20 周年お祝いシリーズ
お祝い作品・室青二作目。登場人物はふたりだけ。時間軸は室井さん美幌時代。クリスマス ス トーリーです。










04.冷たい手でもいいよ
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真っ白な雪は心の奥まで降り積もるのだと教わった。


見慣れていた筈の一面雪景色の中、室井は重たい足取りで帰路に就いていた。
とっぷりと暮れた街の外観が黄金色のイルミネーションに飾られる。
安っぽい赤だの青だのチカチカ点滅が連なり、霞む雪闇の果てまで光は続いた。
店や木々をおざなりに取り巻く人々の群れを懶げに避けて歩けば、頭上にはうんざりするほど使い古されたメロディが繰り返されていた。

温もりを探し求めていたわけではないのに、無意識に室井の足が止まる。
カナリア色の店内の漏光が踏み荒らされた雪をオレンジに照らし返す。
硝子に映る自分の、あの日と同じ黒々とした瞳と、同色のコートに包まれる姿が、交錯する雑踏から妙に逸れて透け浮かんでいた。

季節は年の瀬、年を越していく独特の空気が此処、北の大地でも感じ取れ、慌ただしく今年が終わろうとしていた。
移ろう時間は歳を取るほどに足早に過ぎていく。
室井がこの閉ざされた雪国に飛ばされて一か月が経とうとしていた。


「ホールケーキ、限定販売してま~す!」

黄金の鐘を鳴らしながら店頭販売しているサンタの恰好をした若い店員の歯切れの良い声が雪の街に明るく響き渡り、北国外れの景気を盛り上げる。

あのセンセーショナルな事件が引き起こした代償は、結局こうして自らの進退で落とし前を求められた。
降格人事と人は見るが室井にとっては少し違った。
制裁を己の意思で取らされたのだ。室井が受諾しないとも上は思っていなかっただろう。
階級社会に巣食う人種ならば当然の流れだった。
張れる意地があるだけ、マシなのだ。
後悔はしていない。
それでもその結果、一番大事な人間を死の淵に追いやった罪は室井にとって何より深甚だった。
一番大事――それさえも、あの嵐のような三日間の中で迂闊にも気付かされた失態だ。


吹き荒ぶ北風に首を竦め、室井はその身を固くした。
マフラーもしない黒いコートの襟首に途切れない淡い粉雪が降りかかる。
北国育ちで雪など珍しくもなかったのに、長い東京生活ですっかりと身体だけは都会の生温さに馴染んでしまったようだった。


「特売品もありまーす!ノベルティもございますのでどうぞご覧ください~!」


今夜は12月24日だった。
世間はクリスマスイブを迎え、恋をする者たちが色めき立つ。
平日にも関わらず賑わいを見せる商店街は、札幌などの大都市ともなれば都会宛らトレンドに彩られるのだろうが
それでも物柔らかなロマンスグレーはここ美幌でも感じ取れた。

室井にも恋人と過ごした甘い青春時代はあったが、今となっては遠き思い出だ。
あの頃の未熟で拙い恋を、宝物のように思うには大袈裟だったし、無価値だったと忘れ去るには重すぎた。
恋をするには遅すぎる。愛を語るだけの言葉もない。
今年もまた訪れたクリスマスイブを、ただシーズンとして通り越していく。

未開拓地に馴染む術を求められる時はキャリアである以上、必ず訪れる。
生き残る。今はただそれだけを心に留め、室井は口も心も雪と共に堅く閉ざす。


立ち止まったまま、クリスマスケーキを調達する親子連れやカップルの群れを室井は漫然と瞳に映していた。
眼前の白い外壁の洋菓子店はお決まりのカラーに装飾され、ガラスには雪結晶の絵が描かれ
ケーキはどれも丁寧なデコレーションを施され、フルーツやチョコなどを彩り、芸術作品のようにガラスケースに並ぶ。
サンタクロースの恰好をした女性店員の黄色い声が彩りも豊かに師走の夜空を彩っていた。

ゴールドのロゴが入った上品な箱に注文の品を仕舞い、恭しく手渡しすれば、プレゼントを貰ったかのように子供たちの顔が綻んだ。
北風に晒され掠れた頬が皆、林檎の様に染まる。
絵に描いたようなアットホームだ。


