箱庭5








15.共謀
室井がシャワーを浴びて戻ってくると、ベッドに青島の姿はなかった。
心臓が鷲掴みにされ、タオルで髪を拭っていた手を思わず止める。
ベッドへ向けて、足早に一歩踏み出した時、窓台に蒼い影が凭れかかっているのが、目の縁に入った。


電気も付けない仄暗い宵闇の部屋は、全てのものが蒼い影となり、眼下の夜景と彩色を溶け込ませる。

シャツを羽織っただけの格好で、長い素足を片方だけ膝で折り、もう片方は下に降ろし、窓台に腰掛けている青島は
コテンと額を窓に押し当て、細い身体を預けていた。
漫然と外を見つめる瞳は物憂げで、蒼い光を反射している。

シャツの裾から覗く太股からのラインが長く美しいシルエットを描き、陶器のような肌を陰影付ける。
まるで窓辺に供えられた絵画のようだと思った。


帰られていなくてほっとしつつ、傍に近付く。
肩に掛けたバスタオルの端で髪の水滴を拭いながら、青島の手に治まっていた丸いコニャック・グラスを取り上げた。



部屋は広いワンルームで、全てが見渡せた。
アールデコを基調とした、モノトーンでシックに装飾された雰囲気が、クラシックでありながら何処かモダンな格調高さを洗練させていて
非日常空間をリッチに演出している。
ベッドスペースはデザイン的な仕切りが施されてはいるが、解放感ある部屋だ。

リラックス・スペースも窓台から上は遮りがなく、展望は都心部が遥か向こうまで広がっていた。
晴れた日中ならば、奥多摩や富士まで遥か山脈が見渡せるのだろう。
このロケーションなら、確かに恋人たちに人気が高いのも頷けた。



シャランと氷が鳴く。
どうやらブランデーに氷を砕いてソーダ割りにして飲んでいたようだ。




「凄いですよ、下。イルミネーションがずぅっと続いているのが見える・・・」
「・・・・・」

ぼんやりと青島が声を発する。

黙ったまま青島の隣に立ち、階下を見下ろせば、街全体がクリスマスツリーのようで
街路樹がホテルを囲む様にシャンパンゴールドに光り、そして四方に 広がっていた。
赤いテールランプが連なる高速道路は、ストリングライトのように地平線へと続いていく。


グラスを口元に運び、一口含んだ。

ブランデーのアルコール度数は40%以上と高いため、水で割っても、空気中に立ち昇る芳しい香りが、嗅覚から楽しませる。
樽熟成を経た特有の琥珀色の馥郁とした味わいは、氷を入れた状態でも気品を損なわず、雑味がなかった。
格調高いホテルらしく、かなり良質のブランデーを常備しているらしい。

後を引き、もう一口、口を付ける。

グラスからブランデーの芳香が強めに薫り、風呂上りの喉に弾ける炭酸が心地良い。
砕かれた氷がシャラシャラと鳴って清涼感を感じさせた。
クイっと立て続けに煽れば、強い度数のアルコールが喉を焼いた。



窓から視線を戻し、青島を見る。

物憂げな表情で未だに視線を寄越さない青島は、蒼の空気の中にあって、酷く美麗に見えた。
少し儚げで気怠げな表情は、部屋の陰影を受け、堀を深く彩り、精悍なラインを惹き立てる。
今は明るい表情を潜め、静かな瞳で街を見下ろしている。

改めて、少し痩せたなと思えた。
頬の陰影が濃く、憔悴しきった顔は、先程の名残などではない。
短めの頭髪が、童顔を更に幼く見せ、4つ以上の歳の差を思わせる。



「もう今年も終わりなんですね・・・・」


一度もこちらを向かないが、室井の視線には気付いているのだろう、青島が呟くように口唇を動かす。

クタリと全身の力を窓辺に預けた無防備な装いの青島は、それだけで雄の欲望の在り処を火照らせる力があった。
シャツを無造作に羽織るだけで、胸下のボタンを一つだけ留めた華奢な格好は、何も着ていない姿より挑発的で
ウェストのラインに合わせ、シャツが腰のあたりでキュッと絞られていることで、スタイルの良さを、より煽情的に想像させる。

胸元から覗く肌理の細かい肌。そこに浮かぶ紅い情痕。鎖骨を少し覗かせたシャツだけの肢体は、心許なくも、あえかにも見せる。
シャツの裾から伸びる、形の良い脚の長さ。
そのシャツの裾で、際どいラインから伸びる両脚は照明のせいで白く浮かび、隠すか隠さないかの位置で、男の眼を誘う。
妖艶さを少しも覗かせない貌との落差に、より扇動される。


「・・・何時まで点灯してるんだろう・・・」
「・・・終電・・・くらいじゃないか」


こくんとブランデーを飲み下すのに合わせて、驕慢な思考も飲み下す。

そういえば時間の概念もない。
振り返り、くるりと部屋を見渡すが、アールデコ調の家具が暗がりに静かに並ぶばかりだった。
ベッド際ならと思い、そちらにも視線を投げるが、やはり時計らしきものはない。

由緒あるホテルなのだ。時計など置いている筈もないか。


再びアルコールで喉を潤しながら、視線を青島へと戻す。

昼間の賑やかさを潜めた青島の瞳は、まるで貞淑な殉教者のように聖なるもので、今宵の月のように冷然で清澄だった。
向けられない視線が、とても遠く感じる。

どうしたって捕え所のない魂と、その自由な精神が、犯し難いピュアさを放っていて、まるで聖夜に舞い降りた森の精のように純潔だ。

ほんの少し前まで散々貪り、享楽に喘いでいた躯とは、にわかに信じ難かった。
退廃的な雰囲気とのミスマッチが、苛烈な焦燥感を巻き起こす。
うっかりすると消えてしまいそうな、物憂げな表情は、今、一体何を思っているのだろう。


また、ブランデーを口に運ぶ。
咽るようなアルコール。

言葉も無い静かな夜が更けていた。
共に在る安堵と、圧し掛かる重鎮の二極化は、嬉しさと共に切なさを、安らかさの中に重たさを、不可思議な空気の中に同居させていた。




「今日、だったんですね」
「――ああ」

ややして、青島が額を窓に押し付けたまま、やはり視線も向けずに、語りかける。
主語抜きの質問でも、意味は通じた。

そして、その一言が、青島もまた、決戦日を知らされぬままであったことを伝えた。

・・・・嗚呼、本当にあれは、偶然だったのだ。
何て言う奇跡の悪戯なのか。


ようやく核心に触れる言葉に、赦しを得たかのように、室井は、そっと、幻を確かめるように青島の頭に手を乗せる。
乱れたまま癖っ毛になっている髪の感触を、くしゃりと握った。

ただ沈黙が続く。


「俺、あんたのヒーローになりたかった」


髪を掻き混ぜていた手をそっと止める。
じっと青島を見つめていると、青島はそれでも窓から目を離さず、身動ぎもしないで身体を預けていた。
瞳が艶々と透明に光る。


手を降ろしていく。
甲で頬を撫で、頤に指を掛ける。
そっと持ち上げながら、こちらを向かせた。

抵抗も無く従わされ、青島の蒼に染まる瞳が、ゆっくりを室井を映しだした。
あまりに艶やかな透明感に、ゾクリとする。

この瞳に映りたくてこちらを向かせたのに、それは思う以上に強烈な魔光で、室井を捕り込んだ。
息を呑みながら、肌が逆立つ。


輝石から逃れるように、親指で下唇の膨らみをスッとなぞる。
まるで条件反射のように、薄っすらとその紅い口唇が開いたのを見て
室井は視線を口唇から戻した。


「本当に、君なんだな」

散々抱いた後で言う台詞ではないが、不意にそう思ったことが、そのまま音に乗る。

ずっと避けられ、逃げられ、逢えなかっただけに、こうして静かに向き合うのは何処か不思議だった。
まだ夢の中にいるようで、浮遊感が付き纏う。

これもまだ、奇跡の一夜の続きなのではないか。
都合の良い幻に思え、朝が来たら、煙のように、消えてしまうような不確かさが、焦燥感を煽らせ
それを押し隠すように漏れた言葉は、少し堅くなった。


「何があったか、話せ」

顎から手を外し、汗で濡れて束になったままの青島の前髪を梳き上げ、優しく愛撫する。

「・・・・説教すか」
「――、責め立てられたいのなら、もっと別な方法を選ぶが。そっちにするか?」
「・・・っ」


意味を分からせるために、間合いを詰め、胸元の隙間から手を侍らせて、鎖骨にその細長い指先を這わせた。
持っていたコニャック・グラスを一気に煽り、それを青島の乗る窓台にコトリと置くと
頤を固定し、そのままゆっくりと身を屈めて、そのぷっくりとした膨らみに口唇を重ねる。
口唇を深く合わせる。

