シーズン企画
サイト10周年記念作品
恋
歌 2

―1999年7月―
4.Side-和久平八郎
「わ!青島さん、ひどい恰好!」
雪乃の驚いた声に刑事課にいた人間が一斉に振り向いた。
入り口には包帯を至る所に巻かれた青島が、照れ臭そうに頭を掻く。
「ワイシャツまでボロボロじゃないですかぁ」
「ちょっと、ボコられちゃいました~」
「またですか?」
心配そうに近寄る雪乃に、青島が大丈夫大丈夫と手を振ってみせているが、相当痛そうだ。
松葉杖もまた復活している。
席に付いた青島の後ろに、和久が背中を寄り添わせ、そっと声をかけた。
「例の、か?」
苦笑のまま頷く青島に、和久もまたやり切れないような憂慮した顔になった。
季節は夏になっていた。
冷たい季節は通り過ぎ、年も変わり、蝉の鳴き声が聞こえ始めた頃、青島もまた現場へと復帰を果たした。
誰もがあの凄惨な事件を忘れかけ、平穏な日常が戻りつつある、と思っていた。
「痛そうねぇ」
「ちょっとっ、触んないでよ!」
すみれが指先で額の包帯をちょいと突けば、青島が顔を歪める。
「なんか青島さんの包帯姿ばかり見てる気がしますね」
「痣もね。タトゥーかしらってくらい割と馴染んできちゃったかんじ」
雪乃とすみれが勝手な雑談を青島の頭上で繰り広げる下で、やめてよと言いつつ青島も笑っていた。
頃合いかと、和久が腰を上げた。
「今日はもう休め」
「え?だいじょぶですよ!」
「一人で行動はするな。それと、領収書は溜めるな」
「あ~・・」
「内勤も立派な仕事の一部だ。経理さんを困らせんじゃないよ」
「それを和久さんが言う?そんで和久さんはどこ行くんですか?」
「俺ぁ、ちょっと、本店まで」
「え!何しに!」
「最近やたらと旧交を深めたがってる奴がいてなァ」
和久が肩越しに振り返った顔が、懐かしそうであり、嬉しそうでもあり、青島も心得たようにパッと笑う。
去年の事件以来、大切にしたいものが、和久の上にも目の当たりになった。
「副総監によろしくでーす」
「おうよ」
***
本店に到着した和久が向かったのは、副総監室ではなかった。
正面玄関の端の柱に身を潜ませ、待ち伏せをする。
深夜まで粘るつもりであったが、ターゲットは定刻通りに現れた。
「ちょぃといいかい、室井さんよ」
夕闇から浮き出た影に身を引き締めた室井が、和久を認め、深いお辞儀をした。
丁寧に腰から曲げる一礼は、キャリアとして洗練されたそれだ。
「本当に帰ってたんだなァ」
「今月付けで警視庁刑事部理事官 兼 生活安全部理事官を拝命しました」
「そうかい」
ちょっと時間あるかい?と和久が指を差せば、室井は静かに頷いた。
目線で場所を移すことを提案してくる。
日比谷公園まで移動し、辺りに人がいないことを確かめる。
花壇の脇に並ぶベンチを見つけ、片手で詫びを入れると和久は先に腰掛けた。
和久の傍に控える室井にも座れと手で合図する。
少し迷った後、室井は一礼してから、離れた位置に腰を下ろした。
「お節介とは思ったんだけどなァ、時間もなくてよ。単刀直入に言わせてもらうよ。――話は、青島ンことだ」
室井の半身が奇妙な緊張を得たことを和久は空気で感じ取る。
「会ってねェんかい?」
「・・はい」
「会いに行ってやらねェのかい?」
「・・・」
夏虫の声が、室井の作り出した沈黙を遮っていく。
言葉を選ぶのは官僚の癖だが、室井の迷いは和久には透けていた。
「青島は、私が帰京したことを」
「知らねぇよ。俺ぁ、最近ここに出入りしてっからよ、小耳に挟んだだけでな」
「副総監のお加減の方は?」
