シー ズン企画
クリスマスストーリー2021 Ⅳ









ラストダンス
line
3.
ウィルトン織機で丹念に織り上げられたロココ様式のペルシャ絨毯が延々と続く。
毛足の長いラグは、追手が来ないことを確認しながら擦り抜ける二人の足音まで、吸収させた。
節立つ五指でしっかりと握られた室井の手は力強く、温かく、不意に崩れそうにさせる優しさに溢れている。

「よくやった」

館のひと気ない端まで来て、ようやくゆっくりと引いてた手をそのまま、室井が足を止めた。
目を見れば、何を語らずとも、室井が満足していることは感じ取れた。

「ご満足いただけましたか?」

しっとりと見つめ合う辺りには誰もいない。
吹き抜けの階下には、閉幕を告げるクリスマスソングが演奏され、退席していく訪問客の騒めきが微かに冷気に混じった。
出窓に打ち付ける雨雫が銀色に霞む。
先に戻ってしまった室井と青島を追って、新城と沖田がホールを後にする声も通ってくる。

「あんたも。かっこよかったです」
「どんなふうに?」
「紳士だったよ。・・ずっと」

細身ながら堂々とした体躯に気品を供え、誰もが羨む立場に昇官した姿は
届いてはいけない想いに見つめる青島の前では、今となっては深甚だった。
見慣れぬ燕尾服に身を包んでいる姿は、幸せと夢の裏側で悲しみが渦巻くものだ。
これを着て社交の場に出ることを許される一部の人間は、限られた枷と引き換えに、望む未来がもうその手に溢れてくる。

「見てたのか?」
「・・・見てたよ」
ずっとね。

青島が小首を傾げ、泣きそうに笑う顔に、室井の秘めた指先が僅か力が加わる。

「あんたも。妬いてくれていいんですよ」
「ヤキモチか」
「婚約者だから。まだ」

青島の憎まれ口に、室井が珍しく微苦笑を洩らした。
多情に濡れた漆黒を惜しげもなく晒すその麗姿に、青島の胸が詰まる。

階下のホールからは零れるクリスマスソングが、俄かな幻想の世界を、今だ今だと囃し立てる。
酔い痴れて、魔法が溶けるその瞬間まで、幻惑だと承知で、命賭けで恋をする。
誰もが浮足立つ今宵だけは、幻が空から降ってくる。

震える手を止めたくて、青島は笑みに託して、室井を見つめた。

「最後くらい・・ちゃんとしたくて」
「君じゃなきゃ、ここまでこれなかった」

室井は、笑わなかった。
心の襞は見せないくせに、その目でしっかりと青島を捉えてくる。

室井の役に立てるのはうれしい。でもほんの少しの蟠りが、こんな結末になる運命を呪っている。
俺は、このひとにとって何になれるんだろう。
立場が同じだったら、隣に立つことを許されて、惨めな思いもしないで済んだのかな。
それを望んでいた筈なのに、二人で歩いてきた道は、今それぞれに彩り始める。

「室井さん・・・俺、俺は・・・」
好きです。大好きです。貴方がすごく、好きなんです。

――言って、どうなる。
言いたかった、でも喉で止まる想いが渦を巻き、牙をむいて青島の身体の中で淀んでいく。
何も変わらないのだ。変わらなかった。
言ったところで、これまでも、これからも。

もう一度視線を上げれば、まだ室井は青島を見つめていた。
どこかいつもより生々しい室井の視線に晒され、それでも何とか飲み込んだ熱は喉を焼く。
ふるふると、なんでもないよと青島が首を振る。

「・・そっか」

口から出た言葉はそれだけで、後は震える呼吸しか出てこない。

「今夜の君は――」
 
同じことを考えていたわけではないだろうが、見透かしたような室井の言葉が続き、青島の顔が少し歪んだ。
奥底に沈めても、ひとつしかない答えはすぐに取り出せる。
今度こそ、心臓がぎゅっと掴まれたようだった。

「男を妬かすくらいには、完璧だった。危うく目的を忘れる。今夜の君を見て、思った。もし今宵が君との出逢いだったら」

言いかけ、口を止めた室井に、青島は息を止める。

もし、今夜が二人の出逢いだったら。
煌めくシャンデリアの元、人々のさざめきと典雅な管弦楽が流れ、そこで二人が初めて出会ったのなら。
殺害現場の殺伐とした埃立つの中で、初めて室井を見たあの官僚然とした気品が青島の中に蘇る。
今、室井は燕尾服を着ている。白のチーフは青島が同居のお礼に贈ったものだ。
胸に秘めた純潔のようにインパクトを与え、今も変わらない。
前に立つ青島は清雅なタキシードに身を包み、その艶のある身形をより麗しく象る。

