公文書Code3-2-8 007
第二部
14.
「どうだ?青島くん」
「んんんん~~~~~・・・・」
画面に映し出される映像は、本日本田の自宅に家宅捜索に入っている捜査員の襟に取り付けられている小型カメラの映像である。
照明の落とされた会議室に設置された複数のモニタに、あらゆる角度、場所の映像が映し出されていた。
その中央の椅子に所在なく座るのは、今日はジャケットを羽織らされている青島である。
その右隣、片手をテーブルに付き、青島の耳元に逐一説明をする室井、左隣には新城が腕組みをして立っていた。
―現場に人の気配はありません
―了解。そのまま部屋の奥へ。慎重に行け
インカムに流れる音声に室井が答え、指示に従い、捜査員が動けばモニタは部屋の奥へと変わった。
狭いマンションの一室は散らかり、ゴミが散在している。
「カーテンの色、部屋の間取り。何でもいい、何か気になるものはないか?」
「よくある男の一人暮らしって印象で、特には・・」
青島がぼんやりと答える前で、画面には、起き抜けの敷布団、脱ぎ捨てられた服などの様子が映し出されていく。
サイドテーブルには書籍が並び、真面目な風情を思わせた。
「確かに監禁場所としても疑問の浮かぶ変哲ない部屋ですね」
「住んでいた形跡を偽装したくらい、人の気配がない、か」
新城が顎をしゃくれば、室井もそれに頷いた。
半分だけ開けられたカーテン、放置されたシンク、テーブルの上には先程まで雑誌を読んでいた装いが作ってあるが
薄らと埃がたまっているようにも見えた。
画面越しでは判別し難いが、マグカップも干乾びているようだ。
「ここじゃないとすると、やはり本田には協力者がいるのか?」
「我々がいずれここを家宅捜索することを想定されていた気がしますね」
「逃げる時間はそう与えていない筈だが」
新城と室井がモニタを注視する下で、ついに青島が根を上げた。
「ん~・・だめだ、全然わかんない・・っっ」
「そうか」
がくんと椅子の背もたれに力を抜き、青島が気を抜く様に息を漏らす。
室井と目が合うが、特に親しみを込めたものは浮かばず、すぐさま反らされた。
嘘は言っていなさそうだった。
「いいだろう。元々成果があればと思っていただけだ。気にするな。目的の捜査は順調に進んでいる」
記録要員・緊急対応要員のための捜査員数名が、揃ってモニタを注視する。
もし、青島の監禁場所が本田の自宅であったなら、何か思い出せるものがあるかもしれない、或いは
思い出せなくても、覚えていることがあるかもしれないと、青島を立ち会わせた。
密かに期待したのは、青島の本来の記憶を刺激してくれないかということでもあったが、それは室井の奥に秘めた。
尤もそんなことは新城だって期待などしていないだろう。
軽く目配せすると、二人の視線はまたモニタに戻る。
―ここに人を監禁していたような痕跡はありません
―了解。各班、通帳、手帳、パソコン、タブレット、通信機器などを重点的に当たれ
「家族や親族以外で雲隠れできる場所となると限られてきますよ」
「そもそも付け回していた人物は誰かという問題もある」
青島が背後の新城を見上げた。
「通帳なんて見てどうすんの?」
「出入金記録から金の流れが掴めることくらい想像が付くだろう」
「誰かを雇ってやらせたってこと?」
「シンプルな推理だな」
新城と青島が何となく会話するのを、室井はモニタを見ながら耳を欹てていた。
敬語を使ってこない所を見ると、青島の中では新城もまだ敵と認識しているらしい。
「すんげえ数!結構雑に段ボールに詰め込んでますけど。あれ全部チェックするの?」
「お前が好きだった仕事だ。手伝わせてやろう」
「うっそだぁ」
だが、一度顔合わせした時よりは随分とマイルドになっている。
