どろっぷ行進曲 DOUBLE!中編
3.
6時50分。
ケータイが鳴った。
「そろそろ着く。前に出ていろ」
「ピンポンしてくんないの?」
「今日もガードが付いている。自宅まで招かれ親し気に話すところを何度も目撃させたいのならそうするが」
「今降ります!」
風のような速さで真紅の革ジャンを羽織って、鍵を掴む。
チャリンという金属音と同時に電気を消し、玄関にスライディングした。
ワークブーツの紐をしっかりと締めて扉を大きく開ければ、そこには真っ青な空が広がっていて、青島は目を細める。
目覚めたての眩しい朝陽と、麗らかな新緑。絶好のお出かけ日和だ。
にんまりとしてアパート下まで降りると、錆び付いた門に背を預けた。
表通りまで出た方が親切かもしれないが、室井がここで待てというからその指示に従う。
一分も持たせずエンジン音が響いた。早朝の休日に相応しくない爆音が近づいてくる。
直進してくる黒い物体をぼんやりと見ていると、それは滑るように青島の前で止まった。
目を丸くして、口もあんぐりと開けたまま固まる。
ええええーッッ!!!バイクかよ――!車じゃないんかい!!
しかもハーレーダビッドソン――ッ!!
「着けろ」
ブラックのボディスーツに丈の短い革ジャンを羽織っている室井が、赤のメットを投げ寄越す。
両手で受け取るまま、青島はただ、目をまんまるにした。
ボディラインを拾うスーツは室井の小柄でみっしりとした身体を誇張し、勇ましい一面は意外性としてはお釣りが来て、ぶっちゃけエロイ。
背を起こすと、室井がメットからクイッと顔を出した。
受け取ってしまったままのメットが青島の手の中で太陽光を浴びて目に刺さった。
「早くしろ」
これ・・着けて・・どうすんの・・。
「鞄は肩に回してしっかり止めろ。出来たらさっさと乗れ」
タンデム――!!
当然の答えに、う、う、う、と唸りながら青島の足が困ったようにたじろいだ。
室井を睨み、更にここで、もうひとつミスしたことに気が付いた。
青島が片手で口元を覆い、目を反らす。
やっべぇ、かぶった。
これじゃ双子コーデは避けられても、ほぼほぼリンクコーデ・・!!
前回とうって変わり、カジュアル路線を強くしたのが裏目に出た。
シャツは無地のグレイ。ボーダーTシャツの上に羽織って、胸元を大きく開け細身のネックレスをジャラジャラとさせることでカジュアルダウンした。
ボディに沿うカットラインは青島のすらりとした身長をスリムに仕立て上げる。
華奢なアクセで色気と遊び心を見せつつ、トーンは抑え、ボトムはスリムジーンズ。
黒かぶりが嫌で、深いブルーグリーンにして、室井のキャリアテイストに合わせた。
ただ、真赤な革ジャンが俺の最後の抵抗。
そこに英国テイストのネルシャツを腰に巻いて、防寒対策もばっちり。・・・の筈だった。のに!
現場ということを踏まえても、室井だってかっちり系は避けてくるとは踏んだ。・・が、その予想の斜め上行ってきたよ、このひと。
顔を覆った指の間から室井を盗む。
墨のようなライダースーツが室井の輪郭をみっちりと浮き上がらせている。太腿の太さは男らしく、惜しみなく雄を匂わせてきた。
合わせた黒の革ジャンは室井の漆黒の瞳と髪に融合し、逞しいボトムラインがフロントサスペンションに映える。
メットまで黒。
正直、コレ、傍から見れば同じ格好、めっちゃリンクコーデ!
