シー ズン企画
クリスマスストーリー2021 Ⅲ









12月13日
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3.
青島が合鍵を使って忍び込んだ時には既に深夜0時を回っていた。
その物音に奥で襖を開ける音がする。

「酔っているのか」
「酔ってますよ~そこそこにわね」
「珍しいな」

そうですかね?
きょとんと青島が出迎えた室井を見上げる。
元営業マンの経験から、酒に然程強いわけはなくても、飲み方は弁えている。
尤も酒の強さなど室井と比較しての話なので、平均的なサラリーマンの分量はクリアしていると思う。

「だめだった?」
「君の判断を信用していないわけじゃない」
「あがらせてくれません?」

誰かいるの?というニュアンスで室井を探る。
暫し、黒い瞳が闇を吸い取ったが、室井は黙ったままゆっくりと身体を開いた。
どうも、と頭を下げて青島が誘いに乗る。

署の忘年会という口実で、今日は久しぶりに別行動だった。
“俺がべったりじゃ女も連れ込めないでしょ”なんて軽口叩いて、茶化して、誤魔化して
キャリアの巣窟から抜け出した。
契約期間じゃ体裁気にしてそんなことするはずがないことも、分かっていた上での口上だ。

「先に休んでくれてて良かったのに」
「調べものをしていた」

リビングのテーブルにはノートパソコンが開かれ、辺りにはプリントアウトしたものが積み上がる。
横に置かれた老眼鏡。急須と玉露。
調べものというのは本当だろうが、多分、青島が帰ってこないから、待っていたのだと思う。

「次の戦略?」

少しほっとした様子で、室井がレポートを一枚見せてくれる。
風呂上がりの湯の匂いが、動きに伴って青島にも感じ取れた。
すれ違いざまに資料を引き抜く。

ラフに髪櫛を入れただけの跳ねた短髪。素肌に直接羽織った紺地のパジャマ。前ははだけて胸板なんか半分晒してる。
腰骨まで分かりそうなピッタリとしたハーフパンツ。
相変わらず、衝撃的な格好だ。
高雅で、どちらかというと神経質そうな室井が、家ではこんなだったなんてどんな冗談だよ。
寒くないのって初っ端に聞いたら、東京の冬はぬくいと答えてきた。
黒髪が額に落ちてノコギリみたいに尖る様子は、雄健でもある。

レポートに目を通しながら、青島はソファに寝転んだ。
高く持ち上げた足を宙で組む。
今日は、酷く疲れた一日だった。

「青島、寝るならベッドへ」
「風呂、行きたいし」

ふわあと大きな欠伸をして、少しだけ瞼が落ちる顔に、室井の足がガスコンロへと向かった。
膝小僧なんか見えちゃってるし。

「梅こぶ茶、淹れてやる。それと、スーツに皺は付けるな」
「ふわぁい・・」

憧れてきた男にここまでされて、嬉しくないわけがない。
室井と共に戦うことに、躍動しないわけがない。
だからこそ事務的な手で室井が自分に構うことは、どこか今までの二人延長上にはなくて
冷めたパスタみたいな冒険は、いつも通りの日常を失意に変える。

夢詠むシーソーゲームは、いつしか比重を変えていた。その間、俺は、何をした?

ぱたりと青島の腕が床に落ちた。
レポート紙がするりと床を流れていく様子がぼやけた視界にノイズ掛かって見える。
最近見慣れてきたこの部屋の天井は、木目の位置まで覚えてきた。
テーブルと床の僅かな隙間から、何故かなまはげがこちらを睨む。

「・・・」

湯が沸く音がする。
ここでは室井の命令は絶対だ。
青島はのろのろと重たい腕を持ち上げてジャケットを脱ぎ始めた。

俺たちはセットだった。
だけど何もかもが一緒なわけじゃない。

「あぁもぉ!」


*:*:*:*:*:*


「帰るなら帰ると連絡くれれば、迎えに行ったし、準備もした」

シャワーを浴びてさっぱりとした身体をベッドに投げ出している青島に、室井が隣の部屋から声をかける。
小言に続き、暖房が消える音、消灯、ややして室井が寝室に入ってくるのが気配で分かった。

「寝たのか?」

近づいてきて、ベッドで斜めに横たわっている青島の隣にそっと腰を下ろす室井の重みで、グンと羽毛が沈み込んだ。
狭すぎる公共住宅の中で、セミダブルの大きすぎるベッドは、誰かを連れ込んだ過去を嫌でも想像させた。

