シー ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリー2024のつづき








カナリアが飛んだ海 後編
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8.Side-M
警察庁一階ロビーはまだ閑散としていた。
ゆっくりと大きくなる輪唱の音は、まるで本日の天候を模しているようでもあった。
先日から近づいていた低気圧は予報を大幅に外れ、関東を直撃し、漏れ聞こえる音が次第に強まる風速の強さを伝えてくる。
夕刻前だというのに、既に辺りは薄暗い。

室井が中野を従え、一礼をする。
大階段からは早々たる面子を揃えた幹部たちが姿を見せ、降りてきていた。
何があるのかは、末端のキャリアには知る由もない。
その中央、町屋の顔にも気付いていた。
あれから特に何も言われてはいない。
鳥飼が口添えしてくれたというのは、事実のようだった。
不気味なほど平穏で無害な日常が、室井を不快な気分にすらさせていた。

或いは、掌握した情報を切るタイミングが今ではないと判断されているだけの可能性もあった。
首にナイフを宛がわれたようなものだ。
これは、恋を捨て仕事を取った男という姿なのだろうか。
出世に邁進してきた室井だが、そんな風には考えたこともなかった。

「今日はこちらにいらしたのですか」

集団から声をかけられ、室井は思考の底から意識を戻した。
鳥飼だった。
最後尾から冷然として歩みより、室井の前を通過していく。
幹部に取り入った手腕は隙がなく、階級は下でも室井より格上なのだと、構図が見せ付けていた。

「ご無沙汰しております、室井さん」

室井はただ黙礼するに留める。
そのまま、集団はぞろぞろと室井の前を通過していった。
ほうと深い息を吐いた中野が顔を上げる。

「最近の鳥飼警視の飛躍はすごいですね」
「どういうことだ?」
「今のお立場って、正規の役職ではなく実験的なポストだったのに、上の評価も高く、割と自由にやらせてもらえているのだとか」
「そうか」
「ほら、例の件で少し調べさせてもらったときに」

鳥飼警視も室井さんと似たような信念をお持ちでしょう?
中野の含んだ笑みに、室井はただ瞼を落とす。

町屋次長が室井を調べていたということが事実かどうか、中野にも探らせた。
キャリアはこんな腹の探り合いばかりだ。
だがその情報が首を繋ぐ。
その流れの中で、鳥飼もまた、幹部に反骨心を抱く側で、かなり太い信念に基づいていることを知った。
その根底にある理念はあくまで悪を排し、悲劇を二度と生み出さない信念に基づくという、室井と青島の約束にも通ずるものだ。
ならば、室井に鳥飼を抹殺する理由はない。
反発する理由もなくなってしまった。
賛同者および協力者を得ることの方が、室井の狙いも近づくという皮肉があった。

「警察機構の再生目的で上層部に上申書、提出したらしいですよ」
「通ったのか?」
「いえ、そこは」

ぼそぼそと交わす中野の返答に、鳥飼のアクションを嫌悪する気分にはなれない。
同じように上申書を提出し、目を通したとは口先ばかりの池神局長の嫌味を思い出し、同情すらしてしまう。
数年前室井は首席監察官の席に就いた。
裁くポストとはいえ、あの時はノンキャリ同士を疑わせただけに終わった苦い結末だ。

「今回の件、坂村警視も動いていたらしいですよ」
「やはりな」

そこからか、と室井は思った。
坂村と言えば、青島と裏社会の繋がり、龍村という男との交流など、所轄のやり方に反発し祭上げることに躍起になっていた。
忠誠心が強いとか、正義感があると言えば聞こえはいいが、少し偏り過ぎている気はしていた。
目を付けられれば目立つ。
今は大人しく鳥飼のシナリオ通りに動くことが、室井に残された最善の方策だった。
歯痒かった。

「今はこのチャンスを利用するべきなんだろうな」
「ちょっと癪ですけどね」

キャリアの出世などそんなものだと、中野が笑う。
その時、また自動扉が開き、冷たい北風と共に空気の色が変える足音が聞こえた。
この場にそぐわない、モスグリーンのミリタリーコートが木枯らしを連れてくる。

「あ!」

男にしては少し高めの甘いトーンに、思わず室井の身体が硬直した。
あのシガーキスから10日ほどしか経っていない。
年単位で会わないこともざらだった。
なのに何故こんなにも懐かしい気にさせられるのだろう。

向こうも室井に気がついた。
足を止めた、その一瞬の視界が、少しだけ柔らかさに揺らいだ気がした。
だがそれを遮ったのは、また鳥飼だった。

「遅かったですね」
「ちょっと課長に捕まっちゃって」

仲睦まじくも感じ取れる会話がフロアに響き、室井を足止めしてしまう。
ポケットに手を突っ込み、飛び跳ねるように鳥飼に声をかけていく様子に、鳥飼本人に呼び出されていたことを察する。
いつの間にか幹部集団は去っていたのに、鳥飼だけがロビーに残っていた。

