公文書Code3-2-8 005
9.
ビルの角ギリギリまで引き付けてから、室井は走ってきた青島の腕を思い切り引っ張った。
勢いのまま、自らの背後に投げ込み、代わりにザッと表通りに立つ。
「――!」
追手の気配はない。
妙に静まり返った夜の裏道には居酒屋からの賑やかな声が漏れ聞こえていた。
鋭い視線で素早く四方を見渡すが、怪しい人影が潜むような様子は見えない。
室井の黒いコートが闇を切るように靡く。
信号がまた一つ変わり、表通りの繁華街に人の流れが戻ってきて、それは随分と呑気に聞こえた。
背後で忙しなく荒い息を上げる音を小耳に挟みながら、室井は詰めていた息をようやくスッと吐き出した。
足を戻し、地べたに尻餅を付く青島の横に立った。
「あ・・あんた・・」
丸い口をぽかんと開けて室井を人差し指で示す青島が、ようやくホッとしたような顔に変わる。
「怪我は」
「へーき」
「一体君は何に巻き込まれているんだ」
起き上がらせるために手を伸ばすと、素直に青島は室井の手を掴んだ。
グイッと引き上げる。
「それ、分かってたらラクなんですけどね」
パンパンと埃を叩いて小さく笑う青島はまるでわんぱくな少年のようだ。
室井の記憶にある青島より随分と若い印象で、その分幼さを感じた。
倒れ込んだ拍子に汚れた革のジャンバーを適当に両手で叩く袖口は捲られ、その細長い手首にはシンプルなシルバーのチェーンが揺れる。
肌を胸元まで透けさせている虎柄の黒いシャツは、短めに刈り上げた髪のせいで、より白いうなじを煌々と見せつけた。
丈の短い革のジャケットも、こうして黒のスラックスと合わせると、その美しい肢体を夜に映えさせてくる。
「今日は何しに?」
「・・当ててみろ」
「説教?」
「惜しいな」
ムッとした顔で揶揄われたことを気付いた青島が不満を浮かべるが、それすら室井にとっては心を揺さぶられた。
青島のすべての感情が剥き出しに室井に注ぎ込んでくる。
それは生きた心地に近くて、息苦しく、室井は真黒い瞳を伏せた。
良く似た形の別人だ。お陰でまるで浮気しているような後ろめたさがある。
はじめましてと言える勇気がこちらにあったなら、もっと上手にやれるんだろうか。
「ま、助かったよ」
落としてしまったサングラスを優雅な仕草で取り上げ、青島がふうっと息を吹きかける。
きゅ、きゅと磨くのは自身のシャツだ。
「心当たりは」
「警察?」
フッと室井の目尻が憐憫に滲む。
「全く。口だけは良く回る男だな」
「それが本業だったもんでね」
「ほどほどにしておいた方がいい。火傷するぞ」
青島が刑事としてのスキルや知識をきちんと正しく使えるのなら、それなりに対処法も選択できるだろうが
今の青島は一般人と変わりない。
野放しにするにはあまりに危険な無防備さだ。
「そっちこそ、こんな時間にこんなとこまでって。キャリア組って聞きましたけど。エライ人じゃないんだ?」
青島がまた脱走したと本部に連絡が入ったのは交代時間が迫る間際だった。
先手を打つためのガサ状を請求中の今、活気が戻った本部の中ではまたかという雰囲気が大勢で
最近では、うんざりとした顔をする者と、好意的に受け止める者と、二極化していた。
手が空いた者から応援に行くのがなんとなく慣習となり、いつも誰が行くかと賑わっていた。
だが今夜は人が払われ閑散としていた。
「こっちだって仕事を中断して来ている」
「そりゃごくろーさま」
室井が自ら出向いたのは、下心がなかったとは言えない。
もう二度と会えないだろうと思っていた。会わないと決めていた。今室井が動けばそれは自らの欲望のためだけだ。
過去の幻影に囚われた想いをそのまま、今の青島に突き付けるつもりもない。
この恋はどこかでどちらかが終わりにすべきことだった。今回の件で、室井としても踏ん切りをつけたつもりだった。
尤もそんなのは建前であることは、こうして揺さぶられる心が正直に悲鳴を上げている。
だからこそ会うのが怖かったし、迷う気持ちに自信もなかった。
何より、こうして知らない顔をされるのを見るのが辛い。割り切ったつもりでも、リアルに突き付けられるのは堪えた。