しかもよく見りゃこのひともネルシャツだよ・・。
大人らしい落ち着きのあるシュバルツグリーンで、そのままスーツジャケットを羽織ればオフィスにも通用しそうな気品だ。
ワイルドなテイストに、この典雅な味って、やばすぎるくらい、俺のツボを突いている。
「あのぅ、せめて、メット、交換しません?」
不思議そうに一瞬眉間を寄せた室井の目が、舐めるように青島を上から下まで辿った。
その視線に、青島の肌が震える。
見られることが、こんなにも突き刺さるなんて、考えたこともなかった。
さりげなく視線だけ空に反らして、青島はぷくぅと頬を膨らませて待つ。
青島の視線で気付いた室井が、徐に口を開いた。
「写真撮るか」
「撮りませんっっ」
被せるように抗議で顔を戻した青島に、室井は得意気に顎を上げて見せた。
「他に、質問は?」
「俺、着替えに」
「帰らせるわけないだろう」
やられた。
たった一回のデートで、相手の性質も好みも興味も推し量ったのは、何も青島だけじゃない。
室井だって、否、室井こそ、少ない時間でそれこそ青島以上に観察し、探求し、学んだはずなのだ。
青島に近づくために。青島を本気で落とすために。
くっそぉ。
「早くしろ」
「ううう」
渋々渡された赤のメットを装着し、タンデムステップに足をかけた。
重みで揺らぐエンジンが熱い。
俺が赤の革ジャンで、室井が黒のライダースーツである以上、メットを交換したところで統一感が生まれるだけだ。
もう開き直るしかない。
ペアルック・・いっそ、シミラールックである。カラーまで揃えて一体感を見せ付けて、どんな仲良しさんだよ俺ら?って感じィ・・。
今日はいちんち、俺、この罰ゲームに耐えるのかぁ。持つかな。
「ん」
「・・なに」
「今日の目的地リストだ」
「んなのメールで送ってくれりゃ・・」
「データに残すのは危険だからだ。迷宮入りした事件を警察が後追いするのは世間体に良くない」
ホチキスで止められただけのB4に印刷された概要書をパラパラと捲り、添付資料にも軽く目を走らせる。
未解決のまま捜査がどういう経緯で難航したのか、室井の添え書きもあった。
「がぜん、きょーみ湧いてきちゃいました・・」
長い足を惜しみなく見せ付けた青島の様相は、歳より若見えし、それでいてベビーフェイスが愛らしく春風を誘う。
室井の漆黒もさりげなく反らされた。
「んで?この一番近いところから?」
「そのつもりだったんだが、この天気だろ。一番遠いところからツーリングを楽しまないか」
「いいね」
結局、このひとのこういう諦めの悪さと、キャリアの渋さに惹かれて、憧れた。
まず心奪われたのは俺の方だった。
今更室井がアピールしたところで、最初に囚われた心はそのまま、今も。ずっと。青島の中では極彩色で色褪せない。
で、無防備に懐いていたら、惚れられちゃったんだけど。
「山沿い方面なら景色もいいだろう。そこで写真でも撮るか?」
「・・もお写真から離れてください。そもそも撮って、あんた、それどーするつもりだよ?」
「手帳か待ち受けか」
「やめてくれ」
肩越しに、室井がニヤリと片眉を上げた顔で振り返った。
その確信犯の顔と揶揄う瞳に、青島が口唇を尖らせる。
「気付いてんでしょ?カッコ」
「実は狙ってみたので、ガッツポーズだった」
「うっそぉ・・」
前回のチョイスから、やはり今回どう攻めてくるか、室井もプランを練って、先読みしてきたということだ。
お互い水面下で駆け引きをして、挑み奪うのは心なのか支配なのか。
裏を付いて、違うカードを引いてくるであろう青島に、室井はそのカードを当てて見せた。
その辺りの推理の的確さは、流石キャリアである。
「ねぇそれ、当たっちゃったとして、恥ずかしいとか思わなかったの・・」
青島が、こうなりゃヤケだと、渡された資料をバッグに仕舞い、バイザーを下げ、スタンバイする。
「しっかり捕まっていろ」
「捕まらせるために、このシチュなわけ?」
「小回りが利くからだ」
室井の腰に手を回すことを躊躇っていると、室井がバイザーを閉じた。
恐る恐る服を引っ張る指先をしっかりと握り直され、腰のあたりをしっかりと掴まされる。
「行くぞ」
途端、室井がアクセルを踏んだ。
ばうんと大きな音を立てたと思った途端、想像以上の風圧が襲い、思わず背中がピンと張る。
うっそだあああ!!!
ハーレーでタンデムっつったら車線真ん中、ゆったり俺様速度、じゃ、ないのかよー!
このひと、やっぱり、どこか振り切れると人格変わるよねー!!
めっちゃスピード狂なんですけどー!
絶対キャラ違うー!!
「む、むろ・・ぃさんっ、・・早・・ッ」
悲鳴が打つ風に消えるまま、二人を乗せたバイクは見慣れた新木場の通勤路を目まぐるしい速度で流していく。
青島は夢中で室井にしがみついた。
苦情を言おうとして、後ろから室井の横顔を盗めば、端正な顔が漆黒を光らせ前だけを強く見据える。
良く見知った横顔に口を挟む隙は無く、青島はじっと見つめた後、流れる景色に視線を戻した。
風圧に、ただじっと室井の背中に隠れて縮こまる。
「首都高湾岸線は渋滞だった。別ルートを探るぞ!」
にしても――なにこの筋肉!