ブランデーを、つ、と流し込んでいく。

度数の高い液体を舌で転がすことで、灼けるような刺激が口腔を火照らせる。


窓に片手を突き、青島を挟み込んで口付けを交わせば、勢いに上向き、片膝を立てていた青島の太股のシャツが露わに開き、際どいラインと内股までが見えた。
こくりと青島が喉を鳴らす音がする。

降ろしている脚の内股に手を差し入れ、少し開かせる。
ゆっくりと撫で上げれば、口の端から焼けるようなアルコールが一筋滴り落ち、顎を辿り
紅い口唇が微かに喘ぎ、この美しい彫刻のような造型が、室井の手の中で、淫らな様相に変化していた。


「あ、つ・・・・」
「おまえが熱くしてくれるんだろ」
「・・・・」
「男を誘うには申し分ない才能だ」
「余計なお世話ですよ・・・・」


そういう青島の瞳には、室井しか映らない。
普段強がってるくせに、こうやって無意識に縋る様に甘える瞳をするのが、堪らない。
可愛さに、ほんの少しだけ室井の目尻が細まった。


ゆっくりと手を取って、窓台から誘う。

青島の綺麗な形の長い素足がゆっくりと絨毯に降りた。
それに目を吸い寄せられるように見ていると、体重を掛けた途端に、その膝はそのままがくりと力を失う。

「・・ぁ・・・っ」

咄嗟に脇の下に入れた両手で、その身体を支える。
ふわっと褐色の髪が舞い、胸に飛び込んできた温もりに、締め付けられるような愛おしさが溢れ、つい、その華奢な身体を力を込めて抱き留めた。

少し、無理をさせすぎたか。


「・・・・俺に掴まれ」
「・・・へーき・・・・」


吐息のように青島が囁いて、室井の胸に肘を突き、再び自力で態勢を整える。
前髪がくしゃりと被さって、表情が良く見えない。

手を繋いだまま誘導し、一間続きのベッドスペースへと向かった。


窓側のベッドに座らせる。

「もう少し、呑むか?」
「・・・・じゃあ、少しだけ」
「またブランデーで良いか?それともワインでも開けるか?」
「・・・、でも室井さん、散々ワイン、呑んで来たんでしょう?」
「・・・・・」

どうして気付いたんだろう、想像だろうか。
そう思い、少し手先が止まると、青島が、力無く笑って肩を竦めた。


「エレベーターで・・・・、その、キス・・・された時、少しだけ、ワインの味が残ってたから・・・・・」
「・・・・、そうか」


多くを語らず、そのままブランデーボトルを手に取る。
グラスを二つ並べ、今度は氷をそのまま入れてブランデーを注いだ。

注ぎ足しの氷を取りに冷蔵庫まで行くと、その途中、ベッド横の内線電話のデジタル時計に気付く。
丁度、12時を少し回った所だった。


氷とミネラルウォーターを加え、トワイスアップにして青島に手渡す。
カランと氷が鳴いた。


青島がグラスに口を付けるのを見てから、ベッドサイドの窓際に立ったまま、室井もブランデーを流し込む。

「同窓会だったんだろう?」
「・・・ああ。えぇ、覚えてたんですか?」
「君だって今日は色々酒が呑めたんじゃないか?確かバイキング形式で多国籍料理なんだとか、言ってなかったか」
「ええ、そうです。料理は美味しかったですよ。けど、なんかあんまり呑む暇なくって。だから二次会に行こうって話に――」


その時、多分、室井の姿を噴水の向こう側に見つけたのだろう。
室井が青島を見つけたように。

その時の衝撃を思い出したのか、二人の間に同じ空気が走った。
朧の中で交差する視線はもう、揺るがない。
ただ、黙って見つめ合う。

まさか、逢えるなんて、思わなかった。
もう一度、こうして出会えるなんて、思いもしなかった。



縋るように室井を見つめる飴色の瞳を、逸らさずに静かに見つめ返せば、もう誤魔化せないと悟った顔で、青島がおずおずと口を開いた。

「どこで・・・・・気付かれたんですか?」
「何をだ?奴らの策略をか?それともおまえの嘘をか?」
「・・・・・全部」

バレバレか、と青島が視線を下げた。
伏せた睫毛が長く、頬に影を作っている。

手前でコニャックグラスをまあるく両手で握る。
また、カランと氷が鳴る。


「おまえの口からちゃんと聞きたい。ちゃんと話してくれないか」
「・・・でも、今更・・・・」
「取り返しが付かないのに、か?」
「・・・・・」


大袈裟に溜息を吐いて見せると、室井は一歩近付き、そっと頤に指を掛け、俯いてしまった顔を上向かせた。
堅い声のまま、ゆっくりと口を開く。


「いつから尾行されていた」
「・・・!」
「盗聴もだ」
「!!どうして・・・・それ・・・・」


眼をまんまるくしている青島が子供みたいで、室井は少しだけ気配を和らげた。

「さっき・・・・走っている時にな」
「・・ぇ・・、ぁ、じゃ、俺らがここへ入ったのも――!」

驚き、青島がにわかに慌て出す。
立ちあがろうとしたそれを片手で軽く制してやる。

「それは大丈夫だろ」
「でも!」


青島の頤から手を外し、手元のグラスの液体を見つめる。
室井の漆黒の瞳に、その琥珀の反射光が映り込む。
キラキラと揺れる褐色の液体は、強いアルコールと芳香を発し、気分を和らげた。


「幸か不幸か、おまえが散々撒いていたから。あれだけ振り回されれば、発信器でも付けられていない限り、見失っている筈だ」
「――、よくあの間で尾行に・・気付きましたね・・・」
「あぁ・・・・、たまたま交差点に出た時にな。周りを見たら何回か見覚えのある影がいたから、もしやと思った」


それから室井は、青島にチラリと視線を戻すと、その顔の苦笑を深めた。
手の甲で口元を覆い、顔を歪ませ崩れそうな顔をしている青島の頬を、優しく撫ぜる。


「盗聴もされていたんだろう・・・?気付いてやれなかった・・・・」
「・・・っ」

泣きそうな顔のまま青島が息を殺す。

「ど、・・・して、それ、も・・ッ?」
「簡単な推理だ。・・・いや、経験論か。奴らならその位していても不思議はないだろう」


ふるふると青島が首を振る。
泣いてはいないが、感情がコントロール出来ないようで
シャツの袖口を口元に当てたまま、視線を横に反らし、嗚咽のようなものを必死に呑み込んでいる様子が伺えた。


「ん・・・っ、でも、盗聴器は、付けられてません・・・。通信傍受するって・・・言われて・・・ました」
「そっか」


青島の痛みを思いながら、室井は青島の頭を胸に引き寄せた。
バスローブを羽織っただけの胸に、その顔を埋めさせる。
後ろ髪をあやすようにぐしゃぐしゃと掻き回した。

やっぱりコイツはそうやって、俺のために何もかもを犠牲にしてしまう。
どこまでも室井が優先で、室井のためだけに、全てを決断したのだろう。
多分、今も堪えているのは、室井へ気付かせてしまったことへの、罪悪感だ。


「あんたに迷惑かけるつもりは・・・っ」
「ああ、分かってるから」


やっぱり部屋に入った直後にケータイを処分しておいて正解だった。
青島を追跡している時、何度か見かけたような影が群衆の中にいたと思ったのも、気のせいではなかった。
懸念通り、俺たちは監視されていた。

全ての予感が確信へと変わり、輪郭が核心へと化けていく。


室井にされるがままに顔を埋めている青島の後頭部を、ぽんぽんと二回小突く。
そっと身体を外した。
その眼を覗き込む。


「話せ」

室井が厳かにもう一度告げた。
今度は青島も、口唇を噛むだけで、室井を真っ直ぐに見上げる。

「自分に起こった事実を、知りたい」


ゆっくりと、紅い口唇を引き結びながら、青島がようやく重い口を開いた。

「本店の・・・・上の人間が、接触してきて・・・・秋の中頃ごろだったかな・・・」
「誰だ」
「・・・・」
「三か月前のあの頃か」

青島が別れを言いだしたあの秋の終わり。

「・・・その一ヶ月ほど前・・・かな」
「一ヶ月も?」
「そこからは、俺の方の仕込みがあったから・・・、俺が・・その、あんたを嵌めるための・・・」
「――」

成程。室井が焦れて、室井の方から青島へ連絡を取るまでの時間か。

「要求は」
「・・・、・・・あんたに縁談を承諾させてこいって。もう、既に裏で次の準備もしているって・・・言った」
「・・・・今夜のことか」
「そうだと思う・・・けど、他にもあると見た方が良いです・・・。ターゲットは室井さんだよ、最初から」
「・・・・」


やはり最初から、自分を落とすために、青島を嵌めたのか。
ほぼ一倉の推理どうりだったと見て良いのだろう。

だが、室井にはまだ、附に落ちない点が幾つか残っていた。

青島が、誰より室井を大事に想っていてくれる感情を利用したことも許し難いが、何故それを奴らが利用出来たのか。
縁談だけなら、何故青島がここまで危機意識を持たされたのか。
もっと気楽に室井にも相談してくれてもよさそうな案件に思える。

