シーズン企画
サイト10周年記念作品
お祝いに相応しく、当サイトの室青理念にも沿った、青島くん愛され系を目指しました。
時間軸はOD1直後。室井さんが美幌に経つまでの空白の一ヶ月。あの時実は青島くんにもう一度会っていた設定。
その後の二人の恋の歌
恋
歌 1

―1998年11月―
1.Side-真下正義
病院を後にしようとレセプションを通り過ぎた時、闇色の仕立ての良いコートを着た男性が正面入り口から入ってくるのが見えた。
声が廊下に響く向こう側で、律義に足を止めた男が振り返る。
「来れたんですね!」
眉間に皺を寄せた険しい顔で足早に靴音を鳴らしていく様子で、誰への用事かは察しがつく。その意味も。
真下は駆け寄って笑んだ。
「センパイなら今、部屋にいませんよ」
「診察か?」
「それはさっき終わって。屋上です」
「?」
人差し指を天井に向ける。
悪戯をする息子を愛おしむような、悪巧みをする親友を庇うような、仕方ないなぁの苦笑を浮かべる真下の前で、室井の黒い瞳は光さえ吸い込んでいた。
「閉じ込められている感じが嫌だって言ってましたけど」
「しょうのない奴だな・・」
だが、肩の力を抜き、思わずといった形で零した室井の小言は、途轍もなく柔らかい音で落ちる。
本当は凄く心配もしているのであろうことも、そして、やんちゃぶりを発揮出来る程に回復してきたことに安堵しているのだろうことも
肌で感じ取れた。
以前なら気付けなかったことだ。
寡黙で、険しい顔を崩さず決して内面を外に晒さない完成されたキャリア像の本音など、知る人はそう多くない。
青島が間に入ることで、まるで魔法のように室井が透けて見える。
「行ってあげてください。最後なら」
こんなことでもなければ、この上級キャリアと親しげに声を交わすなど、有り得ないくらい遠い雲の上の人だった。
「追い返された身だがな」
「僕なんかパシリですよ。手土産持ってこいだの珈琲買ってこいだの。すみれさんにはおもちゃにされてます。一番懐かれているのは室井さんなんですから」
「懐かれ・・て、いるのかあれは?」
上司に対する態度としては不釣り合いな真下の主観にも、然程、困った様子でも無く、小首を傾げた室井が呟く。
なんて顔をするんだろう、この人は。
初めて見たその顔はもう、以前の様な迷っている弱さは見えなかった。
何かを決意してしまった後の、受け容れている大人の男の表情だ。
「今だから言えちゃいますけど、先輩、必死だったんですよ、あの時。見ててこっちが痛いくらい」
あの時がどの時を指し示すのか、わざとらしく言及しなくても室井には通じるだろう。
黙りこくる室井を余所に真下は目尻に皺寄せる。
一ヶ月程前、青島と室井はこれ以上ない程の派手な言い争いをして決別した。
あの時は、この二人でも、もう駄目だと思った。
これがキャリアとノンキャリの限界なんだと思った。
それが、事件が起きればあっという間に意気投合して、シンクロする。ついでに、あんな強烈な共鳴見せられちゃって。
近くに居て、毎日顔を合わせていたって、真下には出来ない芸当で、その不思議な繋がりに、今は二人の強さを感じた。
「仲直りしたんなら時効ですよね、もう二人共やること早いんだから」
「・・・」
「あの夜、室井さんが去っていった後も、一人、まだ信じてるって言うんですもん。だから室井さんに裏切られてホント辛そうで」
「・・まあ、私の決断に怒ったんだから、そういうことなんだろうが・・」
「ちゃんと、見てないと、室井さんのためなら、火の中だって飛び込んじゃいますよ、あの人。センパイは命知らずのお茶目さんなので」
「私までその甘さに付き合って共倒れする訳にはいかない」
「そんなこと言ってェ――付き合っちゃいましたね」
「・・乗せられたんだ」
強面でそんなことを言う室井に、思わず真下は苦笑する。
険しい顔の裏に本音を潜ませ、室井は青島を人一倍大事に思っている。
先日、辞令が降りた。あの事件に纏わる正当な処分――上の判断だ。
この二人はまた、離れ離れとなる。
「室井さん、センパイのこと、ホンッと、好きなんですねぇ」
他愛なく言った真下の言葉に室井が目を剥くが、真下は頻りに感心をするのに夢中で気付かない。
「良かったです。センパイの想い無駄にはしたくなくて」
「――、失礼する」
真下が、それじゃあときっちり敬礼を示せば、室井は見届けて背を向けた。
その背中に、真下はもう一言声をかける。
「特に僕が一番室井さん、リスペクトしてるんで!そこはアピールしておきますから!センパイのこと、頼みます!」
今度は振り返りもしない高貴な背中は、しばらく見納めだ。
真下はふう~と細く長い息を吐く。
やはり、全身が緊張していたようだ。
センパイはよくこの瞳の前で平常心でいられるなぁと、場違いにもここに居ない人物をぼやきながら、真下は持っていたコートと鞄を抱え直した。
2.Side-室井慎次
白い壁の窓の外では稼働している工場の噴煙と海の細波が平日の喧騒を告げる。
給水塔へと続くなだらかなフェンスの向こうで見慣れたコートが揺れた。
30cm程の敷居に登り、袖も通さないコートを肩から無造作に羽織って、指先をフェンスに絡み付かせる。
「空~、遠い~~~、はぁあ~・・・・」
海風に揺れるふわふわとした細髪と、遠くを見る表情が、何処となく心許なさを思わせた。
そもそも、煙草でも吸っているのかと思ったらそうでもないようで、こんな所で一人、何をしているんだ?
