そして満ちる
銃声が埠頭に響いた。
すでに事態が収束しかかっていた現場の空気を引き裂いて、時間を止めた。
ゆっくりと村井が膝をつき…硝煙のにおいがたちこめる。
「“ホーク”!!」
優司の絶叫が後に続いて、室井をかばっていた腕が離れる。
九嶋が優司の動きを認め、銃を構える。
「青島!」
はずすことなど考えられない至近距離。室井が腕を伸ばす。
その腕をすり抜けて、優司が倒れた村井に駆け寄った。
九嶋の顔が狂気に歪む。
「“ホーク”!“ホーク”!」
掠れた声が、へたくそ、と呟いた。
室井の眼は、そんなものは見ていなかった。
銃口が青島の背中に向けられる。
また失う。
忘れないで、俺のこと。
最後に聞いた青島の声が、室井の背中を突き飛ばした。
九嶋がトリガーに指をかけた瞬間、室井は九嶋に飛びかかった。
身の危険など、考える余裕はなかった。
スローモーションだった時間が、一気に動き出した。
腕にしがみつく室井を振り払おうと九嶋がもがく。腕を伸ばし、銃を握る腕をねじりあげ、コンテナに身体を押しつけ自由を奪う。
「青島!」
腕からの出血を気にもとめず、優司は村井を抱き起こしていた。
「“ホーク”!」
スーツの腹部が、赤く染まっている。村井は唇をかみしめて痛みに耐えている。
「無茶ばっかり…!」
「お前が…いうか…っ」
唇を歪め、苦笑らしきものを浮かべてから、村井ははっと顔を上げた。
足音が近づいてきている。
さっき言ったセリフが現実になったようだ。
銃声を聞きつけて、警官がやってくる。
舌打ちして、村井は無理矢理身体を起こした。
「“ホーク”!」
「うるせえ…よ…ッ」
事情がわかっているのかどうかもわからない相手に、捕まるわけにはいかない。そしてなにより…
「これで、終わりに、するんだ…!」
村井を止めようとする優司に、顔を近づけて言った。
一瞬ひるんだ優司の腕を払い、村井はよろりと一歩を踏み出した。…ひどく、身体が重たい気がした。
「なに考えてんだ…」
「来るな…!」
振り返らずに叫んだ。
帰る場所がある人間を連れて行くわけには行かないのだ。
「あっちの面倒、見てやれ…」
一言話すごとに、息が切れる。押さえた傷は熱く、何度経験しても慣れるものではない。
優司がはっと振り返った隙に、村井は歩き始めた。
脚を交互に前に出すだけの作業が、とてつもない苦痛に思えた。
ここを離れる。“横浜”に連絡して、医者を回してもらう。これまでの経過を説明し、“東京”からの指示を待って…しばらくはバカンスだ。大金も入って、
南の島で傷を癒して…。
そんな算段をつけながら、でもきっと現実にはならないだろう、と頭の片隅で考えた。
コンテナの並びを抜けて、海が見えた。
どろりと黒い海面を見たとき、ああそうか、と思った。
これは罰だ。あの二人に背中を向けた罰だ。どちらも選べないならなにもいらないと…逃げた報いか…。
ならいいさ、と思った。
なにひとつ残さずに海に沈んでしまえ。
…ゆっくりと、海面が近づいてきた。
横浜の海だったら最高の幕引きだ。
最後に思ったのは、そんなことだった。
…優司の声が、やけに遠くに聞こえた。
屈強な九嶋の身体を押さえ込むのは容易ではなかったが、ねじり上げた腕から拳銃が落ちたのを確認して、襟を掴んで地面に引き倒した。…後は手慣れた手順
通りに押さえ込む。
そのとき、水音がした。…なにかが…海に落ちたような…。
はっと顔を上げると、優司が叫んだ。
「“ホーク”!!」
狂気じみた叫びだった。
走りだそうとする優司を、反射的に呼び止めた。
「青島!」
優司ははっと振り返った。
「行くな…!」
今行かせたら、もう二度と会えないと思った。
優司は…青島は、顔を歪めた。
「室井さん…」
「こっち来い!!」
腹の底から叫んだ。足音が近づいてくる。早く来てくれ、でないと…!
青島は海の方を振り返った。
向けられた背中に、心臓がずきりと痛んだ。
「青島!」
もう一度叫ぶと…青島はゆっくりと振り返った。
「室井さん…ごめん…」
一歩ずつ後ずさる。
「俺…あの人のこと、このままほっとけない…」
「だめだ行くな!」
「俺のこと…忘れていいから…許さなくていいから…!」
「青島!!」
青島は踵を返して走り出した。
振り返らない背中は、いつかも見た気がした。
「青島!!」
叫ぶことしかできなかった。
…やがて、再び水音が聞こえた。ばたばたと足音が近づき、中野が室井の名を呼ぶ。
室井は答えず…抜け殻のようになって、九嶋を引き渡した。
…なにも聞こえなかった。聞きたくなかった。また失ったのだと、さっきまでの喜びが潮のように引いて…胸がえぐられたような痛みだけを、感じていた。