見なかったはずの光景はクリスマスの幻想となって二人を甘美な余韻に包む。
室井と青島が互いの手を引き寄せ合おうとして――

「あーあー。もうそこ!二人で世界を作らないでくださいな!」

苦笑した沖田の声が華やいだ。
ハッとした室井と青島が同時に繋いだままだった手をパッと離す。

「青島さんも、とても所作がお綺麗になられて。元が良いから見映えもあって、本当に貴族のようでしたわ」
「・・・沖田さんという華があったのに」
「あらまあ、ありがとう」
「エスコートしましょうか?」
「今の青島さんにならお願いしたいわ」
「スパルタだったんですよ」

ここ一カ月の特訓を振り返り、青島の頬が懐かしそうに綻んだ。
何とか平静を戻し、何気ないふりでその場をやり過ごす。黴のように染み付いた生き様だ。
這い蹲る意地は、愛想笑いで骨の髄まで叩き込まれ、朽ちた記憶の片隅にある。

「ダンスなんて、ほんと社交界ってかんじでした」
「そう?」
「今どきやんの?って感じだし、バブル後でこれかよ?って思うし、俺らの世代からすればジュリアナだし」

青島の言葉に笑みを添える沖田の横で、室井がまるで講義の続きのように淡々と演説する。

「男女が抱き合って踊るスタイルが淫らがましいだとか、下層階級の踊りとみなされた時代もあった」
「詳しいですね・・」
「ワルツが宮廷でも踊られるようになったのは19世紀、ウィーン会議以降の筈だ」
「・・・」

そんなことをわざわざ理屈っぽく説明しちゃうところが、室井である。この煌びやかな舞台の前で。
ほんと、情緒も欠片もない男だ。
なのに、はんぱなく、かっこいい。

「青島さんは適任でしたね。みなさん罠にかけられたことに気付き難かったのではないかしら」
「騙されてくれましたかね?」
「私たちの目的は達したわ」

沖田が大きく首を縦に振る。室井の目を見れば、室井も大きく頷いた。
青島が力を抜くような息を零す。

今夜の青島に求められていることは、それだけ。それだけだ。
室井は所轄への飛び火を護ってくれたのだ。
命がけで告発した誰かへの忠義も立て、警視庁を救ったのだ。
それが表には出ない独り善がりの手際だったとしても、青島の中では真実だ。
沖田が優しく目を細める姿を前に、クリスマスソングが囃し立て、忙しなかったひと月の大芝居を追想させた。

「室井さん、早くしてください」

クロークに寄り身支度をしていた新城が急かしてきた。
ここに長居は禁物だ。せっかく仕掛けた魔法が解けては意味がない。

「そうだったな・・青島」
「はい」

背筋を伸ばし、青島は室井をじっと見る。
一度、体温が下がった気がした。

「これで仕事納めとなる。今までご苦労だった。詳しい事務手続きは沖田くんから。荷物は改めてまとめる時間を作れ」
「合鍵も」
「それは、処分してくれていい」
「え?」
「一時期とは言え、外部に出してコピーを作らせた。官舎の複製は禁じられている。近日中に工事を頼むことになっている」

これは、魔法の鍵だった。
あの場所へ忍び込める、免罪符だった。

そっか。俺の魔法が解けるんだ。

「楽しかったです」
「私もだ。感謝する」

たった一か月。
貴方の伴侶になれて、俺は倖せだった。

そんな二人が煌びやかな場で出逢い、夢を語り、友情を育み、共鳴した先に、魅かれあって、そして。
それは一体どんな未来だったのか、有りもしない幻想に嫉妬する。
なかった筈の幻想が魔法となって、ひと月の夢を青島に見せた。
共に戦った血濡れた時間こそが、青島にとっての現実だ。冷酷で、無慈悲で、でも鬱勃としてて。
このひとのそんなところを、数多く見てきている。
きっと、一番近くで。

「俺、一人で帰ります」

踵を返し、青島はその場から走り出した。
突然のことに、室井が驚いたように目を見開く。
だが眉間に皺を寄せるだけで、遠ざかる背中を、ただ見送る。

「いいんですか、室井さん」

あれは何か誤解してますよ。
ジト目で新城が促す言葉に、室井はもう一度目を見開く。
青島の背中と新城を交互に見て、奥歯を噛み締め、それから室井も駆け出した。












4.
館を抜け出し、青島が外階段へ向かう。
開放フロアから繋がる白木のデッキはライトアップされ、イルミネーションが無機質に点滅していた。
赤や青、黄色の人工灯がぼんやりと浮かぶ、その先に闇に浮かぶ大階段が見えてくる。
外は雨が雪に変わり始めていた。