でもまた青島が行方不明と聞いて、思わず自分が行くと口に出していた。
「まあ、こないだといい、今夜といい、俺の居場所、良く分かんね。なんでバレんの?」
その言葉に室井は薄らと月夜に隠れる痛みを残す。
一人で向かう途中、室井は現場周辺地区は担当捜査員に任せ、この時間の青島が刑事の目を盗み外出するならと当たりを付けた。
そこで青島が新木場に住みだしてから、よく買い物に出るショッピングモールに向かった。
遊ぶならここだと話してくれた。実際、的中した。
お気に入りだと言っていた店を確かめようとして向かっていた正にその時
通りの向こう側で、逃れるように早足で走る青島を見つけたのだ。同時に、その数十メートル後ろに、不審に青島を付ける人物を見た。
「尾行にはどこで気付いた」
質問には答えず質問で返した室井に、青島は冷たい瞳を室井に向けてくる。
闇を映すその瞳が、壮絶に綺麗だ。
場違いにも吸い込まれる室井の前で、暫く室井に話してもいいのかを考えるように青島が沈黙を作る。
「それとも誰か接触してきたか?」
かなりの間を置き、青島が小さく一度首を横に振った。
やがて、バレていることに繕う面倒臭さが勝ったのか、青島はこの闇に紛れるようにサングラスをかけた。
「なんか・・・アパート出たあたりから。同じ足音がずっと付いてきてる気がしてね」
「この人混みでか」
「気のせいかも」
「・・・」
へらっと誤魔化す横顔は、恐らく青島の中ではもっと具体的な理由があるように思わせた。
この天性の勘というか、本能的な素質は、青島と関わった者ならば、キャリアの中でも密かに一目置くものだ。
変わらぬ逸材に、室井は青島という人間の魅力を別の角度から知らされているような気分だった。
革ジャンという硬派な服のせいで、それは一層頑なに清楚な危うさを持っている。
むしろこっちが知らない人物に見させられ、室井は妙に緊張した。
「いつからだ?」
「今日はやけに質問責めだね」
「いいから」
それでも、助けてもらった負い目からか、室井が粘れば青島は困ったように髪をくしゃくしゃした。
「気付いたのは・・割と最近だけど、思い起こせばアンタらが来なくなったあたりかなぁ」
「誰かに報告したか?」
「しませんよ。・・証拠ないし」
「もしかして、アパートから逃げていたのはそっちが原因か」
黒のワークブーツでカツンと地面を蹴り上げ、青島は両手をポケットに入れた。
サングラスの下から値踏みするように見下す視線で白い歯を覗かせ、勝ち気に顎を上げる。
「ケーサツも!そーとーうざいよ」
礼儀も情もない態度に、だがその剥き出しの感情が室井を沸き立てる。
「今夜は私も目撃した。背格好も大体覚えている。本部に報告出来る。顔までは確認出来なかったが、明らかに君を付けている動きだった」
「ああっそ!」
青島の長い足が優雅に上がり、ガツンと音を立てて壁を打つと、室井の行く手を阻むように遮られた。
やはり鋭い回転を持つ明晰な頭脳で、青島は青島なりにこの事態を冷静に見ていると確信した。
手負いの野生のような瞳を、退くことなく真黒い双眼でじっと見据える。
次の出方を待つ室井の高潔な眼差しが青島の気勢とぶつかった。
「で?本題は?」
「本題?」
「アンタさ、俺にキョーミあんの?」
露骨に挑発してくる駆け引きが、室井の肌を鋭くビリビリとさせる。
思っていたより直接的な駆け引きに、室井もじろりと漆黒を深めた。
付き合っていた頃のスマートさはなく、どこか単純で、荒削りな分、それは室井にダイレクトに刺さってくる。
男の色香が惜しみなく放たれ、稚拙で際どい駆け引きを仕掛ける姿は人を蠱惑的に惑わし、一気に引き摺られそうだった。
不覚にも、それは快感に近い。
「このまま、俺んち来ちゃったり、したいんだ?」
「火遊びは止めておけと忠告した筈だが」
「そうでしたっけ?」
「良い機会だ。君にはどう危機意識を持ってもらおうか悩んでいたところだった。これで少しは懲りただろう」
「腹立つだけだよ」
