シー
ズン企画
クリスマスストーリー2021 Ⅲ
12月13日

1.
師走の候、湾岸署内は今日も今日とて慌ただしい。
「今日はどうしたんです?こんなとこにいて、いいんですか?」
外回りから帰ってきた緒方がコートを脱ぎつつ、破顔した。
強行犯係主任になった今でも青島に憧れている気持ちは変わらず、久しぶりに見掛け、声も弾む。
「忘れモン。確かこの辺に・・あ、あった」
「ジッポ?」
「切れちゃって」
「青島さん、ちょっと痩せました?」
そ?と仄かな笑みを湛えながら、青島が馴染んだ自分のデスクの引き出しを片手で閉じる。
それだけのことなのに、緒方には少し違うように見えた。
絶妙な長さで短く切り込まれた髪は、陽に当たると何とも言えない栗色に揺れ、美しい目鼻立ちを引き立てる。
昔から愛嬌ある陽気な面差しは少し押さえられ、今見る青島は、爽やかさと、嫋々とした退廃的な雰囲気を同居させた
人の胸をギュッとさせるような余情がある。
物憂げな眼差し、長い睫毛が落とす影、スラリと伸びる鎖骨。何かを秘めたような口元は赤く色づく。
こんな人だったかと目を疑うほどには、青島は見違えていた。
「やっぱり、少し、変わりましたね。なんていうか・・・」
すこし、かなり、色っぽい。
言いだせなくて口籠っていると、青島は多情な笑みを浮かべ、緒方を気遣うように覗き込んだ。
つい跳ねた心臓に、緒方が軽く顎を引く。
「俺いなくてどう?困ってない?」
「この二週間、仕事は問題ないですよ・・。ただやっぱり、少し、静かで」
距離は詰めない頭脳的な間合い。
やけにバックンバックンと奔る心臓を抑えたくて胸元を鷲掴み、緒方はしどろもどろな答えを返した。
静かという言葉に反応し、青島がまた嫋やかに苦笑を零す。
青島が室井警視監の正式なパートナーとして本庁の助っ人となると聞いたのは、正に青島がここを去る直前の帰り際だった。
行ってきますと、まるで特攻隊のようにお道化て見せ、この扉を出ていった。
あの時は未だ、青島は緒方の所有で、果ては湾岸署のものだった。
「青島さんこそ、その、どうです?新婚家庭は?」
「おま・・っ、何ッ、なに言ってんの・・ッ」
「皆さんそう思ってますけど」
急に慌てふためく青島に、ようやく緒方が知っている青島が戻って来た気がして、人知れず緒方は肩の力を抜いた。
途端、気が大きくなる。
青島の目の前に緒方はズイッと身を乗り出し、その後ろでは栗山がこんな時だけ興味津々な目を爛と光らせた。
「どこから・・っ、誰がんなこと・・っ」
湾岸署が伝え聞いているのは、室井の正式なパートナーとなるべく、一か月間、室井の元で帝王学を叩きこまれながら、審議会のヘルプに回る。
でもそんなの、緒方にしてみれば長年付き添った家族を花嫁修業に出したのと同義である。
同居、もとい、同棲までして、この二人が一緒になるとなれば、それはもう「ゴールイン」の以外の何物でもなく
チャペルの清涼な鐘が緒方の頭の中で高らかに鳴り響いた。
「そんなんじゃないってッ」
「でも一緒に暮らしているんでしょう?」
「そうだけどでもっ」
「まさかベッドも一つですか!」
「あの広さに二つもベッド入れられないだろ・・っ」
ぎゃああと緒方が耳を塞ぐ。
将来の警視総監の伴侶となるのだ。
支え合うのは愛だけじゃすまされないこともあるだろう。
私生活を支え、仕事をサポートし、幸運に導く女神・・・それってつまり妻じゃなくてなんなんだ。
だが室井の徹底的な指導というか夫の調教によって、今の青島はただならぬ色香を水増ししていた。
「あの、特訓って、室井さん直々のご指導ですか・・っ!?」
「そりゃもぉ、朝から晩までみっちりよ。あのひと、ぜんぜん放してくれなくて」
そっちか!そうだ、そっちも大事なことだと緒方は心の中で首肯する。
だが、その成果が、コレだなんて、凄すぎる。
一体どんな開発をしたんだ室井警視監!!
