シーズン企画
サイト10周年記念作品








恋 歌 3
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6.Side-室井VS青島
いつかも見たネコジャラシが揺れている。

「成程、酷い格好だ」
「・・げ。なんで・・ここ」
「刑事ならもう少し上手くやれただろう」
「相手が一人ならね」
「つまり複数犯による犯行なんだな?」

しまったというように、青島が顔を背けた。
こんな単純な誘導尋問に引っかかってしまったことに、一丁前に悔しがる姿が室井の苦笑を誘う。

室井が青島に倣ってフェンスの前に立つ。
横目で室井を認める青島は、何も言わない。
潮の混じる風が青島の白いシャツを柔らかく揺らして二人の間を吹き抜けた。

話に聞いていた通り、青島は自分の足で歩いているというだけで、半年前とほぼ変わらない様相だった。
まるで彼の上だけ時間が止まっていたかのような錯覚を覚える。
頭部に巻かれた包帯、半袖の腕から見える包帯に湿布、見える限り消毒液の臭いを主張して
全身を調べたらもっと出てきそうだ。

「ここが好きなのか」
「何であんたには見つかるの」

青島が吸ってもいなかった煙草を灰皿に揉み消した。
サボるには良い場所なのだろうか。室井には分からない。
以前着ぐるみを着た任務の時も、彼はここにいた。もう、二年も前になる。

「たまたまだ」

普段見掛ける青島は、常に笑顔を湛え、多くの人間に囲まれているイメージがあって
こうしてわざわざ一人になろうとする行動自体、彼の知らない一面に触れている気がした。
触れさせて、くれるのだろうか。
勝手な憶測は、実に都合の良い夢想で室井を煙に巻く。

「んなことより、北海道行ってたんじゃないの」
「復帰した」
「軽く言いますね」
「名刺でも渡すか?」

切り返してやると、青島が切なそうな視線を残しながら、また眼前に向いた。
過ぎ去った日々は元には戻らず、変わっていく季節の中で眩しさだけを残している。
それはきっと、お互い様なのだ。
秋の病室で確かなものに触れた気がしたのに、半年間という短い癖に遠い時間が二人の間には横たわっていて
これ以上、気安く馴れ合うことを阻んでいた。
いつもそうだ。青島は、室井にとって、とても遠い。何かの途中で、簡単に手を離される。
警視庁副総監・吉田敏明の計らいによって半年で中央に復帰したことは、青島にとってはどう映るのだろう。

会話も続けないが、帰ろうとしない室井に青島がぽつりと呟く。
背後では信号が変わる度、車が絶え間なく行き交った。

「あんたさ、そうやって俺んこと盗み見してるでしょ?そんなにイイ男?」
「――・・」

冗談だろう?そんなにしょっちゅう見ているだろうか。
言い当てられた室井は少し気恥しいような、擽ったいような、何とも言えない感覚に陥った。
ムジカク、と青島の口唇だけが動いて、丸っこい指は組んだ腕の上でリズムを取る。
青島が横目で、満足そうに組んだ腕に顎を乗せているのが目の淵に入れば、コイツにならバレてもいい、とさえ室井を思わせた。
涼風が汗ばむ肌を撫で上げていく。

「私がいない間に随分と此処は賑やからしいな?」
「そうね」
「行く前より怪我の数が増えている。何故私に言わない」
「だって、あんたが、何も言わないから」
「・・言って欲しいのか?」

何を、なのか、輪郭を暈した言葉に、含まれている意味がそれだけではないことを匂わせる。
まるで亭主気取りの室井の発言に、だが少し戸惑いを乗せた青島の髪が、柔らかく舞って、夏の匂いを巻き込んだ。

「カッコ悪いじゃん」

子供みたいな言い訳に、室井はフッと頬を和ませた。
どうやら、やられっぱなしの状態が不満のようだ。相手の姿も分かっていないくせに、彼は勝つ気なのだ。
その負けん気が懐かしく、心地好く、室井は今更ながらに“帰ってきた”ことを感じ取った。
いつもは堅い目尻を柔らかく伏せる珍しい室井の面差しに、思わずといった感じで青島の動きも止まる。
茶化してくると思ったのだろうか。
室井がフェンスの向こう、広がる荒れ地を臨む。ここが空き地署を言われる所以だ。