「急に連絡貰ったから焦っちゃいました」
「今晩このまま空いてますよね」

室井と中野が足を止め、様子を視界に捕らえていることは、鳥飼も承知なのだろう。
わざと聞こえるように、会話を続ける。
その動きで中野も気付いたようだが、視線を向けただけで鳥飼に堰き止められていた。
成程、見せ付けたいわけだ。
中野が室井の耳に、上司に言うには少し砕けた言葉を吹き込んできた。

「良いのですか?こんな状態で。なんというか・・その・・」

鳥飼と室井のやりとりを、先日も車中から見ていた中野には、察するに余りある光景だったのだろう。

「青島の魂胆を潰せるだけの根拠がないんだ」
「それはお互いの胸にあるお気持ちだけでは駄目なのですか?」
「気持ちを押し付けたり、勢いで手に入れても、青島を護れない」
「しかし――ほんとに盗られちゃいますよ」
心から。

その指摘に室井は目を剥いた。
自分がまだどこかで青島と繋がっていると思っていた。
続いていけると油断していた。
だが、鳥飼が同じ信念を持ち、行動を起こせる男である以上、青島にとって約束とは、形骸化した理想論になり、室井である理由がなくなるのだ。
今、室井が鳥飼を糾弾する理由を奪われたのと同じように、より効果の高い相手を選ぶのが筋である。
そこまでも鳥飼が仕組んだ計画だというのなら、舌を巻くよりなかった。

「だが、もう他に・・」

万策尽きていた。
望むことをしてやりたいと言った青島に、室井の望まぬことをしてもらっても意味がない。
手に入れるためにはもっと、別の何か。
セックスは快楽を追求するだけのものでは意味がないと伝える何か。
大事にしたいのだと、それには傍に居たいのだと、どうすれば理解してもらえるのだろう。

「これが、俺たちの運命だったのだと思うしかない」
「青島さんも、そう思っているんですかねぇ」

室井と青島が交錯した僅かな時間は、光輝き色褪せない。
室井の中では極彩色で、無くならない。
“忘れる?”
あの日、小さく呟いた青島の声が室井の耳にもう一度聞こえた気がした。
その幻聴に、現実の青島の声が被さる。

「呼び出し来るかも」
「全部キャンセルしてください」
「どして?」
「イブですから、夜は僕にお時間をもらいたいのです」
「男同士でクリスマスも何もないでしょ」

困ったような青島に、鳥飼は少し身を屈め、耳元に口唇を近づけた。
その右手が、青島の腰に回る。

「僕はね、世界が半分なんです。見えるものも、感じるものも、全部が半分だ。クリスマスの瞬きを見ても、光は半分。だから貴方が残りを補ってください」
「・・・」

室井らがまだここから動かぬことを承知の上で、鳥飼は敢えて会話を周囲に聞かせてくる。
無防備に引き寄せられた青島が鳥飼の胸に凭れかかるように抱き留められた。

「世界を失った半分は、貴方の動きを奪った左足に憎しみさえ抱かせます」

室井は思わず二人を見た。
寄り添うようにロビーに灰色に燻る。
こんな場所で抱き合う二人は、だが妙にしっくりとくるシルエットで、咎める者もいない。
鳥飼は青島を見てはおらず、反応するであろう室井を見定めていた。
これは、明らかに室井に対する非難なのだ。
青島を死に至らしめるほどの傷を付け、今尚その残された傷痕をベッドで見る度に室井を思い出す、鳥飼の非難だ。
そして傷を付けないという、捩れた優越感を室井に抱くことで、この恋を縛り付ける。
最初からそうだ。鳥飼は室井を異常に敵視していた。

「特別な夜は僕が独り占めしたいので」
「トクベツって、えっと」
「そんなつもりはない?」
「そゆことじゃなくて、ここ、ケーサツだし、その・・」

だが今、それは室井の中でも怒りに変わる。

そんな風にあからさまに所有権を主張しなければならないほど、鳥飼はこの恋に納得していないのだ。
敏く、優しい青島がそれをカバーしきれていないところから、青島だって、この恋にのめり込んでいないのだ。

何をやっているんだ君たちは。
雁字搦めになって、冷静と情熱の間で板挟みとなって、動けなくなる恋を、室井は知っている。
それを逆手にとって青島を繋ぎ止める鳥飼のやり方は、どこか歪で、やっぱり間違っている。

青島の左腰にそっと手を宛がって、それから己の義眼を指差し、怪我の話を始めたときの鳥飼の目を見て室井は身体が冷えるのを感じた。
これ以上、青島に鳥飼を近づけてはいけない。
青島はいつも誰かを救うから、みんなが頼ってしまうが、あいつは自分のSOSは絶対自分で発信しない。
一カ月程前、何故青島は階段で擦れ違っただけの室井にリスクを冒して誘った?

