シー
ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリー2023のつづき
今宵、聖者に雪は降る 4

10.
冷蔵庫のペットボトルを取り出そうとして、取っ手で手が触れ合った。
目を見合わせる。
「・・君が先に取れ」
「うぃ~す」
小さな会釈で悪びれもなく、青島は譲られたままに冷蔵庫をもう一度開けた。
触れ合った指先がじんじんしているのは、悴んでいるということにしたい。風呂上がりだが。
「すぐに打ち合わせに入る」
青島がスッと室井に肩を寄せた。
細身のすらりとした躯体が室井の肩に寄り添い、耳に触れる吐息に室井の顔が般若となる。
「先。・・行ってるから早く来てくださいね。焦らしちゃヤですよ」
語尾にハートすら飛ばす口調と、蒼みがかった青島の瞳の深さに、室井は雁字搦めとなった。
少しの沈黙をわざと持たせた青島の瞳がゆっくりと柔らかみを帯びていく。
なめらかに離れ、肩越しにペットボトルを振りながらお先にと去る青島の跳ねた襟足に、室井は恨めし気な目を向けた。
「スーツのチェックも忘れるな」
したり顔で笑み、去り際の投げキッスに、室井はもう言葉もない。
絶ッ対!揶揄われている!!
青島はもう室井の気持ちに気付いてしまっただろうし、バレてしまったことはまあ仕方がない。
池神の魂胆と室井の裏の顔、共闘意識も共有し、ようやくスタートラインに立てた。
むしろ知っててもらえるくすぐったさと、知られて尚続けていける関係を青島が選んでくれたことに、土下座すらしたい心境だったが
そこへきて、これだ。
室井がベッドルームに入ると、うつ伏せとなって雑誌を捲っていた青島が、顎肘を付いてニヤリと振り返った。
「これくらいでテレてどーすんですか?オトコ誘えんの?」
厳めしい顔で室井は近づき、青島の横に放り出されている資料を取り上げる。
自分よりも才能も素質もありそうなだけに、性としても劣るとなると、最早ハッパすらかけられた気分だ。
俺が多人数と乱交してていいのか。
「始めるぞ」
青島の頭部を資料でぱふっと叩いて、室井は全てをスルーした。
一々付き合っていたら身が持たない。
「昨日の続きからね。気を付けてくださいね、クチとカオ」
「分かっている」
「ちょっと気ィ抜くとあんた、ここ警察学校か!ってなるんだから」
「そこでは好評だった」
「それお世辞」
この二週間、恋人となるためのレッスンを二人で行ってきた。
今のところ、仕上がりは上出来と言えた。
池神から嫌味の一つも来ない所を見ると、上層部としても及第点を出しているに違いない。
尤も池神本人としては、室井と青島の徹底したカレカノぶりに、腸が煮えくり返っているところだろう。
俺たちの息の合い方は、想定外だった筈だ。
いい気味だ。
「やるぞ、ほら立て」
「ん」
手を出せば青島も室井の手を握ってくる。引っ張り起こしながら、復習する。
「当日は目移りもしやすいから一歩め、大きくズレないよう意識しろ」
「足の長さの違いじゃない?」
鏡の前で並んで立ち、自分たちがどう見えるのかを確認する。
姿見を幾つか用意させた。
腕は組まない、一歩下がるタイミング、胸の開き方、膝を曲げずにターン。会場前で一礼する前の一瞬のアイコンタクト。
まるで披露宴の入場演習のようだ。
「そこで先に行っちゃわないでください」
「めんどくさい、もうおまえが合わせろ」
「ガンコジジイ!」
お互いの歩幅とスピードは身体に叩き込んだ。
所狭しと並ぶスーツ、靴。サングラス。埋もれた資料の脇にひっそりと並ぶプラチナリング。
残り一週間。
「・・追いかけて来い」
「うわ。殺し文句」
交通安全教室の方は交通課の方から素案が出ていて、簡単な挨拶とリーフレット配布を行うだけなので、ハードルは低い。
コンペティションは色々と趣向を凝らしており、壇上での行動には幾つか指示や制限も提示されている。
海外要人も招待してあり、どちらかというと政府主催の派閥パーティのようだ。
ダラダラと登壇してくるだろう連中より際立てると言い出したのは、青島だ。
カメラの位置、マイクスタンド。照明と音楽の切り替わり――意識的に視線を合わせるように、動きの手順もおさらいした。
