Atlas 番外
「室井、頼みがある」
目の前にふんぞり返る男を見上げて、室井は眉間に皺を寄せた。
…この男が『頼みがある』だなんて言うことは珍しくはあるのだが、この態度はなんなのだ。偉そうに、腰に手を当ててまで。
「…別をあたってくれ」
ものの頼み方を知らない男への対処は、こんなものでいいだろう。そう判断して、室井は踵を返した。
暇じゃないんだ、無礼者につきあう時間はない。
しかし、がっしと腕を捕まれ、室井は深く溜息をついた。
「一倉、あのな…」
とりあえず、文句だけは言っておこう。
そう思って振り返ると、嫌に真剣な顔をした友人が低い声で言った。
「青島を、貸してくれ」
「…は?」
一倉は、それはそれは珍しい、室井の呆けた顔を目撃した。
「名前と住所」
「……………」
「言えないの?」
「……………」
「じゃ、俺がテキトーな名前つけちゃうよ?」
「……………」
「そーだなー…チャーリーとかどう?見事な金髪だから」
そう言って手を伸ばし、髪を一房つかもうとする。
…と、それまで無反応だった男が、ぱし、と青島の手を払いのけた。
当然予測内の行動で、青島は余裕の笑みで返す。
「あ、『チャーリー』はイヤだった?」
青島のへらりとした笑みは、つっぱらかったニイサンがたの嫌悪感を煽る。…と、わかっていてやっている。
「じゃあバートかなー…」
椅子の背にだらしなく寄りかかり、頭の後ろで手を組み、『バート』を見る。
『バート』はじろ、と青島を一睨みした後で、ぷい、とそっぽを向いてしまった。
…溜息の一つもつきたくなる状況だ。
喧嘩の通報を受けて行ってみたら、喧嘩の相手はとうにずらかった後で、この男が突っ立っていた。
通報者は見あたらず、目撃者の話によると、『バート』は
相手を追いかけようともせず、逃げることもせずに刑事の到着を待っていたのだそうだ。目撃者が気づいたときにはつかみ合いがはじまっていて、喧嘩
の理由もはっきりしない。
普通だったらここで、喧嘩すんなよ、と説教して終わるところだ。
しかし『バート』は、青島に向かって手を伸ばした。
開いた手のひらの中には、白い粉の入ったビニール袋。
「俺を逮捕しろ」
それが、青島が一度だけ聞いた『バート』の声だった。
…クスリは、防犯なんだけどなー…。
ちら、と時計を見る。
今日は室井と会う約束をしていた。
こいつに粘られると、キャンセルしなくてはならなくなる。
こんなときに限って、防犯は手一杯。ラリった様子もない、
見かけがガラの悪いだけのにーさんは、暇そうな強行犯で預かってくれ、とばかりに、顔も見せや
しない。
…青島の推測が正しければ、『バート』はなにかを待っている。
見ている限り、クスリをやっている気配はない。怯えた様子も、いきがる様子もみせない。青島の挑発にものってこない。
こういう男は、脅しもすかしもきき
はしない。バッジをつけた兄さんがたより、ずっと度胸が据わっている。…返せば、非常にやりにくい相手だ。
溜息をついて、調書にバートと書いてやろうとしたとき、控えめに取調室のドアが開いた。
「…青島くん」
顔を覗かせたのは魚住だ。
「なんすかぁ?」
「…ちょっと」
ちょいちょい、と手を振って青島を呼ぶ。
ちら、と見ると、『バート』は相変わらずそっぽを向いていた。
「俺外すけど。代わりの奴くるから、大人しくしててね」
…当然、『バート』からの返事はなかった。
「なんすかぁ?俺忙しいんすけどー…」
だらだらと歩きながら、通りすがりに真下に取調室を指さしてみせる。
「青島くんにお客さん。こっち」
魚住は応接室を指さして見せた。
「…保険のおばちゃん?」
少なからず引きながら尋ねると、魚住は頭を横に振った。
ほっとして応接室のノブを握る青島に、魚住がそっと耳打ちした。
「泣く子も黙るってトコは同じだけど」
「…へ?」
泣く子も、黙る…?