「照れている顔もいいですが」
「ちょ、っと!とりがいさん・・っ、場所!」
「僕の見たい顔は今夜も引き出させてあげます」

引き寄せられた青島からは室井の姿は見えない。
その分、鳥飼が言葉遊びを楽しむように青島の耳に吹き込む言葉に、鳥飼の義眼が妖しく光る。
低気圧が、室井の代わりに窓を叩き、騒めかしていた。

「一旦、仕事に戻ります。青島さんはこのまま僕の車で待機していてください」
「ちょっと待ってよ、俺まだ」
「では今夜、また」

鳥飼が恭しく青島の頬に口付けを与え、ひとつとなっていた影が離れた。
その時室井にも青島の顔が見えた。
ああ、違うと思った。
赤らんだ顔は照れて俯く。だが、横顔に刺さる微かな灯りに浮かぶその端正な輪郭。
これは俺の知っている青島じゃない。本当の青島はこんなもんじゃない。
そう思った時にはもう室井の口が開いていた。

「それで本当にいいのか青島」
「良いとはどういう意味です?」

答えたのは鳥飼だった。
去ろうとしていた鳥飼が代わりに返事をし、しかしその問いかけには答えず、室井は真っ直ぐに、静かに青島の反応を待つ。
室井の目はもう青島しか見ていなかった。

「青島」
「んなこと、あんたに関係・・」
「ないな。でも、そんな君は見たくない」

青島の視線が揺れ、彷徨い、そして、一歩下がった。

扉に近い青島の背後から自動扉が反応し、凍えた風がモスグリーンのコートをはためかす。
少し離れた場所から鳥飼は室井と青島の作り出した突然の気配に、即座に対応できずにいた。
青島は答えない。
室井も動かない。
眼鏡を人差し指で直すと、鳥飼が青島の前に庇うように立ちはだかった。
だが、室井は最早動じない。

「君が恋をしているのなら、何も言わなかった」
「っ」

二人の会話を延々と見せつけられて、鳥飼としては、先制したつもりだろうが、それは逆効果だった。
室井にしてみれば、自分の記憶にある過去の栄光とされる時間の中で、鮮やかに生きる青島とのあまりの落差に違和感を齎し
一つの仮説を抱かせただけだった。

「良いって、俺が言ってんの」
「私には咬み付いてくる君が?」

鳥飼が間に入ることで、その背に隠れたようにも見える青島の姿は、だが室井の目は鳥飼を越え青島だけを貫く。
室井の視界を遮るように動く鳥飼の姿態もまた、青島にも見えていないようで、青島も室井だけを睨みつけていた。
口火を切った室井の言葉から一転、今、室井と青島はただ視線で挑み合う。

「もう、決めたことですから」
「一度決めたらもう引き返せないなどという生き方は、盲目と一緒だ。そんなのは誠実でもなんでもない」
「なんであんたがそんなこと言うんですかっ」
「私と君の間にもそれなりの交流があったと思っているからだ」
「ぁ、あったよ、そりゃ!でももう過去のことだ!」
「過去にするつもりだった私も。君が割り切っているのならば」
「そん・・っ、そんなこと!今、かんけーないっしょ・・っ」

語尾は限りなく細く掻き消えた。
揺れ動く視線に青島の本音が透けている。
そう見えるのは室井の妄想かもしれなかったが、普段の青島からかけ離れた姿は室井が引き出した。
鳥飼も流石に不思議そうに青島を覗き込んでいるが、彼の不安に何故気付かない。

「ほっといてよ」

先行ってますと、ほぼ独り言のように告げ、青島が背を向けた。
鳥飼のことも室井のことも、見ない。
音もなく開いた自動扉の向こうからものすごい風が吹き込んで、辺りに枯葉を巻き込み渦を巻いた。
息を詰まらせる風圧に、思わず腕で顔を覆った室井の視界に、モスグリーンが向こう側に吸い込まれていく。
その姿を見て、室井は鳥飼の前まで近づき、横に立った。

「アレは、与えるだけ与えて、消えるぞ。あんな風に。そんな愛し合い方で本当に満足なのか」
「愛を語る?貴方が?恋の仕方なんて人それぞれだ」
「逃がすと分かっているから助言しているんだ」
「逃がしませんよ」
「その口達者にアレがいつまでも大人しく従うとでも?それこそ独り善がりだ。そんな幻想、どこにもないぞ」
「それは貴方相手なら、でしょう?」

