公文書Code3-2-8 011
22.
益本が一課の外回りから戻り、途中スタバに寄って買った二つの珈琲を持って、鼻歌交じりに第二会議室に入っていく。
一課との掛け持ちを担当している益本にとっては、この極秘捜査はどちらかというとご褒美案件だ。
公にはされていないとはいえ、池神直下の組織。選抜メンバーはごく少数の精鋭。ここで成果を見せれば上の耳に入る可能性はかなり高い。
ましてやそれが、愛惜する相手の王子様ともなれば、やる気も出るというものである。
いっそ浮足立って駆け足になりそうな益本にとって、残る問題はただ一つだった。
目に飛び込んできたのは、部屋の片隅で睦まじく勤労に励む室井と青島の姿で、ちょっと意外な光景だ。
「これは?」
「それは三番ファイルで見た」
「んー。そっち、確認に回しちゃっていいですよ」
「分かった」
「シゴト遅いんじゃないの」
「やることが詰まっているんだ。それと青島、職員の顔写真リスト、見てみるか?もしかしたら君を追っていた人物が該当するかもしれない」
「ああ・・・そっか」
「今の君には分からないだけで、我々は知っている可能性だってあるだろう?」
「でも、あんま、顔見てないんだよな・・」
「思い出すことが辛いか?」
「すごくたくさんいるんでしょ?」
「警視庁のデータは古くてな、上層部を除く主要キャリアの履歴書がデータベースに千人入力してある」
「千人も見るの!?」
「8セットだ」
「キャリアって何人いるんだよ・・」
先週までとは打って変わった二人の雰囲気に、益本は入り口で立ち尽くした。
周囲の二の手を踏ませる光景だ。
迂闊に近づくこちらが赤面してしまいそうな二人きりの世界が、そこだけ浮いていた。
室井の凛々とした顔が幾分柔らかい。昔みたいに呼び捨てにし、顔を寄せ合うほど距離を詰めている。
何よりも、青島の座る横に室井が椅子に手をかけ、寄り添うように立ち、パソコンを一緒に覗き込んでおり、青島は時折はにかみながら室井を見上げた。
視線が合う、途端二人同時に顔を反らしてしまう。
おいおいおい~、何があったんだよ~。
青島の眼差しには警戒や不審な色は失せていて、単に指揮官としての室井を頼っていた。
応える室井の漆黒は最早青島しか映し出していない。
ハッと益本が気配を感じる右横を見た。隣に新城が似たような顔をして立つ。
「・・・」
「・・・」
暫し無言の視線を交わすと、新城と益本はまた視線を会議室の怪奇現象に戻す。
「記憶戻らなくて――アレ?」
益本が親指をさすと、何を今更といった顔で新城が鼻でせせら笑った。
新城にしてみれば、室井と青島をセットで置いておけば始まる化学反応は長年見続けてきた警視庁の七不思議である。
この程度で騒ぐほど既に蒼くもなかった。
「あの二人に関わるとろくなことにならないと忠告したはずだぞ」
「!」
衝撃を目の当たりにした益本を置き去りにし、新城はあっさりと室井に近づき、資料を手渡した。
室井と新城が話す横で、青島が益本に気付き、一瞬表情を変える。
少し照れを含む崩れた顔だ。
恋とは、その微妙な表情の変化に益本への無意識を確認させる。
そうだ。青島にとっては、室井と少し打ち解けたからといって、この捜査自体が異世界へ放り込まれた部外者なのだ。