その言葉の意味が脳に届いたとき、青島はすでにドアを開けてしまっていた。
「ぁ~おしまく~ん、待ってたんだよ~!さ、ご挨拶して!」
「は、あ…」
課長が手揉しながら待ちかまえている。奥のソファに座っているのは、「泣く子も黙る」な外見からはほど遠い、清潔な印象の女性だった。
「初めまして」
すっと立ち上がり、名刺を差し出される。
「あ、ども」
と、染み込んだ習性で青島も胸ポケットに名刺を探る。
「都教委青少年課の一倉清子と申します」
「ときょうい」
…そりゃあ、泣く子も黙るわ。
と、待てよ?
名刺を差し出しながら、受け取った名刺をまじまじと見つめる。
「いちくらさやこ…課長?」
清子は、にっこりと微笑んで言った。
「夫がお世話になっております」
「は、あ…」
こういうとき、なんて言えばいいのかな。
ぼんやりと青島は思った。
お世話…してないし。ってかお世話になってるのは多分こっちだし、向こうは関わり合いになりたくないって
たま~に本庁ですれ違うと体中で言ってるんだ
けど…いちお、大事な人のオトモダチ、だし…。
「こ、こちらこそ…」
とりあえず、差し障りのないことを言っておいて、横目で袴田に助け船を求めた。
幸い袴田は青島の期待を裏切らず、いったいなんだって、湾岸署嫌いでは新城を抜いて筆頭の一倉の妻がやってきたのか、を説明してくれた。
「今日君が引っ張ってきた男いるだろう」
「はい」
「彼は、一倉課長がずっと世話してきた子なんだそうだ」
「は、あ…」
「松田和己といいます。先月十九になったものですから、私の手は離れたんですが」
身を乗り出して言う。
「放ってはおけないものですから、こうして」
「青少年課の課長自ら」
たいした情熱だ。
ここ最近の少年犯罪の増加で、ダンナ以上に忙しいだろうに。
「でもこれは刑事事件になりますから、行政の方が口をだすようなことじゃありませんよ」
「青島くーん!」
青島の無礼な口のきき方に、袴田の声が裏返る。
「失礼ですが、彼一人にかかわってていい立場の方じゃないでしょ?」
「承知しております」
しかし、さすがは一倉の妻。
顔色も変えず言いきった。
「承知の上で、お願いいたします。松田に会わせていただけないでしょうか」
「そ、れは…」
まずいでしょ。
と、袴田を見遣ると、袴田はニコニコしている。
「結構ですよ、ねえ青島くん!」
「ちょ、ちょっとかちょお!」
相手が都教委だろうとキャリアの嫁さんだろうと、民間人は民間人だ。取り調べ中の被疑者、それもクスリを持ってたヤツに会わせるなど、
とんでもない。
いきりたつ青島を、袴田はまあまあ、となだめにかかる。
「ホラ、青島くんも彼がだんまりで参ってるって言ってたじゃない。お世話になった先生に会えば、彼もなんかしゃべるかもしれないでしょ」
「だからってねえ!」
「ご迷惑はおかけしません」
すでにゴメーワクなんですよ、と言ってやろうと思った。
…が、できなかった。
彼女の瞳は、ごり押しにやってきたエライさんのものではなかった。真摯に、光っている。
…こういう瞳に、青島は弱い。…大切な人の瞳を、思い出すからだ。
重たいものを背負い、それをどこかに下ろすことすら思いつかない、きまじめな瞳を。
はあ、と溜息をついて、頭をがしがし、とかきむしった。
「15分」
「え?」
「それ以上は、メイワクです」
「…ありがとうございます!」
「迷惑だなんて、ねえ、青島くーん!!」
泣き笑いの袴田が、青島の袖を引いていた。
「わかってるとは思いますけど。興奮させないように。クスリ持ってたヤツですから、あなたの知ってるカズミくんとはもう違うかもしれないってことを ちゃん
と覚えててください」
「…失礼ですけど、それはないと思います」