このひと、着やせするタイプ?!
畏まったスーツしか見ないから気付かなかった。俺の方が上背はあるけど、腕力なら室井さんがぜってぇ上だ。
ホントに嫌がれば止めてくれるだろうが、組み伏せられて抵抗できるかどうかは、ちょっと自信無くなった。
いっつも下町界隈のジーちゃんたちを相手にしてっから、同年代の、生身の男の精気っての、忘れてた。
「カーブの時は俺に動きを合わせろよ」
「わかってますよ!!」
所轄でまったりとした男どもとは違う、生粋キャリアの、精神削って戦う男の、生々しい息遣い。
「怖いか?」
「まだまだっ」
「飛ばすぞ」
「上等!」
大声で怒鳴り返す声が風に途切れがちになる。
どうしよう。すっごく楽しい。
「海岸線と都心線、どっちがいい」
「海!!」
冷たい空気が頬を叩いて、二人の服をはためかせた。
バイクは思ったよりも肌感覚が馴染みなく、ジェットコースターに乗っているかのような浮遊感が新鮮で、身体が強い振動を受ける。
青い空がキラキラと光って、春の陽光を鮮やかに揺らめかせ、いつもは灰色の東京湾が青藍にさざめいた。
「この辺りは君の方が詳しいだろう。ナビゲートしろ」
「とりあえず!まっっすぐ!!」
室井がアクセルを更に加速する。
なんか、わくわくしてきた。
4.
◆一件め
現場は管内ギリギリ、鬱蒼とした木々が生い茂る山林だった。
コンクリートが剥げ、大木の根が剥き出しとなって、土の匂いが海街にはない風情を作り出す。
「え~っと?女子高生が遺体で見つかる・・・吐き気のする事件ですね」
「目撃証言がほぼなく、昨年報奨金の適用期間の1年延長。手掛かりがない奇妙な事件だった」
「そりゃ、こんな山奥じゃね。昼間だってのに人いないじゃん」
林道にバイクを置き、舗装されていない木々の合間に入っていく。
枝を踏み鳴らす音、若葉がざわめく音。木漏れ日は穏やかで時の経過を感じさせてくる。
「当時あった民家はここから10分ほど。今は無人となっているはずだ」
「室井さんが担当したんですか?」
「別の人間だ。たしか新城の後輩の」
奥まった場所まで行くと、朽ちた民家が見えた。
それを見下ろしながら、少し上がった息を整える。
「新城さん、元気です?」
「・・何故アイツの機嫌を取る」
「え?社交辞令でしょ?」
胡散臭そうな、不機嫌そうな目付きで、室井が青島を見、民家に降りるか指で訊ねた。
目を合わせただけで、青島は小枝を掴み、ざざっと踵を立てて、崖を降りていく。
降りるというよりは落ちていく行動に、室井は小さく笑みを乗せた。
「何故直接行く。こっちに私道があるぞ」
「先に言ってくださいよ」
室井が回り道をして、同じく民家の近くまで降りてくると、背中合わせに立った。
青島は資料を広げ、現場の位置を探し出しながら、報告書の記載をひとつひとつ確認していく。
緑陰が覆う大気は湿っていて、音すら吸う。
「で、発見場所が」
「この裏山になる」
「もう業者も入っていないから、荒れ放題だ」
「その割には、行く気満々だな」
「分かります?やっぱ現場がいちばん!ですよねぇ!」
「中間管理職のそれ、な。うだつが上がらなくて居場所をなくして戻るやつな」
「・・・」
ジト目を向ける青島に、室井はそっぽを向いて、青島の手から資料を奪い返した。
軽く目を通しながら、家の裏手に回っていく。
「ここの住人が第一発見者?」
「そうだ」
「その人が犯人だったりして」
青島が笹薮に足を踏み入れ、腰ほどもある雑草を分けながら、図面上で示された発見場所を指差せば
背後で見守る室井が頷き返す。
「足の弱いご老人で、遺棄する共謀者の存在も薄かったので、捜査線上にも上らなかった」
「そいえば。どやってここまで運んだんだろ」
