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周年お祝いシリーズ
お祝い作品・室青二作目。登場人物はふたりだけ。時間軸は室井さん美幌時代。クリスマス
ス
トーリーです。
04.冷たい手でもいいよ~中編

3.
「到着だ。もう少し辛抱してくれ」
「へえ、ここ・・・?」
「ああ」
二人で洋菓子店へと戻り、揃って頭を下げ繰り返し非礼を詫び、コスチュームを返すと、もう十時も回っていた。
店主は気さくな男で、勝手に仕事を手伝っていたことも、サンタの服を濡らしてしまったことも
笑顔で許してくれた。
警察関係者だということは明かさなかったが、警察沙汰にならずにほっとする。
「ほら、独りで立てるか」
「ん・・っしょ、っと」
むしろ警察沙汰になりそうだったのが、東京の病院の方だった。
巡回に来た看護士が患者がいないことに気付き、実家や湾岸署に連絡を入れたことで、ちょっとした騒ぎになっていた。
室井が名を出し事を治め、事態は落ち着いたが、帰ったら恐らく仕置きが待っているのだろう。
「いつも、ここから通ってんですか・・?送迎とか重役出勤とか、あんの」
「・・・そんなものはない」
店の裏口で待っていると、青島が見慣れたコートを着て松葉杖を付いて出てきたので
もう一度二人で礼を言って別れた。
その頃にはもうすっかり酒も抜けていて、室井も身体は冷え切っていたが
青島は雪にシャツから濡れていて悴んだ手足が上手く動かせず、満足にも歩けないようだった。
苦し気に眉を寄せる姿を見るに堪えかね、室井が肩を貸すことで寄り添いながら帰宅した。
あの日の様に二人で歩幅を合わせながら、引き摺って歩いた。
雪は途切れなく続いていて、イルミネーションが彩る道なりは、白く霞の奥まで真っすぐに連なっていた。
「よし、よく頑張った」
支えきれない体重をドスンと乗せ、青島は苦し気な息を落としながら、バンと扉に掌を付く。
額からは汗が垂れ、前髪をうねらせた奥の甘い瞼をきつく閉じた。
「ふわ・・・ぁッ、きっつ・・!」
「痛むか」
「んん、大したことないですよ」
「そのまますぐに風呂へ行け」
「・・ぇ、でもそんな――」
前髪を気怠げに掻きあげ、青島が飴色の瞳をくりくりと瞬かせた。
「室井さん先に」
「つべこべ言うとここで身ぐるみ剥がすぞ」
敢えて視線を反らし、鞄を置きながら靴ベラを置き、狭い玄関で室井も手際よく濡れたコートも脱ぐ。
どうせ外面だけはハイクラスの青島は何かしらの理由を付けるのだろうと踏み、マジですかと苦笑いする青島を室井は腰から持ち上げた。
「うわ・・っ、うっそでしょ・・・っっ」
「暴れるなよ」
背後で松葉杖がガランと音を立てて横倒しになる。
ズカズカと勝手知ったる我が家を闊歩し、室井は風呂場へ服を着たままの青島を押し込むと、その上から熱いシャワーをぶっかけた。
湯気が沸騰したように上昇し、冷えた身体を改めて認識させた。
「ぷは・・ぁ・・っ、らんぼーッ」
「私がいいというまで出てくるなよ」
風呂を追い焚きにし、言うだけ言って室井はバスルームの扉をがっちり閉めた。
*:*:*:*:*:*
リビングへ戻り、手早く雪で濡れた身体を拭うと、室井はさてどうしたもんかと考えた。
まず暖房を入れ、部屋を暖める。
問題は服だ。
青島はどうせ着替えまで用意していないだろうし、あったとしてもぐしょ濡れだろう。
インナーなどはスーツを綺麗に着こなすため、室井は身体のラインに沿ったものしか揃えていない。
きっと青島には合わない。
引き出しの中をごそごそと探っているとメンズフリーサイズの厚手のシャツが出てきた。
これでいいか。
下着はさすがにない。
まあ、いいか。
バスタオルと共にシャツをバスルームに置きにいく。
次に夕飯を食い損ねたと言っていた青島のために冷蔵庫を開けた。
こういう時、コンビニなどが近くにある都会ならば下着共々購入出来て便利である。
そんなことを思いながら卵を三つ取り出し、残り物の米で雑炊を作った。