仕草やボディタッチなどは特に入念に意識した。
いざという時の合図も決めてある。
ちなみにお揃いのネクタイピンを弾くことだ。
相手がさりげなく動いたことを目敏く見抜く様子こそが、俺たち最大の“売り”だからだ。
「ね、俺たちの席、中央だって」
「正面となると視線も集まりやすい。プロモーションで目立ちすぎたか・・」
図面を手に、ぺろっと舌を出す青島の、やっちゃったという顔に、室井も眉間を寄せて同調する。
集中砲火を避けるため投下した準備が、ノリすぎた。
まあ、青島を関わらせた時から、このくらいのことは室井の中では想定内である。
今、室井がちゃんと気持ちを伝えたら、青島はどんな顔をするのだろう。
あの冷たい雨の夜から数日、二人で過ごす時間も終盤に近付いている。
時折、家族や友人らしき誰かと話す仕事とは違う声に、ドギマギするのも慣れた。
規則正しい寝息も心地好くなってきた。
不意打ちで近寄られる距離には、性懲りもなく心臓が跳ねる。
あの夜に諦めたもの。未来を繋げてくれた彼に、感謝と愛しさを糧に前へ進む。
「会場乗らせたいけど注目されないようにするには・・」
それから、想定した質問を頭に叩き込んだり、修正したりする。
幾つか解答していく内に、だんだん仏頂面になっていく室井は、ここでいつも青島に注意される。
「ほらぁ、そんな顔で愛を語られてもホラーにしかなりません」
「ニヤけた顔の方がホラーな状況だ」
「けんか売ってます?」
ん~、と小さく唸ってペンで青島が頭を掻く。
「ふだん、やっさしいカオ、出せるのになぁ・・」
無理かと言いつつ赤ペンで何かをメモった。
その言葉に室井が固まる。
青島が無自覚に呟いた言葉が、室井の脳内をグルグルし、顔が作れない。
自分のどこをみてそんな感想を持ったのだろう。青島が、自分を見てくれているのだ。
「中央席って目立つよなぁ・・、どうすっかなぁ」
室井の驚愕に青島は気付いてもいない。
つい資料を握り潰してしまった指先に、室井の動揺が現れていた。
青島の中の自分は一体どんな顔をしているのか。それを想像するのはあまりに恐ろしい。
誰かの中の自分など、これまで意識したこともなかった。
「君を目立たせるのは俺も嫌だ」
「無自覚でそうゆうこと言っちゃう」
「特訓の成果だ」
こてんと小首を傾げて、視線が上を見て、青島が邪気なく口端を持ち上げる。
「俺の才能、どこで活かせますかね?」
飲みかけの水で濡れた紅い口唇を青島が袖で拭った。
いつ伝えるか。
言えない言葉は、目が合って、離せなくなる前に反らして、くだらない私語の合間に重ねていく。
「一体俺たちは何の努力をしているんだろうな?」
「まったく」
恋人になる準備を重ねて、本音を隠して、周りだけデコレーションした。
それはまるでクリスマスケーキのように、格式高く絢爛な姿だが、25日を過ぎればメッキは剥がされる。
もう手に入らない。でも残しておきたい。そういう想いがこの世には在るらしい。
「俺ね、刑事になって、大事なことはみんな和久さんが教えてくれたけど、戦い方を教えてくれたのは室井さんだと思うよ」
「それ、捻じ曲がってないか?」
「そんっっなに自信なしかよ!」
声を上げて青島が笑う。笑ってくれる。
知識や度量は拙いままに、とにかくまっすぐに生きていく柔らかい姿が青島の魅力であり
どんなに薄汚れても、そんな君がそう思ってくれるなら、室井は過去も罪も受け入れられるのだ。
室井には青島が必要だ。
自分の耳の端に残るはしたない喘ぎ声や媚びる身体がこんなにも汚らわしく思えたのは初めてだ。
「次、会えたら言おーって思ってたんですけどね~、なんか、テレちゃうしね~」
「大事にしてくれれば、それでいい」
「またテレてます?」
片足を折り曲げた瑞々しい輪郭が、室井の眼前に晒され、裸足の足が揺れる。あんなAV女優のポスターよりも蠱惑的で妖冶だ。
腹なんか少し捲れて素肌が見えちゃっている。
こんな姿を見れて、それを誰にも見せたくなくなって、室井の眉間は一層深く寄る。
未練がましいのは昔からだ。
それでもくすくすと笑い合って混じり重なる視線と吐息は、なんともいえない極上の甘ったるさだった。