心細いのは変わらない。
かといって、今日も室井に仕込まれたのであろう、エメラルドのタイに黒地の細いストライプ柄はエレガントで
ブラックのシンプルな装いにレジメンタルのタイを付ける室井と対になると、その圧倒的な華が倍増する。
公務員がそんな色気振りまいていいんかよ。
何が何だかキツネにつままれたのはこっちだわと悪態を飲み干し、複雑な気分を隠した顔で益本は買ってきた珈琲を掲げて見せた。
***
「誕生日に掻っ攫うなんてやってくれちゃいましたね、室井さん」
「君だって昼食をいつも二人で食べているだろう」
「昼めしなんか比較になりませんよ!まさか次はクリスマスですか」
「売約済みだ」
マジかと思いつつ、遅れを取った益本は天を仰ぐ。
しょっちゅう顔を合わせる機会があった分、サプライズで驚かそうと練っていた計画が仇となった。
エレベーターには二人しかいない。
ここには盗聴器もないだろう。監視カメラには背を向ける。
「誕生日譲ったんだから、イブはフェアに行かせてくださいよ。それとも自信ないんですか?」
「フェアというには少し、調子に乗り過ぎたな。手を出したことを私が許すと思うのか」
「げ」
バレてンのかよと益本は思わず片手で口元を覆った。
青島が話すとも思えないのだが、一体どこから漏れたのか。流石上級キャリア、情報網は侮れない。
交錯する思惑はエレベーター内という小さな閉鎖空間を忘れさせた。
こっちだって引き返せないところまで来ている。
「今んところ、勝負は五分五分ですよね」
「・・だろうな」
特に動揺するわけでもなく、室井は静かに俯いた。
エレベーターの操作盤の前に立ち、ボタンだけ必死に凝視する益本の、対角線上の角に立つ男は影のように気配を殺し、その表情から読み取らせる感情は何もない。
こんな時、益本は室井の隠された資質に気付かされる。
それでも、青島の様子が変わったことを思えば、室井だって何か手を出したのは確実だった。
その上で堂々とそう言い切れる懐が、益本には憎たらしい。
「・・泣かせたくせに」
ピキッと亀裂が入るくらい、空気が詰まった。
耳鳴りが走る。
「逃げた男の割には、図々しいんですね」
「・・・」
「まだ、貴方のモンでもないのに」
「!」
「もう一度選んでもらえると思ってんですか」
「!!」
段階的に空気に圧が掛かっていく。酸素も薄くなっている。絶対。
でもそんくらいの反撃、ダチとして許されるはずだ。
益本の背中に、つつと冷たい汗が流れる。
「もういい加減、目を覚ましたらどうですか。後は引き受けますんで」
「!!!」
立て続けに非難して、目は合わせない。合わせるだけの勇気はない。
それでも青島が託した未来を受け取らないなら、誰かが言ってやらなきゃ駄目なことだと鼻息を荒くした。
益本の口調は必然と不遜になる。
「益本くん」
ははいいいッッ」!!
心の中で返事して、しかし男のプライドとして負けられない恋のバトルに、益本は竦み上がりつつ下腹に力を込めた。
覚悟は出来てるけど、怖いもんはコワイ。
ゆるりと睨みつけるように振り返った。
が、直ぐに縮み上がる。
そこには益本以上に般若のような顔をした室井が、眉間を数倍深く寄せ、こめかみには血管を浮き立たせていた。
ごめんなさいぃぃッ、俺なんも悪くないけどーッ!