煮たててから火を消し、もう一度バスルームを覗きに行く。
声を掛けても返事がないので扉を開けると、服を脱ぎ散らかした青島が温まった湯船に浸かり、茹だっていた。
「あぁあぁぁ~・・、びっくり・・・おれ・・・寝てた・・・」
「あったまったようだな。そろそろ出れるか?」
「うん。おれ、ゆでたまごになっちゃう・・・」
眠そうな目をこすりながら子供みたいなことを言う青島に、室井は内心笑いを堪えた。
「そんな雑炊を作った。早く出ろ。次は私が入る」
雑炊を皿に盛り付け、市販の味噌汁とほうじ茶を添えてやると、丁度シャツを着た青島がリビングまでやってきた。
その姿に絶句する。
思ったより足の長い青島には、シャツはちょうど尻が隠れるくらいの長さで
紅く熟した太腿があらわになっていて、片手を付き壁伝いに歩いてきた。
もちろん、ノーパンだ。
シャツの胸元はボタンを一個止めた程度のだらしなさで、熱った艶肌が際どいところまで見え隠れする。
わしゃわしゃとバスタオルで髪を拭う度、足の付け根の辺りまでシャツの裾が持ち上がって揺らめいた。
「・・・・・・シャツはきちんと止めろ」
「まだあっつい。あ、俺、ぱんつない」
部屋を強めに温めておいたからいいだろうと言うはずが、そんな台詞は室井の脳裏から吹っ飛んだ。
なんて恰好なんだ。
室井は口許に拳を充てつつ、さりげなく視線を反らし、目に入ったひざ掛けを手に取り、青島にそっと差し出す。
「これでも、巻いておけ」
「はぁい・・・」
目を反らしているせいで、青島が少し瞳を揺らしたことに室井は気付かない。
「傷の手当があるだろう?」
「消毒して脱脂綿貼るだけですよ。自分で出来ます」
「いいから座れ」
「でも」
「いいから」
半ば強引に言い張ると、案の定、青島は折れてくる。
基本、素直でストレートな男なのだ。
引き摺る足を庇いながら、ソファのヘリを伝い、近づいてくる。
あれだけの深手だった。まだ疼くのだろう、時折青島が歯を食いしばって息を止める。
ゆっくりとソファを回り込み、青島は器用に腰を沈めた。
両手でサポートしてやり、それから青島のくたびれた鞄の中から薬品などを取り出す。
服薬も出てきた。
それもそうだと今更ながらに思い至る。
「見せてくれ」
背後に座り、低くそう告げると、青島は何度か躊躇った様子で室井を伺っていたが
やがてゆっくりとシャツの裾を引き上げた。
豊潤な尻たぶが現れ、目を奪う。
その上に、真新しい、まだ完治していない殺傷痕が赤々と切り裂かれていた。
桜に上気する熟れた肌の腰骨の真上に位置する浮き出た傷痕は、あの日の衝撃を今尚物語る。
目が離せない。
強張ったまま、室井の長く神経質な指先が恐る恐ると触れていく。
盛り上がり、まだ浅く肉が付いたばかりの完治していない傷痕は
赤々とその存在を主張していた。
「ッ」
沈黙を赦さないように、微かに室井の息が途切れた。
傷痕に触れた刹那、青島も警戒からか、室井の手の冷たさからか、薄い背が手前で軽く身悶え、反り返る。
「痛いか」
「・・そうでも、ないんだけど・・・」
「痛くはしない」
「・・うん」
無防備な弱点を、青島が預けてくれる。
信頼してくれているんだと思う。
それでも、硬直したまま強張る室井を不審に思った青島が小さく背中越しに振り返った。
そうして、くしゃりと笑って見せた。
それがまた、室井を喚かせたくさせる。
「コワイ?」
「・・・馬鹿言うな」
「そ?ビビってんのかと思っちゃった」
わざと明るく高めの声色で場を和ませる様子は、恐らくそれだけ室井が酷い顔をしているからだろう。
事実、未だ慄く指先の震えが止まらない室井は、気丈に理性で自身を納得させる。
この傷を負わせたのは、他ならぬ自分だ。
その自分の方が狼狽えてしまう資格なんかない。
室井が怯えれば青島は更に動揺する。
青島の方がもっと辛く苛酷な命の境を彷徨って、今も戦っているのだ。
なのに、本人がそんなこれ以上ないくらいあどけない顔で笑って見せるから。
