シー
ズン企画
クリスマスストーリー2021 Ⅱ
舞踏会

1.
煌めくシャンデリアが眩い豪華な宮廷のようなフロア。
群れる令嬢たち。ヒソヒソ声のおしゃべり。初々しさに溢れた愛らしい色とりどりのドレス。
美しい女性たちの華やいだ笑い声とざわめく人の声の間に奏でられる変イ長調の円舞曲は、優雅な旋律でしっとりと空気を染めていた。
弦楽器の豊かな音色に酔う上質な料理。
ワインが並ぶ奥には畏まったソムリエ。
古いが歴史ある作りの建造物が、真紅の緞帳の向こう、闇に浮かび上がる。
奥にはシガールーム。
ガラス張りに紫煙の薄絹が幾筋も漂い、シャンデリアの灯りを朧気に霞ませる。
大使館主催の格式高いパーティーは、男性もタキシードがドレスコードとなっており、黄金の絨毯とミルク色の壁の前には
多くの人間が集まっていた。
暖炉を模した大広間に並べられた椅子に、ホワイトタイの中年から老齢の男たちが、忍び笑いを浮かばせる。
誰もが腹を探り合い、片手に持つスコッチグラスの褐色の液体が麻薬のように光を反射した。
集まる全員が、まるで贅沢で腹を満たし代わりに人倫を売り買いした肝を持つ、典型的な貴族の風貌である。
「大金を手に出来る条件を知っているか」
「小便までマナーがあったら敵わない」
「ベッドに持ち込むのは女だけにしておかないと」
「その女に寝首を搔かれた男がいる」
まだクリスマスには遠い初冬、それでも都会の夜は良く冷えた。
骨にまで染み入るような冷気が忍び込むと同時に、会場が一層の歓声を持つ。
正面扉が左右に大きく開かれ、そこに大衆の目が集中した。
「ほう・・!これは」
誰かの溜息に、誰もが頷く。
傲然たる上流官僚の徳を放つ中央の男が、最近名と顔を知られるようになった室井慎次警視監であることは、誰もが認識できた。
フォーマルの正礼装で、ホワイト・タイ。
ぴっちりと撫で上げられた黒髪と漆黒の瞳は、タキシードの黒さと融合し、その豊かさと気高さを崇高なものとして麗しくさんざめく。
カフリンクスは白蝶貝、靴は黒のキッドでプレーントゥの紐を結ぶタイプ。
モノトーンはまるで彼のために存在するかのようだ。
緻密な身のこなしは、格上げされた階級への自負であり、この国の中核が射程圏内に入った男の欲望であった。
だが、会場の関心はより奥へと向かう。
その後ろ、エスコートをされて寄り添うように現れたもう一人の男に、大衆は目を奪われる。
初めて見る顔。歳はかなり若め。
何より隣の室井に見劣らない、端倪すべからざる容姿に誰もが魅入った。
すらりとした肉付きと優美な首筋、色付いた肌は室井より申し分ない。
矯めつ眇めつ眺めれば、どこか妍冶な雰囲気すら冴える。
唯一、二人のタイタックが揃えられていることを除けば、何もかもが対照的な二人なのに
番うことで発する圧倒的な存在感が、ホールの気勢を毅然と制した。
たっぷりと溜息を受け取る間は、8秒。
室井が振り返り、目線で促してから、二人はまるでウェディングロードを歩く様に長い足を前へと出した。
バックの大扉はチャペルにすらなる。
「なんとお美しい・・!」
しなやかに彼をエスコートし、室井が瀟洒な門をゆっくりと潜った。
フラワーシャワーの変わりに、感嘆と嘆息があちらこちらから降り注ぐ。
漆黒の室井に対して、深い海を表すような瑠璃のディレクターズスーツ。
ワンボタンのピークドラペルで、靴は黒のエナメル、ストレートチップ。
「室井警視監に、してやられたな・・」
「ああ、これじゃまるで、彼のお披露目パーティだ」
忌々しく囁き合う暖炉の前では、底溜まりした濁り声が飛び交うが、口汚く罵る言葉はどれも、大衆の華やぎと高らかなバイオリンが消失させる。
