シー
ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリー2023 エピローグ
今宵、聖者に雪は降る 5

12.
黄金色にライトアップされたホールの、さざめきのような満場の拍手に後ろめたさを覚えながら、青島は会場から去る。
通路の窓から覗くイブの夜空は星すらなくて、煙が立ち込める庭園は緑陰に潜んでいた。
室井を苦しめていたもの、室井を足止めしていたもの、今宵の魔法くらいでは解けないことぐらい、分かっていた。
舞台で見たものは、クリスマスの幻想だ。
今夜室井は池神のものになる。・・・んだろう。
「失敗したぁ~・・」
ついその場に沈み込む。
俺の想いなんて、ちっちゃすぎて、届かない。
それを回避する手段はただ一つ。
だから今夜、室井はケジメを付けに来る。
途端、青島を襲ったのは紛れもない恐怖だった。
「室井さんと?俺が?恋・・?」
本物の恋にできるのか?
だけど、この三週間は楽しかった。もう少しだけ、この時間が続けばいいと願うくらいには。
「どーすっかな・・これから」
室井を送り出すのには充分な思い出も理由も手に入った。
これまでの自分には無縁の感情も責任もを受け入れるのにはまだ浅い。
「なぁんも見えないや」
曇天の夜空は重たくて、閉じ込められているようだ。
そんなの分かっていたけど、もうどうしようもなかった。
あれやこれやとマニュアル作り上げたところで、そもそもお互いの取り扱い方すら分かってない。
大口叩く、偽物だ。
「捨てられたくない。終わりにしたくない。どんな恋愛も営業もなんも役に立たないじゃん。繋ぎ止める方法も知らないじゃん。逃げ方も分かんないし」
室井が壇上で、恋人だと言い切った時、しくじったと思った。
気持ちを知られていればこそ、逃げる術さえ奪われる。
それはいっそ恐怖であり、絶望だ。
― 誰もが納得する理由?
― 万人受けしつつ、封建的な威厳を残し、保守派も黙らせるものだ
― あるか、んなもん!
その通り、そんな未来はあるわけないのだ。
「ほんと、いっぱいいっぱいだよ・・」
泣きたくなるのは、こんなにも無力な自分が哀しくて、何か出来ると信じていた自分が惨めだからだ。
小手先の勝負でせり勝ったって、池神は室井を鎖で繋いでしまう。室井がそれを望むから。
ならば俺がと言えるほど、力はなくて。
遥か高い雲の上で戦っているひとだった。
俺の知らない時間の中にいるひとだった。
「ここまでしたんだ、行ってよね、てっぺん」
イブの夜じゃなければなんてことない、いつもと変わらない夜だった。
なんてことない夜空が虚しく更ける。
深々と凍える大気に埋もれ、止まらない身体の震えが、キラキラした世界に責められている。
相反するような、片隅の、焼印されたような、あの記憶。
俺に覆い被さった時、あの男の瞳の中に浮かんでいたものは、あれはどこか今胸を締め付けるものに類似したものだった。
それを認めるのはまだ重くて、苦みと痛みを伴い、手に取ろうとすると雪のように零れてしまう。
それでも治まらない胸の動悸が、もう引き返せないヤバさを伝えている。
拳で震える口唇を抑えた。
会場の終幕メロディはきよしこの夜で、世界中に一人取り残されたように、心細い。
時を奏でるように寄り添った。
せめてこの三週間が、俺だってあのひとの支えのひとつになったんだと、切に慰めることで自分を納得させた。
クリスマスだから特別なことしたいわけじゃないけど、今夜だけは、まあ、深酒でもしますかね。
あったかいおでんでも食って。
おやじくさいなぁ。こんなとこまであのひとの気配、移っちゃった。
「もぉぉ~・・なんでこんな・・」
泣けてくるのは、出会ってしまったことではない。
目覚めたばかりの名もない想いが最初から許されていないから。
フラれるのが怖いのか?フラれないことが怖いのか?