自分のことで手一杯の室井に、手負いの野生なくせして、気遣ってくるから。
青島は背伸びしたがる部分もあって、大人びた顔をする時がある。
時には甘えたり、頼ったりしてくれたら、室井だってもっと手の出しようもあった。
それこそ、この秋の放火事件の時だってそうだ。
青島は室井には何も言ってくれない。
室井が思うくらい、踏み込んではくれない。
手を出させる隙すら、与えてくれない。
青島の中には果て無い壁があって、陽気で人懐こい笑顔を振りまく傍ら、誰もそこには踏み込ませないことを
秋の事件がはっきりと室井に征伐させた。
それが、哀しい。それが、苛立たしい。
憎しみさえ含有する苛烈な情動は理不尽な勢いを伴い、それは巡り巡って無防備なくせに頑固な年下の相棒へと向かった。
湯上りで肉が血の色を乗せ、より惨状を生々しく見せ付けるそれを、室井はしかと目に焼き付けた。
だからこそ、確かな絆や証拠を求めて心が咆哮する。
これは、青島に付いている傷じゃない。
室井に刻み付けられた烙印だ。そして、室井が青島に残した傷痕だ。
忘れない。一生、心に焼き付け、背負い、手放さない。
「ねぇ・・、なんでそんなコワイ顔になんの」
不意に掛けられた声に顔を上げれば、そこには、悪戯気ににぃっと笑う青島の瞳があった。
今の室井の決意も心境も、恐怖さえも見透かしたようなわんぱくな顔に、室井は更に憮然とした表情を作る。
「どんな顔をしている」
「・・・、戦地に出向する特攻隊?」
「見たこともないのに分かった風な口を利くな」
「えぇ~?でもきっとそんな顔ですよ、うん」
顔を前に戻し、くすくすと笑う青島の薄い背中が室井の目の前で生気を持って熱を帯びていて
それを確かめるように室井はその背中にそっと手を這わせた。
突然の刺激に、青島がふるっと震える。
「んんっ、くすぐったいよ」
「君は・・・もう少し筋肉をつけた方がいい」
あの時の衝撃も痛みも精神への惨劇も、青島の奥底にこびりつき、決して消えることはないのと同じように
喪失の恐怖と、孤独への怯えに晒された僅かな経験を、おこがましくも同じ過去として、共に生かせてもらえないだろうか。
心の中で、思うくらいは許されないだろうか。
痛烈な刃のような弾劾の裏で、でも確かに、苛烈で背徳的な情動が、激情だけに支配されそうな情欲を咆哮する。
ともすれば、切欠一つで危ういところで保っている理性を決壊させそうな脆さを室井に自覚させた。
そうなった自分はきっとどれほど残酷になれるのか、想像がつかない。
自分だけが彼に付けられた傷跡が、まるで、決して離れられぬ鎖のように夜の朧に煌々と灯を上げる。
「・・ね、室井さん。俺、生きてるよ」
「・・・そうだな」
「ラッキーマン」
「君のは悪運だろ」
「どっちでもいいよ」
ほぅ、とようやく穏やかな息が室井の薄い口唇から洩れ、室井はその肩口に思わず額を押し付けていた。
「分かっている・・・君は、生きている。・・・・・・・・・・・・・・良かった」
甘えるように青島が顎を上げ、後にくっつく室井の頭にこつんと後頭部を宛がった。
青島の濡れたままの髪が室井の後頭部を愛撫する。
ぐりぐりと押してくるじゃれる仕草に、室井はそのまま瞼を閉じる。
甘く鈍い痛みが胸の奥を疼かせた。
「ねぇ、それより俺、湯冷めしちゃうよ」
「そうだったな。傷の手当てをしよう。そのあと髪も乾かそう。・・・この消毒液か?」
「そう、それをね・・・」
青島の指示に従い、室井が処置を施し丁寧に傷口を覆い、最後にテーピングまで手伝った。
そこそこ丁寧に貼れたので、そう告げたら、看護士にもなれますねと目を細めて世辞を言うので
目を反らし拳でこつんと頭を小突いたら、青島はくすくすと笑った。
こういうところが、室井は根本的に闇の淵から救い出す。
青島が受け入れてくれるなら、室井は生きていける。
そのあと半纏を羽織らせ、青島が雑炊を食べている間に、室井も風呂を済ます。
さっきまで室井に重く圧し掛かっていた何かは、情けなくも今はすっかりと取れていた。
4.