こうやって本来の青島は人懐こく人の警戒心を解いてしまう男だった。
自身のハードルも低く、無防備に咬み付いてくる。
「警察のSッ気にはホント頭が下がるね」
「貴様の趣味ほどじゃない」
「覚えてないもーん」
童顔な顔造りのせいでハードなイメージになりにくい青島の綺麗めスタイルは、誰もが羨む。
警視庁に来るのだから革ジャンは止めろと忠告したところ、営業マンに言う台詞かと言い返された。
そして今日、青島はジャケットを羽織ってきた。
だが合わせたシャツは透けるようなエメラルドで、相変わらず派手だ。
なんでそのセンスなんだ。どこの組のモンだ。
ノーネクタイ。袖が捲られた先には大ぶりの時計。形の良い手指。
全身モノトーンの室井と比べ、同じブラックコーデではあるが、肌を露出し抜け感を持つ青島は
チャコールのパンツを合わせたことでかなり都会的な印象を思わせる。
日増しにガラが悪くなる青島の行きつく先を憂いて、室井は静かに首をかしげた。
「そのスーツ、たっかいでしょ」
「分かるのか?」
「そりゃね。ココに」
新城に向かって青島が自分の頭を指差した。
データはここに入っていると言いたいのだろうが、記憶を失くした今それを言っても説得力は薄い。
薄いのに言っちゃうところが青島だ。
「くだらんデータばかり詰め込んでパンクしたんじゃないのか」
「どんな旧型だよ」
楽し気に新城と話す青島の横顔は、見慣れたこの庁舎内でも、刈り込まれた髪のせいでより一層他人のように見えた。
室井の心もいつしか溶かし、掻き回し、夢中にさせたかつての面影は、今も室井の胸の奥を掻き毟るように、深く傷跡を残す。
その幻影は今となっては誰のことなのだろう。
ひょいっと身軽に青島が立ち上がった。
「煙草は止めておけ」
「・・なんでバレるの?」
「・・・」
「あれからずっとイイコにしてたよ。ご褒美もなし?」
「――、ここは禁煙だ」
つまらない顔をして、青島が手を上げる。
その手首に光るシルバーがモニタを反射する。
****
「ええぇ?そんなこと言ってきたのかよ?あの男」
「うん」
目の前で備え付けのインスタントコーヒーに息を吹きかけ冷ます青島が、表情を曇らせる。
話す内容に、益本はニタリと相槌を打った。
会議室の最後尾、誰も意識しない片隅で、二人で座り、内緒話に勤しむ。
今日ついに本部へと顔を出した青島に、益本は目を疑った。
あれだけ距離を置いていた室井に、青島が素直に応じるとも思えなかった。
聞けば、先日の逃走劇で結局見つけたのも室井だったらしい。その場で“君の仇は私が取る”と誓ったという。
先を越された口惜しさは、益本のやっかみの根源だ。
「俺が狙われたのは自分のせいだからって」
へぇ、天下のエリート警視らしからぬ電光石火の早業じゃねぇか。
どういう心境の変化か知らないが、気取ってみせたのはまだ残る未練のせいか。
それとも、我欲剥き出しの男の性か。
それにしても、随分と格好を付けさせてしまったようだ。
益本の挑発が影響していないとは思えない。
「益本だって、そこまでは知ってたんだろ?」
「まあな」
「教えてくれたっていいのに」
無邪気に拗ねる青島のふくれっ面に、つい益本の目尻が緩んだ。
「悪かったって。医者からも止められてるって聞かされてたんだよ」
「ふぅん」
「でも腹立たなかったのか?自分の人生ぶち壊した男だぞ」
う~んと悩むように青島が俯き、それから顔を向けてくるのに合わせて益本も顔を寄せた。
ほんわりと、益本の贈った香水が漂い、使ってくれていることの幸福感が益本を満たす。
付け方は流石、色男の持ち得るセンスは絶品だ。
「恨むか?」
「“俺が仇取る”って言われた時さぁ、ツッコミ所もたくさんあったんだけど、それよりなんか息詰まるほどあのひと必死でさぁ」
「常に気難しい顔してんもんな」