取調室の前で、最後通告をしてやったというのに、一倉の妻ときたら、これだ。
青島は、ドアノブに手をかけたまま、がっくりと肩を落とした。
「あのねー、俺らもいちお、これでメシ喰ってますから?ヤバイ奴とそうでない奴との違いくらいは、わかるんですよ?…あなたよりは」
ちろ、と見ると、余裕の笑みを返された。
「承知しております。…でも」
青島の手を払い、ドアノブを廻しながら彼女は言った。
「わたしも、これで生きてるんです」
視線を部屋の中に移したとたん、彼女の顔が変わった。
それまでの、穏やかな笑みをたたえたものから、きん、と張った糸のような厳しさを携えたものに。
「カズミ」
と、バート…いや、カズミがはっと振り返った。
「先生…!」
すっ、と清子が部屋の中に入る。青島も慌てて中に入った。
「お迎え、来たぞ」
「…なんで来た」
青島の言葉を無視してぼそりと口の中で言うと、カズミはまたふい、とそっぽを向いた。
「ミユキに頼まれたの」
「…ミユキ、無事なのか」
「大丈夫、ウチで預かってるから」
「…そうか」
視線を逸らしたまま、それでもカズミを取り巻く緊張感がふっと和らいだ。
「ミユキって…?」
突然出てきた名前に対応できなかったのは青島だ。聞いてないぞ、そんな話。
「カズミの恋人です。カズミが逮捕されたって青少年課の方にきたので、今部下が対応してます」
小さく言って、再びカズミに向き直る。
「どうしたいの」
「…べつに」
「クスリ、持ってたって、刑事さんに聞いたけど?」
「だからなんだ」
「あなたが使ってるんじゃないってわかってるのよ」
「どうしてそう言える」
「あたしがあなたを信じてるから」
「あんたが俺を信じたら、俺はとんでもないイイコになっちまうな」
「あなたはいいこよ」
「やめろ」
ぎろり、とカズミが睨み付ける。
…ヤバイ。
青島が割って入ろうとするのを制して、清子は冷静な声で言った。
「ダイスケでしょう」
「…!」
カズミの瞳が、一層鋭くなる。
「なにがあったか、ちゃんと話して」
「…俺に、関わるな…!」
「そんなのあなたが決めることじゃない。あたしが決めるの」
「あんたには関係ない!!」
「おい…っ!」
突然立ち上がったカズミに、青島が慌てた。清子とカズミの距離は1メートルもない。
すでに大人の体格のこの小僧がキレて清子に襲いかかったら、女性の身
ではひとたまりもない。
素早く間に割って入ろうとした青島だったが、一瞬遅かった。
乾いた音が、狭い取調室に響く。
「い、一倉さんっ」
清子が、カズミの頬を思いっきりひっぱたいたのだ。
「それ言ったらビンタよって、言ってあるでしょ!!」
これまでの冷静さがどこかに吹き飛び、ものすごい剣幕で怒鳴りつける。
「何度も同じコト言わせない!わたしはあなたに関わる権利がある!…わたしはあなたの先生だからよっ!」
カズミは目を丸くして呆然とし、やがてのろのろと椅子に座り込んだ。
清子はカズミの前に膝をついて、視線を合わせる。
「ダイスケはもう大丈夫。わたしたちと約束した。家に帰して、今ご両親と話し合ってる」
「…そんなことしたってあいつは…」
「あのコ泣いてた。あなたのこと心配して。俺が悪かったって何度も言ってた」
青島が触れることを決して許さなかったカズミの金髪に、清子が触れる。
「じゃあ、あいつ…」
「明日、あのコと一緒に、坂本さんていったかしら、会長さんとこ行くから」
カズミがぱっと顔を上げる。
「なに言ってんだ先生!ヤバイよ!」
「大丈夫。ちゃんと話してわかんない人なんていないのよ。…あなたもそうだったしょ?」
少年をぶっとばした剣幕はなりを潜め、今は清子は穏やかに微笑んでいる。