不躾に見つめ返す室井の視界には、短髪となってウェットに固められた容姿と白い傷当てガーゼ以外、どこも変わらない青島がいた。
剥き出しの神経を無防備に刺激してくる過激な駆け引きがそこにある。
全く、荒削りの野生である。
「男を誘いたいなら、もう少し頭を使え」
「そっちから来たくせに」
何で忘れてしまったんだと、縋りつきたくなる。
君はどうしてほしいのか、教えてくれと詰りたくなる。
「君は――どこか放っておけない気にさせられる。それだけだ」
危なっかしくて、向こう見ずで、単純で、そのくせ人情脆くて、目を離すといつも置いていかれると思っていた。
時にこちらがびっくりするほど想定外の爆弾を仕掛ける度量もあるくせに、どこか擦れてなくて。
眩しかった。愛おしかった。だいすきだった。
「ところで、なんだその出で立ちは。まるでヤクザがチンピラだ」
「ガチスーツ着込んだ面白味ないアンタに言われたくないね」
「センスの話をしている。それじゃ襲ってくれと言っているようなものだ」
「似合ってるでしょー?」
「それは着こなしがそこそこ良いからだ。そのボトムに合わせるシャツは――、」
思わず零しそうになった失言に室井はなんとか言葉を飲み込み、身体の向きを変えることで誤魔化した。
そのスラックスは室井が贈ったもので、合わせたトップスもある筈だったが、想定外のチョイスについ口が出そうになってしまった。
日増しにガラが悪くなっていく青島に、室井は眉間を顰めつつ、奥歯を噛む。
「とにかく、もう少し大人しい格好をしていろ」
「抱く女の下着まで指定してそう。過激なコスがないと勃たないの?」
「大きなお世話だ」
興味を失ったように、煙草に火を点ける青島の俯く横顔を、月明かりが照らし、端正に浮き彫りにした。
短い髪が秋の夜風を掬って、同じ銘柄の慣れた薫りに室井はたまらなくなる。
近くにいても遠すぎる相手を、恨みに近い気持ちすら巻き起こすのは、青島だけだ。
「・・ぁ・・」
小さな声に室井が顔を上げると、ジッポを弾く青島のその指先が震え、掴み損ねていた。
その手元を見て、室井は眉を顰める。
闇に紛れ見落としていたが、よく見れば細かく震える姿は、刑事でもない青島の本音と今夜の衝撃を物語っていた。
「――・・・」
今の今まで普通に話していたのに。
あんなにも生意気な口を聞いていたのに。
驚いた衝撃のまま、室井は瞠目し、そんな室井に気付いた青島が舌打ちをして身体を反らした。
馬鹿だなと思う一方で、そうまでして誤魔化そうとする青島の意地っ張りに、室井はハッとした。
そうだったそうだった。
青島は根は素直で、そしてツンデレなんだ。
青島が理由もなく、迷惑だからという理由で頻繁に逃げ出したりなんかしない。
同じく、ハッタリで強がるなんて、一番やりそうな男だ。
10年分の記憶がない。もしかしたらそれは、室井の知る青島よりも10歳分幼い青年なのかもしれない。
外れていたピースが合うように、ようやく何かが室井の中で噛み合い始めた気がした。
「煙草はまだ止めておけ。身体に悪い」
背後から、室井の神経質な指先が青島の口許から煙草を取り上げると、青島は驚いたように室井を振り返った。
怒るかと思ったが、室井の低く慈悲に満ちた声色に、顔を上げ、手元の取り上げた煙草を見て、もう一度室井を見る。
サングラスで瞳は見えないが、室井をどう認識したら良いのか戸惑っていることが伝わってきた。
室井は胸ポケットから手帳を取り出し、そこに自らの番号を走り書きした。
「私の連絡先だ。今度何かあったらここへ直接連絡を」
「今から逃げ出しますって?・・じょーだん!」
青島が両手を広げて肩を竦めスッと後退った。
しかし、そう簡単に手懐けられない野性を厭わず、室井は強かにその手首を掴む。
初めて強引に触れた行動に驚く青島を引き寄せ、室井はメモを握らせる。
「そんなに、警戒しなくていい。君を追い詰めたいわけではない」
「別に俺はっ」
「少しでいい」
青島が押し黙った。
ようやく掴み損ねた青島が見えてくる。
「強がる必要はない、信頼してくれ」