「起きてる」

ブランケットをかけようと伸ばしてきた室井の手を、青島は構わずくいっと引いた。
軽く傾いた室井が咄嗟に青島の脇に片手を付く。
至近距離でそのまま視線が絡み合った。
天然竹の間接照明が梔子色にベッドサイドを照らす下は、仄暗い夜気の中で瞳だけをやけに艶めかせ
覆い被さる態勢によって室井の硬い前髪が額にも影を作り上げる。

ただじぃっと見上げれば、室井もじっと見下ろしていた。

その手を取って、引き寄せて、匂いに包まれて、だけど、その目は冷めたまま。
動かないくせに深閑な瞳は、無警戒にも無関心にも見えた。
単にここに在ることが無条件で赦されるような。

「新婚なのに、室井さん、ちっとも襲わないね」
「それでハメたつもりか?」
「夫婦設定は倦怠期ってこと」
「・・・男をその気にさせる誘い文句を上手に言えたらな」
「あんたの前じゃ純情なんですぅ」

あっさりと手を解き、青島はこげ茶のブランケットに丸まった。
日向の匂いがする。

「このベッド、俺で何人め?」

それは、酒に酔っていたからこそ口に出来た言葉だった。
言ってしまってから、少し踏み込んだ自分の言葉に、青島の指先がぎゅっとブランケットを握る。
しばらくの沈黙を背負い、室井が青島の背中をポンポンと押してくる。
答える気がないのは明白だった。

「もういい。・・・ねむい」
「人のベッドで、勝手なことを言うな」

浅い溜息は最早どちらのものかも不明瞭だ。
それでも青島が動かないで耽っていると、もぞもぞと室井が潜り込んでくる。
大体何で羽毛布団まで一緒なんだ。

周りは好き勝手に邪推する。
腐れ縁。
あの二人はセット。
室井警視監のお気に入り――。

「・・ねぇ、こうしてるのもエッチィのにはいるけど、ほんとは、ヤだった?」
「いいからもう寝ろ」
「答えてよ」
「うるさい」
「――」

そやって。あくまでシラを切りとおすその保護者目線が気に入らないんだよ。

一拍の静寂の後、青島の踵が室井のふくらはぎにガツンとヒットした。
狭いとも、入るなとも、何とでも取れる無言の抵抗だ。
室井からの動きはない。
ぷくっと頬を膨らませ、ゲシゲシと青島が室井の足を乱暴に蹴飛ばせば、室井は面倒くさそうに背中を向けた。
それでもガンガンと蹴り続けていると、目を閉じた室井の眉間に皺が増えていく。
青島からは見えない。
室井の尻が青島の腰を退かす。
青島の両足が室井の背中を押し出す。
ついに室井が寝返りを打ち、青島を腕から包んだ。

「ふふっ」

反動で足を曲げベッドの外に追い出そうとする青島を、室井が抑え込むように節張った足を上げてくる。
荒い息が交錯する中、子供みたいにムキになってくる室井が可笑しくて、青島の口から笑みが零れ落ちる。
蹴り合う素足が絡み合い、糊の効いたシーツが嵩む。
構ってくれることが嬉しくなって、青島の攻撃は止まらない。

ドッタンバッタン、深夜のベッドが軋んで、羽毛が飛んで、枕が飛んで、本格的に入った二つの息遣いが闇に紛れた。
ベッドサイドで踏みとどまり、室井が青島を腕を取ろうとする。
肩を交わして、脇腹を捕られ、膝蹴りが入って、手首を引かれる。
影が紫紺の窓に浮かんで、一つになる。

「シてほしいのか?悪ガキが」

技巧の差で僅かに勝った室井が青島の腕を取り上げ、シーツに絡めると、そのまま両足で青島を縫い留めていた。
荒い息を交じり合わせながら、お互いを見つめ合う。
四肢を奪われながら無抵抗に室井を見上げる青島の胸が荒く上下した。

じっと暗闇で絡む視線は、互いに熱が潜む息遣いだけを乗せ、二人の肌を火照らせていた。
すっかりと着崩れ寝乱れた青島の姿に、行灯が揺れる。
濡れっぱなしの髪が逆立ち、あどけない様子が、火照る肌の婀娜を引き立てる。
濡れた朱い口唇が熱を忙しなく吐き出す様子に、室井の視線が突き刺さっていた。

元々着てないようだった室井のパジャマの肩も外れ、逞しい胸板を見せ付けながら、室井も動かない。
圧し掛かる男の気配に、匂いに、体温に、交じらぬ空間はもどかしくさえあり
それほど不自然で強烈な錯覚が、ただそれだけで恐怖に近い脅えを、そこに確かに存在させていた。
心の奥底まで覗き込むようなその闇色の瞳には狂気のない虹彩が澱み、青島をがんじがらめにしてくる。