それでもカズミは、まだなにかを吹っ切れずに。不安げに瞳を揺らしている。
「…でも、あいつは…」
「そうよ、あのコは弱い。約束は守れないかもしれない。また道を間違えるかもしれない。
…だから、あなたがついててやんなきゃだめなんでしょう?」
清子がゆっくりとカズミの髪を撫でた。
「だから、こんなとこいつまでもいたらだめ。早く出て、ダイスケのそばにいてあげて。ミユキも待ってる。あなたが、必要なのよ、わたしたち」
唇を噛みしめ、顔を歪めながらも、はっきりと清子を見返したカズミに、清子はにっこりと微笑んだ。
「さあ、刑事さんに全部お話して」
それまで呆然と事態を見守っていた青島に、ゆっくりと顔を上げる。
ぽん、と肩を叩いて清子は立ち上がった。
「…失礼しました、青島さん。カズミのこと、宜しくお願いします」
「え、あ、は、い…」
清子は取調室のドアを開けながら、なにかを思い出したようにカズミを振り返った。
「あ、そうだ。カズミ、次またおんなじこと言わせたら…」
ぐっ、と握りしめた拳を上げてみせる。
「今度は、グーよ。グーでぶつわよ」
まじめな顔をしてそんなことを言う清子に、カズミがくしゃりと顔を歪めた。
清子がドアを閉める瞬間に見せたその表情は、青島たちには決して見せない、カズミの少年らしい顔だったのかもしれない。
すべてを語り終えたカズミを残して取調室を出ると、清子が椅子から立ち上がった。
「あ…まだ、いらしたんですか」
「はい、出過ぎたお願いをしましたので、一言お詫びをしてから、と思いまして」
清子は深々と頭を下げた。
「いや、むしろこっちが助かっちゃったくらいですから」
青島は慌てて手を振る。
清子が不安げに目を伏せる。
「あのコ…どうなるんでしょう」
「あー…」
カズミの話を聞いたところによると。
中学からの仲間であるダイスケが、高校を中退したあとで悪い仲間に引っかかった。
最初は徒党を組んでいきがっているだけだったし、自分たちも似たような
ことはしていたから放っておいたのだが、
どうもそのグループがバッジをつけた強面たちに目を付けられたらしい。あっという間に取り込まれ…薬の売人の真似
事をさせられ始めた。
なんども手を引けと仲間たちで説得したが、組の連中の報復が怖くて抜け出せないダイスケは、
ついにカズミの恋人であるミユキまで巻き込もうとした。
ミユキも、カズミやダイスケたちとは中学からのつきあいで、ダイスケはミユキに対して恋心を抱いていたようだった。
力でも、仲間からの信頼でもカズミに
勝つことなどできない小心者のダイスケが、ミユキにうち明けることなどできるはずもなかったが
…ミユキが、自分のために必死になってくれている…それを勘
違いしたのだろう、とカズミは言っていた。
いちど薬の味を覚えれば、再び恩恵を得るために、なんだってする。薬を買っていった人間を見れば、それはよくわかっていたから…ミユキに、
薬を売ろうと
した。売って、自分のものにしてしまおうと。
仲間の裏切りにカズミは怒り、喧嘩を仕掛けて…青島に、つかまった。ダイスケの持っていた、薬を見せて。
和己は、ダイスケを憎みきれなかったのだ。そして、その身をもってダイスケに迫った。
俺かクスリか、どっちか選べ。
ダイスケが来なければ、カズミは麻薬取締法違反で逮捕される。
何年か刑務所に入ることになり、清子たちが必死になって世話してくれた就職先も、クビにな
るだろう。
…それでも、カズミはダイスケを信じたのだった。ダイスケが必ず、自分のしたことを悔いてカズミのもとにやってくるだろうと。
なぜそこまでする、と青島は聞いた。
カズミは、壁を見つめながら言った。
