公文書Code3-2-8 7










21.
海岸線の端に、一倉は未だそこにいた。
仕方ないというようなホッとしたような、何とも言えない顔に、仲間の顔を見た。
一倉は青島を抱き締め、バカヤロウと聞き取れない声で呟き、最後に室井を見て、二度、肩を叩いた。
それ以上は、何も言わなかった。

連れ立ち、新城の部屋に置き忘れた鞄を取りに戻る頃には、日付が変わっていた。
そこでも神妙な顔をした男が待っていた。
バン、バンと手帳で頭部を叩き、口唇を尖らせる顔に、やはり去来したのは妙に近い親近感だった。
きっと、抜け落ちているだけで、この10年の記憶が持つ室井が、今の室井に見せつけた足跡なのだ。

「今後はどうしますか」

新城の言葉を、室井は彼らこそが戦いの場における同腹と受け止め、柳眉を逆立てた。
ほんの少しの着眼点の推移で、相関図が失墜することは、在る意味、空恐ろしいと思えた。
室井は背後の青島を見た。
不完全な立ち位置でも、青島を手放す決断を審判するのは、今の室井の役目ではない。
視線を交わす室井と青島に、一倉が横柄に腕を組んで、促した。

「ケジメ付けろ、室井」

一度視線を一倉に向け、もう一度室井は青島を見る。
少し考え、室井は青島を手を取り、そのまま跪いた。

「ななななにしようと・・っ」
「君が嫌でなければ、私の傍で暮らして欲しい」

衆人環視の中、室井の突然の行動に誰もが目を丸くしていた。
片膝を付き、室井は掴んだ青島の手を目の高さにまで掲げる。
シャツは破れ、血が滲み、ブランドスーツは泥が染み付き、ボタンがない。
崩れた頭髪は海風に当てられ、そんな貧相な形にも関わらず
気概に満ちた気障な姿勢は、騎士が示す忠誠心を高潔に仕立て上げていた。

室井は顔色一つ変えずに、胸ポケットを探り、自分のリングを取り出した。
もちろん、サイズは合っていない。だがそれさえ厭わずに、室井は青島の薬指に宛がい、その手を握り締めた。

「帰ってきてくれ」

跪き、真摯な顔で告げる室井に、青島はみるみる朱くなった。
迷惑だっただろうか、図々しかっただろうか。
やはり青島の心はまだ室井のものではない。

「こっ、こっ、こんなとこでそんなことすんな・・ってッ、た、立って・・っ!」
「今の俺がこれを捧げるのは、ルール違反だろう。だが、過去の俺にだけ格好つけさせるわけにはいかない」
「張り合わなくていいですから・・っ」

困ったような顔をして、青島がおたおたと一倉を見て、新城を見た。
そんな室井と青島のぎこちなさを見て、一倉が横やりを入れてくる。

「ほう、武士は恥をかくくらいなら死ぬと骨の髄まで染み込んでる男がねぇ」
「馬鹿野郎。恥をかくくらいで取り戻せるなら、安いものだ。土下座もする」
「だとよ。青島、どうする?」

この指輪に誓う、その覚悟が、青島に伝わるだろうか。

「まいったな・・」

真っ赤になって、視線を彷徨わせる彼を、下から見上げる室井の目は、逃げることを許さない。
執念と傲慢さが混じるその瞳は、かつての室井を彷彿とさせた。

「じゃあ・・・もうちょっと、よろしく、お願いします・・」

室井を見て、青島が行儀よく頭を下げた。
新城の溜息が大袈裟に届く。

「元サヤですか」
「隠れ家を探す手間が省けたろう?」
「どの口が言うんでしょうかねぇ。今に始まったことではないとはいえ」

だがその声は、幾分と柔らかさを含んでいた。

「支えるものがなくなって、めちゃくちゃにしようと我武者羅に掴んだものが、皮肉にもかけがえのないものだったなんて、どんな惚気よりも性質が悪い」
「そもそも一緒に暮らして室井が一カ月も禁欲できたことに尊敬すべきだったな」

腹立たしい悪友共の洗礼に、室井は無言を貫いた。
そうして、室井の最悪な一日は終わりを告げた。












22.
「先、お風呂入っちゃってください。身体冷えてるでしょ・・・あんた、泥だらけ」

青島がぷにっと室井の頬を人差し指で押す。
こそばゆい室井の半身が青島を過剰に意識している。
二人きり。俺のもの。俄かには信じがたい。
そんな室井の動揺を他所に、軽やかに部屋に上がる彼のコートを目で追った。が、部屋の奥で立ち止まる。
どうした、と問おうとして、即座に青島が顔を作り直した。