それは、指先一つ、動作一つ、視線一つ。
どれをとっても隙がなく無駄がなく、そつがなく
上流社会のそれに相応しい、しなやかな淑女の如く誂えられていた。
「つまり、朝も夜もよろしくヤってるってことじゃないですか!」
「ずっと缶詰ってわけじゃないよ。お互いの時間は取れるし、別行動の時もあるし」
分かっているのかないのか、判然としない言葉で濁して青島ははにかむ。
その頬がすこし桜色に染まっているのだから、始末に悪い。
捧げさせられたものが、勤務時間どころじゃないことを、勝手に感じ取った緒方は低く唸った。
いつものウェンガー、撚れたショルダーバッグ。
だが皺ひとつないスーツは初めて見るもので、ラインの際どさを見せつける縫製は勿論
生地から仕立てまで一級品であることは素人目にも一目瞭然であることも、青島の品を高めている。
ネクタイはなく、軽く広げた襟元とか、目のやりどころを失わせた。
その時入り口の方からまた騒がしい足音が聞こえてくる。
「あ!青島さんじゃないですか!もう帰ってきたんですか!」
「里帰りじゃなぁい?」
夏美がくすりと笑う横で、和久がその目を楽しそうに輝かせた。
ふたりとも走り寄り、夏美はデスク周りに、和久は緒方の背中に肩を寄せる。
「緒方さんは知ってたんですか?ふたりのこと。僕なんか衝撃的すぎてまだふわふわしちゃって」
「なんでお前がふわふわすんだ?」
「だってさっすが青島さんって処でしょ?なんといってもお相手があの高級官僚!そんな御方に見初められるなんて!」
好き勝手に言いたい放題なことを口にする面々こそ、湾岸署のノリなのかもしれない。
黙って苦笑していた青島も、やがて訂正することすら放棄する。
「あのね、そんな簡単な話じゃないの。大変なんだから」
「年貢の納め時です青島さん!」
「だからぁ」
言ってはみるが、誰も聞く耳は持っていないらしい。
「室井さんが熱を上げているっていうのは叔父から聞いてましたけど、この青島さんを手中に収めるなんて、室井さん、ついにって感じですねぇ」
「違う。布石は一年前に既にあった」
「どういうことです?」
夏美が勘付き、ははぁんと大きく頷く。
緒方が声色を変えて口を開いた。
「・・・時は平成、去ること15年以上前、袴田課長の元、魚住さんが係長、俺は地域課所属、室井さんはまだ警視で特捜の管理官だった」
「いきなり昔語り!?」
「室井さんは黒い噂は幾つもあがったけど、結局一途だった」
「黒い噂?」
「知ってるでしょ?一度降格した人間が簡単に上になんか這い上がれないってこと」
夏美の指摘に思い当たり、和久も俯いて頷く。
青島が負傷する大事故の経緯なんかは、叔父から自身の武勇伝とばかりに何度も聞かされた。
査問委員会にかけられたことも、左遷されたことも、派閥争いで破れたことも、和久にとってはどれも、そんな酒の席の肴だった。
ここに配属されるまでは。
「青島さんは何度も置いていかれ、俺たちも何度も裏切られた・・!それでも青島さんは密かに慕い続けていたんだ・・!!」
拳を振り上げ、緒方が熱弁する。
若干引いた和久が、夏美に助けを求める視線を向けた。
夏美が腕を組んで和久に身を寄せた。
「他にもあるわよ。見返りに室井さんが身体を売ったとか、裏取引がバレた左遷だったとか」
「あのクソ真面目な人間がそんなことする筈ないじゃん!」
庇うように青島が口を挟むも、それすら惚気になってしまう流れに、夏美が青島に人差し指を振った。
「する筈がない人間は、一度札が付いた時点でみんな出世コースから外されていくのよ」
「だからそれは、新城さんとかが、巧く手を回してくれて・・・」
「ったくいつまで経っても青島さんは青島さんだなぁ。具体的なメリットがないところに政治なんて動きませんよ」
緒方の言葉にグッと詰まった青島と、してやったりの夏美の顔を交互に見て、和久が困ったようにおろおろとする。
その肩に緒方がガシッと手を回した。
「そんな中でも、こんな風に青島さんは室井さんを信じ続けたのだ」
夏美が話を戻すように、和久の鼻先に人差し指を持っていく。