「そうなんだよ。一緒に居て息苦しくなんだよね」
「分かる。俺も」
益本の相槌に、青島は安心したように微笑んだ。
こくんと珈琲を飲み干してから、青島が胸ポケットを探る。
煙草かなと思っていると、益本の目の前で取り出されたのはガムだった。
いる?と一枚飛び出して差し出してくる。
素直に一枚引き抜けば、青島は指でそれを弾いた。
「別にいつもみたいにあしらっちゃえば良かったんだけど、なんか交わせなかった」
「・・・」
「俺とあのひと、なんかあんのかなって。益本、知ってる?」
なんか。とは、当然ただならぬ関係にあったことを室井としては示しているのだろうが、それを教えてやるほど益本はお人よしではない。
「お前と室井さんの仲なんて、この警視庁で知らねぇ奴はいねーぞ?」
「まじで?」
当たり障りのない言葉で返すと、青島は頬杖を付いたままグッと顔を寄せてくる。
額がぶつかるほど至近距離で、益本は野性的な顎を口付けるように傾けた。
「口喧嘩に衝突、騙し合いに落とし合い、だ」
やっべ、この距離、こっちが吸い込まれそうだ。
つい、ここがどこだか忘れそうになる。
「それ、最悪っていわない?」
「だから腐れ縁なんだろ?ついでに問題児」
「盛りだくさんだ。嫌ってないにしても、相性わるそー」
「実際そうだろ?トモダチってタイプじゃねぇよ」
「なのになんでセットなんだよ?」
「懲りずに懐いてたぜ、お前」
「ええぇ?」
嘘くさいと、俄かには信じがたいという顔で、青島が益本の話を爛々とした目で聞き込んでいる。
繊細な輪郭、筋の通った高い鼻、そして、鋭利さとあどけなさを同居させる淡い瞳。
実際、二人で街に繰り出した時には、直に女性から青島に向けた生々しい好意を目の当たりさせられたし
こうして室井からはあからさまな執着を今尚見せ付けてくる。
改めて他人から見ても喉から手が出るほど欲しい色男なのだと痛感させられる。
「過去の清算って言ってた。つまりこれでケジメ付けさせろってことだよな?」
「勝手だよなぁ、ってか虫が良すぎだよな」
「大袈裟過ぎて、どっちに転べばいいのかわかんないよ」
なんか交わせなかったと青島は言った。
それは失っても尚残る情火の残灰がそうさせるのか。それとも、今の青島にとってもやはり室井の存在は琴線に触れる男なのか。
見せ付けられる絆も断ち切れない関係も、どこか益本をジリジリと焼き付かせる反面
こうして益本にだけ心を開く青島に、とことん溺れてみたくなる。
「だったら俺にしなよ」
キスすら、出来そうだ。
そう思った時、益本の口からが勝手に想いが零れていた。
益本がにぃっと口唇を引き延ばし、うっとりと告げる。
「ムカつくこと考えてても疲れるだけだろ?俺のこといっぱい考えてよ」
「益本って優しいな」
「本気だけど」
恋人同士であれ、夫婦であれ、その想いが一生涯変わらぬ確約されたものではない。
記憶を失くしたことは、単なる切欠だ。
これで駄目になるなら、そこまでの仲だったのだ。
逡巡するように視線を左右に揺らす青島を、益本はただただじっと見つめていた。
目の前で色素の薄い瞳が徐々に益本をまっすぐ見つめてくる。
飴玉みたいで舐めたら甘そうだなどと場違いなことを考えていた益本の視界に、上から黒い物体がバサリと遮った。
「!!」
「そろそろ休憩時間は終わりだ」
「む、室井さん・・」
益本の顔を青島から避けるように室井がファイルで二人の空間を遮断し、そのまま益本の額に押し付け、近距離だった二人の間を引き離す。
見れば、これ以上ないくらい眉間に皺を寄せた室井が、益本を睨み下ろしている。
おーこわ。
怒ってる怒ってる。
「大体何で君がここにいる。何故現場に向かわなかったんだ」
「後輩に任せることも大事なんですよ」
「本当にそれだけか?」