声を掛け損ねた室井は直立不動のまま、青島の視線に釣られて視線を上げる。
澄み渡るような都会の秋の青空が天高く広がっていた。
人は、表に出ている肖像だけで判断できない。
今回のことで思い知らされただけの罪科としては、重すぎた。
何より、室井は青島の、感情を向けられた一面しか見たことがない。本当の青島を、見せて貰えたことがない。
ぶつかったつもりでいるのは、いつもこちらの方で、気付くと取り残されて先に行かれていた。
普段目にする明るく人懐っこい様相が、全部造られたものだとしたら。
思いついた仮説は、冷たい秋風のように室井の胸元の隙間を通り抜けた。
そのまま暫く見ていたが、一向にこちらの気配に気付く様子がない。
仕方なく、室井は口を開く。
「病室に戻らなくていいのか」
静かに声をかけると、勢いよく青島が振り向いた。
まるで、幽霊でも見たかのように、目を丸くして固まっている。
焦げ茶色の細い髪が広がるように揺れて、風は二人の隙間を吹き抜けた。
この目だ。この目が、いつだって室井を責めている気にさせられるのだ。
室井を奮起させ、無邪気さを装う裏側で、室井の奥深くまでを見透かしていて、言葉を奪う。
「何をそんなに驚いている」
「だって・・あんた・・」
洗い晒しの白い綿シャツの袖口からちょこんと覗く丸い指先で、スクエアの針金を握り締めているその姿は、高い青空に透け込んでいた。
「元気そうだな」
「まあね」
ゆっくりとフェンスを掴みながら身体の向きを変え、青島が腰を庇いながら室井の方へと降りてこようとする。
室井が手を差し出せば、青島は素直にその手を取った。
一歩。
そしてまた一歩。
青島の生身の体重を室井は手の平全体に感じ取る。
触れた、その熱と肉に室井は胸の軋みを感じた。
覚えのあるその重みを知らしめた、あの血塗れの夕焼け、埃臭い黄色の部屋は、まだリアルにそこにこびり付いているというのに
しっかりと委ねられる手には、暖かさと力強さがあった。
片手で青島を支え、片手で傍に立てかけてあった松葉杖を無言で差し出す。
眼だけで照れ臭そうに笑うと、それを受け取らず、青島は室井の腕に支えられたままじぃっと室井を上目遣いで見た。
不意に、悪戯小僧のように瞳の奥を光らせる男に、室井は先手を打つ。
「蹴り返すのか」
至近距離で青島の目が驚きに変わる。
「先日、和久さんと」
「マジで?あんたここに来るの二度目ってこと?」
「三度目だ」
「あ~~~、その節は~・・・」
へらっと笑って髪を掻く仕草を表情も変えずに見返してやると、青島は、はぁ、と肩を落として、今度は松葉杖を手に取った。
「タイミング悪すぎでしょ」
「不用意な発言には注意することだ」
視線を逸らし、心底、罰の悪そうな顔をするから、逆に室井の頬が少しだけ緩む。
「それで良く、のこのこまた来る気になりましたね」
「おまえ如きにやられるか、ばか」
むっと頬を膨らませ、今度は挑む様に視線を向けてくる。その真っすぐさにいとも簡単に引き寄せられる自分に室井は可笑しくなった。
くるくると表情を変えるそれは、透明な空の蒼を映し、透き通るようだ。
「こんなんでなかったらねぇ、俺だって」
「勝てるものか。返り討ちだ」
ちぇー、と大きな溜息を突きながら、室井の腕から擦り抜け、青島がフェンスに凭れかかった。
ほぅと辛そうな息を一つ落とし、改めて室井に向かった。
「んで?何の用?」
「戻るぞ」
「まだ外にいたい」
「子供みたいなことを言うな。そんな薄着では風邪をひく。退院が延びたら、自業自得だな」
「・・それは嫌かも」
本気で悔しそうな顔を見せる青島の腕を引き、室井はもう一度身体を起こさせた。
室井の誘導に従い、青島がゆっくりと起き上がる。
松葉杖を挟み、扉へと歩み始めた。
慌てて庇うように腰を支えてやると、ふわりとした綿シャツの感触の下に、幾重にも回された包帯の感触が伝わった。
だいじょーぶ。そう笑う瞳が柔らかく溶ける。
「医者は何と」
「聞いたんじゃないの」
「・・・」
「致命的な大きな血管まで達しなかったのがツイてるねだって。やっぱ俺、選ばれたヒーローなんすかね?街のみんなが俺を待っているとか」
室井の肩を借りて、ゆっくりと歩を進める青島は、切れ切れの声で話続け、それでも辛そうだ。
軽い口調で言ったところで、あの出血量と患部の位置、刃先の角度を直接見た室井には誤魔化しきれないことくらい、青島だって分かっているのだろう。
「でも筋肉切れてっから、リハビリしないとなんですって」
「よっぽど入院が嫌なんだな」
「・・わかります?」
「さっき、下で真下くんに会った」
「ま~し~た~」
チラリと横目を向けると、思ったより近くに青島の顔があった。
撚れたシャツの襟から、鎖骨までが寛げられ、覗く肌が熱っているのが目に入る。
笑っていても、無理をしているのだろう。
湿っぽい息遣いに、消毒薬と嗅ぎ慣れた海の匂いが微かに室井の鼻腔を付いた。
あの時は煙草の臭いもした。
それでも生きている。それだけが、こんなにも暖かいもので、触れるもの。室井の胸にあの事件以来初めてしっとりとしたものが満ちてきた。
心が凍えて涙さえ出なかった。あの惨劇はもう終わったのだ。
思わず縋りそうになる指先は、震えている。
「美人の看護師さんに囲まれて楽しいと言い出すかと思った」
「ん~、そこはそれでパラダイスなんですけどね~」
ゆっくり。ゆっくり。
