シー ズン企画
クリスマスストーリー2021 Ⅰ









プレリュード
line
1.
「そぉゆうこと」

めっきり秋も深まったススキ野原に、くたびれたモスグリーンが舞う。
北風に千切れてしまいそうな一枚のA4紙を青島は後ろに手向けた。
黒塗りの高級車に背を預け、長い足を片方投げ出し、星も見えない都会の夜空で藍紺に一対となる他は、無主の土地である。
カーウィンドウが音もなく下がり、バックシートで腕を組む男がそれを声もなく受け取った。

「呼び出されたわけは、なんとなくわかりましたよ」

音さえ時折滅失する風に身を竦め、青島は潰れたシガレットを取り出した。
手元だけが僅かなぬくもりを感じ取り、かさついた大気に悴んでくる。
この時期、日没は早い。
時間の観念さえ危うくさせる陽の落ちた秋の夜は、深く鬱蒼と落ちぶれて、長夜との教え通り、残照を捜すのさえ骨を折った。
伏せた瞼にまた冷たい北風が吹き付け、掴みどころを失った青島の細髪が風に散る。

「さっむ・・」

紫煙は底のない黒の闇に溶けていく。
黒の上質なミンクのコートに身を包み、足を組んで柔らかく乗せた五指を組み合わせ、場を弁えた男が、ただ視線だけを向けた。
青島はそれを背中越しに感じ取る。

――君の意見が聞きたい。
引責辞任で上層部を一新させた警察不祥事から約一年、突如室井から呼び出されたのは、人通りも監視カメラもない、荒れ果てた野原の北側だった。
中断された建設予定地の看板が、朽ちてラクガキされている。
なんでこんなとこ呼び出すの、とは物々しい体裁に奪われた青島の心の言葉だ。
警察庁長官官房組織改革審議委員会委員長に就任してから、メディア対応、関係省庁への対応、抜本的改革案など
一気に繁多となってしまった室井の周りは、何かと騒がしく、目まぐるしく、会うのはあの引っ張り出された初回記者会見以来である。
最後に見た時よりもずっとエリート感が堂に入った室井は、高級車での送迎付き、運転手付き、ボディガード付き、と、文字通り雲の上の人に収まっていた。

「燃やしますか?それ」

軽いジョークが、どうしますかと問い質している青島の気遣いであることが、分からぬ室井ではない。
なんとなく、昔ヘリで飛んできた時も、こんな寒空だったなと青島はくたびれたコートを掻き込んだ。

「あんたはいいよね。暖房完備にフル装備」
「公表すればまた、世間が騒ぐことになる。当然、責任はあの不祥事で詳らかになったのではなかったのか、まだ隠し持っているのではないか」
「・・・文明の利も特権だなこりゃ」
「利得を得た私の任命問題を問われるだろう」
「アタマ変えても何にも変わらない腐った組織なんじゃんってね」
「走り出したばかりの体制には痛手だ」
「あんたの最後の出世には、でしょ」

奇しくも若返りを見せた警察組織は、今新たなリーダーの成長を切望していた。
組織改革が甘受された暁には、室井を警視総監にとの声も上がり始めている。
敢えて挑発して首だけ振り返り、車の中からこちらを睨む室井に、青島はにやりと笑って見せた。

「事を急いているわけではない」

君だって焦れている筈だと切り返され、青島は肩を竦めて最後の紫煙を夜空に吐き出した。

遠方に晴海ふ頭を控え、幾つものタワーマンションが赤い航空障害灯を点滅させる。
東京湾沿岸に広がる比較的都心部に近い埋立地である湾岸地区は、90年代に一気に開発が進み、数多の窓に明かりを夜に燈させる街となった。
それでも見渡すここには遮るものなどなにもなく、割れたアスファルトに街灯が青白い世界を闇に描き、錆び付いたフェンスを風が鳴らして擦り抜ける。

ゆったりと煙草を揉み消してから、青島はエンジニアブーツでトントンと冷え切った地面を蹴った。
今、二人の間には、あの頃にはない、しっとりとした沈黙が満ちていた。
言葉がなくとも、高級な大理石を叩く靴音がなくとも、互いに気まずさを感じない。