「君は、飼い慣らし損ねた虎が牙をむく瞬間を見たことがあるか?」
「?」
室井の厳格な表情とは裏腹に、取り巻く空気がじっとりと澱む。
「以前君に問い詰められた時、私たちはルールで動いていると答えたのを覚えているか」
「はい」
「前言を撤回する」
「!」
へえ、本気になったってことかよ。
インジケーターが静かに点灯を繰り返す。乾いた電子音がして、エレベーターが目的階に到着した。
滑るように扉が開かれるが、どちらも動かなかった。
「俺の気持ちは変わりませんよ」
「・・だろうな」
そんなのは、お互い百も承知なことだった。
恋とは実に厄介な感情だ。一度落ちてしまったら、そう簡単に這い上がれない。
それは記憶がなくなったからと断ち切られた室井の恋情もまた同じであり、恐らく気持ちは誰よりも近いのだ。
室井の言う、飼い馴らし損ねた虎という例えの意味をここにきて悟り、この高貴な男が涼しい顔をして抱える焦爛の果てしなさに、益本は身震いする。
「記憶。無いままでいいんですか」
折角青島が護ったものを、台無しにするつもりか。否、引き換えにするつもりか。
ノンキャリを手に取ることの弊害は室井が一番理解しているだろう。だからこそ、ここまでどっちつかずの中途半端な関係をズルズルと続けてきた。
きっとそんな室井を傍で見ていた青島は、もどかしく、切なく、苦しかったに違いない。
その身を賭して与えた今の室井の自由は、その代償であり、その対価の筈だ。
だからこそ今度は過去を選んだ。それが室井の愛し方だと思っていた。
「関係ないな」
「約束も知らない相手なのに?」
「それを理由に欲したわけじゃない」
男として欲情したことを認める室井の言葉に、益本の身体も硬くなる。
青島を得た室井は手強いと、その昔誰かが言った。
「へえ、それはチョット意外でした。貴方でも溺れることはあるんだ」
だったら容赦はしない。ここからはシンプルな雄の戦いだ。
でも、室井はきっと“自分が恐い”と言って震えていた青島の本音を知らない。
「必死すぎ。なんかウケます」
ギロリと闇を取る漆黒が益本を捉えた。
「引き際って大事ですよ」
「誰が引くか」
「俺と勝負するってことですか」
「君こそ私に勝つ気でいるのか?」
「勝たせてもらいますよ。今の彼のこと、貴方は何も知らないんだ」
過去に陶酔して、余裕ぶちかましてる男になんか、譲れない。
約束を分かち合っていた頃のつもりでもう一度と思っている限り、青島は室井を選ばない。
「どういう意味だ?」
「貴方の知っている彼はもういません。貴方は絶対どこかで、こんなの違う、こんなのは彼じゃないって思う。その違いに、一番堪えるのは、貴方だ」
室井は益本の挑発には乗らず、ただ益本を睨み続けた。
やがて、そんなものはとうに180度考え抜いたといわんばかりに、フッと物静かな笑みを湛える。
「それに、アレは元々私のだ」
怒るでもなく、罵るでもなく、むしろ自分を責めるように益本には目もくれず、室井はエレベーターから降りて行った。
益本は詰めていた息を細く長く吐き出していく。
怖かったーッ。怖かったーッ。
あの男は冗談の通じない顔をしているから、敵に回すと恐ろしい。
引き下がらなかったということは、室井もまた青島を失ったことで他者では想像もできない苦しみを味わったのかもしれない。
酷く強欲で利己的で厚かましい。
あれが室井の素性か。
初めて目の当たりにした気がする。
朴訥としていて、無害で、淡泊な仮面を被っているから、誰もがその化身を目にしない。
むしろ、その田舎者の顔に上層部も騙されているんじゃないかという気さえした。
「誰が渡すかよ」
あの日と同じ言葉を口にして、益本は室井が見えなくなった廊下に目を向けた。
23.