一層華やいでゆく大広間に、集まった客たちの思惑が交錯し始める。
「仕掛けたな。これでこの間の不祥事はパァになるぞ」
「往時のスキャンダルもこうして逃げおおせた男だ」
「やはり持っている男は違う」
優雅にホールを横切り、主賓であるかのように意識づける動きは、正に計算し尽くされたそれである。
そんな卑心も、同伴する相方の瑞々しい透明感が相殺させた。
まるで室井と対になっているかのような、少し高めの背丈と相反するベビーフェイス。
ウェットにセットした少し明るめの髪も麗しく、清爽で品の良い輪郭を隠さない。
控えめながら、端正な顔で微笑を浮かべ、高潔な男に導かれる清々しい姿は、正にバージンロードを歩く花嫁だった。
「毒を制するのは毒ということか」
「とんだ隠し玉だ」
「これは面白くなるぞ」
老いた笑みの前に、室井と青島がゆっくりと近づいた。
「本日はお招きに預かり、ありがとうございます」
「良く来てくれた、嬉しいよ」
中央に座る峻厳を供えた初老の男が、握手を求めた。
柔らかい暖色系の照明に包まれているはずの室内は、しかし冷たい熱気が積み重なり、談笑する紳士たちの彫の深さを陰影付ける。
定型文句の応酬は、にこりともしていない瞳がお互いの出方を見るための時間稼ぎだった。
「そちらは?」
「ご紹介には及びません。普段は現場にいる男です。今宵、社会勉強のために付き添わせました」
その割には、仕立て上げ過ぎだろう。
そこまでの完成度の高い美男子を用意した意図はなんだ。
見え透いた常套句に、そう言わんばかりの脂ぎった瞳が、背後に慎ましく控える青島の全身をねめつけた。
だが、青島は口も開かず、流暢なお辞儀を返すだけに留める。
「おやおや、囀りも聞かせてもらえないのかね?」
「貴殿にお目通り出来るような身分の男ではありません故」
それが鉄壁の非難であることは、誰の目にも明白だ。
場の全てをコントロールするようにゆっくり鷹揚に室井が頷けば、色めき立つと同時に動揺が走った。
タイミングよく、真紅の女性が割って入る。
「ごきげんよう。とても素敵なお連れの方ね」
「見違えました。そのドレス、よくお似合いです」
「まあ、ありがとう。男はパートナーが付くと変わるのよ」
「ご主人には日頃より格段のお世話になっております。後程ご挨拶を」
「伝えておくわ」
幾重にも襞が舞いながらも、豊満なバストがダイナミックに揺れ、大ぶりの黒真珠ネックレスがその身分の高さを誇示している。
女性と入れ替わるように、二人の前にのそりと一つの影が立ち塞がった。
「これはこれは、室井警視監ではございませんか。お隣はどなたですか?仲睦まじいようで何よりですな」
不躾に掛けられた声は、上っ面で媚びる嫌味たらしいものだ。
呼び止めたのは小太りの腹の出た中年の男だった。
室井が軽く顎を持ち上げ、スッと身を傾けると、青島に財務省の人間だ、と耳打ちする。
「ご無沙汰しております、財務次官」
「先日の会見、見ましたよ」
「恐れ入ります」
「ご紹介、願えますか?是非」
幾重にも悪意のある誘導を無視することもできたが、この衆目の中では体裁が悪い。
一瞬の空白が齎す駆け引きは、この男まで招待されていると読み切れなかった室井の不手際を露顕する。
誰もが眼識を向ける中、室井が柳眉に深く皺を寄せ、足を戻した。
連れの青島も少し口元を強張らせた形で、一歩後ろに立った。
「ご挨拶もさせぬ無礼をお許しください」
「ですが、皆さん、興味津々のようですよ」
恭しく片手を大広間に広げ、観衆がこちらを見て沸き立っている様子を指摘する。
じろじろと眺めまわす目つきには妬み嫉みが粘っこく滴るようだった。