ガサ状請求もそうだし、新城と示し合わせて動いていたことも慎重派と言われる室井にしては、随分と根回しが良い。
益本の下心なんて、先日、室井に啖呵を切ったばかりだ。見え透いているくらいだろう。
敢えて青島の前で聞き治す底意地の悪さが、益本を弄ぶ。
「職務中だ。公私混同は控えろ。――行くぞ、青島くん」
「う、うん・・」
立ち上がる青島の、たった今まで肌で感じてた気配が遠のき、益本は急速に物足りなくなった。
男相手にキスすら出来そうだなと思った自身のハードルの低さにも驚いたが、それよりも
目の前で掻っ攫われた失態が、益本を掻き立てる。
ムッツリとは聞いていたが、分かりやすいほど嫉妬丸出しじゃねぇか。
「公私混同、その言葉、そっくりお返ししますよ、室井さん」
室井は背中に受けた言葉に、振り返りもしなかった。
代わりに青島が軽く振り向いてくれる。
「青島、またな」
また連絡するという含みは、彼にはきちんと届いたらしい。
室井の背中を追いながら、青島はこくんと頷いた。
それは、益本への答えでもあるかのように益本に甘い錯覚を残した。
15.
エレベーターに乗り込み、扉が完全に閉まってから、室井は口を開いた。
「君はここでは私の推薦で捜査協力者という形になっている。私の顔を潰すような真似は控えてくれ」
「表向き、でしょ」
くっちゃくっちゃとガムを噛んでいる青島がサングラスを掛けて顎を反らす。
少し背の高いスリムな姿態は、見下すように室井を品定めし、最後に茶化すように流された。
妙に緊張させられるのは、青島と久しぶりに仕事でも関われていることだけではない。
苦虫を嚙み潰したような顔で隣に立つ室井は正面を見据える。
「どこから情報漏洩するか分かっていないんだ」
「そっちのクビが飛ぶだけ」
「君のクビもだぞ」
「あら、お揃い」
小さく青島が笑う震動が、室井に伝わった。
二人きり、静かなエレベーターが降りていく。
室井の全身が意識していた。左半身なんてガチガチになっている。
反対を向いたまま、青島も特に話を続けようとはしてこないため、奇妙な沈黙が訪れ、居心地は最悪だった。
確かに青島から煙草の匂いがしない。
本当にあれから室井の指示を聞いて、禁煙していたのだとしたら、やっぱり、素直じゃない。
ガムは口寂しさを紛らわすためか。
「何故、私を信じる気になった?」
「気紛れ?」
室井が静かな横目を向ける。
青島も気付いて、一度だけサングラスからこちらを見た。
今回室井が持ち掛けたモニタ監視も、青島にしたって何か役に立てるとか失ったものを取り戻せるとか
浮ついた期待を抱いていたとは思えなかった。
だったら何故その誘いに素直に応じてくれたのか。
言葉じゃない。態度じゃない。その行動に、青島の意志がある。
先日までの逃走劇でも、そうだった。
「本田を刺激した以上、今後は我々捜査員の目の届くところに常にいるようにしてくれ」
「あんたが護ってくれるんでしょー?」
ぷぅっと口からガム風船が膨らんでいく。
この間と同じ、嗅ぎ慣れない香水の匂いが、胸苦しい。
「勝手なことをされると限界がある」
「頼りねぇ~」
先程の益本との会話も室井には全部聞こえていた。
益本の言葉が室井の胸を突き刺してくる。
「君こそ、付いてこれるのか」
「そこは見てのお楽しみってことで」
掴めそうで掴み損なう距離感は、どこか懐かしさを持って、室井を困惑させた。
青島が遺した青島は想像以上にやんちゃ坊主だ。
「ホントに刑事だったんだ」
「何だと思っていた」
「ん~・・、その面構えだと、ヤーさん?」
君には言われたくない。
「この捜査は極秘という形になっている。上には一部の情報だけを報告している」
「アレでしょ、謀叛」
「内部犯を狙っている以上、事を大きくするのは利口じゃないな」