「死角だらけの場所ではあるが、流石に遠くで殺害し、ここまで運ぶのは無理がある。ここが殺害現場だと思われたが」
「遺留品が何もでなかった?」
「そういうことだ」
在りし日の風を思い起こさせるように、頭上高く覆うカシの木が撓むようにさざめいた。
こんなところで、ひとりぼっちで置き去りにされて、わずか十数年の命を終えるなんて、さぞさみしかったことだろう。
「何考えてます?」
「・・君こそ」
「死者の最期に見た景色を――くらい言ってみるのは?」
「君はロマンチストだな」
青島は肩を竦める。
そんなことは分かっている。情に流されたところで、死んだ人間は帰ってこない。
朽ちた花が、添えられていた。
「戻るか」
「・・はい」
◆二例め
透きとおる空と深緑の山脈がくっきりと目に映える。国道の看板はここが県境であることを示していた。
「タクシー運転手強盗殺人ね。監視カメラの死角でもない。白昼堂々の犯行。・・なんで見つかんないの?」
「そこがポイントになっていると当時もパッシングを受け、一課総出で捜査員が導入されたが、迷宮入りするまで答えを出せた者はいなかった」
田舎町の広い国道は見晴らしも良く、稲の無い水田が四方に広がっていく。
人通りは疎らで、車の往来は激しい。
「容疑者もなしって書いてありますけど」
「当時捜査線上にこの近くに住む女性が浮かび上がったが、アリバイがあってな」
「それが、あの店?」
「おまえ、ここから走れ」
「はいい?」
前触れなく、室井が指示をする顔は平然としていた。
突拍子もない発言も、室井の関心を示している。
肩を寄せるように立つ青島が顔だけ向ければ、視線は一度だけ交差した。
「道路反対側、あのコンビニの監視カメラに映っていたのが12時。それが最後の目撃情報だ。死亡推定時刻もその頃を指している」
「で、犯人っぽい人は」
「こちら側のあの大型スーパーで買い物をした後、ここから30分ほどの自宅で夕食の準備をしていたと証言している。その姿も実際複数目撃されている」
「じゃ、なんで犯人扱い?・・あ、顔見知りか・・」
「盗まれた金はごく僅か。当時不倫関係にあった彼女が捜査線上にあがった。怨恨の線で探っていたが、誰もアリバイの壁を崩せなかった」
「え、それって、俺に今から記録を塗り替えろって言ってます?」
「30分以内に殺人を犯し、自宅へ戻り、カレーを作れるか、だ。足には自信があるんだろう?」
「鬼!」
両拳を握り、んもぉと吼えつつ、だが青島は革ジャンを脱ぎ、軽くストレッチをする。
「しっかり測っててくださいよ!」
「一課の鼻を明かしてやれ」
「ぜってぇ、タイム切ってやる・・!」
膝頭に両手を宛て、青島が一直線の国道の果てを見据えた。
真剣な眼差しに変わったそれを、室井が横から見つめ、その視線を垂れた前髪越しに青島が室井を見る。
それが合図となって、青島が走り出したと同時に、時計のタイマーを押し、室井はバイクに跨った。
先回りした室井が待つ目的地を目指し、青島が全速力で駆け抜ける。
「・・っ、・・はっ、は・・ッ」
こんな走ったの何年ぶりだろ・・タイムとか、運動会みたい。
信号も意味をなさない。直線道路。見晴らしは抜群、視界は良好。
水路、あぜ道、知らない鳥の声。
呼吸を整えるため、一旦速度を落とし、額を拭い、また走り出す。室井の元まで。
室井の姿が見えた時、青島は一気に駆け抜けた。
「大体15分ってところか。いいタイムだ」
「・・か・・・った・・・?」
「ああ。断トツだ」
よっしゃ!!
屈んだまま小さくガッツポーズをする。
一課も検証しただろうタイムの一番上に、後で名前を書き換えてやる。
「当時の捜査員は何をやっていたんだ・・。ったく。ただ荷物を持ってとなると、これでも少々きついな」
今走った俺が一番キツイですけどね。
でも開口一番がそれなの?