主催者の前での恥は、反逆に等しい。
縫い目も新しい正装の青島と次期警視総監の室井を交互に長め、男は厭らしく口角を吊り上げる。
「実に美しいお連れ様だ。感心の矛先を持っていかれて、正に会場を虜にした。・・・貴方の思惑通りに」
黴が増殖するような、低い嗤いが次々と湧き、好奇の視線が至る所から突き刺さった。
このような正規パーティは会話もマナーの一つだが、その裏で、この手のゴシップこそが暗々裏に認める秘話である。
「是非ともお近づきになりたい器ですな。部下にしておくのは勿体ない。一体どうやって捕り込んだのです?」
どっと、どす黒い悪意に満ちたような嗤いがあちらこちらで沸き起こった。
明け透けな言葉を非難する者はいない。
「先日まで週刊誌も裏金問題について報じていたのに、あっという間に鎮火している。どんな魔法を使ったのかもお聞きかせ願えたらと」
国家予算を案じる立場であることを仄めかしつつ、室井の逃げ場を立つ言葉が並べ立てられた。
その目は青島の指先から爪先まで舐め回すように這い回る。
粘っこい数多の視線も、その匂い立つような麗しさに嘆息する一方で、冷たい熱気を膨張させる。
人だまりと会場の熱気を味方に、下衆な質問も鑑賞も、今は許された。
「ゴシップ記事までお目を通されるとは勉強家ですね。どおりで博識だ」
「都会では常識ですよ」
暗に出身を蔑む言葉にも、室井は表情を崩さない。
「巷ではこの時期、奇跡が起こると聞きました」
「その椅子が貰えるのであれば、私も授かりたいですな。すると、背後の美青年はさしずめサンタになりますかな」
「そのようなユーモアを学びたいものです」
「運び屋にしておくには勿体ない。だが、栄光を齎すという意味では、正に」
掲げられたグラスの赤い液体に照明が反射する。
一瞬だけ青島の視線が室井へと向けられた。
室井はそれ以上の反応を示さない。
「どうやら次期総監候補は手が速いらしい」
「金など黙って懐に入れておけばよいものを」
「まさか彼が身体で籠絡したのでは?」
「それであの地位と美貌が手に入るのなら男は皆、寝ずに励む」
口々に囁かれる相聞こそが、注目されているという証であり、交わせない男はここでは価値がない。
だが、室井にしてみれば政治の話題と同伴の話題が混在してきたら、こちらのものだった。
そもそも室井にとって裏金問題を取り沙汰されることは、目に見えていた。
だったらそれを、いつ、どこで、どんな形で引き出すか。
「地位を得ても、相変わらず“口下手”な男だ」
「ベッドでしか口説けないんだろう」
「あの彼にたらしこませたんじゃないのか」
腹黒い敵意と悪意は、誰のものかは聞き取り辛いくせに、言葉はやけにはっきりと耳には届いた。
室井はすらりとした体躯で座していたが、やがて白皙の瞼を持ち上げると、高潔な瞳でただ一人、発端となった男を見つめ
室井がシャンパングラスを軽く持ち上げる。
「マナーも知らぬ小侍ですが、私でも手古摺るやんちゃです。僭越ながら、甘く見ない方がいいことはご助言しておきます」
「おや、これは」
「妬ましさも度を超すと品位を損なう」
その一言は、真意はどこにあれ、実行犯が青島であり、室井が領袖である二人の関係性を、名実ともに認めた言葉であった。
何かを仕掛けたのだとすれば、そのスタイルは正しい。
この場でそれを口にするということは、先日の裏金問題の沈下もまた、この男が手を回さぬわけがないという図式を、勝手に真実味を帯びさせる。
詰まる所、俺たちに手を出すなという牽制でもあった。
サッと周囲の気配が変わる。
会場の空気は少し、色を変える。
室井を言い負かすことに失敗した男は、わなわなと感情を露わにした頬を痙攣させながら、赤ら顔を向けた。