室井は顎に手を当て、擦りながら宙を見た。


「脅しの材料は」
「・・ぇ・・・」
「おまえを捕り込むために、奴らは何を持ってきた」


真下は、脅されている可能性があると言った。
確かに、ほぼ無理矢理拉致されて言いなりにされても、青島のような聞かん気の強いじゃじゃ馬は、容易に手懐けられる代物じゃない。
何か、決定打がある筈だ。


「・・・写真・・・・」
「写真?何のだ?」
「俺たちの、プライベート写真、見せられた」
「・・・・・」
「二人で一緒に、ほら、あのいつものスーパーで買い物している時に撮られた奴とか。他にも室井さんの私服姿とか」
「・・・・」


少しだけ、違和感が残る。
室井が一緒に映っているということは、盗撮だろう。だが、果たして、〝どちらの〟尾行か。


この計画がいつ頃から練られていたものか、そこが定かではないが
仮に、かなりの長期間を経て進められてきたものだとしたら、その不審な動向に室井が気付かないのが、妙だった。

常に監視され、公人としての振る舞いを強いられる自らのキャリアという立場を、室井は常日頃から意識している。
それを欺くからには、それ相応の対応が向こうにも必要だ。
不審な動きに、仮に室井が気付かなかったとしても、同胞たち全てを欺くなど、不可能である。
同じ穴のムジナであるキャリア連中が、気付かない訳がないのだ。


――公安が、キャリアの暗視を行っているというのなら
それを黙認するキャリア連中の内々では、所謂、裏マニュアルというものが存在した。

何処の場所では監視スペースが捕り易いだの、この角度に立てば相手を欺けるだの
中には、こういう場所ならこうするべきという、対応策まで小耳に入る。
お互いの、そういう暗黙の了解の元に、キャリアと公安の際どい均衡関係は保持されていた。

勿論その裏マニュアルの存在は、室井の耳にもキャリアとして経験を積み始めた頃には入っていた。
一倉から、女を連れ込む時にはこれをしろと、酒の席での下世話な猥談の一部として、教えられたのを憶えている。
その時は下らない、と吐き捨てたものの、一度眼を通したものは全て記憶してしまう室井にとって
その知識は、青島を手に入れてから役立つようになっていた。

・・・・・スーパーなどの公共の場で、二人で居る時に不用意に撮られるなど、有り得なくはなくても、非常に考え難い。


しかし、プライベートか。
成程、二人の関係清算を暗に迫られたという訳か。
それなら、表向き、青島が動かざるを得ない状況を作り出せる。


「だが・・・それだけか?それでおまえが素直に従うとはな」
「それだけってあんた・・!だって他にどんな写真出されるのか・・・!」
「いっそ見てやれば良かったんだ。全部。奴らの手の内を」
「そうは言っても、もう恐くて出来ませんよ!トンデモナイもん出てきちゃったら、どーすんの?!
「そこまで行ったら何が出てきても同じだ」
「バカいうなよ・・俺、あれ以上平静装う自信なかったです・・・・」


冷静に考えて、買い物をしている写真だけで、一体何を脅せるというのか。
あのスーパーは官舎に近く、キャリア連中の御用達だ。
所轄の人間は確かに目立つかもしれないが、部下を招いて買い物をする姿は、たまに見かける。

青島が冷静だったのなら、その辺の奇妙さにも気付いただろうが、なにより突然の襲来で、車の中という特殊なシチュエーションが、青島にそれを信じ込ませた。
中々の策士ぶりだ。

ただ、それでも、青島にしては少し簡単に引き下がりすぎだと思えた。


「いつものハッタリも、かませなかったか」
「う。・・・んなの無理だっつーの。迂闊な発言してどう転ぶかも分からないのに・・・!」
「そこを手篭めにするのが、営業だろう」
「言ってくれますね。俺だって自分だけのことだったら幾らだって手を打てましたよ。でも・・・っ」


悔しそうに瞳を伏せて、青島が横を向く。
グラスを握る指先が白く光っている。

青島は元々、室井が不利になると分かれば、自分をカードとして利用される前に、簡単に自分を切って見せれるところがある。
室井のためならば、何だってしてしまいそうな危うさは
愛情の深さだと分かっていても、室井には物足りなく映る。

そういう青島の性格も、急ごしらえの企ての中で、先手を打たれ、奴らの有利に働いた。


「何故俺に相談しない・・・」
「だって、先に誓わされちゃったし」
「それで馬鹿正直にそれを実行に移すとは、おまえもまだまだだな」
「忠実って言ってくださいよ・・・・。あんたのことにそんな無謀な真似出来るかってんだ」


ぷくっと脹れて、グラスを煽ると、変わりに傍にあった黒地の枕を膝に抱え込む。
その姿は、もうすっかり叱られている子供だ。


「他に何を言われた」
「え?」
「他にもまだあるだろう?」
「なん――」

驚きに見開かれた眼が、口調とは裏腹に、その肯定を告げている。

「俺の目をそれで誤魔化したつもりか」
「何、も・・・ない――」
「悪いな、俺も刑事なんだ。取り調べで相手のペースに乗る訳にはいかないもんでな」
「俺は被疑者か・・・っ」


臍を曲げ、青島が完全に横を向いてしまった。
ベッドに枕を抱えたまま、ばふんと身体を投げ出してしまう。
シャツの裾が風に舞って、危うい太股からのラインが露わになった。

室井はグラスを煽り、空にすると、青島へと手を伸ばす。


「あおしま」

くるっと青島が腕の中から抜け出す。
それを防ぎ、腕を取って引き戻す。
軽い抵抗を見せる手首を背後から掴んで、動きを封じた。


「もう全部話せ。俺に隠しごとをしないでくれ。・・・これ以上焦らされたら自分が何をするか分からん・・・」
「だからだよ・・・。あんたに余計な事させる訳には――」
「ということは、何かされたんだな」
「・・・ぇ・・・ぁ・・・・」
「言ってみろ」
「誘導尋問なんてずるい」
「引っ掛かるおまえが青いんだ」
「勘弁してよ・・・」
「良いから吐け」
「・・・・」
「青島」
「・・・・・聞いて楽しい話じゃない、だろ」


暗闇でベッドスタンドに照らされる青島の毛先が辛子色に舞い、逆光になった横顔が少し苦しげに歪む。
橙色の灯りに照らされた肌は、ほんのりと淡香に染まり、浮き上がった鎖骨やうなじを妖しく色付かせていた。


「何を言われた」
「・・・・」

強情っぱりは、顔を思いっきり背けて横を向く。

「言え。何を言われたんだ。・・・・いや、何をされた?」
「い・・・・言わないっ」


ぱふっと横の枕を引き寄せ、室井の腕の中から身動ぎする。
その背中を後ろから腕にもう一度取り込み、耳朶に柔らかく歯を立てた。


「もう一度抱かれたいのか・・・?身体に聞いてもいいんだぞ」
「ん、・・・も・・・・、ゃめ・・・っ、あんだけヤっといてまだ足んないのかよ・・・っ」
「何かされたんだな」
「・・ぁ・・・っ、は・・・っ、んも・・・っ」


ほんのりと、燻んだ珊瑚色に照らされるうなじに、口唇を押し当てる。
室井がしつこく肌を舌で愛撫していくと、身を捩って青島が暴れ出し
シャツだけの肢体は容易に着崩れ、めくれ上がった太股と、うなじから肩甲骨までが肌蹴ていった。
その姿も室井を煽るだけで、空いている箇所に幾つも華を散らしていく。


「~~っっ、だから・・ッ、めちゃくちゃ、のーこーなキスされちゃったの!俺ッ、車ん中で襲われたんだよっ」
「!!」
「男相手にあのクソホモ変態野郎・・・っ」

襲われたって?
想定外の告白に、室井の思考が一時停止し、動きが止まる。


「・・・抵抗、したんだろ」
「したさ!でも車ん中で動きづらいわ、上から圧し掛かれるわ、身体で押さえ込まれるわで、もうどうしようもなくって・・・って、こんなこと言わせんなよっ」
「青島」
「くっそぉ」
「・・・青島」
「そりゃ俺だって不覚だったとは思いますけどねっ、だけどあんな無理矢理・・・っ、いきなりだったんで俺だって――んぅ・・っ」

クッションに顔を埋め、必死に言い訳をつらつらと止め処なく流している口唇を背後から振り向かせ、思い余って塞ぐ。

「ん、んぅ・・・・・っ、」


柔らかい愛撫で上顎から丁寧になぞり、舌を回すように絡め取った。
敏感な縁を辿るように柔肉を合わせると、青島の抵抗が止み、熱い吐息に誘われ、口付けの角度を変える。
身体ごと振り向かせて、腕の中に抱き締めなおした。

ゆっくりと口唇を解放し、濡れた口唇の輪郭に舌を這わせる。


「っ、くっそ。・・・俺の青島に触れた奴がいるのか・・・・。怖かったろ。色んな意味で」
「・・俺のって・・・」
「おまえが頑張って戦ってくれたことは、よく分かった。・・・抜け出し方も教えておくべきだったな」