この間から、なんか青島が変だ。
「動くな」
「もぉいいってぇ」
風呂上がりの濡れた青島の髪を室井が大きなバスタオルでわしわしと拭いていく。
されるままに、青島がタオルの中でふるふると首を振って嫌がった。
「今の時期、風邪を引いたらどうする」
「ひかない」
「ドライヤーもかける」
「・・もう好きにして」
ふうと押し負ける青島に向け、満足気な顔で室井が膝元のドライヤーを取り、スイッチを入れた。
薄手のシャツもほんのり濡れている。
静かな送風に任せて、青島の短い髪が濡れた艶を持ち亜麻色になっていく。
先に風呂を済ませた室井は既に身繕いを終えており、洗い晒しの黒髪にも丁寧に櫛が通されていた。
前髪は重力に負け、耳にも少しかかる剛毛には少し白髪が交じり始める。
退院して数か月。三センチくらい伸びた髪はそれでも室井より短く、室井に向けてシャープな肢体の輪郭を剥き出しにしてくる。
長いうなじを垂れて室井に委ねる様子は、同居を始めてからようやく見せてくれるようになった数少ない信頼だ。
「毎回あっという間に乾いてしまうな」
「何で残念そうなの」
ドライヤーを止め、青島の短く刈り込まれた髪を室井が手櫛をするように触って感触を楽しむ。
「もぉぉ、止めて下さいよ」
「チクチクして、今迄と違う感触が心地良い」
「・・、あとちょっとだけですよ」
「早く伸びると良いな」
「・・うん」
室井の隣で、自分も乾いた髪を掻き混ぜようとして伸ばしてきた青島の指先が、そのまま室井の指に重なった。
ハッとして見上げてくる青島の視線を覗けば、パッと逸らされてしまう。
「――・・」
まただ。何か嫌われる事はしたかなと考える。思い当たることは山ほど浮かぶ。
自分の行動にうんざりとしながら、室井は自分よりも短い後ろ髪を漫然と見る。
怪我はほぼ完治し、病院には今後月一通院で良いと言われたらしい。
額に微かに残る傷痕は、斜めに5センチほど、あの日の惨劇がリアルに刻印されている。
室井は徐にそっとその傷痕を触った。
途端、敏感になっている薄紅色の柔肌にぴくんと跳ねて、青島が手を伸ばし室井を避ける。
その拍子にまた指先が触れ、青島はその手を引っ込めた。目は反らされる。
ここまでされれば、流石に室井にももう一つの可能性が頭に浮かぶ。
「青島、」
「・・・・・・・なに」
「意識しているのか?」
「なわけ、ないだろ」
反らしたままの視線は戻らず、プイっと横を向いたままぶっきらぼうに応えてくる。
室井は憮然としながら青島に身を傾けた。
「さっさと落ちてくれ」
耳元でわざと低い声で囁けば、パッと青島が耳を押さえて離れた。
怒りながらも反論の言葉すら出せないその顔は真っ赤だ。
おもしろい・・。
ここまで初心な反応を見せられると思わない室井は、ニタリと笑った。
これは想像以上だ。
青島の中に室井の記憶がない分、余計な概念がなく、幼い青島は生身で向き合っている。
「おっ、おっ、おとこには落ちませんっっ」
ついキスをしてしまってから、ぎこちなかった関係は、室井にとって擽ったいだけの甘さに変わった。
一つ屋根の下にこうして居てくれるだけでいい。
なによりこの青島は、室井の愛した青島が遺してくれた宝物である。
あの時、青島があまりに儚く、心細そうで、消えてしまいそうだったから、衝動的に繋ぎ止めてしまった。
どこへも行くなと伝えたかった。
ここに居てくれと示したかった。
久しぶりに重ねた熱は、想像以上に室井を虜にした。
次の朝から何となく目が合わなくなり、話しかけても顔を向けてくれなくなった。
酷く残念に思っていた矢先の話。それはつまり。
「こっち向け」
「やだ」
「そんなに照れられると、我慢できなくなる」
「ざけんな、こっちはノーマルなんだよ、自重してくれ!」
好きだった相手の面影が目の前で無防備な姿を晒しているのに、中々に難しい注文を出される。