物言わず睨み合う間は、勝敗が誰の手にあるのかを悟らせる。
「貴方も良いご趣味をお持ちのようだ」
「お互い様でしょう」
「今度、手懐け方を乞うてみたい。どうすればそのような――質の高い素材を食い尽くすことが出来るのか」
周りではまた下品な嗤いが起きていた。
周囲の視線が明らかに青島のボディラインを拾い、その蠱惑的なラインを意味を持って辿る。
だがそれはもう、ただのやっかみに過ぎないことは、誰の目にも明らかだった。
背後で青島が瞳だけをきらりと光らせ、優美に微笑む。
「その暁には、私にもご伝授頂きたいと存じます」
「おやおや、未来の警視総監はよほど貪欲と見える」
「ええ。勿論」
大袈裟に両手を広げて見せた嫌味を視線で蔑み、室井は手懐けたわけではなく自ら励んだのだと正した。
周囲の観衆も、列席者の顔を塗りつぶすまでの冒険は犯すにはリスクを伴う。
卑しい嗤いだけが辺りに霧散していた。
「夜の方もさぞ、手慣れておられるのでしょう」
「男としては、申し分ないじゃないか」
浅ましい言葉はどれも、この会場をものにした室井のものだった。
雄としての逞しさや、野生的な政治手腕を持つのだろうと、勝手に皆が恐れ戦く。
堂々と男を同伴する豪胆さも、計算された根回しも、皆、室井の強かさに箝げ替わる。
「どうやら殿方は独占欲がお強いらしい」
「室井の淫婦ということか」
「実に仕込みがいい。いつからあの宝珠を用意していたんだ」
「稀に見る上玉だ。夜はどんな声で鳴くのやら。はめてみたいものだ」
面白い男だと目を付ける者もいれば、危険だと警戒する者も出てくるだろう。
ふざけた態度だと嘲笑の危険を唱える者もいるはずだ。
だが室井のそのたった一言は、今、この場で確かに醜聞を鎮圧させていた。
「失礼」
ラインの映える小顔を小さく傾け、青島が彼らに優雅に一礼をする。
正統派の礼節を弁えた仕草に、誰もがただ魅入った。
*:*:*:*:*:*
煌びやかな燭台に炎が揺れる。
煌々と照らす大広間は、和やかに弦楽器が流れ、舞踏会本来の華々しい熱気は夜の冷たさを感じさせぬ程に満たされていた。
室井が腰から丁寧に頭を下げれば、背後で付添人も優美な面差しで会釈する。
詰めかけた人々に取り囲まれた二人は、取り澄ました顔で一人一人、丁寧に応対してゆき、その符節合う動作は高雅ですらあった。
人波が途切れたほんの僅かな隙間。
室井がエスコートの相手を覗き込み、優し気に目を細める。能面のような男の頬が、ほんの僅か、崩れる。
人の波を、腕を引いて軽やかに渡り、大物列席者の元へ連れて行く。
そこに室井がなにかを囁くのに耳を傾け、そして破顔する――。
「見事な一手でしたね」
「あれじゃ警察庁も黙っていないだろう」
「追い込まれてヤケになったか?」
「違うな、警察庁が出てくるところまでが、室井の計算なのさ」
忌々しく濁った声は、誰もが茶褐色の液体と共に飲み干した。
先の一件を警視庁絡みの案件だと世間に周知させてしまえば、また室井一人の首を切ることで幕引きしようだなんて馬鹿が出来なくなる。
今回の騒動を、審議会単独の引責問題ではなく、警察庁と警視庁の対立という構図に持っていける。
「根回しもいいじゃないか。冴えない田舎者だと思っていたが」
社会は段取りが全てだ。
ゆるりと手を添え、一歩歩き出す二人の周りに、また一組、挨拶の言葉を交わす客が現れる。
優雅に微笑むだけの付添人は会場の関心を一心に集め、その美貌で他者を丸め込んでいた。
一人が葉巻の煙を吐いて会話の口火を切った。
「室井が連れてきた男は誰だ。誰も知らないのか――調べさせろ」
2.