どうかな?と室井の口端が意味深に持ち上がる。
鳥飼と青島がどんな付き合いをしていたって、室井と青島の過ごした時間も、二人の共鳴も、嘘じゃない。
一年くらい身体を重ねただけの男に、俺たちの時間が食い潰されるとも思わない。
大事なことを思い出した室井は、ただ聡明な漆黒で青島の幻影を追う。
室井の顔色に、鳥飼は何かを感じ取り、賢明に口を噤んだ。聖夜を伴う闇の使者の如く、影すら味方につけた男に、鳥飼の動きが僅かな衣擦れを這わせる。
探るようなその一瞬は、だが、次の一手を遅らせる。

「何故怪我のことをアレの前で口にした」
「怪我をさせたのは室井さんでしょう。された側の痛みも苦しみも、分からないくせに、勝手なことを」
「その程度の理屈で繋ぎ止めたつもりか」
「え?」
「青島が怪我をさせてしまった君に、何の罪悪感も抱かないと思ったか」
「怪我を負わされた、そして、今度は僕に負い目を持った。だからこそ青島さんは僕に相応しいんです」

貴方じゃない、と鳥飼の冷酷な口唇が薄らと揺れ動く。
室井もまた怪我を負わせた立場だからこそ、鳥飼の言い分が癪に障った。
そんな言い方をされたら、優しい青島は自分を責める。
もし、青島から怪我を理由に室井に難題を要求されたら、室井は断れないし、そこに愛はないと思うだろう。
そして生涯、あの日を思う度に自己否定するだろう。
青島の情愛を、そんなものにしてしまう鳥飼に、青島を渡せない。

「アイツは君といる時、笑っていない。それに気付いてもいないのか」
「!」
「本当のあいつを引き出してもやれない君に、青島を手に入れる権利があると言えるのか?そうは思えない」
「恋をするのにいちいち権利を持ち出すのですか貴方は」

屁理屈だと一蹴しようとした鳥飼も、だが、心当たりがあるようで、その口調は先程と違って弱い。
やはりなと、半ば想像が当たったことを確信した室井は、厳かに、感情を波立たせることもなく、青島の背だけを映していた漆黒を鳥飼に向けた。
真黒い光もない双眼に迷いはなく、鳥飼が少しだけたじろぐ。

「そうまでして“気懸かり”なのは、君の方だろう」

先日室井に向けて言った鳥飼の言葉を、そのまま返した。
きっとあれは、恋に脅えた鳥飼の、不安の表れだ。
そして、それは、自分のことしか見えない弱さだ。

「何を仰っているのか」
「そんなに私が恐いか?」

挑発すれば、初めて鳥飼の右目に感情が宿った。
乱暴なまでに奮い立つ焔に、雄の独占欲を見る。
優しさは、勇気だ。そして強さだ。
それは同時に青島の弱点だ。

「身も心も与えて、そのまま消えるつもりの男を受け入れる覚悟があるようには見えない。君にアイツの魂胆が崩せるか?」

鳥飼が息を呑み、言葉を失った。
室井と鳥飼の視線が不穏に交差する。
迷うのなら、心当たりがあるということだ。的確に貫いたということだ。

「鳥飼、だったら青島は俺が貰うぞ」

室井は間髪入れずに走り出した。
開いた扉から吹き込む雨交じりの風に腕を翳せば、砂埃を交えたつむじ風が室井のコートも巻き上げる。

漏れ出た青島の寸暇の困った顔に、何もかもがどうでもよくなった。
無防備に離れている間に奪われたのだ。穢されたのだ、俺の一番大事なものを!
やっぱり嫌だ。ものすごく癪だ。誰にも触らせたくない。待ってやれる自信もない。

まだ終わらせたくない。
イイ顔して、いい子ぶって、何もかも悟ったような達観した顔しやがって。
思い出に浸らせてなんかやらない。絶対に!








9.Side-M
青島が車に向かった方へ、室井も走る。
霧雨のような冷たい飛礫は、コートを濡らすほどではなかったが、風が強く、辺りを白く霞ませていた。
急速に冷えた身体から発する呼気が、幾つもの白い息を上げていく。

人を動かすのは、信念や情熱ではない。
怒りだ。

「青島ッッ!!止まれッ!その車には乗るな!!」
「ッ!・・あ、あんた、こんなとこまで何ですかっ?!濡れちゃいますって!」
「こっちのことはいい!!」

この霞が関は建物に囲まれた立地だ。ビル風に巻き上がる雪の飛礫は、まるで吹雪のようだった。
きっちりと撫で上げた室井の頭髪も前髪が崩れ始め、青島の柔らかい髪は波打ち巻き上がる。
だが室井は構わず走り寄る。