額が付き合うほど間近で低く告げれば、朧な月明かりが照らす中、ただじっと織り成す攻防が、少しだけ色合いを変えていた。
一人になろうとする青島の態度が、切なく室井の胸を締め付ける。
どうかここだけは譲歩してくれという気持ちだった。
威嚇するのも、警戒するのも、青島は怯えているだけだ。記憶がなくて定かなものがなくなって、不安なんだ。
今になって気付いた。
俺は馬鹿だ。
「アンタらは・・もしかして、ソイツが誰だが分かってるの?」
「・・・」
「・・俺、なんかしたかな?」
「していない」
そこだけはキッパリと言い切った室井に、青島は意外な顔をした。
少し間を置き、サングラスの上から室井の瞳を覗き込みながら、小さく声を掠れさせた。
「ほんとに」
「本当だ」
「ほんとのほんとに?」
「ああ」
室井が野太く言い切れば、青島は握らされた紙を人差し指と中指で摘まんで、ひらりと夜風に揺らす。
受け取ってくれたのだと思った。
「今日は助けてもらったしね。ちょっとだけ、遊んでやってもいいよ」
高飛車な言葉は、それでもどこか嬉しそうだ。
青島が月明かりにメモを翳し、そこに恭しくキスをしてみせる。
ドキリと高鳴る室井の前で、にぃっと赤い口唇を三日月のように引き上げた。
意地っ張りだなと、改めて思った。
「怖かったのか?」
「んなっ」
「ウチ来るか?」
「行くかバカ!!」
10.
「馬鹿だぞ?言うに事欠いて馬鹿と言ったぞ!?」
室井にしては猛々しくテーブルの上に拳を握り、息巻いた。
中野が目尻を緩めながら相槌を打ってくる。
「すっかり元気になられたようで嬉しいです」
「昔から口だけは高飛車なんだ、官僚なんて屁とも思ってないんだ」
「ディベートのスキルは惜しい人材ですよね」
中野がついでだと言って丁寧に淹れてくれた玉露を室井の前に差し出した。
頭を下げることで礼を言い、室井はそれを有難く啜る。
玉露の青々しい香りと甘さのある苦みがどこか心を落ち着かせるのは、遠い故郷を思い出すからだろうか。
「少しほっとされたお顔をされてますね」
「出会った頃、懐いてきて、うろちょろしていたかと思えば、油断すると咬み付かれる。少し、懐かしく思い出した」
「そうでしたね」
本部長と面談した後、中野と共に室井はこっそり本庁の応接室に忍び込んでいた。
本日ここが使用される予定がないことは、事前に確認済みである。
犯人、若しくは内通者がこの本部にいる可能性が高い以上、室井の言動は見張られていると考えていた。
「当時も随分と苦労したものだが、改めて思えば色々あった」
「もう十年になるんですねぇ」
「早いな。でも、消えるのは一瞬だった」
窓の外は秋空で、銀杏の並木通りが見渡せる。
もうほとんど黄色く色付いた葉は落ちており、冬の訪れを予感させた。
ゆっくりと緑茶で冷えた喉を潤していく。
「室井さんの中でも・・・、もう、消えてしまわれましたか?」
あんなのは俺の知っている青島じゃない。
青島の記憶が戻らないまま、信頼を勝ち取らなければならない。
中野の言葉に、室井は出会って通わせた日々を思い出していた。
「いや――」
ゆっくりと言葉を選ぶように、室井は応えた。
昨夜の心細そうな視線がこびりつき、室井を惑わせる。
でも、それよりも傲慢にも残る胸の熱が、熱せられ魅せられた鮮烈の日々を嘘じゃないと室井に教えてくる。
室井が大事にしなければいけないのは、青島と約束をした失われた10年だ。
「しかし、尾行者がいたとは想定外でしたね」
「ああ。盲点だった。青島が逃げているのは全部警察からだとばかり思い込んでいたからな」
「今の青島さんでは判断できないことですからね。もう一度取り戻しに来たということでしょうか」
「そう考えるのが一番納得がいくな。本田にとって逃げ出されたことはやはり想定外だったんだ」
「室井さんを追い込むため、ですか」
大切で、慈しんだ胸の痛む時間が、室井の中で咆哮するのだ。
あれほど大事だった日々はない。青島と求めた未来を、捨てたくない。あの熾烈な日々を捨てるなんて、俺には出来ない。