見えない未来を、自分に都合よく解釈して、それを前提にキャリア設計するのは、やっぱり無理がある。
最悪のケースを想定するのもビジネスでは必要だ。それは室井だって承知しているだろうに。
前にも後にも進めなくなっちゃった。
「うそ、だもんなぁ。俺のお願いなんてあのひとが聞いてくれるはず、ないもんなぁ」
ただ傍にいたいだけなんだと。
誰も見てないから、今は顔を作る必要もない。
13.
「君ら、中々面白かったよ。名コンビじゃん」
室井は丁寧に頭を下げた。
生真面目な風貌の黒スーツに、誰もがお疲れさまと、労いの言葉をかけていく。
どうせみな、今宵限りのカップルなのだ。
そんなのは魔法が解けてみれば一目瞭然だった。
精一杯こなした互いの任務に、今は静かに頭を下げる。
「警察庁には面白い男がいるな。覚えておくよ」
「恐れ入ります」
これで伝手が出来て室井もまた一つ政治の階段を登る。
一つ願いが叶うなら、この世界は未だ捨てたものじゃない。
この茶番劇が例え侮辱するものであったとしても、せめていつか誰かの救いの一歩にいつか繋がっていけたら、それでいい。
政治の裏側で、室井の片割れが密かにそう願ったように。
「良い相方を見つけたね、実にやり手だった」
「伝えておきます」
「また来年。是非またどこかで共に仕事をしたいものだ」
ふと、背後に青島の姿がないことに室井は気が付いた。
退場し、疎らとなった舞台袖をぐるりと見渡す。
いつからだ?ずっと隣にいた温もりがない。
急に背筋が寒くなる。幕が下りた舞台に彼がいない。それだけで、こんなにも室井を不安にさせる。
その室井の目に、走り寄ってくる中野の姿が入った。
「お疲れさまでした!大方の挨拶回りは終わりましたよ」
最終日のため、簡易報告と引き払い準備のため呼んでいた。手際の良さは室井の意識を官僚に戻す。
室井はネクタイピンから今夜のデータが詰まったメモリを外し、差し出した。
「ご苦労だった」
「では私は一旦戻りますね」
「時に中野くん、青島を見なかったか」
緊張した面持ちの室井とは逆に、中野は特に動じた風もなく、ああ、と答えた。
「さっき控室でご挨拶しましたよ」
「まだ居るか?」
「居ると思いますけど。あ、これ、貰っちゃいました」
中野が目尻を細め、内ポケットから取り出したのは、名刺だった。
あいつ、まだ配っていたのか。
もみの木のシールが貼ってあって、裏にひとこと。“メリークリスマス!”右上がりの癖の強い字体。
「今夜はイブですよ、室井さん」
「そうだったな・・」
室井はその文字をじっと見て、誰ともなしに呟いた。
「私が今からやろうとしていることをどう思う」
「回りくどいご質問だ。これまで室井さんが出世のために“尽力”してきたとして、今私が仕事でここにいることは出過ぎたことですか?」
池神が室井にどういう取引を持ち掛け、室井がそれをどうしてきたかなど、ここでは何の関係もない。
室井の狙いが叶い、職務を全うし、発展途上の道半ばで中野もまた戦う同志として此処にいる。
身体を売ることも、派閥を利用することも、誰かを出し抜くための手段の一つにしていいと、中野は言っている。
室井もそれは十二分に理解していた。
その度に貸しが増えていくこともだ。
そんなことで傷ついたり喚いたりするほど生半可な気持ちで、この戦いに身を投じたわけじゃない。
「どうやら私の目は節穴だったようだ」
「いえいえ。ですが青島さんは違いますよ、そこは分かってあげませんと」
「甲斐性なしと思われたのかもしれないな」
「でしたら名誉挽回に、今夜のシチュエーションはロマンティックですね」
主賓を譲り、先に舞台から降り、姿を消してみせる。
青島の鮮やかな引き際に、室井は舌を巻く。
随分と根回しがいいじゃないか。
共同生活を送っていたときから、青島は室井にどこか遠慮がちな男だった。
この三週間の彼の顔が幾つも過ぎる。二人でミッションを成功させたんだ、最後まで見届けたいくらいの熱意は持ち得ただろうに。
これで、終わりなのだから。
― 人をだますのが好きなわけじゃない。けど、あんたと一緒だから ―
欺いた罪を青島一人に背負わせるとでも思われたか。
そう思われても仕方ない態度は取っただろう。だが青島が退く理由にはならない気がした。
室井の気持ちだって知っている癖に、それを今になって告げたところで無理強いするわけもないことくらい、青島なら分かるだろうに。
つまりはケジメを付けられて困るのは、青島の方だということだ。
「まさか」
下手な嘘も見抜けなくて、また彼の魔法に騙された。
「逃げたな、あいつ」
中野の唐紅のネクタイは、サンタクロースの衣装に見えた。
13.