「行くな!」

車の手前で青島の二の腕を掴み、室井は自分の方に引き寄せた。
たたらを踏む青島は、なんとか踏ん張って室井を拒む。

「なんなのさっきから!」
「君の魂胆を潰しに来た!」
「はあっ!?」」
「厚意も全部無駄にする!」
「だからそれじゃあんた!」
「ああ構わない!それで君が手に入るなら!!」

怒鳴り合うように言い合った末に、青島が絶句した。
室井に腕を掴まれたまま、丸い目をして立ち尽くす。
返答を間違えたことは、青島も気付いたようだった。
次の言葉を賢明に探る青島の視線が一瞬室井の後ろに投げかける。
気配には気付いていた。
鳥飼が追って来た。今、このやり取りを見ている。
だが知ったことか。

「君達は一体何をしているんだ」
「それこそあんたにカンケーないっしょ」
「もう充分巻き込まれている!」
「それはあんたが!」
「君が私を護るなら、私も君を護る!他はどうでもいい!」
「どうでもいいわけないでしょっっ!それじゃなんのために俺!・・っ、っ、じゃなくて!だ、だから、もおおっあんた無茶苦茶だ!!」

ああ違う、一人で大丈夫だと思われて逃げられたのではない。
室井に踏み込んでいいとは思えなくて、遠慮したのだ。
踏み込ませる隙がないから、青島は躊躇った。そして、自分なりに動いた。
大人しく待っているような奴ではなかった。

「離してよっ」
「出来ない!!」

綱引きみたいに引き合い、子供の駄々のような怒鳴り合いに、背後から鳥飼の激も飛ぶ。

「貴方は日向真奈美の爆発に青島さんを巻き込んだ!」
「ああ!君には出来ないだろう!」

非難めいた鳥飼の言葉にも、室井は強風の中、振り返りもせず背後に大声で言い返す。
あまりに無謀で非道な室井の肯定に、鳥飼が背後で息を呑み絶句したのを感じた。

鳥飼には分からないだろう。
この吹雪の中、青島が今どんな顔をしているのかということと
あの指示の中、青島にどんな絆で使命を託したことと。

青島を危険に晒すことの意味の違いが鳥飼にはきっと分からない。
室井と青島の間にあるものの意味が分からない。
目の前の青島の瞳が、感情を見せ、揺れて濡れて、室井はもう躊躇わずに青島に間合いを詰めた。

「ご、強引ですよね!なんか!」
「掴み取らねば取り零すばかりの世界なのでな!」
「大人気ない!!」

まだ俺を護ろうとするか。
取り繕うことも忘れた青島が、尚室井の手を嫌がり腕を振るが、もう効果は薄い。
力の差は歴然で、それでも尚、逃げようとする意地っ張りぶりには呆れるばかりだ。
透けている今それは、室井を核心へと近づける。
奇跡なんて待てない。今運命が共鳴する。

「俺言ったよね!」
「ああ、それも潰す!」
「俺だって男だ!護りたい!」
「ああ護らせてやる!俺の隣でだ!」
「っ、な・・っ!」
「君と落ちるのなら本望だ!いいな!道連れにするぞ!」
「!!」
「飛び込むんだろう?」
中枢に!

青島の顔がくしゃくしゃに歪む。
陽が落ち、白く立ち込める霧の中に置いて、強い北風が金切り音を立てて二人の頬を叩いていた。
混じる水滴が室井の髪も、青島の頬も湿らせ、滴らせる。

和久が伝えた想いは時を遡る。
あの時、老刑事が願った想いは青島だけに続いている。
“コイツは何があってもあんたを信じる”

“何があっても”、だ。

叩きつけるような強風はいっそ室井の胸の内を示してくれる唯一の味方だった。
反論も尽き、力の抜けた青島は、捕まれていない腕を口元に充て、言葉もなく室井を見つめていた。
信じきれていない顔、何が起きたか理解が追い付かない顔。本当の願いが透けた顔。
表情豊かな、感情の繊細な青島が透けているのは、もう気のせいではない。

「こんなの困る。こういうの、困んだよぉ」

青島が笑おうとして失敗して、そのまま顔を横向ける。
弾みで水滴が散った。

「それよりも、私のことが好きというのは本当か!」
「それよりもって、なんだよそれ・・」
「直接聞きたい。君の口から聞きたい」

下を向き、緩く首を振り、俯いたまま、青島が呻いた。

「そんなわけ、ふつう、ないだろ・・」

カッとなるまま室井は襟元を手繰り、強引に口唇を重ねる。

「っっ////」
「これでもか?!私はこういう想いで言っている!」
「なっ、な、なにすっ」
「君はどうなんだ!」
「おっ、俺だってねぇ・・!ぁ、や、・・なし・・」