室井の黒々とした瞳は、それはただ映像として映した。
玲瓏な顔を崩さず、冷たい雪に足元を埋もれさせながら、ただ黙って見続けた。


独り身と土地柄の骨身にこたえる飢寒に、今、独り酒を引っかけてきたところだった。
仕事上がりだけは自分を赦し、室井は商店街の外れの小さなおでん屋で熱燗を呑む。

署長という立場は皆が崇め奉り、結局のところ、ろくな仕事が回ってこない日常は、ひどく退屈だった。
そもそもこんな呑気な北国で都会的な事件を期待する方が間違っていた。それは分かっていたのに、慣れた都会の風習が室井の焦りを生み、虚無感が悪戯に傷つ ける。

焦燥の根源が何であるかを突き止めるのが怖くて、土地のせいにして夜毎酒に誤魔化した。
定時に上がる生活にも、時が流れれば慣れ、東京に残してきた傷痕は癒えぬまま、ここの習慣も覚えてきた。
積もる雪のようにやがて埋もれて沈んでいく我が身を惜しむ者もいない。
それでも、いつか、東京へ帰る。
いつか、あの大舞台の中枢へ、戻りたい。

それは脆い夢なのかもしれない。
春になれば溶けてしまうような、あっけない泡沫のような。
うっかり触れたら割れてしまうシャボン玉のようで、迂闊に言葉にすることすら、なくなった。
この無限に閉ざされた雪に埋もれていると、一生ここから抜け出せないような気がする。
それも運命であるならば、以前の室井ならば己の選んだ道だと受け止めただろう。
でも今は少し違う。

待っていてくれるかは分からないが、共に戦いたい人がいた。
赦されるのならば、その男に恥じない生き方をしたかった。


粉雪が突風に舞い上がる。

一陣の風が押し寄せ、室井のコートごと巻き上げ、ひとたび視界を覆うほどに白く粉雪が乱れ散った。
室井は尖る顎を上げ、蓋をしたように閉ざされた天を仰ぐ。

息が、苦しい。

狂おしい感情は決壊を失って、時折こうして息継ぐ間も持たせずに室井に襲い掛かった。
煌びやかな宴の後の滅んだ夢跡が、歯を食いしばるほど、北国の凍えた大気に晒され脆弱な奥に忍び込まれるのだ。

こんな遠く離れた雪国に来てまで、どうして彼しか浮かばないんだろう。
目を閉じれば冬の匂いに混じり、都会の喧騒とあいつの声が聞こえる。
弾けるような時間と、目まぐるしい苛立ち、搔き乱された焦燥感とうだるような彼の鼓動。
心の奥まで搔き乱す彼の意思、その高い体温。
そして今も瞼の裏に色濃く焼き付く赤く滴っていた流血。

早計すぎた室井の政治判断が亀裂の呼び水となり、蟠りを持っていたのは室井の方だったと知ったのは
ぎくしゃくしたまま迎えた結末が刃となって彼へと向かった後だった。

熱く、噎せ返るような凝縮した時間と唐突に崩れた終焉の残響に、今も室井は囚われる。
海の香りがする街で彼と出会った。
驚くほど純粋で強い瞳をした青年だった。

ただ、もう一度、君に出逢いたい。


「ありがとうございましたぁ!」

明るく黄色い声がハモり、ハッと室井の熱を帯びる思考を遮った。
絶え間なく降り注ぐ粉雪が窓辺を濡らし、記憶とは対照的の凍えるような大気が肌を切り裂く。
店の周辺に並んだ車の赤やオレンジがぼんやりと煌めいて見え
急速に体温を奪う雪がコートに纏わりついていた。

時折車の滲むライトが室井の瞳の闇と黒々としたカシミヤコートに光ごと奪うように射し込んだ。
店先のショーケース越しには、真っ赤なサンタクロースの女性店員が手を振って客を見送っている。
サンタの衣装はそれにしても短い。
腰のあたりから長い生足のような白い肌が覗き、白々と雪に映えて目を奪う。


「こちらが今年の大人気商品となっておりまぁす!いかがですかぁ?」


再び北風が室井のコートの裾を心を煽るようにバサバサと荒く巻き上げた。
明るい店先から目を反らし仰げば、低く垂れ込む黒鉛のような雲が濛々と覆り、塵のような雪が唸りを伴い巻き上がる。
今夜も荒れるのかもしれない。
早く帰ろうと、室井は東京時代から愛用している黒鞄を冷たくなった指先で持ち直す。


「ほらこれがね、おまけ!特別だよ、あげるから並んで!」


室井が真に欲しいものは、最早家庭のぬくもりではなくなった。
待ち人が帰ってくる居場所でも、ありきたりの恩恵でもない。
富や名声よりも、ただ一つ、どうしても欲しくなってしまったものがある。