「やっぱり、現場が恋しいです」
「そっか」
***
ベッドの上にゆっくりと座らせた。
青島の息もかなり上がっていて、汗ばんだ肌は夕暮れの薄暗くなった病室でも艶めいて見えた。
ベッドヘッドに掛けてあったタオルで額を拭ってやると、歪んだ顔に笑みを浮かべて青島が手を出してくる。
普通、階級の高い人間こういうことをにさせたら、申し訳ないような顔をするのが、大概の人間なのに
こういう青島の無邪気さが、どうも室井の中の距離感を曖昧にしてしまう。
通常で考えれば有り得ない傲慢さも、我侭も、甘えも、憎しみさえも。
「言っておきたいことがある」
「なんですか?」
急に改まった室井の雰囲気に、何やら不穏なものを感じたのか、青島の気配にも堅さが混じる。
タオルでわしゃわしゃと拭き上げた前髪が、乱れたまま額に残り、その視線に不安を混ぜた。
「君に怪我をさせた。駆け付けるのが遅くなった」
「!」
「そして、おまえ一人に、戦わせてしまった」
青島が、あの悲劇を室井のせいにする男とは思えなかったが、あの行為が室井のための犠牲だとも伝わっていた。
だからこそ室井にとっては自分のせいであるという苦しさは拭えない。
あの時、それが正しいのかと純潔な目が正していた。答えられなかった。
意地を張った。自分だって正しいと思いたかった。その結果が、このざまだ。
もっと早く何とかしていれば。
もっと、別の指示も出していたら。
もっと、室井のことなど、棚に上げてくれたら。
「本当に、すまなか・・・・っ」「それ以上言ったら、ぶん殴ります」
被せるように低く制され、室井は頭を下げた姿勢のまま止まった。
口の達者な青島も、その一言だけ口にした後は続けず、ふいっとそっぽを向く。
取り付く島を奪われたが、当然の結果だと思えた。
何度も室井を苛む記憶は、だが、青島の方こそ辛い現実だ。
室井は矛先を変えた。
「あの日、君を救急に運び、恩田くんに全てを聞いた。私を待っていてくれて、ありがとう」
「・・やめてください。俺ら、一緒に動いただけじゃないですか」
室井が一歩近づく。
口元を覆う青島の手を取り、自らの手を重ね、握り締める。
ビクリと少しだけ青島の身体に緊張が走ったのが分かる。
視線はまだ向けてくれない。
「本部に、君の声だけが、響いた。君が信じてくれたから覚悟が出来た。私を導いてくれた。感謝する」
あの逮捕の瞬間、青島が真っ先に選んでくれたのは、室井だった。
いつだって変わらず直向きに愚直に、信頼を寄せてくれていた。
「君に礼が言いたかった。言わずに言い逃げされるのかと、思った」
室井が伝えたいのは謝罪だけではない。言い尽くせない感謝と、二度と伝えられなくなるかもしれなかった喜びだ。
狂おしい喪失の恐怖と絶望を感じたあの瞬間が今も胸に痞えている。生涯許してくれなくていい。
君を失いたくない。彼を失う時、自分はもっと大きな何か大切なものを失うのだろう。
「・・あんときさ、俺必死だった。絶対応えさせてやるって思った。室井さんになら絶対届くとも、思ったんだけど・・」
青島のたどたどしい声が、ようやく聞こえた。
チラッと室井を横目で盗み見てくる。
視線を合わし、青島が拳を差し出すから、少し戸惑った後、室井もそこにこつんと拳を当て返した。
「一発かましましたね」
「・・ああ」
ただ見つめ合う。
正面から。何の言葉もなく。ただそれだけで充分だった。
あの日、確かに俺たちは同じ世界が見えていた。
「へへっ、この借りはデカイよ?」
「ああ。遺言もしかと受け取った」
途端に、青島が目を泳がせた。
「そっ、そこは忘れてくれていいんでっ」
「こっちは死んだかと思った」
「徹夜だったんですよっ」
「紛らわしい」
照れて、青島が腕で顔を半分隠してしまう。
そんな動揺している青島が、なんだか妙に幼く思えた。
暮れかけ始めた病室に、茜色が射しこみ、より陰影を濃くしたからか、焦る青島の造形が別人のように浮かびあがる。
目の前に居る青島が、年下のわんぱくな少年のように見えた。
今までよりも、ずっと近くに青島を感じる。
「まあ・・、本音ですけど」
悔しそうに白状する青島の、汗を拭いたために乱れている前髪を、室井は無意識のまま確かめるようにくしゃりと掻き回す。
柔らかい焦げ茶色の細髪は、程良く室井の手に馴染んだ。
「早く治せ」
「うん・・」
「君は本当に人をひやひやさせる・・。危なっかしくて目が離せなくなる」
目が合った。
見上げてくる瞳は透き通っていて、壮絶なほど、耽美な色だ。
「・・いなくなってしまうかと思った」
「恐かった?」
「あんなのは二度と御免だ」
「俺・・も。あんたにもっかい会えて、嬉しい、です」
「結果的に君を傷物にしてしまった責任は・・」
「変な言い方しないでくださいよ。傷はオトコの勲章です」
「・・カッコイイな」
「カッコイイですよ?」
そっと細髪から手を離すと、今度は見上げた照れ臭そうな顔が夕闇に藍色に染まり、親し気な深さに変わる。
あの時どれだけ恐かったかなんて、君には分からないだろう。
倒れた君を見て、どれだけ後悔したかなんて。
吸い込まれそうな瞳から、室井は思わず視線を外した。
俯き、瞼を落とす。
「私の所為だ・・」
苦渋に満ちた室井の声に、ゆっくりと、青島が首を横に振ってくれた。
その切ないほどの直向きな優しさに、室井は喉を締め付けられる。
許してくれなくて、良かったのに。
敵わない。どうしたって青島には、届かない。