「部屋、今あっためますね。お腹空いてたりします?冷蔵庫になにかあったかなぁ・・それと、」
「青島くん」

矢継ぎ早に言葉を止めない青島が、何を誤魔化そうとしているかは、部屋に入った室井にも察せられた。

「私が、片付けるから」

干乾びた皿、零れたグラスの横には精液の飛び散ったタオル、ゴミ箱には破かれたシャツ。
あの夜の残骸が至る所に残る部屋は、行為の名残を赤裸々に訴える。
残された物が目に映る度、あの夜の爛れた記憶が、青島を苛み、責め、突き刺すだろう。
そんなものを、一人で片付けさせやしない。

「反省している。君を疑って、後悔している。それと、手荒なことをした」

やっと、言えた。
ちゃんと、言えた。
それと。

「中野にも、きちんと伝えられた。君のおかげだ」

青島の目尻が細まり、照れ臭そうに俯いた。

「中野さん、驚いていたんじゃない?」
「ああ」

見交わす視線には、記憶がないのに特別な感覚があった。
青島が顎を軽く持ち上げ、揶揄うような弄ぶような目をする。

「コワイ?」
記憶がなくて。

「ワクワクしている」
君がいるから。

「上等!」

持ち出してきた東京都指定の45ℓの袋を、青島がびろーんと広げた。

「じゃあ、二人で片付けちゃいましょっか」

こうやって、かつての自分は青島と歩調を合わせて共に生きてきたんだろうか。
それとも、男らしさを見せ、亭主関白で主導権を握っていた?逆に尻に敷かれていた?
一倉や新城に揶揄されても、室井には自分がどういう風に青島を愛してきたのかを、感じ取ることはなかった。

戸惑う思考に耽ってしまった室井を、青島が目敏く気付き、不安そうに覗き込んでくる。
何でもない、と言おうとして、でもそれだと多分、青島を拒絶したことになりまた不安にさせるだろう。
正解が分からず、室井は髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
潮でべた付いた髪の毛はゴワゴワだった。
その時、指先にハッとする。

室井は引き出しを勝手に開ける。
リングがひっそりと光っていた。こうして並べてみると、やはり同じものだった。

「これを贈ったサイテー野郎は、私だったんだな」
「・・はい」
「通常、マリッジリングには送り主のイニシャルを刻印したりしないか?」
「それやっちゃうとバレバレだから止めましょうって、あんたが」

なんてことをしてくれたんだ過去の自分!それがあればもう少しヒントがあったものを。
室井が苦虫を嚙み潰したような顔になる。

「だからせめてプロミスダイヤ入れましょうって・・・この、内側に」

青島がふわりと近づいて、リングの裏を見せてくれた。
内側に刻印はなく、シークレットストーンが埋め込まれているのは気付いていた。
銀白色の美しいプラチナの裏でひっそりと輝く濁りのないダイアモンドは、まるで知らない二人の愛を象徴しているかのようだった。

「意味は」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・“あなたとの運命を大切にしたい”」

室井は黙って青島の左手を取り上げた。
青島の手に嵌ったままの自分のリングを抜き、改めて持っている方を薬指に挿し込めば、それは青島の手できらりと光った。

「貸して」

青島も室井の手の平のリングを取り上げると、室井の薬指に挿し込んだ。
手を触れられただけでドキリとする。
信じられない。この甘い体温も、甘い躰も、全部室井のものなのだ。(かつての)

「大事にする」
「今度は」
「今度は大事にする」

訂正させられた自分の罪に、室井の眉間に皺が深く寄った。
勝ち気に挑発的な目を向けてくるから、つい室井もムキになる。

「君からもらったものは、全部大切にする・・!」

そうだ、と思い出し、室井はスラックスのポケットを探った。
チャリン。

「この鍵も、大切にする」
「その鍵ね、本当に室井さんのなんですよ」
「え?」
「ここに来た最初の日。俺が官舎まで行って、室井さんちから取ってきたの」
「そうだったのか」

確かにあの日、出掛けて行った青島が帰ってきたのは深夜遅くだった。
共同生活のための食料や日用品の買い出しと言っていた。

「そんな都合よくスペア作れるわけないっしょ」
「というか、私の家に入れたのか?」
「片方だけ合鍵持たせる仲にしたい?」
「・・・なるほど」

青島の口から語られる新しい情報に、室井は興味津々な顔をする。
褪せた銀の鍵だと、初めに思ったそれは、自分のものだった。

「もしかして、エンゲージリングも持っていたりするか?」

少し意外だったようで、間を持たせた後、青島は素直に頷いた。
室井がのうのうと東京暮らしをしていた間、青島は何を思い、何を諦め、何を仕舞ったのだろう。
鍵を外し、指輪を隠し、恐らく他にも二人の繋がりを関連付けるようなことは全て捨て去り
青島は一人、この戦いに賭ける準備をした。