「・・ごめん、やっぱ、なし」
「怖じ気づいたか。それとも男が恐くなったか」

その台詞は、詰まる所、始まりの夜の告白を室井が覚えていると青島に確信させるに十分な効力を持っていた。
重みのある嘆息とともに首を横に反らしたせいで、青島の細長い首筋が夜気に浮き上がる。

「ちがうもん、自分の立場を思い出したの」
「我に返ったと」
「酒が抜けたんだよ」

しっかり覚えてんじゃんか。ま、こんな頭の固い昭和男児、チャラにはしてくれないか。

今は未だ、この魔法の時間を終わらせたくはなかった。
俺に、価値がある間は。
俺も大概、いくじなしだ。

「・・・?」

だが、青島に圧し掛かったまま、いつまで経っても室井の無骨な指がしかと青島の手をシーツに縫い留めている。
青島が訝し気な顔に変わる。
目が合った。
軽く腕に力を入れてみる。
思った以上にびくともしない。
身動きが取れない。そのことが青島に本能的な悚然を警告してくる。

無言のまま、スッと室井の身体が覆い被さるように青島の上に影を作った。
ぴくんと青島の肩が震える。
額が触れ合わんばかりの距離で覗き込まれ、ヒヤリとした冷気に浸蝕する現実に、抗うことすら忘れた青島の目は室井だけを映し
静かで、そしてどこか張り詰めたような空気が満ちる。
青島の耳元に室井の湿った吐息がかかる。
跳ね上がる心臓に、青島は息を止めた。

「つまり、俺と、寝たいのか?」

直接耳に囁かれたあからさまな指摘に、カッと青島の顔が熱くなった。
薄らと室井の口元が笑みの形を造り上げ、妖冶に顔を傾けた。
あわあわと青島が視線を泳がせ、その口唇を追いかけるように、見透かした面差しで室井が不浄に濡れた言葉を口にする。

「おまえが誘ったんだろう?」
「うううううううう・・・」
「なんだその反応は。可愛いんだな」
「う、だだだだめ」

バタバタと足を動かして室井を押し退け、青島はぷいと顔だけ横を向いてしまう。

「誘ってないっ」
「ほう?」
「嘘っこでいんですよっ、ばかっ」

負け惜しみは白く夜に溶ける。
ちょっと、この距離、ルール違反。

駄々を捏ねた子供をあやすように、室井が手を解く。
ほんのりと汗ばむ額の髪を柔らかく掻き混ぜられ、ふるっと嫌がり青島が顔を振った。

「夜中に暴れやがって」

すっげ揶揄われてる!ぜってぇ馬鹿にされてる!
付き合う形になっても、室井は感情の起伏を見せず、大人びた態度でこうしておちょくる余裕すらあって、意味を持って触れることなどしない。
すました顔の裏で、何を考えているのかすら教えてくれない。
色違いパジャマ、揃いのスリッパ、ペアのマグカップ。准えているのは全部外側だけで、器が歪に共鳴を謳っている。

「嘘、か。ずいぶんと・・・、難しいことを言う」
「だからって気合い入れ過ぎなんだよ!」

こんな同棲までしてカッコまで変えさせて。
食事を与えて、カラダ躾けて、同じ夢見て、同じ朝に目覚める。
俺がどんな思いでそれを受け取っていくか気付きもしないで。
恋人?伴侶?婚約者?
抱きたいと思えない相手なんて、ただの同僚だ。
これで結婚だなんていうから笑わせる。

室井はいつだって、今だって、少しも乱れはしなかった。
こうして実際に室井の顔を見て声を聞いて体温を知ってしまえば、こっちはただ溺れていってしまいそうなのに。

「んだよ」

小さく唸って青島がやめろと制するが、それでも止めない室井のいつになく優しい指先に、ついに青島がベッドから起き上がり背を向けた。
――のに、その腕をすかさず室井に引き戻される。
あっと小さく呻いて青島が倒れ込んでくる。
そのまま室井の胸に落ちた。

「大人しく寝てくれ」
「ヤです」

室井が青島の顔を覗き込もうとして顎を取るのを避け、室井の腕を乱暴に解き、結果的に青島は布団を頭から被った。
頭上で室井の深い深い溜息が聞こえてくる。が、やがてそれも、静寂が誤魔化してくれる。
冬の夜って、怖いほど、静かだ。
ほんと、俺ばっかりが耽っている。
胸の痞えが窮地と澎湃を混濁させてくるのは、それはいっそ、勢いかもしれない。

「ねえ・・・。あんたこそ、刑事部長とさ、なんか、したの?」
「その名前が君の口から出てくるということは、何か聞いたんだな?」
「シたってほんと?・・まさかね?」
「・・・」
「え、うそ・・・」

沈黙は、勝手に答えを作り出してしまう。
思わず振り返り、青島が目を丸くした。

「君は気にしなくていい」
「気にするなったって!いちお、俺、あんたの婚約者で・・!関係者だし!知らされないのって、なんか」
「どうせ、形だけだ」

そうだけど!