ああそうか。こいつは、こうやって退路を塞いできたのだな。
何となく、青島の中の澄んだ深い色が見えた気がした。
「もうひとつ、恩田くんのことだ」
「・・ああ・・、そっち・・」
「あの時も、君に無茶なことを要求した。すま――」
「あ、あぁあーッッッ!!!」
奇声が室井の鼓膜を襲い、室井の言葉を被せ、慌てたようにベッドから片足で室井に飛びかかった青島が
両手をばってんにして室井の口唇を覆う――が。
杖もなくベッドから勢いよく離れたため、バランスを崩し、痛みに顔を歪め、そのまま室井の胸へと雪崩れ込んだ。
咄嗟に室井が両手でその身体を支える。
「おいッ!」
「あ・・・っっぶね!」
室井の肩で大きく息を吐き、室井に体重を預けたまま、青島が焦った声を出す。
青島の暴挙に、室井も口唇を抑えられたまま目を見開いて固まった。
暖かく大きな温もりが胸の中に飛び込んできた。
「も・・ぉ、油断も隙もねぇ!今何を言おうとしました?!」
「それはこっちの台詞だ!」
室井が片手で青島の身体を抱え直し、自分の口から覆う手を外して握る。
「どこまで無茶する気だ君は!」
「けど、ぁ、待っ、イッタァァ――・・」
「まったく子供だな」
室井に反論しようとして身体の向きを変えたことで痛みが走ったらしく、青島が完全に室井の腕に雪崩れ込んでしまう。
ほらみろ、と室井が溜息を落とした。
しっかりと抱え上げ、室井が青島の身体をそうっとベッドへ戻し、優しく座らせるが
痛みに顔を歪めながら、青島が切れ切れに息を吐き、逃がさないように室井の腕を必死に掴む。
「傷口が開いたらどうする」
「室井さんが古傷、蒸し返したの」
「無茶をするなと言ったばかりだ」
「俺も、さっき謝るなって言いました」
「・・・謝らせてもくれないのか」
違うよと首を横に振り、青島が室井に縋る。
「今になって落ち着いて考えれば、んん、あの時だって、多少は想像ついてますよ俺だって。今回のことで、確信した。あれは――」
じっと室井の反応を見極めるように、でも何処か脆さを残し、青島の眼が深まる。
返答もできずに、室井もただ青島を至近距離で見つめ返した。
「動けないあんたを誰かが利用した・・或いは動けないあんたの裏で誰かが動いた・・・。そんなとこ?」
「何故そう思う」
「カオ見りゃね」
「仕事に言い訳はしない。君にはそういうことを、したくない」
「俺も、です。でも、ひとつだけ、いいですか」
責められるのは想定内だった。覚悟をしたから此処へ訪れた室井はただ次の言葉を待つ。
「俺が、裏切ったと思った・・?俺は、何とかあんたの手柄にさせたくて、躍起だったよ」
「・・・」
「ああいう、途中で舵を変えるやり方が気に食わないとは思いません。ただ、結果的にあんたがしたことが、俺たちにとってどう見えたかは、分かってます?」
「君の視点からすると、あの時、私が君たちを踊らせたように見えたんだろう?」
急速に闇が迫る室内は、大気を蒼にも藍にも色付かせ、急かされるような、追い込まれるような、未知の窮迫感を室井に齎した。
大きな溜息と共に長い睫毛で伏せ、俯くことで更に前髪が彼の素顔を覆っていく。
見えなくなったことで、奇妙な一抹の寂しさが、室井の胸に棘を刺した。
「もうちょっと、もうちょっと待ってくれたら良かったんだ。どいつもこいつも辛抱が足らないよ・・」
「状況が許すのなら、私は最後まで君に預けるつもりだった」
「状況、ね」
皮肉めいたオウム返しに、室井は言葉を選べず、言い訳染みた言葉しか持ち得ていないことを知る。
青島の指から力が抜け、室井からそっと離れていった。
あの時恩田すみれを疑ったのは事実だ。それを隠そうとした理由を責めたのも事実だ。
心のどこかで彼らなりの言い分を理解していながら、立場上、官権に准ずる答え以外は見張られた状況下で選択肢には入らない。
「あの時、先に情報を隠したのは君だ。私は君とタッグを組んでいるくらいの気持ちだった。相方なら、全部伝えてあるのだと解釈した」
「情報は確定してから伝える。仕事の基本です」
「なら上が情報を隠すのも仕方ないことだろう。捜査は即決が命だ」
じっと哀願にも似た瞳が室井に向けられた。
「室井さん、分かってる?俺たち所轄はあんたら本店と違って、足並みを揃えることで身体張った。列を乱すことが先決のあんたらとは違うよ」
「規律を軽んじているつもりはない」
「メンツ優先のね」
「・・・」
「室井さんがすみれさんを監視しろって言った時、和久さんも言ったろ、仲間を裏切るような真似は出来ないって」
「だけど最終的には君も賛同してくれた」
「あんたのためにね。・・そうやって俺に仲間を裏切る真似をさせておきながら、状況とやらで、やっぱりあんたはあんたの身内を取るんだ」
「――!」
思わず息巻いて、それが青島によって仕組まれた誘導だったことを知る。
弁解もしてこない室井に、反論させた。
ニヤリと目だけを光らせる男に、室井は胸の内が俄かに騒めきだす。
「すみれさんの尾行。実は俺もあんとき、最初の面談であれ?って思ったから。アンタに協力することで理由を探ろうと思った」
「そんなことは気付いていた」
「仲間を売るためじゃない、俺との約束を守るためだってあんたがいうから、“俺たちの”不祥事には出来ないだろ」
「君がこちらの主眼点を巧みにすり替え、嫌疑を擁護に対立させた手法は鮮やかだった」