こんなことになるくらいなら、もっとしっかりと手を握っておくべきだった。
身の危険だけではない、多分青島のことだ、これからのこと、二人のこと、色んな懸念が渦巻いていた筈だ。
抵抗することへの代償を、必死に計算した筈だ。

そういう一瞬の迷いが、隙にもなる。


共に戦うのであれば、もっと対応策を共有しておくべきだった。
のほほんと恋に染められ、怯えていくだけでなく、危機意識を持ち、徹底したマネジメントを行っていくことが
この世界で、道ならぬ恋に、本気で身を投じるということなのだ。
護るつもりで伝えないことは、敵に隙とチャンスを与えただけだった。

確かに、今回のことは、結果だけみれば俺たちの勝ちかもしれないが、俺たちは戦う前に戦略負けしたのだ。

もっとしっかりとお互いを繋ぎ止めておくべきだった。
もう二度と迷子にならないように。
この小さな箱庭で。


「合図でも決めておくか・・・」

大抵は目を見れば通じたのに、あの時は一瞬で頭が真っ白になった。



青島が、室井の胸に両手を付いて、おずおずと見上げてくる。

頼りなげで、らしくない瞳は、もしかしたら初めて見せる青島の素顔なのかもしれない。
虹彩の関係で、飴色にも蒼色にも混じる。
透明なガラス玉は、見る人間を魅入らせるだけの光を放っていて、これに捕り込まれた男はその魔力に抗うことが出来るだろうか。
いっそ、加虐心さえ、野性的に漲りそうになる。


「もう、俺のこと忘れろなんて言いませんけど・・・・言いたくないけど・・・・この先やっぱり」


まだ先を言わせたくなくて、後頭部ごと掻き込み、上から口唇を塞ぐ。
青島も大人しく受けてくる。
そのまま押し倒して、覆いかぶさった。

青島の手が背中に周り、きゅっとしがみ付く。

その強さに思わず涙腺が緩くなる。
だが、次に青島の口から出てきたのは、可愛げのない言葉だった。


「だけど俺、室井さんとこには戻りませんよ」
「・・・何故だ」
「何故ってあんた。・・・冷静に考えてくださいよ。彼らにそう宣言してあるから、今、他の手を打たれないんですよ。裏切ったら次の手が来る」
「それは・・・・そうだが――」

ゆっくりと室井が青島の首筋に顔を埋める。

「今夜のことだって、ここに居ることは分からなくても勘ぐられてるよ。どう出られるか・・・・」
「・・・・」
「役員選が終わるまではどのみち無理だし」
「――・・・」
「それに――俺達、急所を握られてんのと同じなんですよ」
「――、写真、か・・・」


汗の匂いと石鹸の匂いが、何とも芳しい。
青島の言葉を聞きながら、室井はその髪を掻き混ぜ、匂いを味わった。


「その件はなんとかなるかもしれない」
「なんとかって・・・・どうやって」


手で青島の膝を立たせてその太股を撫で上げ、ボタンを軽く留めただけのシャツから覗くライトに仄かに浮かぶその肌を、口唇を這わせながら、そこかしこ弄び
しかし口からは色も無い言葉を発する。


「写真は一枚取り上げても元データを処分しない限り無尽に出てくる。追うのは無駄だろう。問題はそれを使うチャンスを与えなければいい」
「・・・・どうにか出来るんですか・・・?」
「今はまだ確証はないが・・・。その件は一旦俺に預けろ」
「・・・・何する気?・・・ぇ、ってか、何か、出来るの・・・?」


青島の目が、深閑の湖面のような凪いで儚げなものから、急速に閃光を取り戻していく。

これだ、と思う。
この強気な挑戦者の瞳が、いつだって室井を狂わせるのだ。

室井が口の端を持ち上げるだけの性質の悪い笑みを浮かべて返す。

「出し抜かれた俺が、このまま引き下がれると思うか」



写真は多分、室井の方をルーティン的に張っていた時の物から拝借したものだろう。
そこに、つい最近二人で居る時の別の写真を2枚合わせて見せれば、関係性の信憑性は操作できる。
話の流れから考えても、青島を這っていた連中の期間は、恐らくここ数カ月だけだと思われた。
ということは、奴らを叩いてもそれほどネタは上がってこない可能性の方が高い。

勿論それだけでは楽観視しすぎな推理だが、室井には、もう一つ、確かな根拠があった。



「乗るだろ?」
「え、マジなの?・・・奴らに対抗出来る手があるって――・・・?」

久しぶりに戻ってきた青島らしい強い意志の光は、それだけで室井を芯からざわつかせた。
何だって出来そうになる。何かが始まりそうな瑞々しい躍動感は、青島だけにしか感じない。


「でもでも、そんなの室井さんらしくないよ、奴らのことなんか放っておけばいい。大事なのは・・・」
「約束、だろ。・・・だが、おまえに手を出されては、黙っていられない。これは俺に対する宣戦布告でもある」
「えぇ?そういう類の話なんですか、これ?」

問題をすり替えられたような、呑み込めない顔をする青島に、室井は微かな苦笑を送った。


奴らが脅すために青島を襲ったということが引っ掛かっていた。

室井を落とすためだけに、男が男を襲うリスクは割に合うだろうか。
仮に暴力行為で強いたとしても、安住本人は室井をターゲットとして命令したかもしれないが、果たしてその命を受けた部下の方もそうだとは限らない。
つまり、連携に温度差があると考えられた。
そこを、突けるかもしれない。

新城も言っていた。
この先、青島を使うことで利潤を得るコツを掴んだ上層部の中から、第二第三の安住が出て来ないとも限らないと。

青島は、本当に、ただのコマだったのか?
本当にターゲットは室井だけだったのか?



「そ・・・ぉゆうとこが、怖いんですけど・・・。自惚れてる訳じゃないけど、あんた、俺のために暴走しそうで」
「その台詞をおまえにだけは言われたくないな」
「奴らの関心は今、俺に向いてる。俺がやったことが無駄になるだろ・・・・」


青島は、室井のヒーローになりたかったと言った。

室井の漆黒の瞳が、哀感に潤む。

こんな政治利用に汚辱されることなど知らぬまま過ごしていた無垢で清楚な魂がここにある。
無邪気に飛べていた昔には、もう戻れない。
強かな策略者に変貌するだけの理由には、もう充分すぎるだろう。


青島の肌に吸い付きながら、膝を立てた青島の内股を、開かせるようになぞり上げた。
シャツは脱がせることはせず、胸下で止まるボタンまでの覗く肌に吸い付き、胸の突起を口に含む。
青島が着崩れたせいで丸い指先をちょこんと覗かせただけの袖口を、室井の肩に当てた。


「ん・・・っ、ぁ、やめ、て・・・。・・・ね、待って・・・」
「大人しくしてろ・・・」
「んぅ・・っ、ぁ、ッ、ダメっ。それだけじゃ、それだけじゃないんです。俺、分かってて・・・知ってて、あんたを狡い男にした。ごめん・・・っ、なさ・・・ッ」


少しきつめに肌に吸い付けば、青島が眉を潜めて躯を戦慄かせた。
短めの褐色に灯された髪がパサリとシーツに波打つ。
頬を少し染めながらも、それでも片手で室井の肩を押し、行為の中断を訴えてくる。


「これが最後です。もう二度と、こんな風に会えません。触れられません。ごめん・・・なさい・・」

辛そうに言い淀んで、青島が顔を横に背け、身体ごと、横に向く。
室井はそれを強い視線で往なし、真っ直ぐに見降ろした。

「それは、恋人が出来たからか」
「・・知って・・?」


それには応えず、室井は肩からシャツの手触りを愉しむようにボディラインを辿り降りる。


「随分良いスーツだ・・・・。このワイシャツも。イタリア製だろ。こんなのを持っていたとは知らなかった・・・・」
「ん・・・っ・・・・ぁ・・・・っ」
「おまえならイギリスブランドに拘りそうなのに」
「・・・っ・・・」
「これをどうした?」
「・・・・知っているんですね・・・・」

青島の瞳が、微かに惑う。
耳朶を柔らかく食せば、ピクリと身震いした。


「良く似合っている・・・・」

そのまま吹き込む様に囁いた。


服装や趣味の変化は、大概の場合、男女の其れが絡んでいる場合が多い。
事情聴取時でも、恋人同士の諍いは、大概がそういう僅かな環境の変化から綻びが起き
それは当然、恋のライバルの出現を暗示していた。

真下から聞いたことが、青島のこのスーツとあのブレスで、より確信に変わっていた。



「なら、分かるだろ・・・ッ」
「・・・・」
「俺、あんたに酷いこと、させた・・・っ」
「いいんだ、俺も分かってておまえを抱いた。気付かない狡い男になりたかったのは、俺の方だから、そこは後悔しないでくれ」