室井が風呂からあがると、雑炊をすっかりと平らげた青島が皿を洗う音がする。
「ありがとう。でも傷に障る。後は私がやろう」
「もうおしまい。雑炊、美味かったです」
「有り合わせのものしかなくてすまない」
「じゅ~ぶんっ。室井さんの手料理喰えた。みんなに言ったら自慢になります」
脚を忍ばせその背後に近づき、後ろから室井は青島の手元を覗き込んだ。そのまま耳元に低く囁いてやる。
「みんなにバラすのか・・・?」
「・・ぇ」
今夜のことを、なのか、サンタの恰好で逃走したことを、なのか、それとも病院を抜け出したことを、なのか。
思い当たる節が多すぎる青島が絶句して固まった。
洗剤の滑りに任せ、青島の手から皿がシンクに派手な音を立てる。
その反応が面白くて、室井が吐息で笑うと、更に青島の耳が赤くなった。
急に年下の差がリアルに見え、室井はバスタオルを首に掛けながら苦笑し、寝室へ向かう。
「寝るぞ。電気を消してこい。暖房はそのままでいい」
「・・・あ、俺、こっちで――」
寝室の奥から室井が立ったまま振り返る。
すらりとしたパジャマ姿の高貴な背筋を伸ばし、スーツを脱いで前髪も撫で上げないただの男が、厳しさと支配を混在させた瞳を向け
青島を視線で捕縛する。
室井の真意が推し量れずに、青島がぎこちなく首を傾げた。
ゆたりとした間を取り、室井は毅然と答えた。
「こっちへ、来い」
寝室の暗闇に室井の双眼が獣のように二つ光っていた。
その光景に息を呑む青島へ、室井が目だけで命令する。
反論も、弁解も、許さない。
皿を洗い終わった青島が、その場に足を竦ませた。
有無を言わさぬ室井の眼光は、官僚として長年培ってきただけの含みがある。
青島はまだ迷いを覗かせながら、後ろ手で水道の蛇口を止めた。
しん・・と夜更けに相応しい静寂が鼓膜を緊張させる。
怖いくらいの緊張が青島へと染み込んだ。
もう一切言葉を発しない室井が沈黙で、答弁する気も気を変えることもないことを示すと
青島は手近にあった電気のスイッチも消した。
途端暗闇に支配される空間が重く二人の間に圧し掛かる。
怖じ気づくままに、傍にあったクッションを抱え、青島が部屋へと入ってきた。
衣擦れのような引き摺る足音が、ずず、と聞こえる。
どちらも喋らない。
雪灯りの反射でお互いの顔は認識でき、窓には雪が格子を縁どり積もっているのが分かった。
「・・ぁ、あ・・・と。で、でも、俺、男だし、床で充分ですよ。毛布かなんか・・あれば、嬉しいかな~・・・なんて」
覚束なく上擦る声は哀願とさえ聞こえ、自覚なく室井のなけなしの余裕を奪っていく。
クッションを両手で胸に抱き、半纏を着る青島の、子供のようでいて婀娜っぽさを残す格好から視線を外さず
ベッドの壁際へと尻を動かし埋まる室井が、じっと見つめた。
「腰を痛める」
「官僚を床に寝かせられるわけないだろ」
暗闇でもぷくっと青島が頬を膨らませたのが分かる。
もう青島のペースには付き合わず、表情一つ変えずに室井が厳かに片手を延ばした。
「ベッドへ、来い」
「・・!」
青島の飴色の瞳が完全に驚きに見開かれた。
言葉を失った大気がキンと鳴る。
「そ、そういう台詞はオンナに言えよ・・・」
青島が口唇を尖らせて呟くのを室井の双眼が視線で縫い留める。
ぎゅっと握り潰したクッションに気を取られ、青島の手元からはらりと腰に巻いていた膝掛けが床に落ちた。