「室井さんちの、どこかに隠しておいたから、今度帰ったら探してみて・・」
「それは、記憶がある私なら分かることなのか」
「どうでしょ?」

くるんを青島が背を向ける。コートが波のように円を描く。肩越しに、鮮麗な瞳で愛嬌のある顔を傾けた。

「好きでしょ?家宅捜索」

存外な言い分に入り混じる寂寥感は、きっと、今の室井のものじゃない。
続きを待つ室井に、青島ははにかむように笑って首を振った。


交代で風呂に入り、摂り損ねた夕食替わりに軽いものを食べ、シーツも新しいものに交換した頃には深夜3時を回る。

「じゃあ・・・おやすみなさい」
「・・おやすみ」

夜はどうするのだろうと思っていたら、あっさりと青島は室井から背中を向けてしまった。
襖がスッと閉ざされる。
だけど向こうに彼の気配がある。
室井は小さくガッツポーズをした。










23.
ちゃぶ台が明るく見える。

「ああ、東向きだからこの季節どうしても太陽が反射しちゃうんですよねぇ。こっち座ります?」
「・・・」

ロマンの欠片もない台詞に室井は眉間を深く寄せるが、それすらも無視されて、青島は手際良く朝食を食卓に並べていった。
今朝は多少手伝った。あとは座ってて良いと言われ、甲斐甲斐しく世話をしてくれる青島のブルーのエプロンを追う。

スタイルが良く、服のセンスは悪く、小顔で大人しめ。
栗色の淡い髪はいつもぼさぼさで、煙草はアメスピ。素行が悪く室井の知り合いにはいないタイプだ。
信じられん。これが俺の恋人か。
この部屋はこんなに明るかっただろうか。
なんということだ、天気まで快晴に見える。

「青島くん」
「室井さんの味噌汁の味、好きだったんですよね俺」
「そうだったのか」
「また飲めて、嬉しいや」

目の前に正座し、味噌汁を啜る彼に、室井は新城が最後に言った言葉を思い出す。
―多分、彼は食欲もなくて、夜も眠れていない―
確かにうなじから鎖骨にかけての首周りは細く、骨が美麗に浮き、開いたシャツから覗いている。
まだ残る情痕に、室井は目を伏せた。

「君の作った土佐煮も、旨かった」
「ん、あ、それ、記憶失くす前も言ってた・・」

なんたることだ。味覚は同じらしい。(当たり前だ)
以前の自分はなんて浮ついた文句を言ってんだ。

「サラダの盛り付け方も独特だ」
「ああ、てんこもり。それ、いつも笑ってました」

ナニ余裕ぶってんだろう、以前の自分。
亭主気取りか。馬鹿野郎。

次々と聞かされる自分の仕業は、何とも耳障りが悪かった。
だが、姿勢も良く、行儀も良い室井の食事作法は、そんな心の動揺を目の前の相手に悟らせるようなミスはしない。

「この部屋に私は泊まりには来ないのか?」
「なんで?」
「寝床がなかった」
「ああ・・・、買いましょうかって言ったんですけど・・・、どうせベッドは一つしか使わないんだからって。・・あんたが」

なんと贅沢なことを・・!
ベッドを使わないって、つまり、そういう意味か!
なにをしているんだ俺は!

「室井さん、今日は本店?」
「どのデパートの?」

ぷはっと笑ったその顔が、朝陽の影となる。
こうして向かい合って食事をするだけで、なんでこんなに照れ臭いのだろう。
信じられん。この薄汚れた襖までもが美しく見える。
その時、青島の左薬指にリングが反射する。
何故かカッと頬が火照った。
そんなことに気を取られている間に、青島はごちそうさまでしたと手を合わせ、腰を上げてしまった。

