したとかいう?」
「僕を誰だと思っているのですか?」
「・・あ、調整官でしたね・・」
力も入らず乱れたシーツに惜しげもなくその均斉の美しい裸体を晒している。
今夜も散々味わった肉は妖艶に色付き、華を散らしていて、所々に白濁したものを付着させ
緩やかな男の指先の動きに、ぴくんと反応を返す度に、鳥飼はほくそ笑む倖に興じた。
少なくともこれは、鳥飼のものだ。
「僕を選びたくなかった?」
「俺を選びたくなかった?」
室井が見ていたのが青島でなかったら、鳥飼は青島を犯そうとは思わなかっただろうか?
初めて見た青島に感じた違和感や焦燥は、決して室井を介してのものではない。
どこか寂しそうな口ぶりを隠さず言い返してくる青島は、支配し蹂躙する者の欲望を妙に刺激する男だ。
「おもちゃの取り合いに興味はないですね」
「そりゃそう」
「世話の焼けるおもちゃですが」
そこが、室井もまた心搔き乱された箇所なのだろう。
あの冷徹で朴訥とした朴念仁を、男として、野性的で獰猛で傑士であると錯覚させた。
「室井の何がお気に召したんですか?」
「・・・俺さ、刑事になったばかりのころ、一歩間違えばこうなってたかも~って犯人と会ったの」
「・・・」
「そういうの、ほんのちょっとの差なんだなって」
「僕に説教をするためにセックスを?」
「しませんっ・・・けど、見届けたい、のはある」
「救いたいのとはちょっと違う?」
「そうねぇ」
「思ったより淡泊ですね」
初めて室井の調書を読んだ時、あからさまな指摘に驚いた。
青島がいるだけであの男はここまで変わるのか。
冴えない田舎小僧の無所属が、この階級社会で勝ち残れる術などないも同然だ。
なのにまるでなにもかもを達成できるような偉物の顔をして、楽園を吹聴している。
麻薬のような男を知った時から、室井は中毒者となった。
その麻薬が欲しい。
同じ毒なら味わったっていい。
どうせ、人を呪わば穴二つなのだ。
媚薬に酔い痴れて、室井の見た楽園とやらを覗きみるくらいの道草は、どんな美酒より酔えるだろう。
「弱いので」
「ん?」
「僕自身はすごく弱い人間ですから、こうして触れて、喘がせて、嬲るそこに、想像以上に応えてくる貴方に負けるんです」
「?」
降参したように青島の肩口に鼻を埋めてくる仕草は、鳥飼が甘えている時だ。
それを知っている青島は、身体を横に向かせ、情事で乱した鳥飼の髪を梳かすように軽く、触り、撫ぜ
覚束ない仕草でその長い腕を鳥飼の首に回した。
まるで赤子を癒すような指先に、鳥飼もまた匂いと体温に包まれ瞼を閉じる。
「愛の言葉が欲しいのは君の方か」
「自分が消えていく前に種を残すのが男の性です」
「ここにいますよ」
大丈夫と言うように青島が鳥飼を抱き締める。
その胸に鼻を埋めながら、ゆっくりとその躰をシーツの波に埋め、鳥飼は青島に圧し掛かった。
首筋から鎖骨にかけて音を立てて吸い付きながら、またひとつ、何かを飲み下した。
「青島さんって後悔はしなそうですね」
「けんか売ってんの」
「自分の傷など後回しなのは悪くないという話です」
青島の手が鳥飼の後頭部を掴み、顔を上げさせられた。
「後悔、させないでくださいよ補佐官」
「そこまであの男が大事ですか?」
「君を選ばせたくせに♪」
「自分の気持ちも後回しにした後悔を?」
「君に競り負けた時くらいかな」
室井をネタに交渉した時のことを言っているのだ。
その過去を探らない代わりに身体を奪った。
それが唯一の青島の後悔だというのなら、鳥飼が付けた傷は室井が残した痕よりも大きい。
奇妙な優越感が嗜虐的な気分を煽った。
「だから、青島さん、僕を愉しませてください」
「君も、ね」
無垢でありながら、真っすぐで蠱惑的な瞳が鳥飼を見つめてくる。
それでいい。
奥底に瞬く数多の色香を宿す様は、宛ら淫らに誘う従順な私娼のようでもあった。
そうやって捧げてくれる癖に、青島の目はいつも遠くを見る。
そうやって強気で平気なふりをしながら、何故室井の前では折れた翼が傷むような顔をするのか。
青島からは凪のような感情しか見えない。
だから本気にさせたくて、煽って、嬲って、宥めて、落としていく。
何度も撫ぜていた内股の、その付け根を人差し指で意味深に辿った。
意図が読めない青島の瞳は尚、美しく、魅入られたのは無論鳥飼の方だ。
無垢な純潔を穢す機械を、先程まで男の逸物を受け入れていた箇所に潜り込ませる。
逃げる腰を身体で組み敷き、鳥飼の指先もそこに差し込まれたまま、動く。
辛うじて息を殺した青島の花襞は濡れてうねり、透明の滴をひたりとシーツに落とした。
「へん・・たい・・っっ」
「貴方の全てをもらう契約ですから」
「これ、いじょ・・っ、なにを・・!」
「誰にも譲らない」
「だったら自分の、挿れろ、よ・・ッ!」
噛み付いてくる青島に満足し、鳥飼は手元のスイッチを入れた。
微かな震動に、既に行為で爛れていた内壁は蜜を垂らしながらヒクつき、青島の両手は怺ることも儘ならず、シーツを掴んで身悶える。
歪み、赤らむ顔を隠すことも出来ずに、食いしばった息が荒く漏れ、淫乱に開いたままの青島の下肢がビクビクと震えた。