「ふつー、キャリアが大事なんじゃないの」
「でもそれ以上に、君をもう一度失うことが、一番怖い」
くちゃくちゃと青島がまたガムを噛む音が聞こえる。
「・・・」
「・・・」
どうやらガムはマスカット味のようだ。
その格好でシュガーレスでなく何故そのチョイスなんだ。
やっぱり、青島が分からない。
「妬いたでしょ」
「・・妬くか」
「ガムいる?」
「結構だ」
プイっと室井が正面に顔を向ける。
青島もまた特にリアクションもせず、左を向いていた。
会うたびに高鳴る胸が、まだ燻る熱を錯覚させる。
隣にいる男が、密室でどんな浅ましいことを考えているかなんて、青島は知る由もないんだろう。
二人きりのエレベーターの中。
室井はエレベーターの扉が開くまで正面を向き続けた。
****
車はアパートのまで静かに止まった。
既に陽は落ちていて、この街は不気味なほど暗くなる。
キンと冷え込んだ空気は、都心よりも肌を突き刺した。
「明日も同じ時間に迎えに来る」
「・・どーも」
「鍵は必ず閉めるんだ。刑事を名乗っていても応対はドア越しに」
「子供かっての」
青島が後部座席から運転席の中野に手を上げた。
送ってくれたことに礼を告げると、中野が目を細めて会釈で返す。
青島が扉の外に長い足を片方出した。
「――気を抜くな」
室井のその言葉は邪念のない一本気の通ったものだった。
純粋に青島の安全を担う男のもので、その決意は声色の低さに現れる。
もし、もう一度青島に何かあったら、取り返しがつかなくなる。
振り返った青島は、サングラス越しに室井を見定めるように動作を止める。
前を見据えていた室井も、視線だけ向けた。険相を崩さない。
息をするのすら躊躇うような二人の気配に、車内はピリピリとした余所行きの色となった。
青島と向き合う度、いちいち走る警戒に、馴染みそうで馴染まない焦燥が、二人の間に不協和音を走らせていた。
シンと音を失った大気が摩擦を持ったまま熱すら拒み、取り囲む。
出会った頃を彷彿とさせるもどかしさに、室井が感じるのは懐古などではなく、目の前の悪戯小僧の懐柔だ。
中野もじっと成り行きを見守る。
刹那、その別れを遮るように、微かな震動音が割いた。
室井が青島から顔を反らさず、胸ポケットからスマホを取り出す。
視線だけ、一度画面に向け、目を見開いた。
「中野くん!あの番号だ・・!」
「!」
室井が画面を差し出すのと同時に、中野が全てを掌握し、青島に扉を閉めるよう目線で警戒を促した。
驚いた様子の青島も、二人のただならぬ雰囲気に大人しく次の行動を委ね、従う。
片眉を顰める青島の前で、室井と中野が視線を交わし、息を合わせた。
室井がスピーカーホンにして、録音ボタンを押す。
『室井です』
『・・・』
応答はない。
番号は、まだ見つかっていない青島に渡していたプライベートスマホだ。
誘拐されたと同時に紛失し、そしてその番号から今かかってくるということが何を意味するのか、中野と室井の身体に緊張が走る。
中野が声を出さないように、メールで新城と一倉に一報を入れる。
『本田か・・?今どこにいる』
『今日、私の家、入ったんでしょう?』
『現在、脅迫状を出した容疑で名前が上がっている。その程度のこと、もう把握していたんだろう?』
『ええ、まあ』
『目的は何だ。私にどうしてほしい』
『それは、脅迫状に書いたとおりですから。それ以上も以下もないんです』
室井と中野が目配せをする。
耳をそばだて、背後の音まで懸命に聞き込んだ。
『ならば、もう充分だろう、捜査が動き出した』
『公表するところまで、お願いします』
『何故公表に拘る』
『警察が動いたふりをしたって、肝心なところは隠される。駒は捨てられる。それは、貴方が一番ご存じでしょう?』
『だから私を指名したのか』