控室の扉を音を立てて開ければ、慇懃に対応する室井らしからぬ所作に、青島が目を丸くする。
――が、想定内だったのだろう、立ち上がって誇らかに片手を上げた。
その掌を、近づき、室井も真似てパシンと叩く。
ハイタッチで交わした言葉のない慰労に、お互い見つめ合った。
始まりの日に重ならなかった掌は、格別だ。
「これで俺の任務も終わりですね」
「ああ」
「この三週間、割と面白かったですよ」
「ああ」
「じゃまたどこかで。・・その、署から呼び出されちゃって」
この辞令は警察庁直々の形式を取っている。
正式に任務完了の通達がいかない限り、所轄は動けない。
冷静になれば、まったく、本当に、下手くそな嘘だ。
室井が何も返答をしないでいると、固まった空気が急に密度を増し、息苦しささえ生じさせた。
室井の作り出す切羽詰まる空気に、青島も言葉を続けない。
視線を彷徨わせた青島が、もごもごとした後、小さく会釈して室井の横を通り過ぎる。
――刹那。
室井が背後から手を伸ばし、乱暴に扉を押し締める。
出損なった青島が、額をぶつけて、扉につんのめった。
「なにす――ッ」
頬を膨らませた青島が振り返れば、扉を抑えつけたままの室井と扉に挟まれた青島は、至近距離で顔を突き合わせることなった。
見つめ合うと同時に、どちらも動けなくなる。
あり得ない距離まで詰めた二人に、時が止まる。
視線が絡めば秘めたものは類似していると悟らせて、その上で息を止めた二人の足元を竦ませた。
ギロリとねめつける室井の、最早愛を告白しようとしている男には見えない形相に、青島も畏まる。
「今夜だって分かっていたんじゃないか?君も」
「なんのことですか」
「敵前逃亡された男の愚痴だ」
「・・だからなんで気付くんですか・・」
「気付く。普通に」
室井の不遜な物言いに、流石に青島もムッとして合いの手のように反発してしまう。
「見え透いた嘘を吐いてまで、逃げ出すには、隙だらけだ」
「気付かないふりをしてやるのが優しさでしょ」
「そんな気障な男はおまえの方だろうな」
青島が池神に奇襲をかけた夜だって、室井はちゃんと気付いて青島を探し出した。
堅物な室井の本音が透けている場所は、そう多くない。
そんな風にされるから、逃げ道を断たれ、青島の胸はどうしようもなく詰まる。
「言いたいことがあるんじゃないのか」
「・・・」
俯いてしまった青島は、逃がしてくれと指先で扉を指してくる。
無論許すつもりも逃がすつもりもない室井は、ただ真黒い瞳で睨みつけることで、青島を縫い留めた。
掴んだままの腕は離さない。
施錠までしてしまう。
「ないなら、俺から言うぞ」
慌てたように青島が首を横に振る。
その顔で、室井はほぼ確信した。
半ばまだ信じられない気持ちでまじまじと青島の顔を見る。
慌てた様子が繕うことを忘れていて、付け入る隙さえ罠のようだ。
先を続けられなくなる、気まずい沈黙までもが、こそばゆい。
先を言わせたくなった室井が顎をしゃくった。
困ったように視線を左右に振り、上目遣いで探る青島はいつもより頼りな気で、いつになく可愛く、だが室井は鉄壁の仮面で無表情を貫く。
観念したのか、頭を掻きむしって、青島が白状した。
「どうしていいか、分からなくなって」
「・・・俺だって、分からない」
そりゃそうだよなと、漠然と思う。
途方に暮れた顔で室井を見る青島に、室井は険しい顔で続きを待つ。
狂おしいままに見つめていると、ふっとその視線を逸らされてしまう。
扉に背を預け、軽く長い足を曲げて、襟元から覗くうなじを晒した。