シガーキスなんかで満足できるわけがない。直接触れてきた室井に青島は動揺を隠せず、たたらを踏む。
あ~とかう~とか、もう青島は言葉にならないようだった。
ああ、俺の良く知る、青島だ。

青島はもっと陽気で朗らかに笑う男だった。
時に強く鮮烈に傲慢を打ち抜く男だった。
人懐こくて、誰にでも好かれて、優しく笑う気立ての良い反面
ちょっと天邪鬼で、取扱いに苦労するやんちゃな部分もあるが、手懐けられないのは、こちらにその素質がないからだ。
大人しく言いなりになって、言いたいことも言えず、絞り取るだけ捧げて。そんな尽くす愛は、青島らしいかもしれないが
そんな恋をさせたくない。

あんな顔させているのは我慢できない。
それに気付かない鳥飼になんて渡せない。

「鳥飼!悪いな、こいつは私のものだ!私が最初に見つけた!大人しく引き下がれ!」

命令口調の室井の声が風圧にも消えず、荘厳に反響する。
困ったように揺れた青島の視線が室井の肩越しに鳥飼へ、そしてその奥へと流れた、正にその時――
青島の眼前で、見計らったように警察庁の点灯時間となり、無数のビル窓が下から順に灯り上がる。
瞬く光はレモンイエローの粒子を飛ばし、薄暗く、霧が立ち込めていたこの場所が、闇に青白く浮かび上がった。
室井の黒々としたコートを巻き上げ、それはまるで般若に捕り込まれるが如く、気配だけで他者を圧倒させた。
室井の背後から煙雨はスモークとなって湧き上がり、立ち昇る。
クリーム色の柔らかい光が暖房の効いた温かさを視界から訴え、逸れたような外気の冷たさに、より一層の疎外感を齎し
風音は泣き声のような金切り音となる。

「・・クリスマスツリーだ・・」

震える口唇で呟いた青島の視線は室井の背後の警察庁を見上げていた。
ややして、室井をまっすぐに見つめ直す。
こてんと小首を傾げて、悪戯な笑みが泣き笑いに変わった。

「本気なら、奪ってよ」

その言葉に促され、室井はグッと力を入れて青島を抱き寄せた。
後頭部を掻きまわし、ようやく腕の中に落ちてきた温かな身体をしっかりと一度、抱き留める。
感極まるように、青島の腕が室井の背中に回され、コートを掴むように一度だけ、ぎゅっと抱き付かれた。

「うそじゃない?」
「嘘を吐く余裕なんかない」
「気づかれてたわけ?」
「言わなかったじゃないか」
「軽いと思われても嫌だし」
「・・・」
「嘘、見破られたことないもんで」
「なんで最初から私の所へ来ない」
「行けるか」

遠回りしてしまった。
ひょっとしたら実らない恋だったかもしれなかった。
この恋は一番大切なひとを倖せにはしないのだと絶望していた。
恋というものは、実らせる努力がないと、本気でも消えていくものだと知った。

「限界、ぎりぎりだった・・・っ」

その青島の言葉は小さくて、多分、室井の耳にだけ届けられた。
直ぐに青島は室井に回していた腕を解き、何でもなかったかのように離れる。
その肩越しに、立ち去るタイミングを逃した男の姿を捕らえたのだろう、青島がやるせなく口唇を噛んだ。

「あの、ごめんなさい、鳥飼さん。ちゃんと話する時間・・」

室井は振り返ることはしなかった。
決別に意味がある時がある。
北風が地面を叩く中、静かで規則正しい足音は、次第に遠くなっていった。

鳥飼は黙ったまま、苦情も恨み言ももらさなかった。
それは呑み込んだ鳥飼の澱になるのだろうか。
執着していた怨念は成仏するのだろうか。
青島に縋っていた姿にしてはやけにあっさりとしていて、不気味な余韻をこの場に残した。

隣の青島を見る。
泣きそうな顔で鳥飼の背中を見送っていた。

「こっち向け」
「え?」
「行くなよ、一人で。二度と会うな」
「でも」
「いいんだそれで」

これは、契約ではなく恋の結末なのだから。

コレの価値も分からぬ男には渡せない。
多くの危険も天性も知らせてくれる男だった。気付かせてくれたものは数知れない。
鳥飼にだって、きっとたくさんのことを教えてやれた筈だ。
その価値を、どう使うかは、あとはこちら次第だ。
価値の分からぬ男には、相応しくない。
そう思う男の傲慢に、今はただ祈る。

「おれ、あんたの嘘は全然気づきませんでした」

そりゃそうだろと室井の片眉が上がる。
顔を片手で隠し、それから天を仰ぐように溜息を落として、青島が髪をくしゃくしゃ回す。

「ほんとに俺?まいったなぁもぉ。クリスマスイブにこんな奇跡起こるの?明日になったら覚めてない?」
「男同士でクリスマスもなにもないんだろ?」
「いじわるだなぁ。あんたとなら、クリスマスだって誕生日だってバレンタインデーだって楽しんでもいいですよ」
「なら全部やろう」