「俺たちだって、どうなるかわからない。ダイスケは運が悪かっただけだ。ヤバイのにひっかかった、それだけだ。俺たちとなにも変わらない…」
それに、と小さく言った。
友達なんだ。どうしても、助けたかったんだ、と…。
なりはガラが悪くても、一本筋の通った男だ、と妙に感心した。
…同じように。なにかがあれば、自分の身を省みずに助けようとする大切な存在が、青島にもある。
置かれた状況は違っても、カズミを助けてやりたいと思っ
た。
青島は、清子ににっこりと笑って見せた。
「カズミくんには、もうしばらく湾岸署にいてもらいます」
「そう、ですよね…」
清子が顔を曇らせる。
それに反して、青島はからりと言った。
「ええ、大事な証人です。証言してもらわなきゃなりませんからね」
「…証人?」
清子が怪訝そうに青島を見た。
「そう、証人ですよ。『友達とじゃれあっているときに、クスリを見つけてしまった』、証人です」
「じゃあ…!」
「はい。彼は、クスリを湾岸署に届けてくれた。…そうでしょう?」
青島は、清子にむかってウィンクしてみせた。
「ダンナさんには、内緒にしといてください。またしかられます」
「ええ…ええ!青島さん、ありがとうございます…!本当になんといったらいいか…!」
清子が、泣き笑いの表情を浮かべた。
いやいやそんな、と返しながら、青島はちらりと思った。
こんなに綺麗でいいひとなのに、一倉さんの奥さん…世の中って、わかんないよなぁ…。
自分のことを棚に上げて世の中のからくりに思いをはせる青島なのだった。
エントランスまで清子を送りに出て、青島は、あ、と声を上げた。
「あの、一倉さん…」
「はい?」
清子が振り返る。
「さっき、明日会長さんとこ行く、とか言ってましたけど…」
ああ、と清子はさらりと言った。
「ええ、坂本会とかおっしゃる暴力団の会長さんのとこに、ご挨拶に伺おうと」
「ご挨拶、って…」
さらりと言ってくれるではないか。
坂本会といえば、指定暴力団の最先鋒。本庁でも目を光らせている強者だ。
そんなところの会長が、都教委の青少年課長ごときの話を聞くとでも…思っているのだ、このにこにこと笑っている人は。
「あの、なんでしたら、俺…」
生来のお節介が首をもたげた瞬間、清子の携帯電話が着信を告げた。失礼、と小さく言って清子が携帯電話を取り出す。
「はい、一倉。…ああ、そっちはもう大丈夫。…ええ。ええ。…そうねぇ…。でも、どうかしら…あらそう?え?そこにいらっしゃるの?
なら話は早いわよね。
ええ、青島さんもこちらにいらして。はい、じゃあ代わります」
にっこりと笑って青島に向かって携帯電話を渡す。
…会話からして、一倉さん、だろうか…。
やだなぁ、しかられるのかなぁ…、などと、一倉の顔を思い浮かべて条件反射でそう思いながら、携帯電話を受け取る。
「青島でーす…」
『…私だ』
「…え?」
聞こえてきた声は、一倉のものではなかった。
「…室井さんっ!?」
なんで室井さんが。なんで一倉さんの奥さんの携帯に。なんでなんでなんで!?
『あー…手短に言うが、すぐに支度をして清子さんと一緒に湾岸署を出ろ』
「なっ、なんでっ?ムリっすよそんなの!」
カズミの件の報告書だって書かなきゃならないし、とっとと帰っちゃった課長に一応の報告もしなきゃならないし…!
『いいから。あとは一倉がなんとかする』
「へぇっ!?」
なんで一倉さんが!?
『もう…そうだな、すぐそこにつくから』
「すぐって、すぐって、なんで!」
『それから、明日は9時に都教委青少年課へ。きちんとした格好をして行け。清子さんについていって、ボディーガードをしてくれ』
「はぁっ!?」
そりゃあ、それくらいはするつもりでいたけど、それをなんで室井さんに…しかもなんで知ってるの!