「君が俺に男を感じてくれるとは思わなかった。申し分ない」
「AV観賞で抜けば?」
「ここにアダルトなんかあるか」
「え?室井さんってそーゆーの観ねぇの?」
「観ない」
今度は青島の琴線に引っかかったらしい。
爛々とした目が室井に向き、下から室井を覗き込んでくる。
「へえ、じゃ、雑誌?オトコ同士ので勃つの?」
「今その話か?」
「だって気になるじゃん」
ヘンなスイッチが入ってしまったらしい。
室井は青島の頭を掻き混ぜて、腰を上げた。
「ビールにするか?」
「呑むー」
室井がビール片手に戻る頃、そこで足を止めた。
青島が自分の前髪を気怠く引っ張り、上目遣いで何やら考え込んでいた。
リラックスしたように長い足を投げ出してはいるが、さっきまでの陽気な色は失せ、表情のない横顔は大人びて、別人のように影に潜み
悄然とした眼差しがしょぼんとする。
その横顔が不意に泣き出しそうに見えて、室井は訝しんだ。
光を取る横顔が彫の深さを濃くし、悚然の気配を持たせる。
ふと、目を離した隙にまた消えてしまった錯覚を室井に残した。
益本は、いつか過去と現在の違いに室井が苦しむことになると言った。
室井にしてみればそこはどうでもいい。室井が一番恐ろしいのは、もう一度彼を失うことだ。
そんな日が本当に来たら、あの恐怖に自分は再び堪えれるのだろうか。
そして熱を帯びるこの気持ちを、今度はどうするのだろう。
恋も愛も、目の前の現実すら、幻のように思えて、身震いする。
青島にはいつも敗北感しかない。決断の時はいつも脳裏で叱られた。立ち向かう時はいつも、次こそはと考えた。
でも、きっと、次、なんてない。
立ち竦み、つい、声をかけるのを躊躇っていると、青島が先に室井に気付き、手が伸びてくる。
「ん」
パッと変わる見知った愛嬌。表情が和らぎ、室井を求めるかのように手招きされた。
やっぱり記憶よりもどこか幼い。
すっかり懐かれているようだ。なんなんだこの可愛い生き物は。
室井が無言でビールを渡せば、もうそっちのけで舌なめずりをし、室井を差し置きプルトップを引いている。
投げ出され、片方を高く折り曲げた無防備な脚。
ざっくりとしたシャツから覗く鎖骨と胸元のきめ細かな肌質。
室井より短くなってしまった髪は、少年のようであり中性的でもあり、輪郭を見せ付ける婀娜でもある。
無防備すぎだろう。
記憶がない分、室井に尊敬やら敬意を持たず、口調もタメ口と敬語が混ざり、態度も大胆なのが、室井には逆に新鮮だった。
正直、かなりキた。
「好きだなビール」
「キライなの?」
「俺はどちらかというと――」
聞いておきながら、室井の答えには興味ないらしい。青島がこっくんこっくんと煽っていく。
首元のくぼみが骨を見せ付け、汗が流れる小麦色の肌が健康的に映えた。
ああもう、これが友人なんかでなかったら。
キスしたら友人じゃなくなったのか?でも恋人でもない。
触れ合ってしまったことに罵倒されるどころか、意識される始末だ。
俺が愛したのは過去の青島だ。その青島が遺した今の彼。俺はどっちに惚れているんだ?それは選ばなきゃだめなのか?
中途半端に浮く距離感は、まるで定まらない室井の気持ちそのものだった。
半身だけ緊張させながら室井も隣に座る。
「・・・」
ごっくん、ごっくん、ごっくん。
会話が続かない。青島がビールを飲み干していく音に急かされているように、室井の心臓は早鐘を打っていた。
こんな時、自分の口下手を心底呪う。
「相手を退屈させるなんて、男としてサイテーなんじゃない?」
「・・・、誰もが君みたいに気の利いた会話を持ち得ているわけじゃない」
「努力不足ってだけでしょ」
記憶の青島とは、無言も心地良かった。控えめで人懐こい瞳を輝かせて、室井の話を聞いていた。