「このまま行かせてもらうってわけには」
「させると思うか?」
「俺が何を思ってこうしたかも、気付いてんだろ、譲ってくんないの」
恐怖すら芳わせる純潔の告白を、青島が室井の前で顔を背け、夜に溶かすようにたどたどしく綴った。
口元に充てた拳が室井の目を奪う。
「分かっていても無理なものはある」
今夜、恋人の任務は終わる。
ただの上司と部下に戻るには、あまりに近づきすぎた。
これはクリスマスだけの物語で、朝が来れば夢から醒めたように消えるものだ。
どんなに願っても、泣いてみても、日常は二度と戻らない。
今夜が最後だ。
「室井さんって、結構自分勝手ですよね」
「だからって、君が先に逃げるのは卑怯だろう」
「どっちが?!俺、恋とか愛とかの発言は止めましょうって言いましたよね?それをあんな・・・、あんなところで・・」
「あれは君に告げた言葉だ!俺はあれで覚悟が決まったんだ!」
「そんな簡単?!」
「人を尻軽みたいに見るな!こっちだってきちんと考えた結果だ!」
「え、えぇ・・??そ、それで、俺たち、キスとかセックスとか、しちゃうわけ?」
「俺に聞くなァ!!」
青島は恐らく室井が本気で口説いてこない、口説けないと分かっていたからこその無防備だった。
博愛主義は、どこか哀しい。無常観による諦めが強い。
いっそがむしゃらに欲しがってくれたら、室井だって限界を知らない飢餓に同じ恐怖を感じていたかもしれないのに。
欲に狂い堕落したした身だからこそ、室井には青島の護ろうとしているものがもう浅慮の駄々っ子のようにさえ見えた。
逆に室井は腹が据わると肝も据わる。
「俺と、デキんの・・?あんた、生真面目そうだけど」
「君は」
「それが分かんないから聞いてんじゃん!」
答えを室井に委ねる青島も、即答しない室井も、お互いの顔を見れば、お互いに気持ちはバレバレである。
頬と目尻が赤く染まって、瞼まで覆う前髪ですら隠しきれていなくなっている青島に、同じく顔を隠せなくなりつつある室井も口唇を尖らせる。
「あ、あんた元々オトコ好きだったわけ・・?それで、だから、手近で・・とか」
「だから人をスキモノみたいな目で見るなァ!」
どうにも会話がちぐはぐな気がする二人が赤い顔をして額を突合せ、息を荒らげる。
「キャリアってみんな、その、ハードル低・・、かったり・・?」
「俺たちをアバズレみたいに言うなッ!」
「でも実際、そうやってきたわけじゃん・・」
青島の認識にどこから訂正していけばいいか分からない室井は、先行きの遠さに焦れてくる。
これまでの態度であっちこっち尻を振れるようにも見えるのも仕方なく
キャリアが時に下す決断を、今ここで解くのは違う気がするが、どうなんだ。
「軽い気持ちで動ける立場にないことくらい分かれ」
「だだだって・・、俺とはデキちゃうわけ・・?」
「だからそれは――!」
本当は青島だって分かっている癖に煮え切らない。
青島の顔横に手を付いたままの態勢が室井の余裕のなさを表していた。
「さっさと決めろ。どうする」
「どうするって・・?」
「頭悪いな、付き合うかと聞いているんだ」
うわ、このひと、アタマ悪いって言い切ったよ。
始まりの夜、同じセリフを聞いた気がする青島も、拗ねてつい返答も雑になる。
「さ、察し悪くてスイマセンね。迷惑だけかける細君なもので」
ここから先、始まる偏見とか立場とか。
そもそもその垣根を世間に周知させるキャンペーンを担当して。
で、ミイラ取りがミイラになった男が二人、途方に暮れる。