もういい加減なことは止めよう。もう身辺をちゃんとしよう。自分の身の程を弁えよう。
背伸びをするのは、もう止めだ。
「“迷いとか当然ありましたよね?”」
「“迷いもしましたが気持ちが誤魔化しきれなくなりました”」
「ん~、そこなんですけど」
「・・なんだ。ちゃんと言えたぞ?」
「じゃなくて。本能に負けたって形は警視庁の面子にヒビが入りますか?」
それは魔法が解ける言葉だ。
室井に掛けられた呪いの魔法も消える。
青島がくれた降り積もる感謝に、何故こんなに胸が軋むのか。
胸の奥がツクンとして、苦しい。
「燃えるようなだの、盛っただのと言った感情論の発言は登壇では控えめにして、園遊会用にとっておくか」
「で、控えめ発言となると?」
「“誠実な想いを寄せられ心が決まりました”くらいにしておこう」
「うーわー、さすが官僚の逃げ口上」
俺には出てこなーい。
ごろんと仰向けになって青島が笑う。
だらしない格好で資料を持ち上げ、赤ペンで記しを足していく。
「政治家の常套句」
こうして悩むことすら、くすぐったく、甘ったるく、締め付けられるような感情を室井は初めて学ぶ。
こんな悩みも小言も、クリスマスの稀覯で、もうすぐ消えていく。
伝えたら、消えていく。
彼の想いと共に消えていく。
日常へ戻っていくとき、自分の中に何が残され、何を失ったのか。最初の朝がどんな色をしているのか、まだ分からない。
「よし。こんなもんか。でもなぁ。まだ何か・・」
「何が不満だ?」
「確かに世間のニーズは汲んでいるし、問題視されているトピックも行儀よく盛り込めたし。でもそれはただの現実の追認」
「効率や採算なしでみんなが予想してないスタンス入れたいのか」
「だめ?」
「いや。でも君らしくない・・」
青島なら出たとこ勝負というか、リアルを代弁して、政治の分野では冒険をしてこないと思っていた。
室井の領域には手を出してこない節度があった。
あの夜から、青島もまた何かが少し、変わっている。
手放す時間が近づいている。
口元に手を当てた青島がそれでも悪戯な目を隠せずに、悪巧みの笑みを指の間から零す。
「凡そみんな似たり寄ったりの話するだろうって所が詰めちゃってて、つまんないです」
「他に代案があれば聞こう」
「だったら恋に落ちただの、愛情だの、そういった発言は、もう止めちゃいましょう。そもそも言えないでしょ、あんたが」
「反論しづらいが、ただ冷静に見ると、その手の分かりやすい言葉は引き出させようと奴さんが躍起になるぞ」
「だからですよ。薄っぺらいし、嘘くさい。あんた下手くそだし」
最初からグリップ力の弱さを懸念して、指摘していたのか。
室井が喉を唸らせると、青島があくどい顔をしてほくそ笑んだ。
だから。その顔、可愛すぎる。
「潜入捜査ですよ?煽って本音を向こうさんから吐かせてみたい」
「ならどうする」
「男を煽るのはプライドだ。絶対彼らも引けを取るなって尻叩かれて来ている」
「恋人として負けるわけにはいかない魂胆か」
「その手の質問すら躊躇わせるほどの実行力って、やーっぱ、これじゃない?」
「?」
途端、寝転んだ青島に手を引かれ、室井は予期せぬ動きに引き寄せられた。
倒れ込む寸前、青島の脇に手を付き、なんとか堰き止める。
焦点がぼやけるほどの際どさに眩んだ。
風呂上がりにざっくりと着ただけの室井のカーディガンがはずれ、前髪が影を落とす。
「何をする」
「今このシーンを誰かが見たら、誤解すると思いません?」
努めて冷静に答えたが、室井の心臓は煩いほどに、現状を理解している。
足を絡めて、太腿を重ねて。なんてオイシイ態勢なんだ。俺を試しているのか、俺を誘惑しているのか。
圧し掛かった室井に彼の曇りのない笑みが見上げ、綻ぶ。
不意に匂い立つ青島の薫りが、もう。
「舞台上で押し倒せとでもいうのか」
「俺たちのいっちばん得意分野だと思いますけど?」
青島の言いたいことが分かり、室井は真黒い瞳で見下ろした。
この無邪気な小悪魔は、本当に性質が悪い。
もうホントに喰っちまうぞ、馬鹿。
「乗ります?」
結局、どんな演技をしてみたところで、普段自分たちが一瞬にして共鳴するあの感覚を、青島も知っている。