「待ってくれ!」

早くこの場から逃げ出したい一心で、青島は振り返らなかった。
シャーベットのように溶けかかる雪のせいで、足が何度も縺れる。
テラスに手を掛け、階段の踊り場まで、青島はもう一気に飛び降りた。
その鮮烈ながら香気な勢いに室井が息を呑む前で、濡れた雪が、小さな破片をキラキラと掬い上げ、青島の優雅な着地を吹き上げる。

「青島、待ってくれ!この天気だ、送っていくから・・!」

階段の踊り場から振り仰ぎ、その姿を認め、青島が声高に叫ぶ。

「俺の刑事人生、ぜんぶ、あんたのものだ・・!」

まっさらだった俺の操を捧げたんだ。

「そんなの、こっちもだ!」

室井も負けじとテラスから叫び返す。
お互いの吐く息が白く霞んでいく。

テラスに片手を乗せ、雪灯りを浴びてこちらを見下ろしている室井の姿がモノクロの世界で揺れる。
ライトアップされた館の外壁は黄金に飾られ、雪舞う庭園を埋め尽くす樹木にもクリスマスに供えた青や白のイルミネーション。
微かに屋敷から漏れるジングルベル。
どれもが銀色の雪に埋もれていく。
黒と白の、純白の世界は、穢れすらここでは無力だ。

室井がブレないことは、分かっていた。
俺に何かを言うわけがないことも、知っていた。
こうしてこの男は、辛い過去も、冷たい記憶も、淀んだ道も、みんな一人で抱えて、この先も生きていくんだろう。
敵わない。
強くて、気高くて、美しい。
俺には、決して、届かない人だった。

「もう会わないようにする」
「勝手に決めるな・・!」

間も惜しむように、室井が階段に小走りに回った。
降りてくる男の姿の、どこかの既視感に、青島の目が眩しそうに見上げる。
ああ、そうだ。この角度って――あの約束をした階段だ。

室井は、あのときの約束を叶えてくれたのだ。
契約は一カ月だったけど、出会ってからずっと、貰ってばかりだった。
願い事が消える夜、俺たちの魔法は解ける。
行き場のない想いは、みんな雪に溶けていく。
彼の願いごとも、叶ったんだ。

「すっげー楽しかった・・!」

青島がまばたきをすると、その姿も泡沫のように闇雪に溶けていった。

「でも、もう、ぜんぶ、いらない・・!」

険しい顔を見せ、室井が手摺に片手を乗せ、風儀な仕草で階段を小走りに降りてくる。
青島は背を向けて、階段を降りだした。
だが、中段あたりで追いつかれ、二の腕を引かれる。
吐いた息が白く霞む。
振り払い、腕を捻って。
背中から引き寄せられ、伸びてきた手を振り払う。
払った手を掴まれた。
青島の足がたたらを踏んで。
掌を握るように、押さえ込まれて。

荒い息が重なり、そのまま乱暴に掻き抱かれた。
少し背の低い室井の胸板に荒々しく抱き込まれる。

「泣かないでくれ、青島」

言われて初めて自分が泣いていることに気が付いた。
無防備に抱かれながら、青島の視界に銀の雪が舞う。

「あんたが・・大切だよ、大切だったんだ・・」

抗うことを忘れた青島に、室井は後頭部を鷲掴み、仰向かせると、そのまま口唇を押し当てた。

辺り一面銀色に染まる世界で、行き場のない想いが結晶となって雪に消える。
寸暇遅れ、青島も自ら口唇を押し当てた。
凍えた世界で、そこだけが灼けるように熱く、すぐに溶け、消えていく。

室井の腕が青島の腰に回され、力強く引き寄せられた。
体勢の不利を補うように、青島の両手が室井の首に回される。

室井との共謀に心ときめかせた記憶は彼方にも遠い。
どうしてあれ程までに熱心になれたのか。
本当の苦しみを知ってしまった今となっては不思議でならない。だが、知ったものこそ、真の愉しみと呼ぶものだったのかもしれない。

伝えたい想いが、雪に消えていく。
伝えたかった想いが、雪に消されていく。

後頭部を強く押さえ付けられ、室井が何度も角度を変える忙しなさに、必死に口唇を擦り合わせた。
青島の髪に五指を差し入れた室井が、幾度も梳いて絡め、耳朶を覆い、頬を包む。
灼けるほど熱を孕むのに、それは受ける傍から消えていく。