意外にも口数は少なくて、たまに聞くウェットに富んだ青島の世界の物語は、室井を酷く和ませた。
それらすべては、青島が、きっと、今室井が感じているような後ろめたさと申し訳なさを抱えて、気遣っていてくれたのだ。
俺はそれに甘えてばかりだった。
「おまえは優しいんだな・・」
「?」
独り言のように自己完結してしまった室井に興味を失い、期待を失い、青島がビールの残りを煽っていく。
先程垣間見えた暗い表情は気のせいだったか。
「ぷはーっ、風呂上がりにサイッコーだね、このために仕事してる気がするね」
「おまえは・・、人の話を聞く気がないな」
「室井さんは一人酒?」
「そうだな」
「秋田の人って、酒強い?」
「そうだな」
「キャリアってさぁ、忙しすぎるし、立場的にもまずいし、気付いたらみんな枯れてそう」
「そんなわけあるか」
「現役?んじゃ溜まってんだ?室井さんのキャラからして風俗なんか行くタイプでもなさそうだね」
「忙しくなくてもセフレなんか作るか」
「だったら普通にお世話になるっしょ?」
まだAVの話を引き摺ってたのか・・。
「聖人君子?淡泊?うっわ、そんな感じ。あれ、でもじゃあなんで俺にコクハクすんの?」
「・・・」
「カラダの関係ナシってこと?それ純愛?中年の純愛。キモくない?・・って、ねぇ、聞いてる?」
「おまえな。このシチュエーションで何故よりによってその話題を掘り下げるんだ?」
室井が顔を向ければ、青島も隣でこちらを向く。
先程から二人が寛ぐここは、寝室だった。
お互い風呂上がり、布一枚を纏う身体でダブルベッドに並んで座り、片方はそういう獣欲を抱いていることを既に白状している。
慌てたように、青島が触れそうに近い肩を少し避けた。
が、既に時遅い。
室井が逃げようとした青島の手首を空かさず掴んだ。
「俺の理性を試しているのなら、その身体に直接教えてやってもいいが」
「ちょ、待っ」
ギロリと室井の真黒い瞳が青島を鋭利に捕らえる。
その獣染みた眼差しに青島が動揺を見せた。
「たっ、たんま、」
「君の返答次第だ」
「ど、ど、どうやって」
いつもは室井に先手を取る青島がたじろぎ、後退る。
室井は視線を捉えたまま抗うことを縫い留め、フッと空気を軽く緩めた。
青島が訝しむ一瞬の隙に室井がくるりと体勢を変え、青島に乗り上げると同時に体重をかける。
あっさりと重なって倒れ込み、二人分の重みでベッドが豊かにバウンドした。
突然のことに思わず目をぎゅっと閉じた青島が室井の肩口で瞼を持ち上げる頃には、ベッドに組み敷かれ
その両手も体良く頭上に纏められる。
室井がスッと顔を近づける。
うひゃっと身体を強張らせた青島の、吐息が感じられる距離で室井は止まった。
「・・?」
「だから君はもう」
「だ、だってっ、き、きす、されると思って」
「されると思って目を瞑ったのか」
「う、うん・・」
いつかの夜と同じようなやり取りに、室井は眩暈がする。
お互いいい大人なのだ。我慢にだって限界はある。
驚く丸い瞳も、その無防備な肢体も、どれもが室井を煽ることに青島は気付いてもいないのだろう。
元恋人であり、その躰をこよなく愛した記憶も味も室井にはまだ生々しい。
キスをしていいのかという問いよりも、してほしいのかと問い質したい。
この昂った身体をどうしてくれる。それよりもこの無防備さが問題だ。男同士だから警戒されないのだろうか。
ハァと室井は大きな溜息を吐いた。
「あ、あれ?呆れちゃってる?だって――んッ」
ああ、ものすごく。
その先の言葉は口にせず、室井は青島の顎を捉えると、上から口唇を重ねた。
目を丸く見開く瞳が焦点がぼやける程の距離で、同じ匂いのシャンプーは室井を淫らにする。
「・・ぅ、んっ・・」
小さく息を呑む青島の仕草に、室井は角度を変えてゆっくりと口唇を擦り合わせていく。
腕の中で青島が火照った目尻を隠すようにぎゅっと目を閉じ、身体を硬直させた。
男に触れられることに萎縮する姿が室井の雄を煽る。
長い睫毛が濡れたように影を作る色香は耽美で、密着させる度に伝わる熱に狂わせ室井を耽溺させた。
くっそ、なんだってこんな。
惑わせるつもりが惑わされて、こっちがその熱に囚われる。
昼間、散々益本に煽られた嫉妬がぶり返す。
恐らくどちらも白状はしないだろうが、益本はこの甘い躰に、多分、触れた。
脚を絡ませ、体重を乗せ、全身で青島を感じながら室井は口唇の甘さと弾力を堪能する。
震えるように海辺で一度重ねたキスより濃度を持った男の口付けは、酷く、明け透けだ。
知っている筈の体温も匂いも、初めて味わう感覚に、倒錯的な快楽が交じった。
遠くでベルが鳴っていた。
離れがたい口接が止められず、室井は口唇を離さない。
夢中になって重ねたまま、青島の吐息ごと奪い、耳を指で掠めて、顎を固定する。
答えることも忘れた青島の手が室井の腕に縋り、酸素不足に青島の力が抜けていく。
「・・ッ、・・んぅ・・」
息が続かないのだろう、いつもなら巧みなキスを仕掛けてくる青島が、今は成すがままとなり、室井に翻弄される。
物足りなさと、征服欲が交じって、室井は舌を挿し込み掻き回したい衝動を辛うじて堪えた。
歪めた顔が赤らみ、重なり合う肌が熱く、その顔にも欲情する。
「ンッ、は・・っ、なが、すぎ・・ッ」
「ああ」
「じょーねつ的なの、・・するひとなんだ・・」
荒い息遣いも室井を扇情する。
もっと欲しい。もっと触れたい。扇情させられるのは、身体が今の彼と昔の彼を混同しているからなのだろうか。
妖艶にエロスを操る記憶の青島も、室井には最高のベッドパートナーであったが
こうして幼く純潔を思わせる今の彼も、中々に室井の雄を刺激する。
見つめ合い、潤んだ瞳と熱を孕む吐息にくらりとさせられ、青島の両脇に手を付いたまま、室井はもう一度攫うようなキスを仕掛けた。
青島のぷっくりとした口唇がうっすらと染まる。
「・・鳴ってた・・」
よりによって今か。
しかしそれは、警告の合図かもしれなかった。
このまま口付けていれば本当に理性が飛んだだろう。
室井は大人しく身を起こす。
やや遅れ、青島も息を荒げた朱い顔をしたまま、濡れた口唇を袖口で乱暴に拭った。
ゆっくりと起き上がれば、シャツが捲れ、節張る肩が半分覗いている。
少し髪が乱れた、その横顔すら、室井をドキリとさせた。
「あ、益本からだ」
「彼とはどんな付き合いを?」
「どんなって・・、ふつーにメシ食って、カラオケ行って、プリクラ撮って」
カラオケ?プリクラ?なんだそれは。俺とはそんなことしたこともないぞ。
付き合ってた時だって誘われもしなかったぞ。
あからさまにムッツリとした顔になった室井を、チラッと確認し、青島の視線はまたスマホに戻る。
「あれ?妬くんだ?」
「そう見えるなら、そうなんだろう」
「・・・」
「だが、君が悲しむような結末は望んでいない」
返信を打つ青島が、もう一度室井を見て、瞳をキランと輝かせる。
「そうは思ってないってカオ」
「・・分かってて聞く君は性質が悪い」
「独占欲強そうだね」
「・・まあ、それなりにな」
正直に認めた室井に、青島が柔らかい笑みを向けた。
「あんた内と外で性格違うって言われない?」
もう何とでも言ってくれ。
青島がスマホ画面を室井に向けてくる。
「イブイブに遊びませんかって」
やはり誘いをかけてきたか。室井が24日に先手を打ったから、更にその前日で手を打ってきたな。
いっそ仕事を振ってやろうか。
じぃぃっと青島のまあるい目が室井を探っている。
ウっと詰まって、顎を上げ、頬を硬くし、眉間を寄せる。
まだ青島が見ている。
ようやく室井が観念した。
「行っちゃうのか?」
「行っても、いいですか?」