青島と生きた証を、俺が台無しにするわけにはいかない。
そして、あれだけ大切にし、慈しみ、護ってきた室井の半身を、そんなことのために利用したことが、何より許せなかった。
「いっそ、もう手元に置いてしまわれてはいかがですか?」
「荒療治も考えたんだがな。・・・もうしばらく遊ばせておく。これ以上、臍を曲げられたら面倒だ」
中野が慣れた動作で資料がクリップされたバインダーを差し出してくるのを、室井は事務的に受け取った。
素早くデータに目を通し、これを一倉と新城にも見せろと頷く。
「これからが大変ですよ」
「分かっている」
「大体、いつかは今回の拉致原因が室井さんにあることくらいはちゃんと説明しなくちゃなりませんし」
「頭が痛いな」
「青島さんに一生口聞いてもらえなくなっても知りませんよ」
「・・それは困る」
軽く交わした視線は気晴らし程度には室井を慰めた。
「あ、こちらにもサインか押印をお願いします」
差し出された書類にも軽く目を通し、室井は胸ポケットから印鑑を取り出した。
「一倉さんが、番号からスマホ電波の最終地点を入手したようです。後で連絡が行くかと」
「せめて当日の足取りが掴めればいいが」
青島の記憶という万が一の奇跡に賭けるほど、警察捜査はギャンブルではない。
こちらで出来ることは進めていくべきだと室井は思った。本田に先制できるかどうかがその後の勝敗を分けるだろう。
「ケジメを付ける時は近い。先に進むぞ、中野くん」
室井が顔を上げ、窓の外を見る。
冬木立を目に移す室井の顔は、変わっていく季節に抗おうとする色を持たない。
室井が何を言わんとしたのか、中野には真意は汲み取れなかった。
その横顔を見つめ、中野が静かに口を開く。
「室井さん、本当に、もう青島さんのことを――」
その時中野のスマホが震動した。
一言、二言ののち、伝えますと告げ、すぐに切られる。
「室井さん、また逃げ出したそうです!」
「・・・」
二人、顔を見合わせた。
「今度の原因は何だ」
「また張り込み班と揉めたようです」
だからッッ!!どうしてこうも破天荒なんだ。
室井は頭を抱えた。
今は大人しくしていてくれないと、本田にこちらの動きも気取られる。
「本当に世話だけは焼かせる!連絡しろと言ったのに・・!」
ああもう!
顔面の筋肉を震わせる室井に、中野が口元を抑え、憐みの目を向けた。
愛した青島を護り抜く覚悟を上滑りさせる、この青島が遺した悪ガキをどうしてくれる。
「大体何で俺からは逃げるんだ・・?!」
頭を抱える室井の目が据わった。
君は意地悪だ。忘れさせてもくれないで。
遥か昔もこうやって、何度も何度も青島の突飛な行動に、言うことを聞いてくれないじゃじゃ馬に
息を切らして肝を冷やされた。
そうやって俺たちは、二人で一つとなっていった。
そうだ、自分たちは初めから、こんな風に手加減なく交錯してきたんじゃないか。
それを全部忘れやがって!
勝手に消えたくせに、なのにこうして、室井にだけは忘れさせないようにするかの如く、幻に振り回される。
室井の覚悟を迷わせる。
室井がバインダーにサインをし、中野に返却する。
筆圧高くそれはめり込んでいた。
隣では既に中野が室井の鞄とコートを手に掲げる。
「行くのでしょう?」
「そう簡単に切り替えられない。でも、そう簡単にはいそうですかと逃げるつもりもない」
「はい」
そう答えた中野の声は、どこか嬉しそうだった。
喜ばないでくれと顔を顰めたその時、扉を軽くノックをする音がする。
既に扉が開けられていて、腕で寄りかかる仕草で姿を見せたのは新城だった。
「お出かけですか」
「すまない新城、後にしてくれ。青島がまた逃げ出した。今は騒ぎにしたくない」
「迎えに行くんですか?自ら」
昔からそれが貴方の役目でしたねというニュアンスを含ませた新城の口ぶりに、こっちもかと室井は口唇を尖らせ眉間を寄せる。
歩き出しながら室井はコートに袖を入れた。
「生まれ変わっても青島は青島ってことですね」
その言葉に、室井は人生で一番しわくちゃな顔を向けた。
「アレは青島の劣化版だ」