「そこまで慕われて、男として室井さんが揺れないと思う?」
「確かに・・・」
「機会はずっと狙っていたんだと思うの。なのに運命に引き裂かれたのよ二人は。実際室井さん、かなーり焦ってたんじゃないかな?」
内緒話をするように夏美が立てた人差し指を振り、和久の目を覗き込んで囁く。
二人の約束の話や絆のことも、叔父から聞いていたこともあるし、実際二人を見ていて感じたものもあり、和久は神妙に頷いた。
それでも信じ続けろと、叔父は最後の言葉を託したと、いつだったか酒の席でポロリと零したことがある。
それは、叔父と吉田元副総監の悲願でもあった。
そして、少なくとも青島は、それを忠実に実行していた。
「そ・れ・が!好転したのが一年前」
「久世さんの事件ですね」
「そう!あれで結局椅子に戻れたでしょ。しかも立場上の権限も手に入れたのは大きかった筈」
「つまり」
「室井さんってマスコミ使って二人の約束を国民との約束に格上げして、隠し玉の嫁披露して、完全に外堀埋めたなぁって」
そういうことですかと和久が額に手を翳して天を向いた。
「青島さんが逃げられないように17年かけたとも言えるけど」
続きを緒方が引き取る。
「ようやく体裁を整えた夫が妻を迎えに来たとも言えるわけだ」
夏美と和久、緒方が三人そろってしみじみと頷き合う。
背後でおろおろとタイミングを見計らっていた青島がようやく違うよー!と叫んだ。
「結局、ふたりって相思相愛、両想いだったってことですね!?」
「そんなわけないだろ!」
青島の反論よりも高らかに夏美と和久、緒方の喊声がハモる。
二人の絆は元より、室井のあからさまで貪欲な青島への執着心は誰もが知り得るところであり、湾岸署の語り草でもある。
今更誤魔化せるわけがないのに。
「でもそんなピュアな青島係長、俺は好きです!」
「うっさいよ!」
花嫁に仕立て上げられ、勝手に嫁に出されて、青島の頬も目尻も赤らんでいる。
この歳でこんなリアクションするの、青島くらいなものだろう。
賑やかなことが好きで、時に劇場型の啖呵を切ることもあるくせに、時々妙に純情で子供っぽい。
元々童顔な顔が、実年齢よりも若く見せるのは、彼のメリットだ。
こんな青島を傍で見ていて、室井は一体どんな気持ちだったのか、考えるだけで忍耐強い。
「どんだけ室井さんがゾッコンかって話よ。あたしたちも散々当てられてきたわけ」
「もう純愛じゃないですか!」
「というより室井さんの、かんっぺきな粘り勝ちね」
「押して押して押しまくれば十年後に落とせる!室井さん、ソンケーします!!」
したり顔で腕を組む夏美の横で、緒方も大きく頷き返した。
前髪をくしゃりと握り潰し、青島が眉間を歪めるが、誰も気にしない。
「高級官僚に見初められた同僚って、なんか、僕、自慢出来ちゃうかな、あはは」
「何の自慢だよ」
「だってこんな空き地署から上の世界に続く人が出たんですよ!みんな出世出来なくてスリアミになってくのに!」
スリアミになっていく?
遠くで魚住がううん?と首を捻る。
「そろそろ限界なんだよ」
「夜の営みがですか!」
きゃあと黄色い声で両手を頬に当てる夏美の横で、和久が目を覆う。
その陰で、青島がひっそりと洩らした溜息まで、誰に気付かれることもなかった。
「ま、せいぜい上に顔売って媚び売れるようにしておくよ」
「青島さんって結構したたかですよね」
「じゃなきゃ、やってらんないんだよ」
青島さんは納得してないんだろうか。そんなわけはなさそうだけど。
和久が何となく見つめていると、青島はちっちゃな笑みを返してくれた。
その顔がどこか切なげで、婀娜っぽく、和久の心臓を跳ねさせる。
「あと二週間ですね」
「そうだね・・」
そう呟いた青島の顔は、どこか憂いを帯びていた。
やっぱり寂しいのかな。離れるの。
バッグだけ見慣れたいで立ちで、青島が真新しい縫い目のジャケットを肩に担いで片手を上げる。
じゃあねと言う背中に、緒方の声が飛んだ。
「ハネムーンが決まったら教えてくださいね!」
「ばぁか、ハネムーンは現場に決まってんだろ」
2.