「いいだろう、乗ってやる」
「・・ぇ?」
「ただ、真相を知りたいのなら、また闇を見ることになる」
「・・つまり、あの連中に心当たりがあるんですね?」
「どうする」

小賢しい聞き方だとは分かっていた。
だけど室井は聞きたい。青島の口から室井を選ぶ愉悦の瞬間を、耳に残したい。
爛れていく胸の渇望は今も変わらず、室井は急かされるまま時を刻み付ける言葉を強請る。

「勿体ぶらずに教えてくれたっていいでしょ」
「返答次第だ」

ムッとした様子の青島の口唇が、室井の耳にふわりと寄った。

「俺んこと、置いてったくせに」

消毒液と、漂う甘い香りと煙草の苦みにくらりとした。
焦らされて、言ってくれない言葉よりも強烈な、耳に残った吐息に酔いそうになりながら、室井も毅然と青島を見返した。

「連れて行って欲しかったか?」

夏の蒸し暑さが残した残照が、ジリジリと二人の間を灼いていた。
汗がスーツの中を流れていて、じめりと貼りつき、交差する強い眼差しは、黙ることで一層糜爛する。

以前とは少し様子が違う室井に不可解な警戒と好奇心が綯交ぜとなっている様子を認めた。

本当に懐いてくれているのなら、そこに妄りに期待しても、きっと大丈夫だ。
そんな気にさせられる。

何かを変えようとする、或いは、変えてしまっても構わないという室井の意思に脅え、青島が先の言葉を飲むことで二人の間に不自然な沈黙が落ちた。
あおしま、と室井の薄い口唇が音も出さずに、その名を刻む。
まるで空気を震撼させるように青島頬が赤らんだのが伝わる。

「待っていろ」
「!」
「君は私を待っていればいい」

驚いたような、苦しんでいるような、そんな瞳色。
眉を潜めて青島が口籠る。

「あんた、そんなことひとッ言も言いませんでしたけど」

まあ、こっちが取り乱した姿など、敢えて告げてやる必要はない。

「しょうがないだろ、別の話で盛り上がっちゃったんだから」
「ノリノリで宣戦布告してましたもんね」
「充分な餞別だ」
「勝手なオトコだなぁ」

ふーん、と青島が下から室井の顔を覗き込んでくる。
興味深そうな、悪戯を仕掛けるような悪巧みに満ちた視線に、不覚にも少したじろぎ、室井は下っ腹に力を入れる。
気を抜けば、あっという間にこの飴色の瞳の罠と罪と、青島のペースに引き込まれる攻防に、室井の胸が湧きたっていた。
背伸びした青島に騙されて、重なる原風景に脅えていた頃よりも、意外とシンプルな答えが転がっているものだ。

「そんなんで、置いていかれた俺の気持ちが慰められるわけないでしょ」
「帰って来ない訳ないだろ、君の元に」

ポケットに手を突っ込んだまま、まだ納得のいかない顔で室井を窺っていた青島が、僅か、微笑んだ。
その花が咲いたようなほわっとした笑みに、やはり呑まれ、室井は釘付けになる。
くるくると表情を変える飴色の瞳。幼さを残す童顔。澄んでいて、強く煌めき、いつまでも眺めていたくなる。
思わず声が零れ落ちていた。

「君のことを護らせてくれ」
「?」
「あの事件を、まだ引き摺っている連中がいるようだ。十中八九、追撃者は本庁の人間だ」

今度こそ、暇なんですねとか、これだからキャリアってとか、馬鹿にした発言が飛び出ると思った。
だが、青島の顔がスッと曇る。
心当たりを探すような真剣な表情に、成程、確かに事態は切迫しているのだと室井は改めて感じ取った。

