RETURN MATCH 3







 風呂上がりの髪の毛を拭いながら、夏美はため息をついた。
 新城からプロポーズされる日を、ずっと夢見てきたのに。
 離れていた1年半の間も、心はずっと近くにいると信じてきたのに。
 今は、新城がひどく遠いような気がしていた。
 …怒ってるだろうな。
 今日のは、新城が悪い。ぜったい悪い。
 でも、ちゃんと話してこなかった、自分はもっと悪い。
 あのまま新城に自分の思いを話したら、きっと泣いていた。
 あんなところで泣き出したら、きっと新城は困る。
 だから一人で帰ってしまった。
 でも…きちんと話さないと。
 新城は、話さなければわからない人だ。話せばわかる人でもないけれど、態度や仕草でこちらの思いをはかるなんてことは、もっとできない。でも、そんな不 器用さも、夏美は好きだった。
 このまま別れるのは、ぜったいにいやだ。
 ベッドに放りだしていたバッグから、携帯電話がはみ出していた。
 電話、してみようかな。
 夏美が手を伸ばしたとき、それを見越したように、携帯電話が着信を告げる軽いメロディーを発した。
 あわててボタンをおす。
「篠原です」
「…新城だ」
「新城さん!?」
 なんで。
 受話器に耳を強く押しつける。
 低く押し殺したような声が、耳に届く。
「今、いいか」
「はい」
 ああ、私、この声も好き。
 ちゃんと相手のこと考えてくれる、優しさも好き。
 新城さんが、好き。
「あの、私、今日のこと…ごめんなさい!」
 あやまろう。
 新城さんと一緒にいたい。それだけでいい。
 刑事になれなくっても、一緒にいられれば、いい。
 しかし、そういおうとした夏美を新城が遮った。
「待ってくれ、謝るのは私だ。…ちゃんと顔を見て話したい。今から出られるか」
「え。でも…」
「だめか」
 だめじゃない、でも。
 時計を見る。
 もう深夜と言っていい時間だ。
 父はもう寝ているが、黙って出るなんてできない。
 でも会いたい。
 どうしよう。
 夏美が返答に困っていると、新城が言った。
「今、おまえの家の前にいる」
「えっ!?」
 あわてて窓に駆け寄ると、新城が夏美の部屋を見上げていた。
「新城さん…!」
「でられるか」
 電話越しではない、新城の声が耳に届くと同時に、夏美は身を翻した。
 携帯電話は放り投げて、急いで階段を降りて、玄関に向かう。
 勢いよくドアを開けると、そこには何とも言えない表情をした新城が立っていた。
「…すまない、こんなに遅くに。でも、どうしても会いたかった。ちゃんと顔を見て、謝りたかった」
「新城さん…」
 新城の名以外は、言葉にならない気がした。
 それくらい、嬉しかった。
 もう、ちゃんと会えないと思っていたのだ。あんな別れ方をしてしまったから。
 なにも言えない夏美の反応をどうとったのか、新城は焦ったように言う。
「その、私が悪かったと思う。おまえの気持ちを考えていなかった。あのあと青島から聞いたんだ。おまえが私と仕事をしたいと思ってるとか、それから、おま えが仕事をちゃんとしてないとおまえらしく生きられないとか。それはやっぱり青島の言うとおりだと私も思う。私もおまえと一緒に仕事ができたら、きっと嬉 しいと思うと思う。それに、おまえが刑事になったら、いろいろ困ることが多いと思うが、でもおまえにはもしかしたら刑事は似合うかも知れないとも思い始め た。それから、私は頭が古いと言われた。たしかに私の頭は古いと自分でも思う。でも私は、その、おまえと一緒に生きていきたいと思って、そうしたら私が譲 らなきゃいけないことがきっとたくさんあると思う。おまえは私よりずっと若くて魅力的だから、考え方も違うだろうし、そうしたら私はいろいろよけいなこと を考えて、ああ、何を言ってるんだ私は。こんなことが言いたいんじゃなくて、その…頼むから、泣かないでくれないか」
 言われて気づく。