その問いに、電話の向こうは無言だったが、幽かに笑ったようだった。
幾つもの雑音が、まるで本田の心境を表すかのように交じり合い、一つの形を掴ませない。
不意に本田が口調を変えた。
『・・・青島くん、どうしてますか?』
即座に襲った悪寒に、室井の手が一瞬震えた。
まるで、青島を今も飼っているかのような口ぶりだった。
『何故青島を狙った。脅迫状の狙いが目的なら、彼は関係なかった』
『恋人を失うくらいしないと、貴方も動いてくれないと思いまして』
そのフレーズに青島が目を見開いた。
だが、賢明に言葉は挟まない。
『でも、記憶まで奪えるとは思わなかった・・お陰で箔が付いた。貴方を本気に出来たでしょう?』
『ふざけるな・・!命まで落とすところだった!君は偶然に助けられたんだぞ!!』
『こちらの場所も悟られることもなかった。奪った記憶は有難く手土産にします。現時点では上出来ですよ』
『いずれ、借りは力づくで返してもらうことになる』
『警察官とは思えないお言葉だ・・だからこそ、貴方を選んで正解でした』
『どういう意味だ』
『室井さん、大事なものを失ったら怖いものなんてなくなったでしょう?』
その言葉に、室井は言葉を失う。
そのために青島を今度こそ奪うと宣言されたような気がした。
『だが君だって青島に逃げられたんだろう?』
『噂以上のやんちゃぶりですね。流石、室井さんが仕込んだだけのことはある・・もしかして、そこにいますか?』
青島が息を呑み、瞳を深めた。
室井は一度目線を上げることで、それを制する。
『何か伝えたいことでもあるのか』
『監禁中、口を割らなくてね。室井さんのネックになるくらいなら殺せって、すんごい忠誠見せられちゃった』
『青島に何をした。何をするつもりだった・・!』
『何をしたか、は、貴方も薄々勘付いておられるのでは?』
『・・・』
『それだけ可愛がっていたんだ、傷一つ付けたくはなかったでしょう』
『悪いが元々生傷の堪えない男だ』
『もう一度失っても?そのとき、貴方も俺の気持ちが分かると思う』
恐ろしいくらい静かな怒りが室井の中に湧いていた。
それを見失わないくらいの覚悟くらい、出来ている。
『我々の絆を見損わないでくれ』
擦り切れるような声で、室井は発した。
そんな軽いものではない。
本田が如何に誰かを愛していたのだとしても、自分たちが背負った原罪も未来も情熱も情愛も、分かってたまるかという気分だった。
『その捜査本部が動いている間くらいは待ちます。でも、もし裏切ったら今度は青島くんに死んでもらいますから』
上も早々野放しにしないことも、撤退できないことも見抜いた台詞だった。
室井の弱点を青島に定めた本田の計画に、隙は無い。
彼は本気だ。
『そう簡単に、青島は渡さない』
『なら、真実を見つけてください、室井警視』
通話はそこで切れた。
室井は無言でスマホを仕舞う。
手前では中野がコールし、新城に事の顛末を直接伝え始めた。
その様子を交互に見ながら、青島が声をかけるタイミングを見失い、血色を失った顔で呆然としていた。
中野の電話が終わる。
室井は中野に頷いて見せた。
もう、迷っている段階ではない。
この青島にまで何かあったら、託してくれた記憶の青島に、顔向け出来ない。
「・・あの、えっと・・」
「出せ」
青島からの質問を許さず、室井が命令する。
車が走り出すと、室井はようやく口を開いた。
「青島くん」
「・・は、はい」
「すまないが、自宅に帰るのは諦めてくれ。今後は私の監視下に居てもらう」
「えっと・・状況が・・読めない・・んですけど・・」
「私の家に住んでもらう」
「・・っ、でも、急すぎて・・その、」
「心配はいらない。当面の生活に必要なものは、既に家にある」
その言葉の意味を、青島は問い返せなかった。