「室井さんは大丈夫なんですか?」
「この状況でよくこちらを心配できるな」
「俺、勝てますかね?」
「私がいる」

青島が俯き、その口端は隠し切れない笑みが口端に滲んでいて、それから照れ臭そうに顔を上げた。
その蠱惑的な瞳の麗しさが、室井の心臓を鷲掴む。

「ブレないね・・」

青島の嬉しそうな口ぶりに、室井は誇らしげに顎を上げた。
当然だろう?君がいるんだから。

「あのね、室井さん・・」

言いかけたその口を、一歩近づき、室井の指先がそっと押さえた。
秋の病室の時とは逆の仕草に、至近距離で不満と不安を乗せた瞳が揺れる。

「言わせてもくれないの?」

今は未だ、言わなくていい。
今は知らなくていい。君は何も。

「決着を付けるぞ」
「――はい」

室井の指先に、青島の綻ぶ口唇の感触がじんわりと残った。
痺れるようなそれを、消し去るようにぎゅっと握る。


***


「青島さん」

無防備に向き合う二人の死角、陽も傾いたブロック塀の脇の植え込みから、その黒い声は、突如発せられた。
二人が同時に振り返るのに合わせ、薄闇に溶けこむ影がのそりと輪郭を持つ。
背の高い、細身の男性が茂みから表れた。
ギラついた目付き、派手な服装が彼の巣食う世界を印象付ける。
室井の持つ怯まない風格にも臆しない男は、漂うように、影を味方に付けた。
いつの間にか西日が随分と傾いていた。

「・・龍村・・」

誰だ?と室井が思う前に、青島が口の中で小さく呟くのが耳にこびり付く。
男がゆっくりとこちらへ近づいてきた。
青島の真正面に立つ。

「生きてますね」
「モグラのくせに何で太陽の下にいるんだよ」
「たまには外に出ますよ。専ら夜ですけどね・・」

青島が立ち尽くしたまま、キッと警戒の視線を強めている。
反対に、舐めるような目線で青島の全身を確かめる男――龍村は、室井のことなど一切眼中にはなかった。

「去年の地上の大騒ぎの元凶が一命を取り留めたっていうから、野暮用がてらに顔を見たくなりまして」
「冷やかし?」
「やだな、見舞いに決まっているでしょう?」
「お前に見舞ってもらうほど落ちぶれちゃいないよ」
「釣れないなぁ、心配してたのに」
「うそっこ」

そこで初めて龍村は室井に視線を送った。
軽く顎を上げ、見下してくる男に、室井は無言のままに漆黒の双眼を深めた。
風貌などの外見判断ではなく、隣の青島の、一定の距離を詰めさせない気配の鋭さが、この男への迂闊な気の緩みを牽制している。
妙に、アクと精気の強い男だ。

「青島さんのお知り合いにしては、随分と気取ったお人のようだ」
「どういうイミだよ、悪かったな。お前の天敵だよ」

横から青島がイーっと口を横に伸ばして嫌味を叩く。
警戒をしているだろうに青島は陽気な気配は崩さない。一定の距離感を持ちつつ悪戯に波立たせないその妙技に、室井は一目置く。
口調と態度があべこべである青島の手法は室井には真似できないものだ。
室井は敢えて口を発しないことで息を合わせる。
龍村は直ぐに室井から興味を失い、青島に張り付いたような笑顔を乗せた。

「どうやらタイミングの悪い時に来たようだ。出直しますよ、青島さん」
「二度と来なくていいよ」
「今度は花束でも持って来ましょうか」
「ふざけんな」

青島が切り上げるための片手をあげ、身体の向きを変える。
その時、整備されていないアスファルトの凹凸に青島の靴の先が引っ掛かった。

「・・わっ・・」

やはり傷ついた身体はまだ完治していない。そう悟る間もなく、踏ん張り切れない青島の身体が傾き、慌てて支えようと室井の手が伸びた。
――その寸前、室井の目の前で龍村の手が青島の二の腕をグイっと引き上げ、掻っ攫う。
掴み損ねた室井の手が空を掻き、龍村が難なく自分の胸に青島を凭れさせる。