「あんたのその言い回し、どうにかなんないの」
今の今まで、青島が怒ったのは室井が青島を差し置き、盗聴という強硬手段に出たからだと思っていた。
しかし、根はもっと深いのだと彼の言葉が綴っている。
そもそも青島の立場では盗聴が誰の作為か、知る手段はない。盗聴という単なるツールの話ではないのだ。
青島自身のプライドなどではなく、ましてや、室井が手の平を返したことでもなく、誰が盗聴を指示したかなどどうでもいい。
あの時、室井が孤立する選択もあったのに、青島を孤立させた。
室井がキャリアだからだ。
青島は最初から室井を身内として扱っていた。そしてそれは、彼らが少しでも言い訳してくれたら室井が苦しむものだった。
「何度も君と一緒に逃避行するわけにはいかないんだ」
「言いたいのはそこじゃないよ」
青島と二人飛び出した。
管理官の権限で丸ごとバーを買い上げた無茶なんて、監察官となった立場でやったら確実にクビになる。
青島はさっき、仲間との足並みで命を賭けていると言った。
だが今回は、先に室井が 恩田すみれの件で裏切りを強いた形になってしまっているから
青島にとって室井がしたことは、仲間を切り捨てることで室井を選んだ青島を、同じ切り捨てるという形で裏切ってみせたことになる。
それでも青島は室井を優先していた。責めたように感じたのは室井の中に後ろ暗いものがあったためだ。
「俺には裏切らせておきながら、あんたは仲間を取るのかよって・・俺・・」
湾岸署の休憩室で、思わず零れた愚痴を掬い取ってくれた、あの時の瞳が、室井を焚き付けた。
彼は、不確かな状況の中でも直感を信じて動いてくれた筈だった。
室井が約束のため立場を優先することくらい、青島は承知の上だった。
これが、別件で生じたツールだったなら、青島だって理解を示してくれたのだ。
真下が言うように、青島は火の中にだって飛び込んでしまう。
裏切っても、突き放しても、青島の気持ちは室井にちゃんと向いていた。知っていたことじゃないか。
そこを疑ったわけではなかったのに。
「俺のことより・・・、庇うつもりだったすみれさんを売った形にしかしてやれなくて、すみれさん、傷つけた・・」
「・・・」
「へたくそだ・・ぜんぶ」
顔を歪める青島の顔は、見る者にまで痛みを感じさせた。
青島が責めているものが、透けて見えた。
室井の中から痛みという澱んだ涙が零れ落ちそうだった。
それを今は必死に堪える。自分が泣くなんておこがましい。
今になって室井は自分が青島にどれほどの覚悟を踏みにじり、情の欠片もないことを強いていたのかを知る。
信じたい、信じられたい。そんな単純なことが、こんなにも難しく、こんなにも口約束の拙さを浮き彫りにする。
暮れ行く宵闇が男を溶かしている。
「君たちの仲を掻き乱すことで、私が一人、身の保全を取ったように見えたか」
青島がまた僅かに痛みを乗せた顔を歪め、あの時、お互いにどうしようもないことに巻き込まれた事態を憂い、二人して口を噤んだ。
室井が所轄を売るよう仕掛けられた罠は、室井と青島に足りないものを、見せしめのように焚き付けた。
官僚と違い、所轄は孤立で戦えるフィールドではない。
恐らく、新城もそこに目を付けた、罠だった。その結果はどうだ。この命を失うだけの代償だ。
「俺らがこんなだから、巻き込まれちゃうんだよ」
責めた言い方を選ばない青島に、室井もポケットに手を突っ込み、窓に向かう。
「そうだな・・」
捜査という大義名分で、新城の仕掛けた罠に、薄々勘付いていなかった訳ではなかったが
この盲点を突かれたのだと、今更ながらに合点する。
だから青島は「巻き込まれた」と表現したのだ。
室井がゆっくりと振り返る。
影となった室井のシルエットが黒々と潜む。
夕闇に染まる青島の瞳は、今にも泣き出しそうな色に灯っていた。
その横顔に、だが室井は毅然と告げた。
「この状況で、また私は君を利用して良いか」
「また、使い捨てるってこと?」
「そうだ」
「約束のため?」
「・・そうだ」
「じゃあ俺は、何を信じればいい?」
コクリと喉仏を動かし、室井は低く太い声で告げる。
「信じれたから、今回、私に賭けたんじゃないのか」
このまま理想の共鳴をする自分たちが慣れ合うことは簡単だ。でもそれをしてしまったら、諸刃の剣になる。
自分たちが壮大な弱点を晒し、その脆弱性を突かれないためにも
戦うフィールドの違いはむしろ、好カードだ。
違う場所に立つからこそ、俺たちは引き合える。この悲劇を無駄にしてやるつもりはない。
「・・ちぇ。・・あんたもね」
青島が、まっすぐに室井を見ていた。
二人の間に潜む、目に見えぬ曖昧で不確かなものだけで、この先を渡っていけると理由もなく感じ取った。
俺は、この先の運命もキャリアも、罪も罰もコイツがいい。
もう新城如きが仕掛ける稚拙な罠にむざむざと引っ掛かってやるつもりはなかった。
室井と青島のラインがしっかりとしていないから、付けこまれるのだ。
後は、青島次第だ。
その曖昧で不透明な状況下で、どれだけ先へ進めるか。どれだけお互いが見えているか。
「賭けられるな?」
秋の夕暮れ、去っていく背中に残した、最後の賭け。
信じてくれるか、見切られるか。
青島の覚悟と、この絆に室井は賭けた。
じっと逸らさない視線はまるで、裁かれているのがこちらのようだった。
青島に相応しい人間か。自分は青島の相棒として、隣に立つ資格のある人間か。