「おう、ピンピンしとるよ、お互い小言が煩せぇのなんの」
「そうですか」
室井が何を躊躇うのかは、和久には理解できるものだったが、それは間違いだと教えてやれる人間が、この男の周りにはいない。
「慕い合われているのですね」
「馬鹿言っちゃいけねぇ、俺らがここまで来ンのに、これだけの月日がかかってんだからよ。二人とも頑固ジジイでよ」
和久が膝を擦る仕草を、室井が気遣うように見た。
「和久さんも、お怪我の方は」
「まあなぁ、あの事件のことは気になさんな。俺も勝手に動いた。なぁに、ジジイとなりゃ他にも悪ぃとこ、いっぺぇ出てくらぁ」
「・・・」
「それにうちのすみれさんにしたこと、俺ぁまだ許してはいねぇんだ。例え青島が許したとしても」
「はい」
「長く現場に出てると古傷も増える。・・夏は割と調子よいんだよ」
「そうですか・・」
似たような返事しか返してこない朴訥な男に、社交辞令も上手にこなせない彼の不甲斐なさと貧弱さを見る。
「なぁ、室井さん。俺ぁ、回りくどいことは苦手だ。必要なことだけ言わせてくれ」
「はい」
会う気はなくとも、室井は少なくとも受け止める覚悟は持ち得ているようだ。
漆黒の濁りの無さを認め、和久は刑事の目で射抜いた。
「青島は誰かに狙われている」
「!」
「昼間は俺らがいるから近寄って来ねぇ。一人になったところを――」
和久が一旦言葉を切り、片手で後頭部を殴る仕草をして見せた。
「ここ一カ月だ。青島が現場に復帰してからのことになる」
「本当なのですか」
「アイツは絶対お前さんには言わないだろう。だが、俺が調べたところじゃ、室井さん、アンタ絡みだと思うよ」
室井の顔がスッと影を纏うように険しくなり、強く一点を見据えた。
背筋をピンと張る姿勢の良さを崩さない男から発せられる怒りが、他のキャリアにはない彼の甘い部分であり、人間らしさだ。
それが吉と出るか凶と出るかは、また別である。
この男がこの先どう化けるか。和久の見立てでは敗北色が強い。
「彼の様子は」
「まあ、本人はケロッとしとるがな。そこそこ受け身も出来てるようで、致命的なダメージもまだない。けどよ」
室井が和久を見る。
和久も小さく頷く。
「ああそうだ。腰の怪我がある。庇っているのは見てりゃわかる。そもそもあの事件からまだ半年ちょいだ、幸運はそうは続かねぇよ」
「警護や異動などの打診は」
「聞き入れると思うかい?そんなことをして、お前さんの耳に入ることを、アイツは何よりも恐れる」
「――!」
室井の目が見開かれた。
恐らく想定外の指摘だった。そういうところが、このキャリアの坊ちゃんは想像が出来ない。
それはいずれトップを奪う者として、弱点であり、致命的な欠陥だ。
だからこそ、その足りない部分を補うことの出来る相棒が必要なのだ。
そしてこの男はそれを見つけた。
その自覚もあるからこそ、激しい執着が彼を苛む。
「一番現場に近い場所にいられない、もう一度お前さんと戦えない、それは、青島が一番避けたいことだ。分かるだろう?」
和久のしわがれた手が顎を擦り、上向いて、暑そうにシャツをパタパタと扇いだ。
梅雨も明けた東京の夏の夜は、日が暮れても蒸すような熱が籠り、むわっとした熱気が抜けきらない。
「青島が、大切か?」
「・・・」
ややして、室井は目を瞑り、観念したように拳を白くなるほど握った。
「どのくらい」
「――」
「年寄りの目を誤魔化したいかい?」
苦渋の顔をし、答えない室井に、和久は畳みかける。
きちんと口に出せと責め立てる。事は一刻を争う。かもしれない。
逃がす隙を与えてやるほど、この男に義理があるつもりもなかった。