「走ってて何か気付いたことはあったか?」
「季節・・っ、いつ・・?夏、たんぼ・・っ」
息を切らし、告げる青島の途切れ途切れの言葉に、室井を言いたいことを察し、大きく頷き、顔を上げる。
ウグイスの声が稲の無い水田に響いていた。
「逃走経路はこの大通りで間違いないだろう。車や自転車は使っていないことが確認されているが、協力者がいた場合、無意味なる」
このひと、こういうとこ無頓着だよな。基本自分大好きキャリア人間なんだよ。
はあはあと荒く上がる青島の息が、春の息吹に溶けていく。
汗ばんだ額を腕で拭った。
「あっちぃ、アイス食べたい」
「さっきのスーパーまで戻るか」
「おごりね」
「ご褒美、だ」
「まあ、いいでしょ」
◆三例め
遠くの蒼い山脈が疎らな民家の向こうにはっきりと見えた。
陽射しが頭上にある時刻は影も短い。
「この現場が終わったら昼飯、が、いいなー」
「そうしよう。途中で見かけた蕎麦屋。悪くないと思ったんだが、どうだろう」
「あ、二つ前の信号の?!実は俺も気になってました!」
「決まりだな」
並んで三階建ての古い団地をぼんやりと見上げた。
「なんか懐かしい外観の建造物」
「昭和の時代はこういう公共団地が高度成長の波に乗って加速度的に建てられたからな」
二人で資料を覗き込む。
指差しをしながら、目的の部屋を確認し、周辺地域を目視し、時折添えられる室井の声が木漏れ日に揺れる。
控えめな声は低く穏やかで、こうして向き合うことで得られる共鳴は、懐かしさよりも瑞々しさを青島に齎した。
団地は管理団体が植えたと思われる低木で囲まれているが、手入れは行き届いていなそうだ。
「高齢夫婦殺害。直接の死因は夫が絞殺、妻は刺殺。これまた吐き気のする事件で・・」
「夫は全身を殴打。肋骨が折れて内臓の損傷もみられた。妻も全身を殴打され、包丁が腹に刺さったままだった」
「サイテーだ」
「この地形だと土地勘があれば外部の侵入は容易な構造だから、防犯面でも課題が指摘された」
「でもこの手の地方って逆に余所者は警戒されますよ」
室井が徐に青島の手から資料を引き取る。
「君が探れ。外で待機する」
「え?探れ?」
「丁度良い位置に、おあつらえ向きの木がある。犯人はベランダから逃走。高さや距離感を確かめたいだろう?」
「室井さんは?」
「何かあったら駆けつける」
その格好で、一人待機している方が、人目に付きますけど。
「目立ちたいの?」
「君は立ち回るのがうまい」
あ。このひと、俺が見つかる前提だ。
「俺一人を囮にしようって・・」
「堂々としていると君は大物に見える。容姿もいい、それに、背も高い」
「お褒め頂いても、見た目と犯罪ってカンケーナイですよね?」
「アドリブでかわせ」
「言いたい放題っすね」
横柄に言い切る室井の横で、それでも青島は下唇をぺろりと舐めて、幹の太さを確認する。
確かに枝ぶりからしても、子供が遊んでいそうな木だ。
「・・折れないかな・・」
「器物破損だな」
「あんたって結構無茶ぶりするよね」
じぃぃっと室井にジト目を向ければ、室井はしたり顔で片眉を上げた。
それまでキャリアの管理官としてしか仕事をしてこなかった室井に
所轄に協調する部分とか、選択する時の価値観の変化とか、新しいことを成し遂げようとする責任感が生まれているのを、青島は知っている。
ノリノリで今日の冒険を楽しんじゃっているのだって、感じないわけがない。
「・・なんだ」
「べっつに」
片手で枝を掴み、近くの柵を踏み台にして、青島は手の力だけで木によじ登る。
木登りも何十年ぶりだよ?