 夏美は泣いていた。
 あわてて頬を拭うが、でも涙は止まらない。
 こんなに饒舌な新城は見たことがなかったし、そうさせているのが自分だということがなんとも言えず嬉しかった。
「ご、ごめんな、さい…」
「ああ、謝らなくていい、私が悪いんだ。…ええと、そうだ、これを渡したかったんだ」
 そういって、新城が花束を夏美に押しつけてよこす。
「これ…?」
「チューリップだ」
 言われなくても、見ればわかるのに、新城は大真面目に言う。
「プロポーズするときは、これを渡そうと決めてたんだ。おまえに似合うと思っていた。…ああ、少しくたびれてしまったが、受け取ってくれ」
 夏美が花束を握るのを確かめてから、新城は、それから、と続けた。
「もういちど、考えてくれないか」
 ポケットから、あの小箱を取り出して、差し出す。
「刑事になっていい。いや、私に許可なんか取ることはない。おまえが好きなようにしていい。結婚しても、仕事を続けてくれ。君が自由に、思うようにしてか まわない。私はいい夫になると言い切ることはできないが、努力はする。だから」
 大きく息を吸う。
「結婚してくれ」
 夏美が大きく瞳を見開く。
「君を愛してる。ずっと一緒にいたい」
 新城の言葉が、夏美の胸に暖かく広がる。
「ほんとに…?」
「うそじゃない。頼む。受け取ってくれ」
 ぐい、と小箱を押しつけられ、夏美がおずおずと手を伸ばす。
 その手を取って、小箱を握らせる。
「いいか」
 夏美が新城の顔を見つめる。
「もう一回、言って…」
「またか」
 そういえば、2年前も同じことを言われた。あのときは照れくさくて、同じ言葉を二度も言えなくて、キスでごまかしたが、今回はごまかすことなどできな い。
 新城が意を決して、口を開こうとしたとき。
 夏美の背後の扉が勢いよく開かれた。
「こんな時間に、何やってるんだ、夏美!」
「おとーさん!」
 玄関の光をバックに、仁王立ちになった夏美の父が、地獄の鬼もかくや、といった表情で新城をにらみつけていた。
「あんたね、本庁のエライ人かなんか知りませんけどね、こんな時間に娘をパジャマ姿で外に呼び出すような非常識な男に夏美はやんないよ!」
「お、お父さん」
 夏美の肩を抱いて家に押し戻そうとする父に、新城がなんとか言おうとすると、夏美の父は新城の言葉にまたくわっと口を広げて一喝した。
「あんたにお父さんなんて呼ばれる筋合いないよ!夏美、早く家にはいんなさい!!」
「ちょ、ちょっと待ってよおとーさんってば」
「いいから、はいんなさい!…あんたね、当分この近辺うろつかないでよ!近所迷惑なんだよ!」
 その大声の方がよっぽど近所迷惑なんじゃないのか、などと思っている間に、夏美は家の中に押し込まれてしまった。
 新たなる困難に、呆然と立ちつくす新城。
 足下に、冷たい風が吹き付けていた…。



 新城が、苦心惨憺の末夏美の父に再び会うことが許されたのは、それから三ヶ月後のことだった。
 毎日泣き暮らす夏美にほだされた父は、しかし結婚に快諾はせず、父が新城の人となりを見極めるまで、結婚は無期限延期となったのであった。
 それからしばらく、未来の義父の趣味につきあおうと、なれないゴルフや釣り、プラモデルづくりから宴会芸用のコントまで、幅広く研究する新城の姿が、警 視庁で見られたという。
 ちなみに、夏美の昇進試験は見事不合格。
 難関の巡査部長試験に、一発合格しようとした夏美の単純さが、なんだかこの未来の義父とそっくりだ、と新城は思いながら、にこにこと趣味の盆栽の話をす る未来の義父に相槌を打つのだった。

と、いうわけで、リターン マッチ編でした。
カウンセリング・マインド青島、またもや活躍・・・。
新城さんが夏美ちゃんと結婚できる日は、果たしてくるのでしょうか・・・。


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