「ご感想は」
「・・・酒の味がぜんぜん」
挨拶の列がようやく途切れ、夜も更けた頃合い、とうに挨拶し終え周りで談笑し始めた実業家や貴族、政府の人間らと入れ替わるように
広間では今、千紫万紅の女性たちの華やぐ輪が出来ていた。
労うように室井が青島の腰に手を回す。
「少し、風に当たろう」
ゆったりとした動作で促され、新しいグラスを受け取ると室井と青島はテラスへと向かった。
真紅のカーテンを潜ると、夜半に入り本格的に冷え切った夜風が頬を叩き、青島は止めていた息を吐いた。
変ホ長調の交響曲の滑らかな旋律が、このテラスにまで微かに流れてくる。
「・・凄い見られてる」
「大丈夫だ。これが目的の一つなのだから」
屋敷には、確かに身分も様々な人間が集まっていた。
いざ侵入してみると、妻や彼女をエスコートするカップルもいるが、此処は確かに職務上の交流場でもあった。
部下を引き連れ名刺交換している者、商談に来たのか複数名で熱く語らう男性陣、社交デビューする初々しい少女ら。
それらの集団に混じり室井の一歩後を臣従のように連れ立つのは、然程不自然な光景ではなかった。
確かにこれなら、一人参加の方が目立つかもしれない。
「戦場よりよほど騒がしいだろう」
「なんで。平和ってことですよ。むしろ俺の戦場はあっち」
青島が澄み渡った墨色の天空に走る、赤い大動脈を親指で指し、薄く哂う。
それを横目で認め、室井も視線をそこへ投げた。
「だが、今回の主導権は明らかにこちらに軍配だ。・・・君が戦場の花嫁だ」
「悪くない響きですね」
青島が何をしたわけでもない。室井は青島に何もさせなかった。室井とて格段何かを成し得たわけですらない。
ただ、その場でかしずいていただけだ。
だが二人が揃うその存在が、この会場を手中に収めようとしていた老翁共の鼻っ柱を折った。
「思ったより色んな人がいるんですね。びっくりしました。俺より全然若い子とか」
「貴族潮流ならともかく、昨今は資産家令嬢や世界的に有名なアーティスト、ミュージシャンとか・・、そのご令嬢も参加すると聞いている」
実際、このような社交の場は今ドレスやジュエリーのハイブランドと提携するなど、よりファッショナブルなものになっている。
ただし条件は厳しく、長身で容姿端麗、語学に堪能など、社交界デビューに相応しいものが求められる。
故に、招待状を持っている客は誰もが一流の身分と地位を供えているということなるのだが。
「ほんっと、アイツ、下世話なクソジジイだな。あのねめつける目つきとか、寒気した」
「相手にするな。ああいう手合いはどこにでもいる。同じ場に立つと付け上がる」
「そうはいってもさあ」
「醜聞には慣れているだろう」
「あんたが言われてるのがヤなの」
事前の詳細情報は頭に叩き込まれ何度も復習した。
派閥が同じ貴族や政府関係者、経済界の重鎮など、大物と言われる顔と名前を頭に叩き込んでおくよう、室井に命じられたものは全部暗記した。
どこでリアクションを見せるかも、その合図の方法も、何度も二人で練り合った。
今日の出来栄えは及第点でも、腹の内に据えかねたものは、青島にとっては別問題である。
「よくあんなの飲み込めますね・・」
瞼を落とし、室井がシャンパングラスを軽く煽る。
伸びた綺麗な指先、喉仏がグイッと波打って、男の気配を感じさせる仕草になんとなく青島が目を反らした。
多分、室井が飲み込んできたものは、こんな程度じゃないのだ。
シャワシャワと、シャンパングラスに注がれた白い泡の立つ琥珀色の液体が目の前で揺れていた。
指紋ひとつない輝きに、今夜の舞台が逆さまに映る。
習ったとおりに青島はグラスの淵に口を付けた。
「怖かったか?」
「いぃえ、あんたが隣にいたから・・」
隣で室井が目を見開き、それから硬く瞼を閉じ、それから天を仰ぐように顎を上げてから、ふ、と大きく息をついて、青島の持つグラスに手を添えた。
「酔っているな、割と」
「・・え?そうですか?」
「酒は判断を鈍らせる。もう口は付けるな」
そっと、室井の長い指先に抑えられたシャンパングラスを青島はじっと見下ろす。
酒など営業マン時代から付き合ってきた馴染みのアイテムである。
だが、恭しい礼節と交錯する思惑の中心で、人の熱気に当てられたというのはあるかもしれなかった。
「どうよ?俺の成長ぶり」
「私の教え方が上手いんだ」