「わりぃ」

ほっとした安堵の吐息と共に青島が、そのまま身体を起こそうとする青島を、龍村が肩を抱いて制止した。
訝し気に仰ぐ姿が身長差を誇り、幽寂に傾くシルエットが艶美に完成する。
それを見た室井の眉間に、皺が深まる。

「あれから半年というのに、貴方の上では時間が止まっているようだ」
「いいから放せ」
「嫌だと言ったら?」
「はぁ?」
「俺が送りましょうか?」
「要らねーよ。俺はこれから室井さんを送るんだ」
「〝室井さん〟・・?」

名を聞き、ここで初めて龍村の顔が変わった。
剣呑な眼差しを持った室井と、再び視線が交錯する。

「貴方が」
「私をご存じなので?」
「昨年の件は地下でも騒ぎになりましてね。確か青島さんが叫んだ相手が〝室井さん〟だったと」
「――」

龍村の引き寄せる腕の力が無意識に籠もり、青島の腕に痕が付くほど食い込み、痛みにその顔を歪ませる。
まるで脅えるような龍村の所有の動作に、彼の指に光るリングが青島の肌を赤く傷つけた。

「このひとが誰だってお前に関係ないだろ。それよか俺を離せ!」

足が踏ん張れない処に、更に龍村は青島を後ろ手に捻り上げ、手元に囲う。
いとも簡単に拘束され、強がる青島が上手く抵抗出来ずに踠くが、あれほど無関心だった龍村が、今室井から眼を離さない。

「自分が付けた傷を一生刻んでくれるって、どんな気分です?」

龍村の腕の中で青島が驚いたように怒りの声で抗議する。
そんな青島を、室井もまた無視して口を開く。

「彼の傷が私の罪だとして、それが貴方に何の関係が」
「ハッ、罪、ですか」

あからさまに蔑視した眼差しで、龍村が鼻で高笑いをした。

「そんなものでこの人を手に入れられるのなら、私だって刃物を持つ。本気で捕まえられるとは、貴方だって思ってはいないんでしょう?」
「・・・」
「関係はありませんよ、まだ私にもね。でも――知らぬ所で知り合いを奪われる気分は、良いもんじゃない。私も・・・和久さんも」

言い放つと同時に、龍村は腕の中の青島の肩を掬い上げ、そのまま上向いた青島の口唇に自分の口唇を押し当てた。
眼を見開き、固まる青島の腰を更に抱き込み、強く口唇を押し当て逃げ場を絶つ。
抵抗をしようとする青島の手が龍村のシャツに添えられ、乱した。
無意識に縋るように龍村のスーツに手を添える青島の様子と、混ぜ返された光景を目の当たりにし、凝視した室井は一歩も動けない。

「・・っ、・・んぅ・・っ」

室井の位置からは、龍村が覆い被さるように口接しているため、青島の苦しそうな息遣いと、風に揺れる二人の髪だけが視界に入った。
持っていた鞄を握り締める手が、酷く汗ばんでいく。
反対に、青島の肩からはショルダーバッグがずれて、足元にどさりと落ちる。

「ぅ・・ッ、・・っ」

そんな室井の僅かな気配の変化を目の縁に捉え、龍村が眼だけで威嚇し、接吻の角度を変えた。
押し付けるようにして青島を仰け反らせる。
これだと、二人が密着している部分も良く見える――見せ付けているのだ。

必死にキスを解こうと龍村のシャツを力なく引っ張る青島の手は、強請っているようにしか見えず
片手を背中に捩じられ拘束されたままの不完全な態勢では、背の高い龍村に思うがままに持ち上げられる口唇を塞がれていた。
眉を切なげに寄せ、仰け反った喉元のラインが繊細な弧を描き、夏の暑さに濡れている。
小麦色の肌が艶めき、強張る。
夜涼に熱を孕ませ、芸術的で濃密なまでのラブシーンへと昇華する。