顔をくしゃくしゃにした青島が、室井の額に額を押し付けてきた。
可愛らしい仕草に思わず室井の顔面が硬直する。
同じ患いだと知って、愛おしくてたまらない。
瞼を閉じた青島の長い睫毛が夜露に光り、室井の胸をドキリとさせた。
同時に、どれだけ青島という存在に飢えていて、それに気付かぬふりをしていたかを知った。

「本当はずっと、どう思ってました?」
「俺が喰ってやりたいと思ってた」

息苦しいように震える息を断続的に洩らし、青島が震える朱い口唇を噛む。

「でも俺、抱かれちゃいましたけど」
「私は初めてだ」
「室井さん、かわいー」
「ごちゃごちゃ煩い」

室井もまた片手で青島の後頭部をぐしゃぐしゃと掻き回し、その柔らかい髪を指に通してから握り締めた。
肩口に引き寄せ、押し付ける。

「あ、でも、当分だめ」
「なんでだ」
「だからぁ~・・・、言わせるの?」
「今ここで犯すぞ」
「だ~か~ら~、つまり、痕が消えるまでだめ」

身体中に残る他の男の爪痕を気にする青島に、室井の胸もいっぱいになる。
確かに明日目覚めてこれが夢だったら、立ち上がれない。

「今夜、連れ込んでいいか」
「だからだめだって」
「予定をすべてキャンセルしておく」
「人の話聞いてます?」
「君が嫌がることはしない。でも、恥じらっているだけなら、こじあける」
「~~~っっ/////」
「焦らされると何をするか分からん」
「・・・でしたね」

今夜の逆襲が身に染みているのだろうか、青島が流石に肩を落とし、反抗してこない。

「こんな警察庁内でこんなことしちゃうなんて」
「天気も悪いし、陽も落ちている。誰も駐車場なんか見ていない」
「・・ここ、さむい・・」
「ホテル行くか」
「俺んこと、からかってます?」
「君とこうしてくだらないことで時間を無駄にするのが楽しいんだ。もう一生このままでいいと思うくらいだ」
「・・おれも」

青島が顔を上げ、ようやく悪戯な瞳を輝かせた。
やっと笑ってくれた。
室井の良く知る青島だ。
幻覚じゃないか確かめたくて、室井の指先が青島の頬を包む。
柔らかさと温かさにどきりとしたまま、見つめ合えば、時が止まった。

そんなつもりはなかったが、その瞳に逆らえない。

室井がゆっくりと顔を傾ける。
少しだけ驚いたようだったが、青島も苦笑した。
促されるように青島の瞼が落ちて、顎が少し上がった。
胸が締め付けられるような痛みを覚えながら、室井はその口唇にそっと重ねる。

アイシテイル、そんなシンプルな言葉が脳髄を駆け抜けた。
灼けるような痛みに変わる熱に、口唇が火傷しそうな錯覚さえ覚え、眩暈がする。
胸の奥の熱が暴発して、この北風に燃え上がる。
狂おしく焼け落ちるような感情に逆らわず、室井は青島の腰を引き寄せ、口付けを深くした。

「ん・・ッ、も、・・っとっ、口説いて・・っ」

口付けの合間に青島に強請られて、室井は背筋がゾクリとするのを感じた。
甘い誘いに室井は舌で震える輪郭をなぞり、クッと目を眇める。

「そういうのは苦手なんだが・・」

青島の方がきっと得意だ。
言い掛け、青島の目にはうっすらと膜が張っていることに気付いた。
ギリギリだったとさっき青島は言った。
口八丁の青島が押し負けた、その痛みが室井に呼応する。
どれほどの心を摘んで俺を護ってくれていたのだろう。
室井は青島の後ろ髪を引き下ろし、上向かせ、深く口唇を密着させ、息継ぎも与えないほどのキスを繰り返す。

「君が身体を与えた経緯は聞いた。もうそんなことはするな」
「・・怒った・・?」
「二度とそんなことはさせない」

強く吸い過ぎた青島の口唇が朱く腫れ、喘ぎをのせ、それでも室井は擦り合わせた。

「誰もこの身体に触れさせるな・・!」
「おれ、で、・・いいの・・っ」

青島と他人行儀になるのが嫌だとか、繋がりを失くすのが恐いとか、理由は幾らでもある。
でもそんなことよりも。

「君がいないと俺は進めない。青島、そばにいてくれ」
「・・・」
「怖かった・・!君がいなくなると思って、すごく、怖かったんだ!」

青島の睫毛が濡れ、瞬きにあわせて、銀色の光の粒が落ちていく。
それを室井は口唇で掬った。

「君がいい」

息を止めた青島から口唇を合わされ、室井は雄の欲望のまま舌を口腔に挿し込んだ。
深く何度も擦り合わせ、絡ませて、吸いあげる。

切ないほどに愛おしい。
青島が護ろうとした願いは、それはその人にとっての正解かもしれないが本当の正解なんてない。
その正しさは俺を幸せにはしない。
行き当たりばったりで『良い』と思い込んだ選択肢を選び続けた結果が人生で
正解があると考えるから、選択肢が不正解になる。
室井にとって正解は、こっちだ。
奇跡なんか待てないくらいに。