奪いに行くにはあまりに遠く遥かな彼方となってしまったそれを思考から閉ざし、室井はシャーベット状になっている雪に足を乗せた。
目の片隅に、ショーケース横のサンタクロースが子供たちに囲まれているのが見えた。
カウンターを女性に任せ、男性店員は雑用に回っているようだった。
宣伝のために配っているのだろう、サンタクロースが持っている小さな籠には詰められたクッキーが山盛りとなり
丁寧にラッピングされたそれらはまるでクリスマスプレゼントのように色とりどりのリボンが揺れていた。


遥か昔、強請れば魔法の様に翌朝枕元に両親が小箱を置いてくれた。
大人になったらサンタクロースは来てくれない。
欲しいものがあるのなら、大人は自分で叶えにいかなければならない。
でもそれは、欲しがることを赦された者だけの特権だったのだと室井は思う。


「押さないで!たくさんあるから・・!」

子供たちが両手を大きく伸ばして弾み、サンタクロースが沸き立つ声に紛れてもみくちゃになる。

サンタクロースもまた、この雪の様に一瞬の幻だ。
一夜限りの夢を遺し、時の彼方に消えていく。
幼い頃だけに訪れた一瞬の魔法なのだ。


手先が悴み、雪で赤くなっていた。身体が冷えてきた室井は、今夜の酒が抜けきる前に帰宅する。
すっかりと覚えてしまった店先も、今夜だけは異質なファンタジーゾーンに様変わりしていて、一層肩身が狭かった。

晩飯は済ましたから後は風呂に浸かって寝るだけだ。
久しぶりに実家に電話でもしてみようか。なんとなく今夜は誰か人の声が聴きたい気分だ。
いい歳してと、笑われるだろうか。
この一か月、環境が齎す慌ただしさに何もかもが雑になっていた。
どうせ、降格を受けたことすら報告していない。良い機会だった。

「赤に青に緑。どのリボンがいい?」

通り過ぎようとして、ふと、店員の艶のある明るい声が室井の記憶の中の声と重なった。
何となく振り返り、サンタの顔を見る。

「・・・・」
「・・・・」

タイムラグの後、サンタの視線も店先で立ち止まる不審な男の姿に止まった。
子供たちの甲高い声がBGMのようにざわりと歪む。
目元がふと曇った。・・ような気がした。

「・・・・」
「・・・・」

白髭を生やし、真っ赤な帽子、だぶだぶの真っ赤な上着、だぶだぶ真っ赤なボトムス。
足元も赤茶色のブーツを履いて、ちょこんと覗く小さな指先が温かそうに包まれる。

「・・・・?」
「・・、やっべ・・っ、ごめ、俺、ここまで・・!」


サンタが隣の女性店員になにやら耳打ちすると、そのまま籠を手渡した。

サンタが店の裏へと逃げ去る。裏路地を抜け、そのまま逃走した。
細い雪道をサンタがひょこひょこ、不格好に逃げていく。

「――」

女性店員の顔色を室井の視線が伺う。
不思議そうに肩を竦める彼女。
もう一度室井は奥手へと視線を戻した。
片足を引き摺ったサンタが必死に走り去っていく。

「・・!!」

室井は我に返りサンタクロースを追いかけ始めた。











2.
真っ白な雪景色が取り囲む大平原を真っ赤なサンタクロースが逃げていく。

わりと直ぐに室井は追いついた。
何故ならサンタは左足を引き摺っているからだ。
雪道にも慣れていない素人の足取りはただでさえ重く、時折バランスを崩し滑らせながらもたつく足取りの拙さは
雪国育ちの室井にしてみれば赤子より容易い。

走ると表現するには語弊があるサンタの逃走は歩く速度よりも遅かった。
それでも必死に息を千切らせ遠ざかろうとする健気さに、背後で室井は腕を掴んでも良いのか、引き留める声を先にかけるべきか
捕まえたら悪い気さえして、どうしたもんかとまごついた。

ばふばふと無謀にも積もる雪の森へとサンタは突き進んでいく。

商店街を抜けた此処はもう民家もなく、雪だけに覆われた月白の世界が広がっていた。
街灯もなく、人の声も動物の気配さえも吸い込む、極寒の白銀世界だ。


「・・っ、ふ、は・・ぁ・・っ、は・・っ」
「・・・・」


少し背の高く足の長いサンタクロースから断続的に白い息を吐きながら上がる苦し気な息遣いが耳に届いた。
必死に片足を引き摺る姿は痛々しくも哀れでもあり、室井の眉間が深く刻まれる。
ゆっくりとジョギングするような動作で約1mの後ろを並走し
幾度か捕まえようとする室井の指先が宙を彷徨い、躊躇い、下ろされる。