長く耽美な生足が月白に映え上がる。
覚束ない足取りで挙動不審に視線を彷徨わす姿には、純潔ながら妖冶さを備えている。
長い生足が筋肉が張るたび妙に白く浮かび、半纏の上から延びる細い首筋も露わに室井を引き付けた。
まるで処女の初夜のような緊迫感が男の本能を意識させ、享楽的な微睡を夢想させていることを、青島は気付いているんだろうか。
「だから、その・・!ベッドに一緒ってのは・・ちょっと」
「・・・・」
「・・ゃ、嫌とかじゃなくてですね、それは流石に、狭いかな~なんて」
「見ての通りこのベッドはセミダブルだ」
「ぁ、そ、そう・・。連れ込み用の」
「・・・・」
「・・・ぁ、す、・・・いません」
何故か謝罪が返してくる青島に、薄い笑みに何の意味も持たせず室井が焦れたようにギシ・・とベッドを軋ませた。
びくっとして青島がクッションを更に強く握り潰す。
無言で腕を伸ばし、身体をベッドから引き延ばすと、室井は構わず青島の手を取り、手前に強く引いた。
「ぅわ・・・っ」
勢いよく室井の胸板に青島が雪崩れ込んでくる。
倒れ込んで来た青島を、室井は両手を広げ胸に引き込んだ。
「すまん。力加減を間違えた」
「ってぇ・・」
「腰は打たなかったか」
「室井さんって、意外とランボーなひとなんだって学びましたよ」
室井の胸板に突っ込み鼻を打ったのか、片手で摩りながら室井の腕の中で青島がむくれてくる。
至近距離のため、青島からの甘い匂いと体温に、室井は噎せ返るような眩暈がした。
キャリアは基本、みな鍛えている。
身体がモノを言う男社会だからだ。
そのためスレンダーな印象の室井は勿論、室井の周りもキャリアと名の付く役職にいるものは大概がガタイが良く、屈強だった。
しかも室井は小柄な方で、周りはもっと身長もある。
周りの人間に接するとき、室井は手加減など意識もしない。
だから、ついいつもの癖で思い切り青島の手を引いてしまった。
普段から専門的に鍛えてはいないノンキャリの身体は一般人と然程変わりなく、その上、今は踏ん張れるだけの下半身を持たない青島は
室井の力任せの腕力に、あっけなく屈服した。
青島と一緒に雪崩れ込んで来たクッションを枕元に添えてやり、室井は布団を上げてやる。
「本気で一緒に寝るんすか」
「そのつもりだが」
「疲れ取れないんじゃない」
「まだ言うか」
「だってこの光景、なんかヘンですよね?」
「変というのは当事者間ではなく外野が見た客観的な主張だ。ここにはふたりしかいない」
「・・・、ぅうん??なんか丸め込まれた・・・?」
ぐずぐず言う青島の肩を抱き、室井は胸元に抱くようにして、さっさと隣に引き下ろし横たえた。
軽く呻く声が聞こえるが、気付かないふりをする。
確かにこのまま体重をかけ、男の欲求に従い圧し掛かってしまっても、なんら違和感のない違和感があった。
腰を庇うように仰向かせ、青島の顔の横に室井の男らしい節ばった腕が伸び、片手を付く。
焦点を彷徨わせた無垢な瞳が室井を映しこんでいた。
成熟した笑みを浮かべ、室井は真上から青島を覗き込む。
何かを期待しているような危うい輝きは、取り留めない。
「大人の夜はまだ今度だ。怪我人は大人しく寝ろ」
「ぅ、また子供扱いして」
もう抵抗することも放棄したらしい青島が室井の手に促されるまま、身体をベッドに預けた。
そっと布団を肩までかけてやる。
「いいから寝ろ」