そのせいか、かなりしつこく責め立てるセックスになってしまった。


だが、このやり取りが、ポーズであることを室井は勘付いている。
室井の下で身を捩る青島の両手首を掴み、広げて押さえ付けた。


「俺の元から去り、恩田くんのところにも、戻らない気だろう」
「!」
「おまえの考えそうなことだ」


あの黒髪の聡明な女性を思い浮かべる。

彼女は青島のこの決断をどう受け止めるだろう。
その決断を促したのが、室井だと知ったら、どう思うだろう。
それでも逃がさないと、追い縋ってくるだろうか。

同じ青島を好きな者として、その直向きな想いが切なく、哀しく映る。
彼女が青島の傍に居て、どんな目で青島を追ってきたか、室井はよく分かる気がした。


尤も・・・それを分かってて青島を抱いたのだから、彼女にとってこの一手は、抜け駆けされたのと同じことになる。
恋する相手を寝取られたと知れば、彼女もまた、傷つくことは分かっていた。
そして、それを誰より察する青島が、彼女への誠意から、戻れなくなることも。

全部、分かっていた。
そう仕向けたのが室井なら、確かに一番狡いのは、室井ということになるのだろう。


「何でも一人で決めて・・・」
「・・・ぇ・・・」
「俺ももう、遠慮はしない」


責められても良いと思えた。
詰られて、罵倒されても、構わなかった。

苛烈なマグマのように胸奥で滾る熱情は、もう、そんな綺麗事だけで治まり付くものでは、とうに無くなっている。
卑怯でも、卑劣でも、青島が室井を求めてくれる限り
その手を解放してやる余裕は、無くなった。


恋をすることの、本当の無情さを初めて知る。
これまで、恋をすることで、相手を思いやり、慈しみ、大切にすることだけを、考えた。
恋する相手のために、何が出来るかを考え、身を賭した。

だが、そんなのは綺麗事だったのだと、青島を得て痛感する。

理性も常識も、倫理さえどうにもならなくなるほど、焦がれ、欲しいと願うものが、この世には確かに存在するのだ。
何が出来るかと考える前に、手の内に繋ぎ止め、相手のことばかりに染まり、そこから自分を見つめ、毎日毎日それを繰り返す。
同時に、この身さえ惜しくはないもの。

もう絶対離れては生きていけないと、この三カ月の別離が室井にそれを強かに教えていた。


「あの日、おまえは言ったな。ヤりたきゃヤればいいと。・・・・だが、悪いが俺はもう、そんな生温い関係じゃ我慢がならない」
「・・・・ッ」
「俺は、セックスだけなら、いらない」
「・・・・!」

青島が大きな眼を見開いて、室井を見上げる。


「お前が何もせずに諦めるのなら・・・・・俺はお前を攫っていくぞ」


拘束していた片手を外し、壊れ物を触る様に、その頬をそっと包む。
艶やかに光る口唇を指先で拭って。
驚愕に滲む瞳を覗き込みながら、彼の頤にもう一度指をかけた。


「否やは無しだ」
「お・・・俺が、あんたのこと、まだ好きって思ってんですか・・・?」


当たり前のことを聞く青島に、それを気付かれていないと思う青島に、淡く幼い恋心を感じ、室井は思わずこの局面で苦笑を洩らす。

あれだけ躯を熱くさせ、繋がることに震える反応を見せておきながら、色欲だけの関係だなどとは言わせない。
天邪鬼な暴れ馬であることは分かっていたが、それにしたって
躯はよっぽど正直だ。


「おまえが言ったろ。セックスの最中に。俺に好きだって」
「っ、あっちゃぁ・・・」

赤裸々な情事を思い出したのか、青島が額に手を当てて、前髪をくしゃりと握り潰している。


「半信半疑な部分は確かにあった。ロビーでおまえと再会する、あの瞬間までは」
「・・・っ」
「あの瞬間、おまえも同じことを感じた筈だ」
「・・そ・・れはっ・・・」

「言っただろう?全てを奪い返させて貰うと」


本当は、二人の間に何が合ったか、根掘り葉掘り聞き出したい。
でも、今はそんな嫉妬に狂った男になるより、貫きたいポジションがあった。
そんな過去も弱さも心変わりも含めて、全部、青島を受けとめたい。


「おまえが俺のエネルギーなんだ。知ってるだろ」
「・・買い被りだよ・・・。俺、みたいなの・・・そもそも、あんたに相応しくないだろ」


ゆっくりと室井の腕を解き、青島が身体を起こす。
逆らわずに、行動を見守っていると、そのまま、ベッドの上にちょこんと座り、所在なく俯く。

橙色の朧に顔の半面だけが照らされ、戸惑いを揺らせている。



露わになった太股にチラリと視線を流したあと、室井はそんな青島の前髪を柔らかく梳き上げ、覗き込む様にしながら、視線を絡め取る。
一番大事なことを、青島が自覚していないことを分からせるため
言葉を選びつつ、口を開いた。


「いいか、青島。もう俺たちがセットであることは上層部に知れ渡った。だから、俺たちが離れることにもう意味はないんだ。俺から離れるな」
「だからっ、あんたの足手まといになるくらいなら俺は・・・っ」
「違う、そうじゃない、おまえがいるから俺は踏ん張れているんだが、」
「綺麗事でしょーが・・・っ」
「いいから聞いてくれ・・・ッ、重要なのはそこじゃないんだ」


青島が言葉が詰まったように口唇を震わせ、ふるふると顔を横に振る。
眉を顰め、苦悶の表情を乗せる青島から視線を外さず、その腕を両手で掴み寄せる。


「もしこの先の俺に弱点があるとするならば、それはもう、おまえになる。俺たち官僚を直接狙えない輩が、後援のない人脈を狙う。所轄など、格好の的だ」
「・・お・・・れ・・・?」
「今回のことで、奴らは味を占めた。おまえの使い道を。注目度は今までの比じゃなくなるぞ」
「そんなこと・・・」
「目立つおまえは唯でさえターゲットになりやすい。俺たちが別れる別れないなど、最早通用しないし関係もない」
「だったら尚更、傍に居たくないですよ・・・・」
「それを護りきれるとは、流石に約束できない。だが」
「そんなこと!そんなのいいんだよ、俺は室井さんの後押しになれるんだったら、何だってしてやる・・・!俺の理想があんたなんだよ・・!」
「だからだ・・・!」
「・・ぇ・・・・?」

「明確に何も保障できない。でも、おまえに何かあったら、俺は・・・っ」
「室井さん・・・?」


その細く脆い躯を引き寄せ、思い切り抱き締める。

青島の短い髪が室井の頬を掠った。
朧に揺れる橙色の影が一つに重なり、衣擦れの音が小さな吐息を相殺する。
シャツだけの華奢なラインに手を回し、力を込めて掻き抱く。


「頼む。傍にいてくれ。傍で護らせてくれ・・・」


もう時代は目覚めている。
自分たちがどういう関係であるかなど、上層部には何の意味も無い。
青島が室井のアキレスであり、青島は丸腰であるということだけが、確かな事実だ。


耳元の青島の押し殺すような吐息が室井の耳を掠める。

「でも・・・俺、何にも・・・」
「俺の知らない所で、俺のせいでおまえに何かがあるなんて、堪えられない」
「俺のことなんか・・・、あんたの道を生きなよ・・・」
「だったら尚更だ」
「え?」

気持ちは届くだろうか。
願いは伝わるだろうか。

「ああもう、なら、おまえはそうやって片肘張って一人で頑張っとけ。・・・・俺はその後ろでおまえの背中を見ている。いつ倒れても良いように」
「・・・・あんたが俺の後ろに居てどうすんの・・・」
「その役目を、他の奴に譲るなんて、到底出来そうにない・・・」
「・・・!」

「俺はおまえの共犯者でいたい。辛い時は慰めでははく一緒に辛くなりたいし、哀しい時は支えるんじゃなくて一緒に泣きたいんだ」
「・・・それ・・・・共倒れコースですよ・・・・」
「本望だな」
「馬鹿じゃないの・・・・」

「護るのでもなく救うのでもなく、俺はおまえと一緒に、魂を削るみたいな人生を生きたいんだ・・・!」
「・・・ッ」

「頼む、俺に力をくれ・・・!」


青島は何も答えなかった。
抱き返すこともせず、室井の言った言葉の意味を噛み締めるように、じっと抱きしめられたままで止まっている。

静かすぎる時間が、久遠に、長い。



渾身の力で抱き締めていると、やがて、青島の身体から、くたりと力が抜けた。

合わせて、嘆息のような甘い吐息が耳を掠める。
ふっと、呼応するように腕の拘束を和らげると、青島は室井腕からもするりと抜け落ち、ぱふんとベッドに仰向けに倒れてしまった。

両手で、顔を隠すように腕を上げ、その視線を隠してしまう。
隙間から見える紅い口唇が引き結ばれ、震えていた。


「なんちゅー殺し文句だよ・・・・ッ」


絞り出すような掠れ声が、空気を震わせる。

その腕を取り上げようとするが、力を込めて抵抗された。
だが、今更逃がす気はない。
青島に選択権を与えたような言い方をしていても、最初から、選択の余地など、与える余裕など室井にはない。