「こっちはな、伊達に歳は取ってねぇんだよ」
「――、身を切るより大切な存在に。止められませんでした。離れても、どこにいても、忘れたことはない」
「・・そうかい」
「誰にも渡せない。渡したくない。独り占めしてしまいそうで、そんな自分が、時に恐しくすらあります」
「だから顔を出せなかったのかい・・」
相手の感情を阻害しない柔らかな口調は、長い経験者だけが得る。
室井が眉間を深く寄せたまま硬く目を瞑り、上擦るように吐き出す言葉は夏の夜に似た重さは敗者の蔭りを持っていた。
室井の怯えは、そのまま、恐らく何かの切欠さえあれば堰を切ったように溢れ出し歯止めも効かなくなる自制の弱さを白状していた。
堅物で、頭でっかちで、理性派の男がだ。
なるほどなぁと、和久は視線を外してやって、公園を漫然と眺める。
「あいつはなぁ・・、どうも向こう見ずなところがあるなぁ。ああいうのは、破滅的で、危うい」
「・・・」
「小賢しい悪巧みも出来る大胆さを持つ癖に、肝心なところで一歩引けない。引き際ってやつを知らねぇ。アンタとは、真逆のタイプだ」
「はい」
室井もどちらかというと同じ一本気を持った男だと和久は睨んでいる。
そういう部分に青島も惹かれたのだろう。
だが、いざとなればこの男は冷酷な手段も厭わないし、非道な手を使って欺くことも視野に入れてくる。
それが使命だと命じられれば、一番効果的な手段を選んでくる男だ。
迷いも見せながら、常に、選ぶ軸足を持つ官権に期待がある。
そこが青島の狡さと幼さに、軋轢を生じさせる。
「アンタみたいな愚直な人間には、青島みたいな力技で最後まで突っ走っちゃうタイプは眩しいんだろうよ。だがな」
きっと、室井にとって青島は、理想であり、なれなかったヒーローなのだ。
そして、叶えきれなかった期待を齎してくれる、お守りのようなもの。
「アイツはまだひよっこだ。頼む。アンタの出世や欲望に巻き込まないでくれ」
「!」
「俺ァまだ青島を怪我させたことも許しちゃいねぇぞ」
室井が如何に青島を欲しようとも、和久とて、かわいい部下をむざむざと手渡すつもりはない。
それは、遥か昔自らも体験した若き刻印の残照でもあった。
「青島にも話したことがあんだが、俺と吉田もなぁ、似たようにぶつかりあって、喧嘩して、同じ結論を持ってることを知って、話し合ったことがあんだ」
「・・・」
「だから、お前さんたちが似たような約束をしたって聞いた時、何甘っちょろいこと言ってやがんだと一蹴した。そんな簡単なモンじゃねぇ」
同じ未来を描くために立場の違いを利用しようとした。最大限に利用したいから、俺たちは離れた。
和久にはその矜持がある。
「・・それからウン十年。随分とアイツは偉くなってくれたよ」
「その間・・吉田副総監は・・」
「いつか、そういう機会があったらなぁ。聞いてみたらいい。俺たちは別の道を歩むことに其々全力を尽くした。それで精一杯だったさ」
キャリアの立場で吉田が何を感じ、何を思い、何を選んだのか、ノンキャリの自分が教えてもらうことはなかった。
お互い格好つけて、背中を向けた。
本音に潜む余情には目を瞑らなければ、苛酷な時代を生き抜くことは、出来なかった。
そういう時代だった。
「現場の人間の尊厳を踏みにじることもしてきたし、疑われたこともあるし、盗聴、裏切り、なんでもありだ。ただなァ、吉田は一度たりとも、泣き言は言わな
かったよ」
「!」
「たまに酒を酌み交わしても、馬鹿話ばっかりだ。それで充分なんだ。対して室井さん、あんたはどうだい?」
吉田は室井みたいに隙を作らないし、弱みも見せない。凹まないし、窮地を交わせる術を持っていた。