一度視線を合わせたら俺たちはきっと外せない。
いいだろう、目立ったもん勝ちなんだ。こうなったら会場にも池神にも、とことん見せ付けてやる。
ついでに、室井には池神に牽制する意味もある。
「当日は常に俺の左背後に添い、決して離れるな」
「護ってくださいね、あ・な・た」
「だからそれ、止めろ」
「雰囲気でしょ。ムードって大事ですよ」
「だったら明日は、ホールケーキでも買うのか」
嫌味で言ったのに、室井の下の青島はぱあっと顔を輝かせた。
「買う!買いたい!いいですか!?」
「やけに反応がいいな。甘いもの、好きなのか?」
「ふっつーですけど。でもそれだけじゃないもぉん」
なんだ?と思いつつ、青島が手を離したので、室井も起き上がる。
「ロウソクも立てましょうよ」
そこまで言われて気付いた。
そうか、確かデータベースによると青島の誕生日は――
「分かった。一番デカイサイズを買ってやる」
言い切った室井に、青島がVサインをして朗らかに笑った。
その笑顔に、室井の胸が軋む。
来年も再来年もそうしてやりたかった。年に一度、魔法をかけて。
だけど、これきりなのだ。一度きりだけの夢夜だ。
じゃれあって、睦み合って、ひとときの幻に酔って、奇跡を謳えば、それが雪を知らぬ街に降り積もる。
「この任務が終わったら――・・」
室井の呟きは、しかし、青島の嬉しそうな笑い声に紛れた。
「ねぇ、サンタの恰好はしないの?」
「誰がするか」
「したことは?」
「ない」
「だったらサンタデビューもしましょうよ」
さんたでびゅう?
「君はしたのか」
「そりゃぁもう、女の子にせがまれたら、幾らだってサービスしちゃうもん俺」
「軟派男め」
こんな日が、幾らでも続けばいいと思った、哀しい夜だった。
11.
開幕コンペティションは警察庁組の論理的且つ実戦的なパフォーマンスに、会場は大いに盛り上がり、活気づいて終盤を迎える。
登壇者となった面々も、警察庁組の熱演に乗せられ、他省の熱弁も飛んだ。
あてられ、煽られ、上層部が知りたがっていた密かな情報は最早壇上の艶笑譚となる。
いちいち顔を見合わせアイコンタクトを取る度、会場は赤面し直視できないシーンに湧いた。
「世間の偏見に対し、どう対処をしていきたいですか?」
「“隠し通すしかできないのが現状です”」
「ですが職務上、擦れ違うでしょう?どうしてるんです?」
「“我々の場合、彼が一方的に怒ることが多く、彼は一晩寝たら忘れています”」「なんかムカつきますけど。ね」
だからどうしてこの目の前の二人は、いちいち言葉が揃い、いちいち顔を見合わせ合うのだ。
会場はもう二人の虜だった。
爆笑の渦と異常なほどの熱気、誰もが紅潮し、湧き、拍手も野次も飛ぶ。
――またあの二人だよ。ほんと面白いなアイツら。対照的なのに息合うな。二人ともそこそこハイクラスじゃないか。サクラか?他が霞んでいる――
最後に司会者がアドリブで問いかけた。
「お二人は、ホント、どこまでの御関係?」
どうすんだよこれ?!と室井に委ねる青島に、室井もまた収拾がつかないだろと顎を上げる。
見つめ合って、頬染め合って、微笑み合って、背中合わせに耳まで真っ赤で。
「彼は私の恋人です」
スポットライトの中で言い切った時、不思議と室井の中に覚悟も決まった。
これが、俺たちの結婚の形だ。
今夜、伝える。伝えられる。
誰にも祝福されず、誰にも理解されず、手を取り合うこともなく、烙印に立ち竦む蛇の道は、孤独だけだったとしても
ただひっそりと永遠に途切れない。雪のない聖夜に誓える真実だ。
終幕を告げた満場の拍手は、どこか喝采に聞こえた。
*:*:*:*:*
堂々と宣言する室井と、その横で絶句する赤い顔の青島の写真は、後日、官報の号外に載る。
当然、LGBTを馬鹿にしている、マイノリティを侮辱した、本質からかけ離れている等の苦情も多数寄せられた。
だが、世論よりも政府の顔色を窺う上層部は、反響よりもリードを取れたことに敬仰し
他省を圧倒した事実は、警察庁の面目と借りという土産で、二人の資質を上層部に見せつける結果となった。

これ何のパーティだよ?とか突っ込んではいけません。ノリで流してください。