「もうちょっとさぁ、なんかやり方あるっしょー?」
「それは勘で飛び込む君にこそ言いたいが」
「計画立てんの苦手で。策略企てんのは好きですけど」
「緻密な下準備がものをいうんだ」
「そんなことしてるからチャンスを逃すんですよ」
下で室井がムッとしたのを感じ取った。
子供みたいに感情をむき出しにする室井は、あまり見ない。
可笑しくて、くすくすと笑いながら、青島は枝を掴み、三階の高さを確認する。
まだずっと目線より上だけど、結構な高度だ。
「室井さーん、これ、難易度高いですよ~。たぶん、犯人にとっても」
「・・そうか」
芽吹き始めたばかりの樹木は枝分れが分かりやすく、掴みやすい。
反面、丸見えだ。
なんつーか、これって、かなりの確率で、ノゾキしてるみたい・・。
見つかったら本当に警察呼ばれちゃう。
「この距離だ。当時もこの木を使った可能性は指摘された」
「痕跡は出なかったんですか?」
「資料にないな。ただ記憶では、事件発覚が一週間後。その間事情を知らない近所の子供たちが遊びまわる格好の遊具になっていたらしくてな・・」
「にしたって、血痕くらい出そうなもんですけど」
現場となった部屋は今も無人で、網戸が破れていた。
昼間でも暗いその部屋は、きっと事件の日から時間が止まっている。
青島はある程度の肌感覚を確かめると、ぽんっと飛び降りた。
ザザッと枝が大きくたわみ、片手を付いて着地する。
「何がどう絡み合っちゃうと、こんな結末になっちゃうんでしょうねぇ」
「そんな結末しか選べなかったことを悔やんでいたら、もたないぞ」
「分かってるけどさ」
飛び降りた青島の髪が柔らかく乱れ、人の重みに反撃するように若葉が何枚か落ち、青島の周りに散っていく。
それは名残惜しむためか、哀悼だったのか、青島がぼんやりと現場から視線を外せないでいると
不意に手を取られた。
驚いた青島が視線を室井に向ける。
室井が手の平に付いた泥や木くずを払ってくれていた。
いきなり現実に戻され、そういえば今日はデートだったと思い出した。
「い、いいよ・・、いいってば」
照れ臭くて手を引くが、室井は離してくれない。
目の端には、近隣住民らしき影が遠巻きにヒソヒソと陰口を叩いているのが映り、より焦る。
「な、なんかヤバくない?バレたらあんた、」
「逃げるぞ」
「逃げるって、ぇ、ええ~ッ??!」
室井が青島の手を握り返し、今度は繋いだまま引っ張っていく。
ぎゃああーっ、手繋ぎーっっ??
乱暴に手を引かれ、足を速めた室井に引き摺られ、あまりのさり気ない接触に、青島は思わず赤面した。
こんなさり気なく手を繋いでくるなんてスキル、どこで覚えたんだ。
だけど室井は力強い手つきで小走りのまま青島を物陰へと引っ張っていく。
「あ、あの、手・・っ」
事件に頭が夢中でこのギャップに付いて行けない。なんか今日、そんなんばっかりだ。
こんなリンクコーデで他人の振りする方が怪しいってこと、このひと分かってんのかな?
「むっ、室井さんっっ、白昼堂々、手つなぎは、ちょっと、その」
「誰もいない」
見てなかったら、今度はナニする気だよ。
「は、恥ずかしくないの・・」
「だからもう誰も見ていない」
「そおじゃなくて・・!こーゆうのって、その・・!」
室井の足が止まった。
手を繋いだまま、春霞の中で室井がゆっくりと振り返る。
春の陽射しすら隠す室井の真摯な漆黒が、その足を竦ませた。
見つめ合った隙間に吹く風が青島の前髪を揺らしていく。
戸惑う瞳を隠すように霞に紛らわせた狡さに生じた不自然な沈黙は、青島の口から答えさえ奪わせる。
息が、苦しい。
「言わせたいのか?」
「!」
ジワジワと青島を捕らえ、黒い眼差しが、知っているくせに、と責めていた。
俺が誰を好きで、その人間とどうなりたいかを一番知ってて、今、あえてそれをここで俺の口から言わせたいのか?
繋がれた指先が、汗ばんでいた。
「君が」
「?」
「君が、あんまりにも事件に夢中だから」
黒い背中が拗ねていた。
つまり、ちょっと嫉妬したんだ。事件に俺の気が逸れているからと、ムカついて?