自分たちは、傍から見れば他人行儀で、冷めたものに見えたかもしれない。
でもそこに俺らなりの譲れないプライドがぶつかりあっていた。熱く、躍動し、奮起する、瑞々しい、戦いの時間。
今閉じていく、その残火がせめてもの、煌めかせた記憶と証だ。
「一方でなァ、こないだみたいなアンタらを見てると、引き離すのも時期じゃないかと思ってな」
室井の横顔は、青白く、自ら課した烙印と、背負うものの重さに喘いでいた。
同じ道を歩ませることが、先代の努めとは思っていない。
それでも今は未だ。時期じゃないと和久の内なる炎が告げている。
「立場の違いってのは、反発や軋轢も生むが、逆に、俯瞰視点を炙り出せるからなァ」
「それは」
背中を向けるのではなく、今度は背を預けるやり方を、彼らに用意してやれるだけの包容力がこっちにあるかどうか、か。
危険であり傷つくのは、全部青島だ。
意地を張っただけかもしれないと振り返るのは、取り返しのつかない時間が代償となる。
和久はやるせない哀愁を目尻に浮かべ、どうしたもんかと、増えた皺の分だけ、刻まれた時間に畜生と悪態を吐く。
「正しいことをしたければ偉くなれ。そこからだ」
「!」
和久のその言葉は重い意味を含んでいた。
そして、同じように気付かされた絆に抱いた想いを乗せていた。
あの事件で、室井は青島を、そして和久は吉田を、吉田は和久を、失うかもしれなかった偶然は、それぞれに強い残像を刻んでいる。
「正直、お前さんが求めるままに青島を浚うのなら、反対させてもらうよ。だが事態はそう簡単にはいかないようだ」
話を戻す意図を持った和久の言葉に、室井もまた気を引き締めたようだった。
「どうして青島なんでしょうか」
恐らくここまでの和久の証言で、室井は激しく動揺してきた筈だった。
だがこの男は本分を見失っていない。
冷徹で厳格な口ぶりは、鍛えられたキャリアの格の片鱗を持ち、屈強にアスファルトに落ちた。
「中々見上げた冷静さじゃねぇか。官僚ってのは、そうでなきゃいけねぇ」
「和久さんはどう見てらっしゃるのですか」
「本人に直接制裁を加えたい一派か。或いは、一番、崩しやすい一角を狙ったか」
真の狙いは室井を誘き出すためではないか。
それは、同じような境遇で刑事人生を生き抜いてきた、和久ならではの直感だった。
だから自分と吉田は一定の距離を保ったのだ。
キャリアとノンキャリの軋轢など今よりも根強く、危険で辛辣な事態を目の当たりにした。
官僚は役職が上がる度ボディーガードも付き、中々手が出せなくなる。
だからターゲットを変える。
そうした軛が、形式だけの所轄の捜査介入が進んだ今も尾を引き、キャリアの心にも、その残滓が溢れている。
和久には室井と青島が巻き込まれているものにも、どうすれば効果的に潰せるのかにも、自分たちの弱点にこそ、目が行き届いた。
だから最初に「室井絡みだ」と言った。
「思い当たる節の一つや二つ、あんだろう?」
「実は去年、そちらに盗聴器が仕掛けられた件、あれは私と青島を仲違いさせる狙いも含んでいたと考えています」
「去年の?ああ、あれはそういう・・」
「ですが、その犯人は分かっています。そして彼が青島をこういう形で狙うようなことをするとは思えません」
「身内を庇うかい?」
「そうではなく、キャリアにしてはわざわざ出向いて闇討ちする手段が少々無計画すぎる」
「だとしたら、去年のその流れを見ていた連中に、味を占めた人間がいそうだなァ」
「しかし、部下ともなるとメリットが」
「相手が取り巻き連中か、派閥連中だとわかりゃ、理由も何となく想像が付かないかい?」