睨み上げてくる顔に、深い口付けを与え、酸素も奪う。
朱い舌を絡ませられ、髪を搔き乱され、鳥飼の筋肉質の肩に縋る青島を、鳥飼もまた強く引き寄せその胸に抱き込み、口付けを深めていく。
「もっと壊れてぐちゃぐちゃになったとこ、見たいです、青島さん」
「君も・・ッ、ねッ」
挿入したままの機械の震動のリズムを少し上げてやると、青島は背中を突きあがらせて善がった。
押し殺す声を聞きたくて、その口腔に指を差し入れ、拒むことを許さない。
強すぎる快楽の涙を零す歪んだ顔が紅潮し、蕩け切るには急速な刺激とせり上がる強制的な悦楽に
哀願する瞳が揺れている。
「ココをこうされたいのでしょう?」
知り尽くした箇所に機械を宛がうと、青島は涙を零して首を左右に頑是なく振った。
無意識に動かす腰を空いた手で簡単に抑え込むと、恨めしそうな顔で快楽に染まる哀願の瞳が鳥飼を責め立てる。
これでは焦らされているのがどちらか分からない。
苦笑して、鳥飼は機械を抜き差しし、熟れた肉壁の柔らかさを愉しんだ。
「ソコ・・!」
「ものたりない?」
傷つければ傷つけるほど、燃えた。
しなる躰を引き寄せ、鳥飼は思う存分快楽に落とし翻弄する。
海を宿す瞳に誘われ、鳥飼だけを映し込む美しさに震え、悦楽を濃くする純潔との対比に兇悪的なものを想った。
大切にするということがどういうことかさえも分からなくなる。
自分が誰かを大切に慈しんでいた過去は遠い。
「僕が、ほしい?」
もう声すら出せず、こくこくと素直に青島は首を振る。
「ほら、ほしがってください」
意地悪な返事に、青島は咬み付くようなキスをして、鳥飼の口を塞いでくる。
切羽詰まった青島よりも鳥飼の方が余裕がなくなる。
室井の真黒の瞳が脳裏をかすめた。
血が滲むほどの激しいキスとなって、鳥飼もまた苛立ちに似た情動を見た。
人を本気にさせるのは、信念でも情熱でもなく、怒りだ。
「それでいい・・」
「と、・・りがぃ、さ・・んッ」
「縛り付けてしまいそうですよ・・」
「・・いい、よ・・っ」
クソっと、鳥飼にしては珍しく口汚く罵り、青島の両手を頭上に縫い付けた。
乱暴に組み敷いた躯体は既に力なく、鳥飼は挿入したままの機械の震動レベルを上げた。
4段階の振動強弱と、パターン振動を2種類搭載してある代物だ。
不規則に変化を付け玩弄すると、引き攣るような嬌声が漏れ、悦楽に翻弄された青島は乱れ、善がり、その躯体がうねる。
顔を隠しそうと倒して恥じらいながら喘ぐ姿は格別だった。
「ちゃんと僕を見て」
顎を捕らえ、鳥飼を視界に映させる。
「今どんな顔で誘っているか、わかります?」
忘我の域に達した青島がうわ言のように何度も快楽の深さを自白する。
時間をかけ仕込んだ躯体は敏感に震えて鳥飼を妖しく誘った。
鳥飼の心に肉に火が灯る。
何もかも失くしていない世界で出会ったのなら、また答えは違ったのだろうか。
正攻法で向き合ったら君は僕を見つけてくれただろうか。
「この腰の傷痕・・冬になると痛むでしょう・・?」
「・・し、・・つこ・・ぃって・・ッ」
「僕もね、冬になると疼くんですよ、左目が」
「!」
傷つけて、泣かせて、殊更快楽だけを与え、蕩けさせ、嬲る。
痛みを植え付けるのは、身体ではなく心の方だ。利用できるものはなんでも使い、後悔も憎しみも、それは全部鎖だと知ればいい。
室井と青島を出会わせてから、何かが狂い始めた。
あの真黒の瞳は闇で、兇悪な引力がある。
蹂躙されながらも悦ぶ青島の姿に恍惚とし、乱れた髪を後ろに撫でてやり、うなじから形の良い肩甲骨へ音を立てながら口唇を沿わせた。
朱に色付いた耳を甘噛みして囁く。
「・・もっと、堕ちてしまえばいい」
底のない暗闇に。どろどろとした狂奔に。
ぎゅっと縋られて、背中に立てられた爪の痛みと、耳元に囁く言葉に胸が呼応し、切ない気持ちが哀しみさえも炙り出す。
征服される。
振り切るように鳥飼はその熟れた肌に現実の証を吸いつける。
社会にとって有益にならないものは、必要ない。
切り捨てていく方がずっと楽なのに、何故囚われるのか。
室井も青島もどこか同じ目をしてここにはない何かに突き進んでいる。
彼だけを見つめて、自分だけを見つめさせ、やがて降る激しく舞い散る雪に包まれて消えていくように
時が過ぎれば明確な思考はもうどこにもないのに、青島が与えてくる不可思議な焦燥と危機感にも似た飢餓感が、消えない。
何かに追われているようで、誰かに責め立てられているようで、鳥飼を狂おしく苛む。
「室井には、渡さない」
抵抗できる余地はあった筈なのに、抗うだけの理由がなかった。
それでもこうして二人きりで堕ちていく時間の魅惑的な毒に、今宵も脳髄から犯されていく。
取り返しのつかない時間は残酷に、狂う心を禁忌に染め上げる。
凍えた窓の向こうで年がまたひとつ暮れていく。
“抱いた所であいつは捕まらないだろう?”
見もせずに、鋭敏に言い当てた室井の言葉が鳥飼の奥底を抉るように突き刺さり、芯まで氷のように冷たく凍えさせていた。