「俺、ちょっと室井さんのこと、疑いましたよ。俺にすみれさんを裏切らせておきながら、自分は新城さんと手を組む。最初からそのつもりだったんじゃない
かって」
それでもいいの、という確認を込めた瞳を青島が向けてくる。
もう、ポーズだと、分かった。
一拍後。
青島が片手に持ったままだったタオルを、まるで白旗のように背後に投げ捨てる。
「ああっ、もう!降参・・っ!」
「――!」
「・・いいよ。利用しなよ。俺はどこまでもあんたを信じてやる」
「売られた喧嘩だ」
「うん」
ニッと口の端を持ち上げた青島に、同じく口の端を笑みで滲ませてみせる。
俺たち二人に売られた壮大な喧嘩だ。二人で買ってやる。
多くは語らなくても、もう、青島が一点の曇りも無く室井を赦していることが感じられた。
3.Side-新城賢太郎
新城がその扉を開けた時、青島が変な格好をしていた。
「何やってんだお前」
「あ」
挨拶も弁解も飛ばし、新城の口から本音が零れ出る。
スウェットのボトムスの片方に松葉杖が挿し込まれていた。
「・・まさかこんな時間に誰か来るとは思わないでしょ。ノックくらいしてくださいよ」
「貸せ」
つまり着替えたいが腰が曲げられないのか。
ベッドの柵に寄りかかる青島の括れた腰にグルグルと頑丈に撒かれた包帯の白さが蛍光灯の下でヤケに目立った。
つかつかと近付き、新城が杖の先に丸まっているダークグレイのスウェットを奪い取る。
「あ!やっと掛けたのに!なにすん」
「いいから」
「ちょ・・っ、ヤですよ、やめてくだ・・、待っ」
新城が青島の足元に膝を付く。
その姿勢に目を丸くする青島の、まず軸足に裾を入れてやる。
困った顔をしながらも、青島もやがて素直にそれに従った。
「看護師はどうした」
「着替えまでもう面倒見てくれませんよ」
「次、そっちの足」
「はあぁ、だから腰に響くんですよ・・、ああもぅ、新城さんにズボン履かせてもらうなんて、俺立ち直れないかも」
「このまま上げるぞ」
「責任とってヨメにでも貰ってくれます?」
動かせない足を手で持ち上げ、庇いながらゆっくりと委ねる青島の動作に、新城も息を合わせて手元を上げる。
「私だってお前のトランクス姿なんぞ見たくもない。早くしろ」
「はぁ~」
青島が片手を新城の肩に乗せ、足を降ろしたタイミングに、新城がスウェットを上まで引き上げる。
バランスを崩し、少しだけ新城に体重を預けた青島の身体からは、消毒液と石鹸の香りがした。
髪も少し濡れている。
備え付けのシャワー室で汗を拭った所だったのだろう。
過度に撒かれた包帯を見る限り、まだ水浴びも許可はされていない状況だと分かる。
「下着は自分で穿いたのか」
「15分かかりました」
得意気に自慢する青島に、口調とは裏腹に気遣う手付きでもう一度青島をベッドに座らせ、新しいTシャツを投げてやる。
青島がミネラルウォーターを手に取るのを目で追った。
「あ、椅子は自分で出してくださいね」
「いらん」
不躾な態度は馴染み深いもので、何故だか新城はようやくちゃんと生きた青島と対面していることを実感した。
「んで?新城さんまで来てくれるなんて想定外なんですけど。何か俺に用事?ですか?」
「他に誰が来た」
「誰だっていいでしょ」
「室井さんか」
「・・・」
「分かり易いな。そうか、あの人も来たのか」
口の中で新城が独り言のように呟く。
「先週かな。労災申請持ってきただけですよ。味気ないよね~」
きゅ、とミネラルウォーターのキャップを閉め、サイドテーブルに置きながら青島が口元を拭う。
両手を頭の後ろで組んで、壁に寄りかかった。
捜査員一名が負傷との一報を聞いた時はまだ状況が掴めなかったが、現場捜査員から逐一受けた報告は、次第に切迫したものへと変化した。
室井が自らの運転で病院へ送り届けた後は、室井とも連絡が取れなくなり
正直、最悪の事態を想定した。
今、目の前で確かに本物が動いている。
キャリア官僚に対する馴れ馴れしい口調も、今は返ってこちらの気負いを失くさせる。
「仲直りしたのか」
「仲直りって・・またコドモみたいな・・」
「秋のお前らを見た時、本庁と所轄の世界の違いをようやく見せ付けられたと感涙したもんだがな」
「あれは――!」
あの日の痛恨を思い出したのか、青島が不貞腐れて横を向く。
まざまざと罠にはまって真に受けたのは事実である以上、反論はしないだろう。
「あの時はあの時です。俺だってそんな、そっちの苦労も知らないような甘チャンじゃないですよ・・」
「事実、室井さんのやり方が気に入らないんだろ」
「というより、本店のやり方が、です」
一応何やら拘りがあるらしく、人差し指を立てて訂正を入れてくる。
その違いは新城には分からない。
「それにあれは、室井さんが尾行させたり盗聴したり、勝手し放題だったから・・」
おや?と思った。
不貞腐れたついでにぼやく青島に、新城は軽い引っ掛かりを覚える。
青島は盗聴器を仕掛けたのが、今も室井だと思っている。
ということは、室井は結局言い訳をしていないのだ。
確かに最終決定権は室井にあるように捜査報告書は作られる。新城があの日告げたとおりだ。
青島はあの秋の事件の裏側を、今も知らない。
どういうことだ?
言い訳をしないで――つまり、盗聴器の提案が室井ではないということを隠したまま、それでもこの二人は関係を修復させたのか?
陥れた室井を、青島はそれでも許したのか?