腕を強引に取り払い、五指を絡めて縫い付けた。
怒ったような、困ったような、青島の瞳が濡れている。


「おまえ、今日は、よく泣くな・・・」
「煩せぇよ」
「もう一度、言おうか?」
「何をっ」
「〝もう一度引きとめたら、今度は違う答えをくれるか〟?」
「・・・っ」


青島の水滴をいっぱい溜めた瞳を見つめながら、必死に告げる。
届くと信じて、思いの丈を込める。


暫く震える感情を必死に堪え、殺し損ねた息を詰めていた青島が、小さな声で応える。


「一緒に、戦っても、い・・・?」

移ったかのように、室井の胸も詰まる。

「・・・っ、ああ、当たり前だッ」
「俺で、い・・?」
「最初から俺の相棒はおまえだろ」
「・・ろいさ・・・っ」


囁くように掠れた声で告げると、青島が身を起こしながら両手を伸ばし、室井の首にしがみ付いてくる。
膝立ちのまま、覆い被さるようにきつく抱き締められ、室井はこの上ない幸福を感じながら、その縋る温かい身体を抱き返した。


「俺ッ、一緒に戦いたい・・っ、あんたと一緒に・・・ずっと」
「ああ」
「あん時ッ、みたいな思いすんの、もぉヤだ・・・・っ」
「ああ・・・ッ」

冷たい北風が吹く中、別々の方向へと別れさせられた秋の痛みが蘇る。

「それっ、奪われたのが、一番辛かっ・・・」
「・・・ッ、ああッ、悪かった・・・」
「俺のせいで・・・っ、室井さんの未来、壊れちゃったら、それこそどうしよ・・て・・・ッ」


恋心だけではない、尊敬する想いも、補佐する矜持も、未来も夢も、一緒に奪われた。
無力なだけの現実を突き付けられた。

それが、引き裂かれた恋の痛みを、更に辛辣なものにした。


「馬鹿だな・・・、何が信じてる、だ・・。おまえが一番俺を信じてないんじゃないか。俺は何度倒れたって立ち上がるぞ」
「・・・でもっ」
「おまえ如きに俺が潰せるか」
「・・・でもッ」
「甘く見られたもんだな」

「あんたが一人で戦おうとするから、俺はどうして良いか分からなくなるんだよ」
「戦う場所が違うだけで、俺は一人で戦っているとは思っていない。一人じゃ無理だ」
「言ってること・・、めちゃくちゃだよ、あんた・・・・」

「何度潰されたって起き上がる。理不尽な仕打ちに屈しない。これまでだってずっとそうやってきた。そして――」
「室井さ・・・」
「そして、おまえと出会った。何度だって貫いて見せるから。おまえも一緒だと思えば俺は何度だって戦える」

優しく背中を擦って、そのボディラインを確かに確かめる。


「だから、俺を一人にするな」
「ごめ・・っ、ごめんなさ・・・・っ」
「もう謝ることじゃないだろ」

ぽんぽんと、その背中を小突く。

「まったく、おまえと居ると飽きないな」

くしゃりと後ろ髪を握り締める。


気高く何者にも染まらず、聖なる光を絶やさない。

出会って数年、ただひたすら想い続け、だがそれを叶えようとは思っていなかったあの頃。
青島が幸福であることが一番の望みだったから、遠くで見守っていくつもりだった。青島が自分にそう思ってくれているように。

けれど胸の内を告白したら、時を掛け逡巡の後に、青島は傍にいることを選んでくれた。
その意味は、こうして肌に触れ、胸に抱きしめている時、言葉ではなく室井に悟らせた。


青島は自分と過ごす時間に、この上ない幸せそうな顔を見せる。
日々の何気ない暮らしの中で、それは静かに表れる。

一定の諦観を抱いて室井に寄り添うくせに、束の間の休息の中で、その最後の鍵を開けた時
全幅の信頼を寄せて、何より幸せというものに相応しい顔を浮かべているのだ。
いざとなったら自ら切ってやると、強気な発言で大人ぶるくせに、捨てられた子供のような眼で、室井を見つめ
室井が差し出す腕に、歓喜に満ちた溢れんばかりの情愛を見せる。


青島は自分で意識していないようだから、分からないのだろう。
それがどんなに美しい微笑みで、それがどんなに室井を幸せにしてきたか。
その想いは日増しに強くなって。

手放すことが、俺たちの最後の愛情であり、そうしなければ青島を裏切ると分かっているから、それをずっと見て見ぬふりをしてきた。
だが、それでも、もう君の手を離せない。

君が置き去りにする、君の俺を思う気持ちを、俺は蔑ろにはしない。
この世で唯一つ無心に俺を慕ってくれる、この愛しい魂こそ、俺を王者へ導く最後の欠片だ。



嗚咽のようなものを堪えながら、青島の指先が室井の後ろ髪に絡まり、柔らかく愛撫するように掻き混ぜる。
その心地良さにうっとりしながら、抱き締め返せば、青島が室井のこめかみから耳元へと口唇を滑らせた。


「あの時・・・初めて、好きって・・・・言ってくれた」
「あの時?」
「署に、理由を聞きにきた日」
「初めて・・・?」
「うん・・・・俺たち、何となくこういう関係になって、付き合い始めちゃったから、一度も聞いたこと無くて、いつか言ってくれるのかなって・・・」
「そう、だったか?嘘だろ?・・・・」
「あれ?無自覚だったの・・?」
「・・・・」

そっと青島が、顔の輪郭を確かめるように室井の顎を指先で辿る。


「結局一度も聴けなくて、それだけが心残りで・・・」
「・・・ッ」
「一度でいいから、俺、聞いてみたかったんだ・・・・」

青島の指先が、室井の口唇をゆっくりと辿る。



襲われた車の中。
自分たちの関係を下卑た言葉で罵ったあいつらに、言い返してもやりたかった。
だけど、常々思っていたから。どうして室井さんは俺なんかと付き合っているんだと。

悔しさは、しかし、己の自信の無さを見せ付けられてもいるようで、何も言い返せなかった。



愛しさを募らせ、室井の口元を彷徨う青島の手を掴んで、室井はその指に口付ける。

「気持ちは、伝わっていると思ってた。言わなきゃ伝わらない、か・・・あの日おまえが言ったな。強ち嘘ではなかったのか」
「んん、いっぱい、傷つけること、言った。あんたが俺にしか心開けない不器用なこと、知ってて煽った・・・」
「半分は、嘘じゃなかったんだろ」
「嘘、だよ」
「だが」

「・・・・気持ち、ちゃんと伝わってましたよ。でも、直接口で・・・言葉で・・・・俺、あんたの気持ちを一度でいいから――」


最後まで言わせずに、吸い取るように口唇を奪う。

「・・・すきだ・・・・」
「室井さ・・・・」

青島の瞳が蒼色に広がる。
星を幾つも瞬かせて。
吸い込まれそうに、広がる。


繰り返されるキスは熱を孕み、長くねっとりとしたものに変わり、息が続かなくなる。
 両手で胸に引き寄せると、青島の手も室井の首に回って、しっかりと抱き寄せられた。
髪を掻き混ぜ、何度も口唇を重ねていく。

ベッドの上で、膝立ちのまま、密着した身体をもっと蕩けるように溶かしたくて。

どんどん、と室井の背中を叩いて酸素不足を主張してくる両手首を捕え固定して、更に深く舌を差し込んだ。
 強すぎる欲情と、執着と、そして愛情を織り合わせたような激情。
余裕なんて、どこにもない。


きゅっと縋る腕に、室井の息も胸も詰まる。
もう一度強く抱き締めた。

この温かく、柔らかい躯を失うくらいなら、何だって言える。
俺なんかの言葉で、青島が傍にいてくれるのなら、幾らだって告げてやる。


「ずっと言うから・・・・飽きるほど言ってやるから、もう離れていくな」
「・・・うん・・・・」


柔らかいキスのシャワーを振らせながら、室井が耳元に囁く。


抱き合ったままお互いの体温が重なって、その心地良さが、胸を息苦しいほど軋ませる。
切なく愛しく、甘い痛みをひたすら噛み締めた。
合わさっているだけで、取り戻した実感が満ちていく。
こんなにも、重なっていることが自分たちは自然だ。


「あんな想いをするのは・・・俺だってごめんだ・・・」

喉から吃音混じりの掠れ声が、室井の口から漏れる。
その首筋に顔を埋め、熱い躯をただ、腕で繋ぎ止めた。


もう二度と、立ちあがれないと思った。
一度知った陶酔の時間を無かったことにして、その先の長い生の時間を抱える辛苦を、目の当たりにした。
青天の霹靂のように、引き剥がされた、あの秋の日が、室井にも胸来する。