ワザとだと、室井の頭は瞬時に意図を察していた。
子供染みた、見え見えの顕示欲だ。
室井を煽るためのパフォーマンスで、室井への挑戦であり、誘発であることは簡単に予想が付いた。
――いや、それだけでもないか。

だが、面白くない。

「ぅん・・っ、ふ・・っ」

二つの濡れた口唇が卑猥な音を上げた。
無論、この空き地の前ではひと気などないことは、龍村も室井も承知の上だ。
龍村の手が抵抗を失った青島の腰に回されしっかりとホールドされることで辛うじて青島は身体を支える。
それがまた、想い人に身を預けた妖艶な姿に変え、正に情熱的な恋人同士の情交だった。
ゆらゆらと流れる青島の細髪まで、美しい絵画となって情熱を描く。

時間にして、数秒が数十分にも感じた、煽動の時間。
怒りにも近い感情を胸の奥で燻らせ、室井は落ちている足元の青島の鞄を取り上げた。

「その辺にしたらどうだ。公然猥褻罪になるぞ」

鋭く低い声で告げると、ようやく龍村が青島の口唇を解放する。

「・・はっ、ぁッ」

途端、久方に有り付けた酸素と、唾液を嚥下する青島の口から漏れた声を聞き漏らさず、室井の身体は深部がカッとなった。
龍村がわざと青島の嬌声を上げさせたのだ。
眼前で、龍村が雄の気配を隠しもせず、青島の顎を持ち上げ、親指で濡れた下唇を拭ってみせる。

「・・に、すんだよ龍村ッ」
「青島さん、意外に初心なんですねぇ」
「ふざけんなッ」
「可愛かったですよ。舌の使い方も」
「も・・っ、放せ・・・ッ」

口元に手の甲を当て、濡れた唾液を拭う青島の顔は夕闇が落ちた大気の中でも、真っ赤に染まっているのが分かった。
そんな青島の額に額を突合せ、楽しそうに龍村が青島の瞳を覗き込む。
だが、引き剥がされたそのタイミングを逃すつもりはなく、室井は物も言わず青島の腕を自分の方に引き寄せた。

「あ・・っ」

ここまで静観していた高貴な男の、あからさまな独占欲に、龍村は本懐を遂げたことを理解し、笑みを浮かべ、じっくりと絡ませたのであろう舌でゆっくりと舐め上げた。

「取り損ねた愛玩物なのか、護り損ねた宝物なのか」

室井がただグッと睨み返した。
青島を腕で背中に隠し、庇う姿勢に、暴いた騎士の本性を見る。
だが一方で龍村は奇妙な悪寒も覚えていた。
殺意を孕んだ怒りか、或いは、本物の帝王の片鱗か。
アウトローで生き抜いた龍村の本能が警告している。

そういうことか。
とりあえず味わった舌をもう一度感触を思い出すように指先を舐める。
その指を、龍村は室井の背後の青島にスッと指差し、その視線を奪った。

「青島さん、貴方は私ととても良く似ている。本当は脆くて崩れそうなものを持っているとか、縋りつきたい腕に抗えないところとか」
「!」
「お互いの傷を舐め合うのも悪くないもんですよ」
「・・きっ、きもちわりぃ言い方すんな!それに俺は!」

囁くように吹き込んだ龍村を牽制するが、濃厚なキスの後の青島の声は掠れていて迫力は薄い。

「そっちには堕ちない」

それだけ付け足すのが精一杯の幼さに、龍村は目を眇めた。

「いいでしょう、今日はこれで退散しますよ。タイホされちゃ割に合いませんから」
「二度とくんなっ!言ったからな!」
「また地下で魚とお待ちしていますよ、青島さん」

青島の、負け犬の遠吠えでしかない憎まれ口が、闇に去っていく龍村の背中に投げかけられ、それも消えた。
畜生と青島が呟いている声だけが室井に届く。
すっかり帳の落ちた荒れ地の残熱が、浦風に鳴いて残された二人を巻き上げた。