ちろりと目線だけ上げれば、室井も視線だけ向ける。仏頂面が、分かるか分からないかぐらいの動きで目を細めた。
だけど青島には分かってしまう。
んだよ、そんなに嬉しそうなカオ、隠しもしないなんて。
「蕎麦、行くんだろう?」
「・・・・・・いく」
心臓が、破けちゃいそうだ。
こんなの、簡単にかわせたはずなのに、どうしてかこのひとの命令には逆らえない。
「室井さんってドーテーでしょ」
「それは君の躰がいずれ知ることになる」
「あらまー、俺何されちゃうのかなー?」
答えを迫ってはこなかった室井の達観した成熟さに、今は甘えておく。
らしくなく、チッと舌打ちしたのが聞こえた。
繋がれたままの手が、今は異常にハズカシイ。
「くそ、いつか犯す」
「突然盛るとこが童貞っつってんす」
「童貞で悪かったな」
「え。まじ」
「マジだったら手ほどきしてくれるか」
室井の板についた口調は玲瓏で、揺るぎない。
指先をそっと外せば、温もりは深追いすることはなく離れていった。
◆昼飯
「室井さんって蕎麦湯頼むひと?」
「蕎麦屋で蕎麦湯抜きなんて、肉じゃがに肉ナシと言っているのと同類だ」
「なにその理屈」
首を傾げながら、青島が店員に蕎麦湯をオーダーする。
真向かいの男の休日の顔に、初デートで覚えた新鮮さと違和感を、今尚抱いて青島は室井を見た。
俺の前であの室井さんがメシ食ってるよ~。
前ン時も思ったけど、ショーゲキ的な光景だ。シゴトじゃない逢引は、彼の時間を俺が独占していることになる、その特別感。
弱った顔はあまり見せない。
前回ああしてプライベートを共有したあの時まで、室井さんとろくに喋ったこともなかった。
周りは、仲いいねだの、名コンビだの、腐れ縁だのと囃し立てるけど、ホントの室井さんなんて、俺こそが知らない。
こんなカタブツで頑固な仏頂面男が中年にもなって俺を好きだという。
まさかこうして蕎麦食い合う仲になるなんて、あの頃は考えもしなかった。
「なんだ?」
「ん~?今日半日で、性質悪い男に捕まったんだなって、チョット学びました。・・初デートん時も学んだ気がしますけど」
目の前で蕎麦を食べ終わった室井が、箸を置く。
指先を添える所作は、久しく所轄では見ないもので、黒漆に格が備わる。
「それは俺のことか」
「デート中、他の人間のこと想ってていいなんて余裕、俺はさせませんけどね」
室井が目玉をぐるりと動かし、青島を見据えた。
好きなひとに好きになって貰えて、それは嬉しいことだ。でもその後はどうすんの?
室井が一緒にいたいと思ってくれているなら、俺だってそう思う。
その意味では、もうとっくに、俺たちは両想いだ。
「あんまり可愛い事を言わないでくれないか」
「え?」
「・・理性で抑えられなくなる」
「ば・・っ!」
一緒に居たい、その気持ちが、恋という名の代償の必須条件なのならば
室井の望む「一緒」とは、青島が考えるよりずっと、重たく歪んでいて、色も形も別種だということだ。
その根幹が全く異なるものならば、俺たちが両想いになれるわけはなく、両想いとは程遠い。
「怖くなったか?」
「ぜんぜんッ!!」
何もかも、見透かされているようで、腹が立つ。
だからつい反発してしまいう。とことん抗ってみたくなる。
「今日見た現場!未解決になるだけあってひどいものが多かった。でも彼らだってさ、そうするつもりもなかったのに、そうするしかなかったって言い訳するひ
と、いると思う」
「いるだろうな」
俺がいるのに。
「正しいって難しいよ」
「君でも迷うのか?」
俺がいるのになぁ。
「あのさ、約束して、あんた、苦しい?」
「バカ言え。あれは俺の生命線だ」
少しだけの間を置き、呆れたように呟いた室井の投げやりな言葉に、青島は目を伏せて歪な笑みを浮かべた。
「おまえ、降りるなよ」
このひとは、それじゃ不満なんだ。
「おろしてくんないんでしょ」
「捕まえたもん勝ちだ、こういうのは」
「正義は胸に秘めてるくらいがちょうどいいんだって。和久さんが」
室井が不満な距離に身を寄せ、青島が顔を傾けて囁く。
意地悪させてんのは、俺じゃない。
それでもやっぱり、傍から見たら俺らは仲良しカップルで、イチャついてるんだろう。
「その正義に言い訳をして、君はこの挑戦から降りたいという計算か?」
至近距離で、少し強張った室井が低く聞き返す。
このひとと本音でぶつかり合いたいと思った。それは、こんなにもムズカシイ。
初めてのデートは生身をお互いに暴き合った。
星に願いを祈りたくなるような夜だった。
ぷくっと頬を膨らませ、興味が失せたように身体を戻し、乱された感情を持て余した青島は行儀悪く肘を付く。
俺は、この気持ちに答えを出さなきゃいけない。そんな日がホントに来るんだろうか。
お互いを探って、挑発し合って、心の隙間を化かし合う。
キャリアの中での化かし合いは、こんな程度ではないのだろう。室井は堂々としていて肝も据わっているようだった。
その域に達していない俺が悪いわけ?