「君こそ、今日は忘年会じゃなかったのか」
「――とでも言わないと、四六時中べったりなアンタから離れられないだろ」

顔を歪めて青島が小さく肩を竦めて舌打ちする。
だけど、今室井がそう言ってくるってことは、今夜の青島の行動なんて、筒抜けらしい。
ギラついた瞳だけが宵に灯る、青島の震えるような呼吸が、青島の取り繕う全てのものを奪い去る。
青島はまた室井の背を向けて寝転んだ。

「どこで気付きました?」
「刑事を騙すには5年。男を騙すには・・・10年だな」
「長すぎでしょ」

思わず苦笑すると、室井の気配も、少し、揺らいだ。

室井の指摘通り、青島が今夜飲みに出た相手は、署ではなく一課の人間である。
そこで最近の室井について、色々情報を仕入れてみた。
この計画がちゃんと機能しているのか、客観性が欲しかったからだ。
というより、室井と青島のこの破天荒な仕掛けを、他部署がどう思っているのか探りたかった。

「口軽いなぁ」
「計画性がないんだろ」
「そやって、みんなを謀り続けるの?」
「・・面倒だろ」

否定しない室井の言葉はいつだって誠実だ。
顔だけ向け、じっと見返す青島の瞳に、室井は反らすことはない。

「随分ぶっとんだ発想ですね」
「利用されるより、利用してやらないか」

長い沈黙が、ここまでの室井の上に流れた長い長いキャリア生活を模倣しているようだった。

成程。
俺たちの関係はこの先上層部の取引材料に成り得て、この先絶対狙ってくる。
だから、先に仕掛けたいんだ室井さんは。
リスクであるということは、逆にチャンスでもあるということだ。
事実かどうかなど、誰も関心がないのだ。室井が利用されるカードだという、ただそれだけが、重要なのだ。
それは刑事局長との関係にも言える。
何が真実かは、意味がない。
そうだよ、室井は最初から政治の話をしていたじゃないか。

「――・・・」

出来るの?あんたに。
そう問おうとして、今の室井の地位と権力と経験値が青島の軽口を言い澱ませた。
もう、無力で派閥も仲間もなく打ちひしがれていた田舎の逸れ者は、此処にはいない。

「あんた、思ってたよりもあくどくて、びっくりだ」
「こんな俺は嫌いか?」
「んん、助かるよ。庶民派で」

戦える男なら、それでいい。
嘘で塗り固められた日常が、本当の真実へと導いてくれる。
それが嬉しいのか哀しいのか、今の青島には分からなかった。

「変わりましたね・・」

背中に突き刺さる漆黒の縹渺な瞳は、室井の役に立てることはないと、冷罵している気がした。

「もう、17年だ」
「そうでしたね・・。長いや・・」

変わらずにいられることが出来たら、何も得られなかったんだろうか?

「君はいつも私の味方をしてくれた」
「あんたこそ、俺んこと、嫌にならないの」

何もせずにいたら、あの頃見えていた空の色を覚えていられたんだろうか?

「ならない」
「だから婚約?」

本気出したら、俺はきっと捨てられるんだろう。
駄々を捏ねて、足引っ張って。めんどくさいって、思われてる。
あんたのお眼鏡に敵った相手はどのくらいいんの?

「勘違いするな。あくまで契約上の婚約だ」
「分かってますよ」
「君こそ、よく俺を信じきれるな・・」

くしゃっと潰れた笑みは、青島の想いのすべてを象ることはなかった。

「イイかんじの未来が見れそうで。その判断は、きっと、間違ってない・・」

名付けられない苛酷な痛みが胸の奥に走っていた。

「室井さん」
「なんだ」

連日多くのパーティやシンポジウム、総会などに付き添い、補佐として控えている内に、室井の立場と、室井のいる世界を青島は肌で感じ取った。
何を選択すべきかは、明白だった。
届かない空に、いつまでも浸っている余地はない。
でも。