トナカイもいないこのサンタの顔も見えないし、声も確認出来ないが、確かに見知った気配がした。


真っ赤な塊と真っ黒な塊が並走する奇妙な光景が郊外まで抜けた頃、雪は大粒なものへと変わった。
動物の足跡ひとつもない、誰にも踏み荒らされていない大地が月白に広がる。
奥手が霞む一面にしんしんと降り積もる氷の飛礫は、生命の息吹さえ声も立てずに奪い取る。
北国で生まれ育った人間は、このパウダースノウに夢を見ない。

そこのど真ん中を、ばふばふとサンタクロースが突っ込んでいく。
遠慮も情緒もない大胆な足取りだ。
随分と素行の悪いサンタである。

危険なものを物ともしない、その突飛ではらはらさせられるこの感覚に、懐かしく深い馴染みがあった。
何故か少し熱くなる目頭と、胸騒ぎが織りなす息苦しさに室井の眉間が深く寄る。


「は・・っ、は・・っ、・・ひ・・っ、ふ、ぅ、はぁ、・・・、」
「・・・・」


雪原を自在に動く赤と黒の影が、たったたったと軌跡を描く。
それを飽きずに追いかけっこが続く。
傍から見た者がいるとしたら、かなり異常な光景だっただろう。
人影がなくて幸いだったと室井は内心安堵する。

一体自分は何をしているんだろう。
この奇妙な聖夜の行進を振り返り、雪原に描く幾何学模様に問いかける。

サンタの息切れが激しいものに変わってきた。

真紅というよりは朱殷色の衣装、帽子のてっぺんには雪色のぼんぼんを揺らし、上着の裾のファーがランダムに踊る。
サンタクロースの防寒対策までは知らないが、もこもこした衣装の生地は軽く、ふわふわと舞う裾を見て取っても
然程、寒冷地向きとは思えなかった。
これ以上は流石にまずいと思い、室井はそろそろ頃合いかと距離を一気に縮めた。

手触りの良いクッションのような衣装に指先が掠め、それにサンタが気付きぴくんっと飛び上がる。
ムッとして更にかき寄せるように指を開けば、それを退けようと、ビクついたサンタが手を振り払おうと身を捩った。
腕を引き寄せようと二の腕を掴むが、振り払われ、んん、と苦情が聞こえる。

最早行く当てもどこなのか韋駄天走りで斜めに左右に、サンタクロースが室井から慌てふためき必死になった。
何度か反抗的な態度を繰り返していると、やがて抗うその拍子に勝手にバランスを崩し
ついに真っ白な雪原に真っ赤な物体が倒れ込んでいった。

既に体力的にも限界だったのか、或いは最初から剛健な室井から逃れるのは無理だと悟っていたのか。
サンタは空中で抗うことを放棄し、風の如く身を委ね、そのまま雪原に大の字になってばっふんと埋もれていった。
頭からだ。
反動で、僅かな残光を吸い取る粉雪が一斉に真っ赤な衣装の真上に舞い上がる。

室井は静かに足を止め、手前でうつ伏せに埋まる物体を眺め下ろした。
豪快な倒れ方だ。
綺麗に大の字が描かれている。
というか、顔から突っ込んで苦しくないのか。

直立不動の黒々とした生き物が黒々とした瞳を留め、顔色一つ変えずに薄い口唇を動かした。

「青島くん、だろ?」
「・・・・」

返事はない。でもそれが答えだ。
室井は荒げてもいない肩で大きく息を吐き灰色の雪雲を見上げた。

辺りは雪で霞み、ひと気もなく、真っ白だった。
静かだ。
音もなく空から幾重にも舞い落ちてくる白い氷塊が、白い大地を更に閉ざしていく。
咽ぶようなサンタの荒い息遣いが唯一つの息吹だった。

広い敷地には、自分たちが踏み荒らした足跡がまるで迷走する自分たちの関係性の如く、くるくると続いていた。

「身体が冷える」
「・・・・」
「ここで何をしている」
「・・・、・・雪をねっ、堪能してるんですよ・・っ」

荒げた息の中からようやく聞き慣れた声が聞こえてきた。
奇妙に空疎な気分は薄れ、室井はただその言葉を聞いた。

不慣れな雪とはいえ、この程度の距離で体力すり減らすほど警察官は軟弱じゃない。
長い入院生活と、癒えぬ傷痕と、この極寒の気温が更に少ない体力を奪ったことを証明していて
室井の胸の奥が千切れるように痛んでいた。
目の当たりにする現実はいつだって手厳しい。