「歳喰ってからあんまり煮詰まったりしてると、ハゲるんですって」
「公表することになったら、恐らく君の所にも公安が行くだろう。本庁は、所轄を庇いきれない」
「揉み消しちゃえば?」

小さく哂う青島の背後で、カーエンジンがまた一つ唸りを上げる。
ただ一言、暗いバリトンで名を乗せた男が、今また何に怯えているのかを、青島には感じ取れた。
長い間共に同じものを目指してきた戦友ということであることを、こういう処に青島は感じ取る。

そのたった一枚の、黄ばんだ紙には、重鎮の告発であり、命がけに匹敵する情報が書かれていた。
あの時表沙汰にならなかった、もう一つの上層部の自己保身の根回しと証拠の裏金取引の詳細は、室井を解任させるだけの流れを生む可能性を孕む。
これを公開すれば、改革ごと旧習派によって潰されるかもしれない。ここまできて、だ。
今になって、室井の耳に入ったということだろう。

「審議会のメンバーは何て?」
「まだ伝えていない。が、そろそろ耳には入っているだろう。明朝一番で招集する」
「俺なんかに先に言っちゃって良かったんですか?」
「またかと思われるだけだ」
「良く出来たお仲間ですこと」

審議会の初回に参加させた青島にも、当然、知っていてのパフォーマンスだったのかと、マスコミは問い詰めるだろう。
合わせて、改革は身内贔屓の口車と成り下がり、これまでの室井と青島の繋がりを面白可笑しく書き立てられることにも成り兼ねない。
各所轄や交番にも仕事の支障が出る可能性も危ぶんでいる。

「んで?」

ポケットに冷えた手を突っ込み、背中を丸めて青島はもう一度高級な車に背を預けた。
細長い青島の足が片方折られ、優雅な造形美を人工灯が月白に陰を作る。
背中合わせで、こうして、ここまでふたりできた。

「今更いいひとぶってんですか?これまでも勝手にやってきたくせに」

沈黙があった。
視線があった。
同時にふたり、小さく微笑む。

「私は悪党か」
「でも、仮にそれを公表しても、俺の中の室井さんの評価は変わりませんけどね」

室井が車の中から青島を見上げた。
素知らぬ顔で、青島は舌をペロッと出してやる。
一体何を怖がってんだか。

「いや――。ありがとう、覚悟が決まった」
「どういたしまして?」

機械的な返答に、室井が背後で小さく綻んだ気配が伝わる。
ぴょんと、飛び跳ね、黒のエンジニアブーツがトンと地面を叩く。
半分までしか開けていなかったカーウィンドウが下まで下がった。

「なんで君はそんなに・・・そこまで私に賭けられる。初めて会った頃からだ」

しみじみと口の中で呟いた室井に、青島は振り返ってその顔を探る。
秋の冷たい月白が室井の頬を一層白痴美に見せた。

「名コンビだったからでしょ?それとも俺の認識が間違ってる?」
「君のメリットが少ない」

青島は思わず吹き出した。
片眉が上がり、室井の顔にようやく僅かな表情が出る。

腐れ縁と呼ばれ、名コンビと名付けられ、出会ってからずっと、切れない運命に振り回されてきた。
それは、断ち切ろうとすればするほど狂乱の毒を持って室井と青島を何度も引き戻し、こうして同じ運命に落とし込む。

「ただ俺、あんたのこと、好きですよ」
「・・・、その好きには色々と問題がある。やめておけ」
「ちょっとした余興でしょ」
ここまできたら。

室井は何も応えてこなかった。
気配も消え、虚実の空気が流れる。
いつしか上質なものへと変わった黒のコートに身を包む室井は、バックシートから眩しそうに目を眇め、青島を認め、小さな間を作っていた。
その僅かな沈黙が、表情が、奇妙な余韻となって青島に失言させたことを予期させる。