「・・っ・・」

もどかしくて、こわくて、青島は誘われるままに口唇を薄っすらと開けた。
そこに室井が躊躇いもなく舌を押し入れる。
口の中いっぱいに室井が埋め込まれ、青島が切なげに眉を寄せる。瞳を閉じ、顎を上げ、より深くまでを貪る動きに、身体が震える。
擦り切れるような息が青島の口端から断続的に漏れた。

室井の撫でつけられた短髪を愛し気に掻き混ぜ、掴み、縋って、甘い滴に青島は何度も舌を絡ませ、ただ強請った。
その要求に、室井は着実に応えてくれた。
キスだけで腰も砕け、力無く喘ぐ青島の吐息が、無尽に舞う雪に掻き消されていく。

「・・ろぃ、さん・・っ」

ジングルベルの鐘の音に、銀色の世界が色を消していく。

届かない想いを込めるように、ただ、強く願った。
祈る言葉も失くして、肉が伝える切なさに打ちひしがれるまま、酔い痴れる余裕も失くして
無情に奪われていく体温も呼吸も、それを伝えるには頼りなく、あまりに儚く、銀色の世界に紛れ、また消える。

「・・ぃ、さ・・ッ、・・ッ」

ぎゅっと青島の指先が室井の背中を掴んだ。
密着した身体は熱く、激しくはないが苛烈なキスは、二人を白銀の彼方へと消していく。
叩きつけるスコールのように風が舞い、雪が布を濡らし、木々を銀色に鳴かす音が二人の焦燥を一層掻き立てた。
口付けの合間に呼ぶ名も、荒い息も、雪の音に閉ざされる。
どんどん奪われていく体温と、終焉を予期しながらそれでも明け渡す口唇も、閉じた瞳に遮るものはなく、雪が無情に覆い尽くす。
忙しなく乱れた呼吸も忘れ、交わし合った。
悴む手も足も、心も痛みも、雪は何者も拒まなかった。

倖せが粉々になった先に銀色の雪が舞う。
ダイアモンドのような雪が、きらきら、きらきら、薄蒼に瞬きしていた。

ゆっくりと口唇を離され、室井が青島の頬に手を宛がった。
少し涙に滲んでいた目を軽く見開けば、青島の濡れた頬を擦り、室井の手が青島の顔を持ち上げる。
室井の髪も崩れ、濡れて黒々と光っていた。
額を押し付けるようにして室井が熱い息を零し、堪え入るように何度も押し殺した。

そっと、青島が室井の胸を押した。

「ばいばい」


煌びやかな魔法使い達の社交界が、幕を降ろす。


*:*:*:*:*:*


「これで良かったんでしょうか」
「浪漫主義の上司と写実主義の彼に運命論を解いてみますか」
「・・・」
「青島は、まっすぐにしか愛せない」

そういう男だと、新城が呟く声は風に消えた。
沖田を振り返る。

「我々の目的を見誤るな。・・なに、青島だって室井さんを見限ることまでは、出来やしない」
「新城さんはご心配ではない?」
「17年だ。出会って17年その内を隠し続けた。それはつまり、青島は墓場まで持って行こうとしていたんじゃないのか」

それを、室井も知っていたんじゃないだろうか。
青島は室井に最後まで付き合うつもりだった。
だから、青島も室井も、現状維持を望んだのだ。

「暴くことも出来ただろう。でも17年は、長い」
「でも」
「それは護ろうとしてくれたんじゃないか?」

そもそも法螺を吹聴する人間は、往々にしてキチガイだと思われる。そこにデマも必ず付きまわる。そのうえ昔気質で堅物だ。
付いて来いとは言えない男の性に募るは、同情じゃなくて憐みだ。
長すぎたのだ。

「青島もよく17年、付き合えたなと思いますよ」
「これからどうなるんでしょう」
「あれは、青島に捨てられさえしなきゃ生きていける男ですよ」

青島が護りたがっているものを、室井が捨てきれないからこそ、室井は間違えない。

「私が言っているのは青島さんのほうですよ」

パタンと扉が閉ざされ、館には誰もいなくなる。


この日を境に、公的な場から青島の姿は消える。
社交界にも、協議の場にも、交渉の場にさえ、青島を見ることはなくなった。
クリスマスの夜を境に消えた男のことを、誰もが噂し、誰もが探したが、警察庁にその名はなく、改革審議委員会という組織も解体され
今は記録に残るだけとなり、その足跡を追うことも出来なくなっていた。














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