「もう順番が目茶目茶だな・・。とにかく細君を捕って喰おうって話じゃない。その・・、君の判断を迷惑に思ったわけでもない」
「うん・・」
「君が考えてくれていることは、ちゃんと、分かっているから」
「・・そ」
「君の答えが聞きたい」
不毛な堂々巡りの押し問答の先に、ようやく冷静となった室井が真剣な面差しで問い掛ける。
再度、問い直された言葉に、青島が今夜初めて顔を上げた。
真っ直ぐに見返してくる瞳が潤んでいるように見えるのは、気のせいにはしたくない夜だ。
「だって室井さんは・・」
池神局長のモノだろ。
ようやく青島の言いたいことは察した室井が息を吸って、覚悟の顔を横に振った。
「もうしない」
「できもしないくせに」
「手を切る。この任務で手切れにする」
「室井さんがそう思っても向こうが納得しないよ」
「二度と寝ない」
「寝てたんだ」
「妬いたのか」
「だったら」
「・・どうしておまえはそうやって簡単に俺を救ってしまうんだろうな・・」
「・・はい・・?」
「君こそ、隙だらけで無自覚にその気にさせておいて食べさせないって、あり得ないだろ」
「食べ・・っ、食べさせ・・っ、っっ!」
捕って喰う話じゃないと言った傍から明け透けな言葉を使う室井に、青島が狼狽える。
だがお友達ごっこで分を弁えるつもりは、もうない。
中途半端な関係が、一番、不誠実だった。
その未完成な関係が一番、付け入れられる隙となる。
どちらのものでもないからこそ、それを知っていたからこそ、池神はそれを掻き回して楽しんだ。
今回のは、どっちつかずの態度で長々と濁していた室井の怠慢だ。
「食べたい」
爛とした目を眇め、室井が青島の耳に囁いた。
絶句した青島が気丈に睨む姿にも魅入り、至近距離まで縮める。
腕を折り曲げて壁に付き、焦点さえぼやけてくる距離まで追い込まれ、青島は息を止める。
暫しの沈黙の後、二人は同時に眉尻を下げた。
「そやって、オトコと寝てきたわけか、一緒にすんなよ、俺は・・」
「君にならメチャクチャにされていい」
「なななんのカミングアウトしてんすか!」
「でも君が焦らすのなら、もう待つ気はない」
可愛くて、愛しくて、大切で、誰よりも幸せでいて欲しい相手だ。
出来ることなら独り占めして、誰の目からも遠ざけてしまいたいくらい、危険な欲望が室井の頭を過ぎる。
だとして、もう構わなかった。
カッコ付けて、思い出だけ与えたつもりでも、そんなの本当は納得していない。
もう気持ちを伝えるだけで良いとは室井は思っていなかった。
最後の時には隣に君にいて欲しい。そのためならば室井はなんでもする。
心もない男にこの身体を貪らせたように、何だってする。
「どうしようもないくらい、初めて会った時から――君のとりこだ」
「あ・・あ・・、」
真摯で実直な室井の告白に、青島が狼狽え、ややして少し困ったように顔を背けた。
談笑しながらふっと見せる緊張感に、室井の強欲が覗く。
その時、窓枠に白い細かなものが舞った、気がした。
雪――
気付く前に、室井が青島の口唇を塞いでいた。
胸倉を手繰られ、強引に重ねられたそれは、痛みを伴う熱でヒリつき、しっとりと青島に焼印する。
「・・サイッテー・・」
「強引でも良いと言っていた」
「それは・・っ」
「怖じ気づいたか」
「・・そう来たか・・」
亜麻色の瞳を惜しむ臈長けた顎のラインに、思わず触れたくなる指先を室井はもう堪えることはせず、そっと触れた。
頬を包み込むように撫ぜ、たった今初めて触れたふくよかな口唇に目を落とす。
その艶冶な仕草に雄の色香が滲み、青島が降参したように瞬きをした。