「室井さんの隣で寝る日が来るとは思いませんでしたよ」
「添い寝してほしけりゃいつでも言え」
「カラダは空いてんだ?」
「無駄口はいい」
室井も揃って横になる。
青島の吐息が耳を擽り、同じボディソープと青島の匂いが鼻腔を擽り、寝室の気配を色付かせた。
青島の体温が足元から布団の中を暖め、いつもより早く安息を促す寝具に
室井は奇妙な安堵感を憶える。
酩酊感すら巻き起こすこれは、何の褒美なんだろうか。
ベッドサイドの月白に浮かぶ窓辺の雪に一度目をやり、室井は時計を見た。
12時を回っていた。
今夜はクリスマスだ。
室井は奥歯を噛み締めるままに横に寝る青島を確かめる。
室井の衣擦れの音で気付き、寝返りは打てない青島が首だけを室井に向けていて、小さく目を細めてきた。
笑いかけてくれる甘い吐息に、室井の息が詰まり、漆黒の虹彩が光を取った。
「なんか、あったかいですね」
「君の体温が高いんだ」
隣の青島の瞳は何とも言えない淡い飴色で、夜を飾り、蕩けそうなほど魅惑的だった。
兇悪的に吸い込まれる引力にたじろぎ、室井が視線を天井へと向ける。
「なんかどうにもこうにも変なかんじです・・・隣に室井さんが寝てるよ・・・」
「隣が私で悪かったな」
「ここ、どこ・・?おれ、なにしてんの・・・?これ、犯罪じゃないよね・・・?」
「・・・・何のだ」
布団の襟に丸い指先とちょこんと覗かせ、青島が息苦しそうに息を吸った。
「あー、すっげ、きんちょーしてんすけど」
「緊張?」
「あの室井さんが隣にいる・・・キャリアと添い寝する光景ってどんなん・・・?」
「君にも人並みな感覚はあったんだな」
「?」
首をこてんと傾げた青島がそのまま顎を反らして窓を見上げる。
「まだ雪降ってるよ」
「そういう地方だ」
「あんたもこういう土地育ちでしたよね」
「・・・そんなセンチメンタルな時代は過ぎたな」
「ふぅん・・・」
ひそひそと低い声で素っ気ない室井の返事に気を悪くするでもなく、青島はくりくりした目で遠くを見た。
喉仏を反らす青島の輪郭が艶冶に浮かび上がり、雪の光に浮かんでいた。
綺麗だと、ただそう思う。
しんしんと降り積もる雪の音さえ彼は味方にしてしまう。
「そこもこんな雪?」
「雪だな」
「行ってみたいな~・・・」
「何もない。寒いだけだ」
「添い寝してほしかったらいつでも言っていいですよ」
「カラダは空いているんだな」
「スケジュールを優先してあげるって言ってんの」
ペシッと足で小突くと、暗闇でくすくす笑う声と震動が室井の身体中をを擽った。
思いがけない甘ったるさに感謝よりも先に恨みが口走りそうだ。
室井は意志の力で目を閉じ、仰向けになった。
隣からは、ぼやく青島の甘く艶のある声が寝物語の如く延々と大気に溶けていく。
「寝れない~・・・どうしよう、俺、修学旅行んときとか、寝れなくて徹夜しちゃうタイプなんですよね」
「だからなんだ」
「どうしたらいいんですかね?」
「薄志弱行という言葉を知っているか」
「知らない」
「・・・・」
なんだってんだ。まさか朝までこの状態を続けろというのだろうか。
「室井さんは眠れた方でしたか?」
「・・・」
「眠れたんだ・・。わくわくとかないのかねぇ」
「状況に支配されないよう訓練を積むのが修学旅行の本旨だ」
「うっわ、優等生」
「・・・」
「いたな~、クラスに一人はそういうカタブツ」
「堅物とはなんだ」
「ぇ、そこは反応すんだ?」
「・・・・」
「ねぇ、えろとーくとか、混ざりました?」
「私は大概各班の点呼を手伝う役だ」
「ぇ、そのころからこぉゆうトップになりたかったんですか?」
「なりたい、じゃなくて、なるために、訓練をしていたんだ」
「うっわ、つっまんね~」
「やかましい」
「女の子と抜け出したり」
「それはやったな」
「余計ねむれなくなっちゃいました・・・」
――20分後――
「とかなんとか言ってたくせに・・・・・」
片肘を付いて上半身を起こし、室井は隣で爆睡している青島を見下ろした。
安らかな吐息が規則正しく流れ、彼が夢の国へ誘われていることを示している。
片手を布団から投げ出し、室井の方に寄り添わせた鼻筋に前髪の陰影がかかり、彼の典雅な顔を雪灯りの中に揺蕩わせた。
贔屓目などではなく、ハンサムで美男子なんだと思う。
きっと沢山の女性にも意識され、好かれて育ってきた人間だ。
人知を超えたものなど、この世に幾らでも起こり得る。
昨日は独り寝をしていたベッドに、今は青島と共に添い寝する奇妙な推移に室井はクリスマスの奇跡を想った。
頑なに凍えていた室井の心を溶かし、奥底まで入り込んできて、無防備に寄り添ってくる。
かつて恋人だった女を海に奪われた過去を持つ室井にとって、彼を手元に返してくれた奇跡は、正真正銘クリスマスなのだ。
サンタの恰好をして現れたプレゼントは、祈りに近い敬虔さを持ちながら、暗く静かな遮蔽の中で異質で
どこか室井に綺麗なものだけを見ている青島に良く似ていた。
眠れないだの、緊張するだの、言いたい放題だった紅い口唇は薄く開けられ、林檎のような滑らかさでしっとりと濡れ
途切れない小さく安らかな寝息を室井に聞かせてくれる。
眠りにつくあどけない横顔にかかる前髪を、起こさぬよう室井は指先で、触れたら壊れるかのようにそっと梳き上げた。
室井とは違う柔らかな髪がさらさらと指先から零れ、可愛らしい小ぶりの額が現れる。
「・・・・いい気なもんだな」
この男に出会って室井の人生は大きく変わった。
勘違いでも錯覚でも良かった。
間違いでも構わない。
絶望的な歓喜に喚く心は止め処なく、唸る風が啼声のように胸を煽る。
規則正しい寝息は人の安息を誘う。
身を起こし、両肘を顔横に付いて室井は青島の上に覆い被さった。
指先がたどたどしい動きで青島の頬を掠めれば、ぷにっとした肉感を伝えてくる。
穏やかな寝息が室井の口唇に触れた。
「・・・よかった・・・」
生身の肉体の息吹はこんなにも鮮烈だ。
生きている。彼が確かに生きていて、ここにいる。それを何という感謝で表現したらよいのか、室井は知らない。
サンタクロースは確かに青島を室井の元へと返してくれたのだ。
自分で沢山傷つけた癖に、どんなに罵られようと、室井は青島の傍に居たい。
心の赴くままに室井は顔を傾けた。
無意識だった。
ふっくらと潤い溢れる口唇を、上からそぅっと柔らかく塞ぐ。
今夜はクリスマスプレゼントくらい貰っても、罰は当たらない気がした。
外はしんしんと雪が降り積もり、街を更に雪の中へと消していた。
窓は曇り、薄っすらと明るい聖なる光が二人を包み、この闇の中へ帰ってきた男の気配に満たされる。
どうしようもなく、ただ、彼の傍に。
それだけが室井の願いだった。
白い靄に霞む夜の中で、昏迷した思考が室井に限りない欲を後から後から溢れさせた。