「それ言っちゃうかぁ」
「ついでに言えば、エスコートをする側の腕で決まるんだ」
だから強がらなくていい、と、青島には聞こえなくても構わないというように室井が付けくわえた小さな呟きは、妙に青島を甘えたな気分にさせた。
実際、室井のエスコートは堂に入っていた。
欧米に比べエスコートという概念が薄く、教育もされていない日本ではなかなか難しいのも事実である。
レディファーストや騎士道という概念に通じるエスコート。
室井にしてみれば、このエリートキャリアに踏み入れた時から身に付けてきた世界観だったのだろう。
歩幅の合わせ方、視線の位置、庇い促すような滑らかな仕草。
繰り返し身体に叩き込まれてきたが、披露された室井のそれは明らかに格が違った。
「恐らく君に目を付けた。だが反面、彼個人の中では裏金の件はもう有耶無耶だ」
「だといいですけど」
「週刊誌の点についてはもう少し睨みを利かせておくべきだったな。あの調子で言いふらされると面倒だ」
「そうだよ、何で黙ったんですか」
「金の問題はあの程度でいい」
「もっと俺、深く突っ込まれると思ってましたけど」
「そういうことだ。つまり、財務省もまだマスコミが騒いでいることくらいの情報しか得ていないとみえる」
巧妙な言葉の駆け引きの裏で探り合う値踏みは、室井の判断を信頼できた。
そんな風に相手の関心を分断することも、青島の役割だと聞かされている。
「もっとハッタリかましてこないのは何で?」
「不用意に本音を見せることの恐ろしさを知っているんだろう」
室井の手が不意に青島の首元へと伸びる。
ここまで特に視線は合わなかったのに、いつの間にチェックされれていたのか、襟元を丁寧に正し、生地の拠れを払って、室井が青島を整え直す。
されながら、青島も何となく室井の手元を見おろした。
「あんな、淫売みたいな言い方でさあ」
「勝手に言わせておけ。それに――まあ、“身体で籠絡した”という点は、強ち間違いでもない」
意味が分からなくて青島が至近距離で寄り添う室井を上目遣いで盗み見る。
近すぎる距離で、二人の視線が重なり合った。
危うくもありながら甘い雰囲気を壊さない青島に、室井の眉間が少しだけ顰められる。
「おまえの顔、容姿、雰囲気。全て計算していた。人を魅入らせるだけの四肢の長さ、高さ、肉付きの良さ。それらは努力だけで補えるものではない」
「そうなの?」
「お陰で会場の話題はおまえで持ちきりだったろ」
「そう言われちまうと、こっちも噂に反論しづらいんですけど」
室井の手が離れ、視線も逸らされる。
身体も向き合わなくなっても、青島は室井の面長の横顔をじっと目に映していた。
「気にするだけ無駄だ、どうせ奴らが真実を知ることはない。――永遠に」
「もっと別の餌で釣っちまえばいいのに」
「では、その気にさせてみろ」
「仰せのままに」
野生的な輝きを灯し、ぺろ、と青島が口唇を舐める。
それを横目で見て、室井が、く、と目を眇めた。
「・・・」
ようやく真正面から合うじっと見つめる視線に、青島も気付いて見つめ返す。
輝かしく高貴な弦楽器の合奏が私邸の空気を彩っていた。
黄金に照らされた外壁のライトが二人の瞳に反射する。
ただ黙って見つめ合えば、この錦織り成す眺望は現実から酷く乖離させたものだった。
「似合っている」
ただ一言、室井は静かにそう告げた。
麗しい男の何も映さない筈の漆黒の瞳は、光もない天空を背に、胸に秘めた情熱のようにインパクトを与えていた。
何か言葉を返すべきだと分かったが、何も浮かばなかった。
そのまま吸い寄せられてしまいそうな酩酊感に、青島の手がテラスの玉垣に添えられる。
冬の夜風が室井を擦り抜け、青島のゆるやかにセットした髪を優しく撫ぜ、それでも二人は見つめ合ったままだった。
互いに見詰め合っていた中、先に視線を落としたのは青島であった。
「・・使ってくれたんですね、チーフ」
「ああ」
光沢あるウィングカラーが濡れたように相まって、疲労感が浮かぶ青島を全身から光に溶け込ませる。
淡く溶けそうな錯覚は、正礼装の容姿もあって、その見事な輪郭を象り、儚そうに歪ませる。
その顔に、小さく吐息だけで哂った室井に青島の頬がほんのりと染まる。
「君が、くれたものだから」

もうベタ。ベタすぎ。でも一度やりたかった・・。
これでこの二人、付き合ってないんですよ。室青って恐ろしいですね////