Heaven
知らぬ間に、世の中は夏休みに入ったようだった。
東京よりはいくらか過ごしやすい、室井にとっては慣れ親しんだ夏の空気だった。北へ、北へと東京から離れていく二人を追いかけるように、涼を求める観光
客がどこにも溢れるようになっていた。華やかな色彩の海水浴客などからは、二人は明らかに浮き立っていた。
…青島は、海から離れたがらなかった。
じっと海を見つめる青島の横顔は、日に日に儚げになっていくように、室井には見えた。それは、濃密な夜を重ね続けたせいだろうと、室井はぼんやり結論づ
けた。もっと…、と腕を伸ばされれば、応えずにはいられないこの情欲。むしろ不安。一度失いかけたものだから、胸に抱かずにはいられない…。
「室井さん」
「ん?」
「そろそろ、帰りましょっか」
半身を夕日に照らして、青島が言った。
「ああ…」
そうだ、と思った。
「先に帰っててくれ。買い物をしてくる」
「なに?」
ジーンズについた砂を払いながら立ち上がった青島を見上げる。
「着るもの。買い足す」
「そっか」
東京から逃げ出したとき、室井は着の身着のままで電車に飛び乗った。さすがにスーツ姿では海辺の田舎町では目立ちすぎるから、何度か服を買っていたが、
2,3着のTシャツを着回すにも限度がある。
宿の前で青島と別れ、まだ人の賑わう繁華街へ足を運ぶ。衣料品を売っている店は…と探しているうちに、どこか違和感を感じた。
ふとした拍子に視界に入った人物が、どこかで見かけたことがあるような気がした。
意識しすぎ、だろうか。
青島と引き裂かれた直後の数日間、あからさまなまでの監視の目に辟易としていた。そのときの感覚がよみがえる。
試しに、と室井は急に方向を変え、もときた道を歩き始めた。…気になる人物はいない。そのまままっすぐ宿に向かって歩き出す。…が、一度蘇った感覚は消
えてなくなりはしなかった。
平静を装いながら、幾度か無意味に角を曲がり、道を変え…宿に戻り、室井は確信した。
尾行されている。監視されている。…また、引き離される…!
その確信は、そら恐ろしいほどの恐怖となって室井を包み込んだ。
部屋の戸を開け、遅いよ、と頬を膨らませる青島をかき抱いて、室井は言った。
「逃げよう…!」
「…え…?」
「尾けられてる。みつかったんだ!」
青島の顔が、ゆっくりと驚愕に支配されていく。
「すぐ…荷物…」
「ああ、支度しよう。まだ電車はあるだろう?」
「たぶん」
鞄にささやかな荷物を詰め込み、用意してもらった食事に手もつけずに会計をすませ、二人は宿を飛び出した。
あたりに目を配りながら、駅までの道をできる限りの早足で歩く。
焦りで、心の中が苦いものでいっぱいになる。
なぜほうっておいてくれないのだ。ただ二人でいたいだけなのに。夢も約束もすべてかなぐり捨てて、ただ腕の中に残ったのはお互いの存在、それだけなの
に…!
遠くから聞こえる潮騒が、それすらも許さない、と言っているようで…室井はきつく、唇を噛んだ。