何で流さないんだ。
俺の、いつもの軽口じゃんか。
言葉を挟ませない、長い長い沈黙を作り上げ、あまりに大きく膨張したその間、室井は青島をじっとバックシートから切れ長の漆黒を強めていた。
青島も何となく首だけ振り返った態勢で固まる。
笑い飛ばし、なぁんてな~、などと言って誤魔化す空気もなく、冗談など通じない堅物な男の空気を読み損ねた失態に、成す術もなく視線ごと縫い留められる。
室井が瞼を一度伏せ、多くの何かを飲み込んだような息を零し、それから静謐な眼差しを向けた。

「どうなんだ」

誤魔化すことはまだ出来た。でも、室井の目が暗く深く染み込んでいて、真実以外の意地さえ凍てつかせる。

「・・・まあ、そうですけど」

だったらここで誤魔化すのは、なんか違う気がした。誤魔化すことで、更に室井を傷つけてしまう気がした。
今夜の室井は酷く憔悴していて、流してはくれなさそうな、鋼鉄の気配で、純潔だけを求めている。

「青島」
「・・・はい」
「考えさせてくれ」
「・・だ、だから余興なわけで、つまり・・・。その、で、でも俺、別に何か意図があって言ったわけじゃないし、それにほら、あんたキャリアで、これから」
「青島」

低い声で制され、条件反射のように青島の口が止まる。
漆黒の眼差しが探るように青島を絡め取っていた。

「時間をくれ。そのことについて、私が考えるのも、無駄なことなのか?」
「・・いいえ」
「私にも、考えさせてくれ」

詰まったまましばらく固まっていた青島は、コートの裾を両手でくしゃりと握り締め、小さく頷いた。

チラリと前方を見れば、運転手の頭部が見える。
困っちゃってるじゃんか、こんなくっそ寒い中、ラブシーンもどきの会話しちゃって・・・大丈夫なんかな?
迂闊なことは何も言えなくなり青島が押し黙っていると、ふと思いついたように室井が眉間を寄せた顔を戻した。

「青島、私と契約をしないか」
「なんの?」
「期間は一カ月、私の伴侶となってみる気はないか」
「何言いだすのあんた」

唐突の、突飛な申し出に、話も飛んでいる気がして、青島は面食らった。
反射的に敬語も忘れツッコミを入れる。
そうだった、このひと、とっきどき、よくわかんないことすんだよな。

「正気?」

過去を差っ引いてもかなり奇矯な言葉が飛び出た気がして、青島は完全に息を殺し、次の言葉を待つ。
室井のいつになくあくどい閃きを乗せた瞳が、意味深に光った。

「な、ななななにするの・・・」
「今、審議会に年末にかけての私のエスコート役を探させている。君にその役目を頼みたい」
「エスコート?俺があんたを?」
「私が付添人となる相手がいない、と言っている。独身である上に、派閥がないまま上に立った」
「あんたにエスコートされたい相手ならたくさんいるんじゃないの?大体、んなの、沖田さんにでも頼めよ」
「だから。それでは説得力に欠けるんだ」

旧弊ではなく、少人数のマイノリティとはかけ離れた、開かれた組織であるというアピールにならなければならない。
急場凌ぎでも怪しまれず、最もふさわしいと庁内を納得させ、それでいて仮の姿を悟らせないアドリブの利かせられる相手。
そういう相棒を室井は探している。

「――俺、そんなに有名?」
「ある意味な」

だったら、この会話も大丈夫なのだろうか。
真っすぐ前方だけを見据え職務を遂行する後頭部に、憐みさえ抱く。
視線を運転席にちらっと投げれば、その意味に気付いた室井は青島を安心させるように小さく頷いた。
でも公務だろ、秘密保持にメリットなくなったらこういうとこから裏切られんじゃないの。

「君に、期間限定の契約結婚を申し込む」

ぐっと詰まって青島は室井の顔を見た。

なんだかとんでもなく乖離した言葉が飛び交っている。
大きな決断を迫られている気がした。安請け合いしてよい相談ではない気がした。
だが、室井は真剣だ。

「日本では同性同士の結婚も認められてないのに、偽装結婚だって?」
「身内以外の蠅を黙らせてくれればいい」
「・・・」
「差し当たって、来月の君のスケジュールをこちらで押さえる。月末までに署内の調整をしておけ」
「ちょ、ちょっと待ってください、もうこれ、承諾なの!?」
「私が好きなんだろう?」
「!!」