「珍しくもないだろう・・・」
「都会育ちなもんでしてね・・っ」

呟く様に漏らせば、それにも律義に返事が返ってくる。

何でこんな北国に青島がいるんだろうか。
怪我の回復はどうなんだろう。まだ一か月しか経っていないのに。
いつ退院したかも知らない。
便りも届かない、出す者もいない、こんな遠方の北外れの地なのに、今、ふたりの時間がこうして交錯している。
その奇妙な融合が、何故かこの白銀の世界で成就する。

それともやはりこの存在はサンタクロースなだけに、まさかいい歳して室井の願望が生み出した幻を追ってきたとでもいうんだろうか。


「病院はどうした。退院できたのか」
「・・・・まだですけど」
「――、何をした」
「・・・・退屈だったんですよ・・っ」

相変わらずうつ伏せで雪に顔を突っ込んだまま、青島が糺す。

「ってか、なんで俺に気付くの!?ほとんど顔隠れてたよね?!」
「・・・見れば分かる」
「ピーポくんでも当てたじゃない」
「・・・刑事だろ」


逢えたことに浮き立つ心と、昔話を共有できる特別感は、凍え固まっていた室井の心を氷解させた。
青島なんだ。本物だ。本物の青島なのだ。
饒舌な性質ではないのに、青島相手には室井はするするとくだらないことが口を滑る。

思い知らされるのはこんな時だ。
彼の艶のある高めの声と、その存在に、こんなにも心が騒ぎ、引きずられる。
いつの間にか誰よりも忘れがたい男へとなっている。
と同時に、自らがしでかした罪が凶悪なまでに自身を罵り、身の程知らずだと嘲笑う。
一番大切な人間に、生涯消えない傷を負わせた。その命さえ脅かした。大事で愛おしくて大切で狂おしい、そんな宝物のような存在を、護れなかった。
正しいと思ってした決断が、一番大切なものを傷つけ、失うところだった。なのに、今も傍に置きたくて、抱き締めて確認してしまいたくなる。
破裂しそうな心はブリザードのように室井を襲っていた。


「文句でも言いに来たのか」
「観光です」
「観光に来た人間がケーキ屋でバイトか」
「ほっといてください」

清廉潔白だなんて人は言う。
でも自分の中はこんなにもどろどろだ。
雪の様に白く透明で純粋で、聖夜にしか現れないような男とは、こんな一過性の偶然程度がお似合いなのだ。
室井は理知な瞼を静かに伏せ、重い息を薄い口唇に乗せた。

流石に息が苦しくなったのか、青島がばふんと両手をばたつかせ、ぱふっと顎を上げる。
大の字が少し崩れた。


「割と・・・似合ってるぞ」

ふっと青島が吐息だけで笑った気配が伝わる。

「頼まれちゃうとね。俺も時間持て余していたし」
「八方美人だな」
「親切って言ってくださいよ。こっちもいつも人手不足で悩んでる身ですから」
「で?いつまでそうしているつもりだ」
「雪が珍しくてね」
「これからどうするつもりかと聞いている」
「観光の続きです」
「もう夜だぞ」
「北海道は夜からでしょ」
「ここを札幌や函館と一緒にしない方が良い」
「穴場スポットってやつです」
「・・・・そんなものはない」

言葉のキャッチボールに追い込まれた青島が、早々に諸手を挙げて開き直る。

「~~、ぅ、も、どうだっていいでしょ!関係ないじゃん」
「雪の中で行き倒れている男をか」
「いいの!好きでやってんですからっっ、ほ、ほっといてくださいって言ったでしょっ」
「なら私は帰るぞ」
「どうぞっ」


室井は眉間に深い皺を寄せた。

意地になっているのは分かるが、観光だと言い張る男に、この先何と言って丸め込めば良いか、分からなかった。
こんな大雪原の中に彼を置き去りにするほど虚けではないし、できればもっと話をしてみたい心は逸るが
一度も振り向かない青島から、拒絶と隔意の気配がありありと感じた。

「・・・・」
「・・・・」

仕方なしに、室井はそこに小さく溜息を落とすと、諦めたように背を向け、帰る素振りを見せた。
慣れ合うことを嫌うこの男はきっと、引き留めることもないのだろう。
独りで肩肘張って、甘え上手なくせに、室井には強がりたがる。
でも、その強がりが自分たちに一定の緊張感と臨場感を生成させ、健全で生産性の高い未来へと導いてきた。