「君をずっと好きだった」

のろのろとした動きで青島の両手が室井の首に回される。
力強く胸に抱き留め、歯列を辿り、余すことなく奪い返していけば、やがて乱れる青島の吐息が、キスうますぎ、と囁いた。
夢中で奪い合うような口接の二人に、霧雨のような雨は噴霧のようになって光を反射する。
まるでヴェールのような銀の瞬きに、色の無い光は二人の髪もコートも濡らし、白い靄を幾つも浮かべた。

「俺も・・・、ずっと、好きでした 胸が苦しいくらいに」

あんた以外、見えないよ。
キスの最後に魂が抜けたように吐き出させた言葉に、身を引き裂かれる思いをしてまで諦めようとした恋が成仏していくのを感じた。
あぶなかった・・本当に奪われてしまうところだった。
室井は心から安堵の溜息を吐く。

寒さも冷たさも、場所も時間も、今は分からない。
そんなことはどうでもいい。
奪い取られた相手の気持ちなんか知らない。
今は腕の中の熱以外、何も考えられなかった。

きっと、鳥飼もそうだったのだ。








10.Epilogue
2012年12月21日。
一年後のほぼ同時期の今日、クリスマスの賛歌がまた奏でる中、鳥飼は計画を実行に移す日を迎える。
その日に意味があるのは命日の方だったが、鳥飼にとって青島を失ったことは、自由への讃美歌となった。

あんなにも呆気ないものなのか。
クリスマスに大事なものが飛び去っていったのは、これで二度目だ。

「準備はいいですか」
「問題ない」

三つの影は弔いの導師だ。

永遠に続くと思っていた家族の形が消えた意味も分からない。
永遠に続くつもりだった恋の形が消えた理由もわからない。
また一人になった。
何故僕には平凡が手に入らないんだろうか。
悪魔を打ち砕く者も無く、この世の闇路を照らしてくれる人もいない。
これが奇跡だというのなら、随分と神様には手抜きをされたものだ。
ジングルベルは死者への弔いとなった。
東京の海に飛んだ、危険を知らせる幸運の鳥を手に入れた者と逃がした者の末路に、鳥飼は薄ら哂う。

本気だったなんて思いたくなかった。
この青い海の街に関わり、束の間の歌声が消えただけだ。

何故室井のようなうだつの上がらない男に賭けたがるのか、鳥飼には最後まで分からなかった。
あの時まで室井は鳥飼に完全に敗北していた。歯向かう気も失せる程度には打ち砕いたつもりだった。
それを引っくり返したのは、室井の中に一瞬にして芽生えた違和感だ。
室井の中で、その憤怒が強烈な原動力となったのは間違いない。

どこで見抜いたのか。

立ち去れと言われた時、室井の猛威に阻まれ、咄嗟に反応できなかった。
その映像が右目に焼き付いた。
室井を前にしたときにだけ、青島があんなにも感情が乱れたこと。
それだけが心に残っている。

たった一年。
それでも青島がそばにいて、鳥飼は夢を見た。
走馬灯のように巻き起こる二人過ごした夜の時間が、あの日の風雨に吹き荒れる。
讃美歌は聞こえない。
世界は半分映らない。
夢が覚めた時、手に入れ損ねたカナリアは飛び立ち、怖いものはなくなった。
この海は、僕にとって正義への警鐘にすり替わった。

「行きましょうか」


“正義なんて胸に秘めているくらいが丁度いい”
その言葉を鳥飼が聞くのはもう少し先だった。



カナリアが囀っていた声が、届かない。
耳が聞こえるうちに聞かなければ、届かない。

クリスマスの奇跡は突然やってくる。
前触れもなくやってくる。
その時は、かなぐり捨てて掴み取れ。一夜の夢が覚めないうちに、奪いとれ。










MerryChristmas & HappyNewYear !!

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鳥飼さんはいつか鳥飼さんの運命の人と出会えた時、この恋を振り返るのだと思います
両極端な結末を感じ取っていただけたら幸いです

みなさまにも運命の人が現れて幸せを届けてくれますように
20241231