室井にとって、明確な道標が青島であって、具体的に青島に何かをしてもらいたい訳ではない。
救われたいとか、護られたいとか、仕事上の不甲斐なさを押し付けたい訳ではないのだ。

傍に居ないということが、室井を虚弱にも無才にも堕とす。

眩い宝石のように印し、導いてくれる、指標。
きっと、誰をも有益者に昇華させる、触媒のような存在だ。
真っ直ぐで純潔な魂と、それを補う活性は、磨けば相当のものに化ける。


もう、上層部はこの輝石を軽視することはないいだろう。
どうでるか。
まだ、事態の行く末は分からない。
危険思想として、これまで通り疎まれるだけなら、まだ良い。
利用価値の高い原石として、その潜在価値を絞り取ろうとしてくるリスクが怖い。


青島が室井の資質に最初に気付いてくれた存在だとするならば、室井は青島の才能に、最初に反応した人間だった。

室井だけのものだったその価値が、今、社会に開かれていこうとしている。
その価値を、誰より青島が理解していない危うさを保ったままに。



「青島・・・一緒に住むか」
「何馬鹿なこと言いだしてんですか」
「・・・おまえ、俺の話聞いてたか?」
「あんたこそ、俺の話、聞いてました?」

ベッドの上で膝立ちのまま、お互いの額をコテンと付き合わせる。

「馬鹿なこと、だが俺たちは法的拘束力の外に居る」
「う・・ん・・・?」
「この指に俺のものだという印を付けて・・・同じ場所に返る日常を造りたい・・・」
「何のために」
「逃がさないために」

「現実味が無いよ」
「この箱庭だって、所詮人間の造り物だ。ある意味、虚像だ」
「虚像の中に虚像を作る気かよ」
「悪くない」
「何がホントか分からなくなりますよ」
「真実は俺たちだけが知っていればいい。いつの時代も真実っていうのは、誰かの胸の内だろ」

「そこまで上を騙せるとは思えない・・・」


室井の戯言に、青島がようやく柔らかい苦笑を洩らしながら身体を離し、目線を伏せる。
長い睫毛が陰に揺れて、酷く純朴だ。
抱いても抱いても、儚く遠い。


「書類上のことはどれも確かに無理がある。同じ居住地を提出する訳にもいかない。だが、一緒に暮らすことは可能だと思うんだ」
「奴らもそーとーイっちゃってんなと思ってたけど、あんたのネジもどっか飛んでんな」
「目には目を、だ」
「反撃にあいますよ」
「もう慣れた」
「キャリアって分っかんねぇ」

腰を抱き込み、室井が無言で口唇を重ねる。

「明日、役所に行って婚姻届を貰ってくる」
「転居届、だろ!オママゴトしようって言うのかよ」
「最初に、関係を先に進ませる時期に来たと言ったのはおまえだぞ」
「言った・・・・・けどっ!そおいう意味じゃないし」

室井のキスは降り止まない。

「・・・・ん・・っ、も、・・俺に、あんたのトドメを刺せって言うのかよ・・・?」
「おまえに刺されたくらいで終わる男だと思うならやってみればいいって、さっきから言ってるだろ」
「近くに居た分、俺は攻め所を知ってますよ」
「手の内を知り尽くしているのはお互い様だ」


半裸で膝立ちで、額を突き合わせてどんな会話をしてるんだか。
呆れ顔で、青島が天に向け、溜息を吐く。


「あのねぇ、俺がこれ以上自分から不利になること――」

苦言を申し立てようと、青島が両手を付いて二人の間に僅かな間を作った、その瞬間を見逃さず
室井が素早くシャツの袖を引き、脚を青島の両膝の間に指し込んだ。


「ぅわ・・・っ、ッしま・・・っ――」

ドサリと二人分の体重を弾ませて、ベッドが軋む。
そのまま室井は両脚を絡ませ、片腕を背中側から捩じって固定した。
もう片手は、体重を掛けた身ごろで押さえ込む。

「くっそ・・・っ、油断した・・・」
「まだまだだな」
「ってか、急に何やってんですかっ」
「確かにこれでは押さえ込まれたら終わりだな」
「ん・・・っ、くそ・・っ」
「おまえが聞き分けのないことばかり言うからだ」
「あんたが無茶なこと言うからでしょーがっ」
「おまえが言わせたんだろ」
「どうゆう意味!」

荘厳な眼を怪しく揺らし、室井が見下ろした。

「・・・・本当は覚悟も出来ているんだろう・・・?」
「・・ぇ・・・?」

室井が音も立てずに身を寄せ、耳朶を柔らかく噛む。

「〝助けて〟って俺に縋ったろ・・・?」


真っ赤に染まった顔を見降ろしながら、室井が悪戯な光を乗せた漆黒の瞳で、妖艶に微笑んだ。

「性質悪ぃ・・・」
「おまえはもう少し俺に甘えろ」
「ちょ・・と、も、いいから・・・どいて・・・・・くださいよ・・・」

身動ぎ始める青島を難なく制し、室井が脚を絡ませ、紅い舌を見せ付けるようにして憎まれ口を柔らかく舐める。


「もういいから・・・逃げるな・・・俺も、逃げないから・・・」
「・・・約束させて・・・・どうすんの・・・」
「・・・・」
「俺、約束しませんよ」

ほぅ、と諦めたように青島が身体の力を抜き、室井を見上げる。

「あんたが俺に対して突飛なことしだすの、慣れてたつもりだったけど・・・・」


この狭い箱庭の世界で、人を好きになることが、何の罪になるというのだろう。
ルールが首を絞める人工の街が造り物ならば、お望み通りの役周りを演じてやるまでだ。
レプリカが、真の力を覆い隠してくれるだろう。


「嘘が欲しいならくれてやろうじゃないか」
「・・・まさかこれも作戦の内とか言う・・・・?」

この大都会こそが、上の人間の作りだしたでっかいジオラマだ。




「そういやおまえ、そろそろ誕生日じゃないか?」
「あ」

時刻は12時過ぎている。
ということは、今日は日曜で。

「明日だ・・・」
「そうか」
「忘れてたな・・・・」
「このまま、おまえを此処に閉じ込めてしまえば、晴れの日に一番に出会う人間になれる」
「嘘でしょ」
「嘘だと思うか」


柔らかく口唇を塞ぐと、室井は口の端を持ち上げるだけの笑みを滲ませた。


「どうせならフルに活用するべきだ。朝はルームサービスを取ってやる。夜は折角だからレストランでも行くか」
「この時期に今更入れるかっ」
「キャンセル待ちを入れておく」
「ちょっとっ」

「これを誕生日プレゼントにしてやろう」
「またそうゆう馬鹿言って・・・」
「不満か。まあ、今回はこれでカンベンしろ。近いうちに都内の戸建て買ってやるから」
「はあ?」
「俺をくれてやると言っただろう」
「・・・!!」

驚愕に固まったまま、口をぽかんと開けているアホ顔が面白い。


「だ・・っ大体あんた、この部屋だって一泊幾らしてんだよッ!?」
「おまえだって止めなかったじゃないか」
「だって来る時はもうどーでもいいっていうか、どーにでもなれっていうか、面倒臭いっていうか・・・・っ」
「今年は逢えて良かった・・・・」
「・・・・ッ」

そのまま頤を捕え、再び口唇を奪う。

「ねぇ、戸建って・・・ホンキ?」
「男は不言実行だ」
「それ自慢?」
「惚れたか?」
「なんかむかつく・・・」

毒づく口唇に、そっと指で触れると、思いの他、強めの力で歯を立てられた。

「こら」
「こら、じゃないよ」
「焦らすと今晩、眠れなくなるぞ」
「焦らしてきたのは、どっち?」


覆い被さるように見つめている室井の短い前髪が、パラパラと垂れて青島の前髪を擽っていた。
額を突き合わせる程の距離で囁く吐息は、相手の肌を掠め、陶酔させる。

その瞳が、スッと先ほどの余裕を感じない、ギラギラしたものに変わる。
ここまでの戯れのようだったキスが、急に艶かしさを帯び、欲望を孕ませたものへと変わっていく。


室井は、ここまで一度も触れようとしなかった辛うじて止まっているシャツのボタンに手を掛け、シャツを開いた。
首筋から舌を這わせながら、肩からシャツを滑らして、その瑞々しい素肌を橙色の灯りに照らす。
仰け反り、筋張った喉元を反らせる姿を眺めながら、背中で押さえ付けたままだった手を外し、その手でクイっと背筋を持ち上げて、シャツを落とす。
同時に、晒される形になった胸の突起を潰すように舌で転がした。


「んぁ・・・、ぁ、・・ちょ、まだヤんの・・・っ」

トランクスを引き下ろし、脚を開かせる。
されるがままに膝を立て、秘部を晒す青島に圧し掛かり、のめり込む様に肌を貪っていく。

「もっと脚を開け・・・・」
「・・・ッ、ヤらしーこと、言ってんなよ・・・ッ」


室井は艶肌を味わいながら、着ていたローブをがばっと脱ぎ捨てた。
ライトで褐色に照らされた筋肉の造型が、雄の色香を放つ。

青島の視線が自分に注がれていることを感じながら、室井は厚い胸板を見せ付けるように覆い被さった。

力を取り戻し始めている花茎を数度弄ぶと、青島の息も甘く変わっていく。
そのまま秘孔にもそっと指を滑らせれば、散々使ったそこは、まだぐずぐずと柔らかく、濡れていた。