吐息の熱を感じるほどの距離で、どうしてもニヤけてしまう顔はお互いに隠せない。
「まだ返事言ってないし、質問の答え聞いてないし、だから、どうしようって俺聞いてん――」
室井の親指が、そっと青島の下唇を押す。
「キス、出来たろ?」
ごちゃごちゃと動揺する青島に、室井は悠然と得意気に口端を持ち上げて見せた。
少なくとも、もう一歩先には進める確信が持てた。
たぶん、お互いに。
「ずるい・・おれ、もっとあんたにシてほしいこととかあったのに・・」
「!!」
その顔の方が反則だろう。
俯き加減で端正な頬を染め、目尻を潤ませ、しゅんとなる青島の、顔は真っ赤だ。
というか、何を強請ってくれるんだ。
シちゃった・・と濡れた口唇を指で触る青島に、室井こそ酩酊させられ、言葉を慎む。
ぽんっと、頭を拳で小突いた。
「こんな場所で男の理性吹き飛ばすんじゃない」
「あんたの理性って飛ぶことあんの?」
しょっちゅうだ馬鹿。
「なんかもう全てにおいてケイケン済ってのが、悔しいんだよなぁ」
ほんとかわいいな、こいつ。
「室井さんって開き直ると無敵になるタイプですよね。勝ち目なさそうだわ俺」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする室井に青島も気付いてきょとんとする。
この三週間、どれだけ敗北を覚えさせられたと思ってるんだ?この小悪魔に。
「あれ、さっき、雪だと思ったのに」
ひとひらの瞬きに垣間見た白いものは、幻だったのか。窓の外では昏々と更ける夜に凍える樹木が静かに眠っているだけだった。
都会に雪は降らない。
でも今夜はクリスマスイブだ。
「どうせ東京じゃ明日には溶けている」
ホワイトクリスマスにはならないけれど。
この街じゃ邪なものは消してくれないけれど。
「俺の・・願い事はひとつだけなんです」
窓の外を見遣りながら、青島が寄り添うように紡ぐ言葉に室井は耳を傾けた。
遠い目は数多の色を宿していて、恐らく見つめているのは景色ではなくて。
微かに漏れ伝う、終幕を告げるホールのクリスマスソングが、沁みてくる。
「でも絶対聞いてくれないって思って、俺、ヒヨった。・・ごめん」
「それ、叶えてやる」
「ほんと?」
「君の願うことはぜんぶ、叶えてやる」
「太っ腹なサンタクロースだ」
触れもしない、肌のぬくもりも知らない、好みの場所も、こんなところで弱気になってしまう幼さも
幾らトリセツを作った所で、本物の彼は手に入らない。
トリセツに、大事なことは意外と書いていない。
「だから、その代わり、俺に君をくれ」
「それ、俺の方が分が悪くありません?」
「生涯かけて返す」
「それってまるでプロポーズですね」
「君が欲しい。いつからかわからないが、ずっとそう思っていた。幻滅したか?」
「っっっ/////あんたの方こそ、さっきからこんなとこで俺の理性これ以上ぐちゃぐちゃにしないでくださいよ、もぉっ」
忘れていく思い出の中で忘れられない愛しさや痛みを刻んで戻っていく尊さを誰よりも知っている室井は
テレまくっている青島を引き寄せた。
崩れ込む細身の身体に、慣れない抱擁は勝手が分からぬまま、執着だけがあからさまだ。
しっとりと抱き留める男の腕の中で、青島もまた抗うことはなく、室井の肩口に額を埋めた。
「勝てる・・?」
「勝ってやろうじゃないか」
「でね。俺、そのとき、そばにいたいです」
室井の願い事を口にしてきた青島に、室井は思わず喉を唸らせた。目頭がツンとなる。
冗談だろう?これは俺が見た幻なのか?