『ああ、ついた』
「…ええっ!?」
エントランスに、フロント以外すべてにスモークを貼った一見ヤバげな黒ベンツが急停車した。
助手席が開いて、室井が降り立つ。
『切るぞ』
…同じ言葉が、携帯を押し当てていない方の耳からも聞こえる。
「なんでっ!?」
もう青島の頭の中はナンデでいっぱいだ。
ふと横を見ると、清子はころころと笑っている。
「慎次さん、お久しぶり」
「ああ。元気そうで」
室井も柔らかく微笑みかけて…
「室井さんっ!」
青島はつかつかと室井に歩み寄った。
「どーしてここに!なんで一倉さんが俺といるって…事件のこと、なんで…」
「妻が世話になったな」
ぬ、と一倉が運転席から顔を出した。
「げ…!」
げ、とはなんだ、と一倉が顔をしかめる。
「なんで…」
青島の問いに答えようとせず、一倉はふんぞり返ったまま青島に言った。
「明日は頼むぞ」
「はぁ!?」
「その、なんとかいう小僧の後始末をつけに行くの、当然うちの一人で行かせないよな?室井の言うことなら、ちゃんと聞くよな?」
「うちの、とか言うの、やめてくださいね?」
にっこり笑いながら釘を刺す清子に、ばつが悪そうな視線を送ってから、一倉はごほん、と咳払いをした。
「清子から事情を聞いてな。所轄が湾岸署だというから、どうせお前が首を突っ込むだろうと踏んで、青島を指名しろと言ったんだ。
…な?言った通りになった
ろ?」
「ええ、青島さんにはよくしていただいて…」
清子は相変わらず笑みを浮かべている。
…ということは。青島が事情を知れば、きっとカズミを助けると計算して…?
…って、おい。さっきのあの泣き笑いは、なんだったんだ…?
「一倉さん…」
青島の恨みがましい声は無視して、一倉は言う。
「明日はうまくやれ。明日の出方次第で、俺たちが乗り込む。坂本会、つぶすぞ」
俺たちって…薬対か…?
「いいか、へまするなよ、青島。うまくやって、ガキ使ってクスリに手を出してることを認めさせるんだ。勝負どころだ。
舌先三寸は、お前の得意技だろ。四課
の主席参事も期待してるぞ?」
「…はめましたね、一倉さん…」
清子を一人でなど行かせることができない青島の性格を使って、妻を守り、ついでに薬対の仕事を片づけて、
あわよくば組織をひとつつぶしてしまおうとする
夫。そして、夫のもくろみを知りつつ青島を使って自分の手がけた子供も救おうとする妻。
…似たもの夫婦だ…。
じろりと四課の主席参事…室井を見遣ると、心配そうに青島を見ている。
「室井さん…」
「お前…気をつけろよ?」
はめられた青島を気の毒に思ってくれているのだろうか。
思わずじんわりきてしまったが、そんな気持ちも室井の言葉を聞いてすぐに消え去った。
「…都教委の人間に間違ってもらえるような格好、できるのか…?」
…そこか?そこなのか、心配なのは!?
思わずくってかかろうとすると、清子がやんわりと青島を留めた。
「さあ、青島さん、支度して。お礼にお食事、ごちそうしますから」
「…え?」
「ああ、室井も一緒だ。課長には言っておくから、早くしろ」
「食事なんかで、今日のお礼ができるとは思わないんですけど、気持ちだけでも。ね」
にこっと笑って一倉を見上げる。
一倉も、普段見せる尊大な態度がすっかり消えて、清子の肩まで抱いて笑っている。
室井まで、早くしろと視線で訴えてきて…
「ああもう!わかりましたよ!もー…」
ぎっ、と室井を睨み付けた。
「室井さん。後でゆーっくり!話し合いましょうね!」
室井が目を白黒させているのをもう一度睨み付け、青島は踵を返して走り出した。
結局、一倉の家に招かれて食事をご馳走になり、酒まで呑んでいい気分で帰ることになた。
恐ろしいことに、食事は一倉の手料理だった。
なんでも今週は一倉の当番なのだそうだ。清子は、共稼ぎなんだから家事を分担するのは当たり前、家に嫁いだ
のではないし、