別れの挨拶もいらないんだろう。


「・・・・・・・・・まっ、待って・・っ」


びっくりした。
室井は目を見開き、ぐるりと振り返る。
青島からの願いはいつだって室井を栗立たせる。
室井が足を止めると、青島がまだうつ伏せのまま、手をばたつかせていた。


「・・・・・ぬ、ぬけなくなっちゃいました・・・・・」
「・・・・」

今度こそ室井は天高く大きく溜息を吐いた。



*:*:*:*:*


「君は――、・・・ああ、もういい、じっとしてろ」


室井は鞄を雪の上に投げると跪いた。
今更この男に男の情緒を諭しても仕方がない気がした。

腰の痛みで身体を持ち上げられないのだろう、青島はうつ伏せのまま起き上がろうとして、そのまま雪にずぼずぼと両手を埋めていく。
降り積もったばかりの北海道の雪はまだ柔らかく被さる物体を冷酷に沈め込む性質を持つ。

暴れるなと言ったのに、なんとか独りで踠がこうとする青島は、室井が手を出す前に向こう側に頭から滑り落ちていった。

「・・・・」

雪で分からなかったが、此処は少し傾斜になっているらしい。
尻だけこちらを向け全身雪塗れだ。
あ~あ、と内心言葉を失いながらもそれは顔に出さない。

室井は雪に幼い男に呆れつつ沈む二の腕を掴みあげ、刺された腰を庇うように反対の手で支えながら青島をぐいと腕に引き寄せた。
大人しく収まる暖かな躰は、あの夕暮れに触れて以来だ。
思ったより軽い弾みで室井の厚い胸板に頬を押し付けるように青島が倒れ込む。


「・・ぷは・・っ・・」
「大丈夫か」
「す、すいません・・・」

そのままずぼっと埋まった脚を引き抜こうとして、青島が室井の肩を借りて自ら脚を持ち上げた。
途端、バランスを崩し、そのまま後ろに傾いていく。

「うわ・・っ」
「おい・・っ」

ばっふんと赤と黒の塊が折り重なるようにして雪に沈み込んだ。
支えようとした室井ごと、傾斜の下にずり落ち、ビーズを散りばめたようなパウダースノーが光の粒子になって舞い上がる。


「おっまえなぁ・・・」
「かっ、・・重ね重ね・・・すいません・・・」


口にまで入り込んだ雪を吐き出しながら、青島がぶるっと頭を振れば、室井の目の前でぼんぼんが踊った。
室井の黒いコートにも雪が白く光り付き、スラックスの裾からも氷が入り靴下を湿らせる。

いい歳して、こんな雪原で、一体何をやっているんだろう。

何だかもうどうでも良くなって室井はその場に大胆に尻もちを付くと、隣で未だ起き上がれずにいる青島を引き寄せた。
遠慮もなく腰から抱え、膝元に誘い込む。

雪が放つ光の加減で宵闇は仄かに照らし返され、辺りは藤色に染まっていた。
しんと静まり返る雪の中で、ようやくお互いの視線が真正面から重なる。


「・・ぁ・・」
「・・・・・」


言葉は発せず、室井は手袋もしていない冷えた指先を伸ばし、青島の付け眉毛を剥がした。
次に、緩慢な動作で付け髭をそっと取り外していく。
雪塗れの中から、良く知る顔が現れる。
その手が空で止まった。

雪のような透明感ある肌に、林檎のように赤い頬と口唇。
ふわっと散りばめられた粉雪が肌に乗り、触れて、溶けた。
睫毛を濡らし、蕩けるように密着して光らせる。
サンタの衣装は胸元に大きなダスティピンクのリボンがかかっていて、白いこんもりとしたクルミボタンが幾つか続いていた。
黒のベルトが細い腰に巻かれ、その下に広がる柔らかいファーと、だぶだぶの袖。
同じくだぶだぶのズボンにも白いファーが付く。

男の視線を奪うようなピュアで透明感がありながら
見慣れた、室井の記憶以上の、一か月ぶりの青島がそこにいた。


何と言葉を発して良いのかまるで分からず、室井はただじっと漆黒の瞳を青島に向けた。
室井の深い闇色の虹彩が懐かしさだけではない熱を帯びて色めけば
それを吸い込まれる眼差しで、少し苦笑を乗せて見上げてくる青島の色素の薄い瞳がはちみつ色の光を纏って室井を確かに認識していた。

言葉は最早邪魔でしかない。
無駄な世辞も繕った小言も、耳障りの良い社交辞令も、白々しいだけだった。


「どうして――ここにいる」


他に理由はないと知りながら、はっきりと青島の口から言わせたかった。
室井の声が低く掠れたように響く。
それを悟れない青島ではない。
僅かに虹彩を潤ませ、青島は小さく笑みを落とした。