奇跡の夜にホントに奇跡が降って来た。
青島の背を扉に押し付けるようにして、室井が電気のスイッチを消し、重なった二人の影が闇となる。
ぎこちないキスはやがて深まるキスへと変わり、甘い吐息とクリスマスソングに乗って、何度も繰り返されて。
震える熱に軋みを生んで、形も熱も覚えさせるくらいに執拗に擦り合わされて。
「ん・・っ、まっ・・、」
それは、青島が大人しくなるまで続けられた。
観念した青島が思わず苦笑する。
「・・んん、もぉぉ~・・」
青島が大きく顎を上げ、逸る室井の口唇に触れる。
青島からのキスに、おまえだって出来たじゃないかと漆黒は細まり、分かり切った揶揄に青島が反抗して室井の下唇を噛んだ。
途端、室井が煽られ、キスを深める。
渡すつもりなんかない。誰にも渡さない。
必死に室井の口唇を受け止める姿が、いじらしくさえ思えた。
どちらの息遣いなのかも分からなくなって、漏れ出してくる想いが重なって、足元から壊れる前に指を絡ませ、握り返す前に引き寄せて。
「公認カップルになっちゃいましたね」
「良い牽制になった」
両想いになる前に世間に宣伝してしまった。
闇に花が咲いたような顔に室井の目は釘付けとなって、その漆黒に焔を宿す。もう青島しか映していない。
「このままうちに来ないか」
「いんですか・・?」
「この間みたいに、もう、中途半端で終わらせるつもりはない」
室井が逃がさないように青島の両手を取り上げ、胸前で握り締め、そこにキスを捧げた。
その薬指に夜光で銀に光る硬質の輝きが、夜に映える。
潤んだような夜の光を取り込む青島の瞳は、雪の結晶のようだと室井は思った。
「それって俺、抱かれに行くの?それとも抱いてほしいの?」
「どっちがいい」
いつかも聞いた台詞だ。
「困ったな、答えを用意してない」
頬を掴み、額を押し当てれば、青島が瞳を悪戯気に深めた。
揶揄うような、嘲るような、降参して甘えるような、青島独特の表情。それに呼応した室井の瞳が熱を孕む。
そんな青島の拗ねた態度は室井にとって見れば、まるで見せつけられているようにしか見えなかった。
青島が指先で室井の顎を輪郭を辿る。
「俺が触っただけで感じちゃうの?」
「ああ。もっと俺を煽れ。もっと追い立てて、その気にさせろ。なんでもしてやる」
みっともなくていい。ボロボロでもいい。はしたなくていい。身形構わず欲しいものがあった。
またひとつ、知らない感情を覚えて室井は男になる。
「無口なあんたが乱れるのって、そそられる・・そうやってアイツに腰振ったんだ?」
熱い吐息に目を眇めた室井もまた、浮かされた声音に熱を孕ませる。
「我を忘れるのは君にだけだ。身の保証はしない」
「カゲキ。俺なにされちゃうの?」
「男を煽るな、無自覚に」
「妬いてんだって言ったデショ、これでも」
「まだ返事を聞いていなかった」
「あんただって言ってないよ」
冷えた二人の手に吐息が積もって、舞って、淡く溶けていく。
しっとりと。でもしたたかに。
「俺には君が必要だ」
青島が長い首筋を伸ばし、室井の褪せた頬に恭しく口唇を押し当てた。
さらりと流れた淡い髪がヴェールのように揺れる美麗さに、室井が感じるのはどこか男としての敗北感だったりする。
誘われた室井が斜めになるほど首を傾けると、青島の華奢な顎も誘うように持ち上がる。