「・・・ゃ・・ぁ・・っく、」
「どっちがヤらしいんだか・・・」

橙色のライトに照らされ、首を頑是なく打ち振る青島に、室井はふと、胸に去来したことを口に乗せた。


「その男にされたのは、キスだけか」
「・・ぇ・・・?な、に・・?」
「車内で襲われた時、他に何された」
「何、意地悪ぃこと、聞いてんだよ・・・っ」
「答えろ」


ゆっくりと花茎を揉みながら、秘孔の襞を楽しむように、指を回転させる。
そのまま胸の突起を口に含んだ。

「・・ぁ・・・っ、ゃっ、っん、キス、だけ・・・」
「他には」
「心配する、よなこと、何も・・・っ」


室井の青島への執着は、日頃から並々ならない。
それを室井自身、自覚はしているが、男に奪われそうになった事実は、そんな建前など、紙屑同然だ。
口唇だけとは言え、他の男に奪われた雄としての本能が、独占欲を崩壊させていく。


「隠してないな?」
「・・・っく、・・は・・・っ・・、シャツ、の上から押さえ付けられた、だけ、ですっ、最後は舌噛んでやった・・・っ」
「そうか・・・」


そういう反応さえ、可愛いとそそられる男も多く、また、嗜虐心を煽られるだけでもある。
自分の知らない場所で、青島のこの初心な反応を見た男が居るというのは、やはり理性では分かっていても、治まりがつかない。
それに、たぶん、青島は嘘を吐いている。
キスだけでこの身体に触れた男が終われるはずがないことは、自分が一番知っていることだ。でも、青島のために騙されてやることにする。

「今度、襲われた時用に、技の掛け方教えてやる」
「金輪際っ、男に組み敷かれんのは、ごめんですよ・・・っ」
「活きが良いな、ホントに・・・・」

秘孔の襞を弄んでいた中指を、スッと内部へと呑み込ませる。

「・・ァ・・ッ、あんたに、言われたくないよ・・・っ、一晩に何回ヤる気だよッ、絶倫オヤジっ」
「――、愉しませてやろうと思ったのに。それとも苛められたいのか?」
「~~っ、変態っ」

自分の腕の中で跳ねるように反応する青島の、紅く火照りだした肌を、口唇で柔らかく辿り降りる。

「数ヶ月禁欲生活させられたんだぞ。そう簡単に治まりが着くか」
「・・・言ってろ・・・っ」


憎まれ口にさえ愛しさを覚えながら、秘孔にそっと人差し指も咥え込ませていく。

「・・・・ッ、ゃ・・あぁ・・・っ」


思わず漏れた声に、青島が腕で口元を覆ってしまった。
力んだことで浮き上がる肋骨が、橙色の照明で彫刻のような陰影を映し、何とも艶かしく美しく象られる。
長い手足が、誘うようにシーツを乱していく。

その嬌態を、室井は咥え込ませた指を動かしながら、じっくりと眺めた。


「忘れろ。他の男の味など、知らなくていい。俺だけにしておけ・・・」
「・・ぁ・・、んぅ・・・っ」

もっと卑猥な体位をさせたくて、室井はその膝を持ち上げ押し広げる。

「ゃ・・・っ、ゃめ、・・く・・・ッ、ゃあぁ・・ッ」


ライトに橙色に浮かび上がる脚を、胸で折り返るぐらいに着けて広げさせ、苦情が上がった瞬間を狙い、指を三本に増やす。

粘性の水音が、耳からも煽り、雄の本能を加速させていく。
愛しく甘い躯が、ほんのりと染まり始め、躯の裡が室井を誘うようにうねる。
最初から反応が良い。
腫れあがった媚肉は、いつも以上に過敏になっているのだろう。


覆い被さり、顔を隠してる腕をどけて、顔を覗き込む。

「見ん・・な・・・っ」
「聞けないな・・・もう隠しごとはなしだろ?」
「それ、と、これとは・・・っ、んっ、んぁ・・・っ、ぁあ・・・っ」


気丈にも苦情を乗せながら、青島の嬌態を曝す仕草に、内心ほくそ笑み、その容赦ない刺激を続けていく。
反り返ったことで晒された首筋に熱い舌をゆっくりと這わせれば
その濡れた刺激にさえ、青島の躯は小刻みに震えた。

知り尽くした内壁の一点を擦り上げると、その感触に青島は可愛い声で、小刻みで鋭敏な反応を返す。


「君に、―――こんなことができるのは、俺だけだ」
「あ、あたりまえ、だ・・・・ッ」
「他の、誰にも・・・・触れさせたくない」
「あ、あ、んく、あぁ、・・・・っ―――」


仰け反った青島の喉へ口付け、戦慄き身悶える身体を抱く。
今までの想いが溢れそうになる。
甘い吐息と嗚咽が、指を掻き回すたびに、粘着質な音と共に、室井を耳から煽りたて
朽葉色の短髪がふわふわと揺れる、眉を潜め、享楽に歪んだ紅潮した貌を晒し、室井の下で折れ曲がる程に四肢を卑猥に開く躯が、目から煽る。


「まったく・・・・どこまで俺を狂わせれば気が済むんだ・・・・」
「ん・・・っ、なんか、室、ぃ、さんじゃないみたいだ・・・っ」


瑞々しく光る若い肌に吸い付くように口唇を這わせると、青島が咲き誇るように震える。

姑息な手段だなと思う。
こうまでして、性の倫理も常識も越えた所で、境目が無くなる程に溶け合ってしまうまで、いっそ潔く悦楽に底の底まで奪われたい。
烈しく、強く。
強烈な快楽で、何も分からなくなるほどに。


「もう・・・逃げるのも、物分かり良い顔するのも・・・やめたんだ」
「・・ぇ・・・?」
「青島・・・」

重なった口唇から、必死に酸素を取り込もうと僅かに口を開ける隙を付いて、その奥深くまで舌を注ぎ込んだ。
同時に、下に咥えさせている指も、根元まで挿入させる。

「んぅ・・・!・・っん、っく、ぅん・・・・っ」


 愛しくて、愛しくて、抑えきれない。
欲しい物をこの腕に抱き締められる奇跡を、極上の甘美と共に味わう。

柔らかく、柔らかく、何度も口唇を重ねた。
弾力を愉しむかのように、密着させ、ひとときも離さない。
先走る室井の心を映し出すその端正な指先は、微かに歓喜に震えていた。


常識的で正統的だった恋の形が今、狂乱的で特異なものに、変わっていく。
貪欲に、崩れ落ちる程の蕩悦を求め、溺れるほどに倫理も慈愛も吹き飛ばした、傲慢な愛情が、唯一人の相手へと、向けられた。
境目が分からなくなるほど溶け合って、溺れるように蕩揺う悦楽の時間が、躯を々温度に染め上げていく。

置き去りにされた傲慢な愛情が、深く澱んで、強烈な享楽と肉を滾らせる灼熱に熟れた。
青島に向かう、澄ました顔で隠し続けた裡の激情は、こんなにも淫らでどす黒く、澱んでいる。
だが、常識も摂理も倫理も全て超越したところで惚れぬいた男が、自分にだけ身も心も捧げてくれる度
深閑な闇の狭間で、逆に澄み渡って、広がっていく。


淫らな疼きに跳ねる躯を抱きよせ、その度に室井はねじ込んだ舌で青島の口内を舐め回し、痛いほどに舌を絡めた。
呼んだ声は、首に回された腕に込められた力で返される。



咥え込ませた指はそのままに、少しだけ濡れた口唇を解放すれば、蕩けたような飴色の瞳が室井だけを映して見つめ上げていた。
苛烈で制御効かない情動が室井の身体の奥底から湧出する。


「今夜は・・・・おまえをめちゃめちゃにしてしまいそうな気がする・・・」
「・・俺・・・、あんたが・・・あんなに烈しく求めてくるなんて・・・知らなかった・・・」


室井はその熱い躯を横たえ、その上に覆い被さった。
自身の身体とベッドの間に青島を挟み込む。
青島の長く綺麗な腕がその首に巻き付いたのを最後に、室井の理性は灼け落ちた。




*:*:*:*:*:

結局、シーズン中なのに運良く連泊出来た二人は、この日も一日ほぼ部屋で過ごし、月曜の朝、ここから出勤する羽目となった。















back     next         menu

二人が走りまわった街は西新宿辺りをイメージしてました。あの地下通路から都庁近辺(笑)
すみれさんとお茶したシーンは銀座。泊まったホテルは〝ニューオータニ〟デラックスとかエグゼクティブ辺りがモデル。(^^ゞ