月明かりが差し込む部屋で、青島はゆっくりと身体を起こした。
まだ、先ほどまでの情事の痕が残っていて、どうも身体が重い。・・・でも、幸せな重たさだった。そして、少しだけの、胸の痛みが、微かに、でも確かにある。
隣で静かな寝息を立てている男の顔を見つめる。
うっすらと、疲労の影を残して、でも唇の端に穏やかな笑みをたたえて。
そっと手を伸ばし、額にかかる髪をすくった。
・・・いつもは目にしないものを、今日はたくさん見た。
前髪をおろしたこの男を初めて見たし、もう帰ると言う青島の腕を掴んだときの苦しげな顔も、青島を喘がせて、情欲に濡れた瞳もみなすべて、今日が初めて。
そして、今日がきっと、最初で最後だ。
「ムロイさん・・・・」
小さくその名をつぶやいてみる。
「・・・俺、忘れないよ・・・?」
男はそのつぶやきには答えず、ただ規則正しい呼吸を繰り返す。
青島の胸を締め付けてやまないその顔に、そっとキスを降らせてから、青島は小さく微笑んだ。
真下が撃たれて、犯人をどうしてもこの手で捕まえたくて、でも組織の壁に挟まれて動けなくなって。
そのとき室井は一緒に動いてくれた。
「特捜本部などくそくらえだ」と、吐き捨てるように言った室井に、正直言って驚いた。
安西のことを言っても、捜一を動かしてくれなかったこの人に、はっきり言えば失望していた。だから、まさか一緒に動いてくれるなんて、思いもしなかった。
思えば、いつもそうだった。
ふと見せる気高い理想に、心を突かれ。
もしかして、気持ちをわかってくれるのか、と近づいてみれば拒絶され。
なんだ、やっぱりね、と少し距離を置いてみると、またぐっと心を突いてくる一言をくれて。
いつもその繰り返し。
室井の心がわからなかった。
もっと近づきたいのに、拒絶される気がして近づけずにいた。
でも・・・真下の一件は、違っていた。
「負けだ」
あの一言に、この人の矛盾を見た気がした。
・・・ああ、そうだったんだね。つらかったんだ、あんたも。
強いとばかり思っていた背中は、寄りかかるところをいつも探していて。
でもたっかいプライドがそれを許さず。
そして、俺を見つけたんだ。
すとんとなにかが胸に落ちてきた気がして、「二週間後には査問委員会」と言われても、不思議とおそれや不安はなかった。
もっと、室井を知りたい。
話をしたい。
そして・・・俺を求めて。
そう思ったから、明日が査問委員会だという今日、やっとのことで時間を作って、室井を訪ねた。
たいそう、驚いた顔をしていた。
そりゃそうだろう。エリート街道まっしぐらの室井の足を引っ張った所轄の一刑事が、
本庁の前で待ち伏せて、にかーと笑って、「呑みいきましょ!」だもん。
でも室井は、「いいな」と短く答えて、肩を並べて歩き出した。
結局、実家からいい酒を送ってきたからという室井の言葉で、初めて室井の部屋に呼ばれ、しこたま呑んで、上の悪口言い合って、すこし熱く語ったりして夜は更けて。
でも、会話の合間に沈黙が訪れると、互いの瞳にある「なにか」を感じて、それを振り払うかのように馬鹿な話題を振り合った・・・・。
何度めかの沈黙に、先に耐えられなくなって目をそらしたのは、青島だった。
時計を見上げ、取り繕うように室井に言う。
「あ、もう帰らなきゃ。終電なくなっちまう」
「・・・もう、そんな時間か」
「ええ。さすがにやばいっしょ、査問委員会に遅刻は」
冗談に紛らわせていって、あ、と気づく。
二人とも、故意に避けていた話題に、触れてしまった。
気まずい沈黙が、二人を包んでいく。
それでも、青島は笑って見せた。
「・・・じゃ、そろそろ」
そう言って、コートを取ろうとした腕を捕まれた。
「青島」
「・・・なに」
どこかぎくしゃくと、室井を見上げる。
室井は、なにかに耐えるように、眉間の皺を深くして・・・・そして、言った。
「帰るな」
「・・・なんで」
「帰したくない。帰るな」
「なんで・・・」
疑問は、唇にふさがれた。
反射的に、腕が室井の胸を押す。
しかし意外なほど力強く抱きしめられ、離れられない。
やがて青島の息が上がるのを確認して室井が唇を離し、小さく言った。
「お前がいやなら、忘れていい。今日限りでいい。今日は・・・恋人でいてくれ」
青島は答えなかった。
室井は沈黙を肯定と受け取って、唇を青島の首に這わせた。
身体をまさぐられ喘ぎながら、青島はどこかで思っていた。
手に入れた、と・・・。
こうしたいと思っていたのは自分。
室井を手に入れたいと、室井の胸の内を暴いてみたいと、願っていたのは、紛れもなくこの自分。
互いの瞳に、互いを求める思いがあるのを知って、先に動いたのは室井だったけれど、思いが深かったのは、きっと自分の方・・・。
けれど、こんな恋人の夜は、今日限りだ。
月明かりが差し込む寝室をそっと出て、リビングに脱ぎ散らかされた服を拾う。
獣のように愛し合った痕をシャワーで洗い流しながら、青島は考える。
明日の査問委員会で、室井が厳しい処罰を受けることはないだろう。
おそらく厳罰は青島にのみ課せられる。
それでいい、と思う。
キャリアを優遇する現在の警察機構に、それほど青島は期待してはいない。ここ数ヶ月間で、そのことは骨身にしみて理解している。
互いの思いはどうあれ、組織の中で「してはいけないこと」をしたのだから、責任を取るのは当たり前のことだ。
室井が警察機構を変えるまで、耐えればいいだけのこと。
そして、室井が警察機構を変えるためには・・・青島のような「恋人」は必要ないどころか障害だ。
あのまっすぐなひとはどう思っているか知らないが、青島の覚悟はとうにできていた。
バスルームを出て、服を身につけて、これが最後、と寝室を覗く。
室井はまだ、深い眠りの中だ。
足音をたてないようにベッドに近寄り、顔を寄せる。
いつも深い皺が寄せられる眉間にそっと口づけて、もう一度、誓いの言葉を口にする。
「俺は、忘れない・・・」
この夜で、十分。
甘いキスも、熱い腕も、室井の重みも、淡く溶けていきそうな睦言も、みな、忘れずにいるから。
だから、あんたは上に行って、俺たちの思いをカタチにして。
それまで、きっと、忘れずにいるから・・・。
そっと身を起こし、気づかれないよう寝室を出る。
後ろ髪引かれるって、こういう気持ちか?などと思いながらリビングを横切って、玄関に向かう。
並べられた靴に足を入れ、ドアのノブに手をかけ、深く息を吸う。
恋人の夜は、これでおしまいだ。
明日になったら、にっこり笑ってあいさつする。
オハヨウゴザイマス、夕べは飲み過ぎちゃいましたね、さ、行きましょうか査問委員会、なに言われるんすかね、でもなに言われても文句言えないし、日頃の行いが悪いから、あ、室井さんじゃなくって俺ですよって、当たり前かそんなこと。
そう、笑って見せて、忘れたフリして。
でも忘れないで、生きていく。
あんたのつくる、警察を見るために、どんな仮面もかぶってみせる。
青島は、もう一度確認して、ゆっくりとノブを回した。
あおしまくん、おとめちっくモード驀進中~