一倉に仕えているのでもないから、嫁さんだの奥さんだの家内だのとは呼ばないでもらいたい…という、たいそうしっかりした女性だった。
意外にも一倉の料理は旨く、同期の気安さも手伝ってか、室井もいつもと比べればよくしゃべったし、清子の朗らかさも雰囲気を柔らかくした。
おまけに、青
島が一倉と顔を合わせると、見なかったことにされるか虫けらでも見るような目つきでにらまれるか、だったのに、
一倉の態度はだいぶ軟化していた。もちろ
ん、毒舌まじりで。
「どうしちゃったんでしょうねぇ、一倉さん…」
帰り道、室井に問うと、室井はそうか?と答えた。
「清子さんが一緒だと、あんなもんだぞ、いつも」
「それにしたって、俺に対する態度豹変じゃないですか。奥さん…じゃなかった、清子さんを明日きちんと守らなきゃならないから、かなぁ」
「…そういう打算が上手い奴じゃないさ。政治はするけどな」
「そうなんすか?…よくわかんないな…」
なおも首をひねる青島に、室井が柔らかく笑った。
「あいつは、借りをつくってやった気でいるんだ」
「借りをつくってやった?…間違えてません?」
「いや。あいつは…」
室井が、静かに話し出す。
「一倉は、どうでもいいやつには偉そうな態度を取るから、とっつきにくい。だけどそのぶん、懐に入れると決めたやつはとことん可愛がる。
親分体質だな。…
いいやつなんだ。でも、これまでお前のことなんか認めてなかっただろ?」
「ええ、まあ…」
認めてないどころか、嫌われてた自信まである。
「その…カズミとか言ったか、そいつの件をお前がどう対処するのか、試してたんだろう。お前はあいつの期待通り、清子さんとカズミを助けた。
…俺の隣にい
ていいやつだって、認めたんだろう」
「…って、一倉さん、俺たちのこと…」
ぎょっとする青島に、室井がなんでもないことのように言う。
「ああ、前に言った。もう連むなって何度言われたかわからない」
「そりゃあ…」
そうだろう。ふつうの友達だったら、そう言うに決まってる。ましてやキャリアだ。脚を引っ張り合うことが当たり前の…
「あれ?だったら…」
「そう。本当にもう会わない方がいいと思ってたら、あいつは周りに吹聴してる。俺の脚も引っ張れて、出世レースも有利になる。
…でも、あいつはそうしない
で、もう会うなって言うだけだった。…いいやつなんだ」
室井の口には、柔らかいものが浮かんでいる。
それはきっと…一倉への信頼だ。青島との関係を話しても自分の不利になることは絶対にしないと、信じ切るこ
とのできる、友情…。
「だからな、さんざん悪口言ってた相手が、見込みのあるやつだってわかっただろ?こいつは大丈夫だって思っても、プライド高いからなあ…
なかなかあっさり
とはいかないんだ。だから、清子さんを助けてもらったって、借りがあることにして…腹を決めたんだ」
室井はにやりと笑う。
「強力な味方がついたぞ」
「…え?」
室井が青島を見て、にやりと笑った。
「あいつが借りを作ったってことは、なにかあったとき…万が一、な。そのときは、助けるぞっていうことだ。」
カズミがダイスケを信じたように。
…青島が、室井を信じるように。
一倉も、室井と青島を…必ず助けると。なにがあっても。
「そ…っ、かぁ…」
これまで、だれも理解などくれないと…味方なんかいないと思っていた。二人の約束にも…二人を結びつける気持ち、にも。
だけど…
「じゃあ、明日はちゃんと貸しを作らせてもらわないとですね」
「ああ、そうだな。…不安だな…お前、本当に大丈夫か?」
「どういう意味っすか、それ。ああ、これについて話し合うのを忘れてましたね、室井さん?」
「あー…その、だな…」
「じっくり語り合いましょう。俺、恨みを忘れないタチなんです」
「勘弁してくれ…」
数ヶ月後。
尊大な協力者を手に入れた青島の元に、警視庁捜査四課主席参事官から、ある指定暴力団が解散に追い込まれたという情報がもたらされた。
多少(?)つじつまがあわないのは多少勘弁していただいて☆