背後で青島が恐る恐る室井を上目遣いに見上げる。
室井も視線だけチラリと向けた。

「あのぅ、なんか・・すいません」
「彼は」
「あ~、情報屋です。和久さんの」
「そうか」
「・・・」
「・・・」

言葉が続かない。
室井は龍村が消えた闇をじっと同じ闇色の瞳に映した。

「君にもいるのか?情報屋が」
「え?あ、ああ、まあ・・、元手のかかる連中ですけど・・」
「そうか」
「・・・」
「・・・」

覆せない不自然な沈黙を破るため、室井はタクシーを拾うため通りに面した交差点へと足を進めた。
青島も慌てて追い掛けてくる。

「あの・・!」
「すまなかったな」
「え?」
「本当はもっと早くに止めるべきだったが――彼の目的が私のようだったから」

青島も、あんな最中に気付いていたのか、小さく頷いただけだった。
気まずい空気を多少含み、多情な気配が熱気を孕む。
気になるのか、手の甲でしきりに口を拭っているのが目の縁に入るのが、室井の心をざわつかせる。
余程龍村が強く吸い付いたのか、少し紅くなって腫れあがっているように見えた。
その色付くうなじには、リングで擦れた朱痕。

「騒ぎにすれば不利になるのはこっちだった。すまなかった」
「いえ」

あれは、龍村の、室井への挑戦状だった。
青島への執着を室井に見せ付けることで、煽り、室井の反応を試した。
室井の青島への感情の確認。
室井を官僚と分かった上での、その才能。
室井がどう反応するか。どう対応するか。
あの場には我々三人しかいなかった。それを知ってる上で室井だけをターゲットにしていた。
全てを図るための、接吻だった。

交差点まで来て振り返ると、青島が一歩遅れて付いてきていた。
その額にまた少し汗が浮かんでいるのが見て取れた。まだ室井の速さにも付いてこれていない。
同時に、まだ少しだけ朱が残る口唇に目が吸い寄せられる。
室井は青島の前に立ち、青島の手を払い除け、自分のスーツの袖でゴシゴシと口唇を擦った。

「うぅ・・んん・・・っ」

嫌がりはしないものの、室井に口を拭かせたまま、目をキツく閉じて仰け反るようにする姿は
正に子供のようで、されるがままに眉根を寄せる顔に、室井の口からは小言が出る。

「おまえは少し隙がありすぎだ。怪我が治ったら訓練しろ」
「うぅ~、いたいって。いたいよ室井さん」

言われ、少し強く擦りすぎたかと思う。
きょとんとして室井を見てくる瞳は無邪気で、思わず室井は眉間に皺を寄せた。
それを怒っていると勘違いしたのか、青島の顔が瞬時に曇る。

「あと、室井さん、そのぅ」
「気を病まなくとも、所轄のやり方に口を出したりはしない」
「・・あ、そう、ですか。ですよね・・」

だんだん消え入りそうな小さな声で、青島が呟くのを、何処か遠くで聞いていた。
着崩れたシャツの襟を少し正してやり、ぽんと胸元を叩いた。
透明な瞳が、じっと室井を見つめ返していた。
吸い込まれそうな瞳をジッと見据え、だが室井は背を向ける。
今日は完全な敗北だ。男のプライドが許さない。
黙ったまま、青島が拾ってくれたタクシーに滑るように乗り込み行き先を告げた。
途端、弾かれたように青島がタクシーのドアに手をかけた。

「室井さん!あの!」
「・・・」
「・・あの・・」

その先の言葉を告げられない青島に、室井はもう一度だけ顔を上げた。

「いつか、君を攫いに行く」
「いつか!さっきの続き・・!」

ドアが閉まり、滑るようにタクシーが加速する。
一度も振り返りはしなかった。
でもきっと、見えなくなるまで青島はそこに立っているのだろうことは分かった。














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当サイトでもほぼない龍青ターンです。
頓挫した長編の名残でして、別に残さなくても良かったんですけど、室井さんが敵意剥き出しにする感じが個人的に気に入ってまして。
当時氾濫していたサイトパスで「龍村さんが欲しがった本のタイトルは?」とかあったね~。