「別にさ、教えてくんないから怒ったんじゃないんですよ。俺を試したくせに、自分はここぞとばかりに、簡単に俺のこと切るから・・」
「所轄に柔軟性を与えればその分意思決定が分断する。指揮系統の乱れがお前の怪我を引き起こしたとは思わないか」
悪かったですねと口唇を尖らせる青島が、やけに幼く見えた。
しくじったとは思っているのだろう。
稚拙で浅はかなくせに、あんな力を見せつけてくる。室井をあそこまで開花させたのは、間違いなくコイツなのだ。
「貴様と室井さんの間に、一体何がある?」
一度は聞いてみたいと思っていた、でもきっと一生口にすることはないと思っていた疑問が、驚く程すんなりと新城の口を出た。
「どうしてそこまであの人に賭けられる。あの人の何が良い」
何故、青島は命すら惜しむことなく室井に賭けたのか。多分、逆なのだ。何故室井は青島に全てを委ねられたのか。
一体、そこに何を見たのだろう。
二人の見せる繋がりの異常さは、明確なファクターのみを求める新城にとって非常に理解のし難いものだった。
だが、その後見せ付けられた共鳴の強さが、それを証明している。
その作用が結実する終点は、青島を得た室井がどれだけ真の実力を手に入れたか、我々キャリアに見せ付けるものに他ならない。
新城の抽象的な問いに、少しだけ顔を強張らせた青島が、視線を伏せ、物憂げな眼差しで俯いた。
洗い晒しの前髪が垂れ、その表情は良くは見えなくなる。
長めの前髪が濡れて束になり、水滴が零れ落ちる。
思ったより色素の薄い髪だ。キャリア程身体を鍛え込んではない、布一枚羽織るだけの庶民的な存在がやけにちっぽけに映り込む。
「それはアンタも同じじゃないの?」
「――」
半分開け放たれた窓から、秋の冷たい夜風がスウッと吹き込んだ。
ゾクリとしたのは別に、言い当てられたせいじゃない。
「俺、やっと分かったんですよね。アンタが気に食わないモノ」
夜風はもう冬の匂いがして、冷たさだけを残した。
頭の後ろに両手を回し、青島がごろんと背後の壁に寄りかかった。
「アンタも大変だ」
窓を閉めに行く新城の背中に青島の声が追った。
「庁内は東大卒の派閥が多勢を占める。政治家と同じだ。幾つかの集合体が運営の基本単位になる」
「うへぇ~」
「だからといって、失脚しない訳でもない」
「室井さんは?」
「あの人は地方の無派閥だから、風当たりは並みじゃない。同期の先輩が何かと世話を焼いているが、ああいう頑なな男だからな」
「同期?」
「一倉さんといって――」
「イチクラ・・・・あれ?どこかで聞いた名前だ。誰だっけ・・・・あ!麻薬ん時のオッサンか!」
「知っているのか」
「一度湾岸署に来たことがあって。・・・ああ、そういやアレ室井さん絡みだったなぁ。そういう繋がりね~」
振り返り、新城は口の端を持ち上げた。
「残念だったな。室井さんの中ではお前は所詮、二番手だ」
「べぇっつに!室井さんが本店で一人ぼっちじゃないなら、何より、だ」
「強がるな」
むっと頬を膨らませた後、青島は無駄だと悟ったようで、横を向き、傍らの枕を膝にぱふんと抱える。
「強がらせてくださいよ、ほんっとイジワルだな・・」
その言い方が、少しだけ惰弱を滲ませ、拙く、心許なく響いていて、ようやく新城は本当の青島に触れた気がした。
新城は一歩近付き、青島の顎を捉えてこちらを向かせ、指で強く押さえ付けた。
青島が痛みに顔を顰める。
「何故室井さんだったんだ?」
「初めて会った官僚だからッ」
視線を逸らし、青島が適当な返事で新城をかわし、片手で新城の拘束を解こうとたどたどしく手を払う。
それを軽く往なし、新城は更に官僚然たる威厳で、青島を制圧した。
「それだけか?」
「それだけですよ」
「確かに室井さんは甘い人だが官僚畑で生きてきた人間だ。言っている意味が分かるか。腐っても官僚に拝する宿命を負った男だということだ」
「・・だ、から・・ッ?」
「どんなにお前達が甘い幻想を抱こうとも、こんな諍いは今後も続く。今度落とすのは地位ではなく命かもしれないぞ。・・・お前ではない、誰かの、だ」
「ッ、・・ッ、」
「その時、お前達はお互いにどちらかのせいにすることもなく、お気楽に信じ合えるのか?それでも室井さんに付いていくと言えるか?」
新城に顎を掴まれ、反るほどに持ち上げられ、息苦しそうに青島が頑是なく制圧を解こうとする。
怪我の状態では限界があり、その抵抗は弱弱しいが、その分、新城の挑発に、朗然たる瞳を返してくる。
「行く」
光を失わない飴色の輝きは艶を纏い、神秘的にすら映って、新城は口端を持ち上げた。
確かに必死にここまで慕われればあの朴訥とした男でも、可愛くて堪らなくもなるだろう。
青島が両手で新城の手を掴むので、その手首も取り上げ、拘束する。
「・・っ・・」
「これじゃ足手まといだな。説得力はない」
「・・新城さんの、鬼・・っ」
涙目になっている青島に、ようやく新城は苦笑した。
揄い甲斐のある奴だ。
本人を象る要素よりも、ただその内なる共鳴を信じる。
それは一体どれだけ強い信頼関係なんだろうか。というより、裏切ってそれでも尚、青島は信じてくれるのか。
満足気な顔をし、新城がその拘束から解放してやると、青島は捻られた手首を痛そうに摩った。
「新城さんは・・やっぱり俺なんかが室井さんの傍に居ない方がいいって、思っているんですか?」
「当然だ」
「室井さんも、かなぁ・・」
「それは分からん。あの人は趣味が悪い」
「?」
「お前が絡むと、節操がなくなる」
あまりに青島が泣きそうな顔をするので、新城は言葉少なに会話を閉じた。
きっとコイツは室井さんのためなら本当に命さえ捧げる。
「まずは怪我を治してからだ。室井さんが一番堪えている。・・口には出さないだろうが」
「あの・・一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「室井さん・・、どうしてます?」
「聞かなかったのか?」
「なーんか、話しそびれちゃって」
愛想笑いを浮かべながらも、何処かその瞳は寂寥で、普段では有り得ない距離に艶めく蒼色の艶に孤独が陰るのを見つける。
「お前が療養している間に、室井さんが失脚していたら笑えるな」