もう食べたのか。

「・・・」

違う、やはり、成人男性にしては、量が少ないのだ。
その原因が、自分にあることの明白さに、室井はくすんだ気分になった。
もっと早く気付いてやれることだった。

さっさと身支度を整えた青島が、先に出る準備をする。

「青島くん」
「あ、今日俺たぶん、帰り早いです。買い出ししてから帰ってきますね」

少し、余所余所しいのはやはり気のせいではない。
先程から何度か遮られた。
でもそれは、青島の顔を見れば、甘い後味を室井の胸に残してくる。

「君の手料理が食べたい。一緒に食べたい」
「なんか・・・すごい、台詞言われている気が・・・」

室井は一歩近づき、幾分か躊躇った後、その髪に触れた。

「だから、ちゃんと帰って来い」

触れた指先が歓喜に震える過敏さを、自分が持て余す。
更なる欲が溢れる手を留め、室井は視線で縫い付けた。

「胃袋掴まれました?」
「ああ」
「なのに、毒盛ったとか、ひどいですよ」

仕方ないだろう。こっちは内通者を疑っているんだ。
とは思いつつ、口には出さず、室井は漆黒の眼をキランと灯らせた。

「いや。毒は盛られていた」
「ん?」
「こんな、たった一カ月で骨抜きにされるほど惚れ込まされたんだからな」
「!!」











24.
パタンと扉が閉ざされた。
スッと室井の顔から表情が消える。
スマホを取り出すとタップした。

迎えに来た中野は、少しホッとしたような顔をしていた。

「青島さんを取り戻せたのですね」
「騒がせた」
「いえ、お二人が一緒であるということが、意味があるので」

その顔に、室井は一度だけ視線を走らせる。
含みある口ぶりに、中野もまた、以前の室井と青島の独特な関係を傍で見ていた人間なのだと知る。

「本日の診療ではこのことを?」
「今後のためだ」

中野は室井の覚悟に比例し、異存のない目を向けてくる。
記憶がないなんて、劇画調の絵空事、室井にしてみれば未だ釈然としていない。
だが確かに疼く胸の熱が、有りもしない恋を疼かせている。
見覚えのない罪を苛んでくる。

「室井さんの記憶のこと、他の誰かに話しましたか?」
「未だだ。だが隠すつもりはない。私が記憶を失ったと、知った人間が動き出す」
「青島さんから目を反らさせるためですか?」

室井は目を伏せ、そこには言及しなかった。

「少なくともここまで動きがない。このまま後手になるよりはいいだろう」
「そもそも青島さんを逆恨みした人間の犯行の可能性ってないんですかね?」
「キャリアを狙うにはリスクが高いな・・」

中野もそれ以上口を挟まず、運転席に回る。

「青島さんのこと、今後どうするおつもりです?」
「知ってしまったからには、放ってはおけないだろう」
「そのお言葉、少し、以前の室井さんのようです」

苦みを乗せた中野の表情は、そのまま室井の口の中も苦くした。
この胸を熱く焦がす痛みは、何なのだろう?
脳裏に浮かばせるだけで締め付ける痛みは、誰のものなのだろう?

室井はバックシートにずしりと背を持たせ、顎を上げた。
目を閉じた。

「君は、こんなこと起こり得ると本気で思うか?」
「思い出せなかったら――」

中野は言いかけ、口を紡ぎ、そして軽く頭を下げることで詫びた。
それを室井は気配だけで辿る。

この俺の恋はどこから来た?
青島は見た目は良いし、顔も愛らしい。スタイルも良く、色気もある。性対象として見る男も少なからずいるだろう。
捌け口としての相手を囲っているキャリアも多く見てきた。
だが、自分は性に対し淡泊な方だった筈だ。
何故、踏み出した?
いや、何故踏み出せた?

「あるかないか分からない不確実なものに気を取られるよりも、現実を見ろ」

ピラッと一枚の写真を中野の前に室井は翳した。
中野がそれを神妙な顔で摘まむ。

「我々は組織の体面を守らなければならない。不手際がないよう気を張れ」
「これは」

本当に奪われたどうかも分からない記憶など、縋っていたところで無意味だ。
時の針は戻らない。早く自分の人生を進めた方が、堅実である。

「その男の身辺を洗え。早急にだ」
「確か刑事部の」
「少し視点を変えてみた。何も出なければそれでいい」
「三日、お待ちを」













back     next        index

室井さんが跪くシーンは、ひなたさまの青すみ小説「代償の大きさに腹を括れたなら」 (pixiv)からアイディアを拝借させて頂きました。
なにこの可愛さ!

青島くんがこれやったら絶対かっこいい!!
何よりもその直前の、言わせるまでのやりとりが最高!悶絶!「言わせろよ!」に卒倒しました。「あたしが見たいのは真っ赤な顔をした青島くんだもん!」////
会話の巧みさ、品の良さ、流れ、どれをとってもこっちが嫉妬してしまいます。あの可愛さの半分でも表現したいです。