やっぱりこの坊ちゃんは自分の置かれた環境が分かっていない。無派閥故か。
そもそも以前から室井は本庁での当たりはきつかった。
地方出身という負い目をあからさまに蔑む人間は幾らでもいた。
彼らの矛先が、変わっただけということだ。
むしろノンキャリだからこそ、手加減なく、いたぶれる。
「すると、もう一点、心当たりが。池神が公安部に私と青島のことを調べさせたとも言っていました」
「ほう?公安かい、穏やかじゃなくなってきたねぇ」
調べさせたということは、当然後ろ暗いもの、弱点や弱みを探られたということだ。
それをチラつかせ、「参事官のイス」を約束してくれる代わりに監察官だった室井に与えた条件・・・それが、徹底的な現場監察だった。
そんなところだろう。
「いいか、室井さん。これはお前さんに吹っ掛けられた喧嘩だ。今度はお前さんが青島を護るんだ。今度こそ、護り抜け・・!」
「――!」
「大切なものなら、地べた這いつくばっても護ってやれ!」
「はい・・!」
青島がこの件をどこまで知っているかは定かではなかった。
だが、それでも青島は室井を選んだ。
当時の捜査報告書には指示は室井の判断だと明記してあることだろう。
室井の覚悟、青島の信頼が、試されている。
こりゃ見物だぞ。
「室井さんよ、この一件で俺ぁ、お前さんが青島の傍にいていい人間かどうか、見定めさせてもらうよ。いいな?」
室井の目に、もう迷いはなかった。
5.Side-新城VS室井
「新城!失礼する!」
「なんですか貴方は急に!アポくらい取ってください!」
「そうだ、急用だ。話がある」
来客対応の後片付けをしていた細川が、中央のローテーブルに並んだ茶碗を片付けつつ、お辞儀する。
ノックもそこそこに入った室井が、目線で挨拶を交わすと、ツカツカと靴音を立てて新城に近寄った。
「私の個人執務室にまで来るとは、珍しいですね。帰京の挨拶もなかった男が」
「“今月帰った”。これでいいか」
細川が一触即発の二人を交互に見、背後でどうしようかとウロウロする姿に、新城は軽く片手を上げて安心させた。
「直ぐに帰る。持て成しも不要だ。そうでしょう?」
「ああ、そうだ」
新城に倣って室井も細川を見る。ほぼ同じくらいの身長の小柄な二人が揃って不快な顔をして克ち合う様子に
細川はニコリともせず、丁寧に頭を下げた。
よく訓練されているこの男は、本音を表には出さない。
「で、用件とは」
「君の記憶を辿って欲しい。去年の秋、湾岸署管内の放火未遂事件の舞台裏だ」
「・・・」
呆れた眼差しで新城が腕を組んだ。
あの空き地署に関わって飛ばされた癖に、帰ってきた途端、また“青島”だ。
この男の地球は相変わらず青島中心に回っているらしい。
「ちがう」
「どうだか」
新城の舐めた視線に不穏な解釈を感じたのか、室井は小さく呟くように否定するが、その強張った顔を新城もまた表情を崩さずじっと見る。
ややして、分が悪いと感じたのか、室井が持っていたファイルを取り出した。
「あの件の報告書だ。ここを見てくれ。捜査員一覧のところだ」
「・・それが?」
訝し気な目をしながらも、渋々報告書のコピーを受け取り、新城が室井を見、報告書を見、もう一度室井を見て、室井が指差した箇所を確認する。
恩田すみれが被疑者に感情移入しすぎて逃がすのではないかと疑惑と、その対応として湾岸署内に盗聴器を仕掛けた許可書が添付されている。
室井と青島に決定的な断裂を生じさせた、正にその経緯だ。
「まさかまだ根に持っていらっしゃるのですか?これは最終的に貴方が決断した事項ですよ。ここに貴方の署名もある」