濡れて銀の縁取りをされた秀麗なラインが月も星もない宵越しに浮かび上がった。
言葉なく、震えるように瞼を落とした青島に、室井はしっとりと見つめてから口唇を重ねた。
青島の片腕が室井の首に優雅に回り、引き寄せ、その指先に銀の印が夜を彩っていく。
「待ってますから・・おれ・・ずっと」
「ああ。二度と離れてやれない」
「仕方ないから結婚してあげます」
「もう披露宴も写真も済ませたしな。指輪も調達済みだ。外堀が埋まっている」
「ほんとだ」
額を突合せて笑った。
室井が諦めの悪い男であることは、青島が一番よく知っている。
「・・おれ、あきらめなくてい・・?」
見つめ合うまま輝く瞳が揺れて、青島が確かめるように問う言葉に、室井はしっかりと手を握ることで答えを伝える。
「俺ね、今夜一人内祝いしようって。おでん、いいかなって」
「出汁から作ってやる」
「宅飲み前提?つーか、俺の希望聞けよ」
「日本酒は好きか?」
「まあ、そこそこ?」
「君に飲ませたい日本酒がある。秋田では銘品とされるものだ。具材もそれに合うものを用意してやる」
「今から作るの?室井さんって料理するんだ?」
その昔、青島との極彩色の時間が、室井の原動力だった。
無鉄砲ながら逞しい。危ういけれど美しい。そんな彼の見せた魔法が室井を突き動かした。
一人では描き切れないであろう、豊かで美しい慈愛だけの世界が広がっていた。
穢れを知ったからこそ、今その美しさが室井の中で崇高なものなる。
「俺を酔わせてどうするの」
青島が室井の耳に吐息で問い掛けた。
小賢しい室井の要求は、だが青島の中で今までで一番しっくりときていて、囁く様に伝え合う睦言に、見つめ合う瞳は潤み、光を灯す。
酩酊を覚えた室井がその赤い口唇にまた吸い付いた。
「まずそのスーツを脱げ、着てほしくない」
「なんで」
「他の男の物は身に着けさせたくない。そんなの俺が買ってやる」
「ええぇ・・?」
「ずっとムカついてたんだ」
「独占欲激しそう」
当然だというように甘い口唇を味わえる悦びに、打ち震えるのは類似した瞳が同じだと悟らせる。
「それから?」
「男が連れ込む理由なんてひとつだ」
束の間の人生の儚いひとときの夢一夜。
聖夜に恋は舞う。
都心に雪は降らない。人の穢れも消してはくれない。
雨さえ滅多に降らない大地は大気もカサカサに乾いて、満たされない心は干乾びて、いつしか堰も失って
一気に溢れ出す。
それは潤いも純白もない、雪を待たぬ都会の片隅で、聖なる夜だけ名を変え舞い落ちる。
とりあえず、絶対、東京は明日も雲一つない快晴だ。
happy end & love night!

クリスマスというと、どうしてもキラキラのイルミネーションと煌びやかなムード、正装させた二人を描きたくなってしまい
それを直球で描いた2021作品と酷似してしまわないように甘くデコレートしました。
勝手にやってくれな二人に胸焼けしてくれたら嬉しいです
タイトル「聖者に雪は降る」
なので、この二人の上に雪は降らせませんでした。二人は幸せになれても、聖者じゃない、罪の部分に目を反らすのは正義じゃない
そんな意図を込めました
皆様にも素敵な奇跡が訪れますように MerryChristmas!
20231228