実際、後になって思い返してみても、室井は実に性質の悪い笑みを一つ残して、車で去っていった。
変わらずナンバーは6613だった。











2.
『早速だが、契約の件について打ち合わせをしたい』
『・・・ほんとに掛けてきやがったよデンワ』

馴染んだ陽だまりのデスクでレシートに埋もれている青島を直撃したのは、夢でも幻覚でもない、生身の室井の声だった。
幸いほとんどの人間が出払っている。
栗山だけがパソコンに噛り付き、目を輝かせていた。

『冗談を言うほどこちらは暇ではない』
『むしろ冗談にしてくれた方が俺としては目が覚めますね』

微苦笑らしき室井の吐息を回線が拾い上げる。
もうこうなりゃ、何でもありだなと、青島は肝を据えた。

『今話せるか』
『ドウゾ』
『今朝、湾岸署に辞令を出した。向こう一か月、君を借り受けるという依頼書だ』
『~~了解』
『合わせて住居変更届も行った。君は一カ月間、私と共に住んでもらうことになる』
『マジで?!なんで!』

肝を据えた傍からあっさり青島が飛び上がる。
合わせて、椅子から飛び上がった拍子で報告書の山が一つ、雪崩を起こした。
定番リアクションをしてくれるマイ・デスクに感謝すら述べたいところだが、想定外の展開に、混乱が青島をドギマギさせる。

『スケジュールごとに待ち合わせる手間を省きたい。今週末にはこっちへ来るんだ。来週からみっちり仕込んでやる』
『困りますよ!荷物もまとめていないのに・・!』
『必要なものはこちらで全部揃えてやる』
『経費?そこまでさせられませんって!ってか、仕込むって何!』
『詳しいことはこっちへ来てからだ。つべこべ言わずその身一つで嫁いでこい』
『!!』

青島はめまいがした。

『・・・どうした。今すごい音が』
『スマホをね、落としたんですよ・・・』
『表面ツルツルだからな』
『・・・・、もぉ。あんたと出会って大概のことは慣れてきたつもりだったけど、まだまだだったわ・・』
『ああそれから、今から迎えに行く。外出の準備をしておけ』
『今ぁ?駄目ですよ、俺、朝から領収書の整理で忙しいの。誰かさんのせいでね』
『明日に回せ。オーダースーツになるから今日採寸しておかないと間に合わないんだ』
『俺のサイズ知ってどうする気』
『君はあのコートでエスコートされるつもりか?』
『・・・・・・・・・それもマジだったの?俺、オトコ・・』
『私好みの許嫁に仕立ててやる』
『!!』

そうだね、スマホは重さもあるし、ツルツルだから。


*:*:*:*:*:*


三日後。
段ボールひとつ、両手で抱えた青島は途方に暮れた顔で門構えの向こうに聳える灰色の古い建造物を見上げていた。
キャリアでもないのに、まさかここに足を踏み入れる、もとい、住み込む日が来るなんて。

「古さは俺んちと変わんねぇな」

とりあえず、強がってみる。

今日から室井の部屋に住む。
二人での共同生活が始まる。もとい、共同戦線が始まる。

契約結婚を申し込まれた夜よりも幾分冷えた風が、心許なく青島の足元を吹き抜けた。
かさついた砂埃が背後で赤茶色の葉を包んで巻き上がる。

「これって手錠だよな」

キーホルダーに自宅の鍵を併せて揺れる官舎の合鍵がなんとも恨めしい。

言うつもり、なかったんだけどなぁ。
何年慕ってきたと思っているんだ。今更何が変わるって言うんだ。
なのに運命はこんな仕打ちをする。
あの時、青島がすきだなんて言わなければ、きっと室井だってこんなふざけた薄っぺらい申し出なんか、口に出せなかった筈だった。

「おれ、持つかなぁ、一か月」

見せ掛けの玉の輿は、思うより甘くない。
いざ、勝負の一カ月が始まった。













next       index