「勢いでさ・・・ここまで来ちゃったけど、まさか署で待ち伏せするわけにもいかないし、住んでる場所も知らないし・・・、あそこなら通るかなって」

あの商店街は署と官舎を結ぶ連結道路だ。
いずれ室井が通ると踏んでもおかしくはない。が。

「いつになるか分からないのに」
「いざ来たら怖じ気づいちゃいましてね・・。遠くから元気な姿、拝めればいいかなって。・・・そしたらあんた、気付くんだもん」


参ったよ、と言いながら青島は俯き、袖口のファーから入り込んだ雪を手持無沙汰に振り落としていた。
室井の指先が、一度戸惑い、それから不自然さもない高貴な動作で青島の前髪に残る雪を払うと、青島はあどけない顔をしてふるふると頭を振る。
小動物のようで、室井の気配がふっと緩んだまま、その指先が青島の頬を掠めた。


「何故ここに来た」
「・・・あんたこそ、なんでいなくなったの」

似たような質問返しに負かす答えを持たぬことを知る。

「・・・辞令が下っただけだ」

嘲笑に似た吐息で青島が室井の手を払った。
指先は、冷たかった。

「俺の、せいか・・」


青島の堪え入るような声色が雪に解け、語尾は霞む。
室井は息が詰まるような距離感に、我知らず瞼を閉じた。


「君に怪我をさせたのは私だ」
「そうですねって・・・言われたら満足ですか?」
「合わせる顔がない男の意地くらい、持たせてくれ」

本当は心配で心配で病院まで出向いた一件は、どうやら和久の口から伝わってはいないようだった。

「俺のこと・・・邪魔になりましたか?」
「君こそ、私を見切れば良かった。・・放火事件のこともある」
「厄介払いしたんだ?」
「考え方の違いは政治の軋轢を生む。この先も平行線だ」
「はっきり邪魔だと言えばいいのに」
「枷となって君の動きを妨げたのは私だと思っているんだろう?」
「俺、それでも信じてるって言いませんでしたっけ」
「・・・・」
「あれ、精いっぱいのエールだったのに」


赤らんだ頬を膨らませ、青島が視線だけを上げてくる。
濡れてうねる前髪の奥から艶めく瞳に、引き付けられ、室井は喉を小さく唸らせた。

混沌と渦を巻きせめぎ合う心が叫んでいた。
ただその存在が、眼差しの狂おしさが、室井を追い詰める。
どうしてこいつはいつも、いつだって、こうして室井だけを見つけ、室井だけを慕い、限りない熱を与えてくれるんだ。
名付けることのできない激しい感情がそこにある。
それを受け止めるだけの覚悟も持たない男を追いかけ、こんな北の外れまで。


「なんで・・・置いてったんだよ・・・」

無自覚のまま零れ落ちたような、絞り出す青島の声に、そういうことか、と、室井はそっと溜息を吐いた。
そう見られても仕方がない。
そう見られることを、自分は望んでいた。
それが青島にとっても解放になる筈だった。

どうしようもなく理不尽で暴力的な自分たちの運命に、恨みを抱きながらも抗うことは放棄し、己がどれほど罪深い過ちを犯したのかを
凍える季節の中で抱いていたかった。
悲痛な声で叫ぶ胸の内を、閉ざし、無力さに打ちのめされて、そのくせ捨てきれない慕情だけが温かかった。


答えを求める青島の潤んでいるような熱く射す眼差しに、馴染みの挑発を肌が憶え、そこに恨みすら抱きながら
室井は青島の頬に当たる雪を拭うことすらしてやれずに、拳を固く握った。


「付いてくる気があったのか」

青島は黙ったままだった。
どんな答えも今は空言に聞こえることを知っている。
置いていかれた男に今更出来る釈明など持たないことを責めている。
雪で冷え、紅く充血したような口唇をきゅっと引き結び、室井を責めるように見上げていた。


「綺麗なものだけを見ていたかったら、こんな風に・・・これ以上私に近づくな」
「あんたがそうやっていつだって逃げるから、誤解も擦れ違いも起きちゃうんだろ」
「ついでに隠しておきたいこともバレる」
「・・・、俺、もう、来ちゃだめだった・・・・?」


もう戻れない。確かに交じり合えた僅少の時間も幻のように途切れ、持て余して立ち尽くしているのなら
それに付き合う義務もないだろうに、割り切れない感情は瞳を通して、まだ終われないと告げていた。