「え、そんな状況!?」
くるくると変わる表情。直向きな愛情。輝きを失わない魂。
こちらが抱く、不透明な気持ちも、言葉では言い難い気持ちも、勘良く察し、理解してくれる。
誰とも分かち合えないことを、察して味方をしてくれる心地良さ。力強さ。
成程、この従順性は確かにクセになる。
傍に置いて置きたくなる気持ちも、分からなくはない。
特に、あの、口下手な先輩には、堪えるだろう。
青島には言葉を濁したが、室井がもう青島を手放そうとするとは思えなかった。
あるとするなら、それは――
「行ってしまったぞ。いいのか」
「え・・?」
「誰からも聞かされていないのか。彼はあの事件で命令を無視したことにより、減俸処分、降格処分、そして左遷の命を受けた」
「うそでしょ!?だってこの間、そんなこと一言も!」
「おまえには言えなかったんだろうな」
「なんで!」
呆然とした青島の口唇が、辛うじて、どこに、と吐息を残す。
「北海道だ」
「・・勝手にそんな処分、受けて、俺、置いて・・」
「怪我をさせた上に、おまえに引き留められたら惨めだろう。彼なりのプライドがあったんじゃないか?あの決断に」
「そうだとしても酷いよ。俺には背負わせてくれないの」
「ノンキャリが何らかの責任を取れると思っているのなら、大間違いだ」
掴みかかる体力も気力もなく、青島はその場に力尽きたように項垂れた。
その様子に、流石に新城も言い過ぎたかと、青島の前に立つ。
仁王立ちする新城に、だが青島はもう視線もくれない。
「室井さんのケジメに口出す必要はない。こっちは別れの挨拶一つないってことに驚いただけだ」
「・・なぁんにも言ってくれませんでした・・」
「おまえじゃ頼りないって思ったんじゃないのか」
しまった。トドメをさしてしまったみたいだ。
あからさまに顔を歪ませ、横を向いてしまった青島に、新城も口の中で悪態を吐いた。
「さぞ、いい気味だと思ってるでしょ」
「だからお前は阿呆なんだ。官僚は異動など日常茶飯事だ。異動により出世コースに乗っていく。後は室井さん次第ということだ。それを本人だって分かっているだろう」
「・・でも・・」
「ああったく、もう!」
新城が徐に手を伸ばし、青島の頭を乱暴に引き寄せる。
息を呑む青島の肩に片手を回し、少しだけ力を込めて抱き寄せた。
「・・ぅえっ?・・しんじょ、さ・・?」
「私だってお前が生きていて良かったと思う位の情はある」
何故か青島が、このまま消えてしまいそうな気がした。
室井が責任を痛切に感じている痛々しさは、生半可な愛情ではないことを見る者に伝えてしまった。
なのにあの先輩は肝心なことは何も伝えないで、青島の優しさに胡坐を掻いて、また、行ってしまった。
何をやっているんだ!
「・・もう会えないの・・」
新城の抱擁に崩壊したかのように、青島の切羽詰まった声に新城は悪態を落とした。
失ったくらいで、ここまで脆くなる男に、新城の腕は必然と強まる。
「そんなに会いたいか」
「・・あのひとに――置いていかれたくない・・」
大丈夫だとも、安心させる言葉も、新城の口からは軽々しく出ては来なかった。
厳しい顔をし、双眼を強め、息を殺す。
そんな顔をするくせに、追いかけない。優しすぎる男の、初めて見る弱さに、引き摺られる。
「お前をここに運んだ後のことも、聞いてないのか」
「・・俺、寝ちゃって・・」
「あんな形相の室井さんを見たら無理もない。お前の意識が戻るまでは気が気じゃなかったようだ」
「ほんと・・」
「受け入れられない相手を想う態度ではなかった」
「・・・」
こンの強がりが!
何でも悟ったような顔をして、一丁前に大人ぶりやがって!
「欲しいなら、そう言えばよかったんだ」
「言えないよ・・」
ノンキャリの分際では、まあ、そうだろうと思いつつ、震えている肉体に新城の胸が軋む。
「ずっと憧れてた。傍にいられたこと、幸せ過ぎて、緊張しすぎて、距離感わかんない・・」
それは、どこか自分のことを言い当てられたような気がした。
自らの身体を賭してまで室井を護ろうとした青島の一途な忠誠心は
痛々しいまでの結末となって目の前に横たわり、その直向きさの危険性を実感させるとともに、そこまでの想いが愛憎にも似る。
「多分お前はまだ分かっていない。我々の住む階級社会で生き残るということの本当の意味を」
労うような、慰めるような、新城の不器用な物言いが伝わったのか、こんな荒療治でも青島が新城の肩口で柔らかさを含んだ微かな吐息を洩らしたことを感じ取る。
少し、ホッとさせられたのは、こちらの方だ。
「それから――、あんまり室井さん室井さん言うな。何か腹が立つ」
ぱふんと、青島が新城の肩に額を押し付けた。
「ゴシンパイ、お掛け・・・しまシタ・・・」
「この先、少しでもキャリアと付き合うつもりなら、普段からもう少し気を引き締めろ。簡単に他人に感情を読み取らせるな」
ヒエラルキーは何も、所轄と本庁の間だけにあるものではない。
本庁とその上の円卓ともまた、階級が存在する。
あの時、こちら側の捜査決定権がもう少し強ければ。
確かにその懸念は、新城とて、抱かざるを得なかった。
「今更だが、後遺症とか残らないんだろうな?」
「ほんと今更」
柔らかく体温の高い肉の感触が新城の手の平に伝わって、新城は気付かれないように口端を持ち上げた。

秋SPでぶつかり合い、公共電波使ってあれだけ健気に叫ばれて、仲直り出来たと思った直後に青島くん負傷。
その一ヶ月後に美幌行っちゃうとか、もう何度萌えたかなのシチュエーション。
その上で、僅か半年後、夏に帰ってくるんですよね室井さん、たまんねぇ。
これがファンの妄想ではなく、公式設定っていうところが踊るの真の怖さだと思う。
踊るファンとしては絶対に押さえておきたい節目の出来事。
後発も甚だしく多くの往年の二次作家さんと似たようなお話ではありますが、私の冷めきらぬ踊る愛を詰め込みました。
BGMはOfficial髭男dism「I LOVE...」
まだまだ日常が取り戻せない方も大勢いらっしゃると思いますが、少しでも前向きに、ちょっとずつ元気になってくれたらとの想いを込めて贈ります。
いざREスタート!