「そのことはいい」
「では今更何を蒸し返していらっしゃるので?」
「蒸し返しているのは、どうやら我々ではないようだ」
室井が低い声で見据えると、ようやく新城の顔つきが変わった。
***
室井から説明を受けた新城は、面倒臭そうに舌打ちをした。
規律と礼儀を重んじる官僚という世界に身を置く一族で育った新城にとって、我を優先させたり、列を乱す行為が一番虫唾が走る。
組織にいるなら階級というものを自覚しなければならない。
「それで貴方は私の傘下にいる血気盛んな連中の暴走だと睨んだわけですね」
「別に君の統率力のなさを責めに来たわけじゃない」
嫌味に嫌味で返してくる男に、新城がムッとする。
飛ばされて凹んでいるかと思いきや、中々しぶといじゃないか。
ジト目を向ける。
「そもそも何も言わずに北海道へ行ってしまった男が、帰ってきた途端、所有物発言ですか」
「何故君がそれを知っている」
「見舞いに行ったので」
「見舞い?君が?」
「捜査前半までの指揮官は私でした。何か問題でも?」
「後半は私に丸投げだ」
「上からの命令でした」
「そのまま大人しく引き下がっていればいいものを」
「肝心なことを告げず労災申請だけ渡す味気ない見舞いよりは上出来だったと思います」
「味気ないと決めつけるな」
「実際何もしてないのでしょう?」
「なら君は何をしたんだ」
「私が抱き締めた時、彼、震えていましたよ」
「抱き・・っ、だっ、き、君は何をしてる!」
勝ち誇ったように新城が顎を上げれば、目の前で室井が悔しそうに奥歯を噛む。
似たような背丈だけに同じ目線でいがみ合う様子に、細川がこっそり口元を歪める。
「しかし闇討ちとはスマートじゃない」
腕を組み、トントンと指先で叩く仕草に新城の苛立ちが溢れる。
厳しい顔で半年以上前の記憶を必死に、鮮明に掘り起こした。
些細な動き、目線、位置、発言。あの時、誰がどう動いていたか。
「細川」
「はい」
「今から私が挙げる人物の動向を探れるか」
「出来るでしょう」
「まだ大袈裟にはするな。何か出たら室井さんのケータイに送ってやれ」
「了解しました」
あの日、幾つもの痛みに泣く青島を抱き締めた感触が、未だ新城の手の平に残っている。
その涙のひとつは、この男、室井の存在のせいだ。
あれ以来会ってはいないが、無事復帰したという報告は受けていた。
ようやくだったのに。
それを邪魔した人間がいる。
細川が足早に部屋を出ていくのを見届けた後、新城は室井を横目で見た。
室井もその視線に気付き、視線だけ向ける。
「何故何も言わなかったのです」
「何を言えってんだ」
「ああいう男は人知れず堪える。気付けば消えている。泣かせてまで護りたい貴方のプライドですか?そもそもそういうものが貴方にあったとは」
「その涙に付け込んだのか」
鋭い視線を絡み合わせたまま、室井と新城は睨み合った。
同僚、同胞、同族――得ているものは室井よりも遥かに何倍も多いのに、自分が酷く貧相な気がしてくる。
「肝心なことは言わなければ伝わらない。貴方はただ青島の優しさにまた救われただけだ」
「他に何を話した」
「降格処分のことも話しました」
「・・忠告、感謝する。ただこれだけは言っておく。青島を泣かせていいのは、私だけだ」
グッと睨み合ったまま、言葉を発しない新城の眼が、フッと歪んだ。
いつの間にか、男になっている室井に、一体何があったのか。
倫理に悖るのも厭わなくなっている男に感じるのは手応えだ。
悪くない。
「手放すときは私にご連絡を」
「誰が渡すか」

室井さんのウィークポイントは青島くん