パソコンは、シャットダウンすると急に幽寂を連れてくるから不思議だ。
「お帰りですか」
「ああ、君も早く上がれ」
「上司が率先して仕事を切り上げる命令をしてくださると、部下は働きやすいでしょうね」
「・・・妻が待っているのでな」
新城の嫌味に対し、変化球で返してきた室井に、この男も変わったなと新城は手を止める。
身支度をする背中は振り向かない。
一体どんな顔をして言ったのだか。
「室井さんって、仕事か家庭かと選択を迫られたら迷いなく恋人を取るタイプですよね」
「幸い、恋人が仕事と直結しているので、その選択を迫られることはない」
「幸運でしたね」
視線を同時に外し、新城と室井は其々ほくそ笑む。
「室井さん、その妻の件ですが」
「ああ、どんな様子だ?」
「焦っているのか、広範囲まで探りを入れているようですよ連中。面が割れていますからね。ただ、かなり、的を外している」
クッと喉を鳴らした室井が、黒いコートをロッカーから取り出した。
さらりと後から肩に滑らすように羽織る動作はゆったりとしている。
「本庁内でもいちいち所轄の顔まで覚えていないからな」
「余程深く関わった人間くらいですからね。箝口令も敷いてありますし」
「財務省の動きはどうだ」
「今のところ目立ったものはないようです」
初っ端の大規模パーティで、裏金問題に関与を抱かせる人間や正義面をして室井を陥れたい面々を思い切り煽ったせいか
この数週間、室井の周りは俄かに騒がしくなっていた。
青島の素性を探ろうと水面下で動きがあるらしいが、室井ほどの地位の人間の交遊関係という的外れな推理をしているせいで
地元所轄の一員にまでは想像が及ばないようだった。
彼らが当たっているのは、あのパーティの招待状を送られてくるような、政界の縁者、縁の財閥関係、日本トップ企業の社員などである。
「周りもいい迷惑だ」
「ただ、警察官はそもそも人相を覚える職業だ」
「身内の方が危険とは皮肉だな」
「とはいえ、あのツラを見たら関わりたくないというのが、こちらの本音だ」
新城のぼやきには、青島にしてやられた数々の過去が走馬灯のように巡っている。
室井の顔が、さもありなんという感じで片眉を上げた。
「となるとやはり一番のネックは一年前のインタビュウか」
「だがあの数分間にまで辿り着く頃には、物語は終わっています」
実のところ、彼らが夢中になっているのは青島の正体であって、それが自分たちのぬるま湯を揺るがすジャックナイフになるかという不安である。
その裏で粛々と不正に関与した人間の始末を行い、自浄作用を図った警視庁は
既に逃げおおせているといえた。
「もう出てこないだろうな?」
「組織は確実に若返りを見せている。若いというのはそれだけで扱い辛いものですよ。それを統制するのは貴方の役目だ」
「難しいな」
「貴方の伴侶よりは可愛げがあると思いますけど」
若者は活動力と不満に溢れ、正義に取り憑かれやすい。
特に自意識過剰でエリートの冠に溺れた若者ほど、誰かに煽られた途端、盲目的な私的感情を義憤にすり替えてしまいやすい。
それを否定されることは自身を否定されることなので、恐れ猛烈に反発する。
人倫を売り買いする老翁共の方が、正しい正義というものを余程理解していた。
「君が、また庇ってくれることを期待する」
「その心配よりも、貴方はじゃじゃ馬の手綱を握っていてくれればいい」
新城の杞憂はただその一点であった。
青島は、室井を一心に信じ抜き、惜しくないとばかりにその身を差し出してしまう。
惚れた男が剥き出しに差し出してくる経験もない不器用な誠実さと無償の愛情は、紛れもなく室井だけに与えられた特権で、室井の抱く熱と同じで
官僚という枷がない分、酷く恐ろしいと新城は感じていた。
人当たりが良く、温和な笑顔とのギャップが激しすぎて危うさすら感じてしまう。
「今度のことだって、多分彼なりに色々考えてしまっていると思いますよ」
それは、惚れているからこそ、プライドばかりが高い室井に容易く敗北感を与えてくる。
二人して沈没されたら、こちらが堪らない。
「結局、貴方がたって、両想いだったんじゃないですか?」
「どうだろうな・・」
身支度を整えた室井がすっかりと使い込んだ革の黒鞄を取り上げ、入口へと向かった。
全身を包むようなミンクのロングコート、チャコールグレーのマフラーに、今更ながらに冬の到来を感じ取る。
また一つ、年が終わるのだ。
「皮肉なものだ。貴方は結局青島を手放せない状況を持ち得たし、我々はそんな貴方がたをサポートせざるを得ない状況に持っていかれた」
「青島が怖いか?」
ドアノブに手を掛け、室井が振り返る。
新城らしいシニカルな顔が、揶揄われたことを感じ取っていた。
「ここまでは審議会の計画通りです。残り二週間、精々愛想を尽かされないようにしてくださいよ」
耳慣れた毒舌に、なんとも腑抜けた瞳を返して、室井は扉の向こうに消えた。
室井が今回のエスコート・パートナーに、青島の名を上げた時、驚きはなかった。
不祥事一掃のどさくさに紛れて、ようやく算段を付けたのかと思ったくらいだ。
問題は室井じゃない。青島の方だ。
室井の過激な執着心に、青島は気付いているのだろうか。気付いた時、それをどう思うのだろうか。
室井よりも、恐らく青島の方が――。
新城は誰もいなくなった部屋で、椅子に乱暴に腰を落とす。
ブラックアウトしたパソコン画面が茫洋と電灯を反射していた。

拙宅では珍しい湾岸署話。
美幌もですが、容疑者の一件などは、一倉さんと新城さんの取引など湾岸署が知り得るはすもなく、どんでん返しの結末にリアクションってこんなものじゃない
のかなと。
一部、読者さまのメールか
らアイディアを拝借させていただきました!碧子さま、ありがとうございました!