「そんな計算できる頭じゃねーです」
「・・だな」
「逃げるってのもどうも性に合わなくてね」
「同意見だ」
明るい店内と、落ち着いた和風で田舎風情の内装は、昭和の臭いを持ち、ノスタルジーを生んでくる。
昔は良かったななんてジジクサイ台詞は死んでも吐きたくないのに。
初めて告白されたあの日、車の中で感じたノスタルジーは、飴玉みたいに甘くて蕩けた。
でも今は。
これこそ、CrackingCandyだ。
青島は頬杖を付いたまま、窓際から見える国道を漫然と見つめ、店内の寂れた騒めきをやり過ごした。
空は透きとおるように青くて静かだ。
似た者同士だということは、わざわざ吟味しなくても分かり切ったことだった。
リンクしている今日の服装のように、どこか同じでどこか違う。
夢が覚めたら俺は捨てられる。使い捨てる相手に俺を選んだ貴方を憎むことも許されない。
「君の方がよっぽど性質が悪い。こんな振り回されて苦労させられたのは、かつてない」
「今誰かと比べたでしょー」
「・・比べてない」
「なんか嫉妬するなぁそういうの」
「嫉妬、してくれるのか」
勘の良い室井にしてみれば、青島がどう断りの文句を入れてくるかなんて、想定内なんだろう。
当たり障りのない会話は空疎で、室井の見せる関係が絵空事に見えてくる。
「じゃあ、少しぐらいは――俺とあなたの気持ちが重なる可能性も考えてみてよ」
貴方も。
軽い雑談を装って、そっと本音を滲ませる。
視線は合わせなかった。
室井の目が一度だけはっきりと青島に刺さり、蕎麦湯に戻った。
「届くだろうか?」
「いつ俺があんたより上だなんて言ったんだよ?」
「俺はドーテーなんだろう?」
「そうでした」
このひとの発する一言ひとこと、俺を探る言葉が、熱が、知られるってことが、心地いいなんて。
そんなこと、知りもしなかった。
知りたくもなかった。知りたくない・・本当に?ちがう、知って欲しかった。知ってみたかった。
「そんな顔をするな。隙だらけだ。別に今すぐ捕って喰おうなんて思っちゃいない」
ヤッベ。カオに出てた?どんな顔してたんだ俺。
それはさすがにマナー違反だ。慌てて青島は何気ないふりを装って笑みを作り直す。
「ヘンなとこだけ察しがいいの、止めてもらえます?」
「君が可愛い顔をするからだ」
「その上から目線が気に喰わないんですよ。恋愛にまで肩書持ち込まないでください」
「被害妄想だ」
「恋愛偏差値、期待してます」
室井がキラリと眼光を強め、会議室で見せるように、顎の下に両手を置き、青島を見据えてくる。
「ならばどっちが達人か、勝負だ」
「勝負好きですね」
「そうでなきゃ官僚なんて面倒な職は選ばない」
「ごもっとも」
キランと目を光らせた青島の顔がようやく室井を向く。
「いいぜ?恋の達人。何人の女と寝た?」
「何人の女を達かせたか?の間違いじゃないのか」
「遅漏じゃねぇの」
「君は早漏なのか」
最早なんの勝負をしているのか判然としないまま、二人は顔を突き合わせた。
「付き合った数だろ」
「相手の質で決まる」
「キャリアなんてお忙しそうなご身分ですけど」
「冴えない中年には群がらないと言っているのか」
「自分で言っちゃったよ」
「君こそ。現場に飛び出た君に付き合える女がいるとは思えない」
「事件が俺を離してくれなくて」
「要はフラれたんだろ」
くだらない会話は額が付くほど寄せられ、ヒートアップしていた。
挑むように交わす視線を意地でも外さないのはどちらもだ。
「だからっ、あんたはこないだから俺に喧嘩売ってんですかっ」
「だから、君に付き合えるのは俺くらいだと言っているッ」
直向きで無垢な想いが、愛しくて、同じくらい、哀しい。
こうして交わることがなかったら、心が抉られるような痛みも、知らずに済んだ。
変わらないから欲するのに。
変わらないまま護りたかったのに。
そう思うこと自体がもう、子供なんだって言われてしまうんだろう。
べぇっと青島が赤い舌を出す。
「死んでもいいくらいあんたに惚れさせて、跪かせてみせろよ」
「ホンッと口の減らない」
「思い通りにならない相棒でごめんねー?」
蕎麦湯の入った茶碗を持ち上げ、青島がにっこりと微笑んだ。
to be continued…

男同士だと私服かぶるってあり得ると思うんですよね。
カレーネタはドラマ「エルピス」から。眞栄田郷敦演じる岸本くんが青島くんに見えて仕方なかった。あんな風に室井さんと現場検証してほしいって思った妄想から真似たシーン
です。