「そんな顔をするな」

こうしてこの温かく優しい男に癒され絆されるのは幾度めだろう。
室井はようやく重い指先を上げ、すっかり雪を纏い始めている青島の頬を甲で軽く払った。
今度は振り払われない青島の瞳が微かに揺れる。

「そのネクタイ、いいですね」
「ああ・・、少し派手だろう?」
「全然派手じゃないよ」

両親が、その昔出世祝いにくれたものだった。
だが少し色味が多く、東京では使うことを躊躇っていた。

「あんたはそんくらいの方が、いいよ」


緊迫し冷え切った空気が少し、和らいでいた。
この馬鹿で純粋な男がたまらなく愛おしく思え、そんな目で彼を見たのも初めてだったが、その初めての感情が余りにしっくりとくる事実の方が
室井を動揺させた。
前触れもなく湧いたその熱に僅かな恐怖すら覚え、同時にそれは、だからこそ喪失と絶望を室井に植え付けたあの日の惨劇を脳裏に強く蘇らせてくる。

出血量の多さを物語るように湿り、色の変わったあの日のコートと、足元に転がる彼の玩具みたいな呆気なさ。

今はまるであの日などなかったかのように着込むサンタの衣装が、これを幻だと言っている気がして
室井は思わず腕を伸ばした。
息遣いを確かめるように青島の頭を肩に押し当て、歯を食いしばる。


「・・・むろいさん・・・?」
「怪我をさせて、すまなかった」

青島は小さく笑ったようだった。

「でも私を導いてくれて、・・・・感謝する」
「・・・はい」
「赦して貰えるとも思っていない。詫びる立場にもない。でも、一度だけ、言いたかった・・・すまなかった」
「俺、命賭けてあんたに託したんですよ、あの時。その覚悟は、伝わってないの?」

青島の後頭部に回る室井の指先に力が籠もる。

「生きてて、良かった・・・」
「んん、いいんだ・・・あんたになら」

室井の喉の奥が焼けるように熱くなる。

「こんな、全てを失くした男を追いかけて来たって、何にもならないだろうに・・・」
「情けないこと言わないの。ここからですよ」
「・・・・」
「ふたりで行くって約束したんじゃん」
「・・・そうだったな」


これ以上甘い言葉を耳元で聞いていたら、それこそこのまま雪の世界に甘えてしまいそうで
室井は拘束を解くと、襞を立てた。
両手を青島の脇に入れ、ゆっくりと立ち上がらせてやる。


「宿はどこだ」
「・・・・・・あ~・・・・」
「送ってやる。身体も早く温めたほうがいい」
「・・・・ん・・と」
「駅前か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・取ってない」
「・・・・・・・・・・・・・・・何だって?」

あれだけ呑気にしていた男が急にバタバタと浮足立つ。

「だ、だってさっ、とんぼ返りするつもりだったしさっ、飛行機代もさ、たっかいしさっ、知ってます!?安月給には堪える値段だったんですよ・・っ」
「・・・・」
「放火事件で減俸になってんの、俺!しかも入院代とか、どうすんのって話で・・・」
「念のため聞くが、病院には何と?」
「脱走・・?」
「・・・・・」


彼の行動が当てずっぽうなのは今に始まったことじゃない。
なのに室井の中から何やら沸々と怒りのようなものが湧き上がる。

「――で、どうするつもりだ」


何だか同じ質問をさっきも言った気がした。
頭痛と眩暈のする面持ちで室井の顔が剣呑となったことに、青島が首を竦めてしどろもどろに言い訳をし始めた。

「ま、マックとか・・・ネカフェとか・・・」
「そんなものはない」
「・・やっぱり・・?」


青島が首をきょとんと傾げて良く分からない愛想笑いを見せる。
不自然な作り物のような、或いは精巧に作られたものの綻びであったかのような、推し量るような半眼で室井はただじっと青島を見つめた。
しゅんとなった青島がようやくバランを取って自力で座れたのを確認すると、室井は手を離し、放り投げた鞄を拾う。
ぽんぽんと無言で膝の雪を払う動作を、青島は息を詰めたまま見つめていた。


「行くぞ」
「・・ぇ、どこ・・・・」
「もういい、君に付き合ってたら私まで風邪をひく」

ちょこんと手を雪に付き、座り込んだまま青島が怯えたような眼差しを送ってくる。

「うちに来い。一晩くらい、泊めてやる」
「!」

青島がまんまるに口を開けてびっくりした顔のまま固まった。

















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誕生日もバレンタインもハロウィンもスル―する私ですが毎年この時期になるとクリスマス室青 を描きたくなる衝動が止められません。