青島がゆっくりと起き上がった。
闇の中で闇色の瞳が茫乎としていた。

「そやって、人を弄んでいたら、いつか火傷しちゃうんだから」

掠れ声で囁いた青島は室井の襟元を片手で手繰り寄せる。
掠めるように室井の首に口唇を寄せ、小さく咬んだ。
ほんの僅か、室井が呻いた音が、耳に残る。

「俺と寝る気なんか、ないくせに」

こんな情痕ひとつ、どうとでも誤魔化せるんだろ、今のあんたなら。
俺と、不祥事一つ、作る気ないくせに。最初から。
所詮、こっちは困った時の清掃係だ。
愛人にすら昇格しない。

「何処へ」
「アタマ冷やすの!あと、煙草、吸ってきまっす!!」

札付き一つ、その清廉潔白な精神は、崩せない。


*:*:*:*:*:*


ベランダからは星が良く見えた。

なんか、損したよな。
なんか、ばかみたいだ。色々と。
契約結婚の申し出は、すごく誠意をこめた、室井の精一杯の譲歩だったんだろう。俺を失わないための。

思わせぶりな態度に引き摺られて、泥臭い義憤に憤る姿に意地を見て、一緒に戦える楽しさを教えてくれた人だった。
思い詰めて十数年。告白してというかさせられて半月。ようやく手に入れた彼は、いつまで経っても、やっぱり雲の上の人だった。

「冷えてんなぁ」

吐き出した紫煙は、まるで悪いことをしているかのように青白いほどに透き通った宙に細々と消えていく。
夜の澄んだ冷気が肺の奥まで入って、凍てつく指先が白く震えた。

12月の降る星に、誰が何を思うんだろう。
俺の全部賭けたって、全然足りないじゃんか。

届かない。俺たちはどう抗っても、届かない。
この手合いは青島の理想とはそぐわない。
綺麗ごと言ったって仕方ないけれど、青臭いこと言う歳でもなくなったけど、やっぱり、俺には毒を飲むことなんて出来ない。
玩ばれたからって、仕返して良いとも思えない。
永遠に俺のものにはならない。

この男だけは見届けねばならぬ。なんとしても。
そんな風に肩肘張っていた時期も、今は遠い。
知らないうちに遠い人になっていて、一人でどこまでも上り詰めていける男になった。
流れに乗るというのは、そういうことだ。

「変わって、いくんだなぁ・・・」

ちょっと知らない間に大人になってるし、思ってたのと違うとこいっぱいあるし、通販バカだし、細かすぎるし
前は俺の方がリードする感じだったのに今はスゴイスゴイと思うことばかりで。
遠謀は想像もつかないほどのものになっていて。
だから、つまり、何が言いたいかっていえば、前よりずっとカッコよくなっちゃってんじゃんって話で。
結局は、前より惚れさせられたことを自覚する。

「駆け引き、へたくそか、俺ぇ」

青島はバルコニーに肘を付いて俯いた。
目を瞑り、深呼吸をして、顔を上げる。

初めて知る室井の素の姿。スーツを脱いだ飾り気のない語り口。独創性を持ち始めた分析思考。
日々知っていく小さな素顔は、こそばゆく、泡沫に儚い。
知ってみたかった。けど、知りたくなかった。
あんな嫉妬みたいな独占欲みたいな、自惚れた台詞吐かされて
どきどきしてるのは、俺ばかりだ。

ぴう、と音を鳴らして風が吹き、青島はきゅっと身を竦めた。
指先に仄かな熱を伝える煙草を揉み消し、窓に手を掛け、最後にもう一度、都心の眼下を振り返る。
街路樹に飾られた白いイルミネーションが、紫の宙に続き、この季節の半鐘を鳴らす。

17年前、変わっていく決意を教えてくれたのも、このひとだった。
だから、後悔はしない。

俺は俺の与えられた役目をやり遂げる。
抱いてしまえるだけの役得が俺にはないのなら、伴侶として、そして未来の警視総監を支える腹心の部下に努力は惜しまない。
どうせ、たった一カ月の恋人だ。
もうすぐこの甘い時間は終わる。

「あーあ。誕生日だったんだっけ俺」

名を呼んだ。それだけで震える指先を、今は寒さのせいにして、青島は部屋へと戻った。














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青島くんがしんどいのは、別に室井さんにムラムラしちゃってんのにオアヅケだから~みたいな阿呆な理由ではなくて
歳とって室井さんが一歩も二歩も先へ行ってしまったような現実に、喪失感や寂寥感、昔と少し変わってしまって自分だけ置いていかれたような孤